北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

中国海軍廃棄空母ワリャーグの再生

2006-03-12 10:46:15 | 防衛・安全保障

 昨今、一般紙において中国海軍がロシア製正規空母“ワリャーグ”の改修工事を進めていることを報じている。中国海軍は鄧小平時代から海洋戦略の遂行に当たって航空母艦の保有を目指して進んでおり、1997年の台湾総統選挙に際しての示威行動を米海軍空母機動部隊派遣に封じ込められる形となり一気に必要性が進んだ感がある。

 中国海軍が水上戦闘艦艇に航空機(回転翼)を配備したのは1987年に旅大級駆逐艦(満載排水量3670㌧)に格納庫とヘリコプターを配備したのが始まりであるが、僅か二十年ほどで、1997年にはコンテナ船を改造した航空練習艦世昌(満載排水量10000㌧)を建造し、また1990年代以降の水上戦闘艦の多くはヘリコプターの運用を前提に設計されており、艦隊補給艦の整備とも相俟って急速に外洋艦隊への脱皮を図っているようにみられている。

 アジアにおいて最初の空母保有国となったのは太平洋戦争において連合国海軍との海戦を繰り広げた日本(正規空母17隻、補助空母12隻)で、次いで戦後空母保有国となったインド、そして1997年に軽空母を導入したタイであるから、中国海軍はアジア第四の空母保有国を目指している事となる。

 ワリャーグとは、ソ連海軍が最後に建造したTBILISI級(現ADMIRAL KUZNETSOV)の二番艦で、満載排水量58500㌧、全長304㍍、乗員1700名の正規空母である。ただし、ロシアから引渡しの際に主機や兵装を撤去しており、この点は再生後の艦容と比較すれば相違がある可能性が高い。

 搭載機は固定翼機20機、ヘリコプター15機でSU-33制空戦闘機が配備され運用されるものと見られる。船体に比して搭載機数が限定されているのは飛行甲板前部に対艦ミサイルの垂直発射機(VLS)が内蔵されている為格納庫長が限定されている事由であり、一番艦の状況を見る限り格納庫の横幅も限定されている。米海軍を見る限り航空母艦は40%を艦内格納庫に、60%を甲板に配置する為飛行甲板に係留しなければ上記の35機が妥当となろうが、仮にVLSを撤去すれば42機に搭載機数が増加するといわれている。

 一方で、最大限に詰め込めばソ連時代の数値を見れば固定翼機33機、回転翼機12機を搭載できたとのデータもあり、上記の合計35機というのはソ連崩壊後の経済的困窮からの飛行隊定数縮減の産物と見ることも出来る。

 米国防総省が毎年発表している“THE MILITARY POWER OF THE PEOPLE'S REPUBLIC OF CHINA 2005”(PDF文書にてWeb入手可能)には、『他国からの直接的な脅威が無いにもかかわらず着実に戦力投射能力を増強している』と警戒感を顕にしている。一方で、中国が本質的に環太平洋地域における不安定要素となるかは『外交の打開方策を迅速化させる手段として軍事力を用いる可能性がある』としながらも“脅威”という語句は用いておらず、その分水嶺にあるという慎重な姿勢を示している。

 なお、この文書に示された海上戦力は水上戦闘艦64隻、潜水艦55隻、揚陸艦艇40以上、ミサイル艇50隻程度とされている。加えて、昨年、大型のフューズドアレイレーダーを搭載した国産ミサイル駆逐艦“蘭州”を完成させており、新型艦も造船所において船渠に建造が進むようである。1990年代後半から欧州やロシアからの技術導入が進んだ結果、対空能力については日本製のDDと同規模の能力を有するのでは?との分析がある。これに関しては中国製の火器管制装置(FCS)がどの程度のものであるかについて、確たる情報が無い為、本章での判断は避けたい。

 中国海軍の空母に対する日本の対応としては有事にあっては、対潜戦闘能力に遅れがある中国海軍に対して潜水艦を用いる戦闘により充分対応可能であることから取り立てて騒ぐ必要はない。一方、平時における脅威論に際しては、沖縄県の航空自衛隊第83航空隊へのF-15J要撃機配備により対応する見込みのようだが、更に可能であれば下地島への航空隊配置、また太平洋正面からの脅威に対応する目的で小笠原諸島若しくは岩国基地乃至四国島への航空隊(一個飛行隊を基幹とする部隊)新設、小牧若しくは浜松への要撃機派遣を含め、平時のポテンシャル均衡維持への政策が必要となるのではなかろうか。

 これに関連する情報として、平成十六年度に予算が認可され平成二十年度に完成が見込まれる13500㌧型ヘリコプター護衛艦に関する情報を挙げたい。満載排水量17000㌧に達すると見られるこの艦は、中国の航空母艦保有論とは別に、海上自衛隊は創設以来航空母艦の保有を切望していた訳だが、対潜空母や大型ヘリコプター巡洋艦というような構想があったものの、その都度石油危機やロッキード事件という政争と重なり不幸にして日の目を見ず今日に至ってきた。しかしながら、1973年に竣工した護衛艦はるな(DDH-141)の耐用年数限界が迫っている事から、後継艦として能力を大幅に強化したヘリコプター護衛艦が建造される事となったわけである。公表された想像図からは格納庫にはCH-53D(MCH-101?)大型ヘリコプターが四機、整備区画にも最大で二機が収容可能で、艦上係留を含め護衛隊群が用いる8機のヘリコプターを一隻で担うに充分な能力を有している。

 おおすみ型輸送艦と同じく全通飛行甲板を採用しており、艦橋構造物には国産FCSであるFCS-3が搭載される見込みで、発展型シースパロー(ESSM)64基をVLS方式で搭載することから高い個艦防空能力を有し、データリンクにより隊群隷下の艦艇を効率的に指揮出来るものと見られている。なお、現在、アメリカでは垂直離着陸攻撃機ハリアーⅡの後継として国際共同開発でF-35統合戦闘攻撃機が開発されているが、同機が将来的に海上自衛隊に配備されるかは未知数である。

 結論として、海上自衛隊も事実上の航空母艦というべきDDH(DDがつく以上ヘリ搭載駆逐艦であるが、ロシア海軍のアドミラルクズネツォフも名義上は重航空機搭載巡洋艦である)が配備され、将来的には、しらね型DDHの後継とあわせ、こうした艦艇が四隻配備される事となろう。これにより均衡は暫く保たれると考えるべきだ。

 しかし、一点気になるのは、2004年3月5日、ロシア海軍総司令官のクロエドフ大将がセヴェロモルスク基地において新型空母の建造を明らかにしたもので、2010年までに設計計画をまとめ2016年に北海艦隊、太平洋艦隊へ二隻の新造空母を引き渡すとしている事である。この情報の試金石となるのは2007年にロシア海軍に引き渡されるとされる新型艦載機の存在で、この空母建造の可能性を探る指針の行方は間もなく判明するのではないだろうか。

 2016年といえば、しらね型DDHの後継艦建造が終わる頃であり、中国海軍、海上自衛隊、ロシア海軍とアメリカ海軍を含め極東地域は海上戦力の集中地域となる可能性があることを為政者や研究者は心に留めておくべきであると此処に述べておきたい。

 北大路機関

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海上保安庁練習巡視船みうら 名古屋港寄港

2006-03-11 11:31:26 | 写真

Img_7667  海上保安庁の練習巡視船“みうら”が去る2月23日、名古屋港に寄港した。

 同船は1998年10月28日に竣工した災害対応型巡視船で、同区分の巡視船としては海上保安庁では二代目にあたる。なお、平時には練習巡視船として舞鶴を拠点に任務に当たっている。

 船内には災害対策本部用スペースや通信設備を有し、充実した医療設備により暫定的な病院船としても機能する。

 総トン数は3167㌧、全長115.2㍍、喫水7.3㍍。主機はディーゼル二基で出力8000hp。速力は18ノットでヘリコプター発着支援施設を有しており、武装として20㍉多銃身機銃を搭載している。

HARUNA

 (画像・文章の著作権は全て北大路機関にあり、無断使用は厳に禁止させていただきます)

