なにかのことから、夕食のとき、夫が言った。「遠いから、遺骨を身延に持って行ってくれなくてもいい」と。日蓮宗信徒の夫は、以前から自分が死んだら、遺骨は身延の永代供養に持って行ってくれ、残りは身延の沢に捨ててくれ」と言っている。「死んでしまえば本人はわからないんだから、どこに捨てたっていいんだよ」と私が言って笑うと「千の風になってだね」と息子が言った。「そうだね」と私は相槌を打ったが、夫には通じない。
「千の風になって」を初めて聞いたのは、大晦日、たまたまチャンネルをまわしたとき、紅白で聞いた。私は結婚以来、紅白を見たことはない。
何でも娘がギターの発表会で、前に演奏したオバサンがこの曲を編曲して弾いたとかで、チャンネルはしばしそこで止めたのだった。「覚えやすい曲だね」と、いっしょに口ずさんですぐ覚えた。それ以来聞いたことはなかった。息子が言うにはこの詩の原詩はアメリカのものだそうだ。
そこで興味を持って、「千の風になって」を探してみた。二木紘三さんのブログに原詩探しのおもしろいいきさつが載っていた。思わず引き込まれた。
原詩を読むと、なるほどキリスト教的な世界観ではない。うふ、私が創作した「大男の青い空」に似ている。「大男の青い空」は創作紙芝居の台本として書いたひとつである。残念ながらこれは入賞しなかったが。アメリカ原住民の詩集は「今日は死ぬのに都合がいい日」とか、数冊持っている。
神奈川県立図書館が紙芝居コンクールを主催している。日本でひとつしかないので、全国から応募作品が集まる。そこで最優秀をとったのが「東京大空襲ーマッちゃんの思い出ー」だった。制作はグループ なるにあ。一応、各賞は全て頂いてある。その後は招待作家に祀り上げられてしまって、つくる意欲がなくなってしまっている。
「千の風になって」の英詩はこれ。きれいに韻をふんである。
A Thousand Winds
Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.
When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.
Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.
「千の風になって」
芥川賞作家、新井満が英詩を訳し、曲をつけ、自ら歌った作品で、 いまでは何人かの人が歌っているそうだ。いい訳詞とは思わないけど。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています
この歌が生まれるまでの経緯、そして原詩探しの経緯が二木さんのブログ(蛇足)に興味深く書かれている。思わず引き込まれて読んでしまった。