安倍晋三の「デフレ脱却」の言葉と共にこのことを甘利明の国民への任命責任とする関係性自体も信用できない

2016-02-03 11:13:46 | 政治

 新聞やテレビが新たな事実を掴んで報道を進めていくにつれ、釈明記者会見の発言とは裏腹に口利き疑惑・金銭受領疑惑が益々深まっていく甘利明辞任の任命責任を2月2日(2016年)の衆議院本会議で問われて、安倍晋三は答弁している。文飾は当方。

 西村智奈美民主議員「甘利前経済再生担当大臣は、大臣の職を辞すればそれで済むのか。甘利氏には説明責任があり、逃げは許されない。安倍総理大臣にも、重い任命責任がある」

 安倍晋三「閣僚の任命責任は内閣総理大臣たる私にあり、私の任命した閣僚が交代する事態を招いたことは、国民に対して大変申し訳なく感じている。

 経済の再生は、安倍内閣の最重要課題だ。正念場にあるアベノミクスを前進させ、デフレ脱却を確かなものとすることにより、国民への責任を果たしていく考えであり、今後さらに緊張感を持って政権運営に当たっていく決意だ」(NHK NEWS WEB/2016年2月2日 17時57分)   

 「アベノミクスを前進させ、デフレ脱却を確かなものとする」ことを以って国民への任命責任とすると確約している。

 いわば甘利の「政治とカネ」の件に関して「デフレ脱却」と国民への任命責任との間に一つの関係性をつくり上げたことになる。

 「デフレ脱却を確かなものとする」と言う言葉の意味は未だデフレを脱却できていない経済状況にあることを意味する。

 安倍晋三はこれまで何度か「デフレ脱却」なる言葉を使って、経済状況の説明としているが、その時々で脱却の程度を異にした経済状況の説明となっている。

 以下、その発言を列挙してみる。

 2015年2月12日の施政方針演説。
 
 安倍晋三デフレ脱却を確かなものとするため、消費税率10%への引上げを18カ月延期し、平成29年4月から実施します。そして賃上げの流れを来年の春、再来年の春と続け、景気回復の温かい風を全国津々浦々にまで届けていく。そのことによって、経済再生と財政再建、社会保障改革の三つを、同時に達成してまいります」――

 「デフレ脱却を確かなものとする」とは、デフレ脱却がある程度まで進んでいるでいるとしていることになる。

 消費税率8%から10%への引上げ18カ月間延期はある程度進んでいるデフレ脱却を完全な脱却とするためだと公約したのである。

 つまり10%増税時2017年4月1日までにデフレ脱却は果たすとの公約でもある。

 その時までにデフレ脱却を果たしていなければ、8%増税時と同様に10%増税によって駆け込み需要を無効化して、再び消費が冷え込む危険性に見舞われないとも限らないとの見立てなのだろう。

 となると、10%増税時軽減税率導入の決定はデフレ脱却を推進するための道具立てではなく、折角果たしたデフレ脱却を後戻りさせないための用心策ということになる。

 消費税増税の延期を決めた2015年2月12日から甘利明の任命責任をデフレ脱却に置いた2016年2月2日まで約11カ月半。延期期間とした2017年4月まであと1年と4カ月。

 つまりほぼ中間地点にまで達している。デフレ脱却はかなり進んでいなければならない。

 2015年9月24日の自民党両院議員総会後の挨拶。

 安倍晋三「アベノミクスによって、雇用は100万人以上増えました。2年連続で給料も上がり、この春は、17年ぶりの高い伸びとなりました。中小・小規模事業者の倒産件数も、大きく減少しました。

 もはや『デフレではない』という状態まで来ました。デフレ脱却は、もう目の前です」

 「デフレ脱却は、もう目の前で」、「もはや『デフレではない』という状態まで来た」と言っている。

 2015年2月12日の時点でデフレ脱却がある程度まで進んでいると見立て、7カ月後の2015年9月24日の時点でデフレ脱却はもう目の前の経済状況だと見立てた。

 このことは5日後の2015年9月29日の国連総会出席時のニューヨーク内外記者会見の発言と整合する。

 安倍晋三「日本はアベノミクスの三本の矢の政策によって、雇用、所得環境については明確に改善しております。これは、事実が我々の政策の正しさを示していると思います。そして、デフレ脱却までもう一息、というところまで来ていますし、我々は成長できる国へと確実に生まれ変わりつつあります」――

 「もう目の前」と「もう一息」と言葉は違えても、言っている意味は同じで、出口が見えてきたことを安倍晋三自身の判断としていたことになる。

 実際に安倍晋三の目にははっきりと出口が見えていて、その出口に相当な自信を持っていたのだろう。

 2015年10月7日の第3次安倍改造内閣発足記者会見。

 安倍晋三「安倍政権発足から1000日余りが経ちました。アベノミクスにより雇用は100万人以上増え、給料は2年連続で上がりました。もはやデフレではないという状況をつくり出すことができました。国民の皆さんの努力によって日本は新しい朝を迎えることができました」――

