歴史・伝統・文化を背景とした日本の成熟した選挙文化

2007-02-17 12:38:01 | Weblog

 2月16日(07年)の『朝日』夕刊の『ベルリン映画祭・ニッポン選挙、外遊中・ドキュメンタリー、タスキ姿でPR』は日本の選挙スタイルが世界に知れる端緒ともなり得る世紀的な瞬間を伝える記事に思えるゆえに、まだ読んでいない人のために全文を引用して紹介してみる。

 実際に市議会補欠選挙に立候補して当選した出演者でもあったタスキ掛けの山内和彦氏が候補名を書き入れたのぼりを脇に立てた日本ではお馴染みの選挙スタイルで通行人のベルリン市民に選挙戦よろしく握手を求めているシーンを招待作品(とTBSの同じ日のニュースは伝えていた)の『選挙』を監督した想田氏がビデオカメラに収めている写真が記事の脇に載せられている。

 「ご通行中の皆様、私とともに映画界にも改革の波を起こそうではありませんか――。ベルリン国際映画祭のメイン会場ベルリナーレ・パラスト前で1 5日午後(日本時間16日未明)、日本語の演説が響いた。同映画祭参加作品『選挙』に登場する川崎市議の応援演説で、日本流のスタイルは、政治に関心が高いとされるベルリンの観客に驚きと笑いを持って迎えられた。(ベルリン=深津純子)
 05年秋の川崎市議補選で自民党の新顔として立候補、当選した山内和彦さん(41)の活動を追った。2時間のドキュメンタリーで、フォーラム部門に参加した。監督はニューヨーク在住の映像ディレクター想田和弘さん(36)。
 想田さんと山内さんは東大の同級生。山内さんはいくつかの大学や仕事を経て東大に進み、卒業後は東京都内で切手・コイン商を営んでいた。その意外な転身を知った想田さんが帰国し、カメラを回した。
 告示前から投開票日までの、遊説風景や陣営内部の人間模様が描かれている。外では『候補』と持ち上げられる山内さんだが、握手の仕方のような細部まで、支援者や先輩議員から小言が飛ぶ。
 『人が街頭で耳を貸すのは3秒。その間に1回名前が入るように』と参謀。『政治の世界で「妻」はおかしい。「家内」でしょ』という声に山内さんの妻は困惑し、夫に怒りをぶちまける場面も。
 映画祭での初回の上映は満席。運動会ではラジオ体操をし、秋祭りではみこしを担いで支持を訴える山内さんに、ベルリンの観客は興味津々。段取りの悪さに怒った支援者が『世が世ならハラキリものだ』とぼやくと大爆笑が起きた。
 女性客の一人は『奥さんが「妻(字幕ではwife)」ではなく、「家内(housewife)」と名乗らされるのはかわいそう』。別の観客は『「改革」「改革」と言うけど、どう変えるの?日本の有権者は何を規準に選ぶの?』。
 60分の短縮版が今秋、英国BBCの連作『民主主義』の1本として25カ国で放映され、米国の公共放送PBSでも82分版が来年放送される予定だ。日本公開も有望といい、想田さんは『できれば夏の参院選に合わせたい』と考えている」

 TBSのJNNニュースで、(先ずタスキ掛けの候補者が背中を見せて駆けていく姿が映し出される。字幕に「Hello !」)

 第57回ベルリン映画祭招待作品『選挙』監督・想田和弘
 Hellow sir ! ! Home are you ?
 男性解説の声「この映画の舞台は2005年の秋に行われた川崎市議会の補欠選挙」

 (夜、左手にマイク、右手に選挙用パンフレット。タスキ掛けの候補者が候補者の顔付きの幔幕を貼り付けた選挙カーの脇に立って演説中。
次に夜の駅前。電車から降りて駅から出てきた中年男性に姿勢を正して腰を曲げ、頭を下げるシーンが映し出される。)

 「Welcom home after a hard day’s work.
Good evening This is Yamauchi.
 解説「自民公認の新人候補者山内和彦さんの、いわゆるドブ板選挙に密着、ノンフィクション作家として選挙の舞台裏を描いています」
 Please support, Yamauchi ! !

 (「山内和彦にご支援ください」か、「山内和彦に清き1票を是非投じてください」とか言ったのだろう。次はラーメン屋で夕食のラーメンを慌ただしげにすすっているシーン。向かい座っている女性は新聞記事から憶測すると、「家内(housewife)」かもしれない。「家内(housewife)」が若くて美人で有名大学卒の学歴があれば、集票力は高くなる。アメリカにでも留学していて、英語ペラペラだと言うことになったら、当選間違いなしだろう。)

 (街中で投票のお願いのシーン。集まっている人に選挙スタッフと共に腰を低くして両手で握手を求めていく。「山内和彦を是非よろしく」を連発でもしていたのか。)

 This Yamauchi Please give your vote.
Ok.

 (選挙事務所の中。)
 I’m not finished tet.

