北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

海上自衛隊横須賀基地 横浜・横須賀一望の塚山公園按針塚

2007-11-20 13:42:23 | 海上自衛隊 催事

■横須賀散策紀行 塚山公園

 横須賀散策ということで、塚山公園と安針台公園とを散策してきた。その途中に基地を一望できる場所があり、眼下に広がる海浜港湾の絶景は久々の潮風とともに清涼感を与えてくれる。今回は塚山公園への道程と眺望の掲載。

Img_9924  海上自衛隊の艦艇基地としては、主要なもので横須賀、佐世保、舞鶴、呉、大湊が挙げられる。京都府の日本海側にあり、京都市内から特急で一本の舞鶴基地と並び、首都圏から京浜急行で一本の横須賀基地は小生が機会をみつけ足を運ぶ基地である。写真は、手前に長浦地区の横須賀地方隊の“はつゆき”型護衛艦三隻、その向こうに横浜市内の高層ビルが見える。

Img_9907  横浜が望見できるこの塚山公園からは、横須賀本港の艦艇なども見ることが出来るが、横須賀地方総監部とアメリカ海軍の海軍施設などは山陰に隠れてみることは出来ない。ただ、艦艇を眼下に見下ろすことが出来るところは限られており、ここからば入港してくる様子も見ることが出来るのではないか。

Img_9898  この塚山公園へは、京浜急行電鉄で向かう。JRから品川駅で京浜急行に乗り換え、そこから快速特急にて金沢文庫駅へ。そして普通電車に乗り換えて按針塚駅で降車する。按針塚駅から塚山公園までは自販機やコンビニが見当たらないので、補給は駅前で行うのが妥当であろう。

Img_9897  按針塚とは、400年前に九州に漂着したイギリス人航海士ウィリアム・アダムスの塚で、徳川家康の新任を得て江戸幕府顧問となり、造船技術や交易などで日本の鎖国体制下での国際交流に大きな功績を残し、三浦按針という日本名とともに三浦半島逸見に250石の領地を与えられ、アングロサクソンのサムライとなった。駅前にこの塚山公園までの案内看板があった。

Img_9902  地図に従い歩いてゆく。徒歩20分ということであるが、京都や、坂道が多いことで知られる神戸よりも階段や急な上り坂が多い。

 しばらく登ってゆくと、横須賀港外に試験艦「あすか」がみえた。航跡がみえないことから停泊しているのだろうか。

Img_9899  登ってゆくと、急傾斜地崩落危険地区、と書かれた標識があった。京浜急行とJR横須賀線が首都圏とを結び、ベットタウンとしての位置づけを有しているのだろうか、急傾斜危険地区であっても住宅街と商店が軒を連ねていた。

Img_9903  足を進めると、マンションが高台に並んでいる。一瞬私有地かとも思ったが、境界もなく他に行く道も無いので、更に進んでゆく。

 こういったところでは、コンビニに行くのにも大変だろう、と思いつつ、他方、船が好きな人には魅力的な場所なのだろうか。

Img_9905  港と海が見えてくる。駅を出発したのは1508時、この場所は横浜横須賀道路。写真のICは本町山中有料道路との分岐点である。写真は1526時に撮影したもので、マンションから繋がる道も分岐点。自動車一台ようやく通れる道、向こう側からタクシーが来たが、乗っても目的地に行けるか微妙なのでスルー。“塚山公園こちら”という案内に沿って、錆びた鉄製階段を慎重に登ってゆく。

Img_9933  公園に到着したのは1536時。按針塚とかかれた道標には、港の見える丘、とかかれており期待は膨らむ。

 公園の入り口にはジュースの自販機とお手洗いがあったので、補給物資が尽きた場合はここで補充することが出来る。公園にはイヌの散歩に来ている人が二組ほど。

Img_9909  海洋観測艦「わかさ」(満載排水量3200㌧)、となりに最大の海洋観測艦である「にちなん」、護衛艦の「おおなみ」「たかなみ」(ともに満載排水量6300㌧)が並んでいる。

 その沖合いには先ほど写真を載せた「あすか」が停泊している。

Img_9913  米海軍艦艇。第七艦隊旗艦「ブルーリッジ」(満載排水量19648㌧)がみえる。空母「キティーホーク」は停泊していなかった。また、イージス艦も少なからず出ているようで、イージス駆逐艦が一隻見える程度か、少し残念。

