沖縄全戦没者追悼式:安倍晋三は沖縄戦没者の“無念”を引き継ぐ県民のそれを経済発展で代償させるつもりでいる

2018-06-25 11:11:37 | 政治
 安倍晋三:従軍慰安婦強制連行否定2007年3月16日閣議決定

「政府が発見した資料の中には、軍や官憲がいわゆる強制連行を
直接示すような記述も見当たらなかった」
とする
“政府発見資料”とは如何なる資料か、公表すべき

 毎年6月23日に沖縄で「全戦没者追悼式」が行われた。この6月23日は沖縄防衛第32軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日で、この日を日本軍の組織的戦闘終結の節目と看做して沖縄慰霊の日が制定されたと言う。

 そしてこの6月23日を以って毎年、「全戦没者追悼式」が糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われることになったという。

 太平洋戦争で唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験した沖縄戦での死者は軍民合わせて20万人余、そのうち沖縄県民約9万4000人、約4人に1人の県民が犠牲になったと言われていて、日本軍12万近くの兵士に対して米軍55万人近くの兵士、内死者約1万2千余という死者数の比率からも明確な兵士の数と共に兵器の点でも圧倒的に優る米軍の攻勢に日本軍は敗走に敗走を重ね、追い詰められて我が子を先に殺して親が後を追う等々の集団自決者数が700人以上、一説に1000人以上にのぼるとされている。

 1994年6月29日付「朝日新聞」≪ルポ 沖縄戦 語り部の五十年3 重い荷物背負い続け生きる≫

 〈渡嘉敷島の惨劇は、米軍も知っていた。『沖縄戦アメリカ軍戦時記録』(上原正稔訳編)には、ニューヨーク・タイムズの記事を引用したつぎのような報告が記載されている。

 「ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると、「オーマイゴッド」、何ということだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子どもたちの泣き声だけであった。

 木の根元には、首を絞められて死んでいる一家族が毛布に包まれて転がっていた。小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。まったく狂気の沙汰だ。

 何とも哀れだったのは、自分の子どもたちを殺し、自らは生き残った父母らである。彼らは後悔の念から泣き崩れた。自分の娘を殺した老人は、よその娘が生き残り、手厚い保護を受けている姿を目にし、咽(むせ)び泣いた」〉――

 沖縄の日本軍は集団自決を強制していないと主張しているが、「天皇陛下のため、お国のために命を捧げる」ことの奉仕の要求、あるいは「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の捕虜を恥ずべきこととし、死を潔しとした戦陣訓の教えと天皇と国家を最もよく代表する存在としてその教えの体現者を任じていた軍人たちの振舞いが民間人を心理的にコントロールすることになり、日本人が持つ集団性と相まって“命の生き剥がし”に向かわせた強迫性が集団自決となって現れたということであろう。

 悲惨な戦争の真只中に投げ込まれて生き抜いた者たちが戦争で死した者たちの命が如何に敢えなく無にされ、無意味な戦争であったかを学び、その悲惨さへの悔恨と反省から、学んだことを忘れないためにも6月23日を慰霊の日とし、毎年繰返して全戦没者を追悼することになったと言うことなのだろう。

 いわば沖縄の全戦没者追悼式は以上のことを意図し、目的とした式典と言うことになり、スピーチする者もこの意図と目的に添わなければならない。

 では、先ず翁長沖縄県知事の「スピーチ」産経ニュース/2016.6.23 14:20)を見てみる。

 「私たち県民が身を以って体験した想像を絶する戦争の不条理と残酷さは時を経た今でも忘れられるものではありません。この悲惨な戦争の体験こそが平和を希求する沖縄の心の原点であります」と言って、生き残った者たちが学習することになった戦争の無意味さを糧とした平和の尊さを訴えると同時に、〈日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべき〉であるにも関わらず、〈国土面積の0.6%にしかすぎない本県に米軍専用施設の約74%が集中〉している過度の偏在を訴えているのは、その裏に安全保障上の危険性を過度の偏在相応に受けかねない恐れを自ずと組み入れていて、そのことがかつての沖縄戦と同様の「不条理と残酷さ」に取って代わられかねないと見ているからだろう。

