7月1日、高千穂町で開かれた県民フォーラムでは次のような発言をしたと7月2日の「asahi.com」が伝えている。
「一介の(県)知事がいきなり大臣とか首相候補に指名されるなんてありえない。でも歴史を変えなくてはならない」
「国政に行きたいのではない。国を変えたい、制度を変えたい」
「たった一人の反乱だと思っている。5年後10年後、こういうチャンスが来るかはわからない」
「民主党は次期代表に私を選ばないでしょう。自民党総裁になる方が可能性は民主党(代表)より高い」
参加者「(衆院選で)自民党が負ける可能性も言われているなかで、なんで自民党なのか」
「良い質問ですね。ぼくが(自民党に)行ったら負けません。負けさせません」
任期途中で国政に転じた場合の後継者問題について、
「責任を持って議会、職員や県民の皆様のご意見をうかがって、私の考え、やり方を一番分かる、一番継承出来る方にお願いする。それがぼくの責任」
「1週間に1回は(宮崎に)帰ってきて『これはこのようにして』と口出しする。事実上の知事はぼくだから、次に知事になる方は傀儡(かいらい)政権ですね」
傀儡政権は上が下を従わせ、下が上に従う権威主義的指揮命令系統を成り立たせることによって可能となる政治体制であって、中央集権と双子の血を体質とする。いわば自民党とごく近い体質を持っていることからの自民党であって、その体質からは程遠い民主党ではないということなのだろう。
だから、自民党の中央集権体質が拒んできたことによって生じた今の「地方分権の必要性」であることが無視できる。
大体が東京のテレビに出たい、時間をかけずに出ることができる距離にある東京の議員宿舎等に住みたいがために国会議員になりたがっているのではないかと疑っていた。少なくとも宮崎県知事であるとき以上にテレビに出る頻度は上がるに違いない。テレビに出て、周囲を笑わせ、独壇場を演じる。かつてのお笑いタレントの本領を遺憾なく発揮するに違いない。
黒岩「民主党のなんか、飲む用意が出てきたわけですか?」
東「いや、民主党さんからのお話を戴いて――、いないので」
条件はあくまでも話を戴くか戴かないかとしている。政策の違い、あるいは実現させる政治体質の有無等を問題としていない。さすが人気者だけのことはある。
黒岩「じゃあ、聞いてみましょう。菅さん、どうですか。東国原さんの言っていることで、民主党として受けられることじゃないんですか?」
菅「先程、あの、小池さんが言われたような考え方は、あの、地方分権、ことに関しては全く同感です。外交とか防衛とかですね、つまり通貨とか、あの年金の基準なことは国が関わるべきだと。それ以外はすべて自治体に任せる。明治維新の逆方向の分権をやる。つまり江戸幕府がやっていた外交、防衛をやるけれども、長州や薩摩藩がやっていた、そういうものは全部県に任す。
それは年来の私たちの主張なんですね。で、私はですね、あの、昨年の道路特定財源の、財源のときに、結局国土交通省が、それこそ宮崎県の(聞き取れない。国土交通省が費用対効果が認められないとして工事を一時凍結し、5日に金子国土交通相が視察した、と言うことは凍結解除を前以て既定事実とした宮崎県の国道220号青島~日南線のことを言っているのか。)、あるいはその古賀誠さんの(なぜ東国原さんが言っていた、あの悪人顔のと言わなかったのだろうか。)ところの“誠橋”から、全部事実上コントロールしているわけですよ。
ですから、日本は牢固な集権国家なんですよ。官僚集権国家なんですよ。ですから、この霞ヶ関の官僚集権体制を、壊せる政党でなければダメなんですよ。ただ残念なのは、自民党は、例えば古賀さんの例で言えば、あんたんとこに予算をつけてやるから、俺んとこには橋を造ってくれよというですね、つまり、政治を官僚に任せて、陳情をやるのが、自分たちの仕事だと。
ですから、そういうですね、古賀さんが、まあ、東国原さんのところに行かてれるっていうのは、私から言うと、皮肉に思えるんですよ」
なぜ菅は小池の言ったことは全く同感などと言ったのだろうか。小池やその他自民党が言っていることは、自民党が政策としてできていない地方分権を民主党が行うべく言い出したことで、選挙への悪影響を避けるために声を揃えているだけのことではないのかと言ってやらなかったのだろうか。
小池「でも、でも――」
菅「ですから、ですからですね、私たち民主党の考え方、別にその東国原さんに私たちが別に声をかけていませんけれども、政策の中身で反論するって言われるならば、少なくともこれまで自民党さん、30年、40年、政権を持ってて、何か分権ができたと、私もたくさん見てきました。例えば、委任事務と言うものですね、なくせと言うのが、自社さ政権のとき、私が政策調査会長で盛り込みました。その機関委任事務はなくなりましたよ。新たな権限をたくさんつくって、結局のところ、分権はこの数十年、全く進んでいません」
地方分権は中央集権体制とは相反する価値組織として成り立つ制度だから、中央集権制を政治体制としている自民党政治には実現不可能な政策だといった文脈で説明すれば済むし、そのような自民党に地方分権を求める東国原の姿勢の矛盾を突いて、岡田克也同様に「論評するに値しない」と突き放すべきを、「別にその東国原さんに私たちが別に声をかけていませんけれども」などと、声をかけていないことがまずいことであるよな余分なことを言っている。
黒岩「と言うことは、東国原さん、この話を聞いていると、民主党は東国原さんの政策的な問題と何の問題もないと。民主党に来てくれよと、いう話にいってるけれど、何で自民党に――」
民主党は東国原に一言も「民主党に来てくれよ」と言っていないのに、日本のマスコミだからだろう、事実を無視して展開を面白くすべく策する能力はさすがである。
東「自民党さんのお誘いが早かったと、これは単純な問題なんですよ」
黒岩「この後きたら、どうしますか」
東「えっ?」
黒岩「民主党、このあときたら、どうしますか?」
東「これ、政策見てですね、自民党さんが丸々、そうですね、私が提案したマニフェストを飲んでくれるって言うなら、もうしょうがないですね。この二つの条件を飲んでくれるって言うなら、こっちの方が先だったもんですから。これは実現する方向に持っていかないと、そういう話ですね」
誘いの後先を条件としていながら、民主党に関しては「政策見てですね」と決定基準を平気で変えている。政策を見るまでもない、政策で自民党に提案したのではない、先に誘いがあったからだと、あくまでも後先の条件を貫くのが一貫した態度と言うものだろうが、東国原にはそれがない。
公務員改革も天下り問題も満足に解決を見ない、中央集権体制を霞ヶ関共々自らの体質としている自民党である、いくら東国原が総理大臣となったとしても、「実現する方向に持って」いくことなどできないに違いない。
黒岩「でも、あれですね、小池さんはもうなんか、自民党で出る感じですね?」
小池「いや、あの、やはり、応援団は一人でも、また、パワフルですからね、そして方向性は私は合っていると思いますよ。あの道州制という形を打ち出し、そしてこれをマニフェストにしっかりと盛り込むと、いうことをして日本を動かしていく。
それからまあ、あのー、よく、こう、あの、官僚政治対、ですね、本来立法府、がですね、もっと立法できる形にしなければなならないわけで、それを霞ヶ関が丸投げしているようでは、日本は変わらないわけですね。
でも、まあ、民主党さんはあの100人、あの副大臣とか政務官を入れるっていう、その話をですね、やっておられるけれども、私はね、100人、バランバランに入っても、却って、あれ、意味ないと思うんでうすね。だから、選択と集中でですね、例えば、年金問題、それから、この地方分権問題?100人と言うんだったら、この選択と集中、そこに集中しまして、そして50人、50人ぐらいに入れなければ、私はダメだと思います」
「霞ヶ関が丸投げしている」のは自民党であり、その結果としてある「日本は変わらない」風景であること、その責任の一端を自民党議員として負っていることには何ら気づいていない幸せ者を小池百合子は何様顔に演じている。
菅「今の政治そのものですよ。自民党政権そのものが副大臣、政務官、70人ぐらい、残念ながら、これはチームになっていません。私はイギリスを見てきましたけれども、イギリスは100人以上のメンバーが入っています。
で、民主党の中ではですね、ま、色々と提案してるんですけど、大臣、副大臣、政務官、少なくとも週1回は政務三役会議をつくってですね、そこに官僚を、もし必要なら呼んで、その省庁の方針を決めていく。
それから、えー、官邸にイギリスはポリシー・コミッティー(?よく聞き取れない。)っていうのを抱えています。24人のスタッフで、半分はポリティカルアポインティ、政治任用です。ですから、うちの党で言えば、民間人とか党の職員で優秀な人間を官邸に入れてですね、そこが全部調査します。
つまり、今まさに小池さんが言われたことを、私たちは実現しようとしているんです。しかし自民党は現実に副大臣とか、まあ、大臣をやられたからご存知でしょうが、政務間とかがあっても、チームとして機能していないんですね。失敗例をですね、つくっている立場の人がですね、あの、できない、できないと言っている。それは自分たちができなかったということですね」
自民党を否定すると同時に小池をも否定しなければならないにも関わらず、「小池さんが言われたことを」と肯定化するすることで、自民党が成し得ていないことの責任を免除している。
黒岩「どういう政策を目指すかということを議論していると、自民党も民主党もやりたいことについては、近いような感じがするんですね。その中で例えば、ちょっとこれ、聞きたいことがあるのですが――」
言っていることは近くても、実現可能性の基準を政治体質、政治姿勢、誰を対象とした利害代弁者なのか、利害擁護者なのかなどに置いて判断しなければならない。国民のためと言いながら、大企業の利害のみを代弁していたなら、企業の利益は従業員に還元されず、個人消費が伸びない結果、生活の向上が実感できなかったといった最近の出来事が再び起きる。それぞれが重要な実現可能性の判断基準であろう。
東「あの、そうなんです。今回のですね、西松問題、ですね。あの献金問題も、僕はね、与党さんも野党さんも、五十歩百歩というか、どっちもだと思うですよ。国会議員の全体、国政全体に対する国民のみなさんの不信感、とか不満感、今あるんじゃないですか。で、変革なんですね。変えて欲しいという、国民のみなさん、思ってるんです。ですから、政権交代で変えるか。自民党自体を変えるのか、それをきちんと示すか、つまり、私を総裁候補としてですね、あの、招き入れるって、これ歴史をないわけですから。
そしてまた、あのマニフェストを全部入れるなんて、自民党さんにはハードルが高すぎると思うですね。でも、それを仮に入れたらですね、自民党さんが政府与党として、あの大政党が変わったと、それを宣言するようなもんですから、それは国民にとっては、政権交代でも、自民党が変わる。これ、どっちを選ぶかと言うことなんです」
言っていることが矛盾だらけである。黒岩に自民党も民主党も言っていることが近いと言われて、選択の条件を誘いの後先とした後ろめたさから解放されたからか、急に元気づいて、献金問題に置き換えて両党の近さを喩える矛盾。また公衆の面前で「ぼくが(自民党に)行ったら負けません。負けさせません」と宣言しておきながら、「政権交代でも、自民党が変わる」と敗北を言う矛盾。
黒岩「そういうね、外からの変革っていうことに対して、東国原さんが情熱を示しているのが分かる。そんな中で大阪の橋下さん、知事も同じような思いでいたんだろうと我々は見ていた。連携するのかなーと、ずっと見ていたら、昨日、注目すべき話がありましたね。昨日、橋本知事、中田市長、と会談をしてですね、そのあと、これ、東国原さんが、えーと、自民党とうまくいかなかったらと言って、今さら首長連合に参加を求めようとは思わない。本質的に東国原さんと相容れないんだと、いう話をしましたけど、これどう受け止めているのですか?」
東「これはですね。地方分権では、彼とはイッショー(一緒)なんですよ。考え方、ですから、まあ、どういう形になろうが、方法論は違えども、地方分権をしないと、地方の疲弊は止まらないので、そこで意思統一されてるんです。
で、この場合ですね、仮にですよ、あの橋下さんと違う方法で国に攻め入っても、どっちが勝っても地方分権って行われるんですね、ハイ」
黒岩「菅さん、これ、この橋下さん、中田さん、政党をね、選んで決めようと。同じ政党を決めようと、選ぶと、これだって元々中田さん、民主党にお世話になっている。橋本さんが民主党の方に来るっていう感じでしょうか」
菅「まあ、正確にはあの、会派を示していた方なんですが、まあ、先程言われましたように、私もながーい間、ですね、あの、この分権問題を見てきました。まさに細川政権の細川さんは、熊本の知事を2期ちゃんと務められて、私がその入った魁(さきがけ)は武村さんも、確か3期ですか、滋賀県知事を務め上げました。ですから、私は一般的に地方の知事、首長経験者が国政に出てこられることは、一般的には歓迎なんですよ。
