「生活の党と山本太郎となかまたち」
《8月30日8・30国会10万人集会動画党HP掲載ご案内》
こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
小沢一郎代表は8月30日、国会正門前で行われた「戦争法案廃案!安倍政権退陣! 8・30国会
10万人・全国100万人大行動」に参加し、「いい加減でバカげた安保法案を阻止し、皆で力を合
わせて安倍政権を退陣に追い込みましょう」と訴えました。
8・30国会10万人集会動画をホームページに掲載しました。ぜひご覧ください。
各マスコミが8月22日前後からそれ以後にかけて、仙台市の市立中学1年の男子生が昨年秋に自殺していた事実を伝えた。8月21日に発表した市教育委員会はイジメが関連する自殺と結論づけ、学校の対応に問題があったと謝罪したという。
生徒は昨年秋に自殺を図り、数日後に死亡したそうだ。
昨年秋から今年の8月末まで、イジメの事実も自殺の事実も世間に伏されていたことになる。
8月22日付「asahi.com」記事によると、〈男子生徒は入学後の昨年5月から、友人たちに仲間外れにされたり、消しゴムのかすを投げつけられたりしていた。生徒の保護者は担任の40代の女性教諭に少なくとも6回相談。学校は、いじめに関わった生徒から男子生徒へ謝罪させる会を2回設け、学年集会も開いたが、男子生徒は「チクった(告げ口した)」と言われた。いじめは止まらず、「変態」「寝ぐせがひどい」などとからかわれることもあった。〉と書いている。
謝罪させる会を2回設け、学年集会も開いたが、イジメ側の生徒は教師の前では謝罪したり、あるいは二度とイジメないと誓うことまでしたのかもしれないが、教師の目の届かない陰に回ると、イジメを続けていたことになる。
だが、こういったパターンはよくあることとして想定内の一つとしていなければならない。
男子生徒は昨年秋、「転校したい」などと保護者に話した翌日に自殺を図り、数日後に死亡した。遺書はなかった。
記事は担任と学校側に不手際があったことを書き連ねている。
〈担任は、保護者からの相談内容を校長らに報告していないケースがあった。生徒への定期的なアンケートで男子生徒は「持ち物にいたずらをされた」などと回答していたが、学校は対応していなかったという。〉・・・・・・
経緯を調査した第三者委員会「対応方針を決める前に男子生徒や保護者と協議すべきだった」
大越裕光教育長(8月21日記者会見)「イジメをやめさせられず、学校の対応として不十分だった。深くおわびする」
遺族(コメント)「加害生徒はいじめは犯罪となる場合もあることを認識し、深く反省してほしい。学校や教育委員会は未然防止のための取り組みを徹底してほしい」――
記事は、〈市教委はこれまで遺族の強い希望を理由に自殺のあったことを公表しなかった〉、〈第三者委が6月、再発防止への提言などを盛り込んだ答申をまとめ、遺族の了解が得られたため、発表したという。〉と解説している。
6月の自殺発表が8月末のマスコミ公表となった。市教委の発表が自殺した生徒が通学していた学校の生徒のみへの発表だったからなのだろうか。そのため学校外の世間に少しずつ漏れて、マスコミが知るに至ったという経緯を辿ったのだろうか。
8月23日付の「47NEWS」記事が、8月23日、当時担任だった40代女性教諭がクラスのホームルームで男子生徒がいなくなった理由について同じクラスの生徒に「転校した」と説明していたことが学校関係者への取材で分かったと伝えている。
当時の同級生「学校を休みがちで、転校と言われても特に不思議だとは感じなかった。自殺とは知らなかった。(イジメについて)からかわれているのは見たことがあったが、特にイジメとは感じなかった」(47NEWS)
なぜ担任はイジメを受けた自殺を転校という事実にすり替えたのだろうか。
その理由を8月24日付「時事ドットコム」が教えてくれる。
市教委の話として、亡くなった生徒の遺族から「家の都合で転校したことにしてほしい」と要望があったからだという。
マスコミの報道によって次々と新たな事実が明らかになる。
市教委「遺族の心情に配慮した止むを得ない対応だった」
但しイジメに関係した生徒には事実を説明したとしている。
自殺した生徒の両親は世間体を憚ったのだろうか。憚ったとしたら、息子のイジメを受けての自殺を不名誉と感じていたことになる。
