亀田親子はボクシング界の安倍シンゾーとなるのか?

2007-10-17 12:42:31 | Weblog

 
 世界フライ級タイトルマッチ戦での試合中のプロレスラー顔負けの反則行為で亀田家試合当事者二男の大毅は「ボクサーライセンスの1年間停止」、親子鷹を演出していた父親史郎は「セコンドライセンス無期限停止」、暴力団組員顔負けのコワモテ長男興毅は「厳重戒告処分」。

親子3人揃って持ち前の凶悪な顔を最大限に利用して威嚇・眼ヅケ・罵倒・悪口雑言を手段に試合相手をリングに上がる前の記者会見時や体重測定時から威しにかかり、怯ませて試合を有利に進めようとリングに上がってまでしつこいまでに繰り広げる。

 その手段を選ばないなり振り構わない嫌らしさは品も何もあったものではない。TBSの「みのもんたの朝ズバッ」が親の指導を立派だと褒め、今時珍しい親子の絆だとゴマすり同然に持ち上げ、大衆が乗せられて亀田人気は沸騰した。

 弱い犬ほど吠えると諺にあるが、弱い犬でありながらやたらと吠えるのは自身の実力を弁える力がないからだろう、弱さを補う手段が吠えることと言うわけである。

 それが試合中にリング内で過去に例のない反則を犯し、これまでの悪質な態度と併せてこれまた過去に例のない処分を受けた。

 亀田家所属ジムの協栄ジムオーナーの金平桂一郎会長は監督責任を問われてオーナーライセンスの3カ月の停止処分を受けたが、監督責任を果たすために相手ボクサー内藤大助選手と所属する宮田ジムの宮田博行会長に対する直接の謝罪を求めることを亀田家に要求しているが、父親亀田史郎は自身への処分には納得しているが、重過ぎるとしている大毅への処分に納得がいかないのか、自らも謝罪に訪れず、金平会長の要求にも応ずる気配を見せていない。
 
 安倍前首相が靖国神社参拝問題や歴史認識発言での断定口調、あるいは中国や北朝鮮に対する強硬発言で大衆人気を獲得して戦後生まれで初となる総理・総裁の椅子を獲得していった過程と、亀田親子が大衆人気を獲得しヒーローに登りつめていった過程がその実力との不釣合いな関係、人気沸騰の急激さと高さで対応し合っている。

 安倍首相は総理・総裁に就いた後も教育基本法改正や憲法問題での自信に満ちた確固とした「戦後レジームからの脱却」宣言、各政策に於ける「すべて私の内閣で解決する」と揺るぎのない姿勢を持ち続けたが、突然、就任後ほぼ1年で自分から挫ける形で政権を投げ出し、惨めな敗北の姿を曝してしまった。

 「闘う宰相」と自らが宣言した「闘う」姿勢は何だったのか。「闘」った痕跡すら見えない。日本の戦後を変えるという壮大な政策の、その壮大さは何だったのか。影も形も見えない。弱い犬が単に強い犬と見せかけて吠えるのと同じで、自分を偉大だと思わせる単なるポーズだったのだろうか。

 亀田家が協栄ジムオーナーの金平会長の忠告に従って親子3人揃って内藤大助選手と宮田ジム宮田会長に謝罪の頭を下げ、謝罪の言葉を口にした瞬間、それはこれまで自分たちが築き、大衆人気を博した威しキャラを捨てることを意味する。言ってみれば、リングに上がる前から相手選手を怯えさせ、自分たちは強いのだと思わせる牙としてきた威しキャラなのである、謝罪した時点で二度と使えない牙となり、牙を剥かれるに等しい謝罪となる。

 吠えることでしか自分を強い犬と思わせることができない犬が吠えることを取り上げられたなら、自分を強いと思わせる手段を失う。威しキャラで勢いをつけてきた亀田兄弟が威しキャラが使えなくなったとき、借りてきた猫のように相手選手と対峙するしかない。

 勿論このことはそれ相応のボクシングの技術を身につけることで解決する。但し威しキャラは父親から与えられた練習環境や学習によって父親共々築き上げたということだけではなく、亀田家の血も作用し性格の一部ともなっているだろうから、思い通りの試合運びができない場合が生じるのは実力あるボクサーでも経験することで、亀田兄弟にしても遭遇するそんなとき、いつ何時カッとなって自分を抑えることができず奥の手としない保証はない同じことの繰返しとなる危険性を抱えることになる。

 謝罪するのも困難、謝罪しないのも困難。謝罪して一旦はケリがついたとしても、威しキャラを再び奥の手としてしまったとき、「何も変わらない亀田」ということになって、それは選手生命の終わりを意味しかねない。

 そうなったとき、安倍前首相が最後には惨めな姿を曝したのと同じく、亀田兄弟もかつての大衆人気の面影もなく、同じ運命としないとも限らない。

 それにしても滑稽でみっともないのは「朝ズバッ」のみのもんたである。亀田親子が落ちた偶像となるや、落とした内藤大助チャンピオンを番組に招いて盛んに持ち上げ、亀田親子が処分を受けると、これまで持ち上げたことも健忘症に「軽い」などと相変わらずの〝正義漢〟を演じる。本人の中ではそのケロッとした顔から判断すると、何の矛盾もないのだろう。

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犯罪・不祥事・冤罪+目こぼしは警察の習い?

2007-10-16 09:46:23 | Weblog

 時太山暴行死が炙り出す警察の体質

 このところ冤罪や署員の痴漢行為等の犯罪・不祥事で目がまわるほどに忙しい日々を送り、商売繁盛で結構なことだなと思っていた警察だが、部屋の力士時太山への暴行死を起こした時津風部屋親方(前)に対する警察の処置は冤罪とは反対の「目こぼし」なのではないだろうか。説明するまでもないが、「冤罪」は犯してもいない犯罪を犯したと濡れ衣を着せる、日本の警察がよくやることだが、「目こぼし」は逆に犯した犯罪を犯していないとして見逃すことを言う。

 力士や相撲部屋の後援者であるいわゆるタニマチは土地の有力者が殆どで(100万からするマワシをポンと贈るといったことははっきり言って我々貧乏人には真似のできないことだからだ)、タニマチとなる有力者の方も力士や相撲部屋を贔屓にして、それを周囲に自慢したり見せびらかしたりして自らの虚栄心を満足させる。そして警察署長自体、赴任以来その土地の名士として扱われる。市町村長への挨拶から始まって市町村会議長への挨拶と続き、次第にその土地の他の有力者と面識を深めていく。権威に弱い日本人は特に公的権威に弱い上に犯罪を取締る公的領域にいる者と取締られる私的領域にいる者との公私立場からして、私的立場にいる土地の人間は公に対して畏まった一歩下がった関係を強いられがちとなる。

 所轄署の署長がそうだから、県警幹部となれば一段上の名士の列に加えられることになるに違いない。いわば土地の有力者と昵懇の関係となる。

 昨日15日の昼からの朝日テレビで「目こぼし」と確信させるような発言をルポライターの武田頼政氏が行っていた。主な箇所を拾ってみると、そのコーナーの最初の方で両親に依頼されて死体解剖した新潟大学院の出羽厚二准教授のインタビュー画面を映し出した。、

 「愛知県警の、県警本部のですね、検視官がやってきて、しっかりと外傷所見を見て、そして司法解剖に愛知県(警)でまわすべき事件だったと指摘しているわけです
 
 だが、県警はそうしなかった。

 次いで元東京都監察医の上野雅彦氏のインタビュー画面。

 「両目が腫れて、皮下出血のようになっていますよ。倒れたときは鼻の天辺とか、おでこに擦り傷・打撲傷があってもいいけど、目には普通出血しないですよ。目に出血しているってことは、(握った拳で目を目掛けて殴る真似をして)直接の外力が目に作用している。体中に打撲傷が、その散在しているので1対1、と言うよりは集団的なリンチみたいな感じを受けますよね。専門の医者がですよ、いきなりこの顔を見て、急性心不全って診断を下す、それ自身おかしいことだと思いますよ

 直接見せるわけにはいかないからと死体写真から起こしたというイラストのフリップを示して、内出血がひどく顔が2倍ぐらいに腫れていた、額に親方が前日ビール瓶で殴った傷跡らしき3センチ程の裂傷がある、右耳に挫滅させられた跡が見える・・・とコメンテーターとして出演していたルポライターの武田頼政氏が全身の傷跡の如何にひどいものだったかを紹介したあと、再び死体解剖した新潟大学院の出羽厚二准教授のインタビュー画面。

 「初動段階での捜査ミスっていうか、初動捜査もしていないと言っている、申し上げているわけですね。最初の犬山署の捜査が不十分?そして犬山署が親代わりという時津風親方に返したと、いうところがおかしいと指摘しているわけです」

 愛知県警のコメントを女子アナが読み上げる。「批判されるべき点はあると思うが、我々としてはできる限りのことはやったという認識だ。今後も慎重に捜査していきたい」

 武田頼政ルポライター「犬山署の説明ですけどね、今回の鑑定が出次第、強制捜査に入ると僕にも言ってたんですけども、数日経つんですけど、何も動かないっていうね、ちょっと考えられない。あの要するに時津風部屋と犬山署の、まあ、これまでの関係もあったんでしょう。毎年毎年に、その、チャンコに招かれたとかね、署長が。そんな関係ですからね。すべてが信頼できないですよ

 県警の「我々としてはできる限りのことはやった」としてることが、「司法解剖に愛知県(警)でまわすべき事件だった」にも関わらず、まわさなかったことであり、遺体が運び込まれた病院が行った「専門の医者がですよ、いきなりこの顔を見て、急性心不全って診断を下す、それ自身おかしい」診断を警察は疑い一つ見せずに素直に聞き入れたことと、さらに死因を「虚血性心疾患」と変えて発表したことである。

 その経緯を15日『朝日』夕刊≪力士急死 検視怠る≫で部分的に見てみると、犬山消防署は救急車で搬送中に犬山署に「労働災害の可能性あり。不審死の疑い」と連絡した。救急救命士ではあっても「専門の医者」ではない消防士が「不審死の疑い」とまで見立てているにも関わらず、「専門の医者」でありながら、遺体が証拠立てている痕跡を問題外として単に「心不全」と診断した死因を警察は「虚血性心疾患」と発表。

 病院が「なぜ警察が虚血性心疾患と発表したか分からない」としているのに対して、県警は「心不全も虚血性心疾患も一緒だ」との認識を示したと記事は伝えている。

 名称を違えた疑問を解く鍵が記事の病名の違いを解説している箇所から窺うことができる。

 <急性心不全は事件性の有無にかかわらず、急に心臓が止まった「状態」を示す。一方、虚血性心疾患は狭心症や心筋梗塞を含む病名であるため、事件性のない病死を意味する。>

 そして<遺体は外傷の多さを不審に感じた遺族の希望で解剖され、多発外傷によるショック死と判明。>(同『朝日』夕刊)

 「不審死の疑い」と見立てた消防士よりも「専門の医者」ではないはずの遺族が「遺体の外傷の多さに不審を感じ」る見立てをした。解剖の結果、「専門の医者」ではない遺族でも分かる「不審死」だったことが証明された。<多発外傷によるショック死>

 外傷を加えられた多くの遺体を見てきているはずだから、警察は何らかの「不審」を抱いていいはずだが、検視官も呼ばず、司法解剖にまわすべきをまわさず、何ら「不審」を抱かなかった。

 もしも警察が時津風親方からも、親方の意を受けた土地の有力者からも、何分よろしくお願いしますと頭を低く下げられたとしたら。――

 県警や犬山署は時津部屋のタニマチとなっている土地の有力者とも親交があるだろうし、<毎年毎年に、その、チャンコに招かれたとかね、署長が。そんな関係>もあったことから、病院が死因とした「心不全」だとしたら、事件性の可能性もあることになってまずいから、<事件性のない病死を意味する>「虚血性心疾患」とすることで事件性を抹消する「目こぼし」で頭を下げてきたことでもあるし、普段の親交に応えた。

 一方は国技大相撲の名門時津風部屋の師匠であり、飲み食いの世話も受けている。一方は入門仕立ての、多分、ちょっと稽古を厳しくしただけで、あっちが痛いの、こっちが痛いの、部屋としては強くしてやりたい一心で厳しく当たったところ、おかしくなってしまって・・・・ぐらいの自己正当化の言い逃れぐらいはしているだろうから、最近の我慢にない若者と見くだして、両者の人間価値に差をつけたといったことも疑うことができる。何しろ社会的地位や財産、学歴で人間の価値を計る権威主義性を民族性としている日本人であり、その中でも国家権力を背景に権威そのものを自己存在性としている警察官である。

