2010年9月の民主党代表選の歴史を修正して小沢氏の名誉回復を図るべし

2011-06-07 11:18:33 | Weblog

 大方のマスコミが菅仮免に対する6月退陣の圧力が強まってきたと書いている。後は菅仮免の、自身はしないと言っている「職に恋々」とする抵抗がどこまで続くかであろう。

 昨日のTBS「ひるおび」で時事通信社の編集長だかが、菅首相は市民派出身で2世議員ではない、2世議員は親から貰った地位という感覚があって地位に執着しないが、菅仮免は4回だか衆院選に落選し、大抵は諦めるのだが、本人は諦めずに自分で苦労して議員の地位を獲得し、自分の力で首相の地位にのぼりつめたから、逆に執着することになっていると言っていたが、例え苦労してやっとのことで手に入れた地位であったとしても、自身の最終的な進退の決定はあくまでも自分が今現在置かれている立場、能力や求心力等の点から見た必要性、必要性の有無が決定づける可能性(最初から必要性に応えることができずに可能性殆んどゼロだったが)等を省察する客観的判断が決めることであって、苦労して手に入れた云々の執着心は進退決定の条件としてはならないはずだ。

 にも関わらず、解説どおりに苦労して手に入れた地位だとする執着心からかどうか分からないが、自分がどういった立場に立たされているか客観的に自己省察する手続きを省いて、「職に恋々」一方の判断のみが働いているようだ。

 2010年6月8日に首相に就任、1年の短日月の内に今日のようなもはや必要とされない存在と化したのは、何よりも自身の指導力欠如、統治能力欠如に拠るが、それをどうにか補う数の力を不用意な消費税増税発言に端を発してねじれ国会を生じせしめることとなった2010年7月の参院選大敗で失い、そのツケとしてある現在の惨憺たる情けない状況であろう。

 愚かしくも参院選大敗を「熟議の国会」を導き出す「天の配剤」だと称した。野党は自らの政策を掲げ、その優越性を訴えて選挙で勝利し、その政策の実現を図るべく与党を倒すことを使命とする。民主党がつい最近辿ってきた道である。それを忘れ、野党の使命に目を向けることができずに参院選大敗を「天の配剤」としたが、「熟議の国会」はオオカミ少年の「オオカミが来た」と同然の虚構に過ぎなかった。

 菅仮免の現状を演出したもう一つの要素は内閣と党の主要人事からの小沢氏と小沢グループ排除を挙げることができる。時々の排除で一旦は支持率を稼ぎ、2010年9月の民主党代表選では世論を味方につけて首相の地位を維持できたが、その排除が逆に党内抗争・党内対立を生み出すしっぺ返しを受け、それを満足に統治できない菅自身の指導力の欠如をなお一層浮き立たせることになった。いわば自分で自分の首を絞めることとなった小沢氏と小沢グループ排除であった。

 この間、岡田幹事長は党として菅首相を選んだのから、菅首相の元に一致団結すべきだと盛んに言っていたが、組織の統一はリーダーの指導力と統治能力を以ってしてメンバーを一致団結させる上から下への力学を必要事項とするのであって、いくら下から上の力学で組織の統一を得たとしても、リーダーが指導力・統治能力、あるいは組織運営能力を欠いていたなら、初期的に纏まったとしても次第に纏まりを欠くことになる。

 要するに岡田幹事長は客観的に判断できないままに肝心のリーダーの資質に一切目を向けない欠陥だらけの組織論を掲げて、却って菅仮免の資質のなさに役にも立たないままに蓋をしてきたに過ぎない。

 実際に役に立たない蓋に過ぎなかったから、今日の菅仮免の情けない現状がある。一政党の幹事長でありながら、リーダーを擁護するあまり客観的判断能力を曇らせる、この資質の欠陥は何と称したらいいのだろうか。

 ここに来てポススト菅として仙谷由人が注目され出したようだが、仙谷ははぐらかしの名人であり、黒を白と言いくるめる権謀術数家、危険なマキャベリストである。国民が必要としても、政権が不利となる情報の開示は自分の都合だけで隠し、国民に対する説明責任を平気で曖昧にする、決して国民に利益とならない策士である。このことは過去の例が如実に示している。

 昨年の2010年9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件で逮捕した中国人船長を菅内閣はこぞって「国内法に従って粛々と対応する」と公言・公約しておきながら、「我が国国民への影響や、今後の日中関係を考慮」するとの理由で船長を処分保留で釈放したのは公約としていた国内法から離れて、あるいは国内法を無視して日中の経済関係、政治関係を考慮した、極めて政治的な対応、政治介入が演出した釈放であったはずだ。

 このことは有名になった2010年10月10日の参議院決算委員での自民党丸山和也議員の質問に対する仙谷官房長官の答弁が証明していることであり、仙谷が如何にはぐらかしの名人であるか、陰険な権謀術数家であるかを証明している。

 政府が処分保留で釈放したから、丸山議員はどうなっているのだと仙谷官房長官に電話を入れた。
 
 丸山議員「国内法に従って粛々とやる。訴追して、判決を下して、それから送還するなりする、それが法律に従って粛々やると言うことでないか」

 仙谷の電話での回答。

 仙谷「そんなことをしたら、APECが、吹っ飛んでしまうぞ。そこまでやってええつうんなら、だったら別だけどね、吹っ飛んでしまうぞ」

 丸山議員が「APEC開催のために船長を釈放したのか」といった趣旨で問い質すと、健忘症を装ってはぐらかした。今まで良好な関係にあった国家間の関係が悪化したとしても、それは一時的なもので、早晩修復される。良好な関係を必要とする利害を双方が共通項としていたからこその両国関係なのだから、その関係が悪化することによってもたらされる利害の損失は国益の損失にもつながるために修復に迫られることになる。

 だが、中国の邦人拘束や禁輸等の手段を使った脅しに屈して船長を釈放した。それが経済的損失・政治的損失が長引くことを回避する手段であったとしても、いずれは修復されることを予測して腹を据えるのではなく、中国の圧力に屈したこと自体の毅然とした態度を示し得ず、ちょっと圧力を加えたら、日本は屈するという前例をつくることとなった日本政府の姿勢、国家のプライドという点で日本の国益を確実に損なった。

 仙谷が主導した釈放だと言われているが、例え主導ではなく、菅内閣が共同して行った釈放だったとしても、影の総理、官房長官として菅内閣の柱となっていたのである。国益を失わせた点で同罪か、それ以上と看做さなければならない。

 何を慌てふためいたのか、権謀術数が過ぎて、中国の圧力に簡単に屈して船長釈放に走り、その後にも影響する国家のプライドという点での国益を損なわしめるような政治家が果して首相の座に就くことが許されるだろうか。

 菅仮免は6月2日の代議士会で、「震災に一定のめどがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんに、いろいろな責任を引き継いでいただきたい」と発言した。

 この退陣示唆を受けて、民主党内では菅仮免よりも「若い世代」をポスト菅に就けるべきだとの議論が行われている。

 だが、このことは菅仮免が個人的に発言したことで、民主党のルールとなっていることでも、党の総意として決めたこともはない。独裁体制の民主党と言うことなら、トップの発言はそのまま法律とすることができるが、菅仮免自体が独裁体質を資質としていたとしても、残念ながら、党自体は独裁体制を敷いているわけではない。

 誰が最も指導力と統率力に優れいるのかの資質・能力で選択すべきであるし、年齢・世代が資質・能力を保証する要件とはなるわけではない。

 菅仮免は元々合理的な判断能力に欠けるから、資質・能力まで考えることができずに、単に小沢元代表に渡したくない復讐心から、「若い世代」としたのだろう。

 トップの資質・能力こそが何よりも日本の発展を促し、その発展促進が併せて民主党の発展を保証する。

 谷垣自民党総裁は昨6月6日、熊本市で記者会見し、菅退陣後の政治の枠組みについて発言している。《谷垣総裁 新執行部見て判断》NHK/2011年6月6日 19時20分)

 谷垣「今の段階ではまだ早い。民主党は、権力闘争の真っ最中で、その権力闘争の結果、何が出てくるのか分からない。責任から逃れるつもりはないが、民主党内で政策の方向性を打ち出していける体制ができるのかどうかを見ないといけない。無原則な話であってはならない」

 その上で、民主党の新しい執行部が子ども手当など党の政権公約をどのように扱うのかを見極めたうえで対応を判断する考えを示したという。

 この記者会見前の講演では菅仮免の退陣時期について次のように話したという。

 谷垣「復興基本法は大事な法律であり、自民党の提案を与党が九分九厘、丸飲みしたので、与野党で案が出来ている。これをやったら、菅総理大臣は一日も早く退陣するべきだ。そうしないと難しいことをやっていく力が日本の政治に生まれない。6月中にも退陣すべきだと思っている」

 自民党は民主党の子ども手当に反対している。菅内閣は子ども手当を破棄して、自公の児童手当に擦り寄ろうとしている。

 だが、自民党の政策を常に正しいとするなら、今日の日本の混迷・停滞はなかったろう。所詮菅内閣は財源を生み出すだけの能力を発揮できずに参議院の数の論理に押されて方向転換した政策の正否に過ぎない。

 子ども手当によって子どもを生みやすく、育てやすくして、そのことによって生じた経済的な余力を少しでも子どもの教育に振り向けさせる社会的土壌を形成した上で出産・育児への投資と併せた教育への投資が将来的に生み出す国の力、国の活力を信じて、必要財源の5兆円何がしかを先ず配分し、財政上許される予算を残りの事業に振り分ける強引な予算編成で以て解決できない問題ではないはずだ。

 産みやすい上に育てやすく育った子どもたちと教育が将来的に生み出す国の力、国の活力と差引きしたなら、現状の予算縮小に伴う国の活力の縮小は取り戻せないわけではあるまい。

 また、子ども手当財源を多額の財源を必要としている震災復興に向けるべきだとする主張があるが、子どもと教育への投資が将来的な社会の活力となり得る国家のありようは復興後も続く光景であり、そうである以上、復興とは別に扱うべき優先的課題とすべきであろう。

