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ファウスト

2007-03-15 12:58:39 | アート・文化

ファウストといえば、言うまでもなくゲーテの作品である。ゲーテのファウストはいくどとなく読んでいる。内容の深い、すばらしい作品だと思っている。ゲーテがファウストの構想に入ったのは20代だそうだ。そして第一部の悲劇が40代に完成、そして二部を書き上げるのは80代に入ってからである。いろんな人の訳を読んだが、今手元においてあるのは大山定一さんのものである。大山定一さんの訳は詩集などでもおなじみだからだ。

ファウストがメフィストフェレスに、自分が満足して「時よとまれ、お前は美しい」と言ったらファウストの魂をメフィストにやるという契約で、若返り、さまざまな経験をする。一部はマルガレーテと恋に落ち、子どもを産ませ、捨て、マルガレーテはえい児殺しの罰を受ける、が魂は救われる。子どもの頃、モノクロのこの映画を見た。この場面は牢獄に天上から光が降りそそぎ、ドラマチックであった。

二部は言ってみれば神話や空想の世界が入り混じり、最後は所有した土地を開墾し、働く人々の姿に満足して「時よとまれ、あなたは美しい」と叫んで息絶える。ただしメフィストに連れ去られる魂は、かつての恋人マルガレーテの手により地獄へ行かずに天国に運ばれる。

ゲーテの「永遠なる女性」は最終の歌にある。「すべて常ならざるものは映像に過ぎず、人がねがいも求める全きものは天上で叶えられる。永遠に女性的なるものによって、われらはそこにひきあげられる」

いままたファウストを引っ張り出したのは、手塚治虫の「ファウスト・百物語」「ネオ・ファウスト」を買ってきたからである。「ネオ・ファウスト」の方は「アドルフに告ぐ」とおなじくハードカバーの新刊を買ってある。

目を通すと、「ファウスト」も「百物語」も読んだ覚えがある。「ファウスト」を手塚が子供用に漫画化したのは21歳のときだったという。「百物語」は42歳、そして「ネオ・ファウスト」は未完のまま絶筆。生涯を通してファウストと付き合ってきたことになる。もちろんファウストから触発をうけてはいるが、手塚の世界は自分のものだ。

ゲーテのファウストを読み始めたら、図書館から頼んでおいた本が届いたという電話があった。こちらには期限がある。先ずはファウストを戸棚に入れて、借りた本を読み始めた。

私は目が悪くなったせいもあって、本を読むのが遅い。そこでたいていは買ってしまうのだが、手に入らないものは図書館にお願いして探してもらっている。その時ばかりは期限内に読みきるためにせっせと読む。

今回探してもらったのは「オシアン」。スコットランドはハイランドのケルトの伝説的叙事詩といわれているものだ。このオシアンには歴史的事件がある。だからこそ読んでみようという気になったのだ。「オシアン」が発行されると、当時のヨーロッパではセンセーションを巻き起こした。オスカー・ワイルドのオスカーもオシアン由来だそうだ。ナポレオンも読んで感激したという。ナポレオンはゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んで、ゲーテその人と文学論争したというエピソードも残っている。これはまたいずれ読後感に入れよう。

県立図書館から貸してもらった「オシアン」は昭和46年の岩波文庫。中村徳三郎の訳だ。困ったことに字が小さい。おまけに紙も変色して赤茶けている。これは泣きものだ。岩波文庫をさがすと、「オシアン」はあったが、品切れ、再販の見通しなし、と書いてあった。叙事詩といえば「ニーベルンゲンの歌」も岩波文庫2冊だった。まだ若かったから、この字でも読めたんだな。

度の強いめがねに代えて、さ~読もう。

コメント
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