チベット暴動/「一つの中国」を認めた西欧国家に責任の遠因がある

2008-03-21 12:40:10 | Weblog

 今回のチベットの暴動の収拾のため、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は中国政府との対話を求めているが、対する温首相は「ダライ・ラマが独立を支持せず暴力を放棄するなら、対話に入る用意がある」としている。


 あるいはチベット自治区ラサで起きた暴動が北京五輪開催への影響と台湾総統選(08年3月22日)で有権者の心理に影響を及ぼす可能性に絡ませた温首相の言葉を「毎日jp」記事≪チベット暴動:北京五輪への影響を警戒 温首相が会見で≫が紹介している

 「ダライが独立の主張を放棄し、チベットが中国の領土の不可分の一部と認め、台湾が中国の領土の不可分の一部と認めれば、門戸は終始開かれている」

 「中国の領土の不可分の一部」が領土のみの「不可分」で終わっているかどうかが問題となる。<ダライ・ラマは中国との対話を通じて外交・国防を除く「高度な自治」を求めているのに対して活動家グループは批判的で、チベット独立を主張している>(08.3.20「asahi.com」記事≪ダライ・ラマ「胡主席と会う用意がある」≫)ということからすると、ダライ・ラマ自身は「領土の不可分」がチベット本来の文化や歴史・宗教・制度といった生活に関わるチベット的なもの・本来的な社会意識まで中国の「不可分」とされることを認めていない。

 しかし中国の対チベット政策は中国人の入植、公用語を中国語とする強制によって、チベット的なのものに対する「中国化」が進んでいる。いわゆる「チベットの中国化」である。

 中国の対チベット政策が「高度な自治」に向かう、少なくともその予感を持たせたプロセスを歩んでいたなら、チベット人の中国政府に対する不満は例え独立を求める活動家が仕掛けた抗議行動であったとしても、暴動にまで至らずにデモの形態で収まっていたろう。「高度な自治」どころか着々と進められている「チベットの中国化」の逆流に業を煮やした暴動と言える。

 温首相は「チベットは発展している。ダライ・ラマの言う『中国はチベット文化の虐殺を図っている』というのはうそだ」(08.3.19「毎日jp」≪チベット暴動:中国・温首相の会見要旨≫)と記者会見で述べたというが、中国化を纏った「チベットの発展」であり、そのような「発展」の裏でチベット本来の文化や歴史・宗教・制度といった「チベット的なもの」の抑圧・否定が進んでいると言うことなのだろう。

 中国は台湾に関して「一つの中国」を掲げている。西欧諸国はそれを認めた。だが、香港に対して「一国二制度」の政策を示しながら、その急速な民主化は望まず、中国と同一歩調を取ることを求める実質的には「一国一制度」の態度を取っている。最終的には香港は「中国化」されることになるだろう。その時点で中国自体が民主化されていたなら問題はないが、民主化されていなかったなら、香港は「民主化されていない中国」を纏うことになる。

 同じことは台湾についても言える。「一国二制度」と言いつつ、それは幻想を与える類でしかなく、国家体制に関しては「一つの中国」のみしか認めないに違いない。台湾の現在の民主主義を許容するほど寛容な態度を取ることはできないだろう。寛容であったなら、中国本土の国民に対しても民主主義に関して寛容でなければ二重基準の矛盾を犯すことになる。もし国民がその二重基準におとなしく従わなかったなら、共産主義体制は不安定なものとなる。いわば「一国二制度」と言いつつ、民主主義制度の認知は自己存在形式の否定となることから、それを避けるための実質「一国一制度」=「一つの中国」を要求しているというわけである。

 後の祭りに過ぎないが、イギリスが租借し、その返還の経緯を辿った香港・マカオはともかく、「台湾は中国の一部である」とする中国が掲げた「一つの中国」論を西欧社会は撤回すべく根気よく説得を試みるべきだったのではないか。

 私自身は「台湾独立容認」派の一人である。その考えに立って、05年3月11日に≪中国は一つ。台湾も一つ≫をHPにアップロードしている。

 2005年という年は1月17日に天安門広場に集結して行われた民主化を求める学生中心のデモを人民解放軍が武力弾圧したいわゆる「天安門事件」(1989.6.4)でデモを支持し党を分裂させたとして失脚させられた中国の民主派政治家趙紫陽が死去している。

 そして同じ年の3月14日、中華人民共和国全国人民代表大会は台湾が独立を宣言した場合、台湾独立派分子に対する「非平和的手段」を取ることを規定した「反国家分裂法」を採択している。

 何が動機で≪中国は一つ。台湾も一つ≫を書き上げたかすっかり記憶の彼方だったが、読み返してみて、「反国家分裂法」採択の動きが動機となった文章だったらしいことに気づいた。