 子ども手当の撤回を正しい選択とする前提を持ち出すことによって与野党共に民主党内で子ども手当の履行をマニフェストどおりに求める小沢グループ等を排除する論理としているが、このことも上記説明によって排除の論理とすることの正当性を失う。

 岡田幹事長が菅仮免の仮免のままの退陣後の代表選を党員及びサポーターも参加して行う場合、「数か月かかり、秋になる」(NHK)からと、民主党所属議員のみの代表選となる可能性に触れたということだが、2010年9月の小沢元代表と菅仮免が立候補した代表選では国会議員票は6票差で菅仮免が上回ったのみだったが、地方議員・党員・サポーターの票に限っては小沢アレルギーの世論に阿諛追従したの彼らの圧倒的支持を受けて、菅仮免は大差をつけることができた。

 だが、その支持・評価は翌年7月の参院選を契機にメッキが剥がれ、今日役に立たない虚構と化すことになった。

 常に間違うと断言できないが、2010年の代表選に限って言うと、菅仮免を支持して一票を投じた国会議員を始め、地方議員、党員、サポーターの判断は間違っていたことが証明されることになった。無能な政治家を指導者に選んだ。指導力もない政権担当能力もない菅仮免を首相の地位に就け、小沢元代表を首相の地位から排除する間違った審判を下した。

 この歴史は勿論、遣り直しはできない。だが、間違えた判断・審判であったことは事実である。2010年9月の時点に歴史を巻き戻して遣り直しはできないが、当時の菅仮免を支持・評価した判断・審判の歴史を見直して、あれは間違いだったと小沢氏の名誉回復を図ることはできるはずである。

 但しこの名誉回復は単に菅仮免を首相に就けたのは間違いだったと認めるだけで終わるものではなく、小沢氏に次ぎの代表選に立候補の機会を与えることによって名誉回復はより完璧な姿を取ることになるはずだ。


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小沢元代表をポスト菅としてその指導性・カリスマ性を活かさないことの国家的損失

2011-06-06 12:11:41 | Weblog



 小沢氏の指導力に適う政治家がいるというのか

 先ず最初に菅内閣の支持率が上がっていることに関して。

 毎日新聞が6月4、5両日に行った世論調査の内閣支持率は前回27%に対して24%と3ポイント下げ、不支持率前回54%に対して57%と同じく3ポイント上げているが、他の新聞社の内閣支持率はほぼ数ポイント上げている。菅政府の震災対応や原発事故対応、特に原発事故対応に関わる政府発表を信頼できないとする声が圧倒的に多いにも関わらず、全体的には内閣支持率を3~4%上げている矛盾した世論状況を示している。

 前回か前々回の調査辺りから、数ポイントずつ支持率を上げている。但し上げているといっても、内閣維持の危険水域を少し上回るか、毎日世論調査のように下回る30%前後の低空飛行であることに変わりはなく、すべてに於いて不支持率が圧倒的に上回る情けない支持状況にあることに変わりはない。

 政権運営に不満を示していながら、微増だが、なぜ支持率を上げているのかの答を求めるとしたら、小沢グループを中心とした反菅勢力による菅降しの動きに対する忌避感が押し上げている支持率の僅かずつの上昇と言うことではないだろうか。

 6月2、3日実施の共同通信社の世論調査、小沢元民主党代表支持派議員の野党提出内閣不信任決議案に賛成する意向を表明などしている菅降しの動きを尋ねた回答が「評価しない」が89・4%で圧倒的な多数を占めている。

 いわば6月2日に野党によって提出された菅内閣不信任決議案に対する評価が「評価する」は少数派で、「評価しない」が圧倒的に上回っていることにも現れている政局忌避に対応した、大震災を受けたこの国難のときに党内対立でもあるまいとする小沢氏とその支持派に対する相当強い忌避感が逆に押し上げることとなっている内閣支持率の僅かながらの上昇と言うことであろう。

 小沢氏、あるいはその支持派に対する忌避感が逆に菅内閣の支持率を上げる傾向は菅仮免が内閣と党の主要な人事からの小沢派排除以来発生しているもので、菅仮免は自身の支持率を上げるためにしばしばそれを意図的に利用してきた。それが今回は菅仮免が意図せずして小沢氏とその支持派の直接的な動きに対する国民の忌避感として現れた。

 このことを逆説すると、ここ暫くの間の僅かばかりの菅内閣支持率上昇は政権運営や統治能力、政策遂行のあるべき状況を導き出す自身のリーダーシップそのものが評価された支持率の上昇ではないということである。

 こういった構図が震災対応・原発事故対応に関してはとてものこと評価できないが、内閣支持率は僅かながら上昇するという矛盾した現象となって現れているということであろう。

 確かに小沢氏が持つダーティな雰囲気に対する評価は厳しい。このことに対する反動から指導力がないと分かっていながら、菅直人なる政治家を民主党代表に再度選び、再び首相の地位に就けた。

 だが、結果的にその選択に誤りがあったことに気づいた。指導力がない、リーダーシップがないと言うことは首相の資質として決定的な欠陥である。菅直人を首相の座に就けることによって、就任の2010年6月4日以来、今日まで国の経営に膨大なエネルギーがムダに費やされてきた。それが現状としてあるこの体たらくであり、政治的な混乱である。

 政治に対する不信が結果として無党派層を50%近くか、あるいは50%以上にも拡大させている。この無党派層の拡大も、小沢氏の「政治とカネ」の問題も含むだろうが、基本的には菅直人という首相のリーダーシップ欠如が招くこととなった対政治評価と見ていいはずだ。

 退陣が確実となって、関心は誰がポスト菅を担うのか、ポスト菅の体制は大連立か、民主党単独かに移っている。

 正確な退陣時期については来年の1月までを望みながら、野党のみならず与党内からも反発が出ると、「文書の思いは分かっている」と述べて鳩山前首相と交わした確認文書が退陣を取り決めた文章だと認めたが、6月4日の夜、首相公邸で石井一民主党副代表と会談、2次補正予算案と特例公債法案の成立に向けて「最大の努力をし、やりきる。職に恋々としない」(毎日jp)と語って、地位にとどまるのは両法案の成立までだとしたという。

 だが、確認書が菅仮免の退陣の取り決めだと認めた以上、確認書の退陣条件を受入れたことで不信任案を凌いで首の皮一枚つなげることができたのだから、「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」と書いてある確認書の約束に従って、そのメドがつく6月以内を以って退陣とすべきだが、2ヶ月も超える「職に恋々」の政権執着に依然として囚われている。

 いつものことだが、言葉が実態を伴っていない。

 問題は大連立か否かの政治体制よりも誰が次ぎの指導者になるかがより重要な課題であろう。指導力、リーダーシップを欠いていたなら、菅仮免同様に指導力を裏打ちする合理的判断能力も欠くこととなり、どのような指示も満足に内閣、その他に行き渡らせることはできないだろうし、体制自体を纏めることができなくて、菅仮免の二の舞を演じかねない。

 有力だと目されているポスト菅を、《ポスト菅は前原氏首位、追う枝野氏ら…読売調査》YOMIURI ONLINE/2011年6月5日06時39分)が挙げている。

 読売新聞社の6月3~4日実施の全国世論調査で尋ねた質問の一つだそうだ。

 「次の首相に誰が最もふさわしいと思うか」

 前原誠司・前外相――14%
 枝野官房長官  ――9%
 岡田幹事長   ――9%

 だが、記事は、〈3人とも一長一短ある状況だ。〉と書いている。

 前原は代表経験者で国交相や外務相を経験、安全保障にも詳しい長所に対して3月に在日韓国人からの献金問題で外相を辞任したばかりであることを短所として挙げ、〈前原氏自身は代表選出馬に慎重とされる。〉と解説している。

 さらに短所を挙げるとしたら、尖閣沖中国漁船衝突事件で国交相として船長逮捕を演出、「国内法に則って粛々と手続きを進める」と言いながら腰砕けに終わった一貫性を欠いた指導性であろう。

 同じ国交相時の2009年10月に根室を訪問して、「ロシア側に不法占拠と言い続け、四島返還を求めていかなければならない」と発言、ロシアの激しい反発に遭うと、「不法占拠」の言葉を封印し、外相となってロシアと領土問題で話し合ったときも一言も口にしなかった腰砕けなのか、先を考えずに勢いだけで言っただけのことだったのか、一貫性を欠いたこのような姿勢も指導性や判断能力に疑問符を投げかける政治家像となる。

 民主党代表時代の2005年12月にワシントンで講演、中国の軍事力増強を「現実的な脅威」とさも中国の軍事的脅威が現実に切迫しているかのように発言したが、「現実的な脅威」とはある外国に対して軍事的攻撃の選択肢を考慮したときを以って初めて言える状況であるはずだ。

 あるいはある国が中国から軍事的攻撃を誘導する要素を潜在的、あるいは顕在的に抱えた場合にも生じると言える。

 確かに2005年前後の中国では当時の小泉首相の靖国参拝に反発して対日デモが激化していたが、だからと言って中国が日本に対して軍事的攻撃の選択肢を考慮したわけではないし、靖国参拝が中国の軍事的攻撃を日本に向けて誘導しかねない要因となっていたわけではない。

 中国は年々軍事力を増強しているが、そのことに対して世界は懸念を示すが、「現実的な脅威」と非難する向きはないはずだ。過去にはあったが、現在のところ中国が軍事的攻撃を選択肢として考慮している外国は存在しないし、中国の軍事的攻撃を誘導しかねない要因を抱えている外国も存在しないはずだ。

 中国の軍事力が潜在的脅威であることは認めるが、その潜在性を和らげる手段が創造的な外交努力であろう。外交という手段を前提としないで軍事力だけを取上げて、差し迫っている脅威でもなにも関わらず「現実的脅威」と言う短絡思考も、一貫性を欠いた姿勢と併せて、果して次ぎの指導者としてふさわしいと言えるのか甚だ疑問である。
 
 記事は枝野に関しては連日の記者会見で知名度を高めたが、〈「菅首相と一蓮托生」などの指摘もある。〉として、そのことを欠点としている。

 このことに加えるとしたら、今日のねじれ現象の原因となった参院選民主党大敗北時の幹事長であった。責任を取って辞任したが、周囲からの辞任要求に抗し切れなかった辞任であって、潔い率先した辞任では決してなかった。

 口達者ではあるが、誤魔化しや詭弁を随所に散りばめた口達者である。詭弁家に指導力、リーダーシップは育たない。詭弁や誤魔化しを用いるのは責任意識を欠き、責任を回避する心理の働きとして生じる言葉遣いだからである。

 責任意識を欠いた、あるいは責任感を欠いた指導力、リーダーシップとはまさに二律背反そのものである。尖閣諸島中国漁船衝突事件で中国の関係が悪化したとき、枝野は「中国は悪しき隣人」と言い、その発言が問題となると、「当時の私の発言そのものを見れば、特定の国を名指ししたという認識はない」と平気でウソをついて責任逃れを謀った。

 口達者というだけの男で、到底一国のリーダーとしての確固とした指導性を発揮する器とは思えない。 

 岡田幹事長の場合は4月の統一地方選敗北の責任などを問う声が党内にあるとしている。だが、何よりも菅仮免の走狗となって小沢排除の実行部隊を努め、今日の民主党の対立・混乱をつくり出した戦犯としての責任は菅仮免と同罪としてあるもので、このこと自体が既に菅の跡を引き継ぐ資格を失っている。

 また、今回の内閣不信任決議案採決に於いて賛成票を投じた横粂議員は前以て離党届を出して、不信任案が提出された場合は賛成票を投じると明らかにしていたのである。岡田幹事長はその離党届を預かりとして、賛成票を投じたからといって横粂議員を除籍処分の懲罰を行ったのは合理的公平感を欠いた人事と言わざるを得ない。

 果して人事に合理的公平性を欠く政治家がリーダーとしての資格を有していると言えるだろうか。

 岡田幹事長は昨6月5日のNHK「日曜討論」で、「誰が首相になっても、震災や原発事故の対応は難しい」といった趣旨のことを言っていたが、難しいからこそ、枝野だ岡田だ、前原だといった指導者として資質に欠陥だらけの小粒ではなく、確たる指導性が期待できる人物を持ってこなければならないはずだ。

 再度言うが、このことこそ大連立如何に関わらず考慮しなければ重要な要件であろう。

 現在のところ与野党を見渡して小沢元民主党代表の指導力に敵う政治家が存在するだろうか。官僚に睨みを利かせて、その能力を分野ごとに活かし、駆使できる政治家は存在するだろうか。
 
 官僚のみならず、国会議員にまで畏怖を感じさせるカリスマ性を備えた政治家は小沢氏を措いてほかに存在するだろうか。

 残る要件は首相の地位に就けることである。地位を得たなら、そのカリスマ性を蘇生させ、誰よりも指導力を発揮し得るはずである。元々の素地がそのことを保証する。

 確かに「政治とカネ」の問題で現在はダーティな存在だと受け止められている。

 だが、一刻も早い国難の解決――震災や原発事故の解決だけではなく、日本経済の衰退を含めた解決のためにも、「政治とカネ」の問題を優先させて国難の解決を遅らせたなら、必要肝心の国家的課題を損なうことになるはずだ。

 小沢氏を措いて見るべき指導性を期待できないなら、小沢氏を次の首相に起用する度量、決心が政治家及び国民に今こそ求められているはずだ。


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菅仮免首相の人間性が凝縮して現れた「一定のメド」騒動の一定の収束

2011-06-05 10:26:35 | Weblog


 
 菅仮免状態首相が、〈みずからに近い閣僚に電話し、早期退陣を求める鳩山前総理大臣と交わした確認文書について、「文書の思いは分かっている」と述べ、そう遠くない時期に退陣する意向を伝え〉たという。《“そう遠くない時期に退陣”の意向》NHK/2011年6月4日 19時36分)

 要するに警察の取調に散々に犯行を否定していた容疑者が遂に認める自白をした。鳩山前と取り交わした確認書は退陣を巡る内容だと認めて、「一定のメド」騒動が収束することになったということなのだろう。

 取調べの刑事は呟く。「散々手こずらせやがって」

 「第2次補正予算の早期編成のめど」をつけた段階で退陣すると舌を濡らした確認書の取り交わしを6月2日午前中に行っておきながら、同日正午から民主党所属衆院議員全員を対象とした代議士会で、その舌の根も乾かぬ短時間のうちに「第2次補正予算の早期編成のめど」をつけた段階からさらにさらに飛躍して、震災復旧・復興、原発事故の収束に一定のメドをつけ、やるべき一定の役割が果たした段階を退陣時期に変えた。

 そして同日夜の首相官邸での記者会見で、「工程表で言いますとステップ2が完了して、放射性物質が、放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる。そのことが私はこの原子力事故のまさに一定の目途だとこのように思っております」と「ステップ2」完了が俺れの言う「一定のメド」だとし、退陣時期がさも来年の1月であるかのように発言した。

 このことに反発した野党が翌6月3日に参院予算委員会で厳しい取調べに転じた。「お前、自供を翻すつもりか」

 特に自民党西田昌司刑事の外国人献金問題の追及が効いたのではないだろうか。名刺交換しなかったのか、名刺を貰った段階で外国人と分かるはずで、違法献金だったのではないのか厳しい追及にスムーズに答えることができずに、名刺交換したかどうかはっきりしない、後で確認してみると答弁。西田刑事は深追いせず、次ぎの取調べの機会に譲ることにしたため、菅仮免はやっとのことでその場を凌ぐことができた。

 但し、自白は時間の問題に思えた。

 名刺交換は両方向の行為である。貰うだけではなく、渡す行為を伴って成立する。政治家は自己宣伝のためにやたらと名刺を渡したがるし、特に首相、閣僚ともなると、相手が喜ぶことを知っているから、輪をかけて安っぽくバラ撒く傾向にある。数円しかしないたった一枚の名刺が多額の政治献金となって跳ね返ってくる打ち出の小槌に転じる経済効果への期待もあるだろうから、渡さなかった、貰いもしなかったは異例中の異例となる。

 また、何度か会食していると言うことだから、どちらかが、あるいは滅多にないことだが、どちらも初対面のときに名刺を持ち合わせていなかったとしても、最低、次ぎの機会に渡したはずだ。当然、名刺を貰ったかどうか記憶していないことは先ずないと見ることができる。

 しかも相手は政治献金という名のカネを出している。受け取ったことは菅仮免の政治資金団体のみが知っていた事実で、菅仮免自体は承知していなかった事実だとしても、名刺交換のないままの関係で政治資金を出したとしたら、逆に胡散臭い相手と見なければならない。

 そもそもからして名刺交換に関する取調べのときに限って特に言葉に勢いを失った不承不承の証言となっていた。この名刺交換の実態を突破口に全面自供は時間の問題に見えた。

 そして上記「NHK」記事の発信時間は「2011年6月4日 19時36分」、同じ内容を伝えている翌日の「asahi.com」記事は「2011年6月5日3時1分」、「YOMIURI ONLINE」記事も「6月5日03時01分」となっているから、自らに近い閣僚に電話をした時間は午後遅くから夕方に近い時間帯であろう。

 2日3日正午からの代議士会で確認書に違反する犯行を犯してから、当初頑強に自供を拒んでいたが、ほぼ1日置いただけで、拘留期限延長を申請するまでもなく、急転直下、あまりにも呆気なく犯行を自供した。

 記事は菅仮免に近い閣僚からの伝聞なのだろう、電話の内容を伝えている。

 菅仮免「先の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の冷温停止について発言したが、そういうつもりで言ったのではない」

 退陣時期を「ステップ2」完了時期の1月をメドとしたわけではないと、マスコミや野党、その他が受け止めた解釈を否定している。

 だが、「ステップ2」完了発言の翌3日の参院予算委では言質を取られまいとしてのことなのだろう、「退陣」という言葉は一切使わずに、震災の復旧・復興の遂行と原発事故収束が一定のメドだ、その上で若い世代に責任を継いで貰いたい、このことを代議士会でも首相官邸での記者会見でも言ったことで、自分の言ったことには責任を持って行動したいと、確認書にはない「一定のメド」を勝手に作り出して開き直っていたのである。

 実態は「そういうつもりで言った」のである。退陣を先延ばしして居座りたくても状況が許さくなったことから言い換えた誤魔化しに過ぎない。

 状況が許したなら、指導力がないまま、統治能力を欠いたまま、いくらでも先延ばしし、居座ったことだろう。

 言っていることが狡猾な上、卑怯・卑劣である。

 NHK記事は統一地方選、その他の選挙で民主党が敗北しようとその責任を一切取らない岡田幹事長の発言も伝えている。

 岡田幹事長「菅総理大臣は居座るつもりはないと私も確信しているし、ダラダラと延命を図る気持ちは全くないと思う。しかし、すぐ辞めるということではなく、東日本大震災からの復興に真剣に取り組み、めどをつけて身をひくというのが菅総理大臣の考えだ。退陣時期について議論が乱れ飛んでいるが、言うべきではない」

 いや、菅仮免は「居座るつもり」は確信犯的にあったのである。鳩山前と確認書を取り交わし、確認書にはない居座りを謀ったのだから、確信犯そのものであろう。いわば鳩山前を騙した。鳩山前が確実な履行の保証に署名を求めたのに対して、「身内なんだから信用してください」(MSN産経)と信用させ、署名には応じなかった。確認書を裏切る意図がそのときからあった。