 後ほど、この駆逐艦は「カーティスウィルバー」(満載排水量8422㌧)であるということがわかった。

Img_9923  横浜のランドマークタワーと長浦の護衛艦。横須賀地方隊第21護衛隊の「はつゆき」「しらゆき」「さわゆき」(ともに満載排水量4000㌧)であろうか。この長浦には、標的艦として最後のご奉公を待つ旧護衛艦隊旗艦「たちかぜ」が係留されているはずだが、ここからは確認することが出来なかった。

Img_9928  試験艦「あすか」と羽田空港に向かう旅客機。

 今回は、撮影がメインではないのでレンズは一本のみ。望遠レンズを持っているわけでもなく、最大の200㍉ではこれが限界。少し霞が掛かっているのだが、撮影環境は順光。午前中は逆光なのだろう。

Img_9932  この塚山公園は、艦艇ほのかにも桜の名所であるようだ。枝垂桜、染井吉野、里桜、山桜、大山桜、大島桜という多種多様な桜があるようで、一応、ここの近くまではタクシーも入ってこれるようだ(鉄製階段は徒歩の場合の近道)。

 立ち入り可能な場所で横浜の高層ビルと艦艇を一枚に収められるスポットはそこまで多くないと思う、やや駅から遠いが、興味のある方は足を運んでみては如何だろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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秋葉原から 学園研究都市筑波へ&海上防衛の要衝横須賀へ

2007-11-19 18:28:33 | コラム

■首都圏近郊輸送鉄道

 筑波に所用があったため、週末、首都圏に展開した。また、筑波での所用を終えた後、時間を利用して久々に横須賀へ友人と足を運んだ。本日は、その間に利用した鉄道車両の写真特集である。

Img_9686  東京駅に到着した小生は、筑波へ移動するべく行動を開始した。最初に利用したのは山手線のE231系500番台。この電車で東京駅から秋葉原駅に向かう。秋葉原は、かつての電気街という印象からアニメーションなどを中心としたヲタク文化の中心地としての急速な変貌を遂げているが、実は筑波への交通の要衝でもある。

Img_9687  写真は京浜東北線の209系電車であるが、この写真、209系の陰に隠れてしまっているが、オレンジ色の帯を巻いたE233系電車に注目。新世代の中央特快として急速に勢力を伸ばし、派生型も誕生しているこのE233系は、8月29日の記事にも掲載したが、鉄道友の会よりローレル賞を受賞しており、ローレル賞受賞記念のヘッドマークを取り付けているのが見える。

Img_9696  まだ朝早い秋葉原、しかし、少し散策してみると、既にシャッターの前に行列が出来ているところもあったが、予定の時間と成ったのでTX,つくばエクスプレス秋葉原駅へ向かう。快速を利用すれば、秋葉原からつくば駅まで45分で行くことができる。快速と区間か右側が毎時二本運行されており、利便性も高い。

Img_9851  この路線が開業するまでは、筑波といえば、常磐線で土浦駅まで移動し、そこからバスを利用し40分。土浦まで常磐線利用では、東京から上野乗り換えで一時間二十分ほど所要時間が必要なので、なるほど、筑波は遠かったわけだ。他に東京と成田空港などから高速バスが出ているが、列車の持つ定時制と連続性が確保された点は大きい。土曜日曜と小生もこの電車を利用した。

Img_0072  日曜日の午後から時間を空けることが出来、友人と横須賀に行こう、ということとなった。秋葉原から山手線を品川駅へ、品川駅から京浜急行に乗り換え、撮影の為に横須賀へ。写真は夜だが、これは帰路撮影したものであるため。流石に夜間電飾やってない日に護衛艦を長時間露光で撮影するというのは難しいし、普通やらない。

Img_0079  横須賀基地の撮影スポットについて、情報があったのだが、肝心の地図を卓上に忘れたまま東京へ、という状況だったので難渋した。10kmは歩いたかな?。まあ、錯誤(迷子とも言う)によって撮影予定の場所とは異なる良い写真も撮影できた(準備不足でスンマセンでした)。横須賀撮影紀行については、明日あたり掲載したい。本日、東福寺に改めて展開、紅葉は来週あたりが見頃か、これも後日掲載予定。

Img_0097  横須賀の後、新横浜から新幹線に、というのではなく、あえて東京へ。秋葉原で買う予定のものがあり、京浜東北線の209系電車で移動。間もなく置き換えが始まるとの事で、今度こそ乗り収めか、と考えてから何回も乗ってたりする。その後、友人のYAMATO氏と一杯やって(ごちそうさまでした)、新幹線で帰路についた。

