集団自決「軍強制」を修正検定

2007-04-28 09:48:26 | Weblog

 沖縄は日本から独立せよ

 <文部科学省が30日に公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決を巡って、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見がはじめてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたためだ。
 ・・・・・・
 「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてが「命令したかどうか明らかとは言えない」と指摘され、「集団自決に追い込まれた」などと修正。・・・・>(07.3.31.「朝日」朝刊≪集団自決「軍強制」を修正≫
  
 文科省はその理由を<①「軍の命令があった」とする資料と否定するの双方がある②慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている③近年の研究は、命令の有無よりも住民の精神状況が重視されている>(同記事)

 「命令したかどうか明らかとは言えない」ということなら、「命令し」なかったと言うこともまだ「明らかとは言えない」状況にあるのだから、日本軍の強制があったとする意見になかったとする意見もあるとの注釈をつけるか、なかったとする意見にあったとする意見もあるとする注釈をつけるかすべきで、現時点で〝強制〟のニュアンスを文科省なる官憲が一方的に抹消処分にするのは国家権力による思想・言論の誘導に当たらないだろうか。

 2004年05月13日のasahi.com ≪沖縄、基地求人に殺到 失業率、全国一≫)

 <失業率が全国一高い沖縄県で、米軍基地で働く従業員の04年度募集に申し込みが殺到している。基地従業員の雇用をあっせんしている独立行政法人・駐留軍等労働者労務管理機構那覇支部によると、10日までの応募件数は3478件。今月21日に締め切られ、秋には追加募集がある。ここ数年、競争率は25~30倍になっており、今年も例年並みになりそうだという。
 沖縄県内の基地従業員は3月末現在、8813人。出納事務や電気装置修理工、警備員、コックなど約1300の職種に従事している。就職先としては沖縄電力や地元銀行などをしのぎ、県職員2万2000人に次ぐ大きな職場である。
 03年度は675人の採用に対し、1万5582人の申し込みがあった。
 1972年の本土復帰前後には、基地従業員の大量解雇があって社会問題化した。しかし、今では定年まで働く人も少なくなく、「安定した職場」とみなされ、給与や休みなどが「国家公務員並み」という待遇が人気を支えている。
 同機構が書類選考し、米軍側が面接する。面接を受けられる人は10人に1人程度だ。採用は米軍側の要求に応じて随時実施されるため、人数は確定していない。
 沖縄の03年度の完全失業率は7.6%(全国平均5.1%)。特に15~24歳の若年層は18.6%(同10.0%)と高い水準になっている。>

 <失業率が全国一高い沖縄県>は日本の美しい歴史・伝統・文化となっている。基地反対にも関わらず、米軍基地は<就職先としては沖縄電力や地元銀行などをしのぎ、県職員2万2000人に次ぐ大きな><安定した職場>と見なされている。3分の1弱の従業員数で<県職員2万2000人に次ぐ大きな職場>だとは、沖縄がどれ程の産業規模なのか、一目瞭然である。まさに米軍基地は沖縄では一大産業の偉大なる地位を占めている。

 こういった背景事情を受けて、終えたばかりの沖縄知事選では基地問題は争点にならず、生活問題が争点となったのだろうか。しかし米軍基地が大きな雇用先であると同時に沖縄の失業率が全国一高い事情はこれまでと変わらなかったのだから、基地問題を争点とした場合は痛し痒し、愛憎相反するアンビバレンスの状況を生じせしめていたのではないだろうか。

 元々沖縄の全身である琉球は独立国家であった。≪沖縄-Wikipedia≫を参考に説明すると、1609年の幕府の許可を受けた薩摩軍の侵攻によってその支配に甘んじてから明治維新までに様々な経済的搾取を受ける。廃藩置県に伴って明治政府は1879年に軍隊と警察を派遣して琉球王国を廃止、日本に組入れる「琉球処分」を行って沖縄とするが、明治政府の皇民化圧力を自ら応えようとする沖縄側からの過剰な〝ヤマト〟への同化意識は内地の人間の元々は〝ヤマト〟に属していなかった遠い新参者(しんざんもの)である沖縄人に対する差別をなくそうとする努力でもあったという。

 その手段としての皇民意識の共有、沖縄風から日本風への改姓改名運動、沖縄方言の撲滅と標準語奨励運動等のヤマト化があった。

 本土の人間の沖縄人に対する象徴的な差別を1999年5月16日の「朝日」夕刊(≪邊境論 これで、あんたたちと同じ≫)は次のように伝えている。

 沖縄出身の女性の戦争中の内地での体験記である。<奥さんはどこで情報を集めたのか、サイパン島の、住民を巻き込んだ悲惨な戦闘の模様を、こと細かに話した。
 最後に何気なく言った。
 「玉砕したのは、殆ど沖縄の人だったんですって。内地人の犠牲が少なかったのは、せめてもの救いだったんですって」>

 そう、差別とは命の差別まで含む。命に軽重を生じせしめる。「これで、あんたちと同じ」の題名の由来は、帰郷したその沖縄女性が沖縄風の名前をヤマト風に改姓改名して、<「これで、あんたたち(本土)とおなじでしょ・・・・」>と内地の日本人と同等の立場に立てたとしたときの述懐である。

 しかし、沖縄人がいくらヤマト風を装っても、沖縄の人間の命を自分たちの命よりも一段低く見る本土の人間の意識はそのまま残る。

 <奥さん>の「沖縄の人だったんですって」の「人」は丁寧語であろう。「どこそこの方(かた)」と同じく、よその国やよその土地の人間を指すときの日本人得意の丁寧語となっている。「中国の人」、「中国の方」、「韓国の人」、「韓国の方」――というふうに。だが、「沖縄の人だったんですって」の場合は言葉は丁寧語を当てていても、込められている意識は本人は気づいていなくても、〝丁寧〟の意図とは反する差別意識を含んでいる。政治家がよく使う「国民の皆様」と同様に、丁寧語・敬語等が額面どおりの丁寧さを表していないことの証明であろう。

 沖縄上げてのそういった努力にも関わらず、戦争では本土防衛のための捨石とされた上に敗戦と同時に1972年までアメリカの統治下に置かれる内地が味わわない辛酸を舐めされられた。

 【捨石】――「囲碁で、より以上の利益を得るために作戦としてわざと相手に取らせる石」(『大辞林』三省堂)

 沖縄の辛酸に対して、それ相応の代償で報いるならまだしも、米軍基地の集中と失業率全国一の名誉が戦後経済大国日本の富の配分として与えられた報奨であった。

 沖縄の米軍基地は国の防衛政策に深く関与している。そして失業率全国一という固定化した日本の歴史・伝統・文化としてある格差・差別も国の政策が深く影響しているはずである。それらを同時に断ち切るためには独立しか方法はないのではないだろうか。元々国は違ったのである。台湾や中国、ベトナムと近いのだから、輸送費が安くつく利点を生かして、それらアジアの国々の元々安い製品をより安く輸入して、日本人に提供する一大商業国家を形成する。中国は日本車と比較にならない安い国産乗用車を生産・販売にこぎつけている。日本人が買いに来て、本土へはフェリーボートを利用しなければならないが、あとは陸路ドライブしながら持ち帰るといった手も悪くはない。 

 と同時に自由に行き来でき、自由に住める出入国管理を国の政策として、アジアの国々の人間と日本人の一大保養地とする。もし成功すれば、沖縄オリンピックも夢ではない。

 沖縄独立すべし。

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