菅首相が昨10月1日午後、臨時国会衆参両院で所信表明演説を行った。先ず冒頭発言の「はじめに」――
菅首相「国民の皆さん、国会議員の皆さん、菅直人です。6月に政権を担って4か月、9月に民主党の代表に再選され、党と内閣の改造を行い、政権を本格稼働させる段階に入りました。「有言実行内閣」の出発です。何を実行するのか。一言で申せば、これまで先送りしてきた重要政策課題の実行です。経済低迷が20年続き、失業率が増加し、自殺や孤独死が増え、少子高齢化対策が遅れるなど、社会の閉塞感が深まっています。この閉塞感に包まれた日本社会の現状に対して、どの政権に責任があったか問うている段階ではありません。先送りしてきた重要政策課題に今こそ着手し、これを、次の世代に遺さないで解決していかなければなりません。それが、「有言実行」に込めた私の覚悟です。解決すべき重要政策課題は、『経済成長』、『財政健全化』、『社会保障改革』の一体的実現、その前提としての「地域主権改革の推進」、そして、国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』の五つです。本日は、この五つの課題について、私の考えを申し上げます」(首相官邸HPから)
男性的なよく響く声で、言葉自体は明晰、且つ説得力ありげに聞こえる。だが、言っていることに矛盾がある。「有言実行内閣」として、「これまで先送りしてきた重要政策課題」に有言実行の出発点を置くと言っている。
先送りが許される政策と許されない政策があるはずである。「重要政策課題」となれば、当然先送りは許されない。その代表格が景気政策であり、国民に安心を与える生活を保障できるか否かを左右する社会保障政策であり、国民の生命・財産を大局のところで守る安全保障等であろう。
だから、「解決すべき重要政策課題」として、「『経済成長』、『財政健全化』、『社会保障改革』の一体的実現」、「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を掲げた。先送りが許されないにも関わらず、これらを「先送りしてきた重要政策課題」と言っている。
何も言葉尻を捕えて揚げ足取りをしているわけではない。認識の問題である。それぞれの内閣が手を打ってきた。規制改革だ何だと言って制度や法律をいじることは誰でもできる。役に立たない方向にいじったのではいじった意味を成さない。役に立つ方向にいじって、国民生活に、あるいは産業活動に如何に活用し、目に見える果実(=成果)を国民に届けることができるかである。
手を打ってきたにも関わらず、満足な成果を挙げることができず、一部国民の果実とすることはできても、全体的には国民の果実とすることができなかったということであり、そのことが現在の日本の社会の様々な矛盾となって噴き出しているということであるはずである。
当然、どこに原因があったのか、何が原因だったのか、追究して原因を明らかにし、それを以て学習材料、反省材料としてそこに自らの出発点を置かなければ、今ある悪しき制度、悪しき法律を改める改革とか改善とか名をつけた政治は行い得ないはずだ。
不足や矛盾を払拭して満足や統一性を打ち立てる試みが改革、改善という名の政治だからだ。
「先送りしてきた」ことと手を打ったが、満足な成果を挙げることができなかったでは認識に大きな隔たりがあり、「先送りしてきた」と認識した場合、従来の方法の踏襲も可能となるばかりではなく、不足や矛盾を生み出した原因を何も学ばなくても許されることになる。なぜ「先送りしてきた」のかの原因だけ探ればいいことになるからだ。
相変わらず認識能力ゼロ。指導力など生れようがない。当然、「有言実行」など望みようがない。
「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」がこのことを既に証明している。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件でこそ発揮すべき菅首相の認識能力、指導力、「有言実行」が発揮されずに逃げの一手に終始した。今後どう対応しようとも、後手の対応、あるいは後付の対応となるだろう。
「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」の「国民全体」とは失敗したとき、国民全体で取り組んできたのだからとその責任を国民全体に転嫁するための「国民全体」ではないはずだ。
国民自身が政治を直接担うわけではなく、現在は菅内閣が担っているのだから、国民が全体的に何を望んでいるのか、どうすべきと欲しているのか、その意思を読み取って菅首相が先頭に立って内閣として政治・外交に反映させることを言うはずである。よりよく反映させることによって、結果として「国民全体で取り組」んだ政治となり得る。あるいは「国民全体で取り組」んだ外交となり得る。
だが、菅首相は中国漁船衝突事件で「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を既に裏切っている。国民が望まない、あるいは欲しない方向の対応をした。その現れの一端が9月30日に行った産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査であろう。《尖閣漁船衝突「政府対応は不適切」7割、内閣支持率も急落48・5% 本社・FNN合同世論調査》(MSN産経/2010.10.1 11:42)