HARUNA

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N700系 東海道山陽新幹線の最新車輌にて東京へ 速報

2007-11-18 08:46:39 | コラム

■N700に乗ってきた

 所用あって首都圏に展開することとなり、急な展開であったので新幹線を利用することとした。折角新幹線を利用するのだから、最新鋭のN700を利用しよう、ということになった。500系でも良かったんだけど。

Img_9659  N700系新幹線。最新世代の洗練された新幹線という印象であるが、航空機を思わせる鋭利なデザインが注目を集めた500系から、流線型というか、例えれば動物的(ムー●ンとか)なデザインの700系に移行、N700は更にその携行が強くなったような印象を受ける。

Img_9590  個人的には100系“グランドひかり”以降、洗練というか、簡素化、という方向に進んでいるような気もする。他方で、指定席に座ってみると、0系程では無いが居住空間としての配慮は最大限あされており、300系と比べて振動も少ない。このN700系は数年内に300系と大規模な置き換えを構想しているようで、主力車輌としての位置づけになるのだろうか。

Img_9643  とりあえず、本日はまだ多忙につき、ここまで。

 この記事も実は“つくばエクスプレス”の車内から書いていたりする。

 N700系については、車体の写真を時間の許す限り(15分くらい)東京駅で撮影した(主に乗車した16号車から先頭車の撮れる1号車までの移動時間)車内の写真も撮影できたので、近く詳しい記事を掲載したい。

HARUNA

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京都東福寺 天通橋紅葉夜間撮影挑戦と失敗紀行

2007-11-17 00:24:08 | 写真

■東福寺へちょっと散策

 東福寺へ、夜景を撮影しようと思い立って、足を運び、手違いにより掲載に耐える写真を撮影できなかったことは既報記事にて述べた。その中で、そこそこ撮影出来そうな写真を選別し、本日の記事としたい。

Img_8579  夕暮れの東福寺を撮影しようと、中間報告会終了後、準備をしていたが、徹夜明けということもあり休息。その後やや遅れて出発したものの、書店などにて文献を探していたこともあり、東福寺到着は日もすっかり暮れた頃になってしまった。1800時って、この季節、急速に夜闇が訪れるのを身を以て知った次第。

Img_8581  東福寺は1630時まで入ることが出来るのだが、東福寺山門までの道程で、実は通天橋を境内の外から見ることが出来る場所がある。閉門後とはいえ、僧侶が日々の修行と営みを送る寺院である。例えれば、舞鶴基地へ展示訓練を見学した際に夜間電飾を行っていないイージス艦“あたご”を常夜灯のみ長時間露光で、あたかも夜間電飾しているかのように撮影したこともあるし、通天橋だけでも常夜灯で撮影する構想であった。

Img_8588  当然、日下門は、夜間ということで鉄柵にて閉ざされている。この鉄柵は、0830時から1630時まで閉門されており、ここから三門までの場所は、時間内であれば拝観料不要で散策できる。

 なお、通天橋に関しては、拝観料が必要である。ちなみに今の期間、東福寺三門と東福寺法堂が特別公開されているとのこと。

Img_8586  しかしまあ、此処まで歩くと気付くのだが、本当に暗い。常夜灯が少ないのだ。あわよくば大徳寺の桜のように、少しぐらいライトアップなんてしているやも、と思ったのだが常夜灯は白っぽい蛍光灯が若干あるだけで、他にみえるライトのようなものは点灯していない所をみると防犯灯なのだろうか。

Img_8582_2  ・・・、通天橋。ライトアップは勿論、常夜灯も無いようだ。フラッシュ焚いて届く距離でもないし、撮影した場所が木橋であることから勿論、傷つける可能性のある三脚は使用禁止である。欄干にカメラを置いて撮影したが、画像補正で明るくしてみても、これが限界である。ううむ、これが限界か、夜間撮影。出来る場所とそうでない場所があるということ。次回は日下門の開いている時間に改めて撮影しよう。

HARUNA

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京都龍安寺 枯山水の石庭とまだ青葉茂る椛と銀杏

2007-11-16 15:38:10 | 写真

■紅葉の季節は・・・

 京都が観光のピークを迎える時期は桜の季節や京都三大祭、五山送り火など多々ある。この中に、秋の紅葉も含まれるのだが、紅葉前線は桜前線と違い、曖昧模糊としており、旅行会社なども情報収集に苦労していると聞く。

Img_9404  沿道の木々や大学キャンパスの木々は色づき始めているが、観光地はどうか、ちょうど昨日から清水寺夜間特別拝観が始まったようだが、百聞は一見にしかず、ということで大学院のプレゼンテーションが終了した区切りの日、一つ足を龍安寺へと進めてみた。本日は、14日に撮影した龍安寺特集である。

