◆駒門駐屯地祭2010特集②
陸上自衛隊駒門駐屯地創設50周年記念行事、第二回の掲載は観閲行進を特集しましょう。
駒門駐屯地には中央即応集団隷下の国際活動教育隊、第1師団隷下の第1高射特科大隊、第1戦車大隊と支援に当たる第1後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊、高射直接支援隊、第1機甲教育隊、方面施設部隊の第364施設中隊等が駐屯、これらの車両が観閲行進に参加します。
観閲行進の先頭を往くのは2007年に新編された国際活動教育隊の車両で、陸幕直轄部隊であるこの部隊の長が兼ねて駒門駐屯地司令を務めています。教育部隊という事で80名と小さな所帯ですが、晴れて自衛隊の本来任務となった国際貢献任務に当たる教育を行います。
軽装甲機動車、このほかに96式装輪装甲車も装備されているのですが、国際活動教育隊は本部と共通教育科、評価支援科、研究科、教育支援小隊から編成されています。これら装甲車は教育支援小隊に装備され、教育訓練の支援や装備開発等に協力しているとのことです。
軽装甲機動車は、硬度の高い鋼板により構成される機動運用を想定した小型装甲車で、民生品などの多用によって製造コストの大きく抑える事が出来たため、慢性的な装甲車不足にあった陸上自衛隊でも多数を配備することが出来、配備開始から十年で既に1500両以上を配備することが出来た装備。
軽装甲機動車は小型ですがその分小回りが利き手頃な大きさにまとまったと言えるでしょう、火力拠点としての運用が想定されて開発されているのですが、国際貢献任務において自衛用に機関銃を搭載する場合、写真のように防盾を搭載して防御力を確保します。機動力は特に路上において高く、増大する普通科部隊の装備品を迅速に展開させる上で不可欠な装備となりました。
96式装輪装甲車、陸上自衛隊は普通科部隊の小銃班輸送用装甲車として60式装甲車や73式装甲車と装軌式装甲車に一本化した装甲車調達を行ってきましたが、不整地突破能力が高い分路上機動力に欠けるという難点があり、90年代から舗装道路を迅速に移動できる装輪装甲車を開発、96式装輪装甲車として完成しています。
中央即応集団の中央即応連隊は本車を多数配備していて、北部方面隊では、第2師団が第3普通科連隊を全て本車で充足していて、第5旅団と第11旅団は隷下普通科部隊に少なくとも1個中隊を本車で充足しているのですが、他には普通科部隊への装備は富士教導団くらいですので、全国の部隊が国際貢献任務へ対応するためにはもっと数を揃える必要がある装備、といえるのですよね。
96式装輪装甲車は既に300両以上が配備されているのですが、値段が73式装甲車と同程度になっています。演習場では戦車に協同出来ない不整地突破能力等も聞こえてくるのですが、国際貢献任務を考えた場合、自走して長距離を移動する必要性も多く、こちらもここ十年間を見れば必要に間に合った装備といえるでしょう。
8輪をもつ装甲車で空気圧調整システムを持っているため不整地では空気圧を落として設置面積を増やすことも可能です。舗装道路を高速で展開する事が出来る装甲車ですが、写真を見ると砂塵に悩まされているようにも、運転時用に風防も開発されているのですが、防弾ガラスではなく単純な風防ですので、戦闘行動を考えると防弾ガラス型もあってしかるべきなのかな、と。
なお96式装輪装甲車は現在、側面部分に増加装甲装着が可能で機関銃周辺に防盾を追加した96式装輪装甲車2型へ生産が移行しています。2型は第3戦車大隊等にも装備されていて、今津駐屯地祭で見る事が出来ましたが、増加装甲は取り外した状態での参加となっていました。
久保勝裕2佐率いる第1高射特科大隊の観閲行進です。第1高射特科大隊は、第1師団の全般防空と前線防空を組織的に行う事で師団の行動を航空攻撃の脅威から防護し、その任務遂行を担保する部隊です。大隊は本部管理中隊、第1中隊、第2中隊より編成されています。
本部管理中隊の82式指揮通信車、指揮官が乗車する車両で無線機等を搭載しています。元々は特科大隊等の指揮用に開発された車両で約250両が納入されました。陸上自衛隊としては初めて開発し導入した装輪装甲車となっています。何分制式化が古く、近年の増大する通信量に追いつかないのが難点で後継装備が開発中となっているみたい。
対空レーダ装置JTPS-P14,大隊の本部管理中隊には対空レーダ装置と低空レーダ装置が配備されており、大隊が運用する各種地対空ミサイルと連動しています。レーダーとミサイルが連携することで組織防空が可能となっており、ミサイル単体では考えられないほどの防空能力を発揮するということになるのです。
第1中隊の観閲行進、93式近距離地対空誘導弾を装備しています。通称は近SAMで第一線の野戦防空を担当するミサイル、ミサイル本体は91式携帯式誘導弾を四連装発射器二基に収めた構造となっていて、車体部分は高機動車で小回りが利き迅速に展開することが可能となっています。
L-90高射機関砲の後継装備として開発されたのですが、L-90は3P弾など拠点防空用として非常に高性能出会った半面、展開に時間が掛かり陸上自衛隊が求めていた機動運用には合致しませんでした。それでは、と87式自走高射機関砲を開発して各師団に8両程度配備しようとしたのですが価格が高くなりすぎ、本装備の開発に至ったという訳。
91式携帯地対空誘導弾はスティンガー携帯地対空誘導弾に続いて国産開発されたものですが、CCDカメラを搭載していて可視画像を追尾する方式を採っているのでフレアーのような熱源を発して離脱しようとした場合でも追尾が可能です。射程5000m、低空に降りてくる航空機にはこの上ない脅威となっています。