 今後の中国とチベットの関係、中国と台湾の関係を考える上で何らか参考になって欲しいという願いを込めて(全然参考にならない駄文の可能性もあるが)改めてブログ記事としてみることにした。
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 ≪中国は一つ。台湾も一つ≫
 中国は台湾に対して、「一国 二制度による平和統一」を掲げる一方、台湾が独立を目指した場合、「非平和的な方式やその他の措置を取る」と、武力侵攻を選択肢とする内容の『反国家分裂法』なる法案の成立を意図している。
  
 果たしてそのことは中国のみで見た場合であっても、国際的に見た場合であっても、正当なことなのだろうか。

 台湾の歴史を簡単に振返ってみよう。

オランダ、1622年に明朝領土の澎湖列島を占領。明王朝との合意で澎湖列島からの撤退を条件に、明朝領土ではない台湾を領有。先住民の抵抗に遭う。それ以前は、明朝を含めて、中国の如何なる政権も台湾を領有していたわけではなく、台湾自体も国家の体裁を成すまでいかない、複数の部族社会レベルの先住民と、移住してきた少数の漢民族の生活空間を形成していたに過ぎなかったという。
1661年、明王朝終焉の後、明の家臣鄭成功が艦船を率い、同年4月に澎湖列島を占領、その後オランダの城塞を攻め、翌年2月にはオランダが降伏、台湾から撤退。オランダによる38年間の台湾支配が終わる。
清国軍の攻撃を受け、1683年9月、三代、23年にわたった鄭氏政権は正式に降伏、清国の領有するところとなる。清国の台湾領有は212年間。
1841年9月、清とイギリスがアヘン戦争。
漢族系住民の移住が進み、先住民は少数民族化していく。平地系先住民と漢民族系
移住民との混血が進む。
1874年、台湾住民による日本漁民殺害を理由とした日本軍の台湾出兵。清国政府から賠償金を得て、台湾から撤退。
1894年8月日清戦争勃発
1895年3月、下関での日清講和会議のさなかに、日本軍、澎湖列島を占領。
1895年4月17日、日清講和条約調印。台湾と澎湖列島、日本に割譲され、日本の領 有するところとなる。
台湾の住民の抵抗。全島鎮圧に5ヶ月要する。
1930(昭和5)年霧社(むしゃ)事件――台湾山地、霧社地区の原住民高山族が日常的差別や強制労働などに抗して起こした抗日蜂起。日本人110数名が殺害され、軍隊が出動して2ヵ月後に鎮圧。翌年の報復事件(第2次霧社事件)などを含めて、住民側は約1000名が殺害された。(「大辞林」三省堂)
1945年8月15日、日本敗戦。台湾の中国(国民党政権)への返還。
1949年、国共内戦に敗れた国民党政府が移住、現在に至っている。

 台湾のそもそもは中国の領土ではなかった。国家の体裁は成していない、主として、漢民族とは異なる先住民の生活空間として存在していた。

 それをオランダ、明の旧臣鄭氏三代、清国、日本と領有し、1949年に国共内戦に敗れた国民党政府が領有するに至った。このように繰返された台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史そのものを否定するとなると、時計のネジを最初に戻して、台湾は元々の生活権者たる先住民の領有に帰さなければならなくなる。

 譬えて言えば、アメリカ合衆国を先住民たるインディアンに、その領有権を返還しなければならないとすることと同列のことを意味する。そのような展開は、台湾に関して言えば、先住民以外の殆どが行き場所のない台湾人の、アメリカに関して言えば、インディアン以外の住民に新たな混乱をもたらし、その上社会機能自体を麻痺させ、 世界までも混乱に陥れて、実現は非現実的、不可能そのものである。

 逆に台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史そのものを肯定するとなると、真の領有の正統性は台湾の先住民にのみ所属し、先住民以外の誰の領有物でもなかったゆえに、オランダ以下のそれぞれの領有(支配)と統治に仮の正統性を与えて、そのような正統性の変遷の上に現況――現在の台湾――を俯瞰する必要が生じる。

 もしオランダの領有(支配)と統治の仮定的正統性を否定するなら、明の旧臣鄭氏三代、清国、日本、さらに、国民党政府の領有(支配)と統治の、同じく仮定的正統性をも否定して、さらに進んで、中国が台湾を領有することになったとしても、その正統性をも仮定的としなければならず、最終的には台湾先住民の領有に回帰させなければならないという堂々巡りを犯すこととなり、肯定という前提そのものが崩れる。

 台湾が当初から中国の領土であったなら、このような面倒な詮索は不必要なのだが、今となっては歴史の推移を受入れ、オランダ以下のそれぞれの領有(支配)と統治に仮の正統性を与えて、台湾に於ける領有(支配)と統治に関する歴史の全体そのものを肯定するしか道はないのである。

  当然、現在の台湾の領有(支配)と統治は、現在の台湾国民と彼らが選択した政権の管轄にあり、そこに仮の正統性を与えなければならなくなる。

 いわば、そもそもからして台湾は中国の領土ではなかったばかりか、中国に於ける正統政府であった清国が1683年から212年間、台湾を領有(支配)・統治する仮定的正統性を確保していたが、その仮定的正統性は日本によって奪われたのである。