 勿論すべてではないが、幹部になるほど侵されやすい権威的自己存在性であろう。

 以下、メディアによって新潟大学大学院の出羽厚二准教授(法医学)の発言内容に少々違いがあるから、インターネットで拾った言葉を列挙してみる。
 * * * * * * * *
 「無数の外傷がある遺体を解剖せずに病死と判断したのはおかしい」(07.10。15/13:33 読売新聞≪時津風部屋力士急死、解剖医が愛知県警の検視ミス指摘≫

 愛知県警が死因とした「虚血性心疾患」について、「17歳と若く、体も元気な斉藤さんの死因と判断するのは通常ありえない」(同読売)

 「通常は遺族に返すべきで、暴行を加えた疑いのある側に返すのはおかしい。遺族が解剖を希望しなければ、捜査が行われなかったことになり、大きな問題」(同読売)

 出羽准教授の指摘に対し、愛知県警「当時、犬山中央病院が実施した脳検査の結果でも異常はなく、親方や兄弟子が稽古でできた傷と説明したことなどから、事件性はなく、虚血性心疾患と判断した。最終的には死因が違ったわけで、ミスと言われれば仕方がない」(同読売)
 * * * * * * * *
「説明」を鵜呑みにしている不自然に注目しなければならない。
 「無数の外傷があり、事件の可能性を考慮すべきだった。初動捜査がなっていない」(2007/10/15-22:56時事通信社≪「初動捜査なってない」=力士死亡で新潟大解剖医-愛知県警を批判≫

 遺体を見た時の印象について「すぐに病死でないとは言い切れないが、解剖しないといけないと感じた。検視官の出動要請は最低限すべきだった」(同時事通信社記事)

 県警が死因を虚血性心疾患としたことについて「混乱していたのかもしれないが、搬送された病院は急性心不全と診断したのに、事件性の薄い診断名が1人歩きしてしまい、その後の捜査をミスリードすることになった」(同時事通信社記事)

 最初から事件ではないとする意図的「ミスリード」ではなかったのか。
 * * * * * * * *
 「親方らの話をうのみにし、遺体を司法解剖もせずに返した。捜査の基本が抜け落ちていたのではないか」(デーリースポーツ≪斉藤さん解剖医が愛知県警ミス糾弾≫

 「死亡確認をした臨床医が気付かなくても、県警の検視官が傷を見ればすぐに分かるはず」(同デーリースポーツ)

 「法医学の担当者が足りなかったり手続きが煩雑だったりするため、臨床医が自然死と判断した場合は、当局側がそれに飛び付いてしまう傾向がある」(同デーリースポーツ)

 いくら「法医学の担当者が足りな」くても、そういった「傾向」は職務上の怠慢以外の何ものでもなく、職業上の使命としている守るべき社会の治安を逆に破る挑戦を犯したことになる。見逃していたなら、殺人者を野放しにすることになりかねない。しかも社会的地位ある人間として。
 * * * * * * * *
 愛知県警幹部は「けがと死因には関連性がないという医師の判断と、関係者の聴取から当初事件性はないと判断した。初動捜査はきちんとしたと考えている。今後真相究明に向け全力を挙げる」(新潟日報2007年10月15日≪力士の解剖医が捜査ミス指摘≫

 「関係者の聴取」を頭から信じていたなら、冤罪は生じない。そのことは結構なことだが、実際に犯罪を犯した多くの容疑者は最初の「聴取」で無実を口にするだろうから、無実を口にした事件はすべて無罪とすることになる。まずいじゃないか。
 * * * * * * * *
 「初動に問題があった。家族に指摘されて解剖する事態になったのは大失態」(07.10.14/毎日新聞東京朝刊≪大相撲:時津風部屋力士急死 「愛知県警、初動ミス」 新潟大解剖医が指摘≫

 「『激しいぶつかりげいこで亡くなった』という部屋側の話をうのみにして事件性がないと判断した可能性がある」(同毎日)

 「家族に連絡もせずに遺体を親方に返してしまった。加害者(の疑いがある部屋)側に返したことになり、常識的に考えておかしい」(同毎日)

 「私に連絡がつかず解剖が行われなければ、『事件性がない』で終わったかもしれない」(同毎日)

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検証姿勢を歴史・伝統・文化としなかった日本人

2007-10-15 01:12:11 | Weblog

 戦争を検証しなかったことに始まる

 富山県で2002年の1月と3月に起きた婦女暴行、同未遂の2事件で懲役3年の実刑判決を受け、2年1カ月の服役後仮出所、その後真犯人が判明したことを受けて行われた10月10日(07年)の再審で冤罪と認められて無罪が確定した「富山冤罪事件」。

 だが、弁護側が<県警の高圧的な取り調べが柳原さんを自白に追い込んだと主張。捜査の経緯を解明するため、取り調べを担当した警察官の証人尋問などを求めたが、却下された。>(07.10.10/15:58asahi.com≪富山の冤罪男性、再審で無罪 女性暴行で逮捕・服役≫)裁判であったと言う。いわばなぜ誤認逮捕が起きたのか、取調べがどのように行われた結果、誤認逮捕であることに気づかないまま真犯人と断定するに至り、告訴に踏み切ったのか、また取調べ側の取調べの態度と対応する形で被疑者が無実でありながら、罪を認めざるを得なかった経緯等の解明が再審では取り上げられなかった。

 このことは無罪獲得後の冤罪被害者の記者会見での感想が証明している。

 「納得のいかない判決だった」、「無罪判決をもらっても、真実が闇に葬られたままではうれしくない」(07.10.10/20:22東京新聞)

 冤罪は何もこの件に限らない。今回の冤罪と比較する形で県議選での公職選挙法違反容疑で逮捕された12人の被告全員が無罪となった03年の鹿児島県警の不当な取調べを多くのメディアが取り上げている。県警の警部補は家族の名前を書いた紙を被疑者の足を捕まえて無理矢理踏ませる「踏み字」まで強制して自白を強要したと言う。民主主義の時代であることを差引いたなら、江戸時代の封建主義の時代のもとに行われたキリシタン弾圧の「踏み絵」にも等しい優れたアイデアである。誰が考え出したのか、IT時代に反した大時代的且つ時代遅れなその才能には感服する。

 再審裁判が冤罪を生じせしめた警察の体質・取調べの経緯の検証まで踏み込まなかったとしたなら、警察庁は監督官庁として第三者を交えた検証機関を設けて徹底的に調査・検証すべきなのだが、<警察庁は、緻密(ちみつ)で適正な捜査を求める通達を全国の警察本部に出した>(07.10.11/1:23「読売」≪富山冤罪事件 無罪でも失われた時は戻らない≫)にとどまっている。通達の内容は<証拠収集の徹底など、いずれも基本的な内容>に過ぎないと同記事は伝えている。

 記事自体も<両事件とも、捜査幹部はどんな指揮をしたのか。>と調査・検証を求めているが、そのことに反して「適正な捜査を求める通達」のみで冤罪の調査・検証がなければ、冤罪発生の構図がウヤムヤとなり、忘却の彼方に追いやることになる。

 「通達」が今後二度とこのような冤罪事件を犯さないようにと注意していたとしても、真犯人だと思い込むに至った誤った予見はいつどこでどのようにして発声したのか、取調べの過程で誤った予見を修正する機会はなかったのか、機会はあったが、他に犯人はいるはずはないといった先入観が優って、あるいは別の犯人が浮かんでこないことから違うかもしれないという疑いを押さえ込んでしまったといったことはなかったか等の取調べ側の心理面をも含めた冤罪への進行過程を解明する具体的な調査・検証を省いたのでは、他の警察官にとって自己の捜査経験との比較対照で自己省察の機会を与える参考材料とはならないだろう。

 また取調べ側が冤罪事件を引き起こしたとしても調査・検証を行わずに訓戒や戒告で済ませた場合、あるいは警察自体の冤罪を生む体質まで問わないトカゲのシッポ切りのような主たる当事者のみの懲戒処分といったことであったなら、それが自己保身の安心材料を提供する前例となって、逆に冤罪に対する姿勢に気持ちの隙を与えることにならないだろうか。

 冤罪の具体的な成立過程を逐一知り、そのことを学習することによって、少なくとも似たような経緯を辿ることの予防にはなるはずである。

 いわば警察庁の「通達」は冤罪経緯解明の姿勢を省略していることによって、今回の冤罪は冤罪としてそのままにして置く、あるいはそのままに収める内容を取るものであろう。ここに自分たちの問題であるにも関わらず放置する狡さはないだろうか。大相撲の時津部屋の親方も関わっていた部屋所属力士の時太山に対する暴行死を文科省の指導を受けるまで自分たちの問題であるにも関わらず放置していた相撲協会自身の姿勢に通じる警察庁の態度にも見える。

 指導を受けた以降の相撲協会の姿勢は単に事件に限った、親方や兄弟子たちといった関係者のみからの聞き取り調査で、指導の名で行われている体罰まがいの物理的な強制が一歩間違えると傷害や死につながる危険性を背中合わせに抱えた大相撲界全体の慣習として罷り通ってはいないかの調査・検証ではなかった。

 日本弁護士連合会が冤罪の被害者から真犯人にされた経緯と裁判での状況を聞き取る調査を行ったということだが、それが容疑者の立場に置かれ、且つ真犯人にデッチ上げられていく過程での自身の心理面も含めた様々な状況を解説し得たとしても、取調べ側が演じた内面的な冤罪の構図にまで立ち入ることは困難であろうから、一面的には警察や司法に対する警告にはなり得ても、取調べを行う者たちに対する自らを戒める直接的な訓戒の材料となり得るかは疑わしい。

 調査・検証がないのは警察の冤罪だけではない。年金保険料を着服した市町村職員に対して刑事告発を行わずに弁済や懲戒免職等の内部処理で済ませた自治体に代わって桝添要一厚労相の意を受けて社会保険庁が今回刑事告発に踏み切ったが、厚労相が手をつけなければならないのは厚労省の外局に当たる社会保険庁の年金記録の回復と並行して、なぜこのような年金問題が起きたかの調査・検証であろう。

 安倍内閣時代にしたことは、誰に責任があるかの名指しの非難合戦のみで、なぜこのような事態に立ち至ったかの調査・検証までは手をつけなかった。監督官庁としての厚労省の社会保険庁に対する管理が機能していいなかった背景と原因、代々の社会保険庁長官の社会保険庁職員に対する管理・監督が機能することがなかった背景と原因、長官職自体が厚労省からの天下りによって占められていて、それが高額給与取り・2~3年の腰掛け、なお且つ高額の退職金とカネだけ手に入れて仕事らしい仕事はしないで次へ移っていく「渡り」と言われる結構な役割から窺うことができる苦労は何一つ背負わないボロ儲け一方に見えるご身分が職員の職務上の士気に何らかの影響を与えていなかったか、双方の人間関係図式――いわば天下り長官のどうせ2~3年の腰掛だといったご気楽さが示すべき職員に対する管理・監督意識を弛緩せしめていなかったか、一方天下り長官の結構尽くめの境遇に対するいい気なものだといった反発が影響した職員の杜撰・怠惰な職務態度の体質化なのかどうか、そういったことも含めてすべての調査・検証を行って今後の管理・監督の教訓、職務態度の戒めとすることの方がより重要なことで、そのことと比べたなら地方自治体職員に対する告発は例え必要であっても雑魚相手の騒動と化す。

 ところが社保庁長官の賞与全額の約270万円の返納や職員1万7千人の賞与の一部返納、さらに安倍首相や塩崎官房長官のボーナスの返上、丹羽元厚相の年金辞退等と後は年金記録の回復と自治体職員に対する告発ぐらいで、なぜそういった前代未聞の不祥事が起こったのかの調査・検証に替えて一切の幕を引こうとしている。

 人間は自己利害の生きものではあるが、自己を取り巻く人間関係や経済関係といった時々の状況に支配されて自己利害は微妙に変化する。そのような自己利害の影響を受けて人間活動は全体的な姿を取る。

 逆に人間活動の全体的な姿を調査・検証することでそれぞれの自己利害を支配していた状況を解き明かすことができ、そこから状況と自己利害との関連を結び付けていた心理機制まで探ることが可能となる。いわば全体的な活動を形作っていた人間の心理の流れを知ることできて、その心理の流れを自らの行動の場面場面での心理の動きに対する反省点とすることができる。

 戦前の国民が国家に縛られていた時代ならともかく、我々日本人が戦争の敗戦を機に戦後民主主義を得たとき、それをチャンスになぜあの時代、天皇絶対主義や大和魂に代表させた日本民族優越意識といった過剰な精神主義に侵されて合理的な判断思考を排除し、そのような日本独特の精神主義に立っていたがゆえの軍部の日本の国力・軍事力と比較したアメリカの国力・軍事力の過小評価と、それが結果として机上の空論を組み立てる原因をなした作戦を絶対と信じて国民一丸となって戦争に突入せしめ、大東亜共栄とは似ても似つかない惨めで散々な敗戦と国土の破壊を手に入れるに至ったか、その経緯を調査・検証することを通して日本人自らが引き起こした戦争を徹底的に解剖して戦前の日本人の活動を動機付けていた精神主義の心理機制を解明し、誰がどう責任を取るか、すべきことをしていたなら、何事につけても調査・検証する姿勢を歴史とし、文化とし、伝統とすることができたのではないのだろか。

