自衛隊制服組の対背広組への防衛大臣補佐権限の大幅移譲要求は現場知識主義に基づいた文民統制への脅威

2016-02-22 10:50:43 | 政治

 2月22日(2016年)付ロイター記事、《制服組自衛官が権限大幅移譲要求》なる記事を配信している。全文参考引用してみる。   

 〈集団的自衛権行使を含み、今年3月施行される安全保障関連法を初めて全面的に反映させる自衛隊最高レベルの作戦計画策定に当たり、防衛省内で制服組自衛官を中心とする統合幕僚監部が、背広組防衛官僚が中心の内部部局(内局)に権限の大幅移譲を要求していることが21日、複数の防衛省・自衛隊関係者の証言で分かった。内局は拒否、調整が続いている。

 昨年6月の改正防衛省設置法成立で防衛省は、防衛官僚が自衛官より優位な立場から大臣を補佐する「文官統制」制度を全廃、内局と統幕が対等になった。統幕の要求が認められれば、軍事専門家である制服組主導となる可能性もあり、危惧する声は多い。〉(以上)

 改正前の防衛省設置法第12条は次のような規定となっている。


 (官房長及び局長と幕僚長との関係)

 第12条 官房長及び局長は、その所掌事務に関し、次の事項について防衛大臣を補佐するものとする。

 一  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する各般の方針及び基本的な実施計画の作成について防衛大臣の行う統合
    幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)に対する指示

 二  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する事項に関して幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画について防衛大臣の行う承認

 三  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関し防衛大臣の行う一般的監督

 官房長及び局長は防衛省の機関の一つである内部部局の役職であるが、要するに防衛大臣を補佐して陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に対して指示を出したり、一般的監督を行ったり、統合幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画についての防衛大臣の承認を補佐する役目を担っていることになる。

  防衛大臣の承認自体が官房長及び局長の補佐を得た承認であって、その承認を陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に対して行うということなのだろう。

 つまり官房長及び局長は陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部の上に位置し、防衛大臣を補佐する。この地位上の優位性が文民統制(シビリアンコントロール)を守る要(かなめ)とされてきた。

 これが次のように改正された。 
(官房長及び局長並びに防衛装備庁長官と幕僚長との関係)

 第12条 官房長及び局長並びに防衛装備庁長官は、統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長及び航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)が行う自衛隊法第9条第2項の
      規定による隊務に関する補佐と相まつて、第3条の任務の達成のため、防衛省の所掌事務が法令に従い、かつ、適切に遂行されるよう、その所掌事務に関
      し防衛大臣を補佐するものとする。

 改正前の官房長及び局長と幕僚長の3者(と言っても、制服組は統合幕僚長と陸上幕僚長と海上幕僚長と航空幕僚長の4人が占めている)に防衛装備庁長官が加えれれて、4者対等(人数としては背広3対制服4)の立場で防衛大臣を補佐する関係に改正されている。

 改正の動きがマスコミで伝えられたとき、シビリアンコントロールが危うくなりはしないか、その危惧からブログを書いた。その内容は、安倍晋三の「積極的平和主義」を口実とした自衛隊の海外活動が増えるに応じて発生するかもしれない有事の際、制服組が「現場を知っているのは我々だ、背広組は現場を知っているのか」と、“軍事の現場を知っている”ことを最大の権威とした、言ってみれば現場知識主義を持ち出して制服組の主張を押し通しはしないかの懸念と、戦前の例を取って、「現場知識主義」が如何に当てにならないかの非絶対性についてである。

 ただでさえ制服組が万能の力を持たせて錦の御旗としかねない懸念がある“軍事の現場を知っている”のは俺達だとの「現場知識主義」を持ち出して制服組に対して優位に立つ危険性が危惧されるのに、制服組の統合幕僚監部が背広組に権限の大幅移譲を要求した。

 いわば「現場知識主義」に市民権を与える権限の改善を求めたことになる。我々の方が“軍事の現場を知っている”のだから、我々の発言により大きな権限(=より大きな発言権)を与えて貰わなければ困ると。

 制服組が「現場知識主義」を自らの血とし、権威としていなければ、ロイター記事が書いているような権限の大幅移譲を要求したりしないだろう。

 と言うことは、昨年6月の改正防衛省設置法成立で既に「現場知識主義」の血を騒がせ、その頭をもたげさせていて、今年3月の施行を待ちきれずに我慢しきれなくなって、背広組から「現場知識主義」の市民権を公然と手に入れるべく動いたことになる。

 もし権限の大幅移譲の要求が罷り通った場合、制服組が背広組と両者相協力して防衛大臣を補佐することから離れて、背広組の上に立って優先的に補佐する権限を持つことになり、防衛大臣に対する「現場知識主義」に裏書きされた発言力、その発言の正当性は当然、強い力を持つことになる。

