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春分の日

2007-03-21 15:16:10 | 日記・エッセイ・コラム

春分の日は「国民の祝日に関する法律」によると、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とある。ちなみに秋分の日は「祖先を敬い、なくなった人々をしのぶ」とある。

一般的には古くから定着しているように思われている彼岸の行事も、いろいろ知っていくとおもしろい。春分の日や秋分の日をお彼岸の中日として、お墓参りに行く。彼岸の中日を中心にして前後三日ずつ、計7日間を彼岸会、俗にお彼岸と言って、法要をする。もっともこれは日本仏教独自のもので、インドや中国にはない行事である。

私は仏教にも神道にも密着していないので、客観的に物が見られる。とはいえ、日本人としてこの地に育ってきている。原点においてはかなり、双方がかかわってきているから理解も出来る。数年前、日本の仏教史を自分なりにまとめたが、その視点もどちらかといえば、歴史に置ける日本の仏教を客観的に見ることが出来た。ときどき、葬式に参列したとき、坊さんの言う言葉に、ええ~と思うことも度々ある。

日本に仏教が渡来してきたとき、日本には民族宗教の神道があった。外国人から見ると、神道は宗教とは認めにくいようだが、とにあれ、明治以降、国家に利用されはしたが、もともとは素朴な宗教であったと思う。当然、仏教も神道の方式を取り込んで行ったに違いない。最初から仏教は神道と融合していたのだとみてもいいだろう。

簡単に言えば、民族宗教とは自然発生的に出来た宗教、教義よりは儀式を重んじている。一方、仏教は世界宗教、普遍的な世界観を教えている。双方、世界観はまったく違う。しかし、おもしろいことに、「ほとけ」という訓はどこから出たのかわからないのだという。「神」という言葉も同じく、語源は不明だそうだ。

彼岸は仏教の「到彼岸」が省略された言葉。比喩として大きな川の向こう側に仏の世界があり、こちら側にわれわれ凡夫がいる。川の向こうの彼岸は、仏の世界、悟りの世界であり、こちらの岸は迷いの世界と言うことが出来る。要するに、この迷いの世界から、悟りの彼岸に到る、到彼岸、が仏教の目的である。

春分、秋分の日に彼岸会が行われるようになったのは、春分、秋分の日には、太陽は真東から昇って真西に沈む、古くから日本人には、死者の行く国は「根の国」、それは遠い海の彼方、または地底深くにあると考えられていた。それに浄土信仰が加わって、いつの間にか、死者の国は西方にあるというのが定説になった。だから春分、秋分の日、真西に沈む太陽に、ご先祖様を偲ぶ行事を行うようになったようだ。

学者によっては、彼岸は、到彼岸ではなく、日拝みの太陽崇拝から来たものだと説く人もいる。おそらく太陽信仰が大きく影響しているのは間違いないだろう。邪馬台国の卑弥呼の話など読むと、そう思う。

戦前の日本には宮中行事として、秋分、秋分の日に行われる、春季皇霊祭、秋季皇霊祭なるものがあった。ただし、これが制定されたのは明治11年、1878年のことである。廃仏毀釈までして仏教を排斥し、なんとか仏教色のない神道を確立したいという明治政府の思惑があったのだ。そんなこと土台無理な話だったのだが。

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