昨日(07,2,19)のTBS「みのもんたの朝ズバッ!」でのこと。発言は18日(07年2月)の仙台市内の講演ということだが、中川自民党幹事長が例の暴力団の組長のような押し出しで次のように述べている。
中川秀直「閣僚・官僚のスタッフには日本国内閣総理大臣に対して絶対的な忠誠・絶対的な自己犠牲の精神が求められているのではないか。日本国総理大臣とかつて仲良しグループであったどうかは、あったかどうかは(と言い直す)関係はないと私は思います。内閣総理大臣が入室したときには起立できない、そんな政治家、あるいは私語を慎めない政治家、それは美しい国づくり内閣にふさわしくないと思います」
男性解説が「その上で中川氏は自分が目指すことを最優先させる政治家に内閣・官邸から去らなければいけないと述べ、閣僚や総理補佐官は自らを犠牲にし、安倍総理に忠誠を誓う必要があるという考えを強調しました」
内閣改造の前触れと受け取れないこともないが、「閣僚や総理補佐官」として踏みとどまる条件が「自らを犠牲にし、安倍総理に忠誠を誓う必要」であることに変わりはない。いわば天下の中川秀直幹事長にとって安倍晋三「日本国内閣総理大臣」の理想的な扱われようは安倍ジョンイルなのだろう。あるいは「全閣僚・全官僚スタッフ」に告ぐ、安倍晋三「日本国内閣総理大臣殿」にハイル・ヒトラーせよ!!――と言うことではないだろうか。「絶対的な忠誠・絶対的な自己犠牲の精神」の行き着く先の最高の理想郷はヒトラー、あるいはキム・ジョンイルの権力状況だろうからだ。
そこまでは求めない、せめて半分程度、あるいは3分の1程度でいいとしても、権力構造自体は「絶対的な忠誠・絶対的な自己犠牲の精神」を関係成分とすることによって国家主義、あるいは全体主義の体裁を取ることに変わりはない。安倍首相自身が国家主義者の政治姿勢にあるから、そういう関係を求めるのは止むを得ないとしても、トップの指導者自体が国家主義的、あるいは全体主義的に周囲を従わせるだけの力がないということなら、如何ともし難い。キム・ジョンイルに教えを乞う以外に手はないのではないか。
大体が「総理に対して」と言わずに、「日本国内閣総理大臣に対して」という物言いそのものが大時代に過ぎ、そのような言葉を以てして安倍晋三なる人間を権威付けようとしなければならないこと自体が、裏を返すと、地位相応の重み・威厳を有していないことを証明して余りある。
つまり「日本国内閣総理大臣」なのだと改めて念押しすることで、周囲に対して敬意を払うよう求めなければならなかった。だが、指導力・リーダーシップは自らが備え、自らが発揮する能力であって、他から与えられるものではない。中川幹事長はそのことを勘違いして、安倍首相自身に求めるのではなく、周囲に従うことを求めている。
授業開始時に起立もしない、授業中は席立ちや勝手な私語で小学校のクラスが授業崩壊の状況にある。生徒にただ静かにするよう、先生の言うことを聞くようヒステリックに求めることしかできない教師の指導力のなさを問題とせず、教師に代わって先生を何だと思っている、生徒が学校の教師の言うことが聞けないでどうすると従う関係のみの規律を求める教頭とか生徒指導の教師の対応と軌を一にする中川幹事長の態度内容であろう。いわば同じことをしている。
授業崩壊したクラスの教師対生徒の関係にも同じ構造として降りかかるが、「内閣総理大臣が入室したときには起立できない、そんな政治家、あるいは私語を慎めない政治家」の態度は、言ってみれば安倍晋三という人間に対する市場原理的反応であろう。安倍晋三の指導力・リーダーシップという供給に対する「起立できない」、「私語を慎めない」需要という関係を持った相手に応じた態度であって、需給関係に無理に帳尻を合わようとする力だけ働かせて、指導者の指導力・リーダーシップを問題とする方向に力を用いなければ、自然な関係は求めようがなく、形式的・表面的な従属に堕すことになるだけである。
安倍首相自身の指導力が問題だとすると、内閣改造の必要性を訴える声が一方にあるが、みのもんたのしても同じ番組で「組閣の遣りなおししたらどうですか」、「いい悪いは別にして、あまりにも世間の風がかまびすしいのですね。その風の元になる人には去っていただきたいと思います」と安倍贔屓の内閣改造賛成論を述べていたが、指導力は改造で解決する資質ではないから、改造当座は気持を引き締めて起立し、私語も慎むだろうが、変化なく引きずることになる指導力のなさが次第に気の緩みを誘うことになるのは目に見えている。尤も改造によって徹底的にイエスマンで周りを固める手もある。却って支持率低下を誘うだけで終わることになるだろうが。