Img_9399  今回写真を掲載する龍安寺は、金閣寺、仁和寺と“きぬかけの路”で結ばれている、京都右京区北部の文化財エリアを構成している。ここ龍安寺は、日当たりの良い場所などでは銀杏や椛がほのかに秋色に染まり、この写真だけをみると紅葉の季節が訪れたように思う。しかし、この色づき、まだ一部だったりする。

Img_9418  先ほどの紅葉は、鏡容池という、この龍安寺の回遊式庭園に沿って植えられている木々の紅葉で、椛なので、黄色い葉はまだまだこれから朱色に色付く最中にあることがいえる。

 方丈の石庭に続く庭園。写真を観てわかるように、まだ青葉が茂り、晩夏の情景といっても差し支えない瑞々しさだ。

Img_9410  龍安寺方丈の石庭。十五の石が白砂の敷き詰められたもので、室町時代、相阿弥が創り上げたものとされているが、このほかにも諸説あるようだ。この石庭は、十五の石の内、必ずどれかが隠れて見えるということだが、聞くところでは方丈のある場所からは、全てがみえるといわれている。

Img_9422  この龍安寺は、1450年に応仁の乱の東軍大将として知られる細川勝元が建立した禅寺で、北に聳える衣笠山など、風光明媚な環境には、五つの天皇陵墓が点在している。

 ただ、やはり応仁の乱で全焼し、1488年に再建、その後、寺領を寄進するかたちで豊臣秀吉と徳川家康らに保護を受けている。

Img_9452  鏡容池とともに衣笠山を望む。青々とした夏の山容と比して、やや紅葉の兆しが観えるのは十一月という季節からか。今年は紅葉が遅いというが、先日散策に足を進めた東福寺、まあ、暗すぎて写真はまともなものが撮影できなかったが、少し観てみただけなのだが、ここも紅葉はもう少し先のようである。

Img_9445  龍安寺へは、京都駅から市バス50系統、阪急河原町駅・京阪三条駅から12系統で終点乗り換え、59系統で龍安寺前。

 もしくは、京福電鉄の竜安寺道駅から北へ徒歩。JR山陰線花園駅から妙心寺を抜けて北へ進むと、やはり龍安寺に達する。

Img_9444  鏡容池へ達する路を歩くと、やはり、紅葉の兆しのない域と、紅葉の始まった域がわかれているのだな、と思わされる。

 こうした情景は、常緑樹を除き冬季の落葉の季節には、雪の日以外には物寂しい姿となってしまう。

Img_8582  ところ代わって東福寺。JR奈良線東福寺駅の傍ということで、龍安寺物凄く離れているのだが、先ほど述べた木々の情景。ほら、紅葉まだでしょ!?。・・・、真っ暗でスマン。1812時の撮影なのだが、最近はこの時間でも真っ暗なので、こんな写真ばかりでは記事にならないので、この機会に掲載。紅葉については、今後、定期的に掲載してゆきたい。

HARUNA

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京都鞍馬山 尊天の毘沙門天王を祀る総本山鞍馬寺

2007-11-15 10:42:46 | 写真

■くらま山

 牛若丸が修行を重ね、映画鞍馬天狗、鞍馬の火祭りなどで登場した鞍馬、ここは開発著しい京都中心部とは異なり、昔ながらの京都の姿を留めるもうひとつの古都である。本日は、9月30日に撮影した鞍馬寺の記事を掲載したい。

Img_3165  京都の桂駐屯地祭が降雨により荒天会場での実施となり、式典、装備品展示などを撮影し早々に小生とC.ジョニー氏は撤収を開始。これだけでは消化不良ということで、彦根の近江鉄道博物館か、神戸のカワサキミュージアムといった場所に展開しよう、という話に。この中で、紅葉の時期に叡山電鉄撮影を目論む小生は、かの地を知り尽くしたC.ジョニー氏にご指南仰ごうと、叡山電鉄&鞍馬寺作戦を提案した!。

Img_3050_1  鞍馬寺。叡山電鉄にて始発から終点まで乗ってゆくと、かなり空気も冷ややかになるが、ここはまだ京都市左京区。この鞍馬寺は、その始まりが770年に鑑真の弟子、鑑禎が修行の霊山を探している時にお告げの霊夢にて、この鞍馬山を知ったことから始まる。ここ鞍馬山に入った鑑禎は、鬼に襲われるが、ここで毘沙門天の神力に救われ、このことから毘沙門天を祀る寺を此処に建立した、という。

