「300日規定」見直しに見る国家主義的SEX観

2007-04-08 11:10:51 | Weblog

 4月(07年)3日の「asahi.com」の記事の見出しでは『「離婚後300日規定」の見直し、与党が法案提出へ』となっていたが、7日の『朝日』朝刊の見出しは『民法見直し 自民ブレーキ 離婚後出生「300日規定」』と早変りを見せている。

 最初の記事の中では<自民党の中川昭一政調会長は同日午前、「今の法制度では、戸籍が得られないなど(子どもが)極めて気の毒な状況になりかねない。何としても改善をしたい」と記者団に語り、300日問題の見直しを急ぐ考えを明らかにした。>となっているが、<再婚禁止期間の短縮については「子どもの問題とは別の次元で、区別しないといけない。緊急の問題は子どもの問題だ」と語り、今回の見直しとは切り離す可能性を示唆した。>と、あくまでも「300日規定」に限定した民法見直しであることを強調している。

 そもそもの見直し案を前の記事から見てみると、<300日問題での自民PT案は、妊娠時期を示す医師の証明書やDNA鑑定で離婚後に妊娠したことが明らかな場合、再婚後に出産した子の出生届を「現夫の子」として受理できるようにする内容。同様の内容は公明党のPTも了承している。>と解説している。

 PTとは、「民法772条見直しプロジェクトチーム」のことだそうだ。それが4日かそこらで予想もしない急転直下の「ブレーキ」へと進展(後退?)した。なかなか効きのいいブレーキを自民党は持っているらしい。

 どのような「ブレーキ」なのか、後の記事をじっくりと眺めるしかない。「ブレーキ」の内容を項目的に羅列してみる。

*中川昭一国家主義者が法相や法務省幹部から受けた説明。
 「300日問題の見直しを進める与党プロジェクトチーム(
 PT)の議員立法案は「『不倫の子』も救済対象になりか
 ねず、親子関係を判断するDNA鑑定の信頼性にも問題が
 ある」
*性道徳の観点から批判する長勢法相の意向を自民党の中川
 昭一政調会長が受け入れた。
*安倍首相に代表される「伝統的な家族観」を重んじる思想
 の根は、反対者はいないと楽観していた推進派の想像を超
 えて深かった。
*法務省の通達見直しでは、離婚後に妊娠したことが明白な
 場合を救済対象とし、離婚協議が長引いている間に妊娠し
 たような事例は救済されない。
*与党PT案は300日規定だけでなく再婚禁止期間の短縮ま
 で盛り込む方針をぶち上げ、これが安部政権の虎の尾を踏
 んだ。
*首相に近い古屋圭司衆議院が「再婚禁止期間の短縮は、内
 閣が改正案を出すのが筋だ」と異論を唱えた
*国会対策委員会幹部「離婚して別の男の子を出産しようと
 はけしからん」
*安倍首相「婚姻制度そのものの根幹に関わることについて
 、いろんな議論がある。そこは慎重な議論が必要だ」
*長勢法相「貞操義務なり、性道徳なりと言う問題は考えな
 ければならない」
*安倍首相「家族の再生」を掲げ、伝統的な家族の価値観を
 重んじていて、「わが国がやるべきことは民法改正ではな
 く、家族制度の立て直しだ」と97年に議論となった「選択
 的夫婦別姓」問題に反対姿勢。
*安倍首相の赤ちゃんポスト設置に見える家族観、「匿名で
 子供を置いていけるものを作るのがいいのかどうか。大変
 抵抗を感じる」
*安倍首相「再婚期間の短縮と、嫡出についての問題は別だ
 ろうと思う」と300日問題とセットにした再婚禁止期間の
 短縮に反対姿勢。

 これら方針に対して、社民党福島瑞穂党首は<再婚禁止期間の短縮を盛り込んだ与党PT案に「最高ではないが、よりましな案」として賛成する意向を示していたが、<「家族の価値を振り回すのは、古い自民党や首相官邸が、困っている女性や子供の救済に無理解だからだ」と批判する。>(同07.4.7/『朝日』朝刊『民法見直し 自民ブレーキ 離婚後出生「300日規定」』)の姿勢転換。

 上記「300日規定」見直しに関わる自民党反動勢力・守旧派の反対理由をキーワードで示すと、「不倫の子」・「性道徳」・「伝統的な家族観」・「妊娠時期」・「再婚禁止期間の短縮」の反対・「離婚して別の男の子を出産すること」(=離婚そのものへの忌避感)・子供は生んだ親が育てるべきだとする「伝統的な家族制度への回帰」と「伝統的婚姻制度の維持」・「貞操義務」といったところだろう。

 これら盛り沢山のキーワードから炙り出すことができる思想は、「家族制度」とか「婚姻制度」とかの名前を借りて、男女の性(=SEX)まで国家で管理しようとする国家主義思想であろう。そのことは「不倫の子」、「離婚して別の男の子を出産しようとはけしからん」、長勢法相の「貞操義務なり、性道徳なりと言う問題」といった性(=SEX)に関わるコントロール欲求に如実に現れている。

 女は貞操を守っておとなしく夫に従い、家を守っていろ。離婚はおろか、離婚して別の男の子を出産するなどもっての他だ。ましてや不倫して、不倫の子を設けるなどけしからんというわけなのだろう。このことはつまるところ、一人の男とのSEXを守れということでもある。裏を返すなら、当然のこととして何人もの男とSEXするなという禁止事項となる。