 如何せん、肝心なときに調査・検証を怠って今日に至っているから、逆に何事につけても調査・検証する姿を取らないことが歴史となり、文化となり、伝統となったに違いない。

 そしてこのことと付随して、詰め腹を切らされるか、トカゲのシッポ切りで取らされる責任を除いて自らは責任を取らない国民性という不名誉がついて回ることとなっている。

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提案/政治資金収支報告書領収書全面公開の問題

2007-10-13 11:59:04 | Weblog

 今朝10月13日(07年)の『朝日』朝刊に≪政治資金の透明化 自公合意 全面公開 なお曲折≫なる記事が出ている。

 なぜ「なお曲折」なのかと言うと、領収書の「全面公開」と同時に、《公開に当たっては行政コストの肥大化防止に配慮して実効性あるものとする》と付記された文言を取り上げて、記事は「抜け穴」になりかねない制限事項だとしている。

 <現在、領収書の写しの添付が義務づけられている「政治家個人の資金管理団体の政治活動費のうち5万円以上の支出」の場合、対象となる領収書は約10万枚。だが1円以上として政治団体の範囲を広げると、100万枚~200万枚に増える。総務省で収支報告書の審査や情報公開請求に対応している職員は現在10人だが、200人以上必要になる>(同記事)だけではなく、保管場所が新たに必要となって、その建設費等を考慮すると否応もなしに行政コストの肥大化に撥ね返ってくる。

 そこで行政コストの肥大化を防ぎながら透明化を図る二律背反的命題に応える方法として自民党が考えている制度は政治資金をチェックする第三者機関を設けて、国会議員はそこにすべての領収書を公開(公明党には地方議員まで含めるべきとの意見もあると記事は伝えている)、第三者機関がすべての領収書の不正の有無をチェックすることにとどめて、国民への公開については対象金額を上げたり、情報公開請求の対象外とする制限を設ける。

 このような制度だと確かに行政コストの肥大化の防止は確実に約束できるが、「透明化」の点で国民に向けた「公開」が条件付きとなることから、「抜け穴」となりかねないと記事は指摘している。

 1円以上の領収書公開に自民党が反対してきた理由は事務処理が煩雑になる、新たに採用しなければならない事務処理の人間とそのコスト増及び行政コストの肥大化、政治活動の自由が損なわれるといったことからだが、特に政治活動の自由の確保の問題と絡めて、「ときには秘密にしなければならないケースがあるにも関わらず、誰と会食したかも分かってしまう」と全面公開の反対の理由としていたが、領収書の発行元と日付とから裏付け捜査を受けて誰と会食したか判明したとしても、話の内容の憶測を受けることはあっても、実際の内容までは判明するわけではないから空呆けて済ませることができる。何ら不都合な点はないはずである。

 だが、会食相手が政治活動とは無縁な愛人だとか家族だとか、これから口説こうとしている女のために特に値の張る店に連れて行かなければならなかったとか、裏付けを取られた場合、支出代金が政治資金からの流用となるから、そういったケースを想定してまずいということなのだろう。純粋に政治活動であり、どのような流用もないということなら、領収書から誰と会ったか、どこで会ったか探られたとしても、不都合は生じないはずである。

 行政コストの肥大化を防ぎながら透明化を図る方法がある。

 議員は地方議員も含めてすべての領収書を1枚1枚デジタルカメラで撮影し、それを記憶・保存させたフロッピーディスクを総務省に提出する。勿論、議員側に対してそのバックアップを取っておくよう義務づけておく。この方法は領収書の写しをコピー機で作成するのとたいして時間は変わらないはずである。

 デジタルカメラを使用するのはスキャナでデジタル化した場合、いくら少数派になったとはいえ、まだ存在する手書きの領収書の場合は文字化けすることが生じることもあるからであり、また改竄目的でレジスターを通した領収書を手書きの領収書に書き替えるケースも考えなければならないからである。すべての領収書を公開することによって、手書きの領収書を発行していない会社なり店の手書きの領収書の存在が発見されることによって改竄が判明する。あるいは元々手書きの領収書を発行している場合でも、筆跡によって改竄されているかどうかが判明する。

 総務省側はすべての議員が提出したすべての領収書を検査するのではなく、議員1人1人に付き適宜抽出検査をする。もしある議員に関して不明な点を発見したなら、その議員のすべての領収書を点検する。

 このような抽出検査なら領収書の枚数が「100万枚~200万枚に増え」たとしても、検査人数をさして増加させなくて済むはずである。

 総務省は提出を受けたフロッピーディスクの内容をすべてホームページ化してホームページを通して全面公開する。

 国民の側で、特にマスコミは雑魚・陣笠の類の下っ端議員は相手にしないはずである。閣僚になったとか、何か問題発言したとかの有力議員を狙ってホームページを通してその議員のすべての領収書のチェックに取り掛かるだろう。野党なら、新たに代表になったとか、役員になったとかの議員の領収書が対象となる。当然のことで総務省職員の抽出検査で不正を見逃していた場合でも、マスコミの検査で発見される可能性が出てくる。総務省の職員はいい加減な抽出審査はできなくなる。

 一般国民にしても、検査してみたいと思う議員の領収書に望む時間に望むだけアクセスが可能となり、そこからどのような政治活動をしているか大体のことを知ることができる。ここでも国民が不正を発見する可能性も生じる。

 ホームページ化はそれ程難しい技術を必要とするわけではなく、その知識を持つ人間を何人か職員に採用して自前で行ったなら、ホームページ制作会社に依頼するよりもコストを抑えることができるし、1枚1枚領収書のまま提出させて保管する施設も必要なくなり、新たに建設した場合のコストよりも少なく済む。

 このような方法は役立たないだろうか。役立たないと言うことなら、素人考えとして、ご容赦を。

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対ミャンマー政策/無力な国際社会

2007-10-12 06:04:31 | Weblog

 ミャンマー軍事政権の民衆デモ弾圧に対して米国が新たに加えた「資産凍結」や「渡航禁止」などの制裁強化策に対して、議会などから「中国が加わらない政策に意味があるのか」と批判が集中し、対策として北朝鮮の核問題をめぐる6者協議のように周辺国も含めた対話枠組みの構築といった従来の圧力一辺倒からの政策転換を求める声が出ていることと、一方で米上院外交委員会公聴会で民主党議員の追及を受けたマーシャル国務次官補代理(南アジア・太平洋担当)が90年代以来の軍政に対する資産凍結や投資・人的交流を禁止した対ミャンマー制裁が「正直なところ、問題は解決できなかった」と、制裁の「不成功」を認めたことを、10月9日(07年)の朝日朝刊(≪対ミャンマー 米制裁国内から疑問 対話枠組み求める声≫)が報じている。

 同記事によると、シェブロンなど米大手石油企業が制裁前の投資のために制裁対象外となっている石油・天然ガス開発で「年間4億ドル~6億ドルの収入を軍政にもたらしている」「制裁の抜け穴」も公聴会で槍玉に挙がっていると、国際的な制裁の輪に加わらない中国やロシアだけが「抜け穴」になっているわけではないことを伝えている。

 尤も企業のレベルで「制裁の抜け穴」に加担しているのはフランスも同じ問題を抱えていて、フランス政府がミャンマー(ビルマ)への「投資の凍結」を自国企業に求めたが、<仏石油大手トタルから「わが社は現地住民の生活向上に貢献している」と反発され、対応に苦慮している。>(同日付≪仏政権、投資凍結に苦慮 国内石油大手が反発≫)と報じている。

 トタルは「住民がさらに困窮するリスクは受け入れがたい」と声明を発表して、<92年からミャンマーで操業しているが、「(新規)投資は過去10年ない」と、サルコジ氏の要求の対象にならないとの立場を示し>、<これに対しクシュネル仏外務相は2日「(国連安保理などによる)制裁があるとすれば、トタルも免れない。免れる企業はない」と牽制。もっとも同外相は、過去、海外企業がミャンマーから撤退した際に「軍事政権系が中国資本の企業に取って代わられた」とも指摘。トタル撤退で問題が解決するわけではないことを認めた。>と伝えていて、やはり中国がネックになっていることを指摘している。

 トタルが言っている「住民がさらに困窮するリスク」は逆に民衆が自ら立ち上がる〝困窮状況〟を敢えて政策的につくり出す荒療治とする方法ともなり得る。勿論、これを行うには前以てミャンマー軍事政権に対して宣言して行う必要がある。目的を明確に示すことによって、発動する前から圧力となるだろうからである。

 国連の制裁であるが、議長声明案に盛り込むべく求めていた米英仏の当初の厳しい姿勢が<強制色が強い文言に難色を示す中国やロシアに歩み寄る内容>(07.10.10『朝日』夕刊≪声明案から「非難」削除 対ミャンマー米英仏、中ロに配慮」≫)へと見出しだけ見れば分かるように後退したと伝えている、

 さらに昨11日の『朝日』夕刊≪対ミャンマー 弾圧停止要求も削除 議長声明案に大筋合意≫は、<前日提示された修正案からさらに軍政への強制色が薄められた。>と制裁内容が一層後退していることを伝えている。

 どのように後退しているかと言うと、
 「弾圧的措置の停止」や自宅軟禁中の民主化運動指導者のアウン・サ
  ン・スー・チーさんの「解放」など、軍事政権に対する直接的な要求事
  項が削られた。
 今後の情勢次第で「さらなる手段を検討する」としていた部分や、 
  「民主化に必要な措置の履行」についての言及も省略。
 「全政治犯と残る拘束者の釈放」に関しては軍政に釈放を「求める」
  案と、「重要性を強調する」にとどめる案が併記。
 スー・チーさんは他の政治犯と区別され、「早期に制約を解除」す
  る必要性は強調されたが、解放を直接求める表現は避けることになっ
  た。

 昨11日の『朝日』朝刊はベトナムのグエン・ミン・チェット国家主席(大統領)と朝日新聞記者とのハノイの大統領府での記者会見の模様を載せているが、対ミャンマー政策に関して、<「独立国の主権が大切だ」と話し、制裁に反対する考えを明らかにした。>≪チェット・ベトナム主席 「ミャンマー主権尊重」 制裁に反対 対話促す≫と伝えている。

 ベトナムも<民主化活動家や宗教関係者の拘束>(同記事)などの人権問題を国内に抱えているそうだが、国際社会からの自国への民主化圧力を回避したい〝体制維持利害〟からの対ミャンマー「制裁反対」も含まれているに違いない。

 中国にしても経済的利害を前面に出している対ミャンマー制裁反対ではあるが、自国の共産党一党独裁を維持する防波堤の意味をも持たせたミャンマー軍事政権支持でもあろう。

 チェット主席は国家と国民の関係を何ら問題とせずに「独立国」だからと無条件に主権を尊重している。だが、いくら独立国の体裁を取っていても、国民に自由と人権を認めない「主権」は正当な主権と言えるのだろうか。言えるとしたら、政治は、あるいは政治体制は国民に対してどのような悪事も許されることになる。そしてそれを「主権」と認める。

 主権とは、他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利(『大辞林』三省堂)だが、国民に対してどのような悪意を持って統治しようが、それを独立国家の意思だと主権の範疇に入れる。

 政治体制の犠牲となって国民が自由と人権が抑圧され、生活困窮や飢餓を受けている。そのような政治、そのような政治体制を固守して国民の困窮・苦難を他処に自分たちだけの自由と豊かな生活を享受している独裁者たちを「独立国の主権が大切だ」、「内政不干渉」の口実で見逃し、何ら痛みも感じない。

 国民の自由と人権を犠牲にして手に入れている独裁者たちのこの世の春を「独立国の主権」と看過し、「内政不干渉」だからと外部から正当性の免罪符を与える。そういったことのできる人間の感覚は人間として正常な感覚と言えるのだろうか。

 だが、このような声は独裁国家から経済的利益を受けている国や企業にとっては「犬の遠吠え」にしか聞こえない。

 「犬の遠吠え」としないためには、「自由と人権と国民の生活の保障は世界中のすべての国の国民が等しく享受すべき権利であり、このことに国境を設けてはならない。当然世界中の国民の権利とするためには、このことに関しては国家の独立性は存在せず、内政干渉批判も無効化する」といった声を自らの発言が国際的に影響を与える人間が国際社会に向かって繰返し発言することで、その声を正当性の認知を持たせた国際的合意とすべく努力すべきではないだろうか。

