放射能汚染土壌・瓦礫最終処分場場所選定から見えてくる普天間基地移設のかつて見た光景と二重基準

2011-09-05 11:05:19 | Weblog

 細野環境相の放射能汚染瓦礫・土壌の中間貯蔵施設と最終処分場の場所選定に関する発言を9月4日付で伝えている二つの「NHK NEWS WEB」記事がある。

 《環境相“最終処分場 県外に”》NHK NEWS WEB/2011年9月4日 20時32分)

 この記事の発言は9月4日記者会見の発言だそうだが、環境省のHPを今朝開いてみたが、9月4日が日曜日でお役人様が休みだったせいか、記載されていない。

 記事は先月菅仮免が佐藤福島県知事に対して放射能汚染瓦礫・土壌を一時的に管理する中間貯蔵施設を県内に整備する方向で検討していることやその施設を最終処分場にすることは考えていないという意向を既に伝えていると解説した上で、

 細野環境相(中間貯蔵施設について)「具体的な場所や保管しておく期間については、地元の理解がなくては進めることができない」

 中間貯蔵施設の福島県内場所選定は地元の理解を得ることを前提とするとの表明となっているが、福島県内設置は既に政府方針となっているのだから、地元理解獲得が県への丸投げとしていることからできる外交辞令といったところだろう。

 細野環境相(最終処分場について)「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは、方針としてできる限り貫きたい」

 菅仮免の先月の発言とは8月27日に福島県を訪問、佐藤知事と会談。

 菅仮免「除染作業によって生じる汚染土壌などは、一時的に仮置きする方法が考えられる。国としては、福島県内で生じた汚染物質を適切に管理・保管するための中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるをえない。この施設を最終処分場にすることは、全く考えていない」(NHK NEWS WEB/2011年8月27日記事)

 中間貯蔵施設は福島県内、その「施設を最終処分場にすることは、全く考えていない」ということだから、最初から中間貯蔵施設も最終処分場も「県内に整備することをお願いせざるをえない」と言っていないことと併せて最終処分場は福島県外が政府方針ということになる。

 細野環境相の4日記者会見発言は菅内閣の方針を受け継いだ、「福島を最終処分場にはしないということは、方針としてできる限り貫きたい」の県外方針ということなのだろうが、「できる限り貫きたい」ということになると、約束とまではいかない努力目標に堕す。

 要するに「約束する」といった言葉は一切使っていない。

 次ぎの「NHK NEWS WEB」記事は報道各社による細野環境相のインタビュー発言。《“最終処分の在り方に責任”》NHK NEWS WEB/2011年9月4日 23時2分)

 記事の発信時間から見て、記者会見後のインタビューだと思われる。

 細野環境相「中間貯蔵施設については、大変申し訳ないことに福島県内にお願いしなければならない状況だが、それを最終処分場にしないためにどういうやり方があるのか検討しなければならない。例えば放射性物質を減量化する技術開発や、放射能レベルを下げる方法などを見極めたうえで、最終処分の在り方について政府として責任を持って考えたい」

 その他に住民の賠償問題についての発言を伝えている。

 細野環境相「賠償については、審査会が客観的な姿勢を出していくことにもなっている。すぐにすべて解決は難しいが、それぞれが置かれた状況に即した形で、何らかの支援や賠償の在り方がないかどうか、丁寧にやっていく時期に来ているかもしれない」

 細野環境相が放射能汚染瓦礫・土壌の処分に関してここで言っていることは中間貯蔵施設は福島県内を決定方針としている、最終処分場の福島県外設置方針は福島県内設置の中間貯蔵施設を「最終処分場にしないためにどういうやり方があるのか検討しなければならない」、いわば技術的な問題の解決等の検討が必要であるから、検討次第が条件となる未決定事項ということになる。

 大体が中間貯蔵施設は福島県内、最終処分場は福島県外を方針としている以上、中間貯蔵施設を「最終処分場にしないために」と言うこと自体が矛盾している。福島県内・福島県外方針の誤魔化し以外の何ものでもない。

 また、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と言っていることとも矛盾する。「日本全体で分かち合う」とは県内・県外、それぞれの方針を忠実に守らなければ実現できない状況なのだから、各方針を決定事項として進めなければならないはずだ。

 言っていることの矛盾を払拭させるためには中間貯蔵施設福島県内場所選定と最終処分場福島県外場所選定、それに放射性物質減量化技術開発や放射能レベル低減方法の開発をチームを分けて同時併行的にそれぞれを進め、それらすべてを解決することであって、それ以外にはないはずだ。

 そういう過程を経て初めて、「福島の痛みを日本全体で分かち合うこと」が可能となる。一見、細野の言っていることがふらついているように見えるが、福島県外が決まらない場合を見越した予防発言なのかもしれない。

 もし最終処分場の福島県外場所選定を行わないままに放射性物質減量化技術開発だ、放射能レベル低減方法の開発だを先決事項としていたなら、放射能汚染瓦礫・土壌は長いこと中間貯蔵施設に留め置かれる可能性も生じる。

 細野環境相の発言を見ていると、最悪、福島県内永久貯蔵ということも可能性としては否定できない。

 NHK記事が伝えていないインタビュー発言を次ぎの「asahi.com」記事が伝えている。《中間貯蔵、福島第一原発を候補に 細野原発相が示唆》asahi.com/2011年9月4日23時5分)

