菅首相が3月11日午後2時46分発生の東日本大震災の翌12日午前6時過ぎ、自衛隊のヘリコプターに搭乗、福島第一原子力発電所を視察したが、そのことが東電側の事故に対する初動対応を遅らせたのではないかのと批判が持ち上がっている。昨3月28日午後参院予算委で自民党の佐藤ゆかり議員がこの件に関して追及した。
だが、残念ながら菅首相も他の主だった閣僚も出席していなかった。菅首相からしたら幸運にも難を逃れることができたということだったかもしれないが、出席した途端に同じ追及を受ける運命であることに変わりはないから、一時的な難逃れに過ぎないが、他の閣僚の熱意もない事務的な答弁と噛み合わない結果で終わった。
但し原子力安全委員会委員長の答弁の中に菅首相の発言に関して後世に残る新しい発見があった。
参院予算委員会の質疑答弁のその箇所のみを抜いて文字化してみた。
3月28日(2011年)午後参院予算委。
佐藤ゆかり「今回総理が被災した福島原発をですね、えー、ヘリで視察をされた。早速視察をされたわけでして、保安員も同行されたわけですが、そのことによってですね、この原発事故が勃発した衝動が遅れたという指摘も一部に出ているわけであります。
ま、ヘリで総理が来られますと、色々、おー、その危険な放射性物質を含む、蒸気を発散させる、ま、いわゆるベント、という作業も初動として立ち遅れた、言うようような意見も現場から上がっているようでありますが、まあ、その一方でですね、東電側も、えー、総理が、当初は10キロ圏内すぐに退避だと。
えー、あるいは、あー、このー、おー、真水では足りないだろうから、海水まで入れて放水するんだということを、直後にご発言されたというような観測もあるわけでございます。
一方で、そういう総理の、おー、ご意向に対しては、伝わった東電側は、いや、海水を入れられては、もう炉心が使えなくなってしまう、それは困ると、いうことで、激しく抵抗をしたということも観測として伝えられている通りであります。
まあ、いわばこの東電側の激しい抵抗、を、実は経産副大臣、それはご存知でございましたでしょうか。そして保安院の同行者の方、あー、総理がヘリで視察に行かれて、現場で困惑したと、ご存知であったか、それぞれお伺いしたいと思います」
池田経産副大臣「えー、先ず、事故発生、エ、翌日、早朝、総理が、エ、自衛隊のヘリで現地に行きました。あー、同行者は保安院ではなくて、安全委員会の委員長お一人と、あとは官邸の関係者と。
えー、そして初動態勢の色々な問題でございますが、これは、あー、あー、事後に予断を持たずに、決定的な検証を行う必要があると思いますが、そこでリビューをされると、私は理解しております。
えー、ベントの時期も、おー、最初の段階で、えー、早くやらなければならないということでは、関係者の見解は一致していたと、私は、あー、思います。また、あー、放水等、に、つきましても、おー、東電の、要請などもありまして、初期の段階から、手を尽くしていたことも、事実で、えーあります。
海水注入について抵抗したとか、何か、そういう、えー、話が巷では、あー、出ておりますが、あー、私の知る限り、そういうことは承知を、しておりません」
佐藤ゆかり「同行された、総理のヘリに同行された、あー、原子力安全委員会の方にご答弁願います」
斑目原子力安全委員会委員長「原子力安全委員会委員長の斑目でございます。えー、えー、エ、この事故が起こった直後に、安全委員会としては、えー、この問題を収束させるのは、えー、エ、いずれにしろ水を、注入すること。そして、えー、えー、発生する蒸気をベントするしかない、ということは即座に判断をしてございまして、えー、そのことについては、えー、総理ではなくて、確かあんときは、海江田大臣だったと思いますが、にお伝えしてございます。
で、このことは、まあ、私がお伝えをする前から、海江田大臣の方が承知で、えー、既に東京電力の方に対して、えー、指示済みであったというふうに思っております。
で、その後、えー、どういうわけか、あのー、私のところにさっぱり上がっこないんでございますが、えー、なかなかベントが上がっ、されていない、という、うー、うー、う、ことは確かな事実、でございます。
それからもう一つ、総理と同行して、えー、ま、あの、そこは、あの、えー、総理が、『原子力について少し勉強したい』ということで私が同行したわけでございます。
現地に於いてですね、あの、何か混乱があったというふうには私は承知をいたしておりません」
佐藤ゆかり「まあ、あの、勉強している暇ではないんですねぇ。本当に地元の危機、緊急対応の初動がこれによって遅れたと、するならば、エ、本当にこれは人災とも言わざるを得ない、わけでありますね。
えー、私は今、申し上げたいことはですね、要は、このある意味では東電任せにすっかりしていた初動の遅れ。そして政府は政府はですね、訳の分からない複雑怪奇に様々な、この緊急危機、えー、対応ぶ、部署が出来上がっていると。
