8月23日付け《脳死の子どもの臓器 提供希望も17件提供されず》と題した「NHK NEWS WEB」記事に基づいて8月24日参議院予算委員会で、「日本を元気にする会・無所属会」の松田公太 (46歳)が質問した。
記事は日本臓器移植ネットワークの調査を基に5年前に改正臓器移植法が施行されて以降、家族が脳死と判定された18歳未満の子どもからの臓器の提供を希望したのに、病院側の体制が整っていないとの理由で提供されなかったケースが17件あったと言うことを伝えている。
日本臓器移植ネットワークの調査は脳死と判定された15歳未満の子どもからの臓器提供を認める改正臓器移植法の施行から今年で5年になるのに合わせて行ったものだという。
対して改正臓器移植法の施行後、18歳未満の子どもから臓器が提供されたケースは14件だそうで、それよりも多い17件がその善意を活かすことができなかったことになる。
臓器提供に対応可能な施設は全国で約380施設。虐待防止委員会の設置等、子どもの臓器提供に必要な体制の整備が出来ていない施設は昨年末の調査で全体の4割近い148施設。
つまり大人の臓器提供には対応できているが、そのうちの4割近くが子供のそれには対応できていないという、ある意味差別的な状況にあるということになる。
記事は日本臓器移植ネットワークの希望として、「臓器を提供したいというご家族の気持ちに応えられるようより多くの施設で対応できる体制を整えてもらいたい」との発言を伝えている。
では、松田公太がどう質問したか見てみる。
松田公太「これは質問通告していませんけど、昨日報道がありましたので、取り上げさせて頂きたいと思います。
子どもの臓器移植についてです。総理、ご案内のとおり、臓器移植法が5年前に改正されて、15歳未満の子どもの臓器移植が可能になりました。ところが、日本では臓器移植がなかなか増えていない。
例えばアメリカでは年間8000人のドナー(臓器提供者)がいて、約2万8千人の方々が助かっています。それに対して日本は去年77件のドナーがいたということです。これは子どもに対しても同じ(少なさ)でして、何と5年間で14件のドナーしかいないんですね。年間にすると、2.8件ということになります。
昨日報道にあったのですが、それ以外に17件がドナーとして申し出があったということなんです。これは非常に残念なことなんですね。それが17件、トータルすると、14件と17件で31件あった。
17件に対して施設側の方で体制が整っていないからという理由で、これを断ってしまったということなんです。これは私は酷(むご)いことだと思います。何とか自分の命、臓器移植があれば助かるかもしれないという思いでギリギリのところで命を繋いでいらっしゃるお子さんたち、またご家族、ご両親の方々、そしてまたお子さんが病気になられて悲しみのドン底にいるんですけども、もしかしたら自分の子供の一部が他の子どもの命を助けることに繋がるかもしれないという思いで、臓器移植の提供を申し出たご両親たち、ご家族の皆さん、こういったものを含めて、体制が整っていないからという理由で無にしてしまっている。これは私はあり得ないことだと思っています。
そこでこれは総理にお願いがあるのですけれども、日本が今380の臓器移植の体制があると言われている施設があるんですけれども、それに対して150の施設が子どもの臓器移植の体制が整っていないというふうに言っているわけなのですが、これに対して何とか指導して頂きたいと思います。
何とか早く150の全てに促して頂いて、その体制を整えるということをやって頂けないでしょうか」
安倍晋三「突然の質問でございますので、私はまだその現状を把握しておりませんが、臓器移植に於いてはですね、ドナーとなると希望をされた方、これはご両親なんだろうと思いますが、ご両親の希望が施設に十分にですね、その体制が整っていないために叶わなかったということは私は非常に残念なことであり、そうした状況がなるべくないようにですね、施設の整備を行っていかなければならないと、このように思っています」
松田公太「是非ですね、明確な目標を設定して頂いて、是非このような施設すべてが子どもの臓器移植対応可能になるようにお願いできればいいと思っています」(以上)
松田公太の150の施設全てが子どもの臓器提供に対応可能な体制に持っていくよう指導して欲しいとの要望に対して安倍晋三は子どもの臓器提供に対応未整備な施設があってはならないことだとするのではなく、「なるべくないようにですね、施設の整備を行っていかなければならないと、このように思っています」と答えるこの熱意のなさ、自分の希望だけを述べて、適切な政治的対応の提示には何も触れないこの関心のなさは何を物語るのだろうか。
本来なら、松田公太が「明確な目標設定」をと口にする前に安倍晋三が対応としなければならない対策のはずだが、逆になっている。
安倍晋三は4月(2015年)に訪米し、4月29日に上下両院合同会議で演説している。
安倍晋三「国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。
人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません」・・・・・・
人間の安全保障について「外務省HP」は、〈人間一人ひとりに着目し,生存・生活・尊厳に対する広範かつ深刻な脅威から人々を守り,それぞれの持つ豊かな可能性を実現するために,保護と能力強化を通じて持続可能な個人の自立と社会づくりを促す考え方です。〉(外務省HP)
要するに病気や貧困等を含めた様々な脅威から人間一人一人がそれぞれに持つ豊かな可能性を実現可能とすることができる尊厳ある生存・生活の保障(ある状態が損なわれることのないように保護し守ること)と、そのような保障を通した自立環境の提供が人間の安全保障ということになる。
移植以外に治療方法がない臓器不全で長期入院を余儀なくされ、臓器移植の機会を待つ子どもに臓器移植の医療を提供して治療へと導き、一般生活者とほぼ変わらない自立できる生活へと誘(いざな)い、教育の機会も一般生活者と変わらない環境を提供、総合的に社会的な自立可能性を保障することも人間の安全保障に入ることになる。
だが、安倍晋三は人間の安全保障の確立は「日本の不動の信念です」と断言した割には、生死に直接的に関係している臓器移植に関わる切実な人間の安全保障には熱意を示さなかった。
安倍晋三が口先だけの言葉を高邁な思想であるが如くに装わせて撒き散らす政治家だと疑わせる理由がここにもある。
また人間の安全保障を持ち出すまでもなく、日本国憲法は国民の生命・財産を守ることを国に義務づけている。
ここで言っている「生命・財産を守る」とは健康で人間らしく生きることのできる生命の保障であるはずだ。やはり臓器移植のスムーズな提供機会の構築も、その保障に含まれることになる。
安倍晋三は前以て通告がなかった松田公太の質問に対して、「突然の質問でございますので、私はまだその現状を把握しておりませんが」と言っているが、NHK記事を案内として調べたところ、日本臓器移植ネットワークが上記調査を行い、《改正臓器移植法施行から5年》と題してプレスリリースとして公表したのは2015年7月14 日となっている。
NHK記事が7月14 日公表の情報を1カ月以上も遅れてニュースとして配信したその理由は分からないが、プレスリリースだから、同時期に記事にしているマスコミはないかと同じく調べてみたら、日本臓器移植ネットワーク公表と同じ日の7月14 日の夜遅くに「asahi.com」が、〈改正臓器移植法の施行から5年間で、18歳未満の子ども97人の臓器提供が検討され、83人が提供に至らなかったことが14日、日本臓器移植ネットワークのまとめで分かった。そのうち17人は病院側の事情で提供に至らなかった。〉との出だしで、《子どもの臓器提供、97人検討83人断念 法改正5年で》と題して記事にしている。
と言うことは、臓器移植関係は厚労省が所管であり、厚労省が把握していなければならない情報ではあるが、人間の安全保障という観点からも、日本国憲法が国民の生命・財産を守ることを国に義務付けていることの観点からも、厚労省のみがその情報を抱え込むことは許されないことになり、7月14日から8月24日参議院予算委員会の開催までに何度も開いているはずの閣議を情報共有の機会とし、厚労省は取るべきその対策と対策の進捗具合の報告をし、その報告を内閣全体で共有する情報としていなければならなかったはずだ。
いわば質問通告がなかったからと言って、「突然の質問でございますので、私はまだその現状を把握しておりませんが」と答弁することは許されなかった。
もし厚労省が何ら報告せずに自分たちだけの情報として抱え込んで情報共有を図っていなかったとしたら、人間の安全保障も国民の生命・財産を守ることの国の義務も内閣全体で取り組むべき課題である以上、厚労省は国民の生命に関わる情報は内閣全体で共有しなければならないことをルールとしていなかったことになり(ルールとしていないことが厚労省だけでなかったとしたら、大問題である)、その怠慢の責任は厚労省のみではなく、総理大臣も負わなければならないことになる。
つまり閣議で厚労相を通して厚労省からの報告があってもなくても、それが国民の救命に関する臓器移植の問題である以上、安倍晋三が「突然の質問でございますので、私はまだその現状を把握しておりませんが」との文言で情報の未共有であることを伝えることは内閣の長としての責任を果たしていないことの証明としかならない。
怠慢そのものを曝け出したのである。