米国務省メア日本部長(前駐沖縄総領事)が沖縄県民を「ごまかしとゆすりの名人」などと発言したと報じられたことに関する枝野官房長官の発言を伝える二つの記事を見て、前日の当ブログ記事――、《枝野の相変わらず詭弁なアメリカにのみ目を向け、沖縄には向けないメア沖縄差別発言反応 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取上げた枝野発言になかった発言に気づいた。
一つは《ゆすり発言「事実なら容認し難い」…官房長官》(YOMIURI ONLINE/2011年3月8日17時24分)
昨3月8日(2011年)午前の参院予算委員会で安井美沙子民主党議員の質問に答えたもの。
枝野官房長官「報道が仮に事実とすれば、沖縄県民のみならず、日本国民の感情を傷つけるもので容認し難い」
今後の対応について。
枝野官房長官「米国内でも対応を検討していると聞いている。近く米国側から説明があると理解している」
もう一つは《事実なら不適切=米部長発言、ルース大使に伝達-官房長官》(時事ドットコム/2011/03/08-16:44)
8日午後、ルース駐日米大使に電話で伝えた発言だそうだ。
枝野官房長官「万一報道が事実なら、オフレコかどうかにかかわらず、極めて不適切だ。日本人の心情を傷つけるもので容認し難い」
ルース大使「報道で沖縄県民の心情を深く傷つける深刻な事態になったことは、極めて遺憾だ」
報道内容に関して――
ルース大使「米政府の公の立場を反映したものではない」
両者共、発言の事実性を問題とするのではなく、報道の事実性にとどめる意志を働かせているが、二つの記事を読んだ限りでは一見すると、沖縄県民と日本国民の側に立った憤りの感情吐露に見える。
だが、実質的には報道が「沖縄県民の心情を深く傷つける深刻な事態」をもたらしたわけではない。報道が伝えている発言自体がもたらしたのだから、発言が事実であったかどうかの事実性を問題とすべきを、報道を原因と結果の因果性とする矮小化を行おうとしている。
例え発言の事実性ではなく、報道の事実性からの反応のみを問題とする態度であったとしても、昨日のブログに書いたが、枝野官房長官の3月7日(2011年)午前の記者会見での我関せずの態度との桁違いの豹変は心理学者でなくても、詭弁家に対する心理分析の興味深い研究対象となる。
昨日のブログに取上げた枝野官房長官の発言。
枝野官房長官「実際にどう発言したか承知していないのでコメントは控えたい。日米間ではさまざまな問題で日ごろから不断の協議、連携を図っていて相互理解を深めている。報道のみをもって一つ一つの発言を確認する必要はない」>(琉球新報/2011年3月7日)
発言の事実関係を問題とせず、報道のみの問題にとどめようとする態度に前後変わりはないが、以上の発言からは次ぎの日に突如報道されることになった「沖縄県民のみならず、日本国民の感情を傷つけるもの」といった不快感、もしくは批判を成り立たせる沖縄県民、さらに日本国民の側に立った代弁意識を窺うことはできない。
実際に枝野官房長官が3月7日午前の官房長官記者会見でどういう発言をしたか、そして安井美沙子民主党議員が3月8日午前の参議院予算委でどう質問し、枝野官房長官がどう答弁したか、それぞれの動画を当たってみた。
先ず3月7日午前と午後の「平成23年3月7日(月)午前-内閣官房長官記者会見」
質問記者の声がマイクを使わずに直接官房長官に話しかけているためか、時折単語単位で聞き取れるが、文章として聞き取ることができない。
枝野官房長官「あの、メア日本部長の発言についての報道は、あの、承知しております。また同時にその報道の中では、あー、メア部長の、話としてですね、えー、『二次的な情報を基に、私の発言を特定するのは不適切だ。あー、発言録は正確でも完全でもない』と、いうふうにおっしゃっている、という報道も同時に承知をいたしております。
あの、従いまして政府としては実際どのような発言をなされた、のか承知を、しておりませんので、あの、コメントを差し控えたいと、いうふうに思っております。
いずれにしても、(いつも言っていることの繰返しだからなのか、単に伝えるといった義務的な様子で時折顔を上げるだけで、原稿を抑揚もなくやや早口に読み上げていくために、聞き取れない箇所がある。)あの、政府としては、あー、普天間の飛行場移設問題でについて、えー、一刻も早く、(聞き取れない)のため、昨年5月の日米合意を踏まえて取り組むと共に、えー、沖縄に集中した米軍敷設(ふせつ)地域にある区域負担軽減について全力を挙げて取り組むという方針に変わりはありません。
