児童相談所やその他の関係機関が親の虐待を察知できず、子どもの死を見過ごしてしまう。あるいは虐待情報を受け取っていても、的確な対応ができずに子どもの死を見過ごしてしまう事件が跡を絶たない。今回も大阪府門真市で似たような見過ごし死が繰返された。
父親は藤山郁弥(ふみや)(25)。母親は藤山由衣(22)。虐待によって死を受けた子どもは生後3カ月の藤山琉花(りゅうな)ちゃん。
両親とも容疑を否認しているということだが、状況証拠は限りなく虐待死を示している。
二つのWeb記事から浮かび上がってくる問題点を見てみる。
《育児支援の保健所職員、両親と会えず 大阪の乳児暴行死》(h時asahi.com/2011年9月7日23時11分)
大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)等の説明から。
2011年1月25日――
琉花ちゃん、1368グラムの未熟児ではあるが、一個の生命を持ってこの世に生を受ける。
――(母親は2日後に退院)子どもが入院中、両親は殆んど病院を訪れない。――
病院「育児放棄につながる可能性がある」
大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)に連絡。
――2カ月間入院――
2011年3月25日頃退院(推定)――
退院後、大阪府守口保健所職員、門真市内の自宅を4度訪問。応答なし。置き手紙をするが、返事なし。
2011年4月5日――
病院(保健所に連絡)「母親が保健所には来てもらいたくないと言っている」
大阪府、5月24日予定の4カ月健診で琉花ちゃんの状態を確認する方針を決める。
2011年4月13日――
一個の生命であり続けなければならなかったはずが、一個の生命でなくなった無残な状態で門真市内の病院に運ばれて来る。
捜査関係者の聞き取りに対して説明を二転三転。
両親「自分でイスから落ちた」
両親「長女がイスから落とした」
山内稔大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)所長(9月7日記者会見)「4カ月健診に来なければ立ち入り調査も含め、どう介入するか判断したと思う。子どもの生命の危機があるとは考えていなかった」
橋本大阪府知事「なぜ死亡という最悪の事態になったのか、専門家チームで検証してもらい、どうすべきだったのか整理したい」
記事からは大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)の両親に対する対応が一切見えてこない。家庭訪問したとか、電話したとか(電話を持っていたらの話だが)、そういった動きをした様子を記事は何も伝えていない。あるのは保健所の4度の両親に会えずじまいの家庭訪問と置手紙の動きのみしか伝えていない。
何かの動きをしていたなら、児童相談所所長が9月7日の記者会見時にそのことに触れ、記事にしたと思うが、何も書いてない。もし児童相談所が何も行動を起していなかったとしたら、保健所に丸投げしたことになる。
丸投げしたということなら、児童相談所の責任意識を問わなければならなくなるが、どう動いたのか、何も動かずに保健所に丸投げしたのか、このことの事実確認が必要になる。
1368グラムの未熟児という非常に心配な状態で生まれた。多分新生児集中治療室の保育器に入れられていたのだろうが、その生育が心配になってもいい状況にありながら、我が子の約2ヶ月の入院中、様子を見に病院を殆んど訪れず、病院から「育児放棄につながる可能性がある」と連絡を受けた。
ここから見えてくる両親の姿は一般の親からかけ離れた尋常ではない態度である。この時点で要注意としたから、退院後、保健所は3月25日頃の退院から4月5日に病院から「母親が保健所には来てもらいたくないと言っている」と連絡が入るまでの約10日間の間に4回も家庭訪問したのだろう。
だが、親の態度から児童相談所も要注意としなければならなかったはずで、保健所と共に家庭訪問に動かなければならなかったはずだが、既に書いたように記事はそのことには何も触れていない。児童相談所所長も記者会見で何も触れていなかった。
両親が置手紙によって保健所の訪問を知ったのか、居留守を使っていて、その都度知ったのか記事からは確認できないが、他の記事によると一家は生活保護を受けていたと書いているから、働いていない可能性が高いとしても、大阪府自体は両親が働いているかいないか把握していたはずだ。もし働いていたなら、帰宅時間を狙って訪問するだろうから、先ずは居留守を疑うべきだろう。
例え置手紙で知ったとしても、保健所に直接ではなく、病院を介して「保健所には来てもらいたくない」と連絡したことから窺うことができる両親の態度は訪問自体にかなりの拒絶感を持っているか、少なくともお節介、余計なお世話だといった反発を示していたことになる。
これが居留守を使ったのだとしたら、かなりの拒絶感、相当な反発となる。
この拒絶感、それがお節介、余計なお世話だといった反発だったとしても、家の中に入れることの拒絶感、あるいは反発だと判断しなければならなかったはずだ。保健所の訪問自体が家の中に入って両親と面会し、育児の様子、あるいは赤ん坊の様子をあれこれ聞くことによって目的を果すことになるからであり、その目的を排除するための居留守、あるいは置手紙無視、そして病院を介した「保健所には来てもらいたくない」の連絡だったはずだと。
両親は自分たちだけは保健所の職員を家に入れて会って話をすること自体は問題なかったはずだ。もし妻が夫に家庭内暴力を振われていて顔に怪我しているといった状態であったなら、出産後の入院時に病院に既に知られていただろから、家庭内暴力の事実はなく、保健所職員に会えない理由はないことになる。
だが、家の中に招じ入れもせず、置手紙に返事も出さず、病院を介して「保健所には来てもらいたくない」と保健所の訪問を拒否したのは常に最悪の状況を予測して対処する危機管理上、当然、子どもに会わせたくない不都合な事情があるからだと解釈しなければならなかった。
このように解釈し、解釈に応じた行動を児童相談所は取るべきだったが、4月5日に「保健所には来てもらいたくない」と連絡を受けたのち、5月24日予定の4カ月健診の日まで1ヵ月半以上も問題解決を先送りする児童相談所としての責任を果した。
児童相談所のこの態度を以って自らの役目・責任に対する怠慢、あるいは不作為と言えないだろうか。
《発覚恐れ?面談、健診拒む=3カ月児虐待死、容疑の両親-大阪府警》(時事ドットコム//2011/09/07-17:35)
この記事には保健所との面談のみならず、病院の健康診断も拒否していたと書いてある。児童相談所はこの情報・事実を確認していたはずだし、確認していなければならなかった。
当然、児童相談所は未熟児で生まれながら、病院の健康診断まで拒否するのは親として異常な態度だと判断しなければならなかった。
その異常さが単なる面談拒否、健康診断拒否なのか、子どもに影響している恐れのない異常さなのか、子どもが入院中殆んど訪問がなかったこと、「保健所には来てもらいたくない」こと等のこれまでの情報と併せて確認する責任が児童相談所にはあったはずだ。
記事は書いている。〈琉花ちゃんには殴られたようなあざが数十カ所あり、同課(府警捜査1課)は両容疑者が退院直後から日常的に虐待を繰り返し、発覚を恐れて面談などを拒んでいたとみて調べている。〉――
親の性格の現われとしてある態度が子どもに反映するのだから、親の様子が尋常か異様か、常識的か非常識的か、一般的か特異か等々判断できていただろうから、児童相談所やその他の機関がどういう行動を取ったならいいか、答は自ずと出てくるはずだが、そのようにはなっていなかった。
少なくとも児童虐待に於ける初歩的危機管理は親の性格や態度、行動の読み取りから始まるはずだ。読み取りは近所の住人や友人・知人、勤めていたなら、会社の同僚等からの聞き込みも必要となる。
そのような面倒を厭っていたなら、責任を果たすことはできない。
要は与えられた情報を如何に読み取り、どう行動して自身が置かれた立場上の責任を如何に果たすかの責任感が決めることになる児童虐待とその先にある児童虐待死の見過ごしの防止であるはずだ。 |