 いや、裏切る意図を隠して鳩山前と話し合い、取り決めを結び、確認書とした。そして約束を守るつもりもなく内閣不信任決議案を賛成の土壇場から反対の逆転に成功した。

 してやったりとほくそ笑み、例の締まりのないニヤニヤ笑いを満面に浮かべたことだろう。内心、鳩山前を「あのバカ野郎が、チョロイもんだ」と嘲ったとも疑うことができる。

 毀誉褒貶のうち、「毀」と「貶」が多かろうと、前首相であり、民主党を共に立ち上げた仲間である鳩山前を踏み台としてまで、「私には地位にしがみつくために発言、行動しているとの厳しい批判もあるが、首相という極めて重い立場の責任を、議員や内閣メンバーと一緒にどこまで果たせるかを考えてきたつもりだ」と代議士会で言ったことは白々しいカモフラージュで、実際は地位にしがみつくべく言葉を弄し、手段を選ばない策動に走ったのだから、これが菅直人と言う政治家の間違いのない人間性と確実に言える。

 勿論、リーダーシップ欠如や政権担当能力欠如に反した、欠如を埋め合わせる代償として人間性とするバランスを獲ち得ることになったのだろう、地位へのしがみつき、政権への執着は前々から多くから指摘されてきたことだが、人間性である以上、人間性としてこの期に及んでも露出し、自らのリーダーシップ欠如、統治能力欠如、合理的な判断能力欠如を自己省察できないままに政権にしがみつこうとした。

 このことも人間性のごく自然な露出・表現であったと言うことであろう。

 だが、野党ばかりか、民主党内からも包囲を受けて逃げ場を失い、政権に居座り、しがみつくことを断念して、そう遠くない時期の退陣表明を余儀なくされた。

 あくまでも追いつめられて逃げ場を失ったことが動機となった退陣表明でありながら、退陣時期を先延ばしして政権にしがみつこうとしたわけではないと最後の最後まで言葉一つで誤魔化そうとする。

 首相として体裁を張る必要があったことからの誤魔化しであろうが、その往生際の悪さにしても、自らの指導力に反した政権執着に通じる人間性の露出だと言える。


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人間が現れる菅仮免の盗人猛々しい「一定のメド」と与謝野の単純な権力者像論

2011-06-04 09:57:14 | Weblog

 
 
 言葉は便利である。自身の利害損得に添わせるべく、如何ようにも駆使できる。だが、その駆使次第で様々に人間が現れる。

 昨日の参院予算委員会質疑で世間一般が退陣すると受け止めた時期として菅仮免が言及した「一定のメド」とはいつのことかと野党は追及に躍起となり、菅仮免は「退陣」という言葉を一切使わずに鳩山首相と取り交わした確認書に書いてあることと民主党代議士会で発言したことに尽きると答弁に終始、決して言質を与えまいとした。

 昨6月3日の閣議の発言。《首相 代議士会の発言がすべて》NHK/2011年6月3日 19時21分)

 菅仮免「鳩山前総理大臣との間で交わした確認文書と党の代議士会での発言がすべてで、それに尽きる」 

 野党としては菅・鳩山確認書に書いてあり、鳩山前(前首相のことだが、首相の文字をつけるのは勿体無いから、「前(ぜん)」とだけした)が代議士会で確認の経緯と内容を説明した、二次補正予算案成立前の編成のメドのついた段階――いわば6月一杯の辞任が退陣時期だとした。

 確かに確認書が二次補正予算案成立前の編成のメドのついた段階での辞任を記したものであるなら、そのとおりとしなければならないが、「辞任」なる文字はどこにも書いてなことからも分かるように、少なくとも直接的にその時期での辞任を謳っているわけではない。

 この曖昧さを利用したのだろう、先ず最初に岡田幹事長が代議士会閉会後のインタビューでその段階での辞任ではないと否定し、菅仮免が3日の参院予算委員会で「私の認識は岡田幹事長と同じだ」(ロイター)と言って、否定の同調で以て否定している。

 《岡田幹事長 合意は条件でない》NHK/2011年6月2日 19時53分)

 岡田幹事長「(退陣時期は)復興にめどがついたらだ。菅総理大臣と鳩山前総理大臣との合意文書は、そのことが大事だと書いてあるだけで、それが終わったら辞めるという条件ではない」

 要するに確認書に書いてあった「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」は退陣時期ではなく、「そのことが大事だ」と、確認という言葉が意味するとおりの“確認”の取り交わしに過ぎない、「復興にめどがついたら」が退陣時期だとしている。

 だが、ここに矛盾がある。代議士会終了後の夜の首相官邸での記者会見で菅仮免は次のように発言している。

 菅仮免「工程表で言いますとステップ2が完了して、放射性物質が、放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる。そのことが私はこの原子力事故のまさに一定のメドだとこのように思っております」

 「ステップ2」の完了は来年の1月を目標としている。その完了を退陣時期だとした。

 とすると、「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」で終わらずに、成立及び効果的な執行までをスケジュールとしなければならない。すべてが「大事」となる。それを「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」のみの記載で終わらせていることに矛盾が生じる。

 一定の区切りとする意味から、「大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと」の中に「〈1〉復興基本法案の成立」と「〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」を重点項目として確認書で取上げたはずだ。

 いわば常識的な解釈としてはそこまでですよを「一定の区切り」とした「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」となるが、喫緊の課題として取上げた初期的な「一定の区切り」であって、その先に国会成立と執行は勿論視野に入れていたと逃げることはできる。

 菅仮免の代議士会の進退に言及した発言を二つの記事から引用してみる。

 《首相発言要旨―民主代議士会》asahi.com2011年6月2日12時46分)

 菅仮免「震災への取り組みに一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい。一定のメドがつくまで責任を果たさせてもらいたい。そのためにも、不信任案を一致団結して否決し、自民党に政権が移ることのない道筋を歩み、一定のメドがついた段階で若い世代への引き継ぎも果たしてほしい。国民が政権交代で期待したこと、被災地のみなさんの望んでいることにつながると思う」
 
 《民主党代議士会:菅首相と鳩山前首相の発言要旨》毎日jp/2011年6月2日 20時30分)

 菅仮免「私には地位にしがみつくために発言、行動しているとの厳しい批判もあるが、首相という極めて重い立場の責任を、議員や内閣メンバーと一緒にどこまで果たせるかを考えてきたつもりだ。
 震災復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがつき、やるべき役割を果たせた段階で、若い世代にいろいろな責任を引き継ぎたい。私には(四国八十八カ所巡礼の)五十三番札所から八十八番札所までお遍路を続ける約束も残っている。

 責任を持った民主党として若い世代が国民の理解を築き上げることが、政権交代の時に国民が期待し、被災地の皆さんが望むことにつながる。しかし、一定のめどがつくまで私にその責任を果たさせてほしい。不信任案を一致団結して否決するようお願いする」――
 
 言葉は違えても、両記事とも同じ発言を扱ったのだから、趣旨は「一定の役割が果たせた段階」で「若い世代に責任を引き継ぐ」。その段階とは、「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」を飛び越えて、「震災復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがついた段階」だとしている。

 これだと本人の主観が大きく影響する段階ということになり、首相官邸で具体的な退陣時期として発言した「ステップ2」完了時よりも後退している感があるが、岡田幹事長が「(退陣時期は)復興にめどがついたらだ。菅総理大臣と鳩山前総理大臣との合意文書は、そのことが大事だと書いてあるだけで、それが終わったら辞めるという条件ではない」と言っているように時期についての解釈に齟齬はあるものの、確認書が菅仮免の退陣に触れた取り交わしであることに違いはない。

 このことは確認文書の作成に関与したことを明らかにした北沢防衛相の訪問先のシンガポールでの発言が真っ向から証明している。《北沢防衛相:菅首相と鳩山氏の確認文書は「辞任前提」》毎日jp/2011年6月3日 22時43分)
 
 北沢「首相の辞任を前提に作り上げた。首相が鳩山氏と再会談し、真意を確認すべきだ」

 だが、この証明は岡田幹事長が言っている、確認書に記載された「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」が「終わったら辞めるという条件ではない」としていることを必ずしも否定するものではない。退陣時期の条件をどこに置いたかの解釈次第となるからだ。

 だとしても、確認書の「大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと」の項目(=責任事項)の中に「〈1〉復興基本法案の成立」と「〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」の二項のみの記載があるのみで、このことを超えた責任事項は一切記載されていない。

 いわばこのニ項のみこそが菅仮免が言う「一定のメド」でなければならないはずだが、この二項にとどめずに「一定のメド」をさらに先に置いている。

 昨6月3日の参院予算委員会での小野みんなの党議員と菅仮免の質疑応答を取上げてみる。

 小野議員「あなたが昨日条件をつけて退陣の意向を言ったのは、その約束自体が無効じゃないんですか。出世払い、僕偉くなったらお金返すと言っているのと同じなんですよ。そう思いませんか」

 要するに当てにならない約束をしているということだろ。

 菅仮免「あの、そんなに特別なことを言っているわけではなくて、えー、例えば衆議院の、オ、任期はまだ2年あります。えー、代表の任期も(「オイオイ」のヤジ)、いやいや、衆議院の任期は一般的に言って、2年あります。また、民主党の代表、おー、選は、昨年の9月に行われましたので、一般的に言えば、来年の9月まではあります。

 えー、私が申し上げたのは、あー、そういったことを申し上げたのでは勿論なくて、その大震災に於いてですね、今一生懸命、えー、復旧から、復興に向けて頑張ってる。あるいはこれに、えー、原発事故についても、収束に向かって、工程表に添って、えー、頑張ってる。

 えー、そういうものが一定の、おー、ま、メドがついた段階で、えー、若い世代に、エ、責任を、おー、移って貰いたいと申し上げたわけでありまして、決してですね、何か、こう、おー、全くこの、おー、何て言いましょうか、あー、判断、あ、基準がなく申し上げたのではなくて、えー、私は政治家として、公のみなさんの、オ、前で言ったことについては、まさに、国民としてと言うか、言いましょうか、一政治家として、きちんと、その自分が言ったことに対して、責任を持って行動したいと思います」