ただ、そのポイントははやり政権党がですね、党として本当にその霞ヶ関の官僚的な政治運用を変えられるかです。で、私は、まあ、色々なことを行ってますよ。色々なポイントがあるんですが、象徴がやはり9年度の道路特定財源だと思うですよ。私、宮崎も行きました。で、確かにですね、宮崎のために国土交通省が(?)分からないわけでもないけども、少なくとも5兆円の道路財源、役所があれですよ、事実上の俗にカネを配るというのを決めているんです。そういう構造を壊そうとする政党なんですよ(意味不明)。その上に乗っかってですね、俺んところに持ってこいという政党なのが、それは先とか後とかじゃなくて、体質から見たって自民党にはできないことを私の目から30年見てた」
「体質から見たって自民党にはできない」と言うなら、その「体質」こそが地方分権を拒んできた本質的な問題であることを端的に説明すべきだが、話を広げ過ぎて、却って言いたいことが散漫になっている。
小池「民主党の方々も、陳情に行ってらっしゃる――じゃないですか?ええ、先程の西松の話もありましたけれども、これなんてやっぱり東国原さんで、あの、国民の感覚、とてもよく分かってらして、何とかしてくれと、そこに僕が身を投じるんだという決意だと、私はそう受け止めてるんですね。
だから、むしろ、あの、知事連合の方と首長連合の方々?私はこうやって他から声がでてくることを、それはですね、むしろ、プラスと把えて、そしてそれを動かしていくよと、そういう、そういう国民の声が私は聞こえるんだけどねえ」
「民主党の方々も、陳情に行ってらっしゃる」――どこが悪いと言うのか。菅は「政治を官僚に任せて、陳情をやる」――いわば陳情専門職と化していると言っているのであって、官僚任せではない政治を専らとした上に口利きとならない陳情は問題ないはずである。
小池は悔し紛れにお門違いの批判を持ってきたに過ぎない。陳情に対して国会議員が特定利益を図る意味合いの口利きを図ることがあったという指摘なら分かる。中央集権体質の自民党では見るべき地方分権は果たし得ないという認識がないから、東国原の個人的人気のみに頼る意識が働くことになる。
地方分権とは政治権力を中央に独占・集中させている中央集権体制を壊すことによって可能となる政治権力の地方への分散を言うのだから、小池たち自民党議員が自分たちの政治体制が中央集権体質だという自覚を持たない以上、実現不可能な地方分権と言える。
黒岩「あなたの話を聞いていると、東国原さんは自民党の方にいっている。今度はじゃあ、橋本さん、民主党の方に取り込んでいこうと。何かそこでこう分断して、地方分権と言うことで、一つのキッカケになって動いていくという伏線がある気がしましたが――」
日本的マスコミの野次馬根性の見事な発揮。外野席でワイワイ騒いで、騒ぎを大きくしようとする。
菅「黒岩さんたちはそういう見るのが好きなんですが、私のように多少長いこと分権論をやっていると、構造なんですから、国の形そのものなんですからね、いいですか、集権国家じゃないですよ」
黒岩「政策を実現させるのが、一番大事なことですよね」
菅「違うんですよ。実現するには構造を変えないと、実現できないんです。選挙一体のマニフェストですね、変わるんだったら、例えば小泉さんの三位一体で改革は何だったのかと。まさに、それで地方は疲弊してるんじゃないですか。自民党をぶっ壊すと言ったのは誰だったんですかね。小泉さんじゃないですか。今の東国原さんが、じゃあ自民党です、つくり変える。つまり小泉さんのいったことの焼き直し以上のことをして、私から見るとですよ、つまり国の構造を変えるっていうのは、その、自民党の中で変えることができないというのがホンネですからね。
数年間、数十年間の結果、私たちが政権交代をしないと、霞ヶ関の今の主流の政治は変えられないと、そのプログラムのきちんとですね、示してきている。
ですから、そこを考えていただければ、別にこちらから声をかけないというよりも、政策的に見れば、どちらが分権かと言うことに関して、本当にやって、やろうとしている考えをしているか、私は国民のみなさんにははっきりと分かると思いますね」
小池「分権の部分は、私はあの、国家として考えれない。むしろ、この今回の臓器問題であるとか、それから金融庁をつくるとき、えー、のようにですね、ここは私は両方がチエを出して、ですね、お互いに対立型、対決型でですね、時間ばかり浪費するということは、基本的に許されないと思うんですね。と同時に、この分権も大事ですけども、安全保障ですよ。そこの部分がなくしてですね、見えないで、・・・・」
黒岩「その話、次のコーナーでやります」
小池「北朝鮮が喜ぶだけですよ」
小池は形勢不利と見ると、地方分権とは直接関係のない臓器問題や金融庁設置問題を取り上げて、チエを出し合おうと協調姿勢を求める。政界遊泳術が長けているだけあって、巧みな手管である。その癖、地方分権を論じるコーナーでありながら、民主党の弱点と見ている安全保障の問題まで持ち出して、形勢を自己に有利に運ぼうとする権謀術数を見せる。
何を根拠に民主党の外交政策が「北朝鮮が喜ぶだけですよ」なのだろうか。「第7艦隊だけでいい」と言った小沢前代表の言葉を根拠としているのだろか。北朝鮮問題は日本だけの問題ではない。北朝鮮による先制攻撃なら、中国・ロシアは黙って見守るしかなく、アメリカは安心して本土や国外の基地から安心して大陸弾道弾、その他のミサイルを北朝鮮に撃ち込むことができるだろう。
本人なりの根拠があったとしても、詳しい議論もなしに決めつけるのは自己の形勢のみを考えた為にする言い分で、狡賢いとしか言いようがない。
小泉以来、「圧力と対話」と散々に言いながら、拉致問題を何一つ発展させることができなかった自民党政治の安全保障をこそ、問うべきだろう。軍事力を展開させることだけが安全保障ではない。外交能力がときには軍事力以上により重要な安全保障となり得る場合がある。
このことは戦前の日独伊三国同盟や日ソ不可侵条約、ポツダム宣言受託に関わる対外交渉等々が証明している安全保障に於ける外交の重要性であろう。軍事力でも外交能力でも日本は米国よりも劣っていたことは誰もが認める一般的事実であろう。
潘基文はスー・チー女史との面会の実現を「最低限の成果」としていたそうだ。だが、来年の総選挙を前に民主化勢力の徹底排除を貫こうとしている軍政側の抵抗の意志は固く、面会を実現させ得ず、潘基文をして「深く失望」させるに至った。
記事は「最低限の成果」から「深く失望」へと暗転させるに至った事態を〈「困難な任務」(事務総長)を覚悟で臨んだ会談が空振りに終わり、譲歩が得られる確証がないまま訪問に踏み切った事務総長にも批判が高まりそうだ。〉と批判的に解説している。
タン・シュエ議長の面会お断りの理由を潘基文はこう伝えている。
「裁判中で、外部からの圧力に屈したとの印象を避けるため」だと。
この言葉に対して、潘基文はどう答えたのだろう。答えた内容によって、言葉を武器とし得たかどうかが分かる。
