■ギルガメッシュ叙事詩
わんだふるぷりきゅあ!は無事最終回を迎えましたが最後までニホンオオカミの名誉回復とはならなかったのが残念だ。
オオカミと人類の関係、もともと動物学の研究では、イヌ、わんわん、これは人類が文明を持つ前に、オオカミの群れに人類の誰かが手招きをしまして、ちょっと一緒に暮らしてみようかな?と歩み出てきたオオカミの一匹が、ファーストわんわんなのでしたが。
職業の分化、そして食糧の蓄積、考えれば簡単なことで、この時代に人類の最大の脅威はネズミによる食害、モグラなどによる灌漑施設の破壊、といったものでしたが、お気づきでしょうか、ネズミとモグラはオオカミの捕食対象であり、という当たり前のことを。
オオカミは結局のところ、農耕には害を及ぼさないために、共存できる文化が自然形成してゆく。もちろん、人間を襲撃したオオカミは駆除対象となったのでしょうけれども、人を襲えばそれは相手がひとであっても、人が行う事にはそれほど違いはありません。
ルガル、興味深いのは人類が農耕を続けるとともに社会というものは徐々に広範な生活領域を形成してゆきます、意外かもしれませんが、コミュニティーというものは自然形成されており、それは物々交換を行う市場や神官という職業を生みますが肝心なものがない。
国家、というものが未だこの時代では都市国家という、コミュニティーの一部が集権的な性格を帯びてくることは確かなのだけれども、人類は未だ統治機構というものを考えるまで、つまり権力基盤を構築できるまではもう少し時間を必要としていたのですね。
ルーという言葉の延長線上にルガル、という単語が生まれたのはその少しのち、つまり、狩猟と農耕という関係性の先に、略奪、すなわち農耕による収穫物を標的とした狩猟、速い話が略奪ですよ、こうしたものが組織的に行われる時代が人類にも到来したのでして。
ルガルという文字の表現は、群れの大物、という意味を有していたようです。もともとのはなしですよ?、それはオオカミの群れの大物、そんな枠組みを念頭に、まあいうなればウルフパック戦術の概念を4500年ほど遡らせればある程度意味が通るのでしょうか。
群狼をまねた群れの大物という概念が文字として記録され始めるのは、人類が戦争を始めた時代と合致します。無論当時は、人命が非常に貴重で、農耕収穫物を襲う狩猟民や略奪者、黒澤明の“七人の侍”的な事例は、いまでいう全面戦争のようなものには達しないが。
ルガルは戦争の、いや短期的に終わるものですから戦闘の、指導者という意味を有するようになるのです。ただ、前述の国家を生む権力基盤が構築されなかった、人類文明の草創期というものはここから発展しまして、ルガルという指揮官と保護される人たち、と。
王という意味合いをルガルが持ち始めたのは、まあみなさん、Fateとかでサブカルチャー的にご存じでしょう、古代国家ウルクの時代まで遡りますと既に定着しています。ルートルガル、味方によっては農耕を始めた人類が模した社会というものは、ルーだった。
ギルガメッシュ王は、意外にも実在の人物なのですが、ギルガメッシュ叙事詩は死者の書を例外とするならば世界初の物語、文学作品となっています。もっとも、ギルガメッシュ叙事詩が発見された後に、世界の考古学者によりウルクの研究が進んでゆくのですが。
ウルクにおける王の座というものは、残念ながら既に元老院の原型ができていて、権力基盤はそれほどでは無かった、すると、ギルガメッシュ叙事詩というのは、忙しい中間管理職が現実逃避に、俺ツエー的なライトノベルを書いていた的な実情が見えてくるという。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
わんだふるぷりきゅあ!は無事最終回を迎えましたが最後までニホンオオカミの名誉回復とはならなかったのが残念だ。
オオカミと人類の関係、もともと動物学の研究では、イヌ、わんわん、これは人類が文明を持つ前に、オオカミの群れに人類の誰かが手招きをしまして、ちょっと一緒に暮らしてみようかな?と歩み出てきたオオカミの一匹が、ファーストわんわんなのでしたが。
職業の分化、そして食糧の蓄積、考えれば簡単なことで、この時代に人類の最大の脅威はネズミによる食害、モグラなどによる灌漑施設の破壊、といったものでしたが、お気づきでしょうか、ネズミとモグラはオオカミの捕食対象であり、という当たり前のことを。
オオカミは結局のところ、農耕には害を及ぼさないために、共存できる文化が自然形成してゆく。もちろん、人間を襲撃したオオカミは駆除対象となったのでしょうけれども、人を襲えばそれは相手がひとであっても、人が行う事にはそれほど違いはありません。
ルガル、興味深いのは人類が農耕を続けるとともに社会というものは徐々に広範な生活領域を形成してゆきます、意外かもしれませんが、コミュニティーというものは自然形成されており、それは物々交換を行う市場や神官という職業を生みますが肝心なものがない。
国家、というものが未だこの時代では都市国家という、コミュニティーの一部が集権的な性格を帯びてくることは確かなのだけれども、人類は未だ統治機構というものを考えるまで、つまり権力基盤を構築できるまではもう少し時間を必要としていたのですね。
ルーという言葉の延長線上にルガル、という単語が生まれたのはその少しのち、つまり、狩猟と農耕という関係性の先に、略奪、すなわち農耕による収穫物を標的とした狩猟、速い話が略奪ですよ、こうしたものが組織的に行われる時代が人類にも到来したのでして。
ルガルという文字の表現は、群れの大物、という意味を有していたようです。もともとのはなしですよ?、それはオオカミの群れの大物、そんな枠組みを念頭に、まあいうなればウルフパック戦術の概念を4500年ほど遡らせればある程度意味が通るのでしょうか。
群狼をまねた群れの大物という概念が文字として記録され始めるのは、人類が戦争を始めた時代と合致します。無論当時は、人命が非常に貴重で、農耕収穫物を襲う狩猟民や略奪者、黒澤明の“七人の侍”的な事例は、いまでいう全面戦争のようなものには達しないが。
ルガルは戦争の、いや短期的に終わるものですから戦闘の、指導者という意味を有するようになるのです。ただ、前述の国家を生む権力基盤が構築されなかった、人類文明の草創期というものはここから発展しまして、ルガルという指揮官と保護される人たち、と。
王という意味合いをルガルが持ち始めたのは、まあみなさん、Fateとかでサブカルチャー的にご存じでしょう、古代国家ウルクの時代まで遡りますと既に定着しています。ルートルガル、味方によっては農耕を始めた人類が模した社会というものは、ルーだった。
ギルガメッシュ王は、意外にも実在の人物なのですが、ギルガメッシュ叙事詩は死者の書を例外とするならば世界初の物語、文学作品となっています。もっとも、ギルガメッシュ叙事詩が発見された後に、世界の考古学者によりウルクの研究が進んでゆくのですが。
ウルクにおける王の座というものは、残念ながら既に元老院の原型ができていて、権力基盤はそれほどでは無かった、すると、ギルガメッシュ叙事詩というのは、忙しい中間管理職が現実逃避に、俺ツエー的なライトノベルを書いていた的な実情が見えてくるという。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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