 退陣の「一定のメド」とは2年後の衆議院任期のことを言っているわけでも、来年9月の民主党代表の任期を言っているわけではない、それ以前の震災の復旧・復興と原発事故収束の一定のメドがついた段階で、それが判断基準だと言っている。

 首相官邸記者会見で「ステップ2」完了後としていたことから明らかに後退しているばかりか、確認書が触れている責任事項を超えて、「震災からの復旧・復興」と「原発事故の収束」の二項を加えている。

 例え解釈の違いは百歩譲って認めるとしても、確認書は他に立会人がいたとしても、最終的な判断は鳩山前との取り決めによって成立した契約であり、一方の当事者を省いた場合の新たな取り決めは有効な契約事項となり得ないはずだが、「震災からの復旧・復興」と「原発事故の収束」の二項は菅仮免の判断のみで取り決め、加えた契約事項となっている。

 このことは確認書のどこにも記載されていないことが証明している。

 これを以て有効な確認事項とすることができるだろうか。

 だが、菅仮免は「震災からの復旧・復興」と「原発事故の収束」の二項を一方の確認の当事者のいないところで個人的に勝手に加えて、それを「一定のメド」と決め、「一政治家として、きちんと、その自分が言ったことに対して、責任を持って行動したいと思います」と言っている。

 譬えるなら、既存の契約書を書き換える偽造をして、自分はこう言ったのだ、「その自分が言ったことに対して、責任を持って行動したいと思います」と言っているのと同じで、ウソを真(まこと)とする盗人猛々しさがここにある。

 浮気していながら、「僕は決して浮気はしない。君を一生大事にする。自分が言ったことには責任を持つ」と言うのと同じ盗人猛々しさであろう。

 鳩山前と確認書で取り交わしたあるべき解釈を勝手に違えて、それを自らの責任だとする誤魔化しに菅仮免の人間が真性如実に現れている。

 上記挙げた《首相 代議士会の発言がすべて》NHK/2011年6月3日 19時21分)が菅仮免の退陣時期についての与謝野肇の発言を取上げている。

 与謝野「総理大臣という権力の座にある方が、自分の職責を果たすために職にとどまろうと努力することは当たり前のことだ。菅内閣がずっと続くことを前提に仕事をしたい」

 権力にしがみつくのは当たり前だと言っている。大いに結構なことだが、ではエジプトの独裁者だったムバラク前大統領についても同じことが言えるだろうか。

 ムバラクは権力にしがみつこうとしたが果たし得ず、エジプト民衆によって権力の座から追われた。その政治性、指導性、統治能力等々を問題とすべきだが、一切考慮せずに、ただ単に職にとどまろうとする意志のみを以って、それが権力者だとあまりにも単純な権力者像を是としている。

 与謝野の人間が現れている、節度も矜持も責任感もなく自身の発言を変え、一貫性のない身の処し方をしている与謝野らしい菅仮免擁護論であり、単純な権力者像論としか言いようがない。


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菅仮免と鳩山前の民主党と政権の私物化視

2011-06-03 08:24:08 | Weblog



 昨6月2日開催された民主党代議士会の前に菅仮免と鳩山前が午前中に会談、次のような確認事項が取り交わされたという。《辞めるとはひと言も書いていない「鳩菅覚書」》YOMIURI ONLINE/2011年6月2日14時03分)

 確認事項――
 
 ▽民主党を壊さないこと
 ▽自民党政権に逆戻りさせないこと
 ▽大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと

 〈1〉復興基本法案の成立
 〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること

 まさしく「辞めるとはひと言も書いていない」が、確認事項に記述した「民主党を壊さないこと」「民党政権に逆戻りさせないこと」、「大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと」については菅仮免は代議士会の発言で述べ、辞任については次ぎのように発言している。

 《首相発言要旨―民主代議士会》asahi.com/2011年6月2日12時46分) 

 菅仮免「一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい」

 この発言に対して鳩山前が発言を求め、二人の会談の内容を明らかにする形で辞任時期を示している。《めどは二次補正…鳩山前首相が「総理と合意」》YOMIURI ONLINE/2011年6月2日12時48分)

 鳩山前「復興基本法を速やかに成立させ、二次補正予算のめどがついた段階で、身を捨てて頂きたいと述べた。そのことに対して、菅首相から(一定のめどがついた段階で辞任するという)先ほどの発言があった。これは菅総理と鳩山との合意だ」

 テレビで聞いていたら、「二次補正予算が成立したあとではなく、二次補正予算のめどがついた段階」だと念を押していた。

 菅仮免は元々自省能力のない男だから当然のことかもしれないが、代議士会の発言をテレビで聞いていると、自身が政治能力を欠いているという反省意識が全然見えてこなかった。

 菅仮免が言った「一定のメドがついた段階」がいつの段階なのか問題になっているが、鳩山前が復興基本法成立後の「二次補正予算のめどがついた段階」と言っているのに対して菅仮免は「私がやるべき一定の役割が果たせた段階」だと言っている。

 本人の決定権にかかっている「段階」ということになる。まだ「一定の役割が果たせ」ていないと言い出したなら、それまでだし、支持率を上げるポピュリズムに徹してそれが成功、支持率が上がったなら、それを理由に居座ることだってするだろう。何と言っても、一定のメドとは俺の辞書では永遠のことだとなりかねない政権亡者なのだから。

 確認文書には一言も辞任するとも、その辞任時期も書いていないし、署名まで拒否したという。

 早速岡田幹事長が代議士会の閉会後のぶら下がりで引き伸ばし作戦に出た。《岡田幹事長 合意は条件でない》NHK/2011年6月2日 19時53分)

 岡田「復興にめどがついたらだ。菅総理大臣と鳩山前総理大臣との合意文書は、そのことが大事だと書いてあるだけで、それが終わったら辞めるという条件ではない」

 鳩山前が言っている「第2次補正予算の早期編成のめど」ではなく、「復興にめど」だとした。菅仮免が代議士会で表明した「私がやるべき一定の役割が果たせた段階」と合致しないことはない。

 菅仮免が昨夕2日午後10時30分の首相官邸記者会見で、マスコミが辞任は来年1月と示唆したとしている箇所に当たる菅仮免の発言は次のようになっている。

 菅仮免「工程表で言いますとステップ2が完了して、放射性物質が、放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる。そのことが私はこの原子力事故のまさに一定の目途だとこのように思っております」

 ステップ2完了は来年1月となっている。

 記者「フジテレビの松山です。今の質問にも関連するんですけれども、総理は福島原発の事故の収束の目途について冷温停止が一定の目途だとおっしゃいましたが、ということは、総理自身は自らの手で指揮を執って、来年一月までを目標としている冷温停止までを是非やり遂げたいという意思表明なのでしょうか。また鳩山前総理との合意の文書があるようですが、その中には原発という文字は入っていないようですが、原発の収束についても含めて鳩山前総理との間で合意ができたという認識なんでしょうか」

 菅仮免「鳩山前総理との合意というのは、鳩山前総理がつくられたあの確認書に書かれたとおりであります」

 記者「そこには原発という文字が入ってませんが、総理としては認識としてはそこまで含むという・・・」

 菅仮免「私が一定の目途と申し上げたのは、代議士会で申し上げたのであります。私の申し上げている意味は、今聞かれてましたのでお答えいたしました」

 確認書には「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」と書いてはあるが、辞任のメドは書いてない。だから、菅仮免は巧妙にも、「鳩山前総理との合意というのは、鳩山前総理がつくられたあの確認書に書かれたとおりであります」と言った。

 辞任に関してのメドについては何も書いてないですよ、二人の合意は確認書に書いてあるとおりのままですよと。

 そして辞任のメドについては代議士会で発言したことであって、今聞かれたから、「工程表で言いますとステップ2が完了して、放射性物質が、放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる」段階だと答えたとしている。

 原子炉の安定化そのものは基本的には東電が担当する。だが、放射能避難者と震災被災者に対する様々な支援・救助策は菅仮免の指導のもと行う。これまで見てきた菅仮免の支援・救助策の不備・不足・遅滞・不適合・齟齬等々の失態・無策を来年の1月まで8ヶ月も許すことになる。

 指導力もない、無能な指導者を来年の1月まで8ヶ月も居座らせることになる。

 さっさと内閣不信任決議案に賛成してトドメを刺すべきを、鳩山前が無能なリーダーに延命治療を施した。だが、どう如何ように延命治療を施そうと、単に任期を永らえさせるだけで、長く居座らせることによって指導力欠如も無能も治療できるわけではない。

 当たり前の指導者が10進めるところを、5か6しか進めることができないに違いない。

 その理由はリーダーシップを欠いている、合理的判断能力を持たないからなのは言うまでもないが、鳩山前と取り交わした確認書の「民主党を壊さないこと」「自民党政権に逆戻りさせないこと」の2点の確認事項にも現れている。

 「民主党を壊さないこと」は壊すも壊さないも政権リーダーの指導力、統治能力、あるいは政治運営次第であって、既に大分壊れかかっている。

 この民主党の内部半壊状態はすべて菅仮免が招いた。組織の在り様はリーダーの指導力や統治能力次第だからだ。また野党の提出の不信任決議案も、菅仮免のリーダーの指導力と統治能力に基づいた政治失態が招いた一騒動であろう。

 だが、いくら内部がどう壊れていようとも、党の命運、その盛衰は最終的には国民の審判によって決定する。

 ときには自ら党を割って壊す場合もあるが、選挙で国民の審判を受けて勢力を伸ばす例もある。
 
 また「自民党政権に逆戻りさせないこと」云々の政権選択にしても、やはり国民の審判によって決定する国民事項である。

 菅仮免の指導力欠如と合理的判断能力欠如の助けを借りて、野党合わせた参院での勢力伸張によって全体として既に半分逆戻りさせていることも国民の審判を受けた結末である。最後の引導を渡すのは国民である。

 要するに政党の勢力盛衰にしても政権担当にしてもリーダーの指導力と統治能力、さらに国民の審判が要件となると言うことである。

 だが、リーダーの指導力と統治能力、さらに国民の審判を要件とする認識も持たずに、そのことを無視して「民主党を壊さない」だ、「自民党政権に逆戻りさせない」だと二人だけの決定事項とした。