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北大路機関とリンクを希望される方へ

2006-03-08 11:13:20 | 北大路機関 広報

00110029  リンク用のバナーを作成しました。コピーしてご利用下さい。

 リンク時には一声おかけいただけると幸いです。

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平成十七年度 春日井駐屯地祭 短報

2006-03-08 10:10:06 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

 三月五日、今年度最後の駐屯地祭として陸上自衛隊春日井駐屯地開庁39周年記念行事が行われた。

Img_8445  春日井駐屯地には、第十師団隷下の第十後方支援連隊、第十偵察隊、第十施設大隊が駐屯している。

 第十師団は二年前の師団改編の際に、豊川駐屯地に第45普通科連隊を新設し甲師団化、同時に戦車大隊(今津)や特科連隊(豊川)を増強したが、同時に春日井の第十対戦車隊を廃隊し、各普通科連隊に対戦車中隊を新設した。これにより師団の対戦車ミサイルは一挙に16基から48基へと増強されている。対戦車隊の廃隊に際して、駐屯地には守山から第十後方支援連隊が移駐しており、いわば春日井駐屯地は師団の後方支援に関する一大拠点としての位置づけを有している。

Img_8546 式典は部隊整列、指揮官訓示、部隊巡閲、観閲行進、訓練展示、装備品展示という順で実施された。

 春日井駐屯地祭は、駐屯地祭に多く足を運ぶ人でも普段目にする事が少ない後方支援車輌が多く配備されており、春日井ならではの車輌行進や訓練展示が行われ、特に訓練展示は偵察隊と衛生隊の協同対処という新機軸の模擬戦闘を展示していた。

 昨年度の春日井駐屯地祭はイラク復興人道支援任務派遣訓練の関係で守山の第35普通科連隊に臨時配備されていた96式装輪装甲車が参加するなどの特筆すべき点も多く、今年度も遠方(自動車のナンバーをみると兵庫県や大分県のものがあった)からの来客も多かったようである。

 式典に加え、施設科の装備や後方支援車輌に関する解説も盛り込んだ詳報は後日お送りする予定である。お楽しみに。

 HARUNA

 (画像・文章の著作権は全て北大路機関にあり、無断使用は厳に禁止させていただきます)

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小牧基地第五術科学校 T-1Bラストフライト

2006-03-07 18:18:52 | 防衛・安全保障

 去る3月3日、航空自衛隊小牧基地の第五術科学校において運用されていたT-1B練習機がラストフライトを行った。

Img_8012 小牧基地の第五術科学校は、航空管制に関する教育を行う部隊で、教育関連の任務に当たるためT-1B四機が配備、運用されていた。当初の予定では3月1日にラストフライトを実施する予定であったのが、天候の関係で3日に延期となったようだ。

 中日新聞の報道によれば離陸した四機の機体は、一機が地上展示の為に小牧基地に着陸し、残る三機は前述のセレモニーの参加の為、長躯、静岡県浜松基地に向かった。

 前日には岐阜基地の飛行開発実験団所属の機体が退役しており、第五術科学校からの退役を以て第一線部隊から全てのT-1Bが退役することとなった。

 なお、航空自衛隊の練習機体系は、T-1、T-2の過程を全てT-4練習機により統合され、より効率的な運用体系へと転換している。

 詳報は後日お送りする予定です。

HARUNA

(画像・文章の著作権は全て北大路機関にあり、無断転載は厳に禁止させていただきます)

Img_8056  T-1Bに関する予定としては、

北海道新

聞の報道を見る限り、今月9日に浜松基地において退役セレモニーが予定されており、これをもって航空自衛隊の発展と共に歩み続けた国産練習機T-1は1958年の初飛行以来半世紀近い歴史に幕を閉じることとなる。

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いよいよ引渡し アパッチロングボウ戦闘ヘリ

2006-03-07 14:24:09 | 北大路機関 広報

 伊勢新聞によれば、AH-64Dアパッチロングボウが明野駐屯地航空学校本校に3月16日配備となるようである。

 陸上自衛隊明野駐屯地は陸自航空教育の一大根拠地で、運用試験や野外整備機能の試験などが行われると見られる。来年度の明野駐屯地祭は10月29日(日)である為、その頃には飛行展示も考えられる。前日が豊川駐屯地祭であるが、展開を前向きに検討中である。