Img_3048_1  平安時代には白河天皇が参詣するなど、信仰を集めたが、当時はまだ叡山電鉄も開業しておらず(当たり前だ)、京都からの道のりは非常に遠く感じられたようである。実際、枕草子において近くて遠いものの例えに、この鞍馬山が挙げられているほどで、特に道路も未整備であった当時、他とを結ぶ街道があった訳でもなく、確かに近くて遠い存在であったのかもしれない。

Img_3061_1  鑑禎の建立から時を経て、796年、東寺の建立にあたった藤原伊勢人が観音を祀る寺の建立を期して場所を探していたところ、毘沙門天の祀られた鞍馬に辿り着き、観音も毘沙門天ももとは同じ神であるとのお告げを受け、ここに千手観音を毘沙門天と共に安置した。こうして東寺とのかかわりの出来た鞍馬寺は889年に真言宗の寺院となる。

Img_3070_1  しかし、12世紀頃に天台宗の寺となり、1949年に天台宗から独立し、今日の総本山鞍馬寺が誕生した。

 写真は鞍馬山のケーブルカーで、宗教法人が運行する日本唯一の鉄道であるとのこと。仁王門から多宝塔までを結んでおり、本来はこの隣の九十九折を駆け上がるべきなのだが、桂駐屯地祭の疲労と、このケーブルカーが開業50周年ということで(?)、あえてケーブルカーを利用した。

Img_3083_1  9月30日、桂が雨であれば同じ京都市である鞍馬がはれているわけもなく、霞に覆われた情景である。この鞍馬は、北大路通から距離にして12kmほどなのだが、霊山といわれるだけあって本当に異なった印象がある。山道を外れると蝮に熊、といった危険もあるとのことで、こうした地形が信仰を生むのだろうか。

Img_3096_1  本山金堂に至る道から撮影。

 ううむ、確かに天狗でも出てきそうである。ちなみに牛若丸の修行をしたという天狗は、山伏であるという説やムササビを追いかけて足腰を鍛えたという説もある。しかし、牛若丸は戦術も天狗から学んだというんでムササビには難しいかも。僧ヶ谷の大天狗に関する諸説もあり、もしかしたら、科学よりも神秘と哲学が探究の主題であった時代には、大天狗も居たのかもしれない、と考えてみるのも一つのロマンである。

Img_3114_1  映画鞍馬天狗に関しては、KBS京都、水曜日のお楽しみ、“中村貞夫の邦画指定席”で幾度も放送されているが、大佛次郎の時代小説を基にした映画シリーズで、58本(だったかな)が製作されている。拳銃が回転式で当時ありそうにない、という点は置いといて、回転式なのし再装填してない、というのも置いといて、中々面白い作品。

Img_3118_1  鞍馬天狗は、名を倉田典膳といい、本名ではないが、勧善懲悪反権力、討幕派の志士で、剣術に長け、拳銃も用いる。討幕派でありながら、新撰組の近藤勇や勝海舟とも繋がるという、理想像から偶像化された坂本竜馬のような存在。まあ、DVDも出てるようなんで、そちらの方を。

Img_3128_1  色々と歩き回りたいのだが鞍馬山、何分修行の場であり天狗も出たといわれる地、ところが、こちらは日の出ているうちに引き返さないと叡山電鉄を車内から撮影するというもう一つの目的も果たせなくなるので撤収を開始。山も山門が閉まる時間があり、ケーブルカーが止まってしまえば魔王殿と貴船神社を経て山道徒歩3.2kmツアーになってしまう。従って撤収を開始。

Img_3151  多宝塔の様子。ここからケーブルカーが出てる。ここ鞍馬では鞍馬の火祭りが有名であるが、何分時代祭りと重なり、この関係で大勢の観光客が訪れる。叡山電鉄の輸送量に限界があるので、全列車を投入しても朝の快速205系統よりも混雑するのだとか。しかも、現地の宿は前年に籤引で決めるほど競争率が高い。

Img_3166  無論、ロードレーサーも考えたが、2300時にあそこから自走して撤収するのは考えたくない。街灯が少なく、多分この日は交通量も多い。隣に谷川があったりもする。従って、行ってみたいが行くのは当分先かも。それよりも、時代祭のほうを撮影したいなあ、と考えたりする。鞍馬寺は冬季には叡山電鉄の運行本数が変更となるようで、他方ここは紅葉の名所でもある。時期をみて改めて足を運びたい次第だ。