タン・シュエ議長は国際社会からの圧力を受けて態度を変えることはしたくない、あるいは禁止されている裁判中の被告との面会の禁止を解くことはできない、圧力に屈したと把えられるだろうとした。
「これは圧力ではない。例え相手が極悪な政治犯であっても、民主国家では裁判中の被告との面会はごく普通のことである。誰もが許される。例え議長が面会を許したとしても、国際社会は圧力に屈したとは取らず、当然の措置と看做すはずだ。面会一つで、国際社会は議長の配慮を歓迎するだろ」
こういった文脈で答えたのだろうか。
勿論、相手が何を言おうと、どう説得をしようと、タン・シュエ議長には“面会”という展開は最初から存在しなかったことも考えられる。
だとしても、潘基文はスー・チー女史との面会を「最低限の成果」としていた以上、その「最低限」を実現させる国連事務総長としての義務と責任を負っていたはずである。
「私は個人としての立場でここに来たわけではない。国連事務総長という立場で来た。面会できないまま、手ぶらで帰ることはできない。面会が叶うまで、私はここを動かない」
面会実現に向けたどのような強い意志を見せたのだろうか。
タン・シュエ議長が椅子から立ち上がって、「さあ、これ以上話し合っても時間を無駄にするばかりだ。お引取り願いたい」と言っても、潘基文は椅子から立ち上がらない。梃子でも動くものかと強い意志を身体全体に見せて、椅子に座り続ける。
タン・シュエ議長は腹を立て、好きにしろとばかりに潘基文一人を残して部屋を出て行くだろう。それでも潘基文は椅子に座ったまま、動かない。何時間経過しても。
タン・シュエ議長はそのままにしておくわけにはいかないだろう。強硬手段に出ざるを得ない。屈強な二人の男を使って、潘基文を両脇から抱えて椅子から力づくで立ち上がらせ、そのまま両脇から抱えるようにして部屋から連れ出して建物の外に連れて行くだろう。
そのまま両脇を抱えられて玄関前に用意しておいた公用車のところまでいき、強引に乗せられて、屈強な二人に挟まれる形で空港に連行させられる。潘基文は空港に着いたとしても、今度は車から降りようとしない。屈強な二人は車に乗せるまでしてきたように強引に車から降ろして、再び左右両脇からそれぞれの腕を抱えて空港の建物の中に連れて行き、そのままの状態で通関し、バスに乗せ、バスを降り、両脇を抱えたままタラップをのぼり、シートに座らせて、シートベルトを身動きできないように拘束ベルト紛いにきつく締める。
タン・シュエ議長との会談場所であった建物の外に連れ出された瞬間から飛行機の座席に座らされるまで、屈強な二人に両脇を抱えられて拉致される様子は事務総長の随員か、あるいは報道機関に所属する者、あるいは旅行者が携帯のカメラで写す機会は皆無とは言えないだろう。
撮った写真がインターネットで全世界に流されるか、あるいは新聞・テレビで全世界に報道された場合、スー・チー女史に面会できずともミャンマーの無法を際立たせ、タン・シュエ議長はスー・チー女史処遇に関わるプラス方向に向けた何らかの手を打たざるを得なくなるのではないだろうか。
少なくとも事務総長はそのくらいの強い意志・根性を見せるべきではなかったろうか。
だが面会を拒絶されると、「深く失望した」という感情を結末としたのみなのだから、面会に向けた有能さと執念を何ら見せずに「最低限の成果」をいともあっさりと放棄したのだろう。国連事務総長として必要最低限備えなければならない義務と責任を同時にいともあっさりと放棄したに違いない。
尤も潘基文は国連事務総長としての有能さを元々備えていないと言うことなら、地位上付随させるべき義務と責任も期待不可能と言うことになる。
6月23日付の「NEWSWEEK」インターネット記事が《世界で最も危険な韓国人、潘基文》と題して、決して有能ではない潘基文の人と為りを紹介している。
以下上記「47NEWS」記事参考引用――
《軍政側の面会拒否に潘氏「失望」 ミャンマー訪問成果なし》
(47NEWS/2009/07/04 18:25 共同通信】)
【バンコク4日共同】ミャンマー訪問中の国連の潘基文事務総長は4日、首都ネピドーで同日行われた軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長との2回目の会談で、軍政側が拘置中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん=国家防御法違反罪で審理中=との面会をあらためて求めたにもかかわらず拒否したことに「深く失望した」と述べ、無念さをあらわにした。
今回の訪問で「最低限の成果」とされていたスー・チーさんとの面会が実現せず、来年の総選挙を前に民主化勢力の徹底排除を貫く軍政に対し、国連外交は完全に手詰まりとなった。「困難な任務」(事務総長)を覚悟で臨んだ会談が空振りに終わり、譲歩が得られる確証がないまま訪問に踏み切った事務総長にも批判が高まりそうだ。
事務総長は同行記者団に、議長が「裁判中で、外部からの圧力に屈したとの印象を避けるため」面会拒否の理由を説明したことを明らかにし、軍政の対応は「ミャンマーを支援しようとする国際社会の努力に逆行する」と非難した。会談は約25分で終了したという。
「天皇陛下が心安らかに親善の目的を達成できるような国内の環境を作ることは、国会議員として最低限の義務だ」(《解散時期「都議選直後より遅くに」…与党幹部求める》YOMIURI ONLINE/2009年7月3日00時16分)
これは記事解説によると、「天皇、皇后両陛下がカナダ・米ハワイ州を公式訪問されている3~17日の解散は避けるべきだ」と主張したものだそうだ。
町村のこの主張を妥当性ある内容だとすると、天皇自身は憲法によって「国政に関する権能を有しない」と規定されているが、そのことに反して国の政治そのものは天皇のために存在することになる。発言どおりに解釈するなら、天皇の満足を基準に政治を行うべきものと主張したことになる。
当然の逆説として、政治は国民の満足を対象としていないことを意味する。自民党最大派閥の親分さんが言っていることなのだから、その精神の影響を受けていないはずはないにも関わらず、自民党が「国民目線」とか「国民のために」をかねがね口癖としていられるのは単なる口先だけの見せかけ言葉だからとなる。実際には、少なくとも町村信孝なる政治家は“天皇目線”で常に政治を行ってきた、そして現在も行っているということになる。
同じ昨7月2日の「毎日jp」記事――《質問なるほドリ:天皇陛下の外国訪問中には衆院解散はないの?=回答・石川貴教》が衆議院解散時の天皇の役目を解説している。(一部抜粋引用)
〈Q 衆院を解散する時に、天皇は具体的に何をするの?
A 内閣が解散を閣議決定すると、内閣官房の内閣総務官が解散の詔書の原案を皇居に持っていきます。受け取った天皇は詔書に署名し、御璽が押されます。「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」と呼ばれるもので、この詔書に首相が副署(添え書き)し、衆院議長に伝達します。これらの段取りを踏んで解散の効力が発します。
Q これまでも衆院が解散された時は、天皇の外国訪問中ではなかったのかな。
A 現行の憲法が施行された1947(昭和22)年5月3日以降、これまで20回、衆院が解散されましたが、いずれも天皇が外国訪問中でない時期に実施されました。選挙日程と重なるのを避けたというよりも、結果的に重なるケースがなかったというのが実態のようです。外国訪問と解散時期の関係に注目が集まったのは00年6月2日の森内閣当時の解散で、天皇陛下の訪欧期間中(同年5月20日~6月1日)を避けたとされています。
Q 今回の天皇陛下の外国訪問中も解散はないんだね。
A 100%ないとは言い切れません。天皇の外国訪問中は、事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を代行できます。今回は、臨時代行を務める皇太子さまが衆院を解散することも法律上は可能です。ただ、その場合、陛下不在中の強引な解散と国民から批判を受けかねないのも事実です。(政治部)〉――
「陛下不在中の強引な解散と国民から批判を受けかねない」は日本の政治を「陛下」のためにあることとする説明となる。
要するに天皇は解散のセレモニーを執り行うに過ぎない。しかも「事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を代行で」きるとしている。天皇の外国訪問中であっても、政治が天皇の満足を目的としているのではなく、国民の満足を対象としている以上、解散して何の不都合があるのだろうかと思うのだが、天皇の満足を政治基準としている町村にとっては、あるいはその同類にとっては天皇の外国訪問中は「心安らかに」いられるよう、解散は控えるべきだということになるらしい。
既に触れていることと重なるが、日本国憲法の第1章天皇、第4条で「天皇の機能」を次のように規定している。
(1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
(2)天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
「国事に関する行為」、いわば「国事行為」を 『大辞林』(三省堂)は次のように解説している。
【国事行為】「憲法上、天皇が内閣の助言と承認により行う形式的・儀礼的行為。法律などの公布、国会の召集、衆議院の解散、一定の官吏の任免の認証、栄典の授与など。内閣がその責任を負う。」
「国政」(=国の政治)は解散・総選挙のみではない。憲法が定める天皇の儀礼上の行為に付き合っていたなら、ただでさえその資格もなく総理大臣を務めている麻生太郎のお陰で日本の政治が立ち往生していると言うのに、たちまち国の政治は立ち往生以上の大混乱に陥ってしまうだろう。
あるいは国民の満足を対象とせず、天皇の満足を目的に政治を行ったなら、戦後の民主化は夢幻(ゆめまぼろし)と化す。
麻生太郎にしても〈天皇の国事行為である衆院解散を皇太子が代行することについて「法律上は何ら問題はない」〉(《麻生首相:天皇海外訪問中「解散に問題ない」》毎日jp/2009年7月2日21時25分)と言っている。
〈憲法などでは、天皇の外国訪問中は、事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を行うことになっており、今回は皇太子殿下が務める。首相は「天皇陛下がおられない間に、国事行為の代行を皇太子殿下がされると法律があるので、その法律通りにさせていただくというのが普通。解散に限って言うわけではない」と述べた。【影山哲也】〉――
この発言だけ見ると、たまにはまともなことを言うように見えるが、党役員人事も党内の反対から自分の思うようにすることができず、任期を2カ月後に控えた土壇場で解散まで縛られたのではすっかり存在意義を失ってしまう反撥から出た最後の足掻きに過ぎないのではないのだろうか。
町村は早期解散反対の立場から、「天皇陛下が心安らかに」云々と発言したのだが、ご都合主義に天皇の外遊を持ってきたわけではあるまい。天皇を最上位権威に置く意識を政治精神としているからこそ、口にすることができた発言であろう。
改めて言うが、政治は決して天皇の満足を基準に行うべきものではない。国民の満足を基準として行われるべきものであろう。だが、町村信孝なる政治家は天皇自らが望んだこうあるべきだとする精神状態ではないにも関わらず、自分一人の願望から、一人ではなくても、同じ国家主義者・天皇主義者である同じ穴のムジナたちと意を同じくした願望から、「心安らかに」と天皇の精神の満足を持ち出し、そこに政治を合わせようとしている。これは天皇の政治利用に当たらないだろうか。
こういう説明もできる。
天皇自身が日本もそろそろ政権交代のある当り前の普通の国になるべきだと思っているのかもしれない。思ってはいないかもしれない。思っていたとしたら、外遊に関係なく、早いうちに解散・総選挙が行われ、早く政権交代を見たいと思っているかもしれない。外遊先だろうとなかろうと、日本の重大ニュースはリアルタイムで知ることができる。日本が総選挙の間、スリルとサスペンスでわくわくしながら外遊をすることになるかもしれない。
だが、どのような精神状態にあるのか、何を考え、何を思っているのか、実際のところは天皇以外は、あるいは天皇と皇后以外は、さらに皇族以外は誰一人与り知らないことで、町村もその一人に入るはずである。
与り知らないにも関わらず、「心安らかに」と天皇の精神状態の理想を言うことで正当化を図りながら、それを満たすための解散・総選挙であるべきだと、そのような「国内の環境を作ることは、国会議員として最低限の義務だ」だと天皇の理想の精神状態に国会議員を従わせようとしている。
国会議員を従わせるとは、国民をも従わせることであろう。小賢しいばかりに独善的な政治利用ではないか。
町村が天皇を最上位権威に置く権威主義者・天皇主義者なのは「心安らかに」を天皇のみの満足状態としていることからも窺える。今日7月3日からのカナダ・ハワイ訪問は天皇のみではなく、皇后も同道する。例え国事行為が天皇の専権行為であったとしても、天皇だけが「心安らかに親善の目的を達成でき」ればいいというわけではあるまい。皇后共々であるはずだが、権威主義者は男女をも上下に権威づけ、男尊女卑、あるいは男を主とし、女性を従とする上下意識、上下の価値観に縛られる。
このような権威主義性からの関連から言うと、天皇しか頭になかったことからの皇后忘却の疑いが濃厚なのは間違いない。
衆議院の任期が二ヵ月半後に迫る時間が僅かにしか残されていないこの次期に、なぜ党役員人事の刷新なのか。
なぜ党内はこのことに反対だったのか。
麻生首相が閣僚兼務状態を解消する内閣人事のみならず、党役員人事の刷新に拘ったのは支持率低下に歯止めがかからない手詰まり状態にあって、もはや打つ手は人事をいじるしかないところにまで追い詰められていたからなのではないのか。
最後に残された、それしかない“人事の操作”で目新しさとやる気を出し、支持率低下を少しでも補いつつ解散・選挙に打って出る目論見を抱いていたはずだ。
だが、「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」と麻生内閣誕生の演出に力を発揮し、「後見人的存在」(asahi.com)となったフィクサー森元首相と麻生が7月1日夜に東京都内のホテルで会談、その反対に遭って、断念せざるを得なかった。
麻生は森と会談した前日の6月30日のぶら下がり記者会見で次のように言っている。既に内閣と党役員人事の何らかの異動がマスコミに取り沙汰されていた。
麻生「人事については、私が決めさせていただきます」
――役員人事と内閣改造は一体で行うと考えているのでしょうか。
麻生「あのー、然るべきときに然るべき方をと、前から考えておりました」(《首相 人事実施の意向を示す》NHK/09年6月30日 19時30分動画から)
「役員人事は触れません、内閣改造のみです」とは言ってない。「一体で行うのか」と問われて、その文脈で、「然るべきときに然るべき方を」と答えているのである。言葉では言わなくても、暗黙裡に役員人事を行うと言ったことになる。
だが、麻生は党役員人事を行わなかったことについて、次のように言っている。
麻生「私の口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いないと思いますが、違いますか?」(《麻生首相、党役員人事を見送り》TBS/09年7月01日23:03)
党役員人事の入れ替えは予定にはなかったとしている。からかうように薄笑いさえ浮かべていた。
こう言うべきだったろう。
「私自身は党人事を行いたい意向だったが、党の総意として今必要ではないということで、それに従うことにしました」
確かにマスコミ関係者の中で麻生の「口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いない」かもしれないが、麻生と党幹部との間で役員人事について話し合った“事実”を直接・間接に聞き、把握することによって紛れもない“事実”となっている役員人事問題である上に、「役員人事と内閣改造は一体で行う」のかとの質問に、「一体で行う」とする文脈で「然るべきときに然るべき方を」と答えているのことを無視して、「私の口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いないと思いますが、違いますか?」を以って、その入れ替えを予定していなかったとするのは人を欺くウソ、詭弁の駆使以外の何ものでもあるまい。
この狡猾さは如何ともし難いではないか。こういった狡猾な人間が日本の総理大臣を務めている。
上記「TBS」記事は森「日本は神の国」元首相が麻生と役員人事について会談を持ち、話し合った内容の報告を「30日夜、行われた麻生総理と森元総理との会談の様子が、最大派閥・町村派の幹部が集まった席で明らかにされました。森氏は、役員を刷新することに一貫して反対の姿勢を崩さなかったということです」とのみ伝えているが、この報告を中山成彬元国土交通相がマスコミに間接情報として伝えている。麻生の詭弁を無にする一種の情報漏洩となったことは否めない。
中山成彬「森さんの話の内容からすればですね、そうかなあと、党人事はないんだなあと。・・・・一生懸命やってきたそういうメンバーなんですから、もし選挙やるなら、そのメンバーで以てね、まー、国民に訴えるべきだと、そのことだけはぶれていなかったじゃないかと、まぁ、そういうふうなことで、えー、麻生さんが、森さんが説得したと。・・・・」(TBS記事動画から)
麻生太郎は麻生内閣発足以来、同じ党役員人事メンバーでやってきた。「そのことだけはぶれていなかったじゃないか」と森「日本は神の国」元首相が太鼓判を押した。と言うことは、森「日本は神の国」元首相は麻生がそれ以外はぶれにぶれまくっていたと太鼓判を押したことにもなる。
だが、この事実は7月1日の「NHK」記事――《役員人事 行わぬよう求めた》が中山による歪曲だと教えてくれる。
〈「森元総理大臣は、町村派会長の町村前官房長官、中山前国土交通大臣と会談し、30日夜の麻生総理大臣との会談内容を伝え、今後の対応などをめぐって意見を交わしました。
この中で、森元総理大臣は、30日夜の会談で麻生総理大臣が党役員人事を行いたいという意向を示したのに対し「『政局より景気』と言って、ぶれずにやってきたのだから、景気対策の実績を掲げて選挙を戦うのであれば、今の党役員で臨むべきだ」と述べ、党役員人事は行わないよう求めたことを報告しました。
そのうえで、森氏は「麻生総理大臣は、よく理解してくれたようだ」と述べ、党役員人事を行わないのではないかという見方を示しました。会談のあと、中山氏は、記者団が「麻生総理大臣が党役員人事を断行したらどうするか」と質問したのに対し「麻生総理大臣は、どうなるかくらいわかるだろう。私たちは、町村派が支えているから麻生内閣があるという自負を持っている」と述べ、けん制しました。〉――
中山は党役員人事メンバーで「ぶれていない」とし、情報発信元の森は「『政局より景気』と言って、ぶれずにやってきた」としている。ぶれの対象事実が大きく違っている。中山は誤った情報を発信した。TBSのニュースのみを見るか、インターネット記事を読むかしただけで、NHKのニュース、あるいは記事を読まなかった者は誤った情報を自らの情報としたまま放置することになる。この一事を以ってするだけでも恐ろしいことだが、森と麻生の会談内容の報告に森と町村と中山の3人が会談を持ったと言うことは、中山は町村派の幹部を意味する。大体からして「日本は随分内向きな単一民族」だの、そのほか問題発言の多い中山如き低レベルの国会議員が自民党最大派閥の町村派の幹部だとは、これも恐ろしいことで、町村派も最大派閥は言え、単に頭数だけ集めたたいした派閥ではないことが分かる。
麻生が考えていた党人事入れ替えは「総選挙に向けて発信力が弱いと指摘される最大派閥・町村派の細田博之幹事長の交代が焦点」だと、7月1日の「asahi.com」記事――《自民「党人事は困難」が大勢 首相なお実現探る》が伝えているが、記事は同時に「同派では会長の町村信孝前官房長官ら大勢が強く反発している」としている。
別の同日付「asahi.com」記事――《首相、人事実行の意向表明 党内に根強い反対論》は細田幹事長の後任に、いわば麻生から見たら「総選挙に向けて発信力」が強い存在ということなのだろう、あるいは自民党最大派閥の親分を人質に取るつもりがあったのかもしれない、「最大の焦点は幹事長ポストで、細田氏の後任に、同じ町村派の町村氏を起用する案も取りざたされている」としている。
だが、政権交代が現実味を以って囁かれるようになっている今の時点で、自民党内最大派閥の領袖・親分が麻生と共に沈むのを潔しとするのだろうか。経歴に傷がつくだけのことになりかねない。その可能性大である。自民党幹事長は党総裁に次ぐ党内ナンバー2の要職とされ、自民党総裁候補者の登竜門的ポストとも位置付けられている。
いわば幹事長に選ばれる側からしたら、経歴に箔をつける絶好のチャンスとなる。町村にしても次の総裁を狙うとしたら、最も有利な位置に自分をつけることになるが、それがまさに沈みかけている船ということなら、逆に経歴に泥を塗るチャンスとなる可能性の方が大きくなる。麻生共々責任を取って、幹事長辞職なる光景は容易に目に浮かべることができるシーンとなっていることは容易に想像できる。沈没船の一緒に命を失うことになる人質に取られたくないという思いもあったかもしれない。
町村以外を望んだとしても、それなりの経歴を経て党に地盤を築いている政策や言葉の発信力を持った人物となると、やはりこれまで折角築いてきた経歴に泥を塗る危険性の方が高いこの時期での幹事長就任は二の足、三の足を踏むだろう。
多分、そういった理由からの町村派だけではない、町村派幹部が代弁することになった党の大勢意思としての「党役員人事はあり得ない。この時期にできるはずがない」(asahi.com)と言うことではないだろうか。
その終着駅が「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」と言って、福田の次に麻生内閣を実現させた森「日本は神の国」元首相フィクサーさえ、麻生内閣にサジを投げた自民党役員人事見送り騒動と言ったところではないだろうか。
「私の口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いないと思いますが、違いますか?」と麻生がいくら詭弁を弄して誤魔化そうとも、党役員人事の入れ替えに動いた事実は消しようがなく、総理・総裁の意の侭に入れ替えの図面を描くことができなかった次なる“事実”は麻生の総理大臣としてのリーダーシップ、党内求心力がもはやすっかり力を失っていることをこれ以上なく物語っている。
そして麻生の詭弁はこの騒動の最終章・汚点としていつまでも残ることになるに違いない。詭弁に過ぎる自己正当化だからである。
メール数回のみの関係だが、一応義理立てて、このブログを使って出版案内に協力することにした。次のブログ記事がなかなか進まない事情もあるのだが。但し至って無責任な話だが、読んで面白いかどうかは保証の限りではない。
白川氏がどういう人物だか知らない人、名前だけは知っているという人のために「Wikipedia」からコピー&ペーストしてみた。
〈白川 勝彦(しらかわ かつひこ、1945年6月22日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、自治大臣、国家公安委員会委員長、新党・自由と希望代表などを歴任。弁護士。
学生時代
十日町市立中条中学校、新潟県立十日町高等学校を経て東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験に合格し、司法修習24期経て弁護士(登録番号:13439)となる。
学生時代は、日本民主青年同盟の活動家で、東京大学の学寮である駒場寮の寮自治委員長等を務める。また、平和研究会(通称:平和研)を設立する。
自民党代議士時代
1976年衆院選初出馬時は保守系無所属、自民党へ入党。内閣官房副長官在職中の加藤紘一のスカウトで宏池会入会し時の総理総裁大平正芳と師弟関係結ぶ。1979年第35回衆議院議員総選挙で初当選し加藤の側近として活動。1985年国土政務次官、1987年郵政政務次官就任。1990年落選したが1993年復帰。伊東秀子と共に自社さ連立政権誕生の為に奔走した経歴がある。その際「憲法20条を考える会」の会長代行として細川連立内閣・新進党とその支持団体である創価学会との対決姿勢を露わにした。1994年衆議院商工委員長、1996年第41回衆議院議員総選挙で(現在の選対委員長)党総務局長として自民党勝利に貢献し自身は比例単独候補(平成研現職高鳥修とコスタリカ方式)として6度目の当選。11月第2次橋本内閣自治大臣・国家公安委員会委員長として初入閣(同じ青年会議所OBで79年衆院初当選同期で当時同じ宏池会属す麻生太郎も同時に初入閣)
同じ新潟県の田中眞紀子の夫である田中直紀が自民党の公認を得られないという事態がかつてあり、この時白川は党の方針を無視して田中直紀の応援演説をした。