 これは菅仮免にしても鳩山前にしても、民主党という一つの政党と政権を私物化視していたからこそできた確認事項であるはずだ。

 党も政権も国民と共にあることを一時たりとも失念するような政治家、失念して私物化視するような政治家は決してリーダー足り得ないはずだ。


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防衛省が謳う「米軍の意義」が尖閣諸島・北方四島の「日本固有の領土」問題に役立ったのだろうか

2011-06-02 11:41:04 | Weblog



 今朝のWeb記事、《「米軍の意義」に沖縄県が異議 防衛省パンフに質問状》asahi.com/2011年6月2日0時58分)

 記事は沖縄県が防衛省作成パンフレット「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」に「沖縄は朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い」と記載していることは在日米軍が沖縄に集中する利点を強調する内容だとして反発していると伝えている。

 北沢防衛相が先月の来沖時に仲井真知事に渡し、沖縄防衛局が県内各市町村長にも配布したという。

 仲井真弘多知事が纏めるように指示した反論としての質問状を6月1日、上京中の与世田兼稔(よせだ・かねとし)副知事が北沢俊美防衛相充てに提出したという。

 質問状の内容。

 昨年5月に鳩山由紀夫首相(当時)が県外移設断念の経緯について「四十数カ所で可能性を探った」としていることに対して「これらの検討結果を明らかにし、県外移設を再検討するよう強く求める」としている上に、そもそも政権交代時にどんな認識で県外移設を唱えたのかとの説明も求めている。

 〈パンフレットはA4判で20ページ。Q&A方式で、米軍普天間飛行場の移設について「国外県外を含め、多数の候補地について検討した」が、「グアムなどに移設すると国際社会に誤ったメッセージを送る」などとしている。〉――

 この防衛省作成のパンフレットをインターネットで探したが、見つからなかった。但しPdf 記事で紹介されている。最も記事にある「グアムなどに移設すると国際社会に誤ったメッセージを送る」の文言は記載されていない。北沢防衛が沖縄配布用に防衛省に指示して書き加えたのかもしれない。

 書き加えたとしたら、沖縄の国外・県外移設意志にブレーキをかける企みを働かせた操作となる。

 Pdf記事から必要と思われる箇所を抜粋してみた。 

 「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」(平成22年2月 防衛省

4在沖米海兵隊の意義・役割-沖縄の戦略的位置

1米海兵隊の沖縄駐留の理由

○沖縄は、米本土やハワイ、グアムなどに比較し、東アジアの各地域に対し距離的に近い。→この地域内で緊急な展開を必要とする場合に、沖縄における米軍は、迅速な対応が可能。

○また、沖縄は我が国の周辺諸国との間に一定の距離を置いているという地理上の利点を有する。

2在沖米海兵隊の意義・役割

○在沖米海兵隊は、その高い機動性と即応能力により、我が国の防衛をはじめ、06年5月のインドネシアのジャワ島における地震への対応など地域の平和と安全の確保を含めた多様な役割を果たしている。→地理的特徴を有する沖縄に、高い機動力と即応性を有し、様々な緊急事態への一次的な対処を担当する海兵隊をはじめとする米軍が駐留していることは、我が国及びアジア太平洋地域の平和と安定に大きく寄与。

「日米同盟:未来のための変革と再編」(2005年10月29日)抜粋

○普天間飛行場移設の加速

沖縄住民が米海兵隊普天間飛行場の早期返還を強く要望し、いかなる普天間飛行場代替施設であっても沖縄県外での設置を希望していることを念頭に置きつつ、双方は、将来も必要であり続ける抑止力を維持しながらこれらの要望を満たす選択肢について検討した。双方は、米海兵隊兵力のプレゼンスが提供する緊急事態への迅速な対応能力は、双方が地域に維持することを望む、決定的に重要な同盟の能力である、と判断した。さらに、双方は、航空、陸、後方支援及び司令部組織から成るこれらの能力を維持するためには、定期的な訓練、演習及び作戦においてこれらの組織が相互に連携し合うことが必要であり続けるということを認識した。このような理由から、双方は、普天間飛行場代替施設は、普天間飛行場に現在駐留する回転翼機が、日常的に活動をともにする他の組織の近くに位置するよう、沖縄県内に設けられなければならないと結論付けた。

 「米本土やハワイ、グアムなどに比較し、東アジアの各地域に対し距離的に近い」、「周辺諸国との間に一定の距離を置いているという地理上の利点を有する」、「地理的特徴を有する」等々、軍事上の地理的有効性のみから沖縄を価値づけている。

 沖縄の負担軽減を謳っていたとしても、地理的有効性優先をスタンスとしていて、歴史的にも現実生活上も負わされている沖縄県民の負担感に向ける視線は乏しい。

 最後の「普天間飛行場代替施設は、普天間飛行場に現在駐留する回転翼機が、日常的に活動をともにする他の組織の近くに位置するよう、沖縄県内に設けられなければならないと結論付けた」が言っていることは「回転翼機」を沖縄県内移設の要件の一つとしていることになる。

 米空母に載せてアジア大陸に近い太平洋上を回遊させてもその機能は果たせるはずであるし、どうしても「他の組織の近くに位置」させることが安全保障上の絶対条件だというなら、「他の組織」共々本土内、もしくは国外に移動願ってもその機動力を果たせないわけではあるまい。

 記事では、「グアムなどに移設すると国際社会に誤ったメッセージを送る」となっているが、沖縄に米軍を現状どおりに駐留させたとしても、常に“国際社会に正しいメッセージを送る”保証となり得るのだろうか。

 「双方は、米海兵隊兵力のプレゼンスが提供する緊急事態への迅速な対応能力は、双方が地域に維持することを望む、決定的に重要な同盟の能力である」と地理的に沖縄を絶対条件とし、他地域を排除している。

 確かに日米安全保障に基づいた沖縄を含めた日本に於ける米軍の存在、あるいは日本の軍隊である自衛隊の存在、それらの軍事力は対外的には中国や北朝鮮に対する睨みとして役立っているだろうが、2010年9月7日の尖閣諸島中国漁船衝突事件に端を発した日中間の領土問題、経済的・政治的摩擦とその解決に沖縄駐留米軍の存在ばかりか、日米安保条約すら役立ったと言えるだろうか。

 衝突事件で日中間に諸問題が持ち上がっている最中の2010年9月7日に当時の日本の前原外相がクリントン米国務長官と会談、クリントンから「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象範囲内である」の言質を引き出したが、そのことが菅政権の対中外交に有効に役立ったと言えるのだろか。

 また、日米安保条約の存在、米軍の日本に於けるプレゼンスが中国の尖閣諸島領有を阻んでいるとする主張があるが、中国が軍事力で強引に領有に動いたなら、国際世論が許さないだろうし、中国との間で南沙諸島等で領有権を争っているフィリピンやベトナム、マレーシア、台湾などが尖閣諸島領有の正当性を中国に与えた場合、その正当性は自分たちの領有問題にも適用されない保証を失うことになり、決して認めることはできないに違いない。

 外交問題で往々にして軍事力が役立たないのは侵略が横行した植民地主義時代ならいざ知らず、現在の民主主義を価値観とする世界に於いて、それを国家体制の価値観としない少数国家が存在したとしても、軍事力が外交力の生殺与奪の権を握っているわけではなく、外交力が軍事力の生殺与奪の権を握っているからだろう。

 外交力を間違えると、行使した軍事力も間違えることとなり、世界を敵に回すことになる。

 また外交力を無視して軍事力を行使した場合も世界を敵とすることになる。

 ということは、基本は軍事力以上に外交力の質が問題となる。

 2010年11月1日のメドベージェフ大統領国後島訪問は尖閣問題で見せた日本の弱腰外交(当時の仙谷官房長官に言わせると、「柳腰外交」と言うことになるが)の足許を見て決行したとする説があるが、それが事実とすると、外国との関係を正常に保つことができるか否かは何よりも外交力の質が問題となることの証明ともなる。

 尖閣諸島中国漁船衝突事件に端を発した日中間の摩擦では何よりも日本の外交力が問われた。断固・毅然とした姿勢を示し得ず、国家の主体性を失わせしめた。

 中国が日本が必要とする物資・資源等の禁輸等の措置で日本に対して政治的圧力をかけてきたとしても、日本の経済的存在力は中国も必要としている。中国人観光客は激減して観光業が打撃を受けたが、中国向けの日本人観光客も激減して中国経済にそれ相応の打撃を与えたはずだ。

 経済的に相互が依存関係にある以上、一方の打撃では済まない。双方が傷つくことになるから、それが修復不可能状態にまで決定に傷つく前に関係修復に動かなければならない。

 いわば経済的にも政治的にも良好な関係にあった国と国が例え敵対関係に陥ることになったとしても、例外はあるかもしれないが、一般的には一時的な関係悪化で終わるということである。

 関係が修復し、経済関係が元の状態に回復したときに残る評価は、あるいは当初からのこととして何よりも問題とされることは関係が悪化したとき国として採る外交姿勢であり、外交力であろう。

 それが劣った能力として提示された場合、悪しき学習を相手国に与え、外交交渉の様々な場面で相手国に足許を見られたり、侮りを与えたりする。

 日本を経済大国と認めてはいても、政治的・外交的には二流国、三流国と侮っている国は多く存在するに違いない。

 政治・外交の主体性の確保・維持こそが国家の主体性の確保・維持につながる。軍事力以前の問題として必要不可欠な国家の要素であるはずである。

 政治的・外交的主体性を持ち得ないゆえに外交力に劣った国が肥大した軍事力を持った場合、往々にして対外的に権威主義的な危険な態度を取ることになる。

 断固とした政治的・外交的主体性に立脚した国家の主体性を伝統とすることによって外交力は力を発揮し得る。

 日米関係の維持・発展を最重要課題としている当の米国内にも日本の政治力・外交力を二流国並み、三流国並みと侮っている政治家、識者が多く存在するかもしれない。

 一般的には軍事力ではなく、外交力こそが国家の主体性を保証する力となり得ている以上、軍事力を補う国力として外交力を磨くことが国益確保の道となる。日本の外交力を向上させることによって、沖縄の軍事的な地理的有用性を減少させることができるはずだ。

