4月11日(07年)早朝の「日テレ24」で、前日の4月10日午前中に衆議院農水委員会で行われた松岡農水相の事務所費問題に関する民主党議員の追及場面を報じていた。
<民主党の黄川田議員「何とか還元水とか、特別な暖房とか言う釈明でございますけれども、それはですね、具体的にどのメーカーの何と言う器具ですねぇ――」(カット)
松岡農水相「現行の、おー、法令では、個別の内容に関わることまでは求められていませんし、予定されておりませんので――」(カット)
黄川田(手に持ったナノクラスター有機ゲルマニウム水を周囲に示しながら、)「高価なですね、このナノクラスター有機ゲルマニウム水って言いますか、こいうものをお飲みなんでしょうか?」
松岡農水相「個別内容の個人的なことでございますから、あー、これにつきましては差し控えさせて頂きたいと思います」>――
民主党は同じ逃げの手を繰返させるだけで終わる同じ追及の手をまだ繰返しているのかと驚いた。バカの一つ覚えを許すバカの一つ覚えの反復といったところだろう。
「疚しいところがあるから説明できないのではないのですか?」
「天地神明に誓って、疚しいところは一切ございません」
(あるいは「疚しいから説明しないのではなく、あくまでも個別内容の個人的なことでございますから、差し控えさせて頂ているのです」)
「(つまり疚しいからではないからということですね。)現行の法令では個別内容に関わることまで報告する義務はないということは重々承知していますが、何ら疚しいことがないと言うことなら、どの世論調査でも半数以上から9割近くの大勢の国民がですね、いいですか、半数以上から9割近くの、殆どと言ってもいいくらいの大多数の国民がですね、松岡農水相の法令を楯に内訳の説明を拒んでいる姿勢は『適切ではない』としているんですよ。いわば美しくないと言っているのと同じです。松岡農水相、あなたは自分では疚しいところがないと言っている(ないとしている)が、大多数の国民はあなたのことを疚しいと見ているのです。『適切ではない』と言うことはそういうことでしょう。全然美しくないと。
大臣の立場にあるなら、疚しい・適切ではない・美しくないとしている大多数の国民の批判・疑惑に応えるべきではないですか?国民の要望は『説明すべき』なんです。譬えるなら、あなたは今赤信号の前に立たされている。赤信号を青信号にして前に進むためには、国民の要望に応えて身の潔白を晴らすしかない。もしも潔い態度で国民の要望に応えなければ、ただでさえ高まっている国民の政治に対する不信を増幅させ、信号を赤信号のまま放置することになる。赤信号とは政治不信そのものを示します。これ以上国民の政治不信を募らせた場合、その責任の大半は松岡農水相、国民の要望を無視するあなたにあることになる。それでもいいのですか?」
大時代ががった物言いでこのように演技できる政治家が一人ぐらいいてもよさそうと思うのだが。
昨4月11日(07年)の「朝日」朝刊に≪事務所費「5万円以上に領収書」 与党、補選控え方針転換≫なる見出しの記事が載っている。これまで領収書添付ナシでいいだろうとしていたが、選挙目当ての美しい自己都合で、「5万円以上に領収書」を添付することにしようと「方針転換」したという内容なのは見出しを見ただけで分かる。裏を返せば、選挙がなければ、「方針転換」はしないということだろう。
その記事の中に<松岡農水相問題再燃も 自民、改正はもろ刃の剣>と中見出しを付けた関連記事がある。一部分を引用してみると、美しい<松岡氏はこれまで光熱費の内容について具体的な説明を拒み、「各党各会派で(新たな)公表の基準が決まれば、それに応じて対応したい」との答弁を繰返してきた。だが、法律は過去にさかのぼって適用されないために、松岡氏が05年に計上した507万円の光熱水費については、法律上の公表義務は負わないことになる。
――(中略)――
だが、公明党の東順治政治改革本部長は10日、「法はさかのぼらないが、法制化されれば、説明責任はより具体的に生じるだろう」と松岡氏にけじめを求めた。>とある。