菅内閣の中国漁船衝突事件に対する一連の対応を70・5%が「不適切」、中国人船長の釈放を77・6%が「不適切」、釈放決定に84・5%が「政府の関与があった」と回答。
国民の意思を読み取ることができず、結果として「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を裏切ったと言うことである。
当然のこと、内閣支持率は下落している。64・2%の前回調査(9月18、19日実施)から15・7ポイント急落の48・5%。
中国漁船衝突事件で国民の意思を読み取る認識能力、国民が望む方向の解決に向けた指導力、それらを実効ある形に持っていく「有言実行」をすべて裏切りながら、まだほとぼりが冷めぬ熱いうちに、所信表明演説で「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を抜けぬけと訴える。その神経たるや見事と言うしかないと菅首相の神経だけを問題にしているわけにはいかない。
「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」の主張が言葉自体は菅首相の男性的な説得力ある声質に助けられて美しく立派に聞こえもするだろうが、実体は空理空論、言葉だけ、見せ掛けに過ぎない主張でしかないということであり、この一事を以って所信表明演説のすべてを推し量ることができる。
認識能力、指導力の程度からして、当然の所信表明演説に対する全体的推量であろう。
例えば中国漁船の衝突事件に絡んで、「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土であり、領土問題は存在しません」と声を張り上げて勇ましく断言しているが、事件は中国との間で領土問題としての展開を後付けとしたことは紛れもない事実である。尖閣諸島は中国の領土であるとの主張に対して、「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土である」を対抗措置として展開したことも、領土問題の存在を示している。
もしそうでないと言うなら、「北方四島は歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土である」と言いさえすれば、ロシアとの間に「領土問題は存在しません」と断言することも可能となる。
だが、現実には領土問題として日露の間に横たわっている。ロシアが「北方四島に領土問題は存在しない」と宣言したとしても、日本は黙って引き下がることはしないはずだ。一つの領土を挟んで国同士が領有権に関わる立場を異にする以上、歴史を振り回そうと国際法を振り回そうと、領土問題は存在することになる。「北方四島は歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土である」と言っていれば、何事も無事に済む保証を得るわけではない。解決しなければ、紛争の尾を引くことになる。
次に挙げる例も認識能力不足の証明となり、当然首相のただでさえ持たない指導力に関係し、「有言実行」に影響を与える。
「二 経済成長の実現―経済対策と新成長戦略の推進(成長と雇用による国づくり)」の項目では次の訴えを行っている。
「まず最初の課題は、経済成長です。国内消費を取り巻く状況には、厳しいものがあります。需要が不足する中、供給側がいくらコスト削減に努めても、値下げ競争になるばかりで、ますますデフレが進んでしまいます。これでは景気は回復しません。供給者本位から消費者目線に転換することが必要です。消費も投資も力強さを欠く今、経済の歯車を回すのは雇用です。政府が先頭に立って雇用を増やします。医療・介護・子育てサービス、そして環境分野。需要のある仕事はまだまだあります。これらの分野をターゲットに雇用を増やす。そうすれば、国民全体の雇用不安も、デフレ圧力も軽減されます。消費が刺激され、所得も増えます。その結果、需要が回復し、経済が活性化すれば、さらに雇用が創造されます。失業や不安定な雇用が減り、『新しい公共』の取組なども通じて社会の安定が増せば、誰もが「居場所」と「出番」を実感することができます。こうした成長と雇用に重点を置いた国づくりを、新設した「新成長戦略実現会議」で強力に推進します」――。
「国内消費を取り巻く状況には、厳しいものがあります。需要が不足する中、供給側がいくらコスト削減に努めても、値下げ競争になるばかりで、ますますデフレが進んでしまいます。これでは景気は回復しません。供給者本位から消費者目線に転換することが必要です」と言いながら、「消費も投資も力強さを欠く」からと、相変わらずバカの一つ覚えに「経済の歯車を回すのは雇用です」と、「雇用」を一番に持ってきている。
最初に需要の不足を言っている。そのことが「消費も投資も力強さを欠く」状況を生じせしめているはずである。当然、需要喚起、消費と投資の力強さの回復に重点を置くべきである。特にモノが売れる需要、消費が第一条件となる。モノが売れることによって、投資が促進され、雇用の拡大局面を迎えることができる。
だが、「供給者本位から消費者目線に転換することが必要です」を前提としながら、「経済の歯車を回すのは雇用です」と言って譲らない。この認識能力を問題としなければならない。
