■暑すぎてヤバい!
暑すぎてヤバい!というのは祭事を継続する上でも影響が及ぼすほどの一種これは文化の継承という視点でも問題となります。
祇園祭が熱くなり続けるという状況から気候変動についての話題に無理やりこじつけ、コジツケというのは直接現場を取材に行けない話題での北大路機関の常とう手段で代名詞のようなものだ、こうして話題を展開してきたわけなのですけれども。
温室効果ガス排出は、途上国がこれから先進国へと転換してゆく際にどうしても輩出しなければならず、ようやく資源外交以外の工業製品を輸出できるようになったばかりの途上国に、いままで散々温室効果ガス排出を伴う先進国が何か言えるのか、と。
気候変動対策は、いや言えるんだ、と先進国が地球は一つなのだからという言い分で途上国にも気候変動対策のレジームに、多少手心を加えているという厚かましさを突き付けているという事を、まず先進国と呼ばれる諸国の主権者は理解しているのでしょうか。
先進国の主権者と呼ばれるたちばには、わたしなんかも含まれているのですが、結果論ですが、先行して経済発展を行う際の温室効果ガス排出を、例えば途上国などは遡上して訴求したいような錯覚に陥るのではないか、いわゆる、立場が違えば論では。
排出権、という、温室効果ガスをゼロには、できないという立場から限定的に地球環境に影響を与える権利を金銭で支払う制度を構築して、しかし途上国には、先進国の過去の排出を相殺する意味で、手心を加えた様な、そんな制度は構築しているようですが。
産業革命からの積算排出総量となると、とても排出権取引では相殺できないという言い分が成り立つでしょうし、すると先進国も、過去の植民地時代に近代化に尽力したではないか、という、日本以外の国では当然持っている価値観の反論に繋がりかねない。
帝国主義の過去との歴史を掘り返すようなことになりかねず、気候変動対策は一歩間違えば世界の二分化、それも自由主義と社会主義のような構造とは異なる、思想信条だけでは解決できない対立、気温上昇どうするかという、対立に繋がりかねません。
温室効果ガス帝国主義、いや違うなあ、ウォーラーステインやアンソニーギデンズあたりであればもう少しいい表現を出すのか、温暖の衝突、サミュエルハンチントンでもこんな安普請な表現はないだろうか、それにしても新しい対立の萌芽といえますが。
日本と欧州とアメリカで、全く違う認識が先進国間でも生まれるのではないか。先ず欧州、欧州では移民が増大していますが、多くは途上国から、そして正規の手続きで移民として定着した方々は、言い換えれば温室効果ガス排出に歴史的な影響は少ない。
途上国から21世紀に移民した方々とその家族にも、先進国民として温室工がガス排出削減の努力に伴う経済的負担を負わなければならないのか、となる。実際には、それを知っていて移民したのだろう、と反論されるのでしょうが、分断の温床となりえる。
アメリカなどは分かりやすいのです、ヨーロッパ系とアフリカ系とアジア系とヒスパニック系で既に分断が起きているのだから、もっとも白人と黒人と黄色人種という言葉をやめても、分断という現実は解消しないどころか何一つ変わらないのですけれどもね。
気候変動対策に内燃自動車全廃を掲げていますが、中古の50万円の自動車並みの航続距離を持つ電気自動車は500万円を超える、電気自動車一つとって、貧乏人はバスに乗れ、という主張にもなってしまう訳ですから、気候変動対策は分断と不可分なのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
暑すぎてヤバい!というのは祭事を継続する上でも影響が及ぼすほどの一種これは文化の継承という視点でも問題となります。
祇園祭が熱くなり続けるという状況から気候変動についての話題に無理やりこじつけ、コジツケというのは直接現場を取材に行けない話題での北大路機関の常とう手段で代名詞のようなものだ、こうして話題を展開してきたわけなのですけれども。
温室効果ガス排出は、途上国がこれから先進国へと転換してゆく際にどうしても輩出しなければならず、ようやく資源外交以外の工業製品を輸出できるようになったばかりの途上国に、いままで散々温室効果ガス排出を伴う先進国が何か言えるのか、と。
気候変動対策は、いや言えるんだ、と先進国が地球は一つなのだからという言い分で途上国にも気候変動対策のレジームに、多少手心を加えているという厚かましさを突き付けているという事を、まず先進国と呼ばれる諸国の主権者は理解しているのでしょうか。
先進国の主権者と呼ばれるたちばには、わたしなんかも含まれているのですが、結果論ですが、先行して経済発展を行う際の温室効果ガス排出を、例えば途上国などは遡上して訴求したいような錯覚に陥るのではないか、いわゆる、立場が違えば論では。
排出権、という、温室効果ガスをゼロには、できないという立場から限定的に地球環境に影響を与える権利を金銭で支払う制度を構築して、しかし途上国には、先進国の過去の排出を相殺する意味で、手心を加えた様な、そんな制度は構築しているようですが。
産業革命からの積算排出総量となると、とても排出権取引では相殺できないという言い分が成り立つでしょうし、すると先進国も、過去の植民地時代に近代化に尽力したではないか、という、日本以外の国では当然持っている価値観の反論に繋がりかねない。
帝国主義の過去との歴史を掘り返すようなことになりかねず、気候変動対策は一歩間違えば世界の二分化、それも自由主義と社会主義のような構造とは異なる、思想信条だけでは解決できない対立、気温上昇どうするかという、対立に繋がりかねません。
温室効果ガス帝国主義、いや違うなあ、ウォーラーステインやアンソニーギデンズあたりであればもう少しいい表現を出すのか、温暖の衝突、サミュエルハンチントンでもこんな安普請な表現はないだろうか、それにしても新しい対立の萌芽といえますが。
日本と欧州とアメリカで、全く違う認識が先進国間でも生まれるのではないか。先ず欧州、欧州では移民が増大していますが、多くは途上国から、そして正規の手続きで移民として定着した方々は、言い換えれば温室効果ガス排出に歴史的な影響は少ない。
途上国から21世紀に移民した方々とその家族にも、先進国民として温室工がガス排出削減の努力に伴う経済的負担を負わなければならないのか、となる。実際には、それを知っていて移民したのだろう、と反論されるのでしょうが、分断の温床となりえる。
アメリカなどは分かりやすいのです、ヨーロッパ系とアフリカ系とアジア系とヒスパニック系で既に分断が起きているのだから、もっとも白人と黒人と黄色人種という言葉をやめても、分断という現実は解消しないどころか何一つ変わらないのですけれどもね。
気候変動対策に内燃自動車全廃を掲げていますが、中古の50万円の自動車並みの航続距離を持つ電気自動車は500万円を超える、電気自動車一つとって、貧乏人はバスに乗れ、という主張にもなってしまう訳ですから、気候変動対策は分断と不可分なのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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