政治とカネ/客観的認識性と問題解決の距離

2007-02-08 10:32:31 | Weblog

 認識不足から、適切な対策は生まれない

 昨日(07.2.7.)載せた「政治とカネ/桜井よしこのお粗末な客観的認識性」に関して,少々舌足らずであることに気づいたので、少し付け加えます。

 桜井よしこ「日本の政治は田中角栄以来、おカネを使うことに非常に鈍感になって、何をしてもいいという風潮になった。西欧では考えられない」

 この言葉は金権政治は田中角栄が始め、それ以来日本の政治的慣習となったということを言っている。裏返すと、日本人自身の問題、あるいは日本人全体の問題と把える意識は一切ない。日本人の問題とは日本の社会の問題でもあろう。勿論何人であろうと、「西欧」の人間であろうと、カネを力とする体質に無縁というわけではないだろう。但し政治後進国ほど、政治にカネを力とする傾向が強いように思える。

 田中角栄一人を張本人とし、悪党とする、その影響を受けた慣習と把えることと、日本人全体の問題、日本の社会の問題だと把えることとでは、その防止の網のかけ方――対処方法に違いが出てくる。勢い前者の防止策は対症療法を取ることになり、後者と見た場合は、否応もなしに原因療法と向き合わなければならなくなるだろう。

 また前者か後者かと見た場合とでは、問題に対する態度の真剣さに違いが生じる。日本人全体の問題ということになったら、真剣に取り組まなければならなくなる。当然、改善に向けた罰則を含めた対策の強弱・寛厳に関しても違いが生じてくる。

 児童虐待は、1980年代まで日本の専門家は欧米の問題であって、日本には存在しないとしていたという。平安・鎌倉・室町の時代から、継子いじめの物語が存在し、貧困からの乳幼児の間引き問題、捨て子問題が歴史的事実として存在していたにも関わらずである。

 継子いじめが行き過ぎて、虐待死に至らしめた事実がなかったと言えるだろうか。間引きに慣れて、単に邪魔だからと、あるいは子どもが一人増えてもどうにか食べていける状態にあっても、自分の食べ分が減るのがいやで、ついでに間引きしてしまえと殺してしまうということがなかったと言えるだろうか。

 江戸時代は間引きだけではなく捨て子が横行したというが、そのような習慣に便乗して、育児が面倒だからと、あるいは新しい男とやり直すために邪魔だからと、捨て子にしてしまうといったことはなかっただろうか。

 認識が事実をつくる。例え学校側が責任逃れからだろう何だろうと、いじめをいじめと認識しなければ、いじめはいじめの形を取ることはないのと同じである。専門家に児童虐待という認識がなかったことが原因して、日本には存在しないとしたのではないだろうか。しかし人間の存在性を問題としたとき、その本質は民族の違い(それぞれの文化や慣習の違い)を超えて通底している。

 児童虐待という認識が社会に存在しなければ、そのような事実が起こったとしても、マスコミも世間も児童虐待とは受け取らない。虐待した相手が義父や義母であった場合は、単なる継子いじめと受け止めることになるだろう。

 児童虐待は欧米の問題で、日本には存在しないというそもそもの認識が、少なくともその事後対策を今以て甘くしている素因となっているのではないだろうか。欧米で問題化したときに人間なるものの存在を省みて、どこでも、誰にも起こりうる日本人自身の問題でもないかと受け止めるだけの客観性があったなら、日本の社会に一般化していた児童虐待に関わる認識(日本には存在しないという認識)をいち早く改めるキッカケとなっただろうし、その対策に関わる姿勢・態度にも影響したことだろう。

 いじめに関しても、今みたいな陰湿ないじめや、いじめ自殺は昔はなかったとか、不用意に言わない方がいい。単に子どもの厭世自殺、あるいは衝動的な自殺と片付けられてしまったということも無きにしも非ずだからである。

 江戸時代の慣習で、その後もあとを引いている村八分には相当陰湿なものがあったということだが、村を出て行かざるを得なくなり、移り住んだ村で他処者と冷たくあしらわれてな追いつめられ、にっちもさっちも行かなくなって自殺したといった例がなかったとは誰も言えないだろう。かつての子どもたちの朝鮮人の子どもに対する陰湿ないじめは日本の大人たちの在日朝鮮人に対する意識(=認識)を受け継いで形作られたものであろうし、そのことから考えると、村八分で発揮される大人たちの権威主義の情け容赦のない力学を子どもたちが学習して、大人の権威主義の序列を引き継いだ子どもの序列間で再実演しなかったという保証はない。

 客観的認識性の過不足が物事のその後の対応・対策に距離が生じてくるとするなら、当然物事を見る目、人間の営為を観察する目が重要となる。

 桜井よしこの「日本の政治は田中角栄以来――」云々が如何に客観性を欠いた認識(=意識)によって成り立っているか、他の資料を使ってさらに補強してみる。

 田中角栄は1972年に佐藤栄作内閣の跡を受けて田中内閣を発足させている。佐藤栄作は後継者に福田赳夫を望み、そのため田中角栄は佐藤派を離れ、田中派を結成。福田赳夫と総裁選を争い、当選しての首相職である。竹下登が田中角栄に離反し、田中派を離れて竹下派を結成したのに似ている。

