「何としてもこの危機を乗り越えていくんだという強い決意」を政治の責任の形にできていない菅首相

2011-03-19 10:06:31 | Weblog



 菅首相が地震発生1週間を受けて昨3月18日(2011年)午後8時杉から国民向けメッセージを発した。首相官邸HPから全文を引用してみる。 

 《菅総理からの国民の皆様へのメッセージ》(2011年3月18日午後8時13分)
 
 地震発生から本日で1週間が経過をいたしました。亡くなられた皆さん、そして御家族の皆さんに心からのお悔やみを申し上げます。また、被災され家族が行方不明である皆さんに対しても、本当に御心配のことと心からのお見舞いを申し上げます。

 この1週間、国民の皆様はこの事態に対して冷静に対応し、家族や地域の絆を大切にして、共に助け合い、協力し合って、この事態を乗り越えようと努力をされてまいりました。そうした皆様の行動に対して心から敬意を表したい。このように思います。

 今、私たちは2つの大きな問題に直面をいたしております。それは巨大な地震、津波というこの被害に加えて、この地震、津波が原因として引き起こされた大きな原子力事故。この2つの危機に直面をいたしております。

 救援活動については多くの混乱があり、また困難があります。しかし、次第にそうした困難を乗り越え、支援物資なども被災者の皆さんに届くようになっていくと思いますし、生活再建についても、これから次第次第と前進をしてまいると思います。更には日本の復興についても、必ずやこの地震、津波の被害を乗り越えて日本全体が復興できる。このように確信をいたしております。

 その一方で、福島における原子力事故の状況はまだまだ予断を許さない状況が続いております。今、この危機を乗り越えるため、東京電力、自衛隊、警察、消防、関係者の皆様が、まさに命がけで作業に当たっていただいております。私も、この原子力事故に対して決死の覚悟で最大限の努力を尽くしております。必ずや国民の皆様とともに、そして現場を始め多くの関係者とともに、必ずやこの危機を乗り越えて、国民の皆さんに安心を取り戻したい。その決意を胸に秘めて、これからも更に努力をしてまいります。

 これまで、世界各国から本当に多くのお見舞いをいただきました。117か国の地域と国、29の国際機関、多くの支援の申し出をいただき、既に支援活動も始まっております。大変ありがたいと思っております。私たちは戦後最大のこの危機に対して、こういう全世界からの支援も含めて、くじけているわけにはいきません。何としても、この危機を乗り越えていくんだという強い決意をすべての国民が胸に秘めて前進をしていこうではありませんか。

 避難所で生活をされている皆さんは、寒い中、また食糧や水が不十分な中、またトイレの不便さの中、本当に御苦労をされていることと心からお見舞いを申し上げます。是非とも家族や地域や、あるいは見ず知らずの人であっても、避難所で行動をともにする皆さんとしっかりと助け合って、この苦しい中の避難生活を乗り越えていただきたいと思います。

 政府としては、そうした皆さんに対して食糧や毛布などを支給するだけではなくて、今後安心して生活できる環境を現在、全力を挙げて準備をいたしているところであります。どうかそうした避難生活、まだしばらくは続くと思いますけれども、是非体調に留意をされて、次の安心できるところへお移りいただけるまでの間、頑張り抜いていただきたい。このようにお願いを申しあげます。

 改めて申し上げます。まさに日本の危機、私たち日本人にとって、本当に試されている今日の状況です。日本は過去の歴史においても、この小さな島国と言われながら、奇跡的な経済の成長など、国民の力で一人ひとりの皆さんの力で、この国を築き上げてまいりました。この地震や津波によって、くじけていくわけには、絶対にあってはならないことです。もう一度、日本を改めて創るんだ、そういう覚悟でこの危機に一緒に立ち向かっていこう。どうか国民の皆様に一人ひとりがそういう思いで、家族や地域や職場の仲間や学校の仲間とともに、手と手を携え、自分たちがやれることは、自分たちができることは何なのか。そういう思いを共にして、日本の危機を乗り越え、再建に向かって歩み出していただきたいし、私もその一人として、全力を挙げていくことを改めて重ねて申し上げて、私からの震災発生1週間目における国民の皆様へのお訴えとさせていただきます。

