菅首相、尖閣諸島領有権を二原則化して中国領土ともする

2010-10-06 09:24:15 | Weblog

 日本の偉大な指導力を持った菅首相がブリュッセルで行われたASEMのワーキングディナー(仕事の話をしながら摂る夕食)終了後、温家宝中国首相と25分間の“会談”を行った。

 ワーキングディナーは実質的な主要会議終了後にセットされる場面であろう。“会談”の重要性の位置づけも時間や順番に左右される。

 “会談”は10月4日夜(日本時間5日未明)行われ、菅首相はまもなく帰国の途についたそうだから、このことからも最後の最後にセットされた。しかも中国側が要請して日本側が応えた“会談”であるはずもなく、日本側の要請に中国側が応えた“会談”であろうから、中国側の重要性の位置づけがどの程度か容易に判断がつく。

 しかし「MSN産経」記事――《【日中首脳会談】政府、会談実現も甘い認識変わらず》(2010.10.5 23:52)によると、漁船衝突事件に端を発した中国側の過剰な対応や東シナ海のガス田問題、フジタ社員の残された一人の釈放問題等が殆んど話題にならなかったにも関わらず、〈閣僚からは「大変良かった」(前原氏)「非常に喜ばしい」(馬淵澄夫国土交通相)と会談を賛美する声が相次いだ。〉と書いていることからすると、菅首相自身も成功と見ているはずである。「MSN産経」記事が題名で「甘い認識変わらず」と書いているように、中国がこの“会談”にどの程度に重要だと位置づけていたか判断できない、毎度のこと発揮される菅首相の合理的認識能力の欠如に感心しないわけにはいかない。

 このことは中国語通訳を帯同しなかったことにも現れている。「MSN産経」は、〈日本側には中国語の通訳がおらず首相の発言を日本側通訳が英訳し、中国側がそれを中国語に訳した。温家宝首相の発言は中国側の通訳が日本語に訳した。〉と菅首相と温家宝首相の会話の状況を伝えている。

 当初予定していなかった菅首相のASEM出席の目的の一つは温家宝首相との会談にあったはずだ。当然、目的とした会談実現に向けて外務省から模索する様々な接触を中国側に発したに違いない。菅首相の出発時点に於いても確たる反応を得ることができなかったとしても、ASEM開催期間中の実現の可能性は断たれたわけではあるまい。

 記事は二人の発言を伝えている。

 北野充外務省アジア大洋州局審議官「実現することが分かっていれば準備するが、そういう状況でなかった」

 小泉進次郎自民党衆院議員「政権の危機管理が問われる大問題だ」

 だが、実現した。北野審議官の発言は自分たちの無能・無作為を誤魔化し、逃れる弁解に過ぎない。可能性ある状況の展開を読んで、読んだ(判断した)すべての可能性ある状況に備える危機管理意識が欠けていた。だとしてもこの危機管理意識は外務省の役人だけが持たなければならない危機管理意識ではなく、会談を策す当事者としての菅首相自身も持たなければならない危機管理意識であったはずだ。

 菅首相自身が合理的認識能力、合理的判断能力を欠いていたということに尽きる。

 “会談”は菅首相が記者団に語ったところによると、「(温首相と)廊下を同じ方向に歩いていたが、『やあやあ』という感じで、近くの椅子に座りましょうとなって、割と自然な感じで、普通に話ができた」(時事ドットコム)偶然の状況を発端としていて、しかもワーキングディナー後の時間は25分。どのマスコミも「会談」と書いているが、「会談」ではなく、非公式会談との位置づけを行うべきではなかったろうか。

 菅首相が記者団に語ったこの偶然の状況も上記「MSN産経」記事によると、「世の中でそんなハプニングが起きるはずがない。あうんの呼吸だ」と真相を明かした政府高官の発言を伝えている。

 これが事実を証明する発言だとすると、菅首相の偶然の装いは外務省設定の“会談”であった事実を隠して、いわば外務省の力を借りた会談ではないとして自身の偶然の手柄とする一種の粉飾に相当する。指導力のない政治家は機会さえあれば自身の売り込みを謀る。

 【粉飾】「取り繕って立派に見せる」(『大辞林』三省堂)

 これは“会談”と言えるものではなく、非公式会談に過ぎないと書いたが、同「MSN産経」は、〈外務省は5日の自民党外交部会で「立ち話」と説明した。〉と書いている。

 「立ち話」であるなら、“会談”だとしている交わされた会話の中身も「立ち話」程度となる。

 外務省のこの「立ち話」説を他の記事が証明している。《菅・温首相会談、中国は「交談」と表現 新華社》日本経済新聞電子版/2010/10/5 8:44)

 〈中国側は今回の会談を正式な首相会談の際に使う「会談」ではなく、話を交わしたという意味の「交談」との表現を用いている。〉――

 「話を交わした」程度としているなら、椅子に座った会話であっても、「立ち話」に於ける軽い会話と中身の違いはさしてないことになる。

 《日中首脳会談:中国、会談位置づけに苦心 国内に対日強硬論根強く》毎日jp/2010年10月5日)では、〈新華社通信は当初、記事配信の予告で正式な首脳会談を意味する「会見」という言葉を使っていたが、その後の予告で会話を交わすを意味する「交談」に修正した。〉となっている。

 その理由として次のように解説している。〈尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近での漁船衝突事件で逮捕・拘置された中国人船長が釈放された後、中国側は軟化の姿勢を見せ始めていたが、国内の対日強硬論は根強く、会談の位置づけにも苦心しているとみられる。〉――

