菅前仮免が3月11日震災発生の4日後の3月15日早朝に東電本社に乗り込んだ理由が東電が原発事故を前にして事故収束作業から撤退させてくれと申し出たのを止めさせるためだとなっているが、東電側は全面撤退の申し出を否定、どちらが事実か藪の中となっていたが、枝野詭弁家前官房長官が菅が言っている事実を事実とする証明を9月7日の読売新聞のインタビューで行っている。
《前首相の東電乗り込み、危急存亡の理由が》(YOMIURI ONLINE/2011年9月8日11時01分)
枝野が3月15日未明、東電の当時の清水正孝社長と電話で話す。
枝野「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」
清水社長は先ず当時の海江田経産相に撤退を申し出たが拒否され、枝野に電話した。枝野らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田所長は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。
菅仮免が清水社長を首相官邸に呼んで問い質すと、清水社長は今後の対応について明言しなかった。このため菅仮免は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。それが経緯だと。
枝野「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」――
この経緯に疑問がある。
もし清水社長が全面撤退を申し出たとしたら、非常に無責任となる。先ず各原子炉が撤退して放置できる状況にあったのかである。経産省原子力安全・保安院が3月11日午後22時に首相官邸に持ち込んだ、「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」は時系列で次のような危険性を予測している。
3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。
21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。
22時50分――炉心が露出する。
3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。
5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。
3月12日朝の時点で「最悪爆発の危険性」を予測している。3月15日の時点まで原子炉自体の爆発は起きていなかったが、もし撤退して原子炉の冷却等、必要な措置を放棄した場合、爆発の過程に進まない保証は誰も請合うことはできなかったはずであり、またこういった予測推移に対する情報は東電も共有していたはずである。
いわば東電にしても撤退はあり得なかったとしなければならない。
2号機よりも1号機の方が危険が切迫しているからということで1号機のベントから行うことになったが、1号機にしても同じ危険な状態にあったはずだ。
それでも撤退すると言うなら、事故をそのまま放置することは自動車事故等で重傷を負った怪我人をその場に放置するに等しいことで、それを避けるためには東電は事故収束チームのピンチヒッターを用意する責任を有することになる。
だが、ピンチヒッターを用意できたとしても、福島第一原発の原子炉を運転・操作してきたのは福島第一原発の現場の職員である。原子炉自体の型式、あるいはそ他の付属器機の型式、さらに設置方法や設置場所が違えば、それらの運転・操作の手順に微妙な差異が生じる。
いわば慣れの問題が生じて、他の誰が事故収束の作業に当っても、緊急を要することに反する様々な手違い、遅れといった障害を考慮しなければならなくなる。現場慣れした現職員が最適という条件は譲ることはできないはずだ。
次ぎの疑問は枝野が現場の吉田所長に電話して見解を求めたところ、吉田所長は「まだ頑張れる」と請合い、原子力安全・保安院も撤退は不要との見方を示したことである。もし清水社長が事実撤退の意志でいたとしたら、上層部と現場の意思、さらに監督機関の原子力安全・保安院との意思の不統一と言うことだけで済まない。清水社長は慶應義塾大学経済学部の卒業で横浜火力発電所の勤務経験や福島第二原発の総務担当の経験があるものの、原子力発電の専門家でも何でもない。いわば専門的な判断を下すことができない門外漢であり、現場の上層、及び現場経験があり、原子力発電の専門家とも言える会社上層と東電を監督する立場にある原子力・保安院等の意見に従うべき立場にある。
当然、福島第一原発の現場で指揮を取っていた、東京工業大学工学部卒業、同大大学院で原子核工学を専攻し、原子力の専門家の立場から現場を最も知り得る吉田所長が「まだ頑張れる」と請合ったということは吉田所長と原子力安全・保安院の意見を抜きにその他の社内的、あるいは社外的な専門的な立場の人間によって撤退が決められたことになって、不自然である。
少なくとも現場をも含めた東電上層部が一致して決定した、吉田所長の「まだ頑張れる」が証明する清水社長の撤退の選択肢ということではなかった。
考え得ることは清水社長が怯えてしまって、流行語で言うと、ビビッてしまって、一人で決めた撤退ではなかったかとう可能性であるが、だとしても、吉田所長の「まだ頑張れる」の情報、原子力安全・保安院の撤退は不要との見方、さらに原子力安全・保安院が3月11日午後22時に首相官邸に持ち込んだ「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」、その他原子力安全委員会や原子力が専門の総理補佐官からも撤退はあり得ないとする情報を得ていただろうから、それらの情報を根拠に撤退はあり得ない選択肢だとなぜその場で説得できなかったのだろう。
原子炉及び格納容器が爆発した場合、爆発まで行かなくても亀裂が生じて放射性物質が大量に漏洩した場合の危険状況を挙げてその場で説得すべきだったろう。
だが、その場で説得ができなかった。清水社長は今後の対応について明言しなかった。そのため菅仮免は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と怒鳴り込んだ。
要するにその場で説得できるだけの言葉も意志力も指導性も持っていなかった。リーダーとしては最低の資質だと言わざるを得ない。
菅仮免が東電本社に乗り込んで撤退はあり得ないことを納得させたとなっているが、撤退が清水社長一人の怯えからきた独断であって、吉田所長を始め、他の上層部、及び原子力安全・保安院には撤退の選択肢が元々なかったとすると、清水社長だけではなく、誰もが決定できない撤退であるのだから、お節介な無駄足、パフォーマンスで終わったことになる。
いずれにしても東電の社長が誰であろうと、撤退という選択肢はなかった。あったの原子炉の安定という選択肢のみであったはずだ。原子炉が爆発しようが何しようが、東電は最後まで踏みとどまる責任を有していた。
当然、誰が首相であっても、撤退を許すという選択肢もなかった。にも関わらず、東電本社乗り込みという一手間を付け加えなければならなかった。そのような一手間、無駄足を無視して、枝野詭弁家は「あの瞬間はあの人が首相で良かった」と身贔屓の買い被りで安っぽい持ち上げを行う。合理的判断能力など持ち合わせていないからだろう。 |