 日本にしても安倍前首相が従軍慰安婦問題を正当化する口実に言ったに過ぎないが、「20世紀は人権が侵害された世紀だった。21世紀は人権侵害がない、世界の人々にとって明るい時代にしていくことが大切だ」と一旦は口にしている手前、あるいは日本政府が「自由・民主・人権・法の支配」といった価値を基本原則とした価値観外交を掲げている手前、何らかのミャンマー民主化の創造的な政策を構築して米英仏と共同歩調を取り、その民主化に向けて積極的に関与していくべきで、そうせずに「ミャンマーが中国にだけ傾斜していく姿がいいのか」(町村)と民主化に及び腰では、カンバンに偽りありの外交、口先だけの外交と化す。安部・麻生・町村を筆頭に口先だけなのは今に始まった自民党政治ではないが。

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積み重ね可能な伝統と積み重ね不可能な伝統

2007-10-10 05:28:03 | Weblog

 歴史と伝統と文化なるもの

 多くの人間が誇ることのできる価値として日本の伝統と歴史を口にする。あるいは文化を口にする。しかし足許にある今の時代の今の社会を見てみると、誇ることができるような社会状況となっていない。一方に日本人であることを誇ろう、日本の伝統と文化、歴史を誇ることのできる価値と把える風潮があり、一方に不公平や矛盾や人間の不正行為が社会の隅々にまで蔓延していて、誇るべきだとしている日本の伝統と文化、歴史が役に立っているとは思えない、誇ることのできない殺伐とした風景が際限もなく広がっている。

 この乖離・裏切りはどこから来ているのだろうか。既に偉い人が解明していることだろうが、自分なりに考えてみた。

 日本人のモノづくりの技術は世界的に優秀との評価を受けている。それを以て、日本人は優秀だと言う。だが、このことはモノづくりの才能の優秀さを日本人の社会的倫理性にまで広げて(厳しく言うなら、人間性にまで広げて)優秀だと評価するもので、教育に関しても、社会の治安にしても、政治の公平性の問題にしても、政治や企業の倫理の問題にしても、すべてに亘って優秀とは言えない、逆に矛盾や不正が横行している社会の実態との差異が説明つかなくなる。
 
 このことに整合性を与えるためには、モノづくりに於ける才能と社会的倫理性に関わる才能とは別個の才能だと把えるべきだろう。

 ではなぜ日本人のモノづくりの才能は世界的に優秀であるとされながら、その優秀な才能が社会的倫理性に忠実に反映されて、矛盾や不公正の少ない、より公平・公正な社会
を築くことができないのだろうか。

 勿論このことは日本だけの問題ではなく、日本に劣らずにモノづくりの技術が優秀でありながら、社会の矛盾を様々に抱えているアメリカやドイツ、フランス、イギリス、あるいはその他の多くの国についても言えることで、技術的才能を以って社会的倫理性や人間性の評価基準とすることは不可能であることを証明している。

 例えば日本にはお茶の文化があり、コメの文化があると言い、それを以てさも日本人が優秀であるとのニュアンスを持たせる。だが、その優れているとしている現在あるお茶やコメの文化は一面的には技術の発展した姿であって、他方に於いて技術的な発展に伴ってそれぞれの文化はそれぞれに特有な精神性を備えるに至っているが、それぞれの文化に関係する精神性はそれぞれの文化を表現する場合に於いては有効な行動成分となり得る。ただ、それがそのまま一般的な社会的倫理性として応用が効くかと言うと、別問題となる。

 茶道には「和敬清寂」という言葉があるらしいが、『大辞林』(三省堂)によると、茶道で重んじられる精神だと説明している。「和敬」(心を穏やかに慎み深く持ち、敬いの気持を持つこと)は茶会に於いて主客が専らとすべき精神であり、「清寂」は茶室・茶庭・茶器など全般に備わるべき精神をいうと出ている。

 だが、茶道に於けるこのような「和敬清寂」の精神が茶室という環境で茶を点てる場合に限って発揮可能な精神であるなら、つまり一般的な社会活動の環境下でも茶室に於けると同じように行動基準となり得る精神でないなら、茶道に担わせている精神が一般的な社会的倫理性に対して支配的な力を持ち得ていないことの証明としかならない。

 支配的な力を持ち得ているなら、茶道や華道に関わる人間の脱税や家元跡継ぎ問題、あるいは本家争いといった騒動が起きることはないだろう。一つも起きなかったわけではないということは、それぞれの文化によって養うこととなる精神を一般的な社会活動に於ける人間行動の精神と替えることができないことを物語っている。

 できないからこそ、人間社会が常に猥雑さに包まれ、矛盾や不公平、不正行為に満たされることになるのだろう。

 日本人が誇る精神として武士道がある。そして今、武士道の精神が日本人から失われたと言う。しかし言われているところの武士が担うべきとされた倫理観(=武士道)を日常生活に於いて自らの社会的倫理性とし得た武士がどれ程存在しただろうか。

 武士は支配者として常に下位階級者に対して情け容赦のない厳しい態度で臨んでいた。それは支配者としてその地位を守るための当然の措置であったろう。軍事独裁者が自らの独裁権力を損なわないために国民に対して情け容赦のない厳しい政策で対峙するのと同じ構図を持つ。

 しかし支配するについては支配する正統性を示して国民に納得させる必要がある。日本の4大氏族である源平藤橘のいずれかの子孫であること以って高貴な身分とし、それを主たる正統性としているが(家系図を偽造する者もいたろう)、如何なる身分の者も自己利害の生きものであることから出ないことに変わりはなく、それが現実の姿だと曝したままでは高貴な身分は形だけのもの、形式と化して支配の整合性を失う。

 身分の形式性を補い、支配に整合性を持たせる手立てを他の身分の者は持たない、武士のみが持つ倫理に置くべく、武士道を用意するに至ったということだろう。

 武士が歴史的・伝統的・文化的に脈々と受け継いでいる武士道なら、担うべきとする義務付けの体裁を取る必要は生じない。武士道を象徴する主たる倫理としている「武士とは死ぬことと見つけたり」は主人のために「死ぬこと」への義務づけを改めて要求し、担うべきことへの規定であろう。

 裏を返せば、担っていないことからこその要求、義務づけであり、いくら要求し、義務づけたとしても、如何なる人間も利害の生きものであること、欲望の生きものであることから離れられない以上、利害や欲望を否定する、あるいは利害や欲望を念頭に置かない倫理観は利害・欲望を超越し難く、実現困難な規定となる。

 実現させ得たとしても、あくまでも個人に属する倫理観とはなり得るが、それも自己の利害に抵触しない状況に於いてはという条件つきとなることが多いが、武家社会全体を支配する倫理観とはなり得ない。それ程にも人間の利害・欲望は相互の行動を制約する要素として支配的な力を持つ。

 それはよく言われる「相撲道」にしても「野球道」にしても同じである。大相撲に於ける「かわいがり」と称する過度の指導や生活態度に対する制裁、年寄株の不透明なカネの遣り取り、一般的常識に反するその高額さ、7勝7敗の成績の力士に勝ちを譲って勝ち越しとさせる、武士の情けだと称する八百長取組み等は相撲界全体の問題であり、プロ野球での有名選手のスカウトを確実に成功させるための裏ガネの提供、さらに高校選手、大学選手への授業料や生活費のヒモつき手当て等にしても複数の球団が行っていたことであり、またごく少数の選手個人の素行不良は「道」なる倫理性が個人に属することはあっても大相撲全体、あるいは野球界全体に属する倫理性ではないことを証明している。

 武士道があるなら、現在の政治家の世界には「政治道」、官界には「官僚道」があって然るべきだが、日々の情報が政治家や官僚の姿を刻々と伝えて虚構でしかないことを即刻暴露してしまうだろうから、情報社会では「政治道」や「官僚道」を成り立たせる余地は存在しない。

 しかし図々しくも「政治の王道を行く」などと言う政治家がいるが、党利党略、あるいは派利派略、さらには族益・省益を代表して動いたり、カネに対する卑しい金銭欲で口利きの便宜を図ったりの自己利害や様々な欲望から離れることができないのは政治家も同じで、「政治の王道」など「政治道」と同じく存在しようはずはなく、見せかけのキレイゴトに過ぎない「王道」なのを承知しておくべきだろう。

 足許にある今の時代の今の社会が不公平や矛盾や人間の不正行為に溢れているから、そこで過去の世界に存在したかのように「武士道」を掲げる人間がいるが、いつの時代の如何なる社会も不正と不公平と矛盾で成り立っていたことに目が届かない非客観性が言わしめている虚構でしかない。

 武士は封建体制の担い手なのである。江戸時代もそれ以前の時代も支配と従属によって律せられていた封建社会であったことを忘れてはならない。いわば支配者に都合がよく、その偏りが被支配の比較下位に位置するに従って無理が皺寄せする関係力学が巡らされていた。そのような支配者の世界に限った「武士道」であり、立居振舞いへの義務づけであった。

 このことは現在の大手企業や大都市に都合がよく、その偏りが中小の零細企業や地方に無理の皺寄せが押し付けられて格差が生じている今の矛盾した社会構造と連動する。

 支配者の世界に限った立居振舞いへの義務付けが赴く先は自らの階級を特別視し、武士を特別な存在と美化することで下位階級者に対する支配の正統性を持たせることでしかないだろう。

 では逆に考えて、社会的倫理性が立派とは言えないにも関わらず、日本人のモノづくりの才能に限って優秀なのはなぜなのだろうか。

 モノづくりの技術はモノを形で残すことができるから、積み重ねが可能で、その技術は残されたモノを出発点とすることによって、他人によっても受け継ぎ可能となる。

 いわばモノづくりの技術は人から人へ伝えることができ、時代を超えることができるゆえに、歴史と伝統を背負うことが可能となり、文化とすることもできる。

 日本の現在の世界に冠たるモノづくりの技術は律令時代の中国や朝鮮からの製鉄・青銅技術、あるいは製陶技術、木造建築技術の移入に始まり、その模倣(=マネ)の上に大和人の技術を加え、発展させ、安土・桃山・江戸の近世以降、ポルトガルやオランダ、イギリスなどから伝えた技術をさらに重ねて、戦後は主としてアメリカの技術の上塗りを行って、その上に自らの技術を重ねて発展させた技術であろう。

 このような時代を問題(壁)としない技術の伝達と発展に於ける人から人への方法は国籍や人種をも壁としないゆえに、国を超えた人から人への伝達と発展も可能とする。

 この原理のゆえに、日本人も中国や朝鮮からの技術の移入、ポルトガルやオランダ、イギリス、さらにアメリカからの技術を自己転化可能とし、その恩恵を受けることができた。

 当然この原理は韓国人も中国人もインド人も応用可能であって、韓国・中国、あるいはインドはアメリカや日本、その他技術先進国から技術を学習・移入し、それを自ら発展させて、現在のそれぞれの技術水準の獲得があるのだろう。

 一方、人間の社会活動を様々に規制する制度や法律、社会慣習、その他の規則にしても文書と言うモノの形で残すことができるから、時代から時代へ、人から人へ伝達も積み重ねも発展も可能ではあり、制度や法律、社会慣習自体は時代を超えて歴史とし、伝統・文化とすることはできるが、人間の欲望や利害が常に上回ってそれら各規制を無効化し、結果として不公平や矛盾や不正行為が罷り通ることとなって、人間の倫理性自体は時代を超えて伝統とし、歴史とすることは不可能となっている。当然プラスの文化とすることもできない。

 精々できることは「武士道」なる倫理観を編み出し、すべての武士が体現しているかのように思わせる虚構をつくり出すことぐらいだった。武士が被支配者と同じ人間の姿をしていたなら、支配者としての品格を疑われ、最終的には支配の正統性を失うからだ。

 戦争中は「軍人魂」とか「大和魂」という虚構をつくり出した。

 人類は人間のあらゆる利害・あらゆる欲望を適宜規制する能力も、逆にすべてを満足させる能力を持つに至らず現在に至っている。そのため人間の欲望・利害が自分に都合のいい規則を設ける、あるいは逆に自分に都合の悪い規則を巧妙に破って社会の格差や矛盾、不公平、あるいは不正を社会にもたらすこととなっている。如何なる時代に於いても、如何なる社会に於いても格差・矛盾や不正が横行するのはそのためだろう。

 但しそれらがその社会に生きる人間の許容量を超えたとき、政治に対する不満が起き、ときには政治不安や社会不安に発展する。封建時代の威嚇的かつ武力的な支配力学を以てしても政治不安や社会不安の発生を抑えることができなかった場合がある。大塩平八郎の乱然り、百姓一揆然り、打ち毀し然り。

 積み重ねができ、人から人へ、時代から時代へ伝達・発展が可能ゆえに誇ることのできるモノづくりの技術は国から国への伝達・発展も可能であり、そこでも積み重ねられていくだろうから、モノづくりの技術の優秀さは相対化される。かつてのモノづくり王国アメリカの称号が日本へ移ったように。

 それを無視して日本人だけの優秀さだと誇っていたなら、ウサギと亀のウサギよろしく、気がついたら中国・インドの技術に追い越されていたといったことが起こって、モノづくり日本の称号が中国、あるいはインドに移ることもあり得る。

 こういったことを裏返して説明すると、全体的なモノづくりの技術の優秀さは決して全体的な社会的倫理性や人間性に裏打ちされて獲得可能となる才能ではない。モノづくりの技術が優秀でありながら、一方で矛盾や格差、不公平や不正行為に溢れている社会が現実に証明している。

 当然モノづくりの技術の優秀さを以って、すべてに亘って日本人を優秀だとすることはできない。モノづくりの技術に限ったその才能の優秀さを以って社会的倫理性や人間性にまで広げた優秀さだとするのは、武士が「武士道」を掲げることで支配の正統性を裏打ちさせ、武士を優秀な人間集団だとしたのと同じく、日本人全体を優秀な民族だとする民族優越性の確立には役立つだろうが、そのことは同時に自らの姿を偽ることとなって自己省察能力の喪失を伴う。自己省察能力の喪失は自らを傲慢で不誠実な人間とすることに他ならない。

 この自己省察能力の欠如、傲慢な不誠実さが戦前、アジアの国々に思い上がった残酷な態度を取ることを可能としたそもそもの要因だったに違いない。モノづくりの才能の優秀さは誇ってもいい日本人に於ける具体的な一つの勲章だが、それが日本人の社会的な倫理性にも影響を与える才能とはなっていないことを常に念頭に置いておくべきではないだろうか。

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自分を大きく見せようとした安倍晋三

2007-10-07 10:18:20 | Weblog

 安倍晋三とはどのような人間だったのだろうか。所信表明演説を国会で行った直後の無責任極まる唐突な辞任を受けて様々な報道が飛び交ったが、その存在性を否定するような情報から改めて考えてみた。

 何事も母親の洋子の指示を仰いでいたという報道がある。総理大臣になることを望みながら果たせなかった夫安倍晋太郎の夢を息子によって実現させるべく、帝王学を日々施す教育ママの役を担った母親に対して母親離れができなくなり、自己の分身とするに至っていたということなのだろうか。

 母親の側から言うと、戦後生まれでは初めてとは言え、50歳を過ぎた日本国総理大臣に対して夫の夢を代理させるべく、ああしなさい、こうしなさいと指示を出していた。それがどのような内容の指示なのか不明だが、国民が知る安倍晋三なる政治家像の一部が国民が知らないままに母親の意思によって形作られていたのである。

 07年9月28日号の『週間朝日』には、≪本誌の連続追及で暴かれた安倍家を支える〝怪しい神〟≫との見出しで、安倍家と同郷の光永仁代表が設立した経営コンサルタント会社「慧光塾」との「異様な癒着ぶり」を報じている。

 会社の<実態は「神のお告げ」なるものによって信者企業に「投資せよ」と指南したり、オフィスに大量の塩をまき、〝悪霊の縁〟を断ち切らせる〝お清め〟なる儀式を経営者に推奨する〝宗教団体〟ともいえる団体>だったと断じ、慧光塾のパーティーに親子揃って出席する程に光永代表の教えに二人ともが深く傾倒していたと伝えている。

 幹事長代理時代の05年4月には安倍夫妻が媒酌人を務めた光永代表の長男の結婚披露宴には塩崎恭久ら、後に〝内閣の友達〟を形成することになる面々と出席し、盛大に執り行われたと言う。ところが3ケ月後の7月に59歳の若さで突然光永代表はあの世に召された。

 安倍内閣の発足したのは2006年9月26日。それ以前に安倍晋三はそこで「毎日光永代表のご指導のおかげと感謝しております。先生のパワーで北朝鮮を負かせていただきたい」、洋子は「先生に息子の晋三も色々とご指導いただいておりますけれども、政治の道を誤ることのないようよろしくお願いします」と、俄かには信じがたいお願いを口にしていたと報じている。

 朝日新聞社の『週刊朝日』である。いい加減な情報を垂れ流すはずはない。事実と信じて安倍晋三の祈りと光永代表の死の関係を大胆に推理するなら、光永代表は自分の「パワー」を証明して安倍晋三をなおのこと自分に傾倒させるべく、宣伝にもなるしカネにもなることだからと、あるいは当時から将来の首相と嘱望されていたのだから、取り込みに成功したなら、もしかしたらラスプーチンになれるかもしれないと野望を抱いてキム・ジョンイルを呪い殺すべく護摩を焚いたり、<大量の塩をま>いたり、身体を震わせんばかりに念仏を唱えたり精魂込めたが、逆にキム・ジョンイルの「パワー」に負けてエネルギーを吸い取られ精魂果て、59歳の若さでこの世から別れを告げなければならなくなったということなのだろうか。

 尤もキム・ジョンイルも無キズではなかった。光永代表の呪いを受けて、髪の毛は少なくなり、白髪も増えて糖尿病だ、心臓病だと疑われるまでに身体が衰弱した――ということなら話は面白くなるのだが。

 少なくとも首相になる前の安倍晋三の当初の対北朝鮮強硬態度は「先生のパワーで北朝鮮を負かせていただきたい」と光永代表に託した祈願が叶うだろうとの予測を前提とした強硬態度だったことになる。

 拉致被害者やその家族にとっては泣くに泣けない、笑うに笑えない安倍晋三の他力本願ということにならにだろうか。

 親子共々の強い支えを失って、安倍晋三は母親への傾斜をなお強めたのではないだろうか。頼りになるのはママしかいなくなったと、母親の自分に対するさらなる支配を自分から求めた?――

 母親洋子の息子に対する支配と息子の晋三の母親への従属、あるいは息子の晋三の母親への依存、さらにそのような関係にあった母親と息子の新興宗教まがいの団体の代表に対する無条件の帰依は母親の洋子が息子の晋三の支配者の位置にありながら、一個の人間としては実際には非自律的(非自立的)な存在に過ぎず、息子の安倍晋三なる人間に至っては二重にも非自律的(非自立的)存在であったことの証明するものであろう。

 自身の力で立っていなかった。あるいは自身の考えで行動していなかったということである。

 このような自己埋没性と比較した表面に現れていた姿との乖離はどう説明したら言いのだろうか。

 「私の内閣」、「私の指示」と常に「私」を強調して止まない自負心。「年金問題は私の内閣ですべて解決する」、「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」云々。自負心は自己の能力に対する自らの絶対的信頼によって裏打ちされる。自己の能力に強い信頼を置いていたからこそ言えた「私の内閣」であり「私の指示」なる言葉でなくてはならない。

 また「闘う政治家」を標榜していたことも、自己の能力に強い信頼を置いていたからこそできた標榜であろう。

 このように自己の能力に自信たっぷりに信頼を置いていた世間向けの態度と、世間から見えない場所での自分自身を持たない、他人に依存した非自律的(非自立的)存在であったことの乖離を読み解くとしたなら、「闘う政治家」にしても、「私の内閣」、「私の指示」にしても、自著『美しい国へ』での内容空疎ではあるが、偉そうな主張にしても、特に国のために命を投げ捨てた特攻隊を例に出して、「ときには自分の命を投げ打っても守るべき価値が存在する」と個人よりも国家を優先価値とするハコモノ意識にしても、国家優先価値を植えつけるための具体的方法としての「改正教育基本法」への「愛国心」の盛り込みにしても、戦争敗北という劇薬を培養液として化学反応させられ、培うこととなった戦後の時代精神は憲法をその字面だけ改正しようと、簡単には変わるわけではないことを認識することもできずに「戦後レジームからの脱却」といったドンキホーテ的誇大妄想な時代を変えようとする挑戦にしても、実際は自分というものを持たないちっぽけな自分を大きく見せるための大風呂敷ではなかったかと言うことである。

 母親の洋子に総理大臣になるように日々教育を受けていた。自分もその気になったものの、その器ではなく、自分を大きく見せる代償行為で総理大臣たるにふさわしい人物を擬似的に装うことで自らを満たしていた。

 自分を大きく見せようとするその姿は父親から買ってもらったに過ぎない値段のはるオモチャを、それを持っていることによって自分がさも偉い人間になったかのように錯覚して、これ僕のオモチャだぞと自慢する子どもに譬えることができる。少なくとも双方の精神構造は相似形をなす。

 そうと解釈しなければ両者の乖離は説明不可能となる。そして内閣を無責任に投げ出したことで、自身を大きく見せていた政治思想や公約のすべてが空約束に終わった。国民の期待に叶う総理大臣らしく見せることに成功していた意匠を凝らした総理大臣役の舞台衣装が剥がされ、惨めったらしい安部晋三がちっぽけな様子で舞台上に一人ぼっちで取り残された。

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大相撲/「指導」いう名の強制

2007-10-06 15:41:21 | Weblog

 入門したての17歳の時太山を「指導」の名を借りた制裁・暴行で死なせた、いわゆる大相撲界の「かわいがり」に端を発した事件に自らが関わった時津風親方が相撲協会から解雇処分を受けた。

 どう処分するか何日か協議を重ねていたさなかに武蔵川部屋の部屋付きの山分親方が弟子に暴行、怪我を負わせたとして書類送検されていたことを各報道機関が伝えている。それを『asahi.com』(07.10.04/23:19≪山分親方を傷害容疑で書類送検 元力士殴る 武蔵川部屋≫)で見てみると、

 <大相撲の武蔵川部屋(東京都荒川区東日暮里)で6月、元力士のちゃんこ番の男性(30)を殴ってけがを負わせたとして、警視庁荒川署が部屋付きの山分(やまわけ)親方(35)(本名・西崎洋、元小結和歌乃山)を傷害容疑で書類送検していたことがわかった。武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は「男性は新弟子に暴力を振るっていた」として男性を訴える意向を示しているが、時津風部屋の力士がけいこ中に急死した問題に続いて、角界の体質が問われそうだ。
 調べでは、山分親方は6月18日午前10時半~11時ごろ、部屋のけいこ場で、包帯を巻いたほうきの柄の部分で、男性の両腕を繰り返し殴るなどし、約2週間のけがを負わせた疑い。
 男性はこの数日前、後輩の力士(19)をビール瓶ケースの上に座らせたり、すりこぎで頭を殴るなどしたとされる。それを知った山分親方が男性を注意したが、「反省の色が見られない」と感じ、「同じような思いをさせる」と、男性をケースの上でそんきょの姿勢をさせてダンベルを持たせた。さらに、力士とぶつかりげいこをさせ、「あたりが弱い」などと言い、殴ったという。
 男性は直後に部屋を辞めて、7月に同署に相談。事情聴取に対し、山分親方が男性を殴った事実を認めたため、同署は9月下旬に書類送検していた。
 山分親方は4日夜、武蔵川部屋で記者会見し、「このたびはご迷惑をおかけした。男性へのしつけの一環だったが、行き過ぎという自覚はある」と語った。
 師匠の武蔵川親方は同日、報道陣に対し、男性が新弟子に度々暴力を伴う「いじめ」を行い、恐怖を感じて部屋を辞めた弟子もいたことを明らかにした。そのうえで、「山分の行為はやりすぎた面があって残念。しかし基本的に弟子を守るための行為だった。悪いのは男性の方で、男性を訴えるよう、いじめられた者に準備させる」と話した。
 武蔵川親方は日本相撲協会理事。時津風親方の問題で伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)とともに、時津風部屋の力士らから事情を聴く役目を担った。 >

 要するにちゃんこ番の力士が<新弟子に度々暴力を伴う「いじめ」を行い、恐怖を感じて部屋を辞めた弟子もいた>。そのことに対して、山分親方は<注意したが、「反省の色が見られない」と感じ、「同じような思いをさせる」と、男性をケースの上でそんきょの姿勢をさせてダンベルを持たせた。さらに、力士とぶつかりげいこをさせ、「あたりが弱い」などと言い、殴>る制裁を行い、怪我を負わせ傷害容疑で書類送検された。

 山分親方は<注意した>としているが、その言葉がちゃんこ番の力士には無力と覚ると、言葉に代えて最終的には物理的強制力を以ってしてちゃんこ番の力士を自分の意向に従わせようとした。ちゃんこ番の力士にしても弟弟子たちに対して言葉によってではなく、物理的強制力によって自分の意向に従わせていた。

 部屋の親方である武蔵川親方は山分親方の仕打ちを<基本的に弟子を守るため>に「いじめ」を改めさせようとした正当性のある<行為>だとして、ケースバイケースで正当化し得るとしている。

 『サンスポ』には漫画家やくみつるの言葉が載っている。「やりにくい世の中になったな、というのが率直な印象。体罰を容認するわけではないが、後輩への暴力をいくら注意しても聞かないときに親方がたたくことも許されないのなら、相撲部屋の秩序はどう守られるのだろう。従来の『指導』範囲を極端に狭めれば、相撲の質低下につながりかねない」

 やくみつるにしても山分親方の行為は「『指導』範囲」だとして、叩くことぐらいは許されるとケースバイケースの立場を取っている。

 だが、そのような物理的な強制力を働かせた稽古上、あるいは生活態度上の「指導」はそれを行う者と受ける者との間に支配と従属の関係を前提として初めて可能となる。支配と従属の関係をそこにつくり出すことができなければ成り立たない「指導」であろう。

 支配と従属とは、07.9.29(土曜日)の当ブログ≪時太山暴行死は親方の自律性(自立性)欠如が原因≫では「支配と被支配」で説明したが、自律性(自立性)や主体性から離れた場所で成立する。

 35歳にもなっている大の大人でなければならない山分親方が30歳にもなる、同じく大の大人となっていなけれならないチャンコ番の人間を言うことを聞かすために本人の自覚を待つのではなく、ビール瓶のケースの上で<そんきょの姿勢をさせてダンベルを持たせ>、<さらに、力士とぶつかりげいこをさせ、「あたりが弱い」などと言い、殴>る。

 また、それが稽古上、あるいは生活態度上の「指導」であったとしても、30歳にもなる大の大人でなければならないチャンコ番の力士が<後輩の力士(19)をビール瓶ケースの上に座らせたり、すりこぎで頭を殴るなど>などしなければ「指導」できない。

 果たしてそのような「指導」に相互的な信頼関係は望めるのだろうか。内心に恨みや反発を誘い出さないだろうか。

 いわゆる「かわいがり」が大相撲の世界では指導するための当たり前の慣習として行われているにしても、そのような物理的強制力に頼ることでしか「指導」できない人間関係とは悲しいと言うだけではなく、ちょっとお粗末ではないだろうか。何のための人間かと言うことになりかねない。

 例え大相撲に入門したての中学卒業したばかりの15、16歳の若者に対してであっても、一旦物理的強制力を働かせた支配と従属の関係で絡め取ったとき、若者は上の立場に立ったとき、それを上の者に受けたときと同じように下の者に対する「指導」の方法とすることになる。言ってみれば、上下の人間関係に於ける意思伝達の方法とする。

 かくして物理的強制力を力とした支配と従属の関係は慣習として循環形式を取り、物理的強制力を血や肉としなければ「指導」を成り立たせることができなくなる。いわば「かわいがり」を方法としなければ、どのような「指導」もできなくなる。そのような循環形式の慣習の中に大相撲の人間たちは自らを置き、蠢いている。

 ≪時太山暴行死は親方の自律性(自立性)欠如が原因≫でも言ったことだが、このような関係は果たして大人の関係と言えるのだろうか。

 お節介なことだが、改めて次の言葉の意味を『大辞林』(三省堂)から引用しておく。大相撲界には望むべくもない人間性なのだろうか。

 【主体性】――自分の意志・判断によって自ら責任をもって行動するさ        
         ま
 【自 律】――他からの支配や助力を受けずに、自分の行動を自分の立        
         てた規律に従って正しく規制すること。
 【自 立】――他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。        
         独り立ち。

  
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長井カメラマンの死を意味ある死とするために

2007-10-05 04:14:49 | Weblog

 死せるカメラマン、日本政府を動かすか

 07年9月27日反政府デモを取材中のフリーカメラマン長井健司氏(50)がミャンマー市民の反政府デモ取材中、ミャンマー当局のデモ治安部隊員に明らかに背後の至近距離から銃撃を受けたらしい非業の死を遂げた。

 殺害当初は<デモを取材中に流れ弾に当たったとの未確認情報もあり、地元警察は死亡した状況などを詳しく調べている。>(07.9.28『朝日』朝刊≪日本人記者が死亡 ミャンマー デモ取材中?≫)と疑われる直接の死亡原因は27日の時点では不明の状態であった。

 10月1日の時点でも町村官房長官は「皮膚にやけどや火薬の粒子はなく、至近距離から撃たれたか否かは不明だ。遺体が日本に戻ってきたら、日本側が検視しなければならない」>((07.10.1/2:35/『読売』≪長井さんの遺体、「日本側が検視」町村長官が方針))と記者会見で述べているように、その死がどれ程に不合理な死であるか、卑劣な手段で生命をもぎ取られた結果の死であるか把握できないでいた。

 だから当然と言えば当然なのだが、銃撃死前日の9月26日の時点では町村官房長官は政府を代弁して、「いたずらに欧米の国と一緒になってたたきまわるのがいい外交なのか、という感じが前からしていた」(9月27日朝日新聞朝刊≪ミャンマーデモ 軍政包囲網じわり≫)とか、「今後議論するテーマだが、結果としてミャンマーが中国にだけ傾斜していく姿がいいのかも考えなければならない」(9月27日の朝日新聞夕刊≪対ミャンマー 安保理議長が「懸念」≫)と、日本の対ミャンマー援助、その他の対応が軍政を利するのみで民主化に何ら役に立っていなかった現実が示す事実への反省なしに経済制裁を手段としたミャンマーの民主化の促進に否定的な態度を示して、日本政府の対ミャンマー政策の現状維持を表明している。勿論、そのような現状維持はミャンマーの人権状況の現状維持、つまり軍事独裁の現状維持へとつながっていく。中国やインド、ロシアと一緒になって、日本はミャンマーの軍政を裏から支えてきたのであり、今後とも裏から支えていくことを確認したということである。町村以下の日本政府の人間がそこまで考えてあれこれ言っているのかどうかは不明ではある。

 ところが9月28日の時点になって<長井さんへの銃撃をめぐっては、在ミャンマー日本大使館の医務官が「流れ弾というより、近い距離から撃たれた傷跡に見える」と言及し>、<政府内では「故意に銃撃したとも伝えられており、大変憤激を覚える」(高村外相)との声が上がっており、外務省幹部は28日、銃撃が故意とわかれば、「国際法上はミャンマー政府に責任者の処罰や謝罪、補償を求めることも考えられる」> (asahi.com/07.9.29/01:09≪政府、処罰要求を検討 武力弾圧は3日連続に 邦人銃撃))と、背後の至近距離からの銃撃の高い可能性に言及し始めた。

 但し<一方、制裁の可能性について、町村官房長官は28日午後の記者会見で、「国連安保理の議論もこれからで、国連人権理事会の対応もある。そうした動きを見ながら我が国として独自に検討していく必要がある」>(同上記事)と述べたことからも分かるように、故意の銃撃の場合は責任者に限った<処罰や謝罪、補償>請求という強い態度で臨むが、ミャンマー政府そのものに対する経済制裁やその他の制裁とは一線を画している。やはり現状維持ということなのだろう 

 こういった現状維持政策から10月3日の時点になってミャンマー政府そのものへの経済制裁へと日本は態度変更を示すに至っている。<高村正彦外相は3日、ミャンマーでの日本人映像ジャーナリスト射殺事件を受け、同国への経済協力に関連して「今までも人道案件に絞っているが、さらに絞り込むような形を考えていきたい」と語った。追加的な経済制裁を実施する考えを示したもので、外相が同日、記者団に明らかにした。
 同日ミャンマーから帰国した藪中三十二外務審議官の現地情勢に関する報告を受けて判断したもので、検討対象としては「ポリオ対策のように民衆が直接利益を受けるものはやめられない。例えば人材開発センターなど(への支援)を当面止めることができないか検討したい」と表明した。>(07.10.3/14:02日本経済新聞≪高村外相、ミャンマー支援の縮小検討・邦人射殺で≫という。

「人道案件に絞っている」の具体的な内容は同じ記事が<日本政府は1988年以降、ミャンマーへの円借款を停止している。2005年度の政府開発援助(ODA)援助実績は約33億円で、ワクチン供与や麻薬撲滅対策などの人道支援目的にとどめている。>と伝えている。

 「人道案件に絞っている」と言うと聞こえはいいが、<ワクチン供与や麻薬撲滅対策>が北朝鮮へのコメ支援と同じく、全額目的どおりに振り分けられているかどうかは疑わしい。「人材開発センター」にしても、果して人道に属する事業となっているのだろうか。一見人道的な事案に見えても、実際には人道に反する内容を備える場合もある。独裁者キム・ジョンイルの北朝鮮同様に軍人優先国家である。ミャンマー軍事政権の「ミャンマー民主化案」は<96年までの会議で>既に次のように決めている。

(1)国家運営での軍の主導的役割を保証する
 (2)上下院の議席の25%を軍が任命する
 (3)正副大統領3人のうち少なくとも1人は軍から出す
 (06.10.28『毎日』インターネット記事≪ロードマップ(ミャンマー民主化案)≫)

 「軍の主導的役割を保証する」軍人優先国家を意図している以上、(3)の「正副大統領3人のうち少なくとも1人は軍から出す」は、大統領には現役軍人か軍の実力者であった元軍人を配するということだろう。そして民主化を装うために副大統領にイエスマンの民間人を形式的に配する。

 あるいは逆にイエスマンの民間人を傀儡大統領に据えて、軍関係の副大統領が実験を握る偽装民主主義体制を取る可能性もある。

 「人材開発センター」にしても軍主導の国家運営のヒナ型を取って軍の意向を受けた運営となるのは間違いなく、軍関係者の家族・親戚か、軍と癒着して上層階級を形成している富裕者の家族・縁者が優先的に処遇されることとなって、ごく一般のミャンマー人が公平な利用を受けることができるかどうかは保証の限りではない。

 力ある者・カネある者が優先的に人材開発教育の機会に恵まれ、高い能力を身につけて社会に出て、元々社会の上層に位置する人間としてその高い能力を発揮する境遇にも恵まれ、既定の事実の如くに確固とした地位を築き、高額の収入を得ていく。

 日本のこれまでの援助が人道と銘打とうと打たないとに関係なくミャンマーの民主化及びミャンマー民衆の生活向上に殆ど役に立っていなかったということは、逆に軍政の維持に側面から支援していたという事実のみが提示可能となり、その構図が「人材開発センター」の利用状況に於いてもそっくり当てはまらないとは限らない。当てはまる可能性の方が高いに違いない。

 現実問題として軍事独裁体制が揺るぎのないものとなっている以上、日本政府が「人道的案件に絞」ろうと絞るまいと、ミャンマー社会の不公平・不公正な仕組みに加担し、ミャンマーの格差社会づくりに貢献していることには変わらないわけである。

 「人材開発センター」建設や関連機材の販売で日本の企業が商機を得ているとしたなら、
日本の援助はミャンマーの民主化には役立たずであっても、軍政維持に貢献しているだけでははなく、日本企業の利益獲得にも貢献していることになる。これまでもそういった関係にあったのではないだろうか。

 先月26日(07年9月)にベトナムで建設中の橋が崩落し、37人が死亡、87人が負傷している。<カントー橋建設は、日本の政府開発援助(ODA)による事業で、日本政府が円借款約240億円を提供。大成建設と鹿島、新日本製鉄が共同企業体を組み、2008年中の完成を目指している。在ホーチミン日本総領事館は「被害者に日本人はいないと聞いている」としている。>(07.9.27/1:5/読売新聞≪ベトナムで橋崩落、37人死亡…日本のODAで建設中≫)

 テレビのワイドショーでこのことを報じていて、実際の工事は現地ベトナムの建設会社が下請けしていたとの説明を受けて、コメンテーターたちは、「ああ、それなら」と納得した顔をみせた。日本の建設技術は高いという先入観のもと、実際に建設に従事していたのがベトナムの会社なら、日本の技術と比較して低いという逆の先入観で、崩落もあり得ると納得したのだろう。オメデタイ連中だ。

 元請会社は大成・鹿島・新日本製鉄と日本建設業界の錚々たる面々である。自分たちが実際の工事を請け負うのではなく、下請に請け負わせるとしたなら、下請の建設技術の程度を見極めて採用する責任を負う。そして実際の建設に並行して工事が設計どおりに行われているか、その忠実な進行と確度を確認する責任を負う。

 もしも実際に工事を行わせて、最初に予想した技術よりも劣る場合は、当たり前の工事でもこれから取り掛かる工事についての注意点を含めた打ち合わせを元請と下請の責任者は日々行い、工事の方法を確認し合うのである、工事の進行に併せて技術教育と確かな工事を行わせるための現場での管理・監督を徹底させる必要人数の監督を配置するのが親会社の務めであろう。

