石破茂の総裁選立候補発言「正直、公正」は安倍晋三人格への対義語 対義性を象徴するモリカケ問題を改めて振返る

2018-08-13 11:59:46 | Weblog
 

 自民党の元幹事長石破茂が2018年8月10日、国会内で記者会見し、9月の党総裁選への出馬を正式に表明した。各発言は「産経ニュース」(2018.8.10 19:26)記事から引用。

 「私は、正直で公正、そして、謙虚で丁寧。そういう政治を作りたいと思っております。しかし、なぜ今の時代、正直で公正、丁寧で謙虚、そのような政治が求められるのか。それはこれから先、わが日本国が直面する大きな課題に対応していくためには『日本の設計図』を書き換えていかなければいけないからであります」

 「政治が国民の皆さま方に対して、誠実で謙虚で正直に勇気を持って真実を語る。その姿勢が必要であります。そして国民の皆さま方、その政治の語りかけに対して納得と共感を寄せていただく、信頼を寄せていただく。そうでなければ設計図を書き換えることなどはできません」――

 石破茂は言っている。

 「正直で公正、そして、謙虚で丁寧。そういう政治を作りたい」

 「政治が国民の皆さま方に対して、誠実で謙虚で正直に勇気を持って真実を語る。その姿勢が必要であります」

 誰でもが気づくことだが、安倍晋三が「正直で公正、そして、謙虚で丁寧。そういう政治」をモットーとし、実践していたなら、石破茂はこのような政治姿勢の目標を掲げることはできない。異なる対抗軸を口にしなければならなかったはずだ。

 そして「日本国が直面する大きな課題に対応していくために」書き換えるべき「日本の設計図」について次のように発言している。

 少子高齢化、世代間格差、地域間格差、賃金格差等々の固定化の是正、あるいは「激変する安全保障環境、経済環境」への対応のために「私は設計図を書き換えたいと思っています。政治の信頼が必要だというのは、まさしくそのような状況にわれわれが直面しているからであります」

 いわば各政策遂行の基本はあくまでも国民の側からの「政治の信頼」であり、そのためには政治を行う側が「正直で公正、そして、謙虚で丁寧」でなければならないと、それらの必要性を訴えているが、必要性は現状での不足性を裏打ちとして成り立つ。

 そして必要とする具体例を一つ挙げている。「官邸の信頼回復、官邸において、どのような意思決定がなされるか。内閣人事局のあり方はあくまで国民に奉仕する、そのような観点から、見直していきたいと思っております」

 「官邸の信頼回復」は「内閣人事局のあり方」と重なる。内閣人事局は第2次安倍政権下の2014年5月30日に内閣官房に設置された内部部局の一つで、各省庁の幹部人事を担うが、内閣官房の長は総理大臣たる安倍晋三である。

 そして内閣人事局の初代局長は安倍晋三の腰巾着である自由民主党総裁特別補佐、一億総活躍担当大臣、拉致問題担当大臣の加藤勝信、2代目が同じく安倍晋三の腰巾着自由民主党総裁特別補佐、自由民主党幹事長代行の萩生田光一、3代目が元警察官僚で内閣官房副長官を兼任している杉田和博であって、要するに各省庁の次官や局長クラスの幹部人事は官房長官の菅義偉を通して安倍晋三の意向が働く組織構成となっているゆえに国民の官邸への信頼があくまでも基本であって、それがなければ、これらの人事への信頼も失うことになるから、石破茂は「官邸の信頼回復」と併行させて「内閣人事局のあり方」として国民への奉仕を挙げた。

 現実問題としても、森友国有地格安売却に対する疑惑で国会で質問の矢面に立った財務省理財局長の佐川宣寿が2017年7月に国税庁長官に突然栄転した人事は疑惑隠蔽の働きと口止め料を合わせた論功行賞ではないかと多くの国民の不信を招いた。

 要するに「官邸の信頼回復」は「内閣人事局のあり方」にもかかっているが、安倍内閣はその信頼性を確立し得ていないとの警告であろう。

 冒頭発言後の記者との質疑で石破茂は信頼性喪失の例を暗に示唆している。

 「国民の皆さま方が色んな事象について『本当なんだろうか』という思いを持っておられることは事実であります。現政権がどうのこうのということではなくて、私自身、正直でありたい。公正でありたい。心がけてまいりました。国民の皆さま方に『今の政権は公正だね、正直だね』というような思いを持ってもらわなければ、政治はその役割を果たすことができないと思っております」

 「本当に人間は無謬ではありません。私ももちろんですが、間違えることはあります。失敗することも多くあります。それを謙虚に認めて、間違いは間違いと認めて、おわびをするという姿勢は、私は必要なものだと思っております。なんにも間違っていない。責任は自分にはない。少なくともそれは私のやり方ではございません」

 「総理秘書官をはじめとする官邸スタッフはどういう人に会ってどういう人に会わないのかということがよくわからない、ということであってはなりません。秘書官をはじめとする総理の周りのスタッフは、ある意味超多忙な総理大臣の分身でもございます。どういう人に会い、どういう人に会わないのか、どういうような会話がなされ、それが政策決定にどのような影響を及ぼしたか。それは私が国務大臣を務めておりましたときも、秘書官たちにはそのことをよく申しておりました。それがきちんと評価をされるようでなければなりません。そのような官邸の信頼回復が必要だと考えています」

 これらの発言は主としてモリカケ問題を念頭に置いた発言であろう。モリカケ問題に対する安倍晋三の国会答弁に国民の多くが「本当なんだろうか」という不信感を抱かざるを得ないから、世論調査でモリカケ問題は「決着していない」が80%近くを占めることになっている。

 このような数値は官邸への信頼度に対応する。要するに「謙虚に認めて、間違いは間違いと認め」るのとは正反対に正直に事実を述べていないと見ていることからの信頼性の欠如であろう。
 
 「総理秘書官をはじめとする官邸スタッフはどういう人に会ってどういう人に会わないのかということがよくわからない、ということであってはなりません」と言っていることは、勿論、加計学園獣医学部認可に関わる安倍晋三の発言を指している。

 その一例である2018年5月14日の衆院予算委の発言を見てみる。

 安倍晋三「そもそも秘書官が私に案件を報告してくるのは、私が何らか判断する必要があるときが基本でありまして、国家の重大事でもない限り、途中段階で説明を受けることは、これは殆どないと言ってもいいと思います」

 首相秘書官は総理大臣の意向・指示に従って動く。にも関わらず、途中経過や成果に関しての報告は首相秘書官自身が主体的に適宜判断して行うのではなく、「私が何らか判断する必要があるときが基本」だとしていることは、安倍晋三は首相秘書官に対して自分の意志・判断で行動する主体性を制限した存在に貶めていることを示す。

 主体性を制限されて喜ぶ有能な官僚とは倒錯そのもので、果たしてそのような従属性に満足するだろうか。

 首相秘書官が例え総理の意向・指示に従って動こうとも、全ての行為に亘って自らが適宜判断して行う主体性を確保していてこそ、物事は適確に進行し、当該人物を首相秘書官に任命した意味が出てくる。

 要するに安倍晋三は柳瀬唯夫首相秘書官から獣医学部認可に向けた報告を適宜受けていたが、それを認めた場合、国会答弁との不一致が出てくるから、ウソをついた。

 結果、首相官邸への信頼度を低めることになっていると見て、石破茂は総裁選立候補に際して安倍晋三の正直、公正とは言えない態度を反面教師とするに至った。

 その一つの方法として首相秘書官が「どういう人に会い、どういう人に会わないのか、どういうような会話がなされ、それが政策決定にどのような影響を及ぼしたか」、全てガラス張りにするということであろう。

 安倍晋三の国民に対する姿勢からはどこをどう見ても、ガラス張りは見えてこない。見えてくるのは石破茂が言っている「誠実で謙虚で正直」のカケラさえも見えない隠し事の存在のみである。

