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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

海上自衛隊新輸送ヘリコプター CH-101 飛行試験順調

2007-09-20 12:07:56 | 先端軍事テクノロジー

■EH-101マーリン海上自衛隊仕様

 九月七日の北大路機関記事()にCH-101飛行試験開始を報じたところ、違う反響が多く寄せられたのには驚いたが、本日はCH-101飛行試験の続報である。

Img_1706  CH-101は、南極観測に用いる砕氷艦“しらせ”の艦載輸送ヘリコプターS-61の後継機として試験が進んでいる機体で、砕氷艦と昭和基地など、観測施設の為の各種物資輸送、また、もともと救難機としても運用された機種であり、日本国内を初めとする災害派遣任務にも充てられる機体だ。

Img_1696_1  現行のS-61は、最初に調達された機体が老朽化の為用途廃止となり、原型が同じ哨戒ヘリコプターHSS-2Bから対潜器材を下ろし輸送仕様としたS-61を運用しているが、こちらも老朽化が進んでいる。こうして新しい輸送ヘリコプター、CH-101が納入に向けて、急ピッチで運用試験を行っている。

Img_1704_3  EH-101は、人員輸送の場合であれば陸海空自衛隊で輸送、掃海、救難と使用されたV-107よりも多くの人員が搭乗でき、更に同じエンジン三発機である岩国基地の掃海ヘリコプターMH-53Eと比較した場合、双発機を三発機とした野に対し、EH-101は最初から三発機として設計されており、整備性が高い。

Img_1712  また日本で運用する場合、原型が同じMCH-101の場合、川崎重工により直輸入からノックダウン生産、三号機以降ライセンス生産としており、有償軍事供与(直輸入)であるMH-53Eよりも良好な支援を付与させることができる。

Img_1725  機体の特色として、新鋭機であるので、操縦席がグラスコックピットであるのはもちろん、英ウエストランド社が開発した先端が特殊な形状の五枚ローターブレードを採用しており、通常形状よりも約三割揚力が上がっているほか、複合素材が多用されている。更に操縦系統には光ファイバーを用いたフライバイライト方式が用いられている。

Img_1729  こうした機体の新機軸の他にも、CH-101は、例えば流線型の胴体など、あきらかに高性能を予感させるものであり、MCH-101と併せ、更に用途が広がってゆくことを期待したい。なお、MCH-101は現在、岩国基地において運用試験中であるが、このCH-101の部隊配備先は、千葉県の館山基地である。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊第51航空隊 試験評価機UP-3C撮影

2007-09-19 12:22:48 | 海上自衛隊 催事

■青空を見上げて

 秋風に吹かれ、屋内よりも屋上の方が爽やかな季節となってきた。青空の下に作業机を出し、東京にて購入した資料関係を整理精読していると、頭上を航空機が通りかかることがある。

Img_1661 自衛隊機も、ここまで来るのか、と驚きつつシャッターを切る。かなりの高高度なのだが、トリミングしてみるとそれなりの写真になっているのが嬉しい。その中の幾つかを紹介。参考までにタイトルとメイン写真が海上自衛隊機なのでカテゴリの分類は海自関係だが、陸海空の機体も掲載している。

Img_1664  写真を整理していて気づいたのだが、このP-3C、何か違和感がある。一見普通のP-3Cで、MAD(磁気探知機)が機体から後ろに伸びているのだが、機種部分にピトー管が見える、そしてカラーリングも見慣れているものとは違う、これは若しかしたら、ということで世界の艦船増刊“海上自衛隊2006-2007”を捲ってみた。

Img_1651_2  最初に事務的な掲載。本ブログに対するアダルト系のトラックバックが激増しております。一日平均70程度のトラックバックを削除しておりますが、同時に旅行関係や教育問題を、全く関係ない記事にトラックバックさせたものもあり、こちらも残念ながら削除させていただいております。記事に無関係であっても、トラックバック反映をご希望される方は、コメント欄に一文お寄せ下さい。その上で判断いたします。

Img_1104_1  とまあ、そんなわけで写真解説。五山送り火の撮影をしていると謎の航空機三機編隊が。飛行隊形やエンジン音から航空機に非常に詳しいYAMATO氏曰く、C-130Hだろうとのこと。この写真のような感じだったのだろうか。言われてみれば民間旅客機は三機編隊を組むとは考えがたい。夜間飛行訓練だったのだろう。

Img_1127  これは普通のP-3C。海上自衛隊の航空哨戒任務を一手に担う航空機で、1981年より導入を開始。100機を調達し、80機が運用されている。捜索レーダーの換装や衛星通信装置、チャフ発射装置などを搭載し機体の近代化を進めている。

Img_1662  さて、冒頭の写真。世界の艦船や自衛隊装備年鑑などを調べて結論を述べると、厚木基地の第51航空隊に一機が装備されている試験評価機UP-3Cのようである。その任務は新装備の機上試験を行う航空機で、機首のピトー管はテスト用のものである。

Img_1663  P-3Cより対潜装備を取り外し計測装置、データ処理装置などに載せ換えたもので、機体の上部には弾道ミサイル追跡用赤外線センサーが搭載されている、筈。この角度からは判別できないのが申し訳ないが、非常に珍しい機体である。日本海で試験していたのだろうか。

Img_1113  哨戒ヘリコプターSH-60J。海上自衛隊の主力艦載機で、対潜哨戒やミサイル誘導、工作船対処などの任務を有している。現在部隊配備が進められている新型のUH-60Kには更に小型高速目標(ミサイル艇)への対処(攻撃)能力が加えられている。

Img_0225  多用途ヘリコプターUH-1J。この距離からは所属の判別は不能。定期飛行訓練か、若しくは饗庭野演習場でヘリボーン訓練を行ったのだろうか。この近辺では八尾や明野、方面航空隊や師団飛行隊において運用されている。基本設計は古いが、富士重工により各種の能力向上が行われている隠れた新鋭機だ。

Img_1153  こちらは観測ヘリコプターOH-6D。タマゴ型の機体が愛らしい。UH-1Jと同じくこの距離からは所属は不明。軽快な運動性能を誇るが、弾着観測や航空索敵を行うには観測装置の能力不足を指摘する声もあり、新型のOH-1へ置き換えが進められているが、OH-1は高価格であり、中々交代が進んでいないのが現状だ。

Img_1142_1  陸上自衛隊の輸送ヘリコプターCH-47J。機首が透明、この機首の形状からJA型ではなくJ型かと推測。陸上自衛隊の第一ヘリコプター団や一部の方面航空隊、そして第12旅団、航空学校などに配備されている他、航空自衛隊にもレーダーサイトへの輸送用に配備されている。

Img_1171  航空自衛隊の救難ヘリコプターUH-60J。夜間飛行や悪天候下での運用も地形追随レーダーや赤外線暗視装置、そして高出力のエンジン二基が可能としている。胴体の両側には増槽が装着されており、長距離の飛行も可能である。海上保安庁や消防の救難ヘリが展開できない状況でも、出動が可能である(その分極めて高価格ではあるが)。

Img_1653  C-1輸送機。今日的には小型で、航続距離についても色々いわれているが、非常に小回りの利く高度な戦術輸送機である。この後継機、部隊配備の際にはC-2になるのだろうか、C-X初飛行、という情報はまだないものの、期待の大型輸送機も間もなく初飛行するといわれている。C-X初飛行の際には是非とも展開して撮影したい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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JR西日本 大阪環状線・奈良線の201系&103系電車

2007-09-18 18:47:11 | コラム

■まだまだ現役!旧国鉄型車輌

 花ざかりの君たちへ、ドラマは本日最終回とか・・、当初は、芦屋瑞稀を桑島法子さんの声で、そのままアニメ化して欲しかったなあ、とおもっていたが堀北真希のドラマ版も見慣れるとコレはコレでアリかなあ、と思ってきたり。そんな私でも、名鉄から7000が、そして中央線から201が消えてしまうのは、中々慣れるものではない。

Img_6803_4  201系は首都圏を走る中央線快速用に1979年に導入された通勤電車で、1981年から大量導入が開始、1985年までの間に1000両以上が生産され、通勤電車の標準型となった車輌である。現在でもJR東日本、JR西日本において現役の車輌である。しかしながら、少しづつ特に首都圏の201系が新型車両に置き換えられつつある。

Img_8742  宇治川を渡る103系電車。1963年から運用が開始され、生産は各型を併せ1984年までに3400両以上が量産された。今日的な視点に立てば、103系は平均的な性能の車輌であるが、導入当時の国鉄車輌体系を一気に進めたともいえる車輌である。

Img_0241  221系。201系や103系の直接の後継ではないが、高性能車輌として新世代車輌の鏑矢を放った車輌。1989年、JR西日本が国鉄民営化とともに導入した車輌で、約300両が生産、旧式化する琵琶湖線・京都線・神戸線の通勤車輌を置き換えた車輌として知られる。写真は奈良線を走る“みやこじ快速”。

Img_8647_1  そして更に1994年からは、現行のJR西日本最新鋭車輌である223系電車の導入が開始された。ええと、1000番台か2000番台か、残念ながら写真の判別が出来ないので、詳しい方お教えいただけるとありがたいです・・・。姫路~長浜間の新快速として運用されており、最高営業速度は130km/hに登る。

Img_6674  223系電車0番台と発車してゆく201系電車。首都圏ほどでは無いが、こうした新型車輌の導入により、旧国鉄型車輌は、あまり目立たない存在になっているようにも感じる(ところで、この223系、行き先表示板をみると“団体”になっているが、フツーに乗れたので、珍しい行き先表示板の表示ミス?なのかな??)。

Img_6801_1  さて、首都圏の201系は、物凄い勢いで最新鋭のE233系電車導入により押されており、中央線特別快速としての運用も風前の灯といわれているが、大阪環状線ではまだかなりの数が現役である。大阪環状線をよく利用する友人曰く、珍しくないとか(ただ、近代化改修された体質改善車が大半であり、原型車は珍しいようだ)。

Img_6802  中央線特別快速とは異なり、高速長距離運用が為されていない点、そして窓の閉鎖化などにより、降雨による腐食が局限化されているという点、そしてATSの近代化などの必要な部分への予算配置などにより、もうしばらく201系は現役で走り続けるのだろうか。

Img_7118  同じく大阪環状線。103系。省エネを念頭に置き、高速運転ではなく、電動機を低出力運転で運行することを念頭に置いた設計であり、各駅停車用に適合した車輌なのだとか、したがって大阪環状線は、この103系に最適な路線の一つといえる。

Img_0254_1  八月九日、これを201と書き間違える大間違いを展開した北大路機関。・・・、名鉄の7000形と7500形を、いやいや6800形と3500形を間違えるようなもの・・・。ううむ、こういうときは誰も指摘してくれないんだものなぁ(涙)。・・・スマン。なんていうか、ネ、急いで記事かいちゃいけないよね!、これも毎日記事をUpしている為の弊害さ!(言い訳言い訳)。

Img_0256  この103系、改造車を除き続々と引退しているようだが、改造車は現役の車輌が多い。まあ、JR西日本には113系なんかもあるわけで、ロングシート車の321系()や、新型車輌なんかが大量配備されるまでは現役なのかな?(JRの通勤車輌、特に国鉄型やなんかはあまり詳しくないもので)。

Img_0259  旧国鉄型車輌は、いろいろ見ていると自衛隊の旧型装備並の時期に整備されたものが少なくない。これを一つ違う視点から見ると、高度経済成長期とオイルショック、日米摩擦に、小松左京もビックリの阪神大震災まで、色々な歴史と共に、通勤輸送という重責を担い続けてきた。いつかは廃車の運命にもあるのだろうが、走れる限り、鉄路を走ってほしい。

HARUNA

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名古屋鉄道 高速化のために置き換わる新旧特急と通勤車輌

2007-09-17 17:11:26 | コラム

■東海道本線との熱い競合区間

 名鉄本線は、東海道本線との競合区間であり、更に支線と名古屋との連絡という都市間高速鉄道としての大きな需要を有している。しかし、大都市を結ぶのではなく、名古屋を中心に、その衛星都市を結ぶという特性が、名鉄のある意味特殊な路線や車輌体系を培ってきた。そんな名鉄の最近の変化を報告したい。

Img_1215 名鉄2200形特急電車は、振り子式制御装置により名鉄線に多いカーブ部分での高速走行を可能とし、JRの新快速313系5000番台に対する切り札として岐阜と名古屋、豊橋を結ぶ本線特急や、中部国際空港への特急輸送に用いられている。この2200形は、二両が料金を必要とする特別車、そして四両が料金不要の一般車として運行されている。

Img_1276  七月のダイヤ改正以来、本線特急として用いられていた一部特別車のパノラマSuper(特別車の1000形と一般車の1200形を有する編成)が、新鵜沼への乗り入れを開始した。本来、名古屋本線において運行されていた編成で、例外的に通勤ラッシュ時など、犬山線を新鵜沼まで乗り入れていたが、現在は恒常的に乗り入れている模様だ。

Img_1291  7000形パノラマカー。犬山行き、金山方面から名鉄名古屋方面へ向かう。主に名鉄岐阜から犬山経由の各駅停車(途中から急行などに換わる)中部国際空港行きなどでも活躍する。いよいよ先が見えてきたともいわれるが、長距離用車輌としては転換式クロスシート、そして元が料金不要特急という、一種通勤車輌的な運用を想定しており、扉付近がロングシートという先見性ある設計で、いましばらくは現役に留まる。

Img_1287  激化するJRとの競争。写真右は6500形。ブルーリボン賞を受賞した6000形の改良型、回生ブレーキなどを採用しているが、JR東海道本線新快速に対抗するには、せめて加速性に優れたVVVFインバータ制御&電気指令式ブレーキを搭載する左の3500形、そのファミリーである3700形や3200形が望ましく、写真でも、6500形は豊明行き普通、3500形は御嵩行き快速急行として運行されている。

Img_1297  名鉄が新型車両による高速化の追求を行う中、名古屋市内も新造高層建築物による高層化の追求が進んでいる。写真は6500形電車と、高層ビル立ち並ぶ名駅。ツインタワーに続くミッドランドスクウェア、そして更にナゾの捻れビルなど、続々と高層化が進んでいる。広大な路線網を有する名鉄線、そして広い都市面積を誇る東海地方の要、名古屋市。都市も鉄道も、転換期にあるということなのだろうか。

HARUNA

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東海旅客鉄道 名鉄近鉄と競合の名古屋周辺を走る通勤車輌網

2007-09-16 00:26:07 | コラム

■JRvs私鉄

 国鉄時代は高速列車網を有する名鉄、近鉄が名古屋周辺の鉄道網を形成させていた。しかし、JRへ民営化された後、採算性を採るべく新ダイヤ、高速車輌の導入を介して、猛反撃を開始した。

Img_1296  JR東海新快速特別快速・快速網を支える313系。すぐ後ろには名鉄6500が見えている。名古屋、京阪神、首都圏と、スピード面、ダイヤ編成、サービスでJRは私鉄との戦いに火花を散らしている。そんな訳で、今回はJR東海の車輌特集を行いたい。

Img_1210_1  373系電車を元に通勤車輌としての必要な改修を加えた313系は、最高速度130km/h、主なものに分けると1000番台、2000番台、3000番台、5000番台がある。恐らく、新快速・特別快速に使用されているのは、この313系が唯一のものであろう。

Img_1295  0番台に続き、2006年8月には5000番台が導入され、5000番台は行き先表示板のLED方式、アーク放電方式のHIDライトなどが導入されており、従来の0番台の通常型行き先表示板やハロゲン式ライトと異なる。この点が見分けるポイントらしい。

Img_1234  セントラルライナーとは、名古屋~中津川駅を結ぶ快速(一部駅通過普通電車、という言い方も為されるようだ)で、全席指定、乗車には310円の乗車整理券が必要となる。車輌はセントラルライナー専用の313系8000番台で、最高速度は130km/h。

Img_1225  311系。現在は専ら普通電車として用いられているが、1989年から導入が始まり、名鉄名古屋本線の高速列車に対抗する為に投入された。クロスシート車で、従来型パンタグラフからシングルアーム式パンタグラフへの改修が行われており、当分は現役に留まる。

Img_1268  211系電車。国鉄が1985年に導入を開始した車輌で、JR東日本、JR東海、JR西日本(かなり形状は異なるが・・・)などで運用されている。写真は5000番台/6000番台。JR東海において運用されている形式。ロングシート方式を採用している。写真は中央線の高蔵寺行き。

Img_1280  117系電車。1981年に鉄道友の会のローレル賞を受賞した車輌で、阪急特急や京阪特急、名鉄特急に対抗する快速用車輌として1979年(名古屋方面には1982年から)に導入が開始されたクロスシート車。導入された全車が現役で、国鉄の血統はJR西日本とJR東海で健在である。

Img_1228  快速“みえ”。キハ75系気動車により運行されている。一部が指定車で、名古屋から四日市、津、伊勢市を経て鳥羽を結ぶ。伊勢鉄道線を経由する為の料金が別に必要である。鳥羽までの所要時間は約1時間50分。近鉄の急行特急網に対抗する列車で、この点、競争がサービスを向上させるという典型を見るように思う。

HARUNA

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高山線猪谷~角川駅間 04年台風23号豪雨被害から運転再開

2007-09-15 16:08:27 | コラム

■富山~名古屋 鉄路で再び

 2004年10月の台風23号上陸に伴う豪雨災害により軌道崩壊、橋梁破壊が発生、これにより長く不通であった高山線の不通区間、猪谷~角川駅間の27.5kmの復旧工事が完了し、9月8日から運転が再開となった。

Img_1200  これにより、これまでは名古屋~富山間を、特急“しらさぎ”にて、大きく迂回、米原と金沢を経由する必要があったが、特急“ひだ”により、名古屋から岐阜県を縦貫し、富山まで行くことができることとなった。こうして東海地方と北陸地方は、鉄路により強く結ばれたわけだ。なお、先日の記事では9日から復旧と記したが8日の誤りであった。

Img_1217  さて、信越本線の復旧特集記事に続き、高山線復旧記念記事を掲載することとした。できれば高山にも足を運びたいが諸事情により特急特集とした。今回は、“ワイドビューひだ”を初めとした名古屋を基点とするJR特急に関する記事を掲載したい。

Img_1182_1  特急“ひだ”ということで、岐阜県飛騨地方をイメージさせる合掌造がヘッドマークとなっている。この飛騨地方は豪雪地帯としても知られ、この合掌造とは豪雪対策の形状でもあるわけだが、鉄道の障害となる豪雪は、同時にスキー客の輸送という旅客需要も創出している。また、高山祭や合掌造の白川郷など、観光資源は比較的多い。

Img_1180_1  パンタグラフの無いすっきりとした車体。特急“ひだ”は、名古屋~高山間を結ぶ特急であり、一部が富山駅までの区間を延長運転している他、更に一部の列車は大阪駅を始発とし、大阪~高山間を結ぶ運転も為されている。実はJR高山線は非電化区間である為、この特急に用いられているのはディーゼル車である。

Img_1254  高山線復旧を印象付けるのは、この電光表示板。これまでは代行バスで繋がれていた区間も走り、富山まで結ぶことを誇示しているようだ。ただし、安価な高速バスとの競争は、この区間でも例外ではなく、長くの不通期間において離れた利用者を如何に取り戻すかが大きなテーマとなるのではないか。

Img_1262  特急に用いられるのはキハ85系。高山線の特急“ひだ”(写真右)、そして紀勢線の特急“南紀”(写真左)への運行を構想して導入された車輌。国鉄民営化の年である1989年に導入が始まり、JR東海の車輌として先頭をきってグッドデザイン賞を受賞している。

Img_1264  同じ編成であっても全車両が富山に行くのではなく、一部が高山で運転を終え、切り離して富山まで運行するという方式を用いる。この点、神戸線京都線琵琶湖線北陸本線を走る新快速敦賀行きの一部米原切り離しや、特急たんばまいづるの切り離しを彷彿させる。

Img_1201  このキハ85系は、通常の国産ディーゼルエンジンではなく米カミンズ社製ディーゼルエンジンを採用している点が特筆されるそうで、聞くところでは相当珍しいとのこと。鉄道車両用国産ディーゼルエンジンと比して加速性能などで優れているようだ。

Img_1190_1  冒頭には貫通扉を有する貫通車の写真を掲載したが、この写真は非貫通車。流線型のボディーが美しい。JR西日本の大阪や京都を始発とする特急は、スーパーくろしお号などを除き、前面展望が限られている為、新鮮だ(スーパーはくと、タンゴディスカバリー号は乗り入れ特急だし())。

Img_1244  特急“しなの”が名古屋駅に到着した。一部では“ワイドビューしなの”として親しまれる特急車輌で、こちらはディーゼルではなく電車。従って最高速度は区間によっては130km/hという俊足を誇る。T字型のシングルアーム式パンタグラフが近代性を強調している。

Img_1184_1  “しなの”には、1995年に導入された381系が用いられており、鉄道友の会からローレル賞を贈られるなど、流線型のデザインにはファンが多い。カーブの多い区間を走り抜ける為に、制御振り子式車体を採用、効率的な高速運行を可能としている。ただ、振り子制御を行える区間が限られている為、全区間を高速運行出来るのではないとの事。

Img_1248  先頭車はグリーン車であるが、座席以外にも前面展望という最高のサービスを受けることが出来る。鉄道の旅において車窓からの眺望は最高のサービスであるが、中でも前面展望は、その最高峰にあるものだ。383系は、運転台と客室を隔てるガラスが大きなものを採用することで、より良い眺望を提供しているわけだ。

Img_1247  名古屋駅から、金山駅、先日日本最高気温の街を記録した灼熱の街多治見、中津川を経て13連隊のいる松本を通り、長野へいたる。この路線を見ると判るように、ビジネス特急と同時に名古屋からのスキー観光に用いられる特急という印象がある。

Img_1266_1  写真は383系の貫通車。貫通車と非貫通車ではここまで印象が違うのかと驚かされる。連結時に必要であるのはわかるが、貫通扉があると眺望が失われてしまうのが残念だ。名古屋駅始発の特急なのだが、発車25分前に入線してきたため、じっくりと写真を撮影することが出来た。

Img_1251  特急“南紀”の名古屋到着。ディーゼルであることを示す軽快なエンジン音と共に到着だ。この“南紀”も、“ひだ”と同じキハ85系の車輌である。“ワイドビューひだ”と称されるように、“ワイドビュー南紀”と称される(“ワイドビューしなの”は単なる愛称で正式名称ではないとの事)。

Img_1255  特急“南紀”は、名古屋駅から桑名、四日市、津、松阪を経て熊野、紀伊勝浦にいたる特急である。近鉄線との競合区間は30km未満の自由席特急券がやや割安との事。文字通り長距離特急で、どうでもいいが京都からの特急“くろしお”と、この“南紀”を乗り継げば紀伊半島一周という快挙が可能である。

Img_1258  “南紀”のヘッドマーク。個人的な感想であるが、架線用の電柱の無い非電化区間というのは車窓からの写真を撮影するのに最適である。雄大な自然を前にしても撮影した写真に電柱が写っていると、かなり興ざめであるから(とはいうものの最近のようにデジカメを使うようになると、確認して駄目なら撮り直しということも可能だが)。

Img_1257  さてさて、高山線の全面復旧記念ということで、“ワイドビューひだ”特集に加えて、直接関係無いが、“しなの”や“南紀”の写真を掲載した。なんとなく単なる“ワイドビュー特集”になっているのは、この際スルーの方向でお願いします。

HARUNA

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台風9号接近状況下 鉄道網に大幅なダイヤの乱れ

2007-09-14 00:24:48 | コラム

■JR西日本のダイヤにも影響

 九月七日、マリアナ諸島から長躯日本列島に達した台風9号は、首都圏を直撃、豪雨により多摩川が氾濫し、雲を隔てる群馬県山間部にも豪雨被害が集中。北上した東北では酒匂川の増水で橋梁が破壊、また鉄道や航空路にも影響が出た。

Img_0524_1  台風接近の報道が番組の大半を占め、刻々と接近する暴風圏への生々しいニュース映像から、ふと目を離すと、京都の比叡山と大文字山にかけて、1810時から1825に、くっきりと虹が現れた。普段であれば、美しい虹も台風報道とともに見ていると妖しい美観はあたかも凶兆が如く不気味に思えてくる。

Img_0439  そんな中、所用にて移動、京都駅へ展開した。特急雷鳥号の入線。長大な路線網を有するJRであるから、遠方の運休や減速も残念ながら広く波及する。特にこの日は北陸方面へのアクセスが強風により悪化しており、20分30分の遅れは当たり前、という状況となっていた。

Img_0488_2  特急サンダーバード。通常は琵琶湖の西側を走る湖西線を経て京都に至るのだが、この日の湖西線は強風により京都と近江今津間の折り返し運転を行っていた為、サンダーバードも米原を経由し琵琶湖線を利用していた。湖西線は風の影響を受けやすく、米原経由琵琶湖線というのは案外多い。

Img_0491  しかし、更に深刻なのは新幹線利用者。東京~名古屋間が規定雨量を越えたとかで、新大阪~名古屋間で折り返し運転、85本が運休になったとのこと。更に夜行の“ムーンライトながら”も運休になったということで、日本列島を結ぶ鉄道網は東西に分断されたことになる。

Img_0468  特急“はるか”の到着。予定より遥かに遅れての到着となった。空港特急としての関西国際空港行きも相当遅れたのだろうか、ただ、空港に到着しても飛行機が飛ぶかは別問題であるし、到着便についても欠航になる可能性がある。心なしか乗客もいつもより少ないように感じた。

Img_0434_1  先ほど報道で知ったのだが、豪雨による土砂崩れにて道路が封鎖、231世帯502名が孤立状態にあった群馬県南牧村の道路網が漸く復旧したとの事である。爪痕は大きく全半壊家屋や行方不明者も出した台風9号、そして南方からは新しい台風が日本列島に接近しつつある。くれぐれもご用心を、自戒を込めて。

HARUNA

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信越本線柿崎~柏崎駅間 新潟中越沖地震被害から運転再開

2007-09-13 13:32:48 | コラム

■JR東日本信越本線復旧記念 日本海特集

 2007年7月16日1013時、新潟県沖を震源とするマグニチュード6.8の大型地震が発生。この新潟中越沖地震により、最大深度は6強。死者11名、負傷者1300名以上、建造物全壊は1082棟に及び、リケン柏崎工場の被災が自動車工業全般に影響、柏崎刈羽原発三号炉関連設備からの火災や北陸自動車道の柿崎付近にて道路損傷、国道8号線、352号線が土砂崩れにより不通となった。

Img_4945  新潟中越沖地震の影響を長く印象付けたのは、環日本海縦貫線と呼ばれる日本海側の鉄道網への被害である。これにより、JR西日本やJR東日本から運行される寝台特急や寝台急行が全面運休となり、主要駅の電光掲示板では、運行休止の表示が長く表示されたままであった。

Img_4948  これは、JR信越線の青海川駅付近での大規模な土砂崩れにより線路が埋まってしまい、更に地震による振動や液状化現象により軌道崩壊が生じていたため、柿崎駅と柏崎駅の間が運休となり、代行バスが運行されていたためである。何分、海に近い青海川駅のすぐ隣、山が地滑りに近い状態で崩れ、日本海に土砂が流れ込んだ為復旧工事は困難を極めたと容易に推測できる。

Img_4949  東日本旅客鉄道新潟支社()によれば、この信越線不通区間における復旧工事が終了し、本日の始発から運行が再開されたとのことである。復旧区間では安全の観点から通常よりも速度を落としての運行との事で、ダイヤの遅延が生じているとのことだが、路線復旧によりこれも順次平常運転にもどることだろう。

Img_4952  こうして、日本海側の鉄道輸送が再開したことで、関西、首都圏と北陸地方や東北地方、北海道を結ぶ寝台特急・寝台急行や特急“北越”“北陸”“能登”“日本海”“きたぐに”“トワイライトエクスプレス”の運行も再開される。

Img_4620_1  写真は、新潟中越沖地震の前に京都駅0番ホームへ到着した特急日本海を撮影したものである。7月に撮影したものを漸く本日掲載したのは、やはり運休期間中に掲載するのは不謹慎と考えた為である。しかし運行再開、特急日本海は晴れて文字通り、日本海を縦貫する夜の風となる。

Img_4626  特急日本海は、1968年10月、大阪~青森駅を結ぶ特急電車としてデビューし、1988年の青函トンネル開通から2006年までは一部が函館駅まで乗り入れていた。1号から4号までがあり、B寝台とA寝台シングルDXがある。A寝台シングルDXは個室で、洗面施設やテレビがあり、車輌に備え付けのシャワーを利用することもできる。残念ながら食堂車は廃止されたままだ。

Img_4630  大阪駅を発車、京都線を経て京都に、そして琵琶湖線をかすめ湖西線を通り福井、金沢と富山間を北陸線、直江津から信越線に入り長岡、新津から羽越線と奥羽線で秋田へ、そして津軽線を通り終点の青森駅へ至る。従って、運行するには信越線の地震被害からの復旧が不可欠であったわけだ。

Img_4634_1  京都駅を出発する寝台特急日本海。久しくこうした光景を見ることは出来なかったが、復旧により、この日本海を含め、多くの寝台特急が日本列島の鉄路をゆくことになろう(この他、台風被害により長らく不通でしたJR東海高山線の運行も、9月9日から再開されたとのことです)。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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180000アクセス突破特別企画 日本最新鋭イージス護衛艦“あたご”

2007-09-12 23:37:33 | 先端軍事テクノロジー

■舞鶴の最新艦

 OCNblogアクセス解析によれば、本日1500時頃、Weblog北大路機関はアクセス解析開始から180000アクセスを突破したとのことである。本日は、180000アクセス突破特別企画として、海上自衛隊の最新イージス艦の特集を行いたい。

Img_6254_1  護衛艦“あたご”は、海上自衛隊史上最大の護衛艦として2007年3月15日、三菱重工長崎造船所から海上自衛隊への引渡式が執り行われ、自衛艦旗を受領した。“あたご”は、佐世保基地での補給を受けた後、3月19日、第三護衛隊群第63護衛隊所属の護衛艦として、母港の舞鶴基地へ入港した。

Img_5660_2  さて、本日は、安倍政権が約一年間の志半ばにして辞意を表し、テロ対策特別措置法延長は暗礁に。インドネシアではスマトラ沖にてマグニチュード8.2の大地震が発生、アパッチロングボウが13機で陸上自衛隊への配備が終了するとの外電が入り、特別企画どころではないのだが、何分状況が把握しきれない。従ってテレビ東京系列の番組よろしく変更なしで、予定通りの記事としたい。

Img_5714_1  DDG177ミサイル護衛艦“あたご”は、14DDGとして計画され、基準排水量7700㌧、満載排水量10000㌧、全長165.0㍍、全幅21.0㍍、ガスタービン二基による出力は100000馬力、最大速力30ノット。武装は5インチ速射砲1門、20㍉高性能機関砲二門、Mk41型垂直発射機より各種ミサイル96発、90式艦対艦ミサイル8発、324㍉短魚雷三連装発射管二基である。

Img_5724  写真は“あたご”と満載排水量2900㌧の“あぶくま”型護衛艦である。3000㌧前後というのが世界の標準的なフリゲイトの規模であるが、大きさが余りにも違うことに驚かれよう。この“あたご”型以前は、満載排水量9500㌧のイージス護衛艦“こんごう”型4隻が海上自衛隊最大の護衛艦であったが、この“あたご”型により満載排水量10000㌧を超えている。なお、現在、来年三月の就役に備え、三菱重工長崎造船所では二番艦“あしがら”が建造中だ。

Img_5767  この“あたご”は、1932年に就役し、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン沖海戦、マリアナ沖海戦に参加したのち、主力部隊である第二艦隊旗艦として臨んだ1944年のレイテ沖海戦において戦没した重巡洋艦愛宕の名前を継ぐ艦であり、艦名の由来は京都近郊にそびえる名山の一つ、愛宕山である。

Img_5759  この“あたご”型を“こんごう”型イージス護衛艦と比較した場合、最も端的な違いは航空機の運用能力である。“あたご”は、上部構造物後部にヘリコプター一機を搭載する格納庫と、艦が動揺している状況下でもヘリコプターを安全に下ろすことができる着艦拘束装置を装備することが可能である。

Img_6267  後部格納庫は、“あさぎり”型、“むらさめ”型、“たかなみ”型の場合、両舷にまで格納庫を伸ばすことで、非常時には二機を搭載出来る容積的な余裕が盛り込まれているが、本型の場合、ミサイル護衛艦に不可欠なミサイルの垂直発射装置(VLS)の設置場所を確保する観点から片側を格納庫ではなく、VLSの設置に充てている。

Img_6278  ステルス性の追求も本型の特色で、上部構造物や船体はレーダーの反射を最小限に抑える角度が徹底して盛り込まれている。更に、従来の網目状のマスト(ラティスマスト)から、レーダー反射が少ない一本のマストに所要の装置を置く方式(モノポールマスト)を海上自衛隊の大型護衛艦として初めて採用しており、“あぶくま”型の船体設計から始まった護衛艦のステルス性追求も、遂に艦全体に至った。

Img_6769  イージス護衛艦“みょうこう”と、奥の“あたご”。艦橋左右にあったスーパーバード衛星通信アンテナを“あたご”型では艦橋容積確保の観点から移動し、更に上部構造物のステルス性追求も、“こんごう”型よりも徹底されて設計されている。1993年より就役した“こんごう”型を元に、発展させた“あたご”型である。

Img_6247_1  続いて上部構造物。本艦が搭載するイージスシステムは、対空戦闘ネットワーク(SPYレーダー・火器管制装置・射撃指揮装置)と連動する意思決定システムネットワーク、乗員に情報を表示するディスプレイ群、即応性保持システムと、以上の全てを結ぶイージスLANシステムからなり、この一連の装置を指すものである。これが艦の各種レーダーやデータリンクなどとも繋がっている。

Img_6799  Windowsにも95やme,XPがあるように、イージスシステムにも各種のバージョンがあり、“あたご”型が搭載するイージスシステムは、最新型のベースライン7.1である。なお、このイージスシステムが得た情報をもとに、迎撃を展開するのがVLSに収められた各種ミサイルである。ミサイルは垂直に収められており、砲と艦橋の間にある部分に64発、後部格納庫横に32発が納められている。

Img_6800  イージスシステムの眼にあたるのが、八角形の巨大なタイルのようなSPY-1D(V)である。これは一面が4000以上のレーダー素子より形成されており、従来のイージス艦に搭載されていたSPY-1Dよりも小型高速目標への対処能力が向上、脅威度を増す新型対艦ミサイルへの対処能力を向上させている。

Img_6804_2  “あたご”型は、従来のOTOメララ社製5インチ砲ではなく、米海軍が装備を進める5インチMk45Mod4という砲を搭載している。62口径という長い砲身を有するこの砲は、高い命中精度を有し、米海軍ではこの砲より発射する射程117kmの射程延伸誘導砲弾を、主に対地目標制圧用に開発中である。

Img_6803_3  接近したミサイルに対して使用する近接防御装備として、レーダーとバルカン砲を合せた20㍉高性能機関砲と、電波攪乱用のチャフを搭載している。20㍉高性能機関砲は水上の小型船舶に対しても発射可能なブロック1B型である。写真右端には、チャフロケット発射装置が写っている。

Img_6818  こちらは後部に設置された20㍉高性能機関砲。20㍉高性能機関砲が対水上射撃を行う際に用いる光学照準器が、白いレーダーの横に設置されている。監視カメラのようなものがそうで、これにより武装工作船や自爆ボートなどに対して有効な反撃を行うことが可能となる。右下にみえる窓は航空機発着管制室。

Img_68082  マスト基部。右下の灰色の丸いものがUSC-10衛星通信アンテナ。マスト基部の白く丸いアンテナがスーパーバード衛星通信アンテナ。パラボラアンテナ状のものはミサイルを管制するSPG-62、これは後部にも二基が設置されている。その前にみえる小さなアンテナが5インチ砲管制用のMk46OSS光学式照準装置。マストの上の方にみえているのがOPS-20航海レーダー。SPY-1D(V)の真上に見える凸凹の箱状のものがNOLQ-2B/ECM電子戦装置。

Img_6808  上から解説。一番上のお皿がタカンORN-6航法装置で、その下の皿にのっかった箱状のものがNOLQ-2B/ESM電子戦装置。で、その載せているお皿がUPX-29敵味方識別装置、少し下の白い鐘状のものが潜水艦情報をやり取りするQRQ-1Bヘリコプター用データリンク装置、写真の下の方に写っているレーダーがOPS-28E対水上レーダーである。これら全部覚えられたら体験航海の時尊敬されるかも。

Img_6801  ガスタービンエンジン用の煙突が二つ並んでいるが、その谷間には、90式艦対艦ミサイル四連装発射機が二基装備される。右側の煙突の根元には、二本の巨大糸楊枝状のものが置かれているが、これは右舷左舷にあり、11㍍型搭載艇(内火艇とか作業艇ともいう)が搭載され、その下には324㍉三連装短魚雷発射管がみえる。左側の煙突のあたりには、カバーが被せられた複合型作業艇が見える。

Img_6222  イージスシステムの性能は様々な資料があるが、実情は機密という見え難い状況にある(だからスパイも欲しがる)。450km程度先の目標が発見でき、ノイズの無い高空を飛ぶ弾道弾などであれば探知距離は更に伸びる。約900の飛翔体を同時追跡、21目標に同時対処可能であるといわれる(世界の艦船581・661・675・678を参考)。

Img_6205_2  搭載する迎撃用ミサイルは、スタンダードミサイルSM-2で70~100km(高度により異なるのだと推測)。弾道弾を迎撃するSM-3となると射程は1000kmを越える。こうしたイージス艦5隻が護衛艦隊の一翼を担い海上自衛隊基地や日本周辺海域やテロとの戦いにおいて、抑止力を発揮している。

Img_5747  以上が最新鋭護衛艦“あたご”である。冒頭にも述べたが、満載排水量10000㌧の“あたご”は、同じくイージス艦の“みょうこう”と共に第63護衛隊を編成、イージス艦二隻を有する海上自衛隊最強の護衛隊として、日本海を経てわが国や周辺諸国へ及ぼされる脅威に鋭い睨みを利かせている。

Img_6445_1  なお、今回掲載した写真を撮影したのは、舞鶴展示訓練において乗艦した第三護衛隊群旗艦“はるな”艦上からである。満載排水量6800㌧、1973年就役の護衛艦ながら、二門の背負式5インチ砲やスマートな上部構造物は、昨今の最新鋭艦には無い力強さを醸し出している(乗員の皆さん、ありがとうございました)。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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9.11米本土中枢同時多発テロから六年 日本を取り巻く環境の変化

2007-09-11 20:02:55 | 防衛・安全保障

■テロとの戦いが続く中で

 2749名の犠牲者を出した同時多発テロより六年、アフガニスタン、イラクへの対応によりアメリカの第二次大戦後に構築したシステムに歪が生じているが、今回は思いつくままに日本の安全保障と関連した環境の変化について記述してゆきたい。

Img_1178  2001年11月19日、アフガニスタンを根拠とするテロ勢力に対して展開される米軍の軍事行動を支援するべく、佐世保基地より、ヘリコプター護衛艦“くらま”を旗艦とする部隊が遠くインド洋へ派遣され、経空脅威が無いとはいえ、第二次世界大戦以来、旭日旗が戦闘地域へ姿を見せることとなった。

Img_6150  従来、海上自衛隊による後方支援といえば、湾岸戦争後における機雷除去任務、ガルフドーン作戦への掃海艇派遣や、輸送艦によるカンボジアPKO任務に際しての派遣部隊輸送、この他に大規模災害に際しての救援物資輸送や訓練の一環としての寄港、若しくは米軍との共同演習というかたちであったが、9.11以降、特に政策の一端としての海上自衛隊の運用は大きく変貌を遂げた。

Img_1275  S.ハンティントンの数年前の著書には、対テロ武力攻撃に際して日本も小艦隊を派遣したという旨の記述があったが、補給艦を中心とした一定の洋上部隊を遠くインド洋からアラビア海に恒常的に遊弋させ、任務に従事させる日本のポテンシャルを高めたことは確かであろう。

Img_0732_1  艦艇を恒常的に派遣するには、任務に就く補給艦、そして交代の為に往復する補給艦と、二隻が必要であり、この派遣任務と並行して従来の自国艦艇への支援を行う補給艦が必要となる。米海軍を別とすれば、それだけの補給艦を保有している国は少なく、五隻の補給艦を保有している海上自衛隊ならではの任務といえる。

Img_6337  テロ対策特別措置法の延長に対して、日本国内では民主党を筆頭に反対する声が賛成を上回っているとの報道が為されているが、専守防衛を国是とした日本が協力しているとのシンボルでもあり、他方で補給艦のローテーションが限界に近付いてきているという実情もあり、判断は難しい。

Img_6049  妥協案として、もっともテロ勢力による物資輸送や人員輸送に起因する脅威がどの程度であるかは不詳である為、完全な私見だが、日本参加というシンボルに重点を置いての洋上監視が目的であれば、P-3C哨戒機を一定数、インド洋の米軍戦略拠点ディエゴガルシア島に派遣し、洋上監視任務に従事させるという方法でも代替できるのではないか、と考える。

Img_9016_1 なお、民主党の一部が給油任務に代えて提唱しているアフガニスタンのNGOや復興支援への陸上自衛隊派遣であるが、韓国のキリスト教布教団体が武装勢力に拘束され死傷者が出た事例をみるまでもなく、対象とするNGOが限られている。可能な任務としては、目立たないように行動する少人数のNGOを特殊作戦群の平服隊員が武装警護するとか、コンボイの護衛など、戦闘任務に限られてしまう。

Img_7130 最も日本に求められているのはヘリコプター、特に大型ヘリコプターの提供である。4000㍍級の峰々が聳えるヒンズークシ山脈を越えることができるヘリコプターを多数揃えている国は限られている。ヘリコプター提供について内密に打診があったとの報道も為されているが、日本にできるのは多数保有するCH-47J/JA派遣ということになる。

Img_0189  同時に、ヘリコプターを護衛する戦闘ヘリコプターの不足も顕著である。4000㍍級の山の山頂から撃たれる重機関銃はヘリコプターには非常な脅威であり、欧州諸国は、国連安保理決議に基づく国際治安支援部隊(ISAF)を支援するために、アパッチロングボウ戦闘ヘリコプターや、最新鋭戦闘機タイフーンまで展開させている。部隊配備はまだであるが、陸上自衛隊のAH-64Dへの需要も高い。

Img_6832_1  ISAFの一員として派遣されたオランダ軍は、最新鋭自走榴弾砲Phz-2000を持ち込み、高い精度により武装勢力を撃退する上で効果を上げている。ロケット弾と異なり命中精度が高く、航空機よりも即応できる為、火砲は重宝されており、陸上自衛隊の99式自走榴弾砲は射程も長く、派遣を検討するべき装備である。

Img_0381_1  現在、アフガニスタンは武装勢力の勢力拡大により再び混迷状態にあり、施設科部隊による復興人道支援よりも、戦闘部隊による治安回復が最優先となっている。この点、冷戦時代の思想により導入された各種装備は重要な意義をもつのだが、危険も伴う。また陸上自衛隊は高山地域での訓練行った部隊が限られており、派遣については重ねて慎重な議論が必要となる。

Img_8544_1  海上自衛隊以外にも、以前であれば躊躇するような地域に対しても航空自衛隊の輸送機が派遣されるようになっている。イラク復興人道支援任務の一環として、航空自衛隊の輸送機派遣は継続されており、派遣可能な輸送機が小牧の一個飛行隊にしか配備されていないことから、航空自衛隊海外派遣の代名詞として任務が続けられている。

Img_8068  C-130H輸送機を補強するかたちで、現在川崎重工では次期輸送機C-Xの開発が進められている。C-Xは現行のC-1輸送機の後継として位置づけられている為、30機以上の調達が期待される。しかしながら部隊配備が為されるのはまだ先であり、当分は一個飛行隊のC-130Hをやりくりしてゆかねばならない。この点、補給艦や輸送機の増勢という問題も真剣に検討されて然るべきと考える。

Img_1224  そもそも、憲法九条下という抑制された環境の中において、航空自衛隊は第二次大戦において国土を爆撃機により焦土とされた経験からの本土防空、海上自衛隊もやはり先の大戦においてシーレーンを寸断され干上がった反省からの対潜任務に、陸上自衛隊は地皺を活かした遅滞戦術に重点が置かれており、国際貢献や戦力投射には不適な編成であったことから生じるものである。

Img_1035  冷戦後、いわゆる低烈度紛争に対しての国際貢献任務増加の可能性をうけ、脅威の多様化という環境変化の一環として装備や編成にも改編が行われ、従来の大規模地上戦闘に際しての敵機甲部隊対処から、ゲリラコマンド対処や低烈度紛争対処も包含した体系に移行している。

Img_0212_1  他方、自衛隊の装備体系や部隊編成を定めた防衛大綱の冷戦後二度にわたる改編により、戦車定数は半減し、特科火砲も定数で四割が削減され、かたちだけの戦車大隊や指揮官の階級からは連隊や大隊とするべきなのに、よくわからない特科隊、戦車隊という部隊が幾つかの師団や旅団で誕生し、急激な改編による諸問題が表面化しつつある。これで良いのか、と疑問が浮かばないでもない。

Img_2590  96式装輪装甲車に続く装甲車として、各種車輌をファミリー化させ、コスト低減を期して開発が進む近接戦闘車、その中で砲塔と低圧砲を組み合わせた装輪機動砲というべき機動戦闘車の開発も進められているとの事だが、結果的にこの装備の実用化を契機に、戦車を有しない師団や旅団が誕生するということだろうか。

Img_8070_4  しかし、冷戦時代のほぼ画一的な師団編成と異なり、一部師団の旅団化や師団編成の多様化を経た今日、東部方面隊のように実質二個戦車中隊しか機甲戦力を有さない部隊や、方面支援部隊に限界のある中部方面隊をみてみると、師団警備区を分けて方面隊毎に警備する従来の陸上防衛の体系自体も、場合によっては方面隊の再編も含め見直さなければならなくなる時期が来るかもしれない。

Img_0413_1  同時多発テロ以降、顕著に変わったのは日米関係ではないだろうか。高坂正堯の外交評論、その末尾の部分までを改めて読んでみると、ほんの十年前までは、米海兵隊員による連続少女暴行事件なども影響もあり、米国以上に中国が同盟国として適しているという世論があった。

Img_9649  しかし、今日では日米同盟を有史以来最も成功した同盟関係と、十年前であればNATOを表現する際に用いられた言葉が用いられている。米軍再編に際して、見直される前方展開拠点にあって、もっとも多くの戦略拠点を提供しているという点を差し引いても、前政権が培った日米関係の強化は、同時多発テロ以降の象徴的な変化である。

Img_9608_1  日米同盟については、特に軍事面では情報収集などの能力で大きく遅れをとる日本が、今後国際関係において活動を展開してゆく中で重要である。いわば自由貿易に依拠するアメリカは世界的な地域安定を必要としており、この点で紛争抑止は日本と利害が一致する。また、軍事以外の面では、国際通貨制度の維持にアメリカは日本を必要としており、双方が市場としての両国関係を必要としている。

Img_9055  また、対潜情報収集など、自衛隊と米軍の交流では、海上自衛隊創設と米海軍の関係を挙げるまでも無く大きなつながりがあり、自衛隊が独自に収集した情報と米軍が有する巨大なデータとの照合により、効果を発揮するものが多い。代替となるシステムを日本独自に構築するには天文学的な費用が必要となり、現実的に日米関係の強化は望ましい結果に進んでいるといえる。

Img_0033_1  この中でも、弾道ミサイル防衛に際しての情報共有は日本の死活的利益にかかわる問題である。大気圏外飛翔体を警戒する全地球規模の宇宙監視網を構築したアメリカと、データリンクすることで、弾道弾接近に対して迎撃までの時間的余裕を生むことができる。

Img_9651_1_1  弾道ミサイル防衛は、一歩進み相互確証破壊による核抑止秩序に際して、核兵器を保有しないという国是を維持しつつ核兵器による恫喝に拒否することができる、殆ど唯一の手段である。早期警戒網は弾道弾警戒用のレーダーサイト増強や、艦艇のレーダーによっても代替はできるが、現行では米軍の支援を受けるのが現実的な選択肢となるだろう。

Img_9471_1  しかし、米軍との一体化という内容にまで話を進めると、背景は少し変化する。C-1後継機には当初、C-17を推す声が高く、P-3C哨戒機の後継も米軍の新型P-8哨戒機の導入を推す声もあった。しかし、現在、川崎重工においてC-X,P-Xの国産開発は順調に進んでいる。

Img_9484  また、航空自衛隊が運用するF-4EJ改戦闘機の後継機選定で、米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F-22の導入が不可能となり、国際共同開発のステルス戦闘機F-35がF-4EJ改の退役に間に合わなければ、F-15EやF/A-18Eと共に欧州機である最新鋭のタイフーン導入という、米国系統以外の選択肢も有力となってくる可能性もある。

Img_3856_1  例えば欧州機である掃海輸送ヘリコプターMCH-101導入は、米海軍が開発中のSH-60派生型の掃海ヘリコプターとは異なる決定であったし、陸上自衛隊の主力多用途ヘリコプターUH-1Jの後継には、川崎重工や富士重工の新型機案や、川崎重工によるCH-101の派生型の検討も為されているとされ、米軍系統の装備から視野を広げた選定が進められている。

Img_0748_1  無論、米軍から学ぶべき点は多いのも事実である。こうした技術面などでは相互依存を行うのが通常であり、これは米国一辺倒からの脱却というような視野の狭い施策ではなく、プラスマイナスを含めた対等の議論や合意形成を行う関係に移行している過渡期の必然的な変更とみるべきであろう。

Img_7513  対して、冷戦後の低烈度紛争の拡大と、人道的介入という軍事機構任務の多様化に際して、軍事力とは一種の国際公共財であるとの視点が広まりつつあるようにみえる。即ち、軍事機構でなければ対応困難な人道的任務が増加する中で、相応の国力と、国力に比例した軍事力(日本の場合は防衛力)を有する国家は、相応の国境を越えた義務を有するという視点である。

Img_0770  東西冷戦下であれば、軍事力の保持は二元論でいうところの脅威に対応するという説明で事足りた訳だが、東西ではなく、多極化時代という国際情勢にあって、特にその戦力がどの方向へ向かっているかが不透明であるのは、周辺国の疑心暗鬼を誘発する。

Img_1762_1  自衛隊には外国に着上陸して侵略する能力は無い。決して過大評価をするつもりは無いが、正面装備だけをみれば、最小限度の数量で専守防衛を達成するという目的から、戦闘機の質や早期警戒管制機の保有、海上自衛隊の大型水上戦闘艦や潜水艦、哨戒機の数と質、陸上装備の大半を国産開発する能力は、中小国からは脅威と写ることも否定できない。

Img_5711_1  これを踏まえれば、日本の防衛力がどの方向に向いているかを公表する必要性は高い。先日、師匠より宴にて韓国の防衛力は明らかに日本に向いているでしょう、という冷やかし半分で話が出た。しかしながら仮に、日韓が日米のように相互防衛条約を結んでいれば、双方の軍事力がお互いに脅威を与えるという誤解を抱かずに信頼醸成が可能であろう。

Img_9110  新型護衛艦“ひゅうが”型を始め、防衛力増強を行う上で、国際コントロオルに自衛隊を参加させることは、予防外交の観点から大きな意義がある。他方で、これは集団的自衛権という憲法上の問題と鋭くかみ合う訳であり、集団的自衛権の解釈を一任されている内閣法制局が今後どのような解釈を生むかに注目する必要がある背景に、こうしたものがある訳だ。

Img_5766_1_1  テロとの戦いに際しての自衛隊の海外派遣常態化、や集団的自衛権の問題など、9.11を契機として日本を取り巻く情勢も大きく変貌し、自衛隊と関連する内容でも、以前であれば考えられないような次元での議論が必要となってきた。この点から目をそらすことは逆に問題であり、主権者として真剣に議論を積んでゆかねばならない事だけは確かである。

HARUNA

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