 「日本経済新聞電子版」記事も「毎日jp」記事も新華社の報道として、温家宝首相が菅首相との25分の「交談」で「釣魚島は中国の固有の領土だ」と述べたと伝えている。

 但し、「毎日jp」記事の方は、温家宝首相が、〈米ニューヨークで先月下旬、在米中国人を前に演説した時のように「神聖な領土」という言葉は使っていない。〉との解説を加えている。

 温家宝首相の領土発言に関して菅首相自身の口からの説明を偶然、自分の手柄とする粉飾からでも何でもなく、昨5日の朝9時55分からのフジテレビ「知りたがり!」 で聞いた。

 菅首相「温家宝さんの方から原則的な話が出たものですから、私の方からの尖閣諸島は我が国固有の領土だと原則的なことを申し上げました」・・・と聞いたと思っていた。

 確実な情報とするために「Google」で文字情報を捜したところ、「朝日テレビ」記事――《廊下で偶然?椅子に座り25分会談 菅総理と温首相》/2010/10/05 11:49)を見つけることができた。

 記者「どういう感じだったんでしょうか」

 菅首相「だいたい同じ方向に歩いていたんですが、『やあ、ちょっと座りましょうか』という感じで、わりと自然に普通に話ができました。・・・・温家宝さんの方から原則的な話があったもんですから、私の方も領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」――

 「私の方からの尖閣諸島は我が国固有の領土だと原則的なことを申し上げました」と聞いたと思った言葉は、「私の方も領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」の聞き間違いであった。

 だとしても、「領土問題は存在しない」は「尖閣諸島は我が国固有の領土」の言い替えでもあるはずである。

 問題は、この「原則的な」という言葉に引っかかったことである。「領土問題は存在しない」=「尖閣諸島は我が国固有の領土」は果して「原則“的”」な事実なのだろうか。

 「温家宝さんの方から原則的な話があった」は具体的な発言自体は隠しているものの、新華社が伝えているように、「釣魚島は中国の固有の領土だ」との発言があったということであろう。

 「釣魚島は中国の固有の領土」だとしていることに対しても、「領土問題は存在しない」としていることに対しても双方の主張を「原則的な話」、あるいは「原則的なこと」とすることは、「原則的な話」、あるいは「原則的なこと」とするそれぞれの主張の容認となり、二原則化したと言うことにならないだろうか。

 二原則化した場合、「釣魚島は中国の固有の領土」と「尖閣諸島は日本の固有の領土」(=「領土問題は存在しない」)をそれぞれ併行させていくことになる。これは現状維持とも言える。記事によっては解決の先延ばしとも表現している。

 果して領土問題は「原則的な話」なのか。「原則」でもなければ、「原則的」でもないはずだ。譲ることのできない絶対事実として話を持っていかなければならなかったはずではないか。

 勿論相手も譲ることのできない絶対事実として「金魚島は中国固有の領土」だと主張する。そこで、「では、領土解決の交渉を持ちましょうか。お互いに固有の領土だと主張し合っていたなら、今後とも様々な障害が起こることになる」と主張、根本解決を見い出す方策を講じるべきではなかったろうか。

 日本側が「領土問題は存在しない」といくら言ったとしても、中国側が「釣魚島は中国固有の領土」だと言っている限り、主張の併行状態は現実問題として続くことになり、当然、領土問題は存在することとなり、単に「領土問題は存在しない」と日本側が言っているに過ぎないことになる。

 事実、言っていることに過ぎないことが中国漁船衝突事件に対する日本側の「国内法で粛々と対応する」措置に対して、国内法を越えて中国側が様々な対抗手段を取ったことに現れている。「尖閣諸島は我が国固有の領土」にしても、「領土問題は存在しない」にしても中国に対しては実効力を持たない菅内閣の発言でしかなかったということである。

 この事実は事実として存在した。また、今後とも存在する。この現実を無視して、「尖閣諸島は我が国固有の領土であり、領土問題は存在しない」を言い続けている。

 この判断能力、認識能力は如何ともし難い。

 【原則】「多くの場合に当てはまる規則や法則」(『大辞林』三省堂)

 意味するところは、「すべての場合に当てはまらない規則や法則」だと言うことである。いわば例外があると言っている。

 また「原則的」とは、「原則」よりも弱まった意味の原則に準じるというニュアンスを含むはずだ。「原則を申し上げた」と「原則的なことを申し上げた」では明らかに強弱がある。

 辞書の意味を当てはめて菅首相の発言を解釈するなら、日本側の「領土問題は存在しない」を「原則的な話」、あるいは「原則的なこと」とした場合、「原則」の意味は「すべての場合に当てはまらない規則や法則」であり、「原則的」が原則に準じる意味を含むことからして、中国側の「釣魚島は中国固有の領土」とする主張を入り込ませる余地を菅首相自ら招いたことになる。

 「釣魚島は中国固有の領土」の主張を認めたとも言い換えることができる。一方で「尖閣諸島は日本の領土」としていることから、いわば二原則化である。

 例えそういった意図があっての発言ではなく、合理的判断能力なしのノー天気からの無意図的な発言であったとしても、双方の主張を“原則的”として済ませたことは中国との間の領土問題の解決をマスコミが伝えているように先延ばし、あるいは棚上げしたことになる。温家宝首相との“会談”で、もしくは「交談」で、菅首相は先延ばし、あるいは棚上げの指導力しか発揮できなかったということであろう。

 始末に終えない政治家を我々は一国の指導者として頭に戴いていることにならないだろうか。

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