 単に下請会社の技術が劣るから支障が起きたでは親会社の責任は果たせない。日本政府援助の240億円もするおいしい商機としか見ていなかったから、下請の管理・監督にまで目が届かず、崩落が起きたのではないのか。少なくとも下請に対する管理・監督の責任は果たしていなかった。閣僚の政治行動の責任は本人にとどまるものではなく、任命権者たる首相も負う構造と何ら変わらない。

 コメンテーターたる者、全国に情報を撒き散らすのである。そこまで考える頭を持つべきだろう。日本人は優秀であるという意識を根のところで固定観念としているから、物事を全体的に見る目を欠くことになる。すべてに亘って優秀な国民など存在しない。

 今回の僧侶のデモに端を発した反政府デモはガソリンの値上げとそれが波及した諸生活費の高騰が一般市民の生活を直撃したことがキッカケとなっている。日本政府はミャンマー政府に対して民主化を進めなければ、日本は欧米と歩調を合わせて「人道的案件」であろうとなかろうと関係なしに一切の支援を止め、経済援助はおろか、金融制裁、入国禁止等のあらゆる制裁を科すべきではないだろうか。例えそのことが高村外相が言っているように「(援助を)すべて止めてしまえという意見もないわけではないが、ただでさえ民衆が苦しんでいるなか、民衆に直接裨益(ひえき)するようなものまで止めてしまうのは良くないだろう」(asahi.com/07.10.03/13:15≪対ミャンマー援助、一部凍結へ 高村外相が考え示す≫)恐れがあるとしても、それを無視して「今回の反政府デモでも分かるように、このような制裁がミャンマー国民の〝ただでさえ苦しんでいる〟生活に再度深刻な打撃を与えて我慢の限度を超えるに至らしめた場合、生活の確保のために民衆は再び立ち上がり、それは間違いなく今回同様に反政府デモに発展する。再度政府が治安部隊を展開して武力で鎮圧するようなら、度重なる暴挙にそのときこそ国際社会は決して黙っていないに違いない。ミャンマー政府が自ら進んで体制を軍政から民主化に方向転換するか、それとも例え荒療治であっても、ミャンマーの民衆を反政府のデモに立ち上がらせるために国民の生活を追いつめるべく日本が国際社会と共同歩調を取ってすべての支援を止め、中国・インドにも同調するように迫るが、どちらいいか、選択してもらいたい」ぐらいは言うべきではないだろうか。

 長井カメラマンが受けた銃弾は警視庁の司法解剖の結果、左腰背部から肝臓を撃ち抜いて右上腹部に貫通していることが判明したとしている。抵抗しようとした者を正面から撃ったわけではない。背中を向けていた者を銃身を低い位置から上に向けて弾を発射している。ごく至近距離から当たり前の姿勢で撃ち放ったか、離れていたとしたら、誰が撃ったか分からなくするために腹の辺りに銃を構えて低い位置からの銃撃の可能性が高い。

 例えそれが実際は流れ弾であっても、民衆を退却させるために空に向かって威嚇射撃した銃弾が偶然にも命中したというわけではない。テレビで放映していた長井カメラマンが右手にビデオカメラをしっかりと握って路上に倒れている姿を撮った映像は治安部隊が追ってくる反対方向に背中を向けて逃げ惑う民衆の姿を映し出している。いわば逃げる相手に向けて追い討ちをかけるような銃撃だった。相手が外国人カメラマンだと分かっていなくても、「こいつら、政府に向かってデモを仕掛けやがって」といった具合に民衆に向けて懲罰的な殺意を込めて撃ち放った銃弾だろう。政府が倒れて逆に懲罰を受けるのは軍政によって利益を受けている治安部隊も例外ではないだろう。

 いずれにしても軍政下で不公平を強いられ、それに抗議すべく立ち上がった民衆のデモを政府に対する敵対行為と看做して治安部隊が撃ち放った銃弾なのは間違いなく、その銃弾で長井カメラマンは斃れたのである。流れ弾であろうとなかろうと、そのことに変わりはない。これを以って理不尽な死ではないと誰が言えようか。

 <警視庁は、日本人が海外で重大犯罪に遭った場合を想定した刑法の「国外犯規定」を適用し、殺人容疑で捜査に乗り出すことを決めた。>(07.10.3/10:32『読売』≪長井さん射殺事件、警視庁は「国外犯」適用捜査≫)ということだが、それだけで終わらせたなら、長井カメラマンの死は死の事実を確認するのみで生きてこない。

 その死を生かすも生かさないも警視庁の捜査を越えて日本政府の今後の対応にかかっている。生かすとは、ミャンマーに民主化への真正な第一歩を踏み出させることなのは言うまでもない。

ミャンマーの民主化がその死をキッカケとしたなら、理不尽な死は理不尽な死のままで終わらずに意味ある死へと向かう。

 もしも日本政府が自らを世界の大国に位置づけていることに反して、今後の対応が従来どおりにミャンマー民主化に無力であったなら、カメラマンの死を意味のないものに終わらせ、冒涜することになる。

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沖縄集団自決検定/「政治的介入はあってはならない」のマヤカシ

2007-10-03 12:55:25 | Weblog

 昨07.10.2、朝7時からのNHKニュース――
 昨日町村官房長官が「沖縄の皆さんの方の気持を何らかの方法で受け止めて、訂正できないものかどうかですね、修正できるものかどうか。それは関係者の工夫とチエって言うものがあり得るのかもしれない」

 解説を箇条書きに纏めてみると、
一方で町村官房長官は政治的思惑で動かされることがよいのかと述べ
  ている。
政府内には政治的介入すべきではないという意見も根強い。
今年3月に行われた高校の歴史教科書検定、沖縄戦を扱ったのは5社7
 種類の日本史の教科書。このすべてに検定意見がついた。
「中には日本軍に集団自決を強いられた人もいた」との記述が
  、「日本軍に」という言葉を削除する形で、「中には集団自決に追
  い込まれた人もいた」と修正させられた。
沖縄戦の集団自決については昭和50年代に教科書に記述されるように
 なったが、検定意見がついたのは今回が初めて。
キッカケは一昨年起こされた裁判で、日本軍の守備隊長だった男が集
 団自決を命じていないとしているのに対して自決命令を受けたと主張して
 いた住民も、国から遺族に補償を受けられるよう、集団自決を指示された
 とするウソをついていたと、守備隊長の主張を証拠立てる証言をしている
 事情を受けて、文部科学省はこれらの証言が日本軍が集団自決を命じたと
 いう根拠は揺らいていることを示す新たな資料だとして集団自決について
 の記述について初めての検定をつけた。
この検定に対して沖縄住民が反発。先月29日主催者発表で11万人が参
 加した県民集会を開催、検定を激しく批判。
都内の大手教科書会社は沖縄県民の反発を重く受け止めるとして、日
 本軍の関与を示す記述を盛り込んで訂正申請する方向で検討を始め、
 別の教科書会社も今月中にも訂正申請を行う方向で執筆者と検討を進めて
 いるといった動きが出てきている。

 ここで教科書問題を取材しているという社会部の阿部千恵子なる若い女性が登場。

 女子アナ「訂正申請が行われる。あんまり聞かないのですが、あることなんですか?」
 阿部「そうですね、誤植とか歴史的事実の変化、例えば政権の交代ですとか、こういったケースについて訂正が行われているというのはよくあるんです。あの、但し、今回のように文部科学省の検定意見がついて一度削除された記述について、再度訂正しようと、こういう動きというのはきわめて異例のことなんです」
 女子アナ「教科書会社側が今月中にも記述の訂正申請を行うという動きが出てきましたけれど、これですんなりですね、記述の修正が進むんでしょうか」
 阿部「そうですね。それがそれほど簡単なことではないんですね。まあ、なぜかと言いますと、文部科学省が日本軍が集団自決を命じたという根拠が揺らいでいる。そういった検定意見は変えるつもりはないとしているからなんです。この検定意見を覆すような新たな歴史的事実が見つかったわけではないからなんです。そのため申請を行う教科書会社ではどういった修正ならば、検定意見の範囲内で、しかも沖縄県民の思いを踏まえたものになるのかどうか、執筆者と連絡を取りながら、検討を進めています。いずれにしても、一旦検定という行政手続きがを経た教科書を修正することになるわけですから、とりわけ修正を認めるかどうかを判断する文部科学省側には、なぜ前回の記述ではダメで、今回ならば認められるのか、これまでの議論の経過も踏まえて、明らかにする責任があると思います」――

 町村の「沖縄の皆さんの方の気持を何らかの方法で受け止めて、訂正できないものかどうかですね」云々は、発端の趣旨が沖縄の県民感情を考慮して記述を訂正できないかということになり、集団自決という事実を脇に置いた訂正となる。

 修正して沖縄県民が納得した場合、沖縄県民感情への考慮から発した修正だということになって、「考慮」は「事実」とは異なるとする暗黙の思惑が裏打ちされることになり、軍命令による「集団自決」はなかったが永遠の動かぬ「事実」だとされかねない。

 政府にしてもそもそもからして軍命令による集団自決があったかどうかの徹底的な検証から入るべきを、そうせずに「沖縄の皆さんの方の気持を何らかの方法で受け止めて、訂正できないものかどうかですね、修正できるものかどうか」とすること自体が沖縄県民に対してだけではなく、歴史的事実に対しての巧妙・狡猾な薄汚いゴマカシとなっている。

 「政府内には政治的介入すべきではないという意見も根強い」という点を昨日の『朝日』朝刊≪集団自決検定 文科省が対応検討 沖縄県民大会を受け≫で見てみると、渡海文科相「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い。その中で何かできるか考えたい」と出ている。

 いわば「政治的介入」とはNHKが言っていた「文部科学省が日本軍が集団自決を命じたという根拠が揺らいでいる。そういった検定意見は変えるつもりはないとしている」姿勢への関わりを指していて、そのことの否定である。

 このことはNHKのニュースで述べていた町村官房長官が「政治的思惑で動かされることがよいのか」と述べていることと対応し合っている。

 町村や渡海だけではなく「政治的介入」否定派の保守政治家(そうは見えなくても、本質は国家主義者でもある)の間違いは「政治的介入」や「政治的思惑」で〝歴史の事実〟を歪曲するのは正しいこととは言えないが、明確ではない〝歴史の事実〟を明確とする方向に向けた「政治的介入」や「政治的思惑」はそれが独裁意志によってではなく、また特定の意図を持ったものでもなく、民主主義的な手続きによって公正を図る意図のもとに行うなら、必ずしも否定されるべき事柄ではないことに気づいていないことであろう。

 そうでありながら、「政治的介入があってはならない」とか「政治的思惑で動かされることがよいか」などと言うのは、逆にそうしたことをして自分たちに都合が悪い〝歴史の事実〟が現れたら困るからなのは明らかである。自分たちに都合の悪い〝歴史の事実〟を自分たちに都合のよい〝歴史の事実〟に変えるべく、検定に「政治的介入」もしくは「政治的思惑」を働かせた過去・前科があることがその証拠となる。

 最初の大きな「政治的介入」は、自由党と保守合同する前の日本民主党(総裁・鳩山一郎)が1955(昭和30)年に『うれうべき教科書の問題』なる冊子を発表、社会科の教科書の「偏向教育」ぶりを批判・攻撃したことであろう。それを受ける形で文部省の教科書検定が強化されたという。これを以て「政治的介入」と言わずに何と言い表したらいいのだろうか。

 この辺の経緯をHP≪常盤台通信 15号≫
で窺ってみると、<こうした政権政党による教科書への徹底的な攻撃の圧力を受けて、教科書検定も強化される。学習指導要領の法的拘束性が謳われた1958(昭和33)年版以降、教育内容は文部省による統制の方向へ動いていく。こうした風潮の中で、自ら執筆した教科書が教科書検定で不合格とされたことに抗議して起こされた一連の訴訟が、有名な「家永教科書裁判」である。もっとも、各教科書会社は、検定での不合格を恐れ、教科書内容は画一化していった。教科書検定は、単に教科書内容のチェック機能を果たすだけでなく、教科書編集の側が事前に自主規制するという傾向を助長して、教科書の内容そのものを規制していったのだ。>

