猪瀬東京都知事の何様意識が許した他国蔑視、オリンピック東京開催の目がなくなった

2013-05-03 09:34:29 | 政治

 猪瀬東京都知事は常日頃から自信に満ちていた。発言は常に自己を正しい位置に置いていて断定的だったし、そういった断定的な意識がいつも胸を張った姿勢を見せていたのだろう。

 今年1月4日の都庁仕事始めの700人職員を前にした挨拶。

 猪瀬都知事「初めて都知事として新年を迎えたが、東京が日本を支えないといけないという重責をひしひしと感じている。東京が日本の心臓であり、東京が頑張らないと日本が沈没してしまう。皆さんと一緒に運命を背負ってやり抜きたい」(NHK NEWS WEB

 東京は日本最大の都市である。だから、日本の経済が東京に対して最大に影響する。東京の経済が日本という国に最大に影響する関係にあるわけではない。

 東京証券所の株価にしても日本の経済の反映としてある数値であって、東京の経済の反映として出てくるわけではない。

 尤も日本の経済にしてもアメリカ経済の影響下にあり、日本の株価はニユーヨークの株価の影響を受ける。

 当然、「東京が日本を支えないといけないという重責」にしても、「東京が日本の心臓」という自負も自信過剰の思い上がりに過ぎない。

 「東京が日本の心臓」ではないことは東京一極集中が何よりも証明している。一極集中とは心臓部の活力が心臓に連なる周辺部に反映されていない状態を言うからだ。心臓部だけが一大活力に満ち、心臓に連なる周辺部が活力を失っているという状況は周辺部の心臓足り得ていない関係にあることの証明に他ならないばかりか、東京の経済の大部分が東京にのみ役立つ自己完結的となっていることの証左でもあるはずだ。

 当然、「東京が頑張らないと日本が沈没してしまう」のではなく、「日本が頑張らないと東京は沈没してしまう」関係にある。但し東京が沈没するときには地方都市の殆どは沈没を済ましているだろう。 

 猪瀬都知事の過剰とも思える自信は高名な作家であると同時に2012年12月16日執行の東京都知事選挙で次点を300万票以上も引き離す、日本の選挙史上では個人として最多得票記録となる4338936票で当選した都民からの一大支持も背景にあったに違いない。

 単なる自信過剰は自分自身に意識を向けることで終わるが、自信過剰が過ぎて何様意識を持つようになると他を見下す意識が働くことになる。

 猪瀬都知事が2020年夏季オリンピック立候補の東京都への招致活動で訪れていた米ニューヨークでニューヨーク・タイムズのインタビューに応じて、IOC=国際オリンピック委員会の行動規範が各立候補都市の相互敬意の関係構築と他立候補都市との比較禁止を規定しているにも関わらず、他立候補都市を見下し、差別する発言を行なって騒動となった。

 《猪瀬知事「イスラム諸国はけんかばかり」》NHK NEWS WEB/2013年4月29日 18時59分)

 4月26日掲載の発言。

 猪瀬都知事「アスリートにとって、いちばんよい開催地はどこか。インフラや洗練された競技施設が完成していない、2つの国と比べてください。

 ときには例えばブラジルのように、初めて開催するのもよいでしょう。しかしイスラム諸国では人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、互いに喧嘩ばかりしていて、階級もある」

 インタビュアー「若者の人口の割合が大きいイスタンブールが有利なのではないか」(解説文を会話体に直す)

 猪瀬都知事(高齢者が健康を維持できるよう、運動できることが日本社会のよさだと説明した上で)「トルコの人々も長生きしたいでしょう。長生きしたければ、日本のような文化をつくるべきだ。若い人は多いかもしれないが、早く死ぬようではあまり意味がない」

 まさかIOCはインフラや競技施設に十二分にカネをかけることのできる財力を主たる基準に開催都市を選考するわけではあるまい。

 このことはIOCが立候補各国の国内開催支持率を重視していることに現れている。東京は前回、その支持率の低さが選考敗因の大きな理由となったはずだ。

 支持率とは国民の開催熱望の熱意である。いわば「インフラや洗練された競技施設」で少しぐらい見劣りがしても、競技実施に特段の支障さえなければ、熱意が選考基準に於いて優ることを示している。