 最後に、〈本日慰霊の日にあたり、犠牲になられた全ての方々に心から哀悼の誠をささげるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として未来を担う子や孫のために誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組んでいく決意をここに宣言いたします。〉とスピーチ、悲惨な戦争で多くの命が無にされていった者たちを慰霊し、追悼すると同時にかつての時間と未来の時間との連続性――無意味な戦争とムダな死の連続性を断ち切ることを誓っている。

 対して同じ沖縄全戦没者追悼式の安倍晋三の「スピーチ」(首相官邸/6月23日)を見てみる。

 安倍晋三「平成30年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 先の大戦において、ここ沖縄は、苛烈を極めた地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が無残にも奪われ、この地の誇る豊かな海と緑は破壊され、沖縄の地は焦土と化しました。多くの夢や希望を抱きながら斃れた若者たち、我が子の無事を願いながら息絶えた父や母、平和の礎(いしじ)に刻まれた全ての戦没者の無念を思うとき、胸の潰れる思いです」

 安倍晋三のスピーチは毎年と同じように過剰なまでに戦争の犠牲を描き出している。だが、「多くの夢や希望を抱きながら斃れた若者たち」にしろ、「我が子の無事を願いながら息絶えた父や母」にしろ、無意味な戦争を歴史の舞台としたムダな死だったからこそ、死の瞬間に芽生えることになった“無念”という抑えがたい情念であり、そうではあっても、死者たちと一緒にあの戦争の真只中に立たされて死者の“無念”を近くに見、生き抜くことができた沖縄県民にとっては死者だけの“無念”で終わるはずはなく、自らの“無念”として戦後73年経過しても生き続けている進行形にあるはずである。

 だが、安倍晋三のスピーチは生き残った沖縄県民がかつての戦争と多くの死に抱く無意味さやムダであったことの“無念”に対する視点を完璧に欠いている。“無念”が死者に限られた情念と見ていることから生じている死者を追悼するときの常套句の単なる寄せ集めとなっていて、心の底から沖縄県民の“無念”を考えていないから、このようなおかしなことが起きているのだろう。

 おかしなことはこればかりではない。

 安倍晋三「今、沖縄は、美しい自然、東アジアの中心に位置する地理的特性をいかし、飛躍的な発展を遂げています。昨年、沖縄県を訪れた観光客の数はハワイを上回りました。今や、沖縄は、かつての琉球の大交易時代に謳(うた)われたように、『万国津梁(しんりょう)』、世界の架け橋の地位を占めつつあります。アジアと日本をつなぐゲートウェイとして、沖縄が日本の発展を牽引(けんいん)する、そのことが現実のものとなってきたと実感しています。この流れを更に加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興を前に進めてまいります」

 沖縄全戦没者追悼式がかつての無意味な戦争とその戦争によって多くが無に帰した悲惨さの経験に対する悔恨と反省に立ち、無に帰した者たちへの慰霊と教訓として無意味な戦争の連続性を断つ誓いを意図し、目的としているにも関わらず、そのこととは無関係に沖縄県民の“無念”を沖縄の経済発展によって代償し、全てをチャラにしようとする発言となっている。

 いわば沖縄県民の“無念”に応えることと沖縄の経済発展に応えることは別次元の異なる問題でありながら、経済発展が沖縄県民の“無念”を解消する特効薬であるかのような物言いとなっている。

 浦添市の中学校3年生の女子生徒が沖縄全戦没者追悼式で「生きる」時事ドットコム)と題した詩を朗読した。

 その一節で次のように誓っている。

 〈私が生きている限り、

 こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

 もう二度と過去を未来にしないこと。〉・・・・・・

 戦争という歴史の無意味さの連続性を断ち切って、〈もう二度と過去を未来にしない〉ためには死者から生者が受け継いだ戦争の無意味さに対する“無念”を過去・現在・未来に亘って連続性ある情念として生かし続けることを動機としなければならない。

 “無念”さを忘れたら、戦争に対する拒絶反応を失うということである。

 この動機こそを沖縄全戦没者追悼式の糧としなければならないはずだが、日本の首相安倍晋三はそのような精神は持ち合わせていない。経済発展が全てを解決する糧だと思い込んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする