■二〇三〇年代への期待
現代は特にデジタルの世界では大量生産大量消費の時代となっています、北大路機関も大量に撮影し大量に文章を作成し可能な範囲で紹介する。
平野神社の写真と共にAIについて考えた話題ばかりを紹介しているのですが、これは先日夜桜を見ようと週末に探訪した際に演奏会が行われ喧騒が予想されたことで、しかし電子楽器の演奏音はなにかデジタルだが複製性が高くてなあ、と考えた際に着想したもの。
東本願寺でも今年は間もなく演奏会が行われるのですが、昔はどんな音楽が奏でられたか、今は過去の気象状況などをデータから再現できる時代、すると遠くない将来に1000年前の京都を電子空間である程度正確に再現できる時代は来るのだろうか、とも思うのです。
音楽表現学会の大会は今年、ここ京都で挙行されます。北大路機関の文章は、といいますか政策提案は広域師団と装甲機動旅団遠征機動旅団や地域配備師団ミサイル連隊、新しい88艦隊や大型航空団論など、多少個性的な、言い方を変えれば狂ったところがあるのです。
音楽的、という訳ではありませんが、感性と間口と知識の土台を幅広く構築することで無理やり、歴史的な事例を学際的に結びつけるというか縛り付けて、整体の際に肩甲骨と僧帽筋を圧してもらった瞬間や、庭園を見ている時間帯等に瞬間にこう着想するものが多い。
アマデウス、ここでふと思い出すのは1984年の映画アマデウスです、モーツアルトの天才性に嫉妬する音楽界の巨人で天才の一人であるアントニオサリエリとの関係を描いたミュージカルをミロスフォアマン監督が映画化したものです、この映画は素晴らしく好きだ。
人工知能はベートーベンの新曲を学習により作曲することができる、NHKでは随分前にAI研究の一環として紹介されたものなのですが、映画アマデウスではモーツアルトが友人たちとの酒宴で自曲をバッハ風やハイドン風にコラージュし演奏する描写がありました。
ベートーベンのAI版というのは、こうしたコラージュで成り立つものなのかもしれませんが、しかしベートーベンの手紙などが限られていることから研究者が探し続け一つ発見されればオークションで10万ドル以上で落札されるほど希少的なものとなっています。
書簡や発言や影響を受けた作曲家た影響を与えた文化人や当時の社会風景と楽器の当時の特性や社会情勢、曲の政治性と発表する空間の音響や鑑賞客層、ここまでAIに学習させて初めて、コラージュではなくベートーベンの曲を新たに作曲できるのだろうなあ、と。
モーツアルトも大量に作曲するも、当時の羊皮紙では執筆し後世に残すことができたものは少なく、もっともモーツアルトさんは短命でしたので更に厳しいという点を加味するのでして、要するにAIは人工学習するものゆえ、現存しない試行錯誤は学習できない。
ビックデータを解析し、ベートーベンの生まれてから晩年に至るまでの世界を電子空間上に再現し、電子クローンのようなものを再現することができれば、試行錯誤の仮定も研究できるのでしょうが、それはおそらく本能寺の変の真相をAIが再現するよりも難しい。
大量消費の時代、しかしふと気になるのは、大量消費の時代に高品質な音楽や、北大路機関の場合は写真か、そして文章が求められるのか、紙の書籍にでもしないかぎり、こうした文章は100年はもちろん、10年先に残すことも難しい、いわゆる大量消費型の文章です。
こうは思うのですが、2005年とか2006年に執筆した記事が、検索によりいくつか急にアクセス数が急上昇することもありますので、すると人が書いた高品質な文章を目指せば、少なくとも十数年前の文章も顧みられることはあるのか、と考えを改めたりもするのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
現代は特にデジタルの世界では大量生産大量消費の時代となっています、北大路機関も大量に撮影し大量に文章を作成し可能な範囲で紹介する。
平野神社の写真と共にAIについて考えた話題ばかりを紹介しているのですが、これは先日夜桜を見ようと週末に探訪した際に演奏会が行われ喧騒が予想されたことで、しかし電子楽器の演奏音はなにかデジタルだが複製性が高くてなあ、と考えた際に着想したもの。
東本願寺でも今年は間もなく演奏会が行われるのですが、昔はどんな音楽が奏でられたか、今は過去の気象状況などをデータから再現できる時代、すると遠くない将来に1000年前の京都を電子空間である程度正確に再現できる時代は来るのだろうか、とも思うのです。
音楽表現学会の大会は今年、ここ京都で挙行されます。北大路機関の文章は、といいますか政策提案は広域師団と装甲機動旅団遠征機動旅団や地域配備師団ミサイル連隊、新しい88艦隊や大型航空団論など、多少個性的な、言い方を変えれば狂ったところがあるのです。
音楽的、という訳ではありませんが、感性と間口と知識の土台を幅広く構築することで無理やり、歴史的な事例を学際的に結びつけるというか縛り付けて、整体の際に肩甲骨と僧帽筋を圧してもらった瞬間や、庭園を見ている時間帯等に瞬間にこう着想するものが多い。
アマデウス、ここでふと思い出すのは1984年の映画アマデウスです、モーツアルトの天才性に嫉妬する音楽界の巨人で天才の一人であるアントニオサリエリとの関係を描いたミュージカルをミロスフォアマン監督が映画化したものです、この映画は素晴らしく好きだ。
人工知能はベートーベンの新曲を学習により作曲することができる、NHKでは随分前にAI研究の一環として紹介されたものなのですが、映画アマデウスではモーツアルトが友人たちとの酒宴で自曲をバッハ風やハイドン風にコラージュし演奏する描写がありました。
ベートーベンのAI版というのは、こうしたコラージュで成り立つものなのかもしれませんが、しかしベートーベンの手紙などが限られていることから研究者が探し続け一つ発見されればオークションで10万ドル以上で落札されるほど希少的なものとなっています。
書簡や発言や影響を受けた作曲家た影響を与えた文化人や当時の社会風景と楽器の当時の特性や社会情勢、曲の政治性と発表する空間の音響や鑑賞客層、ここまでAIに学習させて初めて、コラージュではなくベートーベンの曲を新たに作曲できるのだろうなあ、と。
モーツアルトも大量に作曲するも、当時の羊皮紙では執筆し後世に残すことができたものは少なく、もっともモーツアルトさんは短命でしたので更に厳しいという点を加味するのでして、要するにAIは人工学習するものゆえ、現存しない試行錯誤は学習できない。
ビックデータを解析し、ベートーベンの生まれてから晩年に至るまでの世界を電子空間上に再現し、電子クローンのようなものを再現することができれば、試行錯誤の仮定も研究できるのでしょうが、それはおそらく本能寺の変の真相をAIが再現するよりも難しい。
大量消費の時代、しかしふと気になるのは、大量消費の時代に高品質な音楽や、北大路機関の場合は写真か、そして文章が求められるのか、紙の書籍にでもしないかぎり、こうした文章は100年はもちろん、10年先に残すことも難しい、いわゆる大量消費型の文章です。
こうは思うのですが、2005年とか2006年に執筆した記事が、検索によりいくつか急にアクセス数が急上昇することもありますので、すると人が書いた高品質な文章を目指せば、少なくとも十数年前の文章も顧みられることはあるのか、と考えを改めたりもするのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)