 だが、このような認識を持つことができずにインフラや競技施設の日本の優位性を誇って、その優位性との比較で、「2つの国と比べてください」と他の立候補国のインフラや競技施設を見下した。

 いや、インフラや競技施設を見下しただけではない。「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、互いにけんかばかりしている」と蔑みの感情を込め、さもそういったことのみがイスラム諸国の国民性であるかのような情報操作まで行なって決定基準とは関係しない事柄にまで言及した。
 
 この発言は日本とイスラム諸国の国民性を土俵に上げて国民性で勝負する意識の表出を意味する。

 いわば国民性に於いても、「長生きしたければ、日本のような文化をつくるべきだ」という発言に最も色濃く現れているが、日本の国民性を優位に位置付けて、イスラム諸国の国民性を見下したのである。

 猪瀬都知事は日本及び日本人を何様に置いていたのである。これは自身が持つ何様意識を日本及び日本人全体に反映させた何様意識であろう。

 いくら日本人が優秀であろうと(常に相対化の力学を受けるから、すべてに優秀ということはあり得ないが)、個人が何様意識に陥っていなければ、日本人の優秀性を言い立てることはせず、常に謙虚に振る舞うはずだ。

 だが、猪瀬都知事は謙虚どころか、イスラム諸国を見下す何様意識に囚われていた。

 大体が最終的決定権者はIOCである。アメリカのマスコミやその情報を読むアメリカ人に開催都市決定の決定権があるわけではないのにアメリカのマスコミとアメリカ国民に向けて日本を優位に置いて他の2都市を見下す発言を行う勘違いを犯している。

 ニューヨーク・タイムズ「発言で立候補都市の資格を失うことは考えにくいが、IOC側の信頼は揺らぎかねない」

 クルチ・トルコ青年スポーツ相(4月27日ツイッター)「発言は公正ではなく、悲しいことだ。オリンピック精神に反している。イスタンブールはほかの立候補都市に対して否定的な声明を出したことはないし、これからも出さない。

 我々は日本の人々を愛しているし、日本人の信仰心や文化を尊重している。そして若者も、高齢者も同じように尊重する」

 IOC声明「記事に掲載された発言の翻訳を見ただけでは知事が本当は何を言おうとしていたのかは定かではない。

 IOCとしてはすべての候補都市に対して招致活動に関連したルールを改めて強調したい」

 JOC会長兼東京招致委員会理事長は「猪瀬知事がどういう思いでどのようなことを話したのかまだ確認できていないので、何も申し上げることはできない。招致委員会としては、ほかの立候補都市と比較はしないというIOCのルールをよく理解して今後も招致活動を進めたい」――

 但し猪瀬都知事は自らの発言をニューヨーク・タイムズが正しく伝えていないとするコメントを発表した。いわば自分の発言は間違っていないと正当化した。

 《猪瀬知事「真意正しく伝わっていない」》NHK NEWS WEB/2013年4月29日 22時45分)

 猪瀬都知事(コメント)「私は、IOCの行動規範を十分に理解し、これまでも順守している。記事の焦点があたかも東京がほかの都市を批判したとされているが、私の真意が正しく伝わっていない。ほかの都市を批判する意図は全くなく、インタビューの文脈と異なる記事が出たことは非常に残念だ。今後も、IOCのルールを順守しほかの都市への敬意をもって招致活動に取り組んでいく」――

 「真意が正しく伝わっていない」は政治家の言い逃れの常套句となっている。直ちには信用できない。「真意が正しく伝わっていない」と言って、発言が自身の真意ではないと否定しながら、後で発言通りだと訂正して醜い姿を曝す例も跡を絶たない。

 一方の、いわば「真意を正しく伝えていない」とされたニューヨーク・タイムズは言葉の解釈能力、あるいは記事作成能力を疑われたことになり、マスメディアにとっては致命的な欠陥を指摘されたことになる。当然、黙っていたなら、欠陥を認めることになって、マスメディアとしての信用に関わってくる。