 とうとうデフレ脱却の出口に到達、出口から外に出ることができた。勿論、後戻りということもあるから、そのことに気をつければいいことになる。

 2015年10月16日の「未来投資に向けた官民対話」でも同じ発言をしている。

 安倍晋三「我々は2年10カ月前に政権を担当することになりまして、15年続いてきたデフレから脱却していく、この大きな目標を掲げたわけでありますが、2年10カ月後においてデフレではない状況を作り出すことができた。このように思っております。これも当初は、それは相当困難な目標であると言われてきたわけでありますが、確実にしっかりと正しい政策を勇気を持って果敢に進めていくことによって、前進するのは事実であるということを証明できたのではないかと思います」

 二度までも同じことを言っているのだから、デフレ脱却は余程の経済状況の変更がなければ、後戻りすることのない真正な事実と受け止めなければならない。

 ところが2015年11月6日の読売国際経済懇話会講演会では、発言が後退している。

 安倍晋三「雇用は100万人以上増えました。正社員に限った有効求人倍率も、2004年の統計開始以来、最高の水準になっています。足元では、1年前と比べて、正規雇用は21万人増加しています。

 賃金も増加を続けており、今年の春は17年ぶりの高い伸び率となりました。先週発表された経団連の集計では、大手企業の冬のボーナスは平均で91万円を超え過去最高を更新しました。

 日本経済は、デフレ脱却に『あと一息』のところまでやってきました。そして、日本は、もう一度成長することができる。その確かな自信を、私たち日本人は取り戻しつつあります」――

 「デフレではない状況を作り出すことができた」と言っていたのが、「あと一息」に逆戻りしている。何ら説明がないのだから、後戻りの経緯を踏んだ結果の「あと一息」ではない。

 この発言から23日後の2015年11月29日の自民党立党60年式典での挨拶でも同じことを言っている。

 安倍晋三「成長か分配か、どちらを重視するかといった論争に終止符を打ちます。1億総活躍社会とは、成長と分配の好循環を生み出す新たな経済社会のシステムの提案であります。

 もう早くも、『そんなことはできない』。やる前からこんな批判が起こっています。3年前もそうでしたね。「三本の矢」でデフレ脱却に挑む、と言ったら「それは無理だ」「無鉄砲だ」と批判された。しかし、いま私たちは、デフレ脱却までもう一息までというところまでやってきたんです」――

 デフレ脱却の出口から無事外に出たはずだが、逆に出口を再び遠のかせてしまった。

 と思いきや、2015年12月14日の「内外情勢調査会2015年12月全国懇談会」では再び長いトンネルを抜けて外に出たと宣言している。

 安倍晋三「この20年近く、日本は、長いデフレに苦しんできました。しかし、経済の好循環によって、私たちは、『もはやデフレではない』という状況をつくることができました」――

 こうも発言がコロコロと変わる。どちらの言葉に信用を置いたらいいのか、迷わない国民はいるだろうか。

 但し2016年1月4日の「安倍晋三年頭記者会見」での発言を安倍晋三の迷いのない正しい判断と見るべきだろう。年頭記者会見早々に間違った判断をさも正しい経済状況であるかのように発言するとは思えないからだ。冒頭発言の中で以下のように述べている。

 安倍晋三「私たちも、この3年間『経済最優先』で取り組んできました。まだまだ道半ばではありますが、『もはやデフレではない』という状況を作り出すことができました」

 再び出口から外に出たことを自信に満ちた言葉で宣言した。

 この発言を質疑に入ってから問われた。

 ハーディング記者「ファイナンシャル・タイムズのハーディングと申します。

 総理は、『もはやデフレではない』という状況に入りますが(状況に入りましたと発言しました)が、まだインフレ率は0%に近いのに、早く(も)デフレ脱却したと発表する恐れがないと思われますでしょうか。もうデフレを脱却したということは、早過ぎるのではないでしょうかということです」

 未だ日本語が得意ではないようだ。

 安倍晋三「私は、デフレではないという状況を作り出すことはできた、こう申し上げておりますが、残念ながらまだ道半ばでありまして、デフレ脱却というところまで来ていないのも事実であります」

 どっちが事実なんだよと言いたくなる。

 「もはやデフレではないという状況を作り出すことはできた」ことも事実であるし、「デフレ脱却というところまで来ていないのも事実」だと、ほぼ正反対の二つの事実を並べて、二つとも正しい事実、正しい判断だとしている。

 どう見ても、信用の置ける発言・判断とすることはできないが、これまで見てきた通り、そもそもからして「デフレ脱却」の程度に関する発言がその時々で違っていること自体に信用を置くことはできない。

 にも関わらず、安倍晋三が自身が大臣に任命し、口利き疑惑・金銭授受疑惑の責任を取って辞任した甘利明に対する国民への任命責任を「デフレ脱却」に置く。

 この関係性を誰が信用できるだろうか。

 兎に角安倍晋三の言葉には信用が置けない言葉が多過ぎる。

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