東京マラソンは石原慎太郎のケチのつき始めの中間地点なのか

2007-02-19 10:58:36 | Weblog

 人間は何かを計画すると、大体に於いて目論んだとおりのベストのシーンを予想する。予想したシーンどおりの展開に恵まれた者が幸運な人間ということになる。『太陽の季節』で華々しく新進作家としてデビューし、思い通りに芥川賞作家となり、総理大臣にはなれなかったものの、東京都知事となって、ある意味権力のトップを極めることができた。その具体化として、あるいは自らへの証明として、外国の地への出張で最高で1泊26万とかの超高級ホテルに宿泊するといった王様気分を味わうことになったのではないか。

 自らが企画した東京マラソンでも、ベストの展開を予想したに違いない。晴れた初春の朝。心地よい澄んだ大気。交通規制が敷かれ、車の姿が殆どない都会のビルだけが聳えた壮大な光景。号令のピストルを撃つ。一斉にスタート・・・・といったふうに順を追って、展開されていくシーンを頭に浮かべていく。そして頭に浮かべたとおりにうまくいくことを願っていたろう。

 だが、石原慎太郎が「東京にとっての新しいお祭り、新しい伝統のスタートです」と高らかに宣言し、スタートの号令を自ら撃った瞬間は晴れた初春の朝、心地よい澄んだ大気というわけにはいかなかった。冷たい雨が降り注いでいたからだ。今夏大阪で開催の世界選手権代表選考会を兼ねていたということだが、候補者に目されててた目ぼしいランナーが冷たい雨が原因でコンディションを崩して脱落していくというシーンは石原慎太郎の頭の中では予期しなかった展開でもあったろう。

 そして何よりも自らも望んでいなかったに違いないから、予想だにもしなかったろう展開は世界初だという優勝者への授与メダルが原価で35万円相当もする純金製の金メダルを胸にかけたのは日本人ランナーではなく、ケニアの黒人ランナーだったことだろう。2位に入った日本人ランナーは2時間11分22秒で世界選手権代表規定時間の2時間9分30秒に満たず、内定獲得ならずも予期したくもなかっただろうおマケまでつくことになった。

 石原慎太郎にとって世界発の純金製の金メダルを胸にかけることになる優勝者に外国人を望んでいなかった展開だと推測したのは、石原慎太郎自身のかつての発言が根拠となっている。毎月1回産経新聞に『日本よ』と題したエッセイを掲載していた中の2001年5月8日朝刊に載せた『内なる防衛を』は次のような内容となっている。
 
 「昨今の日本を眺めると、いかにもこの国のタガが緩んできてしまったという観が否めない。その結果私たちは多くのかけがえない美徳や美風を失いつつある。そのあるものは自発的な原因に依るものだし、またあるものは他与的なものでもある。
 失われつつある美風の一つに、かつては外国人が称賛していた治安の良さがあるが、今日これは最早伝説化しつつあるといえそうだ。治安の悪化の要因はこれまた自発的、他与的とそれぞれあるが、今日この国際化の時代にこの国における犯罪の資質が大きく変わりつつあるということに国民全体が、誰のためでもなく自分自身のためにもう少し強い関心を持つべきだと思う。
 過日、知事として初めて警視庁を視察した時いろいろ印象的なものを目にさせられたが、その一つに科学捜査研究所で見た、被害者の割り出しのための死体修復技術の成果があった。見るも無残に顔の皮をすべて剥がれて誰ともつかぬ死体の顔を科学的に分析し、その原形の顔立ちを割り出し、構成しなおして出来上がった想像写真を元に捜査を進め被害者の身元を確認したのだが、被害者は仲間割れした不法入国の中国人だった。捜査の過程でこの被害者が多分日本人ならざる外国人、おそらく中国人だろうことは推測がついていたという。その訳は、何だろうと日本人ならこうした手口の犯行はしないものですと。やがて犯人も挙がったが推測通り中国人犯罪者同士の報復のためだったそうな。しかしこうした民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい。(後略)」

 石原慎太郎が言うように犯罪の手口が「民族的DNAを表示する」としたなら、犯罪の手口から民族・国籍が常に特定可能となる。いわば「民族的DNA」によって犯罪の手口が決定されている。あるいは「民族的DNA」が犯罪の手口を決定する。

 この見事なまでの見識の恐ろしいところは、人間に与えられているはずの〝学習〟という才能は「DNA」がその役目を持たないと宣言したのと同じになることである。1995年3月20日にオウム真理教が東京都の地下鉄にサリンを撒いたとき、アメリカの情報当局は過激派テロ集団がサリンの製造方法と治安騒乱のための撒布を学習して実行することを恐れる発言をしたが、犯罪手口が「民族的DNAを表示する」ということなら、サリン撒布に関しては日本人以外は学習不可能となり、外国のテロ集団は警戒対象から外してもいいことになる。犯罪の手口は「民族的DNA」が決定するからである。

01年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件直後の01年9月18日から10月9日にかけてアメリカで炭疽菌を封入した何通かの手紙をメディア関係者や政治家に送付されて問題になったが、その手口はオウムが地下鉄にサリンを撒く以前に自らも行っている。これも犯罪手口が「民族的DNAを表示する」とすると、郵便物に封入して配達する方法がアメリカ人の「民族的DNAを表示」していて、オウムの場合はスプレーを使った撒布だったから、日本人の「民族的DNA」は撒布型としなければならない。