えー、(「危険」?――聞き取れない)一刻も早い除去に向け、誠心誠意説明をして理解を求めながら取り組んでまいりたいと思っております」
記者からの質問。「琉球新報」が伝えていた箇所に当たるが、一つ二つの単語以外聞き取れない。
枝野官房長官「あのー、日米間では、あの、まあ、あー、様々な問題について、えー、日頃から不断の、協議・連携を図って、おりまして、相互理解を深めていると、いうふうに認識をいたしております。えー、報道、された、ことのみを以ってですね、えー、一つ一つの発言について確認する必要はないと思っております」(以上)
枝野長官は「メア日本部長の発言についての報道は、あの、承知しております」としているが、その発言の「許し難い」とか「許せる」といった許容性については具体的に言及せずに、「二次的な情報を基に、私の発言を特定するのは不適切だ。あー、発言録は正確でも完全でもない」と報道が伝えているメア自身の正当性を訴える発言のみを具体的に取上げることで、メア自身の訴えの正当性をより強く印象づけようとする作為を行っている。
全体的趣旨は日米は深く相互理解し合っているから、報道だけのことで事実確認を問い合わせることはしないとなっている。ここには日米間に関する相互理解は絶対だとする性善説が存在し、そのことのみを信じ、一部の齟齬に関しては無視する態度を基本構造とさせている。
だが、このことは同時にメア発言が事実だとすると、メア発言に関しても日米間の相互理解は絶対だとする性善説を優先させて、その発言の不当性を無視して擁護し、その発言から受ける沖縄県民の感情やプライドを蔑ろにすることになるのだから、沖縄及び沖縄県民を差別する枝野官房長官の態度となる。
やはり発言が事実であった場合、報道の中だけの問題にとどめる意思を働かせていることに反して、メアの沖縄差別に加えて枝野官房長官も沖縄を差別する共犯を犯し、沖縄と沖縄県民に対して二重の差別を与えることになる。
次に午後の官房長記者会見。今度は記者の質問の声が聞き取れる。枝野官房長官の発言趣旨は午前と同じだが、一つだけ詭弁家躍如の誤魔化し発言を行っている。
女性記者「午前中の会見でも質問が出たと言うことですが、あの、アメリカのメア日本部長が普天間問題について、『ゆすりの名人』だと発言したことについてですけども、まあ、官房長官は一つ一つの発言について、確認する必要はないと、午前中の会見でおっしゃっていますが、沖縄では県議会が抗議決意をするなど反発の動きが凄く強くなっているのですけども、あの、政府が確認しない発言であっても、沖縄側からは色々と抗議の声が上がってくると思うのですが、それでも確認しないのか。
メア発言がより普天間の問題を解決を難しくするのではないかと思うのですけれども、メアさんの発言が与える影響についてどのようにお考えですか」
枝野官房長官「ま、報道は承知しておりますので、当然、報道だけご覧になれば、あー、特に沖縄のみなさんがお怒りになるのはある意味当然のことだというふうには思います。
あの、ただ、まさに、イー、報道でありますし、その報道の中にご本人が、ある意味否定もされている発言も出ておられるわけでもあります。
あのー、おー、日米間、に於いてですね、あのー、沖縄の問題に限らず、あの、相互の、あのー、何て言うか、考え方の共有というのは、従来積み重ねてきております。ただ、あの、アメリカ政府に於いてもですね、このー、おー、日米関係、ことに沖縄のみなさんの、おー、心情とかをですね、えー、色々と、あの、しっかりと認識をしておられると、いうふうに思っております。
まあ、あの、事実と異なると、おー、おー、思われる報道に対して、どういうふうに対応するのかというのは、あのときどき私も、そういった対応を迫られることがあるわけですけども、ま、日米関係とか、あの、沖縄の心情とかということも、アメリカ政府も十分承知をしているわけでございますので、あのー、おー、アメリカ、政府に於いて、必要があれば、適切に対応されるというふうに思っております」
時事通信男性記者「関連質問ですが、アメリカからメアさんの発言について日本に何か説明と言うのはあったのでしょうか」
枝野官房長官「現時点ではございません」
時事通信男性記者「報道内容だけを見るとですね、非常に侮蔑的な内容であって、先程官房長官がおっしゃったように怒りは当然だと思うんですけども、それでもやっぱり長官は現時点でも確認する考えはないということでしょうか」
枝野官房長官「あのー、一つ一つの報道――(フッと笑う)にですね、あのー、すべて、例えば、世界中でですね、諸外国で報道されれている報道を、すべて日本政府として、あの、把握できるわけではありません。