 (し残したことがあるらしく、タスキ掛けの候補者が身軽に身体を翻して事務所から飛び出そうとすると、参謀か「ちょっと話があるでしょ!」と声を険しくして机を激しく叩く。候補者は慌てて「ごめんなさい」と謝って、さっと椅子に腰を下ろす。すぐにシーンは移動中の選挙カーの中。)
 
 明らかに「家内(housewife)」なのだろう。「あんたがしっかりしていないから、そう言うことを言われるんでしょ」 
 It’s because you’re so weak that they talk to me like that

 (これが「家内(housewife)」以外とか近親者以外の女性だったら、大変なことになる。彼女自身も叱られたようだ。)

 Please protect our“campain cars”……
so ther will be no accisdent during the election…….
 解説「ベルリン映画祭の招待作品に選ばれたこの映画は今日が世界始めての上映で、今後短縮版が欧米25カ国のテレビ局でも放映される予定です」

 (画面は選挙事務所の中で神主にお祓いを受けているシーン。候補者とその他が勢揃いして神主が振るう棒についたお祓いの道具(祓麻・はらえぬさ?)の前で神妙そうに頭を下げている。)

 (次に新聞がが報じていた運動会のグラウンドなのか、画面左端にタスキ掛けの候補者が位置していたから、選挙関係者一同なのだろう、一斉にラジオ体操の両手・両足を揃えて何度か跳躍した後、両手・両足を左右に開いて跳躍を続ける運動のシーンが映し出される。ご苦労なことである。)

 解説「撮影や編集を自ら手がけたと言う想田和弘監督はニューヨークを拠点に活動していますが、既に日本にも上映の話が進んでいると言うことです」
想田監督「政治って何だろうとか、民主主義って何だろうとか、我々の代表を選ぶことはって何だろうということについて考える機会とか、それから刺激?で、そこでディスカッションが起こるような、そういうようなことの機会?になってくれれば凄く面白いなあと――」

 (選挙カーの窓から候補者が身体を乗り出して振る手とそれに応えて手を振り返す黄色い帽子の幼稚園児の集団が映し出される。幼稚園児の集団が過ぎ、通りがかりの通行人にも両手を大きく広げて両手を振るシーンが続く。外国人が見たら、幼稚園児は選挙権がないのだからムダなことではないかと思うろうが、愚かな話で、選挙権がなくたって、子どもから話を聞いた親が心を動かすかもしれない。日本の政治家なら誰でもやっている大事な努力の一つである。子どもから手を振ってもらえないようなら、政治家になるな。)

 解説「映画では候補者が政策を訴えるシーンは殆どなく、名前を連呼して走る選挙カーや握手だけをし続ける日本の独特な選挙戦に観客らは驚いたり、あるいはコメディ映画を見ているような大きな笑いが起こりました」
 
 (解説にかぶせて、観客席からスクリーンを見入っている観客の映像が映し出される。そしてスクリーン上のシーンだろう、神輿を担ぐ候補者の映像。それを見入っていたるらしい観客の映像が再度映し出される。)

 解説「結局山内さんは市会議員に当選したのですが、この春の選挙には出馬しないと言うことです」
 話す言葉からドイツ人か、40代?男性「異様だと感じた。選挙戦にまったく中身がなかったし――。候補者は政治家ではなかったし――」
 30代?女性「一瞬笑っちゃうけど、実は真面目なメッセージが込められている映画ね」
 
 (夜のベルリン映画祭会場の前。)

 解説者(里土)「ある観客は日本人はこの映画をどう見るのかと真剣に問いかけてきました。選挙戦の一面を描いたドキュメンタリーとはいえ、政治家を選ぶ日本人の政治意識に厳しい目が注がれています。」
 * * * * * * * *
 ドイツ人らしき男性の「候補者は政治家ではなかったし――」はあくまでドイツという地域に於いてはという条件付きであって(まあ欧米の他の国でも同じだろうが)、日本ではこれが政治家の全体的な姿なのである。これ以外の姿を見せたら、政治家ではなくなる。そのことを十分に理解してもらわなければならない。そのための「ドキュメンタリー」であり、あとのドイツ人らしき女性の「実は真面目なメッセージが込められている映画ね」の感想が示しているとおりに、これが日本の政治家の姿だよ、日本ではこのような選挙慣習で政治家が選ばれるんだよという「メッセージが込められている」のである。

 『朝日』の記事では「段取りの悪さに怒った支援者が『世が世ならハラキリものだ』とぼやくと大爆笑が起きた」と伝えているが、不謹慎も甚だしい、日本では当事者は真剣、且つ神妙に受け止めたことだろう。武士は重大な過ちを犯したなら、腹を切って責任を取る。そのような武士の立場になぞられるくらいに、立候補者は当選のためには少しの失敗も過ちも許されないのである。だから日本の政治家は何かと言うと、「命を賭けて」と言う。その割には責任を取らないが。

 既に戦後すぐの時期に日本占領連合国軍最高司令官マッカーサー元帥に恭しくも畏くも「日本人の政治意識は13歳の少年だ」と名誉ある素晴しい評価を受けているのである。戦後日本の凄まじいまでのアメリカ文化の強姦・陵辱から自らの貞操・身を守ることができたのは日本の政治意識・選挙文化のみではないだろうか。

 ああ、まだあった。江戸時代以来の美風だという談合文化とワイロ文化。

 このような無事・安全の構図を安倍首相の言葉を借りて説明するなら、「戦後レジーム」の精神汚染を受けることなく、清らかな無疵の姿のまま延々と引き継ぐことができた日本の選挙文化・談合文化・ワイロ文化はそこからの「脱却」を図る必要もなく、3文化とも絡み合って相互扶助関係にあることでもあるし、当然「脱却」の対象から外さなければならない。

 「戦後レジーム」の疫病に冒されずに生き延び、成熟期に達した美しい日本の歴史・伝統・文化を絶やすことなく、未来の日本に受け伝えていくべきではないか。例え世界から異質だと笑われようとも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする