Cogito

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鈍色(にびいろ)の空

2019-02-13 16:29:06 | 日記

昨日は三隣亡。せっかく入れた書き込みもちゃんと消えてしまっていた。息子に言うと、「最初からちゃんとやり直さない」と、「もういいよ」

真鶴町のグランドデザインに対するパブリックコメントもwordに書いたのだが、入れてみたら初めの部分しかないので、消した。あちこち探したが、ない。ちゃんと保存したのになぁ、papasanに、内容は読んで聞かせたから覚えているが、もう書く気もうせてやめてしまった。

 

しかし、コメントを作成して、メールで送った。このごろ職員、サボっているから、コンサル会社が集計するんだろうか。コンサルが受けると、住民の意見が正確には届かないのではないかと気にかかる。どうなんだろう。

参考として、総合計画や町例規集も開けて必要個所は読んでみた。

 

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ウィキペディア

2019-02-12 09:58:33 | 日記

昨夜、息子が来て、「調べものするときウィキペディアを使うでしょ」と言った。「うん、だから年に少しだけどカンパしてるよ」いうと、ウィキペディアに「宗秋月」の項があるんだけど、中身は何にも書いてない。沖永良部ゆかりの人物にも、名前は入っているけど、中身はない、だから書いてやったら」「あ~そう、書いてやろう。でも資料、どこにやっちゃったかな。優子さんが京都に出てきた時、優子さんの姉妹4人と、私と妹が京都まで会いに行った。初めてのいとこ会だったけど、血のつながりは不思議なもので、生活環境も全く違っているにも関わらず、だれもが似通っていた。優子さんは親父さんの弟の子どもたちである。私たちの父、すなわち伯父さんを知らないので、葬式の会葬パンフに使った写真をコピーして各自に送ってあげたから、そこには経歴も載っていたから、どこかに残っているはず、とは思ったが、探し物はもうギブアップ。


父は4男1女の3男。優子さんのお父さんは4男。叔父さん一人だけが沖永良部に残って家を守ってきた、といとこたちから恨み言を言われた。と言われても。ほかのいとこにはブラジルに行った伯父さんの娘達には会ったことがある。妹、叔母さんの二人の娘にもあったことがある。でも島の様子や、兄弟たちの家族や、暮らしぶりは一切聞いていなかった。

思い出しながら、それでもウィキペディアの「宗秋月」の項に書き込んだ。ところが即時削除に入っている。どうしたらいいのか全く分からないので、削除されたらまた載せればいいや、と全文をコピーしてドキュメントに保存した。どうしたらいいんだろうね。

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2月11日

2019-02-11 13:54:34 | 日記

今日は祝日だねぇ、なんの祝日だったっけ?と聞くと、う~ん、なんだっけなぁ、とpapasan。忘れちゃってもいいけどさ、建国記念の日だよ。神武天皇がなんかした日だったよ、そのうち思い出すから待ってて。

それより初めての建国記念の日は連日の雪で、東海道線がストップしたよ。こんな日を建国記念の日なんかにするから、ザマーミロ、空が怒っているよ、と言った覚えがある。その日は国政選挙の投票日だった、衆参、どっちだったかは忘れたけど。で、子どもが小さいから、ストーブをつけたままだったので、先にpapasanが一人で投票に行って、交代で私が投票に行った。当時の投票所は昔の役場、今のコミュニティ真鶴だったから、帰り、雪の積もった真っ白な道路をスキーよろしく滑って遊んでいた。車も人も全く通らなかったから。まだ段ボール全盛時代じゃなかったから、段ボールで滑るわけにもいかなかったよ、庭にネコの雪だるまを作った、その写真は残っているよ、と思い出していた。

 

やっと思い出した、建国の日は、紀元節の復活、要するにこじつけなんだ。神武天皇が即位した1月1日を、明治になってから太陽暦に計算しなおしたら2月11日に当たるから、と言って紀元節にしたんだよ。神武天皇は神話上の人物で実在したかどうか、わかっていない。とにかく、明治って時代は、天皇制をがむしゃらに国民に植え付けた時代なんだね。明治の元勲たちや華族たちの、自分たちの保身、大義名分もあったんだろうよ。

 

家に出入りしていたお姉ちゃんが記憶力のいい人でね、なんでもかんでもきちんと暗記していた。だから私もまねて、古文の出だしはもちろん、おもしろがって神武、綏靖、安寧、懿徳・・と歴代天皇名も暗記したから口では言えるけど字はわかんないなぁ。

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寒いけど

2019-02-10 21:40:15 | 日記

山には雪はないし、雨で湿ったにもかかわらず、霜柱もない。寒いとは言うものの、暖冬なんだ。真鶴に来たての頃は、霜柱がにょきにょきと土を持ち上げて立っていた。洗濯物を干すために踏みしだくと、音を立てて崩れた。娘のおむつを干すと、バリっと凍り付いた。今はおむつなど、使う人はいないだろうけど。

鶏のエサがなくなったとうるさいので買い物に連れて行ってもらった。鶏のエサをたくさん買い占めると、あればあるだけやってしまうので、面倒でも少しづつ買うことにしている。

真鶴でとれたキンメダイがあったので、大きめのを買ってきて、煮つけにしてやった。丸で買うと、おろしましょうか、というから、自分でおろします、と言ったら、よくできますね、と売子さん。だって真鶴人ですよ。子どもの時からさばいているから、切り身はなかなか買えないんですよ、と言ったら、私だって真鶴だけど、できない、と。さすがに大きなカツオはもう頭を落とすは力がないからしないけど、ふ~ん。

 

昨日作っておいた、パイシートを出して、白ワインで煮ておいたリンゴを入れて、アップルパイを焼いた。「冷めても美味しいけど、焼きたてのパイ皮がサクサクしているのはまた違った美味しさだよ」と言ってpapasanに切ってやった。「毎日美味しいものが食べられてpapasan幸せだね」というと「ほんと」と言いながらほおばっている。臭覚はだいぶいかれているが、味覚はどの程度、わかっているのはかどうか。とにあれ、美味しい、美味しいと言ってたべているのだから、いいとするか、

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ちいちゃんのかげおくり

2019-02-09 23:00:13 | 日記

たまたまテレビで朗読をしている市原悦子さんを見た。

市原さんが亡くなったので、追悼もあって、市原さんの映像がテレビでよく流れている。そのひとつだろうと思ったが、朗読だったので手を止めた。

市原さんと常田富士夫さんが続けていた「日本むかしばなし」はよく見ていたから。

市原さんは2000以上物物語を読んだそうだ。中でも一番忘れられないのが「ちいちゃんのかげおくり」だという。音楽はミッキー・吉野。

市原さん自身も空襲にあい、その後疎開をした。戦後のひもじい時代も体験して、戦争は絶対にしてはいけないと思った。そこで戦争児童文学を取り上げて読むようにした、のだという。

そしてその番組では13分、ノーカットで、「ちいちゃんのかげおくり」の朗読を流した。

朗読は、実にうまい。引き込まれて、思わず涙がこぼれた。

 

市原さんの「ちいちゃんのかげおくり」ぜひ聞いてください。

 

https://haru123fu.exblog.jp/20458532/

 

こちらので、感動したのだけど、全部入っていなかった。

https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%81%A1%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%92%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8A+%E5%B8%82%E5%8E%9F%E6%82%A6%E5%AD%90&tid=10c45b26ae11d9f8637b3d79124554c4&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

 

「ちいちゃんのかげおり」は小学生の国語の教科書に載っている。

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