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再度海水注入一時中断騒動を取上げて、菅仮免首相発言の矛盾とマヤカシを問う

2011-06-01 14:34:58 | Weblog


 
 3月12日の東電の海水注入一時中断は、官邸に詰めていた東電幹部武黒一郎フェローから「首相の了解が得られていない。議論が行われている」という連絡を受けた東電本社が、武藤副社長の説明で、「首相の了解がなくては注水できないという空気だと伝わり、本社と所長が合意した。理解いただけるまで中止しようとなった」とする経緯から、東電の官邸に報告なしの海水注入に菅首相が、俺は了解していない、認めるわけにはいかないといった不快感の意志表示が東電幹部を介して反映させた間接的指示で、それは菅仮免の曖昧な意志決定と指導力欠如が招いたものだと、一昨日5月30日の当ブログ記事――《菅仮免首相の曖昧な意志決定と指導力欠如が招いた東電の海水注入中断の虚構 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、昨5月31日の衆院震災復興特別委員会での斉藤鉄夫公明党議員と菅仮免との遣り取りを聞いて、改めて菅仮免の国会答弁に矛盾とマヤカシがあることを追及してみたいと思う。

 状況証拠にしかならないが、この状況証拠を利用して菅仮免を国会で追及するといったことが起こったなら、その可能性はほぼゼロに等しいが、あるいは追い詰めることができるかもしれない。

 斉藤議員の国会質疑を取上げる前に、次ぎの記事が示している新たな事実を挙げておきたいと思う。《原発注水、海江田経産相が東電に指示していた》YOMIURI ONLINE/2011年5月31日11時44分)

 同じ5月31日の衆院震災復興特別委員会。中川秀直自民党議員の質問に対する枝野詭弁家官房長官の答弁で、3月12日午後6時頃、海江田経産相が東電に対して、「準備が出来次第、海水注入をするように」と指示を出していたことを明らかにしたという。

 記事は書いている。〈政府はこれまで、同日午後6時の段階では「海水注入の検討」を指示したに過ぎず、注水指示は午後7時55分だったと説明していた。〉

 枝野詭弁家官房長官「6時前くらいにまずは経産相が口頭で法令に基づく指示をした。首相の下、あるいは経産相の所で、東電に対し(海水注入の)意思は明確に出された」

 記事は口頭のみの指示しか伝えていないが、中川議員の質問に対して東電の武藤副社長が口頭指示の後、法令に基づく海水注入指示の文書が届いたと答弁している。

 多分、文書で届いたのはすぐの時間ではないと思うが、とにかく文章で届いた。

 これまで明らかにされてきた経緯に今回明らかにされた新事実を加えて、改めて時系列で提示してみる。

 3月12日

 15:20         5月25日、政府、原子力安全・保安院、東電から海水注入準備のファクス
              を受け取ったことを認める)
 15:36         水素爆発
 18:00         菅首相、海水注入を指示(のちに海江田経産相の海水注入準備の指示に変
              更)
               海江田経産相が法令に基づいて「準備が出来次第、海水注入をするよう
              に」東電に口頭、のちに文書で指示
 18:00~18:20頃   菅総理、官邸に於いて打ち合わせ(海水注入による再臨界の危険性回
              避のための協議)
 19:04         東電、海水注入(試験注水)
 19:25         東電、海水注入中断
 19:55         菅総理、海水注入指示
 20:05         海江田万里経済産業相、原子炉等規制法に基づき海水注入を命令
 20:20         東電、海水注入再開
 
 この経緯を見ただけで、海江田経産相は法令に基づいて東電に対して二度海水注入を指示したことになる。

 このことに整合性を持たせる唯一の理由は、上記当ブログにも書いたことだが、東電がどのような事情で一旦開始した海水注入を中断させたことにしたとしても、中断したことを官邸に報告し、官邸は中断を知った上で改めて法令に基づいて海水注入を指示したということでなければならない。

 菅仮免は5月23日の国会で、「注入のときも、それをやめる時点も含めて私共には直接には報告上がっておりませんでした」と言っているが、少なくとも東電は中断の報告を上げた。その報告によって中断したことを知っていなければ、海江田経産相は中電が法令に基づいた海水注入指示に従わなかった場合はあり得ても、従わない態度を示していない以上、同じ指示を二度出すことはできない。

 では、注入のとき「私共には直接には報告上がっておりませんでした」を解くカギは5月25日午前の枝野詭弁家官房長官の記者会見にある。

 枝野詭弁家「海水注入が実施されたことについて報告がなかった。実際に水を入れ始めましたということの報告は全く聞いていない」

 要するに海江田経産相が法令に基づいて「準備が出来次第、海水注入をするように」東電に口頭で指示したことを受けて、東電は「準備が出来次第」だから、準備が出来た段階で官邸に改めて報告することなく引き続いて海水注入していいものと解釈して海水注入を開始した。

 だが、枝野詭弁家が「海水注入が実施されたことについて報告がなかった。実際に水を入れ始めましたということの報告は全く聞いていない」と言っていることからして、実際の海水注入の前に東電側から報告がなければならないとしていた。

 それが菅仮免の、「注入のときも」、「私共には直接には報告上がっておりませんでした」の言い分なのだろう。

 だったら、海水注入を必要と考えたなら、先ず準備だけの指示を出して、準備ができたなら報告するようになぜ伝えなかったのだろうか。。

 先ずは官邸側の指揮命令が不明確だったことを無視した矛盾、マヤカシがある。
 
 東電からの報告がなかったことが、官邸に詰めていた東電幹部の武黒一郎フェローの東電本社に対する、開始を左右する意思表示を含んだ「首相の了解が得られていない。議論が行われている」の、いわばご注進につながったはずだ。

 当然、菅仮免の「俺は了解していないぞ」に近い言葉による意思表示があったと見なければならない。

 以上のことを踏まえて、官邸に詰めていた東電幹部の言葉として東電側に伝えた「首相の了解」に関わることとして取上げてみるが、斎藤議員の武藤東電副社長に対する「なぜ東電は海水の中断をすることにしたんですか」の質問に次のように答えている。

 武藤東電副社長「海水注入の中断の判断でございますけども、緊急対策本部長でもあります総理の元、官邸の中で、安全委員会の助言など得ながら、ご検討が続いている状態だと、いうことが、エー、分かりました。

 で、総理のご了解を得ずに、えー、その後注水を継続することは難しいということが分かったと言うこと。それから、官邸に派遣をしておりました者が早期に注入を開始する交渉を、えー説明を、えー、していたと、いうことで、短期間の中断があるだろうと、えー、見通しがあったことから、止むを得ず海水の注入の中断を判断したという経緯であります」
 
 官邸で続いている「検討」は既に菅仮免の何度もの国会答弁で明らかになっているが、菅仮免の後の答弁でも再度明らかになる。

 武藤副社長の発言から証拠立てることができる点で一番問題なのはそもそもからして海水注入を開始するには総理の了解が必要だいうこと、その場での説明では了解を得ることはできなかったということであろう。そのために止むを得ず注水を一旦停止することにした。

 菅仮免の了解を得るために官邸詰めの東電幹部が海水注入継続の必要性を説明をした。「交渉を」と最初に言いかけたのは、「説明」が単なる説明ではなく、交渉の要素を含んでいたからだろう。

 斎藤議員は、官邸の雰囲気はとにかく水を入れることが大切だで一致していたにも関わらず、東電が既に開始していた海水注入を中断したのは何かがあったんじゃないかと再度武藤副社長に質問をする。

 武藤東電副社長「官邸に派遣をしていた者によりますと、官邸の中では、あー、海水注入実施のような、あー、具体的な、あー、施策につきまして、アー、総理がご判断されると、いう感じがあったということで、従いまして、総理のご判断がない中で、えー、それを実施をするということは、あーできないと、まあ、そういう雰囲気、空気があったというふうに聞いております」

 具体的実態としてあるとは言っていないが、重要な何かを実施するには総理の判断・了解を必要とする雰囲気・空気があったことを間接的伝聞の形式で証言している。

 逆説するなら、菅仮免のお伺いを立てなければ、下手なことはできないということなのだろう。

 ここから何様に構えた菅仮免像が浮かんでくる。

 このことは斎藤議員も指摘している。

 斎藤議員「総理の了解が得られなければ、何もできないと――」

 斎藤議員は班目原子力安全委員会委員長の国会答弁を用いて、官邸が水の注入を必要としていたことを明らかにしようとする。

 斎藤議員「班目委員長、あのー先日ですね、先日、この委員会で、吉野委員の質問にお答えになっております。そこで、えー、この(3月12日官邸での)6時からの会合は、どういう趣旨でしたかということで、統合対策本部、政府の発表では、再臨界について、えー、議論をしたと、いう発表になっていますが、班目委員長は、その吉野委員の質問に対して、『私の記憶としては、再臨界の議論が(海水注入の)中止になったと思っておりません。とにかくこういう事態ですから、水を入れる。海水だろうと何だろうと、水を入れなければ炉心の溶融はどんどん進んでしまうという認識です。従って、それがすぐできるんだったら、もう何も考えずにしてください、というふうにずっと助言を続けてございます。申し訳ないんですけど、私の記憶としては、再臨界ということが大きな話題となったという記憶はございません』と、ここまで明確にお答えになっております。間違いないですね」

 班目「間違いございません」

 18時からの官邸での「再臨界の議論」が海水注入中止の原因になったとは思わないし、議論の中で「再臨界ということが大きな話題となったという記憶はございません」と言っていることと、「海水だろうと何だろうと、水を入れなければ炉心の溶融はどんどん進んでしまうという認識です。従って、それがすぐできるんだったら、もう何も考えずにしてください、というふうにずっと助言を続けてございます」と言っていることを考え併せると、海水であろうと淡水であろうと注水が原子炉安定のための絶対前提条件となっていたことと、法に基づいて海水注入の指示を出して海水注入を前提としていた以上、それが「準備が出来次第」という条件をつけていたとしても、そこに海水注入によって生じるかもしれない危険性とその対処方法は前以て計算済みとしていなければならなかったはずだ。

 また、例え危険性が存在したとしても、その危険性よりも海水注入による原子炉冷却の方がメリットが大きいことも計算済みで、大きな被害をもたらす危険性ではないことも前提としていなければならなかった。

 そうでなければ、班目委員長の言う、「海水だろうと何だろうと」「それがすぐできるんだったら、もう何も考えずにしてください」ということにはならない。

 この「もう何も考えずに」を前提とした場合、「何も」の中には「再臨界の危険性」も含まれるはずだから、班目委員長の「再臨界ということが大きな話題となったという記憶はございません」の言葉に整合性を持って合致することになる。

 だが、政府・東電統合対策本部の最初の発表では、班目委員長が「再臨界の危険性」を指摘したために議論が必要になった、班目委員長が抗議すると、「再臨界の可能性はゼロではない」と指摘したに発表文言が変更され、菅仮免も「再臨界の危険性」を含めたリスクの可能性を議論し、その議論を経て、18時ではなく、19時55分に海水注入を指示した、「注入のときも、それをやめる時点も含めて私共には直接には報告上がっておりませんでした」と国会答弁を繰返してきた。

 斎藤議員「ここでも矛盾するんじゃないですか。その(18時からの)会議では、とにかく水を入れ続けなければいけない、と言うことは共通の認識だった。こうおっしゃった。しかし、東電はそれが言い出しにくい雰囲気だった。そして班目委員長は、そんなことは議題にならなかった。こうおっしゃてるわけで。

 私はここにおーきな矛盾があると思いますが、総理、お答えください。総理、お答えください。総理、お答えください。時間がないので短めにお願いします」

 以下、菅仮免だけの発言を取上げてみる。以前ブログで取上げた内容とほぼ同じだが、発言の矛盾とマヤカシを指摘する必要上、文字化してみる。

 菅仮免「いや、これは大変重要なことなもんですから、しっかり答えさせてください。先ず、あのー、斎藤議員も、あのー、おー、よくお分かりで言われていると思いますけども、とにかく冷却機能が失われた中で、えー、水をー、炉心に、注入して冷却すると言うことが、何よりも重要だということで、その、そのことはあのー、勿論、おー、原子力安全委員会、あるいは保安院、あるいは東電、そして私や海江田大臣も一貫して、そのことは、あのー、そ、そのとおりだと、考え、またあらゆる場面でそのことを、ヲー、プッシュする方向で、えー、行動してまいりました。

 そして淡水が入れられて、ある段階で淡水がなくなった後のことは(右手を振りふり熱弁を振う)、それはもう海水を入れるべきだということを、ヲー、全員が一致して、そういうー、考えておりました。

 そして18時というのは、17時、当然ながら、19時から(海水が)入ったといことは、私はずうっとあとになるまで全く知りませんでしたけど、18時の時点では東電から担当として来られた方が、準備をするのに、海水を入れるのに準備をするのに、1時間半程度はかかるからと、言うこともおっしゃいました。

 で、その中で、確かに、えー、再臨界のこともお尋ねしました。う、あの、塩が残りますから、その影響ということも聞いておりましたし、また、状況によっては、あー、スイ、水素爆発とか水蒸気爆発とか、あらゆる可能性を、そして専門家の方がおられますから、そういうことについても、どうなんですかということをお聞きして、そして1時間半くらいあるからということであったので、それじゃあその部分を検討してくださいって言ったんです。

 その次は、じゅうしち、19時4分から、あー、うー、云々という話は、ずうっと後で知りましたが、全く私は聞いておりませんでしたので、その後、確か19時40分頃ですか、私がそういう海水に、イー、したときに色んな可能性でお聞きしたことに対して、えー、『これはこうで、そういう危険性はありません、ただ、まあ、ホウ素を入れておきましょう』。そう、そういう話があったのが、19時の、おー、40分に保安院等から私に説明があって、私はその時点で入ったとか、あの止めたってことは全く聞いておりませんで、それじゃあ早速入れましょうと言って、申し上げたわけです(熱弁を振っていたのが、「申し上げたわけです」は急に小さな声となる。)

 何も私が申し上げていることが何かこう辻褄合わないとか思いませんし、海江田大臣が言われていることも、全く平仄は一致していると思います」――

 右腕を振りふり、まさに熱弁の演技だった。「あー、いー、うー、えー」の合いの手の間投詞が普段よりも少ないのは国会で何度も繰返している同じ内容の答弁であることから既に慣れた一連の言葉になっていることと、この内容自体を理論武装の言葉としている関係からの澱みの少ない答弁ということなのだろう。

 菅仮免が言うように「却機能が失われた中で」注水が第一だ、「あらゆる場面でそのことをプッシュする方向で行動してまいりました」ということなら、海水注入によって生じるかもしれない危険性とその対処方法は前以て計算済みでなければならない。繰返しの説明になるが、計算済みでなければ、「あらゆる場面でそのことをプッシュする方向」の注水優先の理論は成り立たなくなり、そこに矛盾が生じることになる。

 だが、海水注入の危険性を尋ね、結果として危険性はないということになって、「それじゃあ早速入れましょう」ということになって、いわば19時55分の海水注入指示となったと説明し、そのことを以って19時55分の以前の問題だから、東電の19時04分からの海水注入開始もその後の中断も知らなかったことの証明とする論理上合理的とは言えない矛盾まで犯している。

 しかも海江田経産相が法令に基づいて二度海水注入を指示したことから、海水中断の報告が中電から官邸にあったはずなのに知らなかったとしている。

 まさしくマヤカシと矛盾に満ちた知らない存ぜぬの発言であろう。

 19時55分近くまで危険性の議論をしていたから、海水注入の指示はその時間まで出せなかったという理由で以って、東電の注水開始も中断も知らなかったとする理由とはならないし、危険性の議論をしていたこと自体が何よりも注水による危険性とその対処方法を前以て計算済みとしていなければならない注水優先の理論に反する矛盾とマヤカシとなっている。

 すべての問題点は官邸側が東電が海水注入の準備終了後の実際の海水注入の前に官邸に報告して、菅仮免の了解を得なければならなかったかどうかである。少なくともそういった雰囲気・空気が官邸詰めの東電幹部の「首相の了解が得られていない。議論が行われている」の報告につながり、中断騒動の発端をつくり出した。

 いわば菅仮免の間接的意向が働いた中断騒動だったかどうかであろう。

 もし実際に中断していたなら、大問題となるから、斎藤議員が指摘したように吉田所長がヒアリングで明らかにした海水注入継続自体が虚偽で、首相の意向を反映させた中断であることを隠すための虚構という疑惑も成り立つ。

 斎藤議員は「吉田所長が一人泥をかぶれば、すべての人が、すべての人がある意味で助かる。そういう状況でもございます」と疑惑という直截的な言葉は使っていないが、疑わしいとした。

 その虚構に応えて、菅仮免の「現場責任者の判断で危険を回避する行動は法律で認められているし、結果として、海水注入を始め、継続したことは正しい判断だった」(asahi.com)と言うことで、「現場責任者の判断」なのだからと「首相の了解」の存在性を否定し、自身を無罪放免とすることができる。

 だとすると、官邸詰め東電幹部の武黒一郎フェローからの「首相の了解が得られていない。議論が行われている」の報告が浮いてしまうことになり、少なくともここに矛盾が生じる。

 実際には「首相の了解」問題は生じた。首相自身が醸し出した「首相の了解」問題であろう。

 菅仮免「先ずですねえ、私が海水注入を止めるような指示を出したことは一度もありません。何回も言ってますように、真水がなくなれば、海水注入をするべきだというのは、私を含め、そこにいた者の全員の意思でありまして。

 ですから、18時の段階でも海水注入ということを前提として、準備に時間がかかるという中でのいくつかの懸案事項の検討をお願いしたわけで、その、おー、検討が終わってきた段階ですぐ私はすぐ注入するようにと言ってますし、結果としてはその途中の段階で入ってるわけですが、ですから何かですね、私が、その要請をしたことを忖度してというふうな言い方をされましたが、それは全く逆です。

 つまり常に海水であっても何であっても入れるようにということを申し上げたわけです。それと、あのー、決して現場の意見を無視して、あるいは反して、何かを、おー、強引にやったということは、あの、おー、少なくともこの海水注入に関しては全くありませんで、そこだけは国民のみなさんにですね、誤解を招くような表現は、あー、改めていただきたいと思います」

 大体がこの「アー。イー。うー、えー、おー」が殆んどない熱弁自体が胡散臭い。

 斎藤議員「このことはもう議論はしませんが、今回の議論を聞いて、国民のみなさんに判断させていただく以外にないと思います」

 メルトダウンの追及に移るが、要するに海水注入中断問題では追及し切れなかった。

 「真水がなくなれば、海水注入をするべきだというのは、私を含め、そこにいた者の全員の意思」――注水優先の理論を持っていたなら、注水による危険性とその対処方法を前以て計算済みとしていなければならないから、「いくつかの懸案事項の検討をお願い」すること自体が矛盾することになる。

 少なくとも打ち合わせは危険性に関する復習する形の短い時間で片付く確認で済んだはずだ。だから班目委員長が言っている「私の記憶としては、再臨界ということが大きな話題となったという記憶はございません」という状況が存在した。

 ところが18時から打ち合わせを開始し、菅仮免が海水注入指示を出す19時55分まで1時間55分も時間を要したとする矛盾とマヤカシを指摘できる。

 矛盾とマヤカシは、勿論、菅仮免自身の人間性から発している。


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