 これは戦争中の新聞・ラジオが内務省の検閲に対して次第に自己規制していった姿と重なる。

 「家永教科書裁判」を「新しい歴史教科書を作る会」のHP「教科書問題の遍歴」で見てみる。

昭和38(1963)年06月
 家永三郎氏(東京教育大教授)著の『新日本史』が検定で不合格になる
(昭和39年 東京オリンピック開催)
昭和40(1965)年06月
 家永氏、昭和37,38年度の教科書検定当否について提訴(第一次訴訟)
昭和42(1967)年06月
 家永氏、昭和41年度の検定不合格処分取り消しを求めて提訴(第二次訴訟)
昭和43(1968)年08月
 教科書検定基準が全面改定される
昭和45(1970)年07月
 家永裁判第二次訴訟判決(東京地裁)で、家永氏勝訴<検定制度は合憲だが、本件不合格処分は検閲に当たり、違憲との判断>
昭和49(1974)年07月
 家永裁判第一訴訟判決(東京地裁)で、家永氏一部勝訴<検定は合憲だが、検定意見の一部を不当として国側に10万円の賠償命令>
昭和50(1975)年07月
 家永裁判第二訴訟判決(東京高裁)で、家永氏一部勝訴<検定制度の憲法判断はされなかったが、一貫性を欠いた文部省の検定は、行政の裁量権を逸脱しているとの判断>
昭和52(1977)年09月
 検定制度改定。検定意見への反論権や不合格処分への救済措置が設けられた
昭和53(1978)年08月
 高等学校学習指導要領を全面改定
昭和55(1980)年11月
 経団連、教科書批判レポートを発表
昭和57(1982)年04月
 最高裁が、家永裁判第二次訴訟の審理を高裁に差し戻す
        06月
 新華社通信(中国)が、昭和58年度用高校社会科教科書の検定で、文部省が「侵略」という記述を「進出」に書き換えさせたと報道
        07月
 中国、韓国からの抗議が高まったが、小川平二文部大臣は、参議院文教委員会で「書き換えさせた事実はない」と答弁
        08月
 宮沢喜一官房長官が、「政府の責任において、教科書の記述を是正する。今後は近隣諸国との友好、親善が十分実現するように配慮する」と発言
        09月
 鈴木善幸首相、訪中。小平氏に謝罪。
        11月
 検定基準に「近隣のアジア諸国の近現代の歴史的事象の扱いに、国際理解と国際協調から必要な配慮をする」という「近隣諸国条項」が追加され、「侵略」などの表記に検定意見を付さないという基準が設けられた
昭和59(1984)年01月
 家永氏、昭和55年度検定、57年度正誤訂正申請、58年度検定について提訴(第三次訴訟)
昭和61(1986)年03月
 家永裁判第一次訴訟判決(東京高裁)で、国側全面勝訴<検定制度は合憲で、検定処分に裁量権逸脱もなしとされた>――

 「新しい歴史教科書を作る会」・「教科書問題の遍歴」は昭和61(1986)年09月の項目に<藤尾正行文部大臣が『文藝春秋』誌上で「日韓併合は、形式的にも事実上も両国の合意で成立している。日韓併合は、韓国側にもいくらかの責任なり、考えるべき点はある」と発言。9月中に予定されていた韓国訪問と、近隣諸国との関係悪化を懸念した中曾根康弘首相は、藤尾文相を罷免。後藤田正晴官房長官は、近隣諸国に無用の誤解を招いた藤尾発言を遺憾とし「近隣諸国との友好関係を維持前進させる外交姿勢に変更なし」との談話を発表>、さらに昭和63(1988)年 04月の項目に<奥野誠亮国土庁長官は、閣僚の靖国神社参拝を問題視する傾向を批判。中国に対しての外交的配慮についても「小平氏の発言を無視することは適当ではないが、日本の性根を失ってはならない。中国とは国柄が違う。占領軍は国柄、国体という言葉の使用を禁止し、教科書からも削除したが、教科書では神話、伝説をもっと取り上げたほうがよい」「戦前は白色人種がアジアを植民地にしていたのであり、だれが侵略者かと言えば白色人種だ。それが、日本人だけが悪いとされてしまった」と発言。中国および韓国はこの発言を強く非難し、竹下登内閣への影響を考慮した奥野氏は発言の撤回はせず辞任を表明>と書き入れている。

 これらは表向きは(ウラでは何をしているか分からない)教科書検定に対する直接的な介入ではないが、こういった政治家の歴史認識意識の影響を受けて文部省の「侵略」という記述の「進出」への書き換えがあり、歴史認識に関して両者は共同歩調を取っているという点で、まさしく教科書検定への「政治的介入」と言えるし、政治家たちの「政治的思惑」を受けた文部省側の検定思惑と言える。

 これ以降も続く政治による教科書批判をHP≪東京地裁平成01年10月03日判決/家永教科書検定第三次訴訟第一審判決≫で見てみると、<1980(昭和55)年には、政権政党だった自由民主党が、いわゆる戦争・平和教材の増加に神経をとがらせ、『今、教科書は… 教科書正常化への提言』と題した小冊子を発行し、主として国語教科書の内容について非難を展開した。このときは、ジャーナリズムを含めて、自民党の批判についての大きな抗議が寄せられた。

 さらに1982(昭和57)年、社会科教科書の検定で、文部省が日中戦争などの記述で「侵略」という用語を使用しないよう求めたことに端を発して、中国、韓国が日本政府に抗議した。政府はこれを受け入れ、教科書の検定基準に「近隣諸国との国際理解と国際協調に配慮する」といういわゆる「近隣諸国条項」を追加したが、このときも教科書検定のあり方が大きな問題になった。・・・・・>――

 98年6月に、<全部の中学校歴史教科書に従軍慰安婦の記述が登場するという検定結果を文部省が公表>(01.3.13『朝日』朝刊≪政治に揺れる『検定』≫)という事態に至ったのは、<従軍慰安婦問題は91年末、韓国人の元慰安婦らが補償を求めて訴えたことから表面化。日本政府が調査し、旧軍の関与を認めると共に、93年8月には、当時の河野洋平官房長官が歴史教育などを通じ「永く記憶にとどめ、過ちを繰返さない」との談話を発表。これを受け、97年度版歴史教科書が一斉に従軍慰安婦を取り上げた。>(同記事≪加害の記述大幅減≫)といった経緯による。

 これも「政治的思惑」を受けた文部省側の検定態度であって、正す方向の一種の「政治的介入」と言える。

 同じ『朝日』の記事は97年1月に発足した「新しい歴史教科書をつくる会」に<呼応する形で、自民党国会議員が97年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成。教科書から従軍慰安婦の記述を削除するよう求め、国会質問でも繰返し取り上げた。地方でも、記述削除を求めて、議会に陳情、請願する動きが活発になった。>と「若手議員」たちの「政治介入」を取り上げている。

 こういった「政治的介入」、「政治的思惑」にまさしく共同歩調を取る形の文部省側の動きを同記事は紹介している。

 「つくる会」や「若手議員」の活動、地方の状況推移があったあと、<それまで戦争記述についての許容基準を広げ、全体に検定緩和の方向を示していた文部省の姿勢も徐々に変化する。
 98年6月、当時の町村信孝文相は国会で「日本の歴史、特に明治以降、否定的な要素を余りに書き連ねている印象を与える歴史教科書が多いような印象を持っている」と答弁した。>――

 これは町村代弁による「政治的思惑」の押し付けだろう。文部省はさらに共同歩調を強める。<一方、文部省内では歴史教科書検定に関連し、担当者の更迭など異例の人事が続いた。98年秋、日本史担当の主任教科書調査官が月刊誌座談会で、検定基準の近隣諸国条項に触れ、「がんじがらめの体制になっている」と批判した。文部省は厳重注意処分にすると共に主任調査官から外した。>ところまではいいが、<昨年秋、教科用検定調査審議会の委員である元外交官が、「つくる会」の中学歴史教科書について「アジア諸国への侵略行為を記述しておらず不適切」とする手紙などを他の委員に送ったことが問題とされた。法令上の問題はないが、「若手議員の会」などが更迭を強く求めたこともあり、文部省は元外交官を検定に直接タッチしない分科会に配置換えした。
 教科書会社はこうした動きに反応。昨年4月に7社が検定申請し、近く合否が決まる中学歴史教科書(2002年度版)は戦争中の加害行為の記述が大幅に減ってきている。従軍慰安婦は、7社中3社がまったく触れず、「慰安婦」と言う言葉を使ったのは取り上げた4社中1社だけ。現行教科書でやはり7社が取り上げている「南京大虐殺」も、被害者数を示していた6社のうち4社で数字が消えた。7社中2社が名称を「南京事件」に改めた。>――

 政治家の言葉による「政治的介入」、「政治的思惑」の強制とそれを受けた文部省の追従、さらに教科書会社の自己規制の形を取った権威主義社会ならではの追従。

 こういった教科書会社の対応を大歓迎して、中山元文化相の04年11月に機嫌よく発した「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行という言葉が減ってよかった」という発言となり、ご丁寧にも東京都内で地方議員らを前にした講演で文部科学省の当時の政務官だった下村国家主義者が中山発言を支持するというさらなる発言へと発展したのだろう、

 このことを紹介している05年3月7日の『朝日』朝刊≪「教科書、慰安婦の言葉減り良かった」 文化相発言、下村政務官が支持≫にはさらに次のようなことが載っている

 <また、下村氏は近隣諸国との歴史的関係について配慮を求めた教科書検定基準の「近隣諸国条項」を批判して「自虐史観の教育が行われていることを『看過できない』と議員連盟を作った」と述べた上で「7、8月に(06年度から使用する中学校教科書の)採択がある。正常な形で正しく採択されるようにしていただきたい」と語った。>

 これはまさしく教科書検定への「政治的介入」圧力以外の何ものでもなく、自らの「政治的思惑」の露骨な押し付けそのものであろう。

 さらに下村国家主義者は従軍慰安婦に日本軍当局の関与と強制性を認めた「河野官房長官談話」を安倍首相が自らの主義主張を内に隠して美しくもなく内閣としてだけではなく、個人としても認めると国会答弁したことについて、<「安倍首相も首相の立場として答弁している。客観的に科学的な知識をもっと収集して考えるべきだ」>(06.10.27『朝日』朝刊≪麻生氏 核保有論議 下村氏 河野談話見直し 「逸脱発言」与党も批判≫)と、首相の立場になれば誰でも「河野談話」を踏襲せざるを得なくなる、踏襲しないで済むように「河野談話見直し」を図るべきだとする警告を発している。

 このことも教科書検定への圧力となり得る「政治的介入」に当たる。

 町村や渡海は「かつて政治的介入があった。その反省の上に立って、今後あってはならないという趣旨で発言した」と強弁するだろうが、では安倍前首相の従軍慰安婦問題での強制的な軍の関与はなかったとする主張は「政治的介入」に当たらないと言うのだろうか。

 安倍晋三を筆頭とする国家主義者たちの慰安婦軍関与説否定は今回の沖縄集団自決での軍関与否定に通じる。表面的には軍関与の根拠は揺らいでいるとしているが、内心に疼かせている歴史認識はこれまでの経緯を見ても、否定したくてうずうずさせたさせたものだろう。

 日本民主党の『うれうべき教科書の問題』を論旨とした社会科教科書に対する「偏向教育」批判と攻撃、文部省の教科書の「侵略」という文字から「侵攻」もしくはさらに薄めた「進出」なる文字への検定指導、「従軍慰安婦」や「強制連行」記述の削減、あるいは「南京大虐殺」なる文字の「南京事件」へとの文字変更と被害者数の消滅、さらに「河野談話」の見直しの画策を目的の一つとしている「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」等の活動、さらに安倍1年ポッキリ首相が代表していた従軍慰安婦の軍関与否定、そして今回の文部省の沖縄集団自決における軍関与文字の教科書からの削除検定、こういった「政治的介入」が向かっている方向は日本の戦争の無実化を措いて他にない。

 日本の戦争が侵略戦争ではなく、自存自衛の戦争だった、アジア解放の戦争だったとすることも、東京裁判否定も、A級戦犯は国内法では戦争犯罪人ではないとする考えも、逆に安倍晋三も得意としていた特攻隊美化も、すべて「日本の戦争の無実化」に行き着く。他にどこにも行き着かない。

 日本の国家主義政治家たちにとっての「日本の戦争の無実化」とは、戦前の日本を「美しい日本」、あるいは「間違いのない日本」としたい計らいであろう。安倍晋三無責任内閣投げ出し人間の「規律を知る凛とした美しい国、日本」とは戦前の「日本の戦争の無実化」を果たして獲ち取った「美しい日本」を引き継いでの戦後の日本がそうあるべきだと言うことで、それが「戦後レジームからの脱却」によって戦前の「美しい日本」と戦後の「美しい日本」とが首尾一貫した歴史となり、伝統となると言うことなのだろう。

 万世一系の天皇とか2600年の歴史という誇りの意識が戦前と戦後のつながりを求めて止まない歴史的欲求を日本の国家主義者らに持たせている。

 日本の国家主義政治家たちの「日本の戦争の無実化」を図る教科書検定への「政治的介入」、「政治的思惑」の押し付けは「日本の戦争の無実化」を獲ち取るまで止むことはあるまい。但し、獲ち取ったとき、日本の社会は日本民族優越意識が満ち溢れることになるだろう。

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