 同行していただきましたC.ジョニー様、ありがとうございました。

HARUNA

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古都のクリスマス JR京都駅クリスマスイルミネーション

2007-11-14 15:14:48 | 写真

■クリスマスイルミネーション

 アメリカでは11月からクリスマス商戦が本格化するとのことだが、日本も最近この傾向があるような。そんななかで本日はクリスマスイルミネーション特集である。

Img_8595  クリスマスということで、思い浮かぶのは神戸のルミナリエであるが、古都京都でも勿論クリスマスイルミネーションは飾られる。京都のクリスマスイルミネーションということで円山公園の枝垂桜がクリスマスツリーに改修され、東寺の五重塔の上にサンタクロース、ということは絶対無いが、意外なところにイルミネーションが飾られる。

Img_8604  毎年恒例となったあの場所のクリスマスツリー。某アニメーションでは、こなたが「ここにイリスが入ったんだ」と言わせしめた様に、某特撮映画の決戦の舞台となったことでも知られている。怪獣に壊されてもいいくらいに古都に似合わない建物、ということで幾つか思い浮かべると、その一つがこの建物。

Img_8596  写真のクリスマスイルミネーションは京都駅のイルミネーションである。昔の京阪線が地上を走っていた時代は、昔の京都駅の向こうに東本願寺や西本願寺などがみえたようだが、今日では巨大な京都駅と京都タワーが古都の真ん中に鎮座している。個人的には、もう風景に溶け込んだ、ということも出来ると思うのだが、まあ、京都観光をされた方には非常に印象に残るほど巨大(で不自然)とのこと。

Img_8620  京都駅クリスマスイルミネーションは、駅ビルの大階段部分に巨大クリスマスツリーが飾られ、同時に烏丸中央口の外壁鉄骨部分にも写真のような電飾が施されている。その向こうに透けて見えるのが京都タワーで、京都にあって一種独特な空間である(まあ、四条通繁華街も古都では一種独特な空間ではあるが)。

Img_8625  この京都駅ビル、今年が開業10周年(京都駅そのものは1877年2月に開業しているが)を迎えるということで、いろいろと催しも行われたようである。

 京都駅は、在来線と新幹線、近鉄線に地下鉄と様々な駅が結ばれる複合施設であり、一日あたりの乗降客数は100万人を越えるという。

Img_8631  クリスマスイルミネーションを烏丸口と改札口の間から撮影。

 こうみてみると、やはり巨大な空間である。その空間の向こうに見えるクリスマスツリーでは記念写真を自由に撮影することが出来、京都観光において一つのお薦めスポットである。

HARUNA

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陸上自衛隊明野駐屯地創立52周年記念行事 明野航空祭2007

2007-11-13 13:47:49 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■航空学校本校創立記念行事

 明野駐屯地には陸上自衛隊の航空科職種の教育を一手に担う航空学校本校があり、明野駐屯地祭は、ヘリコプターを中心とした明野航空祭という名称でも親しまれている。本日は、昨夜掲載できなかった明野駐屯地祭の速報記事を掲載したい。

Img_8965  陸上自衛隊航空学校には、教育や戦術研究、新装備の運用試験などを行う為に陸上自衛隊の各種新型航空機が配備され、本校が置かれている明野駐屯地、そして霞ヶ浦駐屯地と宇都宮駐屯地の分校がパイロット養成や整備教育などの任務にあたっている。

Img_8725_1  明野駐屯地には、航空学校の他、中部方面隊直轄の第5対戦車ヘリコプター隊、第10師団隷下の第10飛行隊と、飛行実験隊、中部方面管制気象隊第1派遣隊、第306基地通信中隊明野派遣隊、第114地区警務隊明野連絡班などの部隊が駐屯している。

Img_8755_1  11月11日は早朝から雨が降っていたが、小雨であり、国旗入場の瞬間、雲の切れ目から陽光がさすという一幕があり、天候は順調に回復していった。

Img_8766_1  指揮官による部隊巡閲。

 指揮官は航空学校長兼ねて明野駐屯地司令を務める鎌田陸将補。

 鎌田陸将補は、前任部隊が第1ヘリコプター団長という、ヘリボーンのエキスパートである。

Img_8792_1  式典において祝辞を述べる地元代議士。名前は失念。続いて三重県の野呂知事の祝辞を述べられた。

 非常に多忙ななかでの出席ということで、祝賀飛行の前に次の公務へと移動という過密スケジュール。

Img_8846_1  祝辞、祝電披露の後、観閲飛行準備の号令が掛かる。しかし、多種多様なヘリコプターを同時離陸させ編隊をkぅませるには調整が重要であり、その間に実施されたのが少年工科学校生徒隊によるライフルドリル。第304保安中隊ほどではないものの、重いM1小銃を自在に取り扱い、見事な演武に会場からは拍手が沸いた。

