日本政界のホープ、前原誠司外相が、失礼な話で、落語に出てくる色男だが、本業にノー天気、遊び好きだが間が抜けている若旦那に譬える向きもあるが、10月9日、香川県直島町で講演。自身の才能を自信たっぷりな落ち着いた声と自信たっぷりな落ち着いた表情に例の如く漂わせていた講演であったに違いない。
《“尖閣 同様事案も国内法で”》(NHK/2010年10月9日 21時11分)
中国漁船衝突事件に関連して――
前原外相「中国は、いわゆるレアアースの問題もそうだし、どんどん対応をエスカレートさせ、今回、中国は相当、国際社会から『異様な対応をするな』と見られたと思う」
前原外相「絶対に崩してはいけないのは、尖閣諸島は日本の固有の領土であり、これからもずっと日本が実効支配を続けることだ。国際司法裁判所に委ねたらどうかという意見もあるが、われわれの固有の領土について、第三者に判断させることはない」
「絶対に崩してはいけない」は当たり前の話だが、中国に揺さぶりをかけられて相当慌てふためき、「日本の固有の領土」の一点張りで押し通すよりも対中関係改善に走ることをより優先させたため、中国側の「釣魚島諸島は中国固有の領土である」に入り込む余地を与え、ある意味「日本の固有の領土」であることを半ば「崩し」かけていた。
だが、前原外相は合理的認識能力を欠いているから、「尖閣諸島は日本の固有の領土」であることを些かも揺るがせることはなかったと信じ込んでいる。
前原外相「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば、今回と同じ対応をとるのは法治国家としてあたりまえであり、やり続けなければならない」
同様の事件が発生した場合は同様の対応を取るは船長・船員逮捕、船体押収、国内法に基づいて粛々と裁くまでを言っているわけではなく、中国も今回と同様の対応を取ることを前提とした発言でなければならない。「異様な対応をする」中国だと見定めてもいるのである。大体が次回からは中国が日本の国内法に基づいた粛々とした対応を素直に見守ると見ていたなら、「法治国家としてあたりまえであり、やり続けなければならない」などと大上段に構えた言い方はしないで済むし、「釣魚島は中国固有の領土である」を残してもいる。
要するに同じことが起きたなら、船長・船員とも逮捕、船体押収、中国の抗議と圧力、「尖閣諸島は日本の固有の領土」を言いつつ、船員解放、船体返還、船員解放で一件落着の甘い見通しが崩れて、船長解放、さらに常に日本側から働きかける対中関係改善の模索といったふうに同じ一連の経緯を繰返す対応を取るということを言ったはずである。
要約して簡単に言うと、最終的には被害を受けた側が加害側に関係改善を働きかけ、それを繰返す場面を見ると言うことである。通常は逆であって、矛盾しているようだが、それを許すのは、加害側が被害を受けたと受け止めているからだろう。
日本側が中国側がそのように受け止める余地を放置していた。中国にしても、「釣魚島諸島は中国固有の領土である」の錦の御旗があったからこそできた圧力の数々であったに違いない。
中国側が被害を受けたと受け止める余地を未解決状態で残したままだから、前原外相が言うように「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」云々と同じことの繰返しを想定しなければならないことになる。
当然問題としなければならない事柄は未解決状態で残しておくことにあることになるが、前原外相にはその点に気づく視点は備えていないようだ。
一度泥棒に入られた家は新たにカギをつけるとか、庭に監視カメラを設置するとか危機管理を強化するものだが、そういった新たな危機管理は施さずに、「また泥棒が入ったら、前回同様に警察に届け、被害届を出して泥棒が捕まり、被害物が返還されるのを待ちます」と言うのと同じことを前原外相は言っていることになる。
このような危機管理では中国が「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を掲げている間は前原外相が言っている同じことを永遠に繰返すことになる。中国は日本に対して「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を知らしめるために時間を置いた定期的な間隔で漁船に領海侵犯させ、日本との間で一騒動起す計画を立てないとも限らない。
断るまでもなく、永遠の繰返しを回避するためには中国の「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を撤回させることにある。
しかし前原外相は何ら外交上の危機管理対策もなく、同じことをそっくりと繰返すケースを想定している。想定し、事実となった場合は、「今回と同じ対応をとるのは法治国家としてあたりまえであり、やり続けなければならない」と言っている。
起こり得ると想定している危険性に対して可能とする対策を前以て講じ、起こり得る危険を可能な限り阻止することまでが危機管理であるが、「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」と同様の事件の発生可能性を言い、同様の対応を言うのは、先に例を挙げた泥棒に入られた家と同様に前後の間に何ら対策を置かない物言いとなる。外交を預かる者の領土に関する何ら対策を置かないこの危機管理は政治的不作為宣言に相当しないわけはない。
この政治的不作為は前例から何ら学習できない姿が生じせしめている。
前原外相の「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」とする今回と同様の事態の次回に於ける想定と、次回も「今回と同じ対応をとる」とする今回と同様の対策の想定は、今回の事態から何かを学習して同様の事態の次回発生阻止に向けて備える危機管理体制を図ることではなく、逆に何ら学習せずに今回と同様の事態の発生と対応を繰返すことの想定となっている。
実際は海上保安庁の巡視船の数を増やして警戒と監視を強化することぐらいはするだろうが、それは物理的対応であって、「釣魚島諸島は中国固有の領土である」の入り込む余地を未解決状態で残す以上、政治的対応は今回の事態から何ら学ばず、何ら対策を講じない不作為を行うことになる。
「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を絶対事実としながら、絶対事実を絶対事実足らしめるために中国にそれを認知させる政治的対応を取らず、日本が実効支配していることから、中国の「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を相手に比較絶対事実とさせて、今回同様の事態を可能とさせ、日本も今回同様の事態を想定して、同様の対策で以て対応すべく想定することになる。
だから、前原外相の口から「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」云々という、自らの政治的不作為を棚に上げた、そのことに些かも意識を置かない発言が出てくることになる。この発言は同時に「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を中国に対してはタテマエで終わらせることになる危機管理体制ともなる。
あるいは中国に対して「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を宙ぶらりんな状態に置く危機管理体制でもあると言うことができる。
前原外相のこの政治的不作為は菅首相の政治的不作為と対応した不作為であるはずである。
中国との間で解決に向けた交渉を持つことができない以上、菅首相以下がかねがね言っている「領土問題は存在しない」は根本的解決を策す危機管理体制を採ることができない自分たちの無能な政治的不作為を誤魔化す逃げの一手と化す。