政治資金規正法が改正されても、「法律は過去にさかのぼって適用されないために、松岡氏が05年に計上した507万円の光熱水費については、法律上の公表義務は負わない」としても、松岡農水相は「各党各会派で(新たな)公表の基準が決まれば、それに応じて対応したい」と議会で約束している。これは国民に対する約束でもあろう。例え口頭のものであっても、約束とは一種の契約であり、国民との契約に相当しないはずはない。
国民との契約は安倍首相のように薄っぺらな契約違反のタレ流しは許されるはずもなく、カターイ契約でなければならない。松岡農水相は改正政治資金規正法には違反しなくても、国民に対する契約違反の矛盾を犯すことを意味する。公明党は「法はさかのぼらないが、法制化されれば、説明責任はより具体的に生じるだろう」と言っているが、「法制化され」ようがされまいが、国民に対する「説明責任」という国民との契約は常に付き纏う。
それとも俺は契約違反タレ流しの薄っぺら内閣の一員だから、全体を見習って俺も契約違反タレ流しの薄っぺら行為は許されるはずだとして、説明を拒み続けるつもりでいるのだろうか。
もし美しい松岡農水大臣が「法律は過去にさかのぼって適用されない」ことを知っていた上で、さももっともらしげに「各党各会派で(新たな)公表の基準が決まれば、それに応じて対応したい」とカラ手形を切っていたとしたら、美しい政治家にふさわしいこれ程の美しいマヤカシはなく、国民の負託に適うべき国会議員の資格を自ら裏切る美しいペテンを演じ続けていたと言う他ない。安部の薄っぺらに対する松岡の薄っぺらということで、何ら矛盾はないと納得もしなければならないということなのだろうか。
だが、すべてを承知の上でカラ手形を切っていたとしても、国会議員の特に国会の場での約束は国民との約束でもあり、それはそのまま国民との契約へとつながっていく関係から、国民との契約はカラ手形では済まされるはずはない。カラ手形を切りつつ、国会議員の、特に内閣の一角を占める大臣の普通の感覚ならカラ手形とすることは許されない国民との契約を積み上げていたという自己矛盾を演じていたことにもなる。
カラ手形となることを承知せずに約束し、国民との契約を行ったと言うことなら、「法はさかのぼらない」から「法律上の公表義務は負わない」として説明を拒んだ場合、やはり国民との契約違反となる矛盾を犯すことになる。それを避けるとして説明を行うとするなら、あくまでも国民との契約を果たす行為であって、規正法云々とは関係ない行為ということになって、そうである以上、政治資金規正法の改正を待たずに「説明」という約束、国民との契約を果たしてもいいことになる。
いずれにしても松岡美しい農水大臣のしていることは美しい自己矛盾の連続ということになる。
美しい安倍晋三は「大臣はですね、法令に則って報告していると、このように答弁しています」と松岡農水相を美しい内閣の美しい一員として擁護し、松岡の姿勢は「適切でなない」、説明すべしとする大多数の国民の要望に対する無視を側面加担してカエルの面にショウベンのドラキュラ風の平然たる態度でいるが、説明義務ナシは例え「法令に則って」いようとも、記載内容自体は「法令に則って」いるかどうかは公表なくして明らかにはならない。安倍首相の記載内容隠し加担は松岡疑惑隠し加担でもあり、当然総理大臣として担わなければならない国民の負託違反に当たる。
自民党は戦後一貫して美しい政治活動を貫き、自民党政治を美しい日本の歴史・伝統・文化の一つとしてきた。安倍晋三なる戦後生まれの美しい自民党政治家が美しい日本の首相として登場して以来、自民党の美しい政治活動は一段と美しい光を放ち、その美しさは眩いばかりの燦然たる輝きにまで達している。
安倍晋三に於ける自民政治の美しさの象徴は選挙のためのなりふり構わない郵政造反議員の自己都合復党であり、首相自身の任命責任を問われないために美しくも一向に説明責任を果たさない松岡農水相を庇い続ける眩いばかりに美しい責任回避行動がその代表であろう。