Img_8843  編隊離陸の開始。次々と離陸してゆく、写真にはこの中の一幕、7機の対戦車ヘリコプターAH-1Sコブラが写っている。

 滑走路にはAH-64D戦闘ヘリコプターアパッチロングボウを始め、離陸を待つヘリコプターが盛んにエンジンより轟音を上げている。

Img_8876_1  31機の編隊。離陸した編隊は伊勢湾上空で編隊を整え、明野駐屯地上空に大編隊で飛来する。先週撮影した八尾駐屯地祭では28機で、多用途ヘリコプターが中心の編隊であったが、放送によれば明野駐屯地祭では31機、対戦車ヘリコプターや戦闘ヘリを中心とした祝賀飛行であった。

Img_8979  祝賀飛行終了後、編隊を展示飛行部隊と分離し、続々と滑走路に戻ってくる。

 写真はその一枚で、機体は西から滑走路をフライパスし、旋回し東から会場正面に飛来。機種などが紹介される。上の三機は最新鋭のAH-64D,滑走路上を低空で飛ぶのはAH-1Sである。

Img_8919  AH-64Dは初号機、二号機と、ミリ波レーダーを搭載していない三号機が参加した。

 この他、地上展示機には五号機が参加。今回の明野駐屯地祭の目玉がこのAH-64D戦闘ヘリコプターである。しかし、4機もの数が参加したのは小生にも嬉しい誤算であった。

Img_8941  川崎重工により開発され、1996年に初飛行を果たした観測ヘリコプターOH-1。

 複合光学観測装置などを搭載、自衛用の空対空ミサイルなどを運用可能で、高い機動性を有する陸上自衛隊自慢のヘリコプターである。

Img_9117  臨時編成のアクロバット飛行部隊、明野レインボーによる飛行展示。

 明野レインボーはAH-1S,OH-1各1機とOH-6D観測ヘリ4機で編成されており、AH-1S,OH-1の機動飛行に続き、OH-6Dは編隊で小回りの利いたヘリコプターならではの飛行展示を披露した。

Img_9189  訓練展示は、模擬戦の展示であり、同じ三重県の久居駐屯地から第33普通科連隊、愛知県の春日井駐屯地から第10偵察隊が参加。UH-60JA多用途ヘリコプターから第33普通科連隊の隊員がリペリング降下、続いてヘリから仮設敵に対してドアガンから機銃掃射を実施。

Img_9160  迷彩1型を着込んだ仮設敵は重機関銃にて応戦。迷彩1型が100㍍以上の距離にて最大の迷彩効果を発揮できるようになっており、対機甲戦が重視された冷戦時代に使用されていた。車輌もジープの面影を残す旧型の73式小型トラックで、武装も教育用所要分を借りてきたのか64式小銃であった。

Img_9214  頑強な仮設敵の抵抗に、航空学校は装甲車の空中機動を決断。CH-47J/JA輸送ヘリコプターに軽装甲機動車を吊り下げて支援に飛来した。

 ヘリ機内にも車輌が搭載、多用途ヘリから降下した徒歩部隊はこの増援で、一気に立場が逆転した。

Img_9249  更にAH-64D戦闘ヘリが増援。8km先から必殺の対戦車ミサイルを発射可能な同機の支援により仮設敵はたまらず退却、しかし、空地一体となった我が方に追いつかれ降参。状況は終了となった。同じ航空部隊の駐屯地祭である八尾駐屯地祭では野砲や戦車が参加する野戦に多数のヘリが参加するという印象であったが、明野は軽装甲機動車の空中機動など、仮設敵以外の部隊は全てヘリにより展開しており、ヘリボーンそのものの展示という印象であった。

Img_9214_1  訓練展示終了後は、天候も青空となり、地上展示機ではAH-64Dの前に人垣が出来た。

 ただ、人口密度は航空自衛隊の航空祭ほどではなく、譲り合いの精神で思い思いの角度から最新鋭機を撮影。

 また一部の機体は機内も展示されており、終日賑わっていた。

Img_9279_1  AH-1Sの整備展示など格納庫でも催しが行われており、暗視ゴーグルの体験装着、航空教室に高機動車体験試乗、模擬店なども盛況であった。

 写真は整備展示に並べられたAH-1SのTOWミサイルやロケット弾、機関砲弾。

Img_9253_1  先着450名に地上滑走、抽選で体験飛行。0830時からの整理券配布には長蛇の列が出来、地上滑走では明野駐屯地滑走路に沿って低空飛行が体験できる。

