訪米安倍、ハコモノ政治家の正体を曝す

2007-04-29 07:04:13 | Weblog

 07年4月28日「朝日」朝刊≪首相、誤算の初訪米≫。

 副題の<米、北朝鮮へ際立つ譲歩 親密演出も晴れぬ表情>が記事の趣旨をすべて物語っている。冒頭部分も趣旨そのままの内容となっている。

 <就任からちょうど7ヶ月。満を持しての安倍首相の初訪米は、米議会指導者の前で従軍慰安婦問題について謝罪することから始まった。北朝鮮に強い姿勢で臨む首相にとって「守護神」であるはずのブッシュ政権も、この半年あまりで余力を失ってしまった。イラク問題は泥沼化し、議会の多数派を失い、支持率低迷にあえぐ。首相がこの訪米で、日米間のすきま風を止めるのは簡単ではない。>

 どのような謝罪であっても、謝罪で始まる首相の訪米は初めてのことではないだろうか。決して晴れ舞台とはならない意に反した場面であったに違いない。

 もし安倍首相が訪米時でも北朝鮮に対して強い姿勢でいることを示したいと思っていたなら、従軍慰安婦問題で謝罪すべきではなかったのではないか。問題点はあくまでも国の関与があったかどうかに焦点が当てられているのだから、そのことを曖昧にせずに、「広義の意味での強制性はあったが、国が関与した狭義の意味での強制性はなかった」とする本来の姿勢を美しく正直に維持して、「個人としては大変苦労したことに同情を禁じえないが、国には責任はないと考えている。当然首相の立場として公式の謝罪は示し得ない」と強い態度を示した上で北朝鮮に対する自らの強い姿勢を語っていたなら、北朝鮮としても安倍首相の強い態度を感じ取っていただろう。

 しかし安倍首相が米下院で議会指導者と会談したときの従軍慰安婦に言及した、彼女たちの訴えを他人事の災難であるかのように一般論に終始させた謝罪は、裏返すと触らぬ神に祟りなし、穏便に済ませよう一点張りの毅然さを置き忘れたもので、首相が拉致問題でいざ強い姿勢を示そうとしても、アメリカ側の譲歩を抜きにしても、謝罪の腰の引けた印象に相殺されて、どのような強いメッセージも与えることはできなかったに違いない。

 4月27日付(07年)の「朝日」夕刊≪首相 慰安婦問題で謝罪≫から、議会指導者との会談でどのように謝罪したか拾ってみる。

 <せっかくの機会なので、慰安婦問題について一言、念のために申し上げたい」・・・・「私の真意や発言が正しく伝わっていないと思われるが、私は辛酸をなめた元慰安婦の方々に、個人として、また首相として心から同情し、申し訳ないという気持ちで一杯だ」>と、「申し訳ない気持」で片付けている。そして<「20世紀は人権侵害の多い世紀であり、日本も無関係ではなかった」・・・・「21世紀が人権侵害のない良い世紀になるよう全力を尽くしたい」>と、訪米前に米紙インタビューに語ったと同じく20世紀という人権侵害時代に日本も巻き込まれたと、従軍慰安婦たちと同様の被害者の立場に置く一般化を行っている。

 ブッシュ大統領との首脳会談での言及にしても同じ趣旨で、<「非常に困難な状況のなかで、辛酸をなめられた、苦しい思いをされたことに対し、人間として、首相として心から同情する。その状況に置かれたことに申し訳ない思いだ。21世紀を人権侵害のない世紀とするために、私も日本も貢献したい」>(07.4.27.「朝日」夕刊≪首脳会談要旨≫)

 「心から同情」し、「申し訳ない思いだ」といった事務的な言い回しを思いのすべてとする他人事の態度は、そのような態度自体に自ずからそれ相応の一貫性を持つこととなって、
拉致問題その他の問題で変えようとし、自分では変えたつもりでも、一貫性を失うことになって、転換が効かないことになる。

 そのことは現代でも生きている「狼と少年」の寓話が証明している。安倍首相自身が立ち位置としている「広義の意味での強制性はあったが、国が関与した狭義の意味での強制性はなかった」とする主張を自ら封じることによって、自らの姿勢を中身のないハコモノ(=形式、あるいは心にない体裁)としてしまったことによって生じた裏返しの一貫性なのだろう。

 安倍首相のハコモノ的態度は次のことからも証明できる。

 安倍首相は星条旗と日の丸に固い握手をあしらった特性のバッジをブッシュ大統領への手土産としたそうだが、日米両国の国旗の前でがっちりと握手する絵柄に両国の固い絆を託したのだろうが、友好関係・同盟関係に実効性を持たせる力は両首脳の政治的創造性にかかっているのであって、バッジにどれ程にカネをかけ、有名デザイナーに作らせたものであっても、それ自体がどのような政策を生むわけではなく、所詮情緒的な意味合い以外は中身のない、体裁で始まって体裁で終わるハコモノ表現・形式表現でしかない。

 人間がハコモノにできているから、ハコモノ演出を可能とすることができるのだろう。以上のことと安倍首相の中身の国民よりも外側の国家を優先させる、戦前は正統性を獲ち得ていたが、戦後はその正統性を失ったはずの国家主義的ハコモノ性を併せて考えると、教育基本法改正も、これから狙っている憲法改正も、改正した首相として戦後日本の歴史に名を刻もうとする形式優先のハコモノ思想から出た改正意志でないかとする疑いがどうしようもなくますます確信に近い形を取ってくる。

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