 HARUNA

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岐阜基地飛行開発実験団 T-1 T-2 ラストフライト

2006-03-02 16:05:21 | 防衛・安全保障

 岐阜基地の飛行開発実験団において、T-1初等練習機T-2高等練習機のラストフライトが実施された。
 築城基地、小牧基地に若干数が運用されているが、小牧基地の機体は明日、そして築城基地の機体も数日以内に退役となる。
Img_7925  T-1及びT-2を同時運用している基地は無い為、この二機種の飛行は事実上最後のものとなった。本日1330時のラストフライトには多くの航空ファンが岐阜基地周辺に自然発生的に集い、カメラの砲列をつくり国産名機との別れを惜しんでいた。

 岐阜基地航空祭においてこの二機は飛行する計画もあったようだが、本ブログにおいて既報の通り天候に恵まれ無かったのは悔やまれた。
 幸い、晴天に恵まれ、蒼穹の大空を背景に悠然と飛ぶ二機との別れは、日本戦後航空史の第一章に終章が加えられたという事で中々感慨深いものがあった。

 本来の目的は先日失敗したMCH-101掃海輸送ヘリコプターの撮影にあったが、偶然カメラの群れている所に赴くと、本日のラストフライトを知った次第で、幸運というべきであろうか。(詳報は後日お送りします)

 

HARUNA

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自衛隊記念日 海上自衛隊横須賀基地

2006-03-01 10:01:34 | 海上自衛隊 催事

 海上自衛隊は、横須賀・佐世保・舞鶴・呉・大湊を艦艇の母港として日本の防衛に当たっている。

 こうした中で2005年11月1日の自衛隊記念日に横須賀基地周辺を散策する機会があったため、その様子を写真にてお知らせしたい。

Img_4214 

 まず、横須賀基地について。

 横須賀は明治17年に大日本帝國海軍の横須賀鎮守府が設置され軍都となったが、以前は江戸時代、内浦の漁村を中心に造船業が発展していた。これは1864年に江戸幕府勘定奉行の小栗上野介が長浦湾に海軍操練所の建設を始め、フランス海軍造船技師ウェルニーによって造船施設が建設された。明治9年、日本政府はこれを正式に取得し、日本海軍の施設として運用を始めた。

 造船所の運営と共に工員が横須賀に移り住み、同時に商店や旅館業が発達、明治9年に横須賀村は横須賀町となった。

  横須賀鎮守府は横浜の東海鎮守府が横須賀に移転した事がその起源で、造船所も海軍の管轄となった。これを契機に海軍軍人家族が横須賀に移り住み、明治22年新町村制施行に伴い逸見村と合併し横須賀町となった。同時に長浦湾の海軍基地化が進められた。

Img_4178  

 一方で箱崎半島の付根部分に水路が建設され、半島は島として独立、今日の吾妻島が誕生した。なお蛇足ながら、横須賀に移転する前の横浜東海鎮守府は横浜駅から徒歩五分の好立地にあり、加えて海軍省も新橋駅から徒歩三分の立地にあったことで、最初の鎮守府が横浜に置かれたことにも納得がいこう。

 横須賀軍港は従来の造船に加え明治19年より艦艇への給水が行われるようになり、明治22年に艦艇の母港化が為されるようになった。日清戦争を境に海軍の重要性は高まり、同時に横須賀軍港も発展していった。

 明治39年に豊島町を合併し明治40年横須賀市が誕生、人口は六万人に達していた。

 第一次世界大戦の戦利品である燃料タンクを久里浜湾に設置したことで軍港としての機能は更に高まった。また、大正元年、海軍航空部隊の発足と共に追浜に航空機運用施設が完成した。

