■高雄の神護寺
この絶景この昂揚感はまさに一年に幾度かある季節の風物詩の一つとして欠かさず散策へいざなうもの。
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京都の紅葉は、高雄から始まる。こういう言葉があるのですが、ことしはこうようのはじまりがおそかった、ほんとうに。奥座敷、というにはもう少し手前があるかもしれませんこの高雄は、右京区梅ヶ畑高雄町、有名な神護寺の静謐な聖地が広がっています。
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高雄のバス停、丁度、やはりここも紅葉の名所というべきなのでしょうが御室御所の仁和寺の目を前を通過しまして、ざっと30分ほどバスに揺られていますと、そろそろ山奥という言葉があてはまるそんな風景の変容を愉しんだ先に、高雄のバス停があるのだ。
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清滝川、そう高雄といえば日本有数の聖地、和気清麻呂がひらき、かの空海が日本に密教の布教の地として定めた文字通りの聖地ですので、先ずバス停からじかに行く事は出来ず、清滝川の谷間へ階段を長く長く降りてゆくのですが、そこが椛の隧道となっていて。
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愛宕山系の高雄、清滝川も清水をそれほど大きな流れではないのですが、その分透き通った清冽な流れを陽光に反射させて静かに流れていまして、しかしそのながれは水墨画のような風情ではなく、紅葉、というものが原色の天然色という鮮やかさを印象に放つ。
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神護寺はその清滝川からもう一度、高みに臨んだ石階段の先に在ります。その高みですが、石階段は思いの外遠く、もっとも鞍馬のケーブルカーを使わない参道ほどではないし、伏見稲荷大社の一ヶ峰までの階段ほどではないのだけれども、やはり急に感じる。
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茶店が幾つも、実際に暖簾を掲げていて暖かそうな湯気たつ饂飩や善哉、いや焼き鳥まで出していて、いいのかなここはもう山内と思うところの隣を石段が続いていますから、やはりここは、登山ではないものの寺社仏閣拝観には石段が遠く感じるのです。
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和気清麻呂、この神護寺は天長元年こと824年に和気清麻呂が開いた寺院であり、ことしは開山1200年となります、この和気清麻呂というひとは、奈良時代の生まれ、日本の分岐点において皇統を守護したということで歴史上の立ち位置が高く評価されていまして。
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護王大明神という、本人がきいたらどう思うかという和気清麻呂は宇佐八幡宮神託事件、日本産悪人と言われる僧侶道鏡による、皇統乗っ取り未遂事件があり、これは宇佐八幡宮に道鏡を天皇にするよう神託があったという、要するにウソついたという事が。
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平将門、足利尊氏、道鏡、日本産大悪人と言われているのですがどのかたもひとかどの人物と哲学をお持ちの方ですので道鏡を再評価する声もあるのですけれど、和気清麻呂は実際に九州の宇佐八幡宮まで赴き、そんな神託は無かったと確認したのですね。
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護王神社という、御所西側の神社がありまして、ここに何故か重巡高雄の巨大な絵馬、いや絵馬の由来を考えると絵艦というべきか、掲げられているのですが、その護王神社に祀られているのが和気清麻呂で、明治時代にこの神護寺から遷座した歴史があります。
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金堂への階段、実際のところこの神護寺はそうした歴史も中々緩解深いところがあり、此処を起点に日本の、ニッポン、という曖昧模糊としていながら説明しにくいが確たる形作られたものがあるという事を理解するうえで重要なものが形成されたその場ですが。
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石階段、金堂への石階段はにほんの原風景の一つではないかと思います、こういいますのも、ここは時代劇の有名な舞台となっているところでして、おそらく時代劇、大衆時代劇から歴史映画まで、それなりにこの階段は出てくることに気づかされるでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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この絶景この昂揚感はまさに一年に幾度かある季節の風物詩の一つとして欠かさず散策へいざなうもの。
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京都の紅葉は、高雄から始まる。こういう言葉があるのですが、ことしはこうようのはじまりがおそかった、ほんとうに。奥座敷、というにはもう少し手前があるかもしれませんこの高雄は、右京区梅ヶ畑高雄町、有名な神護寺の静謐な聖地が広がっています。
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高雄のバス停、丁度、やはりここも紅葉の名所というべきなのでしょうが御室御所の仁和寺の目を前を通過しまして、ざっと30分ほどバスに揺られていますと、そろそろ山奥という言葉があてはまるそんな風景の変容を愉しんだ先に、高雄のバス停があるのだ。
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清滝川、そう高雄といえば日本有数の聖地、和気清麻呂がひらき、かの空海が日本に密教の布教の地として定めた文字通りの聖地ですので、先ずバス停からじかに行く事は出来ず、清滝川の谷間へ階段を長く長く降りてゆくのですが、そこが椛の隧道となっていて。
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愛宕山系の高雄、清滝川も清水をそれほど大きな流れではないのですが、その分透き通った清冽な流れを陽光に反射させて静かに流れていまして、しかしそのながれは水墨画のような風情ではなく、紅葉、というものが原色の天然色という鮮やかさを印象に放つ。
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神護寺はその清滝川からもう一度、高みに臨んだ石階段の先に在ります。その高みですが、石階段は思いの外遠く、もっとも鞍馬のケーブルカーを使わない参道ほどではないし、伏見稲荷大社の一ヶ峰までの階段ほどではないのだけれども、やはり急に感じる。
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茶店が幾つも、実際に暖簾を掲げていて暖かそうな湯気たつ饂飩や善哉、いや焼き鳥まで出していて、いいのかなここはもう山内と思うところの隣を石段が続いていますから、やはりここは、登山ではないものの寺社仏閣拝観には石段が遠く感じるのです。
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和気清麻呂、この神護寺は天長元年こと824年に和気清麻呂が開いた寺院であり、ことしは開山1200年となります、この和気清麻呂というひとは、奈良時代の生まれ、日本の分岐点において皇統を守護したということで歴史上の立ち位置が高く評価されていまして。
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護王大明神という、本人がきいたらどう思うかという和気清麻呂は宇佐八幡宮神託事件、日本産悪人と言われる僧侶道鏡による、皇統乗っ取り未遂事件があり、これは宇佐八幡宮に道鏡を天皇にするよう神託があったという、要するにウソついたという事が。
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平将門、足利尊氏、道鏡、日本産大悪人と言われているのですがどのかたもひとかどの人物と哲学をお持ちの方ですので道鏡を再評価する声もあるのですけれど、和気清麻呂は実際に九州の宇佐八幡宮まで赴き、そんな神託は無かったと確認したのですね。
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護王神社という、御所西側の神社がありまして、ここに何故か重巡高雄の巨大な絵馬、いや絵馬の由来を考えると絵艦というべきか、掲げられているのですが、その護王神社に祀られているのが和気清麻呂で、明治時代にこの神護寺から遷座した歴史があります。
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金堂への階段、実際のところこの神護寺はそうした歴史も中々緩解深いところがあり、此処を起点に日本の、ニッポン、という曖昧模糊としていながら説明しにくいが確たる形作られたものがあるという事を理解するうえで重要なものが形成されたその場ですが。
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石階段、金堂への石階段はにほんの原風景の一つではないかと思います、こういいますのも、ここは時代劇の有名な舞台となっているところでして、おそらく時代劇、大衆時代劇から歴史映画まで、それなりにこの階段は出てくることに気づかされるでしょう。
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