 体験飛行では抽選に当たった幸運な方が伊勢湾眺望空の旅に参加することが出来た。

 明野駐屯地祭、速報は以上。詳細は詳報掲載を気長にお待ちいただきたい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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明野航空祭の速報を掲載しようと考えていたのですが・・・

2007-11-12 21:35:07 | 北大路機関 広報

データが飛んでしまったので・・・

Img_8921_2  明野航空祭の速報を載せようと思っていたのですが、データが飛んでしまったので、また後日。本日は、使用予定の写真を一枚のみで御勘弁のほどを。

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JGSDF,Aviation School AH-64D Apache Longbow

2007-11-11 22:07:58 | 先端軍事テクノロジー

■陸上自衛隊航空学校AH-64D戦闘ヘリコプター

 本日、陸上自衛隊航空学校の駐屯する三重県の明野駐屯地が創立52周年を迎えた。本来ならば速報記事を作成するのだが、今回は特に最新鋭装備AH-64Dに焦点を置き、掲載したい。

Img_9015  AH-64Dは、2006年2月に富士重工より初号機が陸上自衛隊に納入された最新鋭の戦闘ヘリコプターである。富士重工においてライセンス生産を実施しているもので、統合システム管理、自動化、センサーを複合的に運用することでデジタル戦域情報を最大限に活用し、最も効率的な任務遂行を実施可能である。

Img_9208_1  現在、陸上自衛隊には五個対戦車ヘリコプター隊が各方面隊において運用され、即応性の高い空中打撃能力を付与しているが、現在運用されているAH-1S対戦車ヘリコプターでは、発展著しい対空火器の脅威や、デジタル化された戦域情報の処理機材を搭載する余裕などの面で限界がある。このことから、対戦車任務ではなく、情報収集、対地支援、対戦車戦闘といった戦闘全般に対応できる機体として、AH-64Dの導入が開始された。

Img_9281  AH-64DとAH-1Sについて、能力を列挙すると、AH-64D一個飛行隊12機は、AH-1S一個飛行隊16機に対して、火力任務遂行で76目標(AH-1Sは38目標)に対処でき、AH-1Sでは不可能な950km先への戦略運用に対応、400km先の戦術運用で160目標/日(50目標/日)、200km先への対処でも160目標/日(76目標/日)として優位している。

Img_8855  また、AH-1Sでは、対ヘリコプター対処では20㍉機関砲(一応、メーカー資料では低速のヘリに対してTOW対戦車ミサイルが有効、とあるが)だけであり、戦闘機動性では耐G性が欠如しているが、AH-64Dでは空対空ミサイルを有しており、機動性も高い。更にAH-1Sでは制約のある精密自律航法、全天候運用性、C3Iデジタル通信能力が付与されている。

Img_8877_1  明野駐屯地祭における祝賀飛行。日本にもこれだけのヘリが、と思わせられる、なかなかの迫力である。八尾駐屯地祭では28機編隊であったが、明野駐屯地祭では31機編隊飛行、と規模が大きくなっている。航空学校ということで、多種多様な機体が参加しているが、例年に比べUH-1多用途ヘリが少なかった、とのこと(八尾ではUH-1が多数参加)。

Img_8898_1  AH-64Dは三機が祝賀飛行に参加。この他、地上展示機に1機が参加しており、明野駐屯地には4機のAH-64Dが参加した。祝賀飛行では航過が一度だけであるので、この瞬間に回りでは一斉にシャッターを切り、その音が続く、小気味良いシャッター音とともに小生のその中に加わる。

Img_9019  祝賀飛行の大編隊を終え、式典会場正面を飛行し、機体を披露する。ちなみに、陸上自衛隊ではAH-64Dの導入決定まで時間が掛かった為、ライセンス生産に必要なブラックボックス部分の生産が、ボーイング社の生産ラインの生産終了により供給不可能となる。一応、後継のブラックボックスが開発されるはずなのだが、現行のAH-64Dの生産は遠からず終了するとのことである。

Img_8928  ロングボウレーダーを搭載していない機体。一時はC型を区分したが、ややこしいので今日はD型と呼称が統合されている。

 速報、詳報ともに後日掲載予定。とりあえず、機体性能も程ほどに写真だけを並べてみた次第。最後になりましたが、本日、現地でお世話になりましたC.ジョニー様ご一行、MAD様ご一行の皆々様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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