北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成二十二年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報3

2011-02-18 22:48:15 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 花粉が飛び始め、今年は例年よりスギ花粉量が爆発的に大きいという中、皆様如何お過ごしでしょうか、当方は今年こそスギ花粉アレルギーの反応が発症するのではと震えています。

Img_1751  こうしたなか、今週末は千葉県南房総市、航空自衛隊のレーダーサイトである峯岡山分屯基地において開庁記念行事が行われることとなっています。写真は笠取山の第1警戒群ですが(レーダーサイトはここくらいしか行った事が無いので・・・)、峯岡山分屯基地には第44警戒隊が展開し防空監視に当たっています。

Img_1999  峯岡山分屯基地は入間基地の分屯基地で、アメリカ空軍のレーダーサイトとして1954年に創設、航空自衛隊には1961年に移管され同年第44警戒群が創設されました、第44警戒群は2000年に第44警戒隊に改編されたのですが、第44警戒隊のほかに入間基地第1高射群の指揮所運用隊等も1964年から展開しました。

Img_5194  百里基地が近いことから例年、リモートでの飛行展示が行われる事もあるとのことで、今年度は救難ヘリコプターやその他の航空機等(ポスターにはF-15とAH-1S)で実施予定とのこと。昨年の飛行納めでは百里基地よりF-4EJ改戦闘機が飛来してきた、とのことですから、高台より望む航空機の飛行展示は地上の航空祭とは一風違った情景を見せてくれる事もありますので、足を運ばれる方は双眼鏡や望遠レンズをお忘れなく。

Img_1958  この峯岡山分屯基地ですがどの駅からも自動車で一時間程度を要するのですけれども長狭学園と国保病院から無料シャトルバスが運行され、分屯基地へ直接自動車で乗り入れることは出来ないとのことです、この二か所に臨時駐車場が用意されているとのことです。興味が御有りの方は足を運ばれてみてはどうでしょうか。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒門駐屯地創設50周年記念行事(2010.04.04) 詳報:観閲行進前篇

2011-02-17 23:32:18 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆駒門駐屯地祭2010特集②

 陸上自衛隊駒門駐屯地創設50周年記念行事、第二回の掲載は観閲行進を特集しましょう。

Img_3973  駒門駐屯地には中央即応集団隷下の国際活動教育隊、第1師団隷下の第1高射特科大隊、第1戦車大隊と支援に当たる第1後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊、高射直接支援隊、第1機甲教育隊、方面施設部隊の第364施設中隊等が駐屯、これらの車両が観閲行進に参加します。

Img_3976  観閲行進の先頭を往くのは2007年に新編された国際活動教育隊の車両で、陸幕直轄部隊であるこの部隊の長が兼ねて駒門駐屯地司令を務めています。教育部隊という事で80名と小さな所帯ですが、晴れて自衛隊の本来任務となった国際貢献任務に当たる教育を行います。

Img_3978  軽装甲機動車、このほかに96式装輪装甲車も装備されているのですが、国際活動教育隊は本部と共通教育科、評価支援科、研究科、教育支援小隊から編成されています。これら装甲車は教育支援小隊に装備され、教育訓練の支援や装備開発等に協力しているとのことです。

Img_3977  軽装甲機動車は、硬度の高い鋼板により構成される機動運用を想定した小型装甲車で、民生品などの多用によって製造コストの大きく抑える事が出来たため、慢性的な装甲車不足にあった陸上自衛隊でも多数を配備することが出来、配備開始から十年で既に1500両以上を配備することが出来た装備。

Img_3984  軽装甲機動車は小型ですがその分小回りが利き手頃な大きさにまとまったと言えるでしょう、火力拠点としての運用が想定されて開発されているのですが、国際貢献任務において自衛用に機関銃を搭載する場合、写真のように防盾を搭載して防御力を確保します。機動力は特に路上において高く、増大する普通科部隊の装備品を迅速に展開させる上で不可欠な装備となりました。

Img_3986  96式装輪装甲車、陸上自衛隊は普通科部隊の小銃班輸送用装甲車として60式装甲車や73式装甲車と装軌式装甲車に一本化した装甲車調達を行ってきましたが、不整地突破能力が高い分路上機動力に欠けるという難点があり、90年代から舗装道路を迅速に移動できる装輪装甲車を開発、96式装輪装甲車として完成しています。

Img_3985  中央即応集団の中央即応連隊は本車を多数配備していて、北部方面隊では、第2師団が第3普通科連隊を全て本車で充足していて、第5旅団と第11旅団は隷下普通科部隊に少なくとも1個中隊を本車で充足しているのですが、他には普通科部隊への装備は富士教導団くらいですので、全国の部隊が国際貢献任務へ対応するためにはもっと数を揃える必要がある装備、といえるのですよね。

Img_3991  96式装輪装甲車は既に300両以上が配備されているのですが、値段が73式装甲車と同程度になっています。演習場では戦車に協同出来ない不整地突破能力等も聞こえてくるのですが、国際貢献任務を考えた場合、自走して長距離を移動する必要性も多く、こちらもここ十年間を見れば必要に間に合った装備といえるでしょう。