 さらにそのような正統性は国民党政府の後継たる現政権と台湾国民によって受け継がれ、その領有(支配)と統治は彼らに帰属することとなった。

 厳密に言うなら、現在の台湾に関しては、中国は中国から出ることなく一つを形成し、台湾がそれ自体で一つを形成しているのである。それが現在までの歴史の帰趨であり、現在までの歴史の厳然たる事実なのである。

 それを、中国は台湾は中国の領土だという。中国の領土とするには、現在台湾に帰属する仮定的正統性を譲渡させるか、奪うかして、中国の所有とするしかない。

 具体的に言うなら、交渉によって現在の台湾の住民とその政府の許可を受けるか、許可を受けることができなければ、過去の台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史的性格に則って、武力で侵攻し、領有(支配)と統治の権利を確立することで台湾の現在の仮定的正統性を打ち砕き、自らの獲得物とするか、二つのうち一つしか道はない。

 しかし、現在の台湾に於ける領有(支配)と統治の正統性が、それが仮定的なものであっても、現在の台湾政府と台湾国民に所属する以上、話し合い・武力、いずれの方法によっても、その領有(支配)と統治の権利を中国に委譲するとは思えない。特に中国の言う「非平和的な方式」(=武力)による台湾に於ける領有(支配)と統治の確立は、かつてのサダムイラクがクウェートに武力侵攻したように、国際社会の承認を得るどころか、反撥を招き、武力に対抗するに武力によって侵略を打ち砕かれることになる。

 世界はグローバル化が進んでいる。グローバル化とは、市場経済と民主主義を柱とした国家の存在形式に、それぞれが独立国家でありながら、国境を超え、国を超えて、国際的な相互性を持たせることを言う。

 現在の台湾に於いても、独立した国家の体裁のもと、その存在形成に既に十分に国際的な相互性を持たせているのである。

 独立国家としての体裁を既に備え、なおかつグローバル化に応じた国際的な相互性を十分に備えた台湾が、国民の意思として独立を望むなら、と言うよりも、独立国家としての扱いを世界に求めるなら、中国領土とするといった仮定的正統性の新たなページをめくるまでもなく、台湾領有の正統性を、仮定的であることの条件を外して、真正なものと認知して、独立国家として国際社会に迎えることをしてもいいのではないのか。

 中国がそれに反対するとしたなら、中国が経済活動に関してはグローバル化を果たしていたとしても、民主主義に関しては未だグローバル化を果たしていないことによる、国家存在の国際的相互性に無理解であることと、台湾が元々中国の領土ではなかったという歴史的事実を認めない誤魔化しを働かせているからだろう。
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 ≪チベット暴動:中国・温首相の会見要旨≫(「毎日jp」08年3月19日 東京朝刊)

 18日に行われた中国の温家宝首相の会見要旨は次の通り。
 一、チベット暴動はダライ・ラマ(14世)一派が企て扇動した。
 一、チベットは発展している。ダライ・ラマの言う「中国はチベット文化の虐殺を図っている」とい
   うのはうそだ。
 一、暴動を扇動した集団は北京五輪を破壊しようとしている。五輪を政治問題化してはならない。
 一、台湾問題は敏感な時期にある。「一つの中国」の前提で早期の対話回復を望む。
 一、台湾名義での国連加盟の賛否を問う住民投票は台湾海峡の平和を破壊する。
 一、今年は中国経済で最も困難な1年になる。経済発展とインフレ抑制の均衡が重要だ。【中国総局】
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 ≪「抗議デモ行進中止を」 ダライ・ラマ、急進派に要請≫(asahi.com/2008年03月19日18時58分)
          (※新聞記事は、「急進派」が「活動家」に表現を変えている)

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は19日、亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、中国チベット自治区ラサを目指してデモ行進を続ける活動家グループの幹部と会談し、行進の中止を求めた。亡命政府報道官が明らかにした。

 ダライ・ラマが、中国との対話を通じて外交・国防を除く「高度な自治」を求めているのに対し、活動家グループは批判的で、チベット独立を主張している。抗議行動が過激化してチベット人社会が分裂するのを避ける狙いとみられる。会談に出席した活動家の一人は「要請への対応を決めるには少し時間がかかる」と語った。

 会ったのは、ダラムサラに本拠を置く「チベット青年会議」のリグジン代表ら。同会議を含む5団体が10日にダラムサラを出発、ラサを目指すデモ行進を主催している。参加者約100人が13日、インド警察に逮捕されたが、15日、約50人で中国国境に向け行進を再開した。

 ダライ・ラマの要請の背景には、対話路線に「成果がない」との不満が広がっていることへの懸念がある。自身も16日、「多くのチベット人が批判的なのは知っている」と語った。

 これに対し、リグジン代表は17日、「路線の見直しを望む。チベット人は独立を支持している」と発言。ダライ・ラマが北京五輪開催に賛成する姿勢も批判している。

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