 《NYタイムズ 猪瀬知事の記事に自信》NHK NEWS WEB/2013年4月30日 12時5分)

 4月29日。

 ジェイソン・ストールマン・ニューヨーク・タイムズスポーツ編集責任者(コメント)「記事の内容には完全な自信がある。猪瀬知事をインタビューした2人の記者はいずれも流ちょうな日本語を話す。また、インタビューは猪瀬知事が自ら連れてきた通訳を交えて行われ、われわれは通訳の言葉をそのまま引用した」――

 ジェイソン・ストールマン氏の(猪瀬知事が連れてきた)「通訳の言葉は録音している」(47NEWS)と伝えている記事もある。

 つまり猪瀬知事の「真意が正しく伝わっていない」に対してニューヨーク・タイムズは猪瀬知事の真意通りに伝えたと反論した。猪瀬知事は白黒をつけなければならない立場に立たされた。ニューヨーク・タイムズと戦うか、戦わないで決着をつける道を取るか、いすれかの選択に迫られた。

 《猪瀬知事 五輪招致巡る発言訂正し謝罪》NHK NEWS WEB/2013年4月30日 12時16分)

 4月30日午前の記者会見。

 猪瀬都知事(発言内容を事実だと認めて)「イスラム圏で喧嘩しているのもあると言いました。不適切な発言があったことについておわびしたい。イスラム圏の方に誤解を招く表現であって、申し訳なかった。

 (ライバル都市に対するIOCの行動規範を尋ねられて)「甘かったといえば甘かった」――

 「互いに喧嘩ばかりしてい」ると、「喧嘩しているのもある」とでは大違いである。前者は全体的傾向を言い、後者は一部分的傾向を言う。この発言の前の言葉である「イスラム諸国では人々が共有しているのは唯一、アラーだけ」と合わせた蔑みの意識から判断して、全体的傾向として言ったはずだ。

 猪瀬都知事は自身の当初の発言をなおゴマ化して責任を小さくしようとしている。

 猪瀬都知事は5月2日になって謝罪した理由を述べている。

 《猪瀬都知事 謝罪理由を説明》NHK NEWS WEB/2013年5月2日 19時12分)

 猪瀬都知事「ライバル都市との比較などを禁じているIOCの行動規範にのっとってやりたいという気持ちがあったからだ」

 記者「イスラム社会に対する発言自体が不適切だったため謝罪したのではないか」

 猪瀬都知事「ライバル都市について全く触れてはいけないとは思っていなかった」――

 当初は「私は、IOCの行動規範を十分に理解し」ていると言って、規範に違反していないことの正当性を訴えていたが、「甘かったといえば甘かった」と必ずしも行動規範に厳しくなかったことを言い、最後に行動規範に対する解釈が曖昧であったことことを自己正当化の方便としている。

 記事は5月1日の猪瀬都知事のツイッターとツイッターに対する記者の質問を伝えている。

 猪瀬都知事5月1日ツイッター「今回の件で誰が味方か敵かよくわかったのは収穫でした」――

 記者「『敵』という表現を使うのは都知事としてふさわしくないのではないか」

 猪瀬都知事「悪意に満ちた人はちょっと嫌だねと言っただけのことだ」――

 「今回の件で誰が味方か敵かよくわかったのは収穫でした」は自分の非・愚かさを実際には認めずに発言を取り上げたり批判したりしている者を「悪意に満ちた人」と逆に悪者に貶めて、責任転嫁しているに過ぎない。逆恨みとも言える。

 ここには常に自己を絶対としたい意識が働いている。何様意識と自己絶対意識は相互反映の関係にある。

 IOCは猪瀬発言に対して処分は行わないことを決定したが、猪瀬都知事の何様意識から出た、トルコを貶めようとしたイスラム諸国蔑視発言で2020年夏季オリンピック東京開催の目はなくなった。IOCがもし東京開催を決定したら、ライバル都市の批判を許すことになる。

 あるいは批判を許したことになる。

 IOC自身が自らが決めた行動規範を自ら破ることになるからだ。

コメント (2)
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