 当然のこと、「誠実で謙虚で正直」は安倍晋三の人格への対義語そのものであって、既にブログに何度も書いているが、ここから対義性を象徴するモリカケ問題を改めて振返ってみる。

 安倍晋三は愛媛県今治市に指定した国家戦略特区利用の新設獣医学部の事業主体が加計学園であることを最初に知ったのは「第27回国家戦略特別区域諮問会議」でそのことを認めた2017年1月20日当日であると国会答弁してきた。ところが愛媛県が2018年5月21日に参議院に提出した文書には2015年2月25日に安倍晋三と加計学園理事長加計孝太郎が15分程度の面会を行い、獣医学部について話し合ったことが記載されていた。

 安倍晋三自身は勿論、加計学園もこの面会を否定した。

 加計学園は5日後の5月26日に〈構造改革特区から国家戦略特区を用いた申請に切り替えれば、活路が見いだせるのではないかとの考えから、当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、(愛媛)県と(今治)市に誤った情報を与えてしまった〉といったコメントを発表した。

 要するに獣医学部新設と認可の「活路」を見い出すために安倍晋三と加計孝太郎のありもしないニセの面会情報を愛媛県と今治市に与えてしまった。

 加計学園理事長加計孝太郎が2018年6月19日に記者会見を行い、ニセの面会情報だったとする同じ趣旨の発言を行っている。

 加計孝太郎「先程申し上げましたように本人が事を前に進めるために申し上げたということでございます」

 加計孝太郎「まあ、前に進めるためにやったという事実しか伺っておりませんので、ま、虚偽の発言と言えば虚偽の発言になんだろうと思いますけれども、前に進めるためにあくまでもやったというふに聞いております。申し訳なかったと思っています」――

 獣医学部新設・認可の「活路」を見い出すために、あるいは「事を前に進めるために」ニセの面会情報をデッチ上げ、利用するについては獣医学部新設・認可の権限を握っている関係省庁、あるいはそのような関係省庁に影響力を行使し得る有力政治家にデッチ上げたニセの面会情報を吹き込み、信じ込ませて動かすところまで持っていなかければ、ニセの面会情報をデッチ上げた意味を失う。

 森友学園の当時の籠池泰典理事長が2015年4月25日に安倍昭恵を校舎建設の国有地に案内したとき、昭恵から「『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた」と財務省の役人に伝えたのは安倍昭恵の背後に安倍晋三の意向が働いていることを臭わせ、その意向を忖度させる 少なくとも配慮させるための計算があったからだろう。

 この計算は役人たちが国有地売却の権限を握っているからこそ働くのであって、安倍晋三は国会答弁で「妻は言っていない」と否定しているが、言った・言わないは問題ではなく、役人たちに言ったと信じ込ませることが目的だったはずだ。

 ところが、加計学園がそのニセの面会情報を吹き込み、信じ込ませたのは獣医学部新設・認可に何の権限も持たない、加計学園と同じく新設・認可をお願いする側の愛媛県と今治市にとどまっていて、何の意味も出てこないし、ニセの面会情報としての利用の目的も果たしていない。

 安倍晋三と加計孝太郎の面会が事実だからであって、関係省庁に影響力を行使し得る安倍晋三との面会自体が加計学園獣医学部新設と認可への利用目的となっている。その結果、愛媛県文書が記しているとおりに「首相案件」としての特別の取り計らいを与えられた加計学園獣医学部新設であり認可だったからこそ、愛媛県文書の公表に対して窮余の策として面会をニセとする情報を仕立てなければならなかった。

 だからこそ、権限を握っている関係省庁にまで吹き込むことはなかった尻切れトンボで終わることになった。

 石破茂が総裁選立候補の記者会見で、「正直で公正、そして、謙虚で丁寧」云々と、安倍晋三の人格への対義語となる政治姿勢を掲げ、「官邸の信頼回復」を訴えるのも無理はない安倍晋三の疑惑まみれの姿となっている。
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