まあ、あのいくつかたくさんあって、私は訳、分からないんですが、あー、まず、その総理本部長を務める東日本大地震緊急災害対策本部。えー、それから原子力対策本部、これがあります。
それから、えかな、えかな、枝野官房長官がー、本部長を務める、電力需給、えー、対策本部、がある。そして原発対応についてですはね、さらに原子力対策本部と併設して、福島原子力事故対策統合本部。そしてさらに現地にはですね、原子力災害対、現地対策本部。それにこの、原子力安全保安院が本人がさらに関わっていて、それぞれに対してさらに、えー、原子力安全委員会という存在があるんですね。
一体誰が何をコントロール、いつ、どのようにしているのか、まーったく見えてこないんです。エ、それが国民の不安、の大きな要因ではないかというふうに思うわけでありますが、あ、それで、この司令塔が不在。
えー、一元化できない司令塔が不在であると言うことに今回の危機対応の態勢的な、あー、問題というものを認識されないでしょうか。全体の担当、総理に聞きたいんですが、今日は来られないんで、全体の担当を、内閣全体でお答えいただければと」
東祥三内閣府副大臣「佐藤さんの、あの、ご質問にお答えしたいと思いますが、限られた範囲の答弁になるかもしれませんが、あのー、おー、基本的にはご指摘のとおり、あのー、自然現象を、起因とする災害。そしてまた自然現象ではない、いわゆる事故、災害、というものが、えー、災害対策基本法の中に織り込められていると。
で、それに基づいて、その長が、総理大臣で、ありますから、一方に於いて、今ご指摘のとおり、その緊急対策、本部、その本部長は総理であり、そしてその一方に於いて、今度原子力、発電所の、事故の問題でありますから、原子力対策本部。その長が総理大臣であって、その仕組みの中で動いていると、いうふうに理解して。おります」
佐藤ゆかり「まあ、あのー、現場から上がっている報道ニュースからするとですね、今、ご答弁いただいたような態勢の元で一元化されて、なされていると、とっても印象として、持ちません――」 |
地震発生から福島原発事故の推移、政府対応の推移について3月28日東京新聞のWEB記事が詳しく取上げているから時系列で示してみる。
《保安院 炉心溶融 震災当日に予測》(東京新聞/2011年3月28日 朝刊)
3月11日午後2時46分 地震発生
11日午後9時23分 (記事には書いていないが、政府は3キロ以内は避難指示、3キロから10キロは屋内退避の指示を出している。)
11日午後10時 経済産業省原子力安全・保安院「福島第一(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。
(炉内への注水機能停止で50分後に「炉心露出」が起き、12日午前零時50分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るとの予測を示し、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行うとの方針を決定。)
保安院当局者「最悪の事態を予測した策定」
11日日午後10十時半 菅首相に評価結果を説明
12日未明 放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出。
原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針を決定。
(このヨウ素検出は溶融の前段である「炉心損傷」を示す危険な兆候で、政府内専門家の間では危機感が高まり、応急措置の即時実施が迫られる緊迫を要した局面だったという。)
12日早朝 菅首相、原子力安全委員会班目(まだらめ)春樹委員長と予定通り福島第一原発を視察。
12日午前1時前 1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。
12日午前4時頃 1号機の中央制御室で毎時150マイクロシーベルトのガンマ線検出。電幹部と班目氏らは1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認、保安院にベント実施を相談。
12日午前5時44分 菅首相、原発の半径10キロ圏内からの退避を指示。
12日午前5時頃 原発正門付近でヨウ素を検出。
事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らが協議し、1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認。
12日午前7時11分 菅首相、福島原発入り。
12日午前8時4分 菅首相、視察終了。
12日午前8時30分 東電、ベント実施を政府に通報。
12日午前9時4分 東電、ベント着手
12日午後2時30分 ベント排出開始。
(排出には二つの弁を開く必要があるが、備え付けの空気圧縮ボンベの不調で一つが開かなかった上、代替用の空気圧縮機の調達に約四時間を費やしたため。)
12日午後4時 東電幹部と班目氏らは保安院に実施を相談。
記事は次のとおり解説している。〈政府与党内からは、溶融の兆候が表れた非常時の視察敢行で、応急措置の実施を含めた政策決定に遅れが生じたとの見方も出ている。初動判断のミスで事態深刻化を招いた可能性があり、首相と班目氏の責任が問われそうだ。〉
与党関係者「首相の視察でベント実施の手続きが遅れた」
これは菅首相批判派の声に違いない。支持派がこのように言うはずはないからだ。
政府当局者「ベントで現場の首相を被ばくさせられない」
この判断が現場作業にも影響が出たとの見方を示したと書いている。
斑目原子力安全委員会委員長(共同通信に対する書面回答)「現在、事態の収束に全力を傾注している。一方、社会への説明責任を果たすことの重要性も重々認識している。今般の質問には答える立場にないものも含まれているが、プラントの状況は時々刻々と変化し、対応に当たっては予断を許さない状況にあり、正確な見解を申し述べることが必要と考えているものの、十分に吟味し、責任を持った回答を作成できる状況にない。今後、状況が一応の安定を取り戻した状態となり、対応が可能となった段階で対応を行う。ご理解のほどよろしくお願いします」
東京電力広報担当者「(応急措置であるベントの実施に時間がかかったのは)福島第一原発の現場の放射線量が高かったから(ベント実施を)入念に検討したためだ。ケーブルの仮設など準備作業に時間を要した。(ベントのタイミングと)首相の来訪は関係がない」――
池田経産副大臣も斑目委員長も事故解決後に検証を行う姿勢を一応は見せている
菅首相自身は国会で同追及を受けようとも否定するのは目に見えている。首相シンパの枝野詭弁家官房長官も菅首相擁護の立場から28日午後の記者会見で否定している。
無能な首相を擁護することは国民に対する冒涜であるが、自己保身上、そんなことは構わない。
《枝野官房長官の会見全文〈28日午後4時〉》(東京新聞/asahi.com/2011年3月28日19時42分)
【首相の原発視察】
――保安院から「燃料棒が露出する」との危険な予測を聞きながら、首相が現地を視察した判断は正しかったか。
これは地震発生の夜だが、原子力発電所の冷却機能がうまくいかなくなった、こういった事故になったという情報が入って以降、東電からも、あるいは原子力安全・保安院を通じても情報は入ってはきたが、なかなか現地の状況がしっかりと入ってこない、現地の状況が把握を出来ない。今朝も言ったとおり、ベント等についても22時すぎ以降、いつどうやってベントを始めるのか等について、早く進めるべきではないかということを申し伝えてもなかなか答えが返ってこないという状況のなかにあって、まさにそうした現場の状況が東京で十分に把握ができないという状況の中で現地の状況を認識をし、特に現地の対応に当たっている現場の責任者、担当者の皆さんとしっかりと直接コミュニケーションができるような状況をつくらないといけないという問題意識があったという風に、決めたのは総理だが、私はそういう認識で総理は行ったと認識している。
――危険が予測される中で官邸で危機管理を進める判断もあったのではないか。
これは原子力発電所の事故は一歩間違えれば、もちろん現状の事故の状況でも大変大きな広範な皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ない状況だと思っているが、一歩間違えれば本当に大変さらに大きな影響を及ぼしかねない問題であるという問題意識のもとで、しっかりと最終判断をする総理が現地の状況を把握出来ないという状況の中では、責任を持った対応が出来ないという問題意識があったと理解している。 |
枝野官房長官は、菅首相は東京にいては現場の状況が十分に把握できない。現場と直接コミュニケーションを取ることができる状況をつくるという問題意識から視察した、私はそういうふうに認識していると言っている。
さすが詭弁家である。現場と直接コミュニケーションを取るとしても、東電側から原子炉は現在こういう状況に立ちいっています、これからこういった対策を講じる方針ですと説明を受け、菅首相が早急に問題を解決し、収束させて貰いたいとの要望を示すぐらいのものだろう。
他に何があるのか。視察時間は50分だそうだが、長々と説明を受けたとしても、そのとき必要なことは東電上層部、もしくは経済産業省原子力安全・保安院の事故対応の的確な指示とその指示に従った実働部隊の的確な行動であって、菅首相がシャシャリ出ても直接的な事故対応の実働部隊に取って代わることができるわけではないし、実働部隊の指揮官に取って代わることもできないはずだ。
菅首相がすべきことは官邸に原子力事故とその対策の専門家を集めておいて、東電側から事前・事後、その途中過程の報告を受け、その報告に基づいて専門家と関係閣僚を交えて協議することであって、そこに視察という関与事項は必要ない事柄のはずだ。
協議の結果、東電側の報告に不足や懸念事項が存在するなら、その都度アドバイスを行うか、あるいは新たな対策として政府の力を用いずして必要措置を行い得ない場合は、政府が早急に手配を講じるといったことであろう。
自衛隊の出動、消防隊の出動等々である。
果して視察して直接コミュニケーションを取って、事後どれ程役に立ったというのだろう。視察後も官邸と東電の間だけではなく、東電内でも情報伝達の遅れ、情報共有の不履行があったはずだ。
実際に首相の視察が東電側の事故対応の初動遅れを招いたかどうかは今後の検証を待たなければならないが、何よりも問題なのは視察理由を本人は「原子力について少し勉強したい」としていたことである。
佐藤ゆかり議員は「まあ、あの、勉強している暇ではないんですねぇ」で片付けているが、また多くがこの発言を問題発言として取上げていると思うが、自分なりの解釈を施してみる。
菅首相はすべての問題に対する最終責任者なのは断るまでもない。原子炉事故対策、地震被災者支援対策、救命対策、復興対策は関連する部分はあっても、それぞれ別個の対策ではあるが、菅首相はすべての問題に対する最終責任者である以上、同時併行で関与・対応していかなければならない関係にあり、そうである以上、一つの対策に関わっているときでも、他のすべての対策を背負いつつ、それぞれの状況を念頭に置いた状態で全体のうちの一つとして行動し、思考しなければならないはずだ。
いわば福島原発に限った視察であっても、他の地震被災地の支援問題等を背中に背負い、念頭に置いた視察でなければならなかった。だからこそ、このような姿勢の具体化の一つとして、原発視察後、津波の被害を受けた地域を上空から視察したはずだ。
だが、原発視察のとき、「原子力について少し勉強したい」としたことは東電側が緊急に解決しなければならない問題として立ち向かっていた、一歩間違えると重大問題となるとしていたに違いない事故対応の緊迫した状況と余りにも懸け離れた気軽なニュアンスの姿勢となっている。
いわば福島原発の事故に視察という形で関わろうとしたときでも、原発問題すら、真剣に背中に背負った態度とはなっていなかった。
当然、避難所に逃れた被災者救援対策や津波に流された行方不明者の救命対策もみな等しく背中に背負い、真剣な姿勢でそれぞれを全体として念頭に置いた視察ではなかったことを暴露していると言える。
もしそういった真剣な姿勢であったなら、「原子力について少し勉強したい」等といった不見識となる言葉は決して口を突いて出ることはなかったろう。
軽い気持で視察に及んだということである。既に地震の凄さ、津波の凄(すさ)まじさ、被害の甚大さを報道が伝えている中で、多くの被災住民がパニック状態になっているであろうことも想像できずに、「原子力について少し勉強したい」という気持で視察に出かけたのである。もしかしたら原発事故に対して重大な懸念すら抱いていなかったのではないか。
同じ言い回しになるが、多くの被災住民がパニック状態になっているであろうという状況を想像し、その状況を背中に背負い、念頭に置いていたなら、同時に原発事故に対しても重大な懸念を抱いていたなら、やはり、「原子力について少し勉強したい」などという言葉は決して口を突いて出ることはなかっただろう。不見識と取られても仕方あるまい。
普通の常識を持った人間なら、「大丈夫だろうか。大変なことにならなければいいが」といった言葉が口から洩れるはずであり、緊張で顔を蒼ざめさせてもいたに違いない。
3月13日(2011年)の当ブログ記事――《菅首相は今回の地震をチャンスとして自身の情報発信力に利用しようとしている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈菅首相は今回の地震をチャンスとして自らの情報発信力の一つに利用しようとしていたのでは〉と書いたが、やはり同見ても、原発視察も、その後の被災地のヘリによる上空視察も、自己発信力宣伝のパフォーマンスとしか映らない。
菅首相は本質的には緊張感を持ち得ない政治家なのではないだろうか。だから、どのような重大状況にあっても、一時もすると、満面一杯の笑いを見せることができる。だから、首相官邸の出入りで、両手の拳を握り、胸を張って厳しい表情の顔を作り、軍人風にいかめしい歩き方を示さなければならない。
緊張感のなさを殊更隠さなければならないからだ。自然な歩き方で緊張感を見せることができない。
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