【質疑応答】

(内閣広報官)
 では、青山さん、どうぞ。

(記者)
 日本テレビの青山です。
 福島第一原発についてですけれども、周辺地域の人々のみならず、日本国民に大変今、不安を与えている事故だと思います。更に、政府の出す情報に対する不信感も一部で広がっています。日本の総理大臣として、今の現状はどれだけ危険なのか。それとも、どれぐらい安心していいのか。そして、今後の見通しをどのように持っているのか。具体的な例もできるだけ含めて我々に教えてください。

(菅総理)
 今回の原子力発電所の事故について、私や官房長官が知り得る事実については、すべてを公開してまいりました。これは国民の皆様に対しても、国際的な形の上でも、そのことは改めて申し上げておきます。

 その上で、現在の状況は、この福島の原子力発電所の事故がまだまだ予断を許さない状況にある。このことは率直に申し上げているところであります。そして、その状況を何としても解決していくために、現在、東京電力あるいは自衛隊、消防、警察、関係者が決死の覚悟でこの対応をしていただいております。

 本日は3号機に対する放水活動も行われました。こういった形で、まだ予断を許さない状況でありますけれども、そう遠くない時期には全体をしっかりとコントロールして、そういう状況から脱却できる。そうした方向に向けて全力を挙げているということを国民の皆様に申し上げたいと思います。

(内閣広報官)
 では、五十嵐さん、どうぞ。

(記者)
 読売新聞の五十嵐です。
 総理がおっしゃったように、今、地震、津波に続いて、原発事故、更には停電。そして、何より被災者支援。一つひとつ取っても大変な危機が連鎖しています。そうした中で国民は、今の政府の対応で十分なのかということについて不安を持っている方も多いと思います。

 総理は、具体的に今の態勢で十分だと思われているのか。今日、岡田幹事長が大臣を3人増やすべきだという発言をしていましたけれども、態勢を強化する具体策をお持ちなのかどうかお聞かせください。

(菅総理)
 地震発生直後から政府として即座に行動を起こし、全力を挙げてこの問題の解決、危機を乗り越えることに全力を挙げているところであります。その上で、更に体制を強化する上で、現在、与野党間で内閣を強化するための方法についても話し合いをいただいている。そうした努力も含めて、更に力を、対応力を高めて、この危機に対応してまいりたいと思っております。

(内閣広報官)
 それでは、最後の質問とさせていただきます。田中さん、どうぞ。

(記者)
 毎日新聞の田中です。

 被災地の再建について伺います。総理は先ほどのメッセージで、安心して生活できる環境を全力で準備したい、新しい場所に移っていただくということをおっしゃっていましたけれども、今の被災地というのは町の建物が根こそぎさらわれるような被害を受けているわけで、インフラの再建も含めて時間が大変かかると思いますが、その間、今、避難所で過ごされている方たちにどういうふうに過ごしていただくか、政府として検討中のことをお示しいただければと思います。

(菅総理)
 避難生活が長期間にわたることに備えて、いろいろな申し出もあり、いろいろな対応を準備いたしております。特に全国各地から自治体や、あるいはいろいろな団体、個人からも、そうした被災者を受け入れてもいいという申し出もいただき、また、こちらからもお願いを申し上げております。できるだけ厳しい避難生活が余りにも長期にわたらないように、そういった全国各地の皆様に、そうした被災者を受け入れていただけるよう、政府としても全力を挙げて努めていきたい。こう考えております。

 僅かに沈痛な面持ちの落ち着いた力強い声でメッセージを発していたが、聞こえのいい言葉を並べただけの、内容自体は相も変わらず力強いメッセージから程遠い仕上げとなっていた。生まれつきの声そのものが力強い響きを備えているから、単に力強そうに聞こえるに過ぎない。声質で得点を稼いでいる政治家といったところだろう。