Img_4164 

 転機となったのは関東大震災で、市街地は壊滅的な被害を受け白浜の海軍機関学校は焼失し江田島に再建、全壊した海軍機関学校は舞鶴に移転された。なお、ワシントン海軍軍縮条約によって退役となった記念艦三笠も震災の影響によって前部が沈下した為陸上に乗り上げる形で避難させ、現行の展示位置に置かれるに至った。同時に、廃墟となった市街地を再区画整理し、分散していた海軍施設の集中を図った。

 太平洋戦争が始まる頃には横須賀は六ヶ所の船渠を有する海軍造船の一大拠点となっていた。しかしこの頃になると横須賀湾・長浦湾沿岸には余剰用地が払底してしまい、田浦や館山、楠ケ浦などに分散していった。

 太平洋戦争中は防備隊が置かれるなど戦時体制に移行し、行政の簡素化のために浦賀町・逗子町・大楠町・長井町・北下浦村・武山村を横須賀市に編入させ大横須賀市が誕生した。

 横須賀は軍港であったが、それゆえ防備も厳重であり本土空襲の被害は東京や横浜といった都市部と比較し比較的少なかった。

Img_4234_1 

 敗戦後横須賀は平和産業都市への移行を目指したが、何分軍都でありサンフランシスコ平和条約に基づき在日米海軍司令部が移転、1954年の海上自衛隊発足を待って海上防衛の一大拠点となり、今日に至る。

 記念艦三笠、三笠公園から東京湾に延びる半島は今日、米軍基地として管理されており幅1km、縦2kmの広大な敷地を運用している。一方、JR横須賀駅の正面には第二潜水隊群司令部の施設があり、写真では海上自衛隊の潜水艦五隻が係留されている。写真は“おやしお”型潜水艦が機関が試運転をしており、その後方に見えるのは吾妻島である。島は東側が米軍用地、西側が海上自衛隊横須賀水雷整備所となっている。

Img_4244  写真は横須賀本港のバース5に係留されているアメリカ第七艦隊旗艦ブルーリッジで、陸海空三次元で展開される揚陸作戦を一括して指揮する目的で1970年11月に就役した。乗員786名と指揮要員673名、加えて揚陸部隊700名を輸送する。なお、満載排水量は19648㌧にも達する。

 なお、同時多発テロ以降米軍艦艇の警戒は極度に達し、写真からは確認できないが名古屋港にブルーリッジが入港した際には12.7㍉機銃やM-24狙撃銃、M-14小銃に実弾を装填した警備要員が24時間体制で配置されている。

 Img_4246 

 1983年から27隻が建造されたタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の一隻(艦名不明 CG-63カウペンスか?)で、画期的な洋上防空システムイージスシステムを搭載する米海軍の主力艦。しかし、本級はスプルーアンス級駆逐艦の上にイージスシステムを搭載した設計であり、初期の艦艇はトップヘビーが議会で問題となった。この初期の艦艇は退役が始まり、現在現役にあるのは23隻である。満載排水量は9957㌧である。

 手前に係留されている二隻の潜水艦は手前の潜水艦が『ゆうしお』型、桟橋側が『はるしお』型である。艦橋後方のバルジの有無が相違点であるが二隻を対比する理想的な写真といえる。

 『ゆうしお』型は水中排水量2900㌧、1980年から10隻が建造された。現在、二隻が現役、一隻が練習潜水艦として運用されている。『うずしお』型潜水艦の改良型であるが、同級が機関部のギア、そして推進用軸に問題があり騒音に悩まされていたが『ゆうしお』型では解決されている。なお、五番艦以降はハープーンSSMを運用可能な型である。

 『はるしお』型は水中排水量3200㌧、ティアドロップ(涙滴)型潜水艦の頂点で、七隻が建造されている。内一隻はAIP潜水艦試験に運用されており六隻が運用されている。

 双方とも機関出力は7200馬力、速力は20ノットである。

Img_4260  横須賀地方隊司令部施設と吉倉桟橋に接舷する護衛艦群。JR横須賀駅から撮影したものだが、撮影場所は約800㍍に渡って遊歩道が整備されており、市民の憩いの場となっている。吉倉桟橋はЦの形状となっており、多数の護衛艦や補給艦が接舷している。

 写真では監視楼のようなものは見当たらないが、鉄条網が敷設され一応の警戒態勢を敷いていたが、恐らく監視カメラや各種光学機器によりテロを警戒していると思われる。なお、米海軍は横須賀基地に対テロ中隊を配置しており、厳重な警戒網を敷いている。

Img_4275_1  横須賀駅に隣接する衣笠山には遊歩道があり、十五分ほど登ると横須賀基地一望できる絶景に辿り着く。

 吉倉桟橋には七隻の艦艇が係留されており、若干判り難いが右側から“DD-101むらさめ”“DD-102はるさめ”“AOE-423ときわ”“DDG-171はたかぜ”“DDH-143しらね”“DD-111おおなみ”“DD-110たかなみ”を見る事が出来る。この中で最小の艦は満載排水量5900㌧の“はたかぜ”であるが、この写真にある艦艇だけでも中堅海軍国一国の総兵力に匹敵する規模であり、水上戦闘艦勢力で世界第二位の規模を誇る海上自衛隊の艨艟の威容を改めて感じる事が出来る一枚である。

Img_4276  満艦飾を掲げているのは自衛隊記念日の祝賀の意味からであるが、艦艇を一つづつ説明してゆきたい。

 写真奥の二隻は『たかなみ』型護衛艦で、満載排水量6300㌧、双方とも2003年に就役した最新鋭艦で第一護衛隊群第五護衛隊を構成する。後述する『むらさめ』型の拡大改良型でヘリコプターを必要に応じて二機まで搭載できる点、火砲をOTO社製5インチ砲へ改良した事、ミサイルを艦橋前のMk-41VLSに統合したことが主な改良点である。

 隣の『しらね』は『しらね』型護衛艦のネームシップで第一護衛隊群の旗艦を務める。満載排水量は7200㌧で背負い式の5インチ砲が特色である。またヘリコプター護衛艦であり、三機のヘリコプターを搭載し、ASW(対潜戦闘)に大きな威力を発揮する。海上自衛隊初のデジタルコンピュータ統括のシステム艦であり1980年に就役した。本型が搭載する5インチ砲はアメリカFMC社製であるが、重量は小柄ながらも58.6㌧でOTO社製の37.5㌧よりも重くなっているが射程では勝っている。発射速度は二門で毎分34~68、射程は22kmとなっており、ミサイルの途上期に際しては経空脅威に対して大きな威力が期待できた。

Img_4257  写真は『むらさめ』『はるさめ』で、九隻が建造された『むらさめ』型のネームシップである。『むらさめ』型は『はつゆき』型『あさぎり』型と続いた護衛艦隊主力DDの一つで、満載排水量は6200㌧に達している。前述した『たかなみ』型は本型を改良したものであるが、12隻が建造された『はつゆき』型の対潜・対艦・対空の各種ミサイルを有し、哨戒ヘリコプター格納庫及びガスタービン推進方式という基盤設計に対して、8隻が建造された『あさぎり』型では航洋性とヘリ格納庫面積の向上、9隻が建造された『むらさめ』型では航洋性の一層の向上とステルス性の向上、5隻が建造されている『たかなみ』型では火力の向上が盛り込まれており、更に平成20年度以降は画期的なステルス護衛艦の新造が始まる見込みである。

 蛇足ながら、『むらさめ』型はジェーン海軍年鑑などにおいて“ミニイージス”と呼称されている。これは国産の火器官制装置FCS-2が限定的な多目標同時迎撃能力を有する為で、対空ミサイルをMk48VLSから運用しているが、同機がRIM-7シースパロー(射程14km)運用専用であるのに対して、『たかなみ』はMk-41VLSから運用している。これは発展型シースパロー(通称ESSM 射程30km)を運用可能で、VLS1基に4発を搭載可能であるから『たかなみ』型は最大で64発のESSMを搭載可能であり、『むらさめ』型も順次Mk41への換装を進めている。これにより、対空迎撃能力に関して、DDG並の能力を有する事となろう。

 付け加えればFCS-2は亜音速目標を対象に開発が進められたため、ヤホントやサンバーンといった超音速対艦ミサイルへの対処能力に不安があり、RAM近接個艦防禦ミサイル等の追加配備、若しくはCIWSとの換装が望ましい。