 細野環境相(中間貯蔵施設について)「原発内に高い放射線量のがれきが相当あり、簡単に持ち出せない。中での処理をある程度考えなければならない。すべてを福島第一原発内で、というのも現実的ではない。

 福島を最終処分場にしない。(除染などによって県内で発生した放射性廃棄物を原発内だけで受け入れることは難しいとの認識を示した上で)当面は各市町村の仮置き場に置かざるを得ない」――

 原発内の放射能汚染瓦礫・土壌は原発内で処理するが、すべては困難。原発外の県内発生放射能汚染瓦礫・土壌の原発内への受入れもすべては困難。福島県内設置の中間貯蔵施設に置かざるを得ないと言っている。

 中間貯蔵施設福島県内設置が例え政府のお願いであっても、福島県への相当な負担となる。最終処分場が県外不可能となった場合、全面的な負担の強制となる。

 このように見てくると、福島県内中間貯蔵施設から福島県外最終処分場に向けた行く末が民主党政権の当初の沖縄普天間基地移設の「国外、最低でも県外」から県内辺野古回帰の経緯とどうしても重なって見えてくる。

 細野は「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と言っているが、普天間移設の「国外、最低でも県外」は日本国土のわずか0.6%の沖縄に在日米軍基地の約75%が集中している“沖縄の痛み”を国外が無理なら、「日本全体で分かち合う」県外だったはずである。

 いわば、「福島の痛み」「沖縄の痛み」と置き換えて、「沖縄の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮」ということだったはずだ。

 菅仮免も昨年(2010年)12月17、18日沖縄を訪問、18日午後の視察先沖縄県嘉手納町での記者会見で同じ趣旨のことを発言している。《「辺野古案は危険除去や負担軽減になる」18日の菅首相》asahi.com/2010年12月18日19時32分)
 
 〈【基地負担軽減】

 ――昨日知事との会談で基地負担を日本全体で考えるべき問題だと発言。具体的にどのように進めていくのか。

 「私が申し上げたのは、知事の方が、米軍基地の存在が日本の安全保障上必要であるとする、あるとする方、私を含めて多いわけですが、そのときは『日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ』との趣旨を言われましたので、そのこと全体について、知事がおっしゃることは、正論だと思うということを申し上げました。このことは従来から、本当に昨日のお話でも申し上げたように、沖縄が本土に復帰してから以降においても、本土の米軍基地がかなり減る中で、沖縄の基地があまり削減されなかったというこの間の経緯を見ても、昨日も私も申し上げましたが、私も政治に携わる者として大変忸怩(じくじ)たる思い、あるいは慚愧(ざんき)の念に堪えないところであります。

 私は、日本全体の皆さん、この日本の安全保障のために日米安保条約が必要であり、米軍基地の日本国内の存在が必要であると、そういう風に思っておられる方も私含めて多いと思いますので、そういう中でこの問題を全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならないと、こう思っておりますし、こういう形で申し上げることも、いわばそういうことを全国民に、あるいは全47都道府県の、沖縄以外の46都道府県の皆さんにも考えて頂きたいという思いで申し上げさしていただいたところであります」 〉――

 (以上は当ブログ記事――《菅首相の初めに辺野古あり、沖縄ありの自己都合な沖縄記者会見 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を参照。)

 仲井真知事と菅仮免の発言を纏めると、仲井真知事の基地負担は「日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」という主張に同調して菅仮免は「正論だと思う」と応じた。そして「この問題を全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」と言葉を続けた。

 基地負担は「全国民の課題」だとしたのである。当然、「沖縄の痛みを日本全体で分かち合う」ということでなければならない。

 だが、日米合意遵守を政府方針として、崩すつもりはなかったのだから、口先だけで応じた「全国民の課題」に過ぎなかった。

 細野環境相にしても、最終処分場は福島県外が方針だと言いながら、福島県内設置方針の中間貯蔵施設を「最終処分場にしないためにどういうやり方があるのか検討しなければならない」などと確定方針とはなっていない最終処分場福島県外としている以上、「沖縄の痛みを日本全体で分かち合う」はずの普天間移設の「国外、最低でも県外」がそうはならなかったことから類推するに、最悪の沖縄県内に回帰したかつて見た光景と重ならない保証はない。

 福島原発事故放射能汚染瓦礫・土壌の「中間貯蔵施設福島県内設置、最終処分場福島県外設置」の政府方針の最終処分場福島県内回帰という最終場面を迎える恐れの出来である。

 細野環境相が放射能汚染瓦礫・土壌処理に関して「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないか」と言っていることと、米軍基地負担に関しても「沖縄の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないか」としなかったこととの間には二重基準が存在することになる。

 仲井真知事が基地負担は「日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」と主張し、菅仮免が「正論だと思う」と応じたように米軍基地問題は日本全体の問題であり、放射能汚染瓦礫・土壌処理に関しても同じように日本全体の問題であって、両者共それぞれの「痛みを日本全体で分かち合う」課題としなければならないからだ。

 だが、普天間基地移設に関してはその負担の「痛みを日本全体で分かち合う」場面の実現を政府自らが破綻させ、この経緯が放射能汚染瓦礫・土壌処理に関しても「福島の痛みを日本全体で分かち合う」とする政府配慮にそっくり受け継がれて政府自らの手による破綻へとつながっていく可能性すら見えないことはない。


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