19日の夕方のTBS「JNNニュース」が同日午後に首相官邸で行われた政府与党連絡会議で中川幹事長は仙台での講演と同じ趣旨の苦言を呈したと伝えていた。
男性解説「今日の政府与党連絡会議で、中川幹事長は与党の足並みが乱れていると言われないことが重要だと強調した上で、自分のことを優先する態度は決して許されないと安倍内閣の閣僚らを批判しました。昨日は閣議に臨む緊張感のなさを批判した中川氏。(18日の仙台市の講演での発言シーンを挿んだ後)今日は来年度予算の年度内成立を目指す国会の審議の足を引っ張らないようクギを刺しました」
政府与党連絡会議後なのだろう、安倍首相の官邸での記者会見「心配していただく必要はないと思います」
「必要はない」と本人は落ち着いた顔を装って否定したものの、中川幹事長は「閣僚・官僚のスタッフ」の態度を問題とすることで、安倍首相自身の指導力のなさを「心配」項目に入れて既に世間に一大ご披露に及んでしまっている。
昨19日のNHKの夕方6時のニュースでは次のように伝えている。中川幹事長は「党の総務会でも政府の足並みを憂慮する意見が多く出ているが、閣僚も官僚も自分のことや出身省庁を優先することは決して許されない。安倍総理大臣を先頭に一糸乱れぬ団結で美しい国づくりに向けて頑張っていかなければならないと述べ、閣僚らは結束して安倍総理大臣を支えるよう求めた」
最初は「絶対的な忠誠・絶対的な自己犠牲の精神」、次は「一糸乱れぬ団結」だとか、「結束」だとか、そこまで欲張って盛りだくさんに求めなければならない程に指導力の欠如は甚だしい状況にあるという裏返し状況をお粗末な手でしかないカードを止むを得ず開くように開いて見せている。中川幹事長は安倍首相の指導力のなさを世間に知らしめることになると知ってて、敢えて講演で「閣僚・官僚のスタッフ」に注文をつけたのだろうか。
常識的に考えるなら、ただでさえ知れ渡りつつある安倍首相の指導力のなさを世間に決定的に印象づけることになる〝苦言〟なる注文は内々に求めるべき筋の要求項目のはずが、安倍首相の指導力のなさをマスコミの恰好のエサとなる市中引き回しの晒し者にしてしまっている。
内々に処理すべきではなかったかという趣旨からすると、久間章生防衛相の「核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ米大統領は踏み切ったのだろうと思うが、その判断が間違っていた。後をどうやってうまく処理するかの処方箋がないままだった」とアメリカのイラク政策を批判した発言や麻生外相の「ドンパチやって占領した後のオペレーションとして非常に幼稚なもので、なかなかうまくいかなかったから今も揉めている」との発言と同列に置くべき態度だったのではないだろうか。
久間章生防衛相も麻生外相も発言には気をつけるべきだと他の閣僚や自民党内から批判を受けた。とすると、中川幹事長の発言自体も気をつけるべきうちに入るのではないだろうか。いわば自分で気づかないまま、自分を「絶対的な忠誠・絶対的な自己犠牲の精神」を示すことができない仲間に入れてしまった?自分から自分を同類にしてしまった?
そこまで頭が回らなかったからなのか、それとも何らかの深慮遠謀があって、敢えて安部首相の指導力のなさを世間にさらけ出すことになると承知した上で、苦言を呈したのか。
いずれにしても「入室したときには起立できない、そんな政治家、あるいは私語を慎めない政治家」にしても、総理大臣という重責を担っていながら指導力を発揮できない安倍首相の姿にしても「美しい」姿とは決して言えない。そして安倍内閣支持率もますます「美し」くない姿を取っていく。今日の朝日新聞(07.2.20)朝刊の一面トップに載っている全国世論調査の一部を引用して、その「美し」くない姿、「美しい国づくり」とはなっていない様子を紹介してみる。
・安倍内閣を支持37%/不支持40%
・今回女性の支持が初めて40%を切った。男性支持は36%
・60代の支持が前回の49%から38%に下降、不支持の36%
と伯仲
・政策に対する期待度。「期待外れ」37%、「もともと期
待していない」32%、「期待通り」25%、「期待以上」
1%――何だって、「期待以上」がたったの1%?
・格差対策「評価せず」54%――。
あるいは中川発言は安倍内閣末期症状の足掻きということなのだろうか。望むところである。