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【京都幕間旅情】藤森神社-紫陽花祭,神社創建に繋がる国威発揚の歴史と欧州極右混迷

2024-07-17 20:00:58 | 写真
■千余百年の社殿から
 トランプ前大統領暗殺未遂事件により欧州と共にアメリカでもいずれ今回の事件のバイデン政権陰謀論が出てくるのだろうなあと思いますと先が思いやられる。

 藤森神社、三韓征伐での先勝を記念し創建された、1800年の歴史を誇る神社です。実際には西暦換算でいつごろ創建されたかは諸説あるようですが、氏子衆の広がりから少なくとも伏見稲荷大社が現在位置に出来ましたよりは前から歴史が続いている。

 三韓征伐、これから多様性の時代となりますと、考えると世界では多くの会戦が、それはアウステリッツやワーテルローの様な近現代は勿論、カンネーとかルビコンとかいろいろな場所があるのですけれども、そうしたところ、神社に当たる石碑はあるのか。

 多様性の時代、そうした過去はどのように清算といいますか内部化しているのか。何しろ大阪の放出のように、地名に歴史が残っているところもありますが、放出の地名の意味を例えば韓国の友人に問われた場合、どう答えればいいのか、答えが定まらない。

 グローバリゼーションに関する論文試験が大学入試で出たのが21世紀初めごろ、高校生の頃からEHカーとかハーマンとかサミュエルハンティントンとかを読み漁っていたので理解はしていたのですが、あのころからEUは欧州の壁、と呼ばれていた。

 社会に出ればこういう問題の収斂のやり方は機構に備わっているだろうと思っていたが大違いで、結果的に実生活に見ない事とすることで解決の糸口を議論する機会が永遠に喪失し、これが選挙の機会などで保守政党支持などの面で表面化しているのかなあ。

 外交フォーラムという、もう民主党政権時代の事業仕分けに引っかかって廃刊になってしまった雑誌に、田中俊郎の論文だったか、欧州の壁、つまりEU域内の通行は自由だけれども中東アフリカや東欧地域、当時はEU加盟交渉中、入域の難しさが指摘され。

 極右の台頭といいますか、移民反対主義、移民排斥主義という論調は2002年頃までのEUでは、そもそも入らせることが無いということで、大きな摩擦になっていなかったように記憶します、マリールペンの国民戦線はこの頃勢力を伸ばしていたようですが。

 移民反対主義が日本に定着しないのは、そもそも移民が少ないことと共に、中華街というものは昔は京都にも、今は神戸の元町と横浜の、あれも元町なのか、残っている訳ですが、あれを見て思い出すのは移民排斥よりも美味しい中華料理の安さに感謝が先で。

 欧州の壁と言われていた時代をそのまま維持していたならば、此処まで極右の潮流は生まれなかったのかもしれませんし、そもそもボートピープル、欧州の浜辺に乗り付ければ欧州の社会保障にあずかれる、という状況もなかったのではないかとさえ。

 ボートピープルといえば日本の場合はヴェトナム戦争後の南ヴェトナムからの避難民が思い浮かべまして、そういった方々のコミュニティもあり、お店をやっている方は美味しい料理をお手頃に提供してくれるとかそういう認識はありますが、そう摩擦までは。

 ブルーノゴルニッシュ氏が国民戦線といいますか国民連合次席ですが、この方が極右思想に目覚めたのは京都大学に法学部助手として留学当時、京都の街並みを見て自国文化を維持できている国に感激し、日本人女性と結婚しつつ国民戦線を結成したといいます。

 欧州の現状を見ていますと、ああはなりたくないなあ、という素朴な印象とともに、しかし間口を広げた以上、その間口をいまさら何十年も経て下げるという事による摩擦の方が大きいのではないのか、過去は変えられませんからねえ、と思ったりするのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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