 だが、アメリカにも日本にも小包爆弾による犯罪が起きているのはどう説明したらいいのだろうか。ナイフを使った殺人、拳銃を使った殺人等々の同じ手口の犯罪も存在する。どこから「民族的DNA」を割り出すのだろうか。

 石原慎太郎は犯罪手口が「民族的DNAを表示する」とすることによって、「民族」に差別意識を持っていた。石原慎太郎の考えとは正反対に犯罪手口は「民族的DNA」に関係なく、あらゆる情報を通して有効ということであれば民族を超え、人種を超え、国籍を超えて学習され、最初は可能な限り忠実なマネから出発して、その場・状況に応じた改良を行い、発展させていくという考えに立つとき、「民族」に対してどのような差別意識もなく平等意識からの考察となる。例えそれが中国人特有の犯罪の手口であったとしても、それは最初の間だけのことだろう。なぜなら、「民族的DNA」が決定するわけではなく、中国で誰かが最初に用いて、中国人の間で有効と言うことで学習されていった手口だろうからである。それが日本にたまたま持ち込まれた。日本人にしても有効と言うことなら、学習していき、自らの犯罪の手口とすることだろう。だからこそ、欧米の凶悪犯罪に擬えることができような凶悪犯罪が日本でも発生することになる。 

 民族的差別意識に侵されている石原慎太郎都知事が考案し、その優秀者に世界初という純金製の金メダルを授与する第1回東京マラソンでの1位を有色人種たるケニア人が獲得した。民族差別主義者石原慎太郎にとっては決して目論んでいたベストの展開ではなかったはずである。

 テープを切ったジェンガがケニア生まれの日本育ちだとテレビが紹介していたが、その異邦的存在性と石原の「民族DNA 」論に於ける不法入国中国人の異邦的存在性が微妙に重なる部分があり、何とはなしに暗示的なものを感じる。

 望んでいたとおりの展開を一つ一つ獲得する幸運に恵まれることによって物事はスムーズに運んでいき、次の物事への良好な弾みとなる。それがトントン拍子に進んでいけば最高の展開と言うことになるのだろう。

 だが、3万人を越える参加者、ボランティア1万2千人、警察官5千人、沿道の観客178万人、用意したドリンク・食糧に関して言えば、バナナ4万2千本、ペットボトル40万本、アンパン1万2千個、人形焼6千個、そして仮設トイレ786基の大々的に行われた折角の第1回という東京マラソンは雨の天気と言い、低い気温と言い、途中棄権者を相当出したことといい、50歳代の男性二人が倒れ、そのうちの一人は意識不明に陥ったということだが、どうなったのか、前以て期待していたトントン拍子とは正反対のケチのついた場面の続出に見舞われた。

 これが最初のケチのつき始めならまだしも、石原慎太郎は既に自身の4男の都政への関与や自らの外国出張でのカネをかけた大名旅行が都政の私物化批判を受けて、朝日新聞の電話世論調査(07.2.3~4)で支持率が過去最低の53%に下落するケチがつき始めているところへ持ってきて、この東京マラソンでのケチの追い打ちである。4月の都知事選が落選というケチの仕上げとならない保証はない。

 いわば都知事という地位に関して、自ら予想しているに違いないベストの展開に裏切られる、石原慎太郎が『内なる防衛を』で使っている言葉を借りるなら、「他与的」危険性がかなり高まった状況にあるケチの連続と言えるのではないか。
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 参考間にでに朝日新聞の『石原都知事支持53%、過去最低 本社世論調査』(asahi.com/07.02.07/06:12)を引用しておきます。

 ――今春の統一地方選の焦点とされる東京都知事選への3選出馬を表明した石原慎太郎知事(74)について、朝日新聞社が3、4日に都民に電話で世論調査をした結果、支持率は53%で、これまでの調査で最も低くなった。3選出馬の理由の一つに挙げる五輪の東京開催については、賛成が54%で、反対の39%を上回った。だが、海外出張費など公金の使い方や、知事の四男が都の文化事業に関与することに6割以上が「適切でない」と答え、こうした点が支持率に影響したとみられる。

石原都知事の支持
 石原知事の支持率は、就任して3年たった02年4月の調査(78%)が最も高く、それ以後は減少傾向。今回は05年6月の前回調査(61%)より下がった。一方、「支持しない」は35%と、これまでで最も高かった。
 3選出馬については、「望ましい」は41%で「望ましくない」(29%)を上回ったが、「どちらとも言えない」との答えも29%あった。自民支持層の70%が「望ましい」としているが、民主支持層や無党派層では3割台にとどまった。
 海外出張費や知事交際費を巡る住民訴訟で、知事側一部敗訴の判決が相次いだ。公金の使い方は「適切だ」の19%に対して「適切でない」は64%。また、四男の都政への関与は「適切だ」が18%、「適切でない」が63%だった。知事を支持する層の中でも、ともに「適切でない」が「適切だ」を上回った。
  一般的な「知事観」についても都民に尋ねたところ、求める資質は「リーダーシップ」が45%で最も多く、「政策立案力」26%、「調整能力」24%と続いた。――

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