あのー、そのー、一つ一つについてですね、あのー、ここでこういう報道があった、という、その報道だけでですね、あのー、特に日米間では、この間(かん)、前政権、自民党政権以来の、長年の積み重ねのある、関係に於いてですね、報道でこう書いてあるけど、どうなんだっていう、…のは、これまた、ある意味では、あー、問題ではないかというふうに、私は思います。
ただ、現に報道されてですね、沖縄のみなさんの心情や、いや沖縄に限らず、日本人の心情が害されているのも、これは間違いない、わけであります。そのことについても、あの、アメリカの政府に於いてもですね、あ、十分にそれを、どうしたらいいのかと、いうことは、独自に、しっかりと考えていただく。また、そういった関係だと、思っております」
国会同意人事についての応答を挟んで最初の女性記者が再び同じ質問。
女性記者「先程、事実と異なると思われる報道に対してどのように対応していくのか、私自身も日々考えているという、ふうな発言がございましたが、その事実と異なるというふうに思われる報道と認識している根拠は?」
枝野官房長官「私は別にそう認識していません。あの、少なくとも報道を見る限りでは、あのー、そういうご認識されてるのだろうな、というふうに思いますが、いずれにしても、報道しか現時点ではありませんので、ただ、あのー、おー…、事実でないと思われているんだろうなあと、言うことを、想像して申し上げた、のであって、あのー、当該記事が、あー、事実であるのか、事実でないのかということ自体、コメントする立場ではない、思っています」(以上)
「事実と異なると、おー、おー、思われる報道」とはメア自身が「二次的な情報を基に、私の発言を特定するのは不適切だ。発言録は正確でも完全でもない」と正当性を訴えている報道のことを言っているのであって、その発言を日米間の相互理解を絶対だとする性善説に立って優先させ、そのことのみを肯定的な事実と把えているから、「不適切だ。発言録は正確でも完全でもない」と「そういうご認識されてるのだろうな」という発想を可能とさせ、逆に「ごまかしとゆすりの名人」等々の発言を伝える記事は報道で言っていることだ、新聞が言っていることに過ぎないと貶め、否定する詭弁を働かせることになっている。
貶め、否定意識を働かせているから、「報道だけご覧になれば、あー、特に沖縄のみなさんがお怒りになるのはある意味当然のことだというふうには思います」と、発言は報道だけのことで、報道が与える怒りだと限定することができる。
この日本の報道は事実ではない、メアが自らの発言を否定する報道のみは事実とする構造を成り立たせるためには発言の事実確認は忌避しなければならない。その意志の表れが「報道のみをもって一つ一つの発言を確認する必要はない」であり、事実確認しなければならない発言というものが存在するにも関わらず、それを無視して、「世界中でですね、諸外国で報道されれている報道を、すべて日本政府として、あの、把握できるわけではありません」の相対化の詭弁となって姿を現している。
次に8日午前の参院予算委での安井美沙子民主党議員と枝野官房長官の質疑応答を見てみる。
安井議員「先日の、あのアメリカ国務省、メア日本部長の沖縄に対する発言、これについて政府は今後、どういう対応をされるつもりか、見解を伺います。よろしくお願いします」
枝野官房長官「えー、メア日本部長の発言の報道については承知をいたしておりますが、実際にどのような発言がなされたかということは、あの、明らかになっておりません。
エ、ただ、在京米国、大使館によれば、えー…次のような、あー、声明が出されております。えー、『私たちは、ある米国政府関係者が日本及び沖縄に対し、議論を呼ぶような発言をしたとする最近の報道について承知しているが、これは米国政府の見解を全く反映していない。米国政府は沖縄とその人々に対し非常に深い敬意を持っている。米国と沖縄は深く長く幅広い関係を享受している』
こういった声明が、出されているところであります。ま、元より、イー、本件についての報道が仮に事実であるとすれば、これはもう、沖縄県民、のみならず、日本国民の感情を傷つけるものとして、容認し難い、構造(?――よく聞き取れない)でございます。
えー、また、こうしたことが報道されていること自体がですね、大変遺憾なことだというふうに、思って、おります。