Img_4285  此処の位置からは判別は非常に困難であるが、中央の垂直で広い面積を有する艦橋は『とわだ』型補給艦と思われ、横須賀を母港とする『ときわ』と思われる。1987年から三隻が建造された艦隊補給艦で満載排水量は12100㌧(ときわ以降12150㌧)と比較的中型の下に位置する補給艦である。本型と『さがみ』(退役)によって護衛艦隊隷下の四個護衛隊群は各一隻の補給艦から支援を受ける事が出来、その作戦能力は大きく向上し、加えて本型は2001年11月19日以降継続している“インド洋対テロ海上支援任務”に対して海上補給の中核として参加している。

 また、舞鶴・佐世保基地には本型の拡大改良型である『ましゅう』型(満載排水量25000㌧)が2004年度から就役し配備されている。

 隣には、マスト上のレーダーの形状が三次元レーダーSPS-52であり、加えて前掲の写真などから後部甲板に5インチ砲が確認できる事から『はたかぜ』型の横須賀第一護衛隊群第61護衛隊に所属する『はたかぜ』であると推測される。満載排水量5900㌧の本型は、初のガスタービン推進方式ミサイル護衛艦として2隻が建造されたが、ミサイル護衛艦がイージス艦へと転換した過渡期の護衛艦である。写真では判別できないがミサイル護衛艦として初めて本格的なヘリ発着能力や、艦前部にスタンダードミサイル発射機を置く等の特性がありながら、ある種目立たない艦といわれている。前述の『むらさめ』型DDよりも満載排水量で小型であるが、SPS-52の探知能力はさすがDDGであり、DDを上回っている。この他、横須賀基地にはいわゆるイージス艦『きりしま』(満載排水量9500㌧)が配備されている。

Img_4277  写真は多用途支援艦『すおう』で、満載排水量は1400㌧である。自走水上標的母艦として又は標的機の発射などを介する訓練支援や輸送任務、救難を担当する『ひうち』型の二番艦で、同型は三隻が就役し二隻が建造中である。貨物搭載量は13㌧で、艦橋上部には消防用の放水銃を有しているが、建造中の二隻は特に潜水艦への訓練を重視した設計となる見込みである。運用は横須賀地方隊である。

 横須賀にはこの他、掃海隊群の掃海母艦『うらが』(満載排水量6850㌧)や掃海艦『やえやま』型(満載排水量1200㌧)3隻が配属されており、横須賀地方隊隷下の第21護衛隊が保有する『はつゆき』型護衛艦(満載排水量4000㌧)3隻、『すがしま』型掃海艇(満載排水量590㌧)3隻やその他多数の艦艇が配備されているが、この日は見る事が出来なかった。

Img_4291  最初に掲げた『おやしお』型を近傍のショッピングモールから撮影したものである。第二潜水隊群には7隻の潜水艦が配備されているが内5隻が在泊していた。

 本型は『うずしお』型『ゆうしお』型『はるしお』型と続いた涙滴型から葉巻型に移行した潜水艦で、水中排水量は3500㌧、8隻が建造され3隻が建造中である。白く太く排出されているのはディーゼルエンジンの排気で、その直前から細く出ているのはエンジンの冷却水である。出力は7700馬力、吸音タイルによる音響ステルス性の向上や側面ソーナーによる探知能力の向上が図られたが2009年には水中航行能力を大幅に向上させたAIP(Air Independent Propulsion)潜水艦の配備が開始される見込みである。

 これら写真は基地外から撮影したものであるが、かつての軍都を気さくに写真撮影できるということは、それだけ日本は平和であるという事の証であり、神奈川県を訪れた際は皆さんも一度横須賀を散策する事をお勧めしたい。

 今回より新カテゴリとして、“海上自衛隊催事”を設定した。自衛隊記念日の満艦飾以外にも今後参加するであろう観艦式、展示訓練、基地航空祭、体験航海、艦艇入港、艦内旅行なども掲載予定である。

HARUNA

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