また、田中眞紀子の応援があったが2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で民主党元職筒井信隆(ちなみに白川と同じく弁護士である。)に敗れ落選。交通違反もみ消し事件や自公連立後も創価学会批判により公明党が白川を推薦しなかったことが影響した。その後、加藤紘一と山崎拓が、当時の国民世論を受けて、揃って当時の森喜朗内閣に対する内閣不信任決議案に賛成票を投じようとした、俗に言う加藤の乱が勃発。
離党・新党結成・下野
自らが代表を務め新政党新党・自由と希望を立ち上げ、2001年8月の参議院比例選挙に打って出るが、宮崎学擁立問題と妙観講からの候補者擁立問題で、期待していた立正佼成会の支援が少なく落選。30万9994票の得票で落選するのは、比例代表非拘束名簿式選挙における落選者の中では最高得票記録である。その後暫く沈黙するが、2003年11月の衆議院総選挙に無所属で出馬。地元の民主党新潟県連と共闘し、政権交代実現の必要性を国民に強く訴える。選挙区を田中眞紀子のお膝元に鞍替えしたことで、田中眞紀子との熱い選挙戦が連日マスコミを賑わせた。
この選挙では民主党から公認を得るべく奔走したが、当時の民主党代表菅直人と幹事長岡田克也率いる執行部の協力を得られず落選となる。2004年、再び公式WEBサイト上で活動を活発化させる。2004年12月、2005年5月1日に行われる十日町市長選挙へ立候補を表明。同選挙で落選した。
2008年以降は弁護士としての活動を本格的に再開、個人の多重債務問題を重点的に扱っている。〉――
「交通違反もみ消し事件」について同「Wikipedia」が次のように説明している。
「2000年3月、白川の元私設秘書が、代議士の私設秘書の立場を利用して交通違反もみ消しを行い、公電磁的記録毀棄などの罪に問われる。」云々。
これは本人に対する潔白証明となる。これだけの紹介だと、一方的に肩を持つことになりかねないから、公平を期すためにスキャンダルも挙げておく。
〈2004年3月に東京都内の違法カジノ店に偽名を使い客として出入りしていたことが発覚する。白川は共同通信の取材に「山本という名を使い3、4回行った。金は賭けていない。店にいること自体は問題ない」と話していた。カジノ店は「渋谷Jクラブ」で、この捜査の過程で白川氏の名前が浮上。元店長と従業員の3人が「白川氏は偽名を使って昨年春から夏にかけて店に出入りしていた。1日に5時間ほど勝負をすることもあり、合わせて200万円ほど負けた」などと供述したという。〉(同Wikipedia)――
また以前「リベラリスト 白川勝彦の永田町徒然草」の題名でブログをインターネットに乗せていたが、久しぶりにアクセスしてみたら、「友よ 友へ」に改題されていた。
記事内容は20年以上国会議員を務めていただけあって政治の裏に通じていて、なかなか面白い。
次に届いたメールを紹介させて貰う。白川氏の承諾を取ったわけではないが、多分本人が承知していない相手だという私の予想と、個人的内情に関わる内容ではなく、不特定多数に送った単なる出版案内の一部で信書に当たらないことから無断で紹介することにした。
送信者: "shirakawa" <wr@liberal-shirakawa.net>
宛先: "手代木恕之様" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : ご無沙汰しております。白川勝彦です。
日時 : 2009年6月30日 15:31
拝啓 手代木恕之 様
梅雨の日と夏の日が互い違いにくる季節です。
世の中は所詮そんなものじゃないか、と思えるような歳ごろとなりました。去る6月22日、私は64歳となりました。
ご無沙汰しておりますこと、お許しください。東京・新橋に新しい事務所を出して、早や1年余りが経ちました。お陰さまで法律の方の仕事は順調に進んでおります。私を含めて10人のスタッフで毎日元気にやっております。私が仕事の中心としております多重債務問題は、依然として深刻な社会問題です。多重債務に苦しんでいる人たちのサポートが、私の現在の「闘いの現場」です。
事務所から一歩外に出ると、私は政治モードとなります。自公“合体”政権の政治の中でいったい何が起こっているのか、が私の関心事となります。
最近の麻生首相の言動に多くの人々は、怒りを通り過ぎて呆れ果てております。麻生内閣が迷走しています。麻生首相は、
「解散は、然るべき時に私が判断して行います」
と言い続けてきましたが、果たしてどうなるのか。私に言わせしめれば、麻生首相だけではなく自公“合体”政権がダッチロールしているということです。
現実に動く政治について、毎日一篇の論評を加えることが私のもうひとつの「闘いの現場」です。こちらの方は、40年近くやってきたことですから苦労はありませんが、毎日1万人を超える人々の目に晒されるものですから、それなりの緊張感はあります。日々動く現実の政治に敢えて一石を投じようとするものですから、それなりに難しいところはあります。
さて、解散総選挙は目前に迫っております。来るべき総選挙に多くの人々がさまざまな想いをもって臨もうとしております。私にもこの10年余りの痛切な想いがあります。多くの人々がこのようにさまざまの想いを込めて、総選挙に臨むのは初めてのことではないでしょうか。それぞれの人々がいろいろな想いをもって戦う「最終決戦」です。
この時期に、いやこの時期だからこそ、私は
『翔べ!鳩山由紀夫』
を上梓いたしました。7月1日から全国の書店で発売されております。
ご購読いただき、ご一読頂ければこれに優る喜びはございません。
なお、最近では大きな書店を除き、自動的に配本されません。下記のURLでチラシをダウンロードしていただき、それで近くの書店で申し込んでいただくことが、いちばん早くお手元に届くことになると思います。送料はかかりません。ご利用ください。
http://www.liberal-shirakawa.net/library/images/handbill-toweb.pdf
ご貴台の益々のご健勝をお祈り申し上げます。
敬具
2009年6月30日 白川 勝彦
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もし懐具合に余裕があり、関心をお持ちなら、別にチラシをダウンロードして印刷して書店に持ち込まなくても、電話一本で書名と著者名を伝えれば、在庫がない場合は取り寄せて貰うことで済む。値段は「1500円+税」です。