現在、米国内でもですね、対応について検討しているというふうにお聞きをいたしております。近く、米国側から、その対応ぶりについて説明があるものと、おー、理解をいたしておりまして、その折には、今申し上げたような、あの、姿勢で、お話を伺わせていただきたいと、いうふうに思っているところでございます」
安井議員「ありがとうございました――」(以上)
ここでも枝野官房長官は「実際にどのような発言がなされたかということは、あの、明らかになっておりません」と報道が伝えている発言を間接的に否定しているばかりか、「こうしたことが報道されていること自体がですね、大変遺憾なことだ」とメア発言を問題視するのではなく、報道自体を遺憾なことだと問題視する情報隠蔽意志を働かせている。
事実確認をする意志を働かせもせずに、実際の発言は不明であるとしているのだから、誤魔化しそのもの、詭弁そのものの態度と言わざるを得ない。
だが、否定だけで済ますわけにはいかないから、バランス上、「沖縄県民、のみならず、日本国民の感情を傷つけるものとして、容認し難い」と批判しているが、あくまでも「本件についての報道が仮に事実であるとすれば」の仮定に立った条件付きの曖昧さを持たせることは忘れていない。
そして8日午後になってルース米大使に電話でしているが、同じく事実確認する姿勢がないままに同じ繰返しとなる条件付きで日本政府の態度を伝えたのみで終わっている。
「万一報道が事実なら、オフレコかどうかにかかわらず、極めて不適切だ。日本人の心情を傷つけるもので容認し難い」――
メアの肩を持ち、日米間の相互理解は絶対だとする性善説を守る必要上、そこに事実確認を存在させないから、「万一報道が事実なら」は「事実でないなら」を常に同時併行させることになる。
問題は安井美沙子議員が3月7日午前の官房長官記者会見で枝野官房長官が日米間に関する相互理解は絶対だとする性善説に立ち、「報道、された、ことのみを以ってですね、えー、一つ一つの発言について確認する必要はないと思っております」と報道のみの問題で終わらせ、事実確認を行わないことによって沖縄と沖縄県民に対する感情を無視する、いわば沖縄を差別する発言となったことを取上げなかったことである。
安井議員が同じ民主党の、枝野官房長官が所属する前原グループに所属している関係から、差別発言の軌道修正を図って軟着陸させる目的で取上げないままに今後の対応のみを質問したのかと思った。
調べたところ、別に前原グループに所属しているわけではないらしい。《安井美沙子オフィシャルサイト》によると、昨年の参議院選挙で初立候補、初当選の1回生である。1965年生れの45歳。
本人は昨年の参院選の際、民主党の公募に応募し、当時の小沢幹事長によって愛知選挙区の候補として公認され、選挙期間中も大変世話になったからといって、「小沢チルドレン」、「小沢ガールズ」と一括りされるのを忌避し、世界を狭めるようなことはしたくないと言っている。
「私は小沢一郎氏を政治家として心から尊敬しています。百年に一度の傑出した政治家だと思います。同時代に政治家でいられることを大変幸いだと感じています。小沢氏の政策には一貫した世界観があるし、歴史観があるし、スケールの大きさを感じます。政治家に最も求められる実行力があります。信じる哲学を実現していく力があります。戦略を構築し、人の繋がりを駆使して実現させることは、政治家の存在意義そのものです。その能力を国難の今、日本再生のために使って頂きたいと思います」
とすると、枝野を含めた政府側と図ってアメリカのみに目を向けて沖縄に目を向けない、メア共々の一種の沖縄差別態度の軌道修正を図って世論や新聞からの批判を避ける目的からの馴れ合いの質問ではなく、本人自身が官房長官の7日午前の記者会見での発言を知らなかったか、知っていても、何ら問題だと思わなかったかいずれかになる。
どちらであっても、枝野官房長官は「報道が仮に事実であるとすれば」の誤魔化しのもと、「沖縄県民、のみならず、日本国民の感情を傷つけるものとして、容認し難い」と沖縄県民、あるいは日本国民の側に立ってみせる演技を詭弁家にふさわしく見事遣り遂げることができたが、日米相互理解を絶対とする性善説に従うために内側に抱えていた沖縄差別態度をメア擁護によって図らずも暴露することになったのである。
尤も今日の参議院の予算委でどのような追及を受けているか、NHKの国会中継放送がないから、そこまでは分からない。枝野の詭弁と誤魔化し、メアの沖縄差別と共に二重となる枝野の沖縄差別をこのまま追及しないで終わらせることは沖縄と沖縄県民に不実を働くことになる。
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