この種の地対空ミサイルシステムは各国が開発して装備しているのですが、日本の93式近SAMは各国の装備が車両本体に乗員が乗車して直接照準しているのに対して、データリンクが可能となっているほか、目視照準器具や光学画像装置と赤外線画像装置により車外からの操作が可能であるという点でしょうか。要するにこちらの方が高性能。
他方で本社が置き換えたL-90も前述の通りかなり高性能でして、陣地運用のように機動運用さえ行わなければ十分な能力を有していて、日本周辺でも韓国軍などが重点装備としていますので、ううむへ移行装備とする訳にはいかなかったのかなあ、と思ったりも。この点、将来装輪装甲車体系では自走高射機関砲も開発されるようです。
第二中隊の観閲行進が続きます、第二中隊は81式短距離地対空誘導弾を装備していて、師団の後方拠点などに対する野戦全般防空を担当します。これより後方の集積地や補給路については方面隊のホーク地対空ミサイルや03式中距離地対空誘導弾が全般防空として対処。
81式短距離地対空誘導弾は通称短SAM,高射機関砲とホーク地対空ミサイルの間隙を埋めるためのミサイルとして国産開発が行われまして、レーダーを搭載した射撃指揮装置を中心に二両の発射機により1セットを構成していて、中隊には基本的に4セットが配備されています。
射撃指揮装置のレーダーは索敵範囲が40km、追尾可能距離が30kmという性能を有していて、マッハ2以内の目標であれば同時に8目標までを識別して追尾可能です。レーダー部分はアクティヴフューズドアレイレーダーで、制式化された当時では各国が実用化に向けて研究していた最新技術の一つでした。
ミサイルは赤外線誘導で射程8km、ただ現在はレーダー誘導により射程を16kmに延伸した短SAM-Cの装備が開始されています、けれども1高射には配備されていないようですね。最小射程500mで有効射高は3000mまで、低空侵入に備え15mの低高度目標も対処が可能とのこと。
ミサイルは四発づつ搭載されるのですが、発射は3秒間隔で可能。ただ、ミサイル本体のコンテナを人力で搭載する必要があり、ミサイル本体にも発射前に信管を装着する必要があり、この点が少し前の世代の装備だと感じさせます、なにせ制式化から30年ですからね。このため後継装備の調達が始まります、今度は改善されているみたい。
射撃指揮装置との連動が間に合わない状況では光学照準器による直接照準射撃が可能です。2.5倍から12.5倍切り替え式の照準器が装備されていて、これを使った高速の航空目標への照準はかなり大変とのことですが、同種の装備はフォークランド紛争で効果を上げていました。
第1後方支援連隊第2整備大隊の観閲行進が始まります。後方支援連隊は武器大隊等複数大隊編成だったのですが、車両の増加に対応する目的で第一線に随伴して整備支援を行う第2整備大隊と、師団の後方拠点で時間のかかる重整備を行う第1整備大隊に分ける改編が2000年代に行われました。
重レッカー車。後方支援連隊の車両は種類も豊富なのですが、レッカー車はともかくとして電子整備を行う工作室を備えた車両等、ちょっと分かりにくいものがおおいので、地味という印象もあるのですが後方支援連隊があって初めて戦闘任務を継続できる、ということを忘れてはなりません。
第1施設団第4施設群第364施設中隊の車両、第364施設中隊は駒門に駐屯しているのですが、第4施設群本部は座間分屯地にあり、座間には第363施設中隊、古河駐屯地に第362施設中隊が置かれています。古河駐屯地には第1施設団本部があり、隷下には高田駐屯地の第5施設群もあります。
第4施設群の置かれる座間分屯地、群本部があり中隊も置かれているのなら駐屯地に格上げしても用意のではないか、と思ったりもしましたが方面施設は師団施設が戦闘工兵、対して方面が建設工兵としての任務を担っていたという区分だったのですが、最近は師団施設等から戦闘工兵としての第一線装備を集約する改編を実施しています。
第1特科隊第4中隊のFH-70榴弾砲、牽引式榴弾砲としては最高の性能を有しているFH-70榴弾砲は、各国が同程度の費用で取得できる自走榴弾砲を採用した事で配備は伸び悩み、他方で牽引砲という戦略機動性に注目した陸上自衛隊がNATO各国を差し置いて最大の運用規模を誇るようになっています。
第1特科隊は、北富士駐屯地に駐屯しているのですが、第1特科連隊時代は駒門駐屯地にいました。特科連隊は特科大隊を基幹とした編成なのですが、特科隊は火砲数を縮小して特科中隊を基幹として編成している部隊です。まあ、個人的には中隊基幹でも特科隊と呼ばずに特科連隊と呼んでも良いような気がするのですがね。
北富士駐屯地には四個特科中隊を基幹として師団全般支援任務に当たる第五大隊が置かれていて、駒門駐屯地には他の特科大隊と連隊本部が置かれていたとのことで縮小編成に改編されるという事で本部を北富士に移駐させたという経緯があります。駒門にはもうFH-70は居ないと思ったのですが、この関係で参加したのかもしれません。
FH-70,発砲焔が写りやすい装備なのですが、牽引時の写真を撮影すると中砲牽引車ばかりが目立ってしまうので、こういう横から撮影する写真を載せてみました。自走榴弾砲と違い訓練へ高速道路などを自走できるのですが、将来的には装輪自走榴弾砲へ転換してゆく事でしょう。
観閲行進は前半部分がここで終了、いよいよ第1戦車大隊や第1機甲教育隊の戦車が登場する戦車部隊の観閲行進へと展開してゆくのですが、こちらも多くの写真を紹介したいので今回は前半という事で戦車部隊は後半の特集記事に譲りたいと思います、お楽しみに!。
HARUNA
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