だとしたら、子どもの思い余った苦しみや悩みや哀しみをそのときの息子のありのままの感情として重んじて受け止め、思い遣ることよりも外聞を気にしていたことになるのだろうか。
自殺が例え世間の常識に反していても、誰もが助けにならないと周囲が感じさせ、自身も感じていたに違いない中での、その結末としての自分なりの一つの答の出し方だったと考えると、やはりその死を直視しなければならない気がする。
直視とは関わった一人ひとりがそれぞれに解釈した事実を事実として見て、しっかりと受け止め、それを学校社会を生きていく人間関係の知恵や成長していく糧とするということである。自殺の事実を転校の事実へと解釈の対象を変えることで直視の切実な必要性を失わせたことになる。
自殺の事実と向き合う直視によってまた、その衝撃性が担任及びクラスメートに取って自殺した生徒はどのような生徒であったのか、あるいは自殺した生徒にとって自分たちはどのような存在であったのか、自ずと相互の関係性を探る、あるいは学ばなければならない機会とすることもあり得る。
だが、転校したとすることで、例え「遺族の心情に配慮した止むを得ない対応だった」としても、折角のその機会を奪ったことになる。
勿論、自殺を今年の6月に公表してからでも、自殺を直視することも、直視することで相互の関係性を探ることもできるが、転校はウソで実際はイジメを受けた上での半年以上も前にあった自殺だと知った衝撃性は自殺直後に知らされる衝撃性と比べ物にならないはずで、当然、直視の強度に影響することなり、転校だと事実を隠したことに対する疑問に思いが向かう可能性も排除できない。
担任は遺族が「家の都合で転校したことにしてほしい」との要望をそのまま受け入れて、イジメを続けてきた生徒を除いたクラスの生徒に対して自殺の事実を転校の事実にすり替えた。
このことは担任としての責任放棄に当たらないだろうか。
もし学校自体がそのように説明することを承認していたなら、学校の責任放棄に当たることにならないだろうか。
責任とは自分が関わった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償いを意味すると同時に立場上、自分が引き受けて行わなければならない任務・義務を言う。
イジメを受けて追い詰められて選択した自殺だと事実を事実として知らせることが担任として何があったのか、何が起きたのかを生徒に考えさせるキッカケとなり、考えさせることによってその“何”を担任を交えた生徒それぞれの解釈を通して学び、学んだ“何”を全員で共有する知識とすることが可能であったはずだが、担任は、あるいは学校が生徒に対して自分たちが引き受けて行わなければならないその責任を放棄したことになる。
この放棄は担任、あるいは学校が遺族の「家の都合で転校したことにしてほしい」との要望を断る言葉(=思想)を備えていなかったからで、その不備を「遺族の心情に配慮した止むを得ない対応」に代えた。
あるいは遺族の要望に便乗すれば、生徒たちに対する説明を省くことができるし、担任や学校の対応を問題視されることもないと自分たちの責任逃れを考えたのかもしれない。
このようなイジメ自殺による不在を転校による不在とする責任逃れによって、全員して相互の関係性を探ることも、“何”が起きたのか、自殺を直視して検証する機会を失わせたし、今後共失わせることになるはずだ。
なぜなら、単にイジメや自殺に対する担任や学校の対応の是非、さらに新たなイジメや自殺の防止の対策に重点を置いた経緯を辿ることになるだろうからである。
自殺していなくなった生徒のことを転校したからだと誤魔化した時点で、あるいは「遺族の心情に配慮した止むを得ない対応」としたことで、担任も学校も生徒と一緒になって誰かが、何かが追い詰めたかもしれない自殺から、その誰かは特定できたとしても、特定の難しいその何かを学ビび、特定しようとする意志も姿勢も持ち合わせていなかったことを示すことになる。
担任も学校も持ち合わせていなかったから、生徒も結果的にそのような意志も姿勢も持つ機会を失ったことになる。
例え転校だと誤魔化さずに正直に自殺だとその事実を明らかにしたとしても、以上挙げた自分たちが引き受けて行わなければならない責任を生徒たちを前に的確に履行できなければ、もはや学校教育者とは言えない。学校教育者の仮面を被った学校教育者ではない存在という逆説を踏むことになるだろう。