 このことは柳沢厚労相の国家管理衝動を滲ませた「女は生む機械」思想とも相通じ合う。

 つまり安倍や中川昭一などの国家主義者が掲げる「家族制度」・「婚姻制度」は女性を母親として妻として社会に従属させ、家に従属させ、夫に従属させ、子供に従属させる構図を持たせた、日本が歴史とし、伝統・文化としてきた美しい男尊女卑の「家族制度」(家族観)・「婚姻制度」(結婚観)だということだろう。

 そのことは彼ら国家主義者の「家族制度」(家族観)・「婚姻制度」(結婚観)に男たちの浮気・不倫・愛人(妾)をつくるといった男の側の場面が一切含まれていないことによっても示されている。男の権利として許されるということなのだろうか。しかし男の行為だとしても、特殊な場合を除いて、女を必要とする男女相互行為である。厳密に言うなら、浮気・不倫・愛人をつくるは男の側からの行為である場合は許されるが、女の側からの行為の場合は許されないと明記しなければ、論理矛盾を放置することになる。この矛盾は男尊女卑そのもの矛盾である。

 時代錯誤の制度を拠り所として自らの家族観・結婚観を成り立たせている頭の古さに気づいていない。安倍らしいと言えば安倍らしいし、中川昭一らしいと言えば、中川昭一らしいとも言える。だが、こういった旧態依然の結婚観・家族観、性意識に支配された――いわば
女性の権利に疎い、女性を守らない自由民主党が女性に支持率が高く、民主党は低いという倒錯現象はどのような理由があってのことだろうか。

 中川昭一が<「子どもの問題とは別の次元で、区別しないといけない。緊急の問題は子どもの問題だ」>と「300日規定見直し」とは区別対象としている「再婚禁止期間の短縮」(asahi.com/07.4.3『「離婚後300日規定」の見直し、与党が法案提出へ』)に対する忌避感情は、つまるところSEXに関わる感情であろう。そのことは「法務省の通達見直しでは、離婚後に妊娠したことが明白な場合を救済対象とし、離婚協議が長引いている間に妊娠したような事例は救済されない」とする規定が証明している。

 「離婚協議が長引いている間に妊娠し」たとしても、夫が妻を引き止めるために身体の関係を手段とすべく暴力的に妻を犯した結果妊娠したといった場合を除いて、妻側の記憶にもなく、またDNA鑑定等で証明されるなら、「救済」対象としていいはずだが、そうしないのは明確に離婚が成立しない内の夫以外の男とのSEX・妊娠などもっての他だとする忌避感情なのだろう。法律によって、いわば国家権力によって、性(=SEX)までコントロールしたい衝動の現われ以外の何ものでもない。国家主義とする所以がここにある。

 妊娠・出産はSEXを介在させて成立する。〝血のつながり〟とはSEXの結果であり、SEXを前提として生じる。血のつながりを問題とすることはSEXの相手を問題とすることでもあろう。相手が誰か、正式に結婚した夫なのか、夫以外の男なのか。

 だから、「不倫の子」は駄目だとか、「離婚して別の男の子を出産しようとはけしからん」といったことが問題となる。

 男女とも子連れ再婚の場合、男性は自分とは血のつながりのない前夫(自分以外の男)の子供でもある女性の子供を自分の子とし、女性は自分とは血のつながりのない前妻(自分以外の女性)の子供である男性の子供を自分の子とする。このような場面では血のつながり(=SEXの相手)は問題ではない。問題としない。血のつながりを問題にしたとき、いわばSEXの相手を問題としたとき、虐待等が起きる要因となるのではないのだろうか。

 ではなぜ「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子として扱われる」だとか血のつながり(=SEXの相手)に拘るのだろうか。例えその子が前夫の子であっても、子供をなしたSEXの相手を問題とせず、新しい夫が自分の子として育てると言ったら、単に子連れ再婚の形式を取るに過ぎないのではないだろうか。

 つまり誰の子とするかは任意事項ということになる。明らかに前夫の子であると分かっていても、妊娠中に夫が浮気するといったことはよくあることで、実際に浮気してそれが露見して離婚と言うことになったとき、その子は民法の規定を待つまでもなく前夫の子となるが、女性に新しい伴侶ができた場合、それが出産前であっても、いずれは生まれるのだから、出産後なら当然のこととして、女性の方のみの子連れ再婚の形を取ってもいいわけで、新しい夫が前の亭主の子だから、俺の子とするは厭だと言うなら、いわば血のつながり(=SEXの相手)を問題とするなら、例え子供を前夫に預けたとしても、そんな人間性しか示すことのできない男との将来的な関係は危ういものとなるだろう。

 とすると、離婚という段階での血のつながり(=SEXの相手)など、法律的にはどうでもいい問題とならないだろうか。あるいは離婚の前段階としての家庭内別居状況に於ける擬似離婚の段階でも同じことが言える。

 親子の血のつながりを絶対的な基準としたなら、地域のつながりは形式的となる。地域のつながりを日本人の血を基準としたなら、世界を舞台とし他国人との人間対人間の関係は形式的となる。血のつながりを問題とすることは、日本人性・日本民族性で支配しようとする動きでもある。安倍以下の国家主義者たちの日本人性・日本民族性には女性に限ってSEXの相手を夫と決めた一人の男にコントロールしようとする衝動を隠している。

 「家族制度」・「婚姻制度」に名前を借りた血のつながり(=SEXの相手)を問題とする国家主義的国家管理は、そのうち女たちは結婚するまで処女でなければならないとか言い出すのではないのか。

 女性が夫も持ったとしても、夫以外にも好きにSEXの相手を選ぶ状況は男のコントロールが効かなくって、女たちが男たちの権力の手のヒラから自由に飛び立つことを意味する。それを恐れての法律規制・国家管理なのだろう。

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