 そして防衛大臣が制服組の発言に基づいて自衛隊の最高指揮官である安倍晋三が発令する自衛隊に対する命令・指示は形式的にはシビリアンコントロールに基づいているように見えるが、実際は制服組の意向に添った命令・指示ということもあり得る。

 但し、右翼国家主義者であり軍国主義者である安倍晋三からしたら、好みの命令・指示となる可能性は否定しきれない。

 最後に参考のために以前ブログに書いた戦前の例を取った「現場知識主義」の非絶対性を改めてここに記して、それが如何に文民統制への脅威となりかねないかを考えて貰うことにする。

 〈戦時中の昭和15年(1940年)9月30日付施行の勅令第648号(総力戦研究所官制)により創設された総力戦研究所は官僚27名(文官22名・武官5名ー旧陸海軍では下士官以上の軍人)の第一期研究生を入所させ、二代目軍人の所長の元(初代も軍人)の昭和16年(1941年)7月12日から日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)が行われた。

 そして次の結論に達した。「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」であり、「日本必敗」

 その発表の席に参列していた当時陸将の東条英機がその結論をあっさりと覆した。

 東条英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争というものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。

 日露戰争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列强による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戰争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計畫通りにいかない。

 意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」(以上Wikipediaを参考)

 総力戦研究所の国力や軍事力、戦術等の彼我の力の差を計算に入れた合理的科学的な分析に対して長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法論としての戦略を語るのではなく、「意外裡」(=計算外の要素)に頼った非合理的な精神論を武器にしてアメリカに戦争を挑むという考えに立っていた。

 陸軍士官学校を卒業、一度挑戦に失敗してから陸軍大学校(陸大)に入学・卒業して関東軍参謀長、陸軍航空総監、陸軍大臣、内閣総理大臣、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣等々を歴任した人物がこの程度の日本軍人だった。

 “軍事の現場を知っている”ことを一大権威とした「現場知識主義」が如何に絶対的ではないかの何よりの証明であろう。

 何回かブログに書いてきたもう一人挙げてみる。
『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋・2007年4月特別号)

 昭和16年9月5日(金)

 (前略)近衛首相4・20-5・15奏上。明日の御前会議を奉請したる様なり。直に御聴許あらせられず。次で内大臣拝謁(5・20-5.27-5・30)内大臣を経、陸海両総長御召あり。首相、両総長、三者揃って拝謁上奏(6・05-6・50)。御聴許。次で6・55、内閣より書類上奏。御裁可を仰ぎたり。

 〈半藤一利氏注注〉あらためて書くも情けない事実がある。この日の天皇と陸海両総長との問答である。色々資料にある対話を、一問一答形式にしてみる。

 昭和天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 
 
 杉山陸軍参謀総長「南洋方面だけで3カ月くらいで片づけるつもりであります」

 昭和天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1カ月くらいにて片づくと申したが、4カ年の長きに亘ってもまだ片づかんではないか」

 杉山陸軍参謀総長「支那は奥地が広いものですから」
 
 昭和天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3カ月と申すのか」

 杉山総長はただ頭を垂れたままであったという。〉
 「Wikipedia」によると杉山元は陸軍士官学校卒業、陸軍大学校卒業と東条英機と同様の学歴を経て、陸軍大臣、陸軍参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し、そして元帥になっている優れた人物で、このような最高の経歴を得たのは上原勇作と杉山だけだと解説している。

 当然、“軍事の現場を知っている”「現場知識主義」に位置する第一人者の最たる一人であったはずである。

 だが、昭和天皇から「如何なる確信があってか」と問われながら、これこれの戦略に基づいて緻密・具体的に計算していくと、3カ月で片付くはずですと答えることができなかった。あるいはこれこれこういった緻密・具体的な戦略を用いて戦いに臨む計画から3カ月という日数を計算しましたと答えることができなかった。

 直接軍人の教育に携わるわけではないだろうが、日本陸軍の教育を掌る役職の長に就いていた。その杉山が日米戦争を前にしてその勝利に向けた戦略を根拠にするのではなく、3カ月で戦争の主導権を握ると、根拠を口にしないまま高言した。この皮肉な様子は日本の敗戦によって証明されることになるが、この証明は同時に「現場知識主義」が如何に信頼性に値しないかの証明でもある。

 だが、戦前の日本でこういった「現場知識主義」が跳梁跋扈し、政治を抑えて軍主導で日本の進路を決めることになった。

 ところが今現在再び“軍事の現場を知っている”ことを一大権威とした制服組の「現場知識主義」が防衛政策に影響を与えるべく画策を開始している。

 このことがいつか来た道となってシビリアンコントロール(文民統制)への脅威とならない保証はない。

 兎にも角にも安倍晋三が自衛隊の最高指揮官である。我々は心してかからなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする