107名が死亡し、555名の重軽傷者を出した尼崎鉄道事故より一年がたった。
NHKではクローズアップ現代などで事件を扱い、関西地方では多くの特別番組が放送された。しかし、多くの識者が指摘するように事故の本質的な解明や深層分析は出来ていないように思える。このことは、JR西日本自体が『警察により充分な調査が行われる』として社内調査を行わない点や、事故にたいする謝罪をする一方で依然として原因に関して自社に責任を認めようとしない状況に端的に現れている。
中曽根首相が成し遂げた国鉄民営化は戦後政治史においても特筆すべき政策実現であったが、同様に市場化民営化を進めたサッチャー政権下のイギリスは過当競争の皺寄せが利用者に押し寄せ、メージャー政権を経て保守党は政権を失い、労働党右派のブレア政権の下で再国有化路線が採られた。民営化、つまり外注の形は採るが経営任命権を政府が保有し、所定のサービス水準を維持できなければ経営陣を入れ替えるという方式である。完全なものはありえず、不完全な部分が見つかったらば是正すれば良いと思う。中曽根時代では実現可能な選択肢の中で最良の選択をしたが、問題点は当然残ったのだから。
わが国は欧米が理想とするほどの公務員削減を行い、更に郵政民営化により完全に近い夜警国家への移行を推進中であるが、JRを含め、再規制化を検討する時期になったのではないだろうか、即ち国民福祉の目的に特化し、且つ過剰な要求を行わない監査法人の必要性をここに提起しているのである。今更再国鉄化というような極端な政策要求は小生も不用と考えるが、民営化の目的は歳出削減であり、これを介して国民福祉の増進を行う事にあったはずだ、この目的は一端は一旦達せられたといえるが、新しい問題も生じたということを忘れてはならず、この弊害が事故という形で表面化した。
政治学や政治史を研究すればそれだけの事が目に付くのである。
総論賛成各論反対というわけで折衷案というのは歓迎されにくいものではあると自覚しつつも、民営化そのものには賛成であるが、その方策を熟考すれば、政府が行った方針にはどうしても疑問を抱かない訳には行かないのである。
現在進む郵政民営化も、例えば最低水準のサービス体制を立法府が明記し、監査法人として必要とされる歳出削減と利益増進をサービスと両立できる、運用面の民営化を行えば、少なくとも“我らがプライムミニスター”の求める目的は達せられよう。対して現行法の野放し政策では確実に将来的な問題は生じる。しかし、再規制化というような政策をJRやその他“公社”に対して提言出来る政党がいないことは我が国の政治に対して嘆くべき点である。
また、今回の事故では上層部が責任逃れに邁進し、末端が責任転嫁と利用者からの罵声に曝される姿は痛ましい。マスコミや人権論者が忌み嫌う旧軍からのこうした伝統はこうした点、若しくは日本の大半の組織に根付いているように思えるが、気分転換若しくは気晴らしのようなかたちで罵声を浴びせるのではなく、その相手を慎重に見極めてはどうかと思う。
幸いにして小生は神戸方面に友人は多いものの友人知人に負傷者や犠牲者は出なかったものの、鉄道のみならず多くの面で、構造的欠陥と隣り合わせに生業を営んでいる事を忘れてはならず、これを律する事が出来るのは主権者の自覚のみであろう。最後に犠牲となった方々のご冥福を祈り、また心身を負傷され未だ癒えること無き皆様のご健康を祈り、末尾としたい。
北大路機関