雇用を得ていながら、そこからの所得が消費に向かいにくい状況が「経済の歯車を回すのは雇用です」とは限らないことを証明している。
《平均年収 過去最大の下げ幅に》(NHK/10年9月29日 4時12分)
国税庁による民間企業で働いたサラリーマンやパート従業員等の昨年1年間の給与調査である。
平均年収はおよそ406万円、前の年を23万7000円、率にして5.5%下回ったという。これは統計が残っている61年前の昭和24年以来の最大の下げ幅だというから、生半可な下げ幅ではないはずだ。
▽年収200万円以下は約1100万人(全体の24.4%――前年+約32万人)
全体に占めるこの24.4%はここ20年で最も高い割合だそうだ。
▽400万円以下は約2704万人(全体の60%超――前年+約108万人)
▽1000万円超は約175万人(全体の15%――前年-21%)
この1000万円超の所得者は3年前までは増える傾向にあり、格差の広がりが指摘されていたと書いているが、不景気が格差縮小に役立ったのか、前年-21%となったと言いたいが、所得が減少している低所得者には実感できない意味もない格差縮小であろう。
調査結果についての発言を伝えている。
山田久日本総研主席研究員「おととしの金融危機の影響で、ボーナスや残業代が大幅にカットされ、異常な年収減少につながった。2~3年前は低所得者層が増える一方で、高額所得者も増え、2極化が進んでいたが、今回は経済活動全体が落ち込んだため地盤沈下している。今年に入り、時間外労働などが増えたため、今後は、若干、回復すると思われるが、企業の置かれた状況は厳しく、大きく揺り戻しがあるとは考えにくい」
「今年に入り、時間外労働などが増えた」は政府補助による家電のエコポイント制やエコカー補助金等がもたらした恩恵であって、エコカー補助金は9月打ち切りとなり、エコカーの前倒し需要とここのところの円高が外需産業に対して経営の先行き不安を誘っている。
エコポイント対象の家電にしても補助金対象のエコカーにしても、中小所得層には手を出しにくい消費だったはずだ。その上、雇用を得ていても、所得がこのような状況なのだから、一般的には所得が消費に向かいにくい状況にあり、モノが売れなければ、企業の経済活動は活発化しない。活発化しない中には新規雇用も入る。新規雇用どころか、政府の雇用維持の補助があったとしても、逆に現在の雇用を減少させる企業も現れる可能性は否定できない。
民主党は「2009年衆院選民主党マニフェスト」で、「中小企業を支援し、時給1000円(全国平均)の最低賃金を目指します」と謳い上げていた。これも「供給者本位から消費者目線に転換する」政策の一つであるはずだ。
〈○最低賃金引き上げを円滑に実施するため、中小企業への支援を行う。
○「中小企業いじめ防止法」を制定し、大企業による不当な値引きや押しつけ販売、サービスの強要など
不公正な取引を禁止する。
○貸し渋り・貸しはがし対策を講じるとともに、使い勝手の良い「特別信用保証」を復活させる。
○政府系金融機関の中小企業に対する融資について、個人保証を撤廃する。
○自殺の大きな要因ともなっている連帯保証人制度について、廃止を含め、あり方を検討する。
○金融機関に対して地域への寄与度や中小企業に対する融資状況などの公開を義務付ける「地域金融円滑
化法」を制定する。
○公正取引委員会の機能強化・体制充実により公正な市場環境を整備する。
○中小企業の技術開発を促進する制度の導入など総合的な起業支援策を講じることによって、「100万
社起業」を目指す。〉――
だが、今年9月時点での最低賃金の全国平均は730円でしかない。特に低所得層に個人所得の恩恵を与えてこそ、消費が元気づくと思うが、最低賃金「1000円」が現在のところ「有言実行」されていない。個人所得が減少しているこのような状況下でこそ低所得層向けの内需拡大策として思い切って政治主導で行うべき政策ではなかったのではないだろうか。
一時的にはその人件費増加が中小企業の経営を圧迫するとしても、現在実施している各中小企業支援と併せて最低賃金1000円を行っていたなら、その消費が回りまわって中小企業の利益上昇に向かうはずである。
貯蓄に回る懸念があると言うなら、内需拡大策として消費税を一時凍結、5%分をポイントで払い戻すポイント制にして貯蓄に回らないようにすれば、消費拡大につながるのではないかとブログに書いたが、最低賃金を挙げた分、緊急の窮余策としてポイントで支払う仕組みにしてもいいわけである。
いずれにしても、最低賃金1000円は今のところ「有言実行」を裏切っている。
「有言実行内閣」を標榜する限り、一つでも裏切ってはならないはずだが、中国漁船衝突事件でも裏切り、最低賃金でも裏切っていて、先ずは個人消費拡大を策す景気対策を講じて企業活動を活発化させるべきを「経済の歯車を回すのは雇用です」とあるべき姿を裏切っている。
今年7月の参院選前に例え一時的ではあっても、景気を後退させ、雇用どころではない状況をつくり出すと分かっている消費税増税の話を不用意に持ち出す「有言実行」の裏切りを働く前科まで犯している。
そのツケとなった参院選大敗による「ねじれ国会」は「有言実行の」最大の障壁となって「有言実行内閣」に立ちはだかる逆説を皮肉にも生んでいる。
すべては認識能力に関わる事態であり、指導力に関係する事柄であろう。
一事が万事、所信表明演説どおりに「有言実行」できないと見るのが妥当と言える。