蓮舫議員の国会内撮影に見る考え違い

2010-10-09 07:32:19 | Weblog

 どうでもいいことだが、蓮舫議員が考え違いしているようだから、ちょっと書いてみることにした。

 蓮舫行政刷新相が議員活動に関係する場合は認められているが、私的な宣伝や営利目的に当たる場合は許可されていない国会議事堂内での自身がモデルとなった、ファッション誌「VOGUE NIPPON」のための撮影を行い、それが11月号に掲載されたことが問題となって、西岡参院議長から10月7日、口頭で注意を受けた。

 早速野党が10月7日開催の参議院議院運営委員会の理事会で攻撃のネタとし、参議院議長からの口頭の注意もあったからだろう、蓮舫は翌8日午前の閣議後の記者会見で謝罪している。但し、謝罪一辺倒ではなく、自己正当化の弁も加えている。

 《蓮舫大臣 国会内撮影で陳謝》NHK/10年10月8日 12時0分)

 野党「私的な営利目的の写真撮影を国会内で行うのは、不適切だ」

 蓮舫「国民から政治に高い関心を持ってもらうことは非常に大切で、国会議員は、街頭演説や集会など、さまざまな手段で情報を発信している。その1つの手段として雑誌の取材に応え、掲載してもらうことは大切だ」

 確かに言っているとおりである。しかしここに考え違いはないだろうか。

 蓮舫「撮影は正式な手続きを経て、立ち会いの下で行われたが、撮影場所が不適切だと懸念を抱かせたとすれば、まったく本意ではなく、率直におわびを申し上げる」

 「懸念」の意味は、気がかり、心配といったことだが、ここで言っている「懸念」は“疑い”(=疑念)の意味で使っているはずだ。自分は間違っていないが、不適切の疑いを持たれたのだから謝罪すると。要するにあくまでも疑いに過ぎないと無罪を訴えている。だから最初の自己正当化の弁が可能となる。

 確かに政治家としての情報発信の手段に街頭演説や集会、雑誌取材、テレビ出演、座談会、講演、後援会活動様々にあるだろうが、それらは常に政治家としての意識を持った活動でなければならないはずだ。但し政治家としての意識を持った活動に於けるその意識は無制限が許されるわけではなく、政治家それぞれが所属する政党の理念やモットー、政策、あるいは自己の政治信条等の制約を受ける。

 逆説するなら、如何なる手段を用いた政治家の情報発信であっても、所属する政党の理念やモットー、政策、あるいは自己の政治信条等の制約を受け、その範囲内の情報発信活動でなければならない。

 このことは中国漁船の海上保安庁巡視船衝突事件時に蓮舫が「(尖閣諸島は)いずれにしても領土問題なので、私たちは毅然とした日本国としての立場を冷静に発信すべきだと思っている」(asahi.com)と述べたことが日本政府の「尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」の公式見解の制約を受けて発言を撤回、謝罪したことが何よりも証明している。

 現実には「尖閣に領土問題は存在しない」は日本が言っているだけのことで、中国によって領土問題を存在させられている。

 例えば常日頃貧乏人の味方を政治信条としている政治家が金持のパーティに招かれて飲んだり食ったり、大騒ぎしたりを私的な愉しみ、個人的付き合いだとすることはできたとしても、情報発信の手段だとすることは許されるだろうか。

 いや、一方で貧乏人の味方を言い、一方で金持のパーティに参加して贅沢な飲食と贅沢な愉しみに耽ること自体、例えそれが純粋に私的行為、個人的行為の類だとしても、貧乏人の味方の言説にインチキ臭さを纏わせることになるに違いない。

 例えどのような活動であっても、どのような情報発信であっても、自らを立たしめている政治的立場に忠実に即した活動、情報発信の制約を前提としなければならないということである。

 西岡参院議長が口頭で注意し、野党が問題としたことは豪華な衣装を纏ってファッション誌の撮影に臨んだ点にあるらしい。《蓮舫叱られた! 議事堂ファッション写真「ジャケット55万円、スカート38万円、ブーツ11万円」》J-CAST/2010/10/ 8 13:08)