 総裁選当時、田中角栄は80億のカネをバラ撒いたと言われているそうだが、角福戦争と謂われた所以だろう、福田赳夫もそれ相応のカネをバラ撒き、当時〝実弾〟が飛び交ったと新聞を賑わした。買収のための現ナマを、その威力から〝実弾〟と形容するとは言い得てこれほどの妙はない。

 田中が80億ものカネをばら撒いたのは、佐藤栄作の後継の意中に入らなかったことと、当時は首相の学歴は旧帝大卒が相場となっていて、高等小学校と今で言う専門学校(中央工学校土木科卒)のみの学歴しかなく、首相の学歴を経歴としていないことの二つのハンデを撥ね返すためのなりふり構わない手段でもあったろう。

 だからと言って、桜井よしこが言うように田中角栄が政治をカネまみれにしたのはではなく、日本の政界は既にカネまみれだった。カネまみれの中で政治の世界を泳ぎ、その泳ぎ方を習って、熟達していった。造船疑獄事件がそのことを証明している。インターネット記事から見てみる。

 『造船疑獄事件(事件史探求)』

 -経緯-
昭和29年1月15日、東京地検は、山下汽船の横田愛三郎社長を贈賄容疑で逮捕した。さらに2月8日、日立造船の松原与三松社長ら4人を特別背任の容疑で逮捕。25日には、飯野海運、新日本汽船、東西汽船などを家宅捜索し、飯野海運副社長の三益一太郎らを逮捕した。

事件の発端は、当時日本最大と言われた高利貸し、森脇将光が「日本特殊産業」の猪俣功社長を訴えたことから始まった。当時、森脇が日本特殊産業に貸し付けた金が焦げ付き告訴したのであったが、当局が調査した結果、猪股社長の実体が無い会社から、山下汽船へ1億6000万円、日本海運へ3350万円と融資が焦げ付いていることが発覚した。そこで、東京地検が山下汽船を家宅捜査した際、隠し金の出納を書き込んだ「横田メモ」を発見し、政界・官界に流れた不正資金が明るみになった。

-時代背景-
戦前、世界三位だった日本海運業は、敗戦の影響で大打撃を被っていた。そこで、昭和22年から全額政府出資の「計画造船」がスタートした。1隻10億円の外航船の場合、政府出資の「船舶公団」から70%の融資、残りは銀行が貸すという保護措置であった。やがて、朝鮮戦争の勃発で、大型船舶の建造が認められ、しかも資金の70%は米国の「見返り資金」(日本が支払った配給小麦粉などの積立金)を年利7.5%で使っていいという厚遇処置も受けた。

ところが、朝鮮戦争休戦とともに、海運・造船業に不況の嵐が吹く。このため、銀行からの融資の利子を軽減するため、国が一部を肩代わりする「外航船建造利子補給法」の制定を政界・官界に働きかける。
この「外航船建造利子補給法」とは、日本開発銀行で借りていた年利5%を3.5%に、11%の市銀からは5%とし、その差額は政府が負担するというものだった(勿論、この差額は国民の血税で、国民の負担は167億円にのぼる)。
この法案は昭和28年8月、吉田自由党と鳩山民主党、改進党の保守3派共同提出案として国会に提出され、審議わずか10日間で可決した。

-賄賂を受け取った政治家と指揮権発動-
飯野海運の俣野健輔社長が中心となり、政界・官界にばら撒いた金は2億7000万円を超え逮捕者71人を出した。中でも、自由党の佐藤栄作幹事長(後に首相)、池田勇人政調会長(後に首相)は、党宛てに1000万円、個人宛てにそれぞれ200万円を受け取っていた。このため佐藤、池田らは「外航船建造利子補給法」制定に関し国会に強く働きかけていた。

東京地検は、いよいよ佐藤、池田への逮捕を目前に控えていた。検事総長は、佐藤の逮捕許諾請求を犬養健法務大臣に請訓する。ところが、犬養法相は「指揮権発動」で、佐藤の逮捕見送りを指示する。まさに、日本の法治国家が崩れた瞬間であった。

その後、佐藤は昭和29年6月に政治資金規制法で起訴されたが、国連加盟で恩赦となる。池田も佐藤もその後、総理大臣となる。日本では、逃げ切った者が勝者、捕まったものが敗者という図式はこの頃すでに出来上がっていた。――

 「指揮権発動」は〝事実〟の存在を証明して余りある。ワイロを受け取ったという〝事実〟である。無実なら、「指揮権発動」の必要はない。日本の政治は二重のゴマカシを犯した。

 田中角栄の親分だった佐藤栄作が既に金権政治に無感覚な体質をしていたのである。カネの力の有効性を身近にいて学ばなかったということはあり得ない。

 そして今以て日本の政治・日本の社会は〝政治とカネ〟を引きずっている。それは長い歴史を経て、日本人の伝統・文化となっている習性だと厳しく受け止めることができない甘い認識、客観的認識の偏りの仕返しとしてある社会的欠陥と見ることもできる。

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