 聞こえのいい言葉と響きのいい美声で市民の味方だとするポーズを獲得、市民派の経歴を誉れとしたに違いない。

 3月12日の最初の国民向けメッセージも、「地震が発生して1日半が経過をいたしました。被災をされた皆さんに心からお見舞いを申し上げます」と言い、翌13日のメッセージも「地震発生から3日目の夜を迎えました。被災された皆さん方に心からのお見舞いを申し上げます」と言って、今回も「地震発生から本日で1週間が経過をいたしました。亡くなられた皆さん、そして御家族の皆さんに心からのお悔やみを申し上げます。また、被災され家族が行方不明である皆さんに対しても、本当に御心配のことと心からのお見舞いを申し上げます」と、「心からのお見舞いを申し上げます」を繰返している。

 被災者の精神的・肉体的疲労が日が重なるにつれ蓄積し、生活上の困窮・不便、そして現在の不安、将来に向けた不安、あるいは健康不安等がなかなか解消されない状況に置かれていることに関係なしに「心からのお見舞いを申し上げます」をバカの一つ覚えのように繰返している。

 被災者以外にとってはそれでも構わないかもしれないが、被災当事者にしたら、特に被災者向けのメッセージでありながら、殆んど解決されない中で同じ言葉を聞かされて虚しく感じない者がいるだろうか。中には腹を立てる被災者も存在するかもしれない。菅首相はそんなことには想像も及ばないだろう。及ばないから繰返すことができる。

 13日の夜8時前の最初の国民向けメッセージを基に書いたブログ、菅首相の被災者の実態とかけ離れた国民向けメッセージ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之で、「心からのお見舞いを申し上げます」の言葉について次のように書いた。

 〈生活必需品不足から空腹や寒さに耐えている被災者にとっては言葉のお見舞いよりも現に困窮している水・食料・医薬品・暖房資材等の現物のお見舞いを願いたいと多くの被災者は確実に思ったに違いない。〉

 被災者に直接届く支援が捗らないことと、捗らないことが与えている被災者の募る不安を他処に「心からのお見舞い」の言葉で済ませることができるのは被災者の心情を実感するだけの想像力を持ち合わせていないからだろう。

 持っていたなら、その想像力は効果的な支援策の構築に力を与えてくれたはずだ。不足している物資を如何に届けるかの一点に集中して効果的なアイデアを生み出したろう。

 勿論孤立している被災者の救命に考えを集中した場合も効果的な方策を導き出してくれるはずだ。

 だが、地震発生から1週間経過しても、被災現地の生活不足を他処に「心からのお見舞いを申し上げます」を繰返すこととなった。

 ここで既に国民向けメッセージは内容空疎を正体としていることを暴露している。

 このことは次ぎの発言にも現れている。「避難所で生活をされている皆さんは、寒い中、また食糧や水が不十分な中、またトイレの不便さの中、本当に御苦労をされていることと心からお見舞いを申し上げます」と被災者に強いている不便な現況に言及しているが、政治はあくまでも諸々の充足を目的とし、そのことに政治の責任を置くべきだが、現実には遅々として捗らない現状への言及で政治の責任に代えている。

 但し、政治の責任は約束はしている。「政府としては、そうした皆さんに対して食糧や毛布などを支給するだけではなくて、今後安心して生活できる環境を現在、全力を挙げて準備をいたしているところであります」――

 「今後安心して生活できる環境」は確かに今後の準備、今後の政治の責任だから約束の必要は生じるが、「食糧や毛布などを支給する」は地震発生から1週間も経過しているのだから、既に約束の段階は過ぎていて、実行の段階にあり、相当に進んでいていい充足過程にあるはずだが、現実は捗らない状況にあるのはやはり政治の責任を果たしていないことを示している。