 〈議事堂の中で写真を撮ることは、許可さえあれば可能。大臣がファッションに身を固めてもどうってことはない。何が問題かというと、蓮舫が着ていたブランドの衣装の値段が、グラビアのスミに出ていたこと。ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円とある。〉――

 笠井信輔アナ「写真に続く本文は、蓮舫さんの議会活動についてのインタビューなので全然問題はない。ところが、ブランド名と値段が出たので宣伝モデルになったとみなされた」――

 いわば撮影が営利目的と看做されたということだろうが、「議会活動についてのインタビュー」を受けていると言うことなら、テレビに出てギャラを得て自らの政治的な情報発信を行うこととさして変わりはなく、場所の違い以外はさして問題とはならないはずだが、場所の違いを無視したとしても、ファッション誌「VOGUE NIPPON」のインタビューに関しては政治家としての意識を持って臨んだであろうが、写真撮影に関しては政治家としての意識を持ってカメラの前でポーズを取ったのではなく、ファッションモデルとしての意識を持ってカメラの前でポーズを取ったはずで、そこに一番の問題点があるはずである。

 まさか「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」というセレブ向け仕立てのゴージャスなファッションに身を包み、政治家としての意識でカメラの前に立ったわけではあるまい。そのような感覚で立ったとしたら、「国民の生活が第一」を政治理念、モットーとした政党に所属し、その制約を受けて国民の暮らしだ、安心だ、行政改革だ、ムダの削減だ、ムダの排除だと普段情報発信している言葉と撮影時の装いの豪華さと乖離することになり、言葉自体がウソになってなおさら問題となる。

 あるいは自らが情報発信している言葉を裏切る豪華さだということになる。

 「国民の生活が第一」を政治信条、モットーとしている政党に所属する以上、その政治信条、モットーに制約を受けた政治活動を行わなければならない義務と責任を負う。「国民の生活が第一」の「国民」とは富裕層を対象とした「国民」なら、100万円以上もするブランド衣装を着た国会議事堂内撮影は政治信条、モットーに適った政治活動と言えるかもしれない。セレブに視点、焦点を置いた「国民の生活が第一」ではなく、一般国民に視点、焦点を置いた「国民の生活が第一」だとしたら、政治信条、モットーの制約を自ら破壊する情報発信となる。

 政治家ではあるが、あくまでもファッションモデルの意識でなければ、庶民には目が飛び出る、一般国民の生活実感から乖離した高価なブランド品に身を包み、カメラの前に自身を曝すことはできなかったはずだ。シャッター音が響くにつれ、表情に自身の美貌とスタイルに対する誇りさえ覗かせていたかもしれない。

 大体が「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」の写真で「国民から政治に高い関心を持ってもらう」ためのどのような情報発信を意図していたと言うのだろうか。
 
 ファッションモデルとしての意識で撮影を受け、政治家としての意識でインタビューを受けた。そしてギャラを受け取った。多分、ギャラに占める割合はファッションモデルとしてのギャラの方が多いはずである。

 例えインタビューの場面では政治家の意識を全面的に出して臨んだとしても、インタビューには「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」は必要としない。いわば政治家としての意識に立った情報発信には「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」は不必要アイテムでしかない。

 撮影が「正式な手続きを経て、立ち会いの下で行われた」、政治家としての情報発信だとしても、何ら制約を受けないと考えるのは蓮舫の考え違いに過ぎない。合理的な判断能力を欠いているから、自己正当化が可能となる。

 「国民の生活が第一」がたまたま所属した政党が掲げた政治信条、モットーに過ぎず、蓮舫自身は個人的には掲げていないウソとしていて何ら制約を受けない、普段の情報発信は政治家としての姿を取り繕う装いに過ぎないということなら、「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」の写真撮影は自然な情報発信となる。

 その場合は蓮舫は頭の天辺から足の先まで政治家としての意識を持って臨むことができたに違いない。自分では気づかない見せ掛けの政治家として。

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