 それを無視して、「今後安心して生活できる環境」と同様、「食糧や毛布などを支給する」にしても今後の準備、今後の政治の責任の内に入れている。これは誤魔化し以外の何ものでもない。

 支援が遅れることによって被災者に与える心情は生活や将来の不安の増殖だけではなく、特に政治に対する不信であろう。

 大体が菅首相は支持率を20%前後まで失う、国民から見た不信の状況にあった。その不信をベースとしていただろうから、被災者に限って言うと、支援遅れはなおさらの不信を募らせる契機となったに違いない。

 国民から支持を失い、信頼されていない菅首相にあって、「この地震や津波によって、くじけていくわけには、絶対にあってはならないことです。もう一度、日本を改めて創るんだ、そういう覚悟でこの危機に一緒に立ち向かっていこう」と呼びかけたとしても、困窮のさ中にあっても政治の責任を満足に果たすことができていない現状を目の当たりにして深めているに違いない政治不信をベースに耳に聞くことになるのだから、保証つきで力強いメッセージ足り得るはずはないと言える。

 政治への信頼がなければ、国民は内向きになる。国への反発によって国よりも自己中心に逃げ込むことになるだろう。政治が仕向ける自己中心化と言っても許されるはずである。

 「危機に一緒に立ち向かってい」く仲間に「私もその一人として」と位置づけているが、政治の責任を果たし得ていないままに「自分たちがやれることは、自分たちができることは何なのか」と国民への要求に重点を置いた物言いとなっているところにも政治の責任に対する意識を欠いている姿しか浮かび上がってこない。

 言うとするなら、“自分たち政治が成すべきことは何なのかを的確に判断し、自分たち政治がやれることを最大限実現していくことは勿論だが”と政治の責任を最初に持ってくるべきを、少なくともその姿勢でいるべきを、逆に国民への要求が先となっている。

 尤も“自分たち政治がやれることを最大限実現していく”とは口が裂けても言えないだろう。実現の政治責任を果たしていないことは現実が証明していることであり、テレビが日々事実として報道しているから、誤魔化しようがないからだ。

 メッセージは最後に、「日本の危機を乗り越え、再建に向かって歩み出していただきたいし、私もその一人として、全力を挙げていくことを改めて重ねて申し上げて、私からの震災発生1週間目における国民の皆様へのお訴えとさせていただきます」と締め括っているが、現実に政治の責任を満足に果たし得ていないのだから、カラ約束となることが大方予測されながら政治の責任を請合う倒錯を見せている。

 菅首相は元々「政治は結果責任」意識を欠いていた。「仮免許」発言にも現れていた。「自分はサラリーマンの息子だ」発言にも現れていたし、参院選大敗のキッカケとなった消費税発言にも現れていたし、朝鮮半島有事の際の韓国を通って北朝鮮に渡り拉致被害者を救出するとする発言にも現れていた「政治は結果責任」意識の欠如であった。

 その意識の欠如が菅首相自身の言葉を軽くしている。意識の欠如から始まっている言葉の軽さだろう。

 質疑応答に入って、記者から「国民は、今の政府の対応で十分なのかということについて不安を持っている」と政治の責任不足を指摘されたとき、本来なら断固と否定、政治の責任を果たしていることを具体的に説明すべきを、「地震発生直後から政府として即座に行動を起こし、全力を挙げてこの問題の解決、危機を乗り越えることに全力を挙げているところであります」とヌケヌケとしたことを言ってさも政治の責任を果しているかのように誤魔化している。

 「政府として即座に行動を起こし」ていたという言葉が事実であるなら、そのような政治の責任を果していながらのこの始末という逆説は説明がつかないことになる

 「何としてもこの危機を乗り越えていくんだという強い決意」を政治の責任として形にできていないのは他ならない菅首相自身である。

 勿論、リーダーシップを著しく欠いているから、こういうことになる。やることなすことがチグハグなことばかりではないか。こういった首相が任期の間に大災害に見舞われた国民は不運にも二重の悲劇に見舞われたことになる。

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