Img_3988  8輪をもつ装甲車で空気圧調整システムを持っているため不整地では空気圧を落として設置面積を増やすことも可能です。舗装道路を高速で展開する事が出来る装甲車ですが、写真を見ると砂塵に悩まされているようにも、運転時用に風防も開発されているのですが、防弾ガラスではなく単純な風防ですので、戦闘行動を考えると防弾ガラス型もあってしかるべきなのかな、と。

Img_3994  なお96式装輪装甲車は現在、側面部分に増加装甲装着が可能で機関銃周辺に防盾を追加した96式装輪装甲車2型へ生産が移行しています。2型は第3戦車大隊等にも装備されていて、今津駐屯地祭で見る事が出来ましたが、増加装甲は取り外した状態での参加となっていました。

Img_4000  久保勝裕2佐率いる第1高射特科大隊の観閲行進です。第1高射特科大隊は、第1師団の全般防空と前線防空を組織的に行う事で師団の行動を航空攻撃の脅威から防護し、その任務遂行を担保する部隊です。大隊は本部管理中隊、第1中隊、第2中隊より編成されています。

Img_4012  本部管理中隊の82式指揮通信車、指揮官が乗車する車両で無線機等を搭載しています。元々は特科大隊等の指揮用に開発された車両で約250両が納入されました。陸上自衛隊としては初めて開発し導入した装輪装甲車となっています。何分制式化が古く、近年の増大する通信量に追いつかないのが難点で後継装備が開発中となっているみたい。

Img_4014  対空レーダ装置JTPS-P14,大隊の本部管理中隊には対空レーダ装置と低空レーダ装置が配備されており、大隊が運用する各種地対空ミサイルと連動しています。レーダーとミサイルが連携することで組織防空が可能となっており、ミサイル単体では考えられないほどの防空能力を発揮するということになるのです。

Img_4022  第1中隊の観閲行進、93式近距離地対空誘導弾を装備しています。通称は近SAMで第一線の野戦防空を担当するミサイル、ミサイル本体は91式携帯式誘導弾を四連装発射器二基に収めた構造となっていて、車体部分は高機動車で小回りが利き迅速に展開することが可能となっています。

Img_3947  L-90高射機関砲の後継装備として開発されたのですが、L-90は3P弾など拠点防空用として非常に高性能出会った半面、展開に時間が掛かり陸上自衛隊が求めていた機動運用には合致しませんでした。それでは、と87式自走高射機関砲を開発して各師団に8両程度配備しようとしたのですが価格が高くなりすぎ、本装備の開発に至ったという訳。

Img_4027  91式携帯地対空誘導弾はスティンガー携帯地対空誘導弾に続いて国産開発されたものですが、CCDカメラを搭載していて可視画像を追尾する方式を採っているのでフレアーのような熱源を発して離脱しようとした場合でも追尾が可能です。射程5000m、低空に降りてくる航空機にはこの上ない脅威となっています。

Img_4030  この種の地対空ミサイルシステムは各国が開発して装備しているのですが、日本の93式近SAMは各国の装備が車両本体に乗員が乗車して直接照準しているのに対して、データリンクが可能となっているほか、目視照準器具や光学画像装置と赤外線画像装置により車外からの操作が可能であるという点でしょうか。要するにこちらの方が高性能。

Img_4038  他方で本社が置き換えたL-90も前述の通りかなり高性能でして、陣地運用のように機動運用さえ行わなければ十分な能力を有していて、日本周辺でも韓国軍などが重点装備としていますので、ううむへ移行装備とする訳にはいかなかったのかなあ、と思ったりも。この点、将来装輪装甲車体系では自走高射機関砲も開発されるようです。

Img_4056  第二中隊の観閲行進が続きます、第二中隊は81式短距離地対空誘導弾を装備していて、師団の後方拠点などに対する野戦全般防空を担当します。これより後方の集積地や補給路については方面隊のホーク地対空ミサイルや03式中距離地対空誘導弾が全般防空として対処。

Img_4059  81式短距離地対空誘導弾は通称短SAM,高射機関砲とホーク地対空ミサイルの間隙を埋めるためのミサイルとして国産開発が行われまして、レーダーを搭載した射撃指揮装置を中心に二両の発射機により1セットを構成していて、中隊には基本的に4セットが配備されています。

Img_4061  射撃指揮装置のレーダーは索敵範囲が40km、追尾可能距離が30kmという性能を有していて、マッハ2以内の目標であれば同時に8目標までを識別して追尾可能です。レーダー部分はアクティヴフューズドアレイレーダーで、制式化された当時では各国が実用化に向けて研究していた最新技術の一つでした。

Img_4062  ミサイルは赤外線誘導で射程8km、ただ現在はレーダー誘導により射程を16kmに延伸した短SAM-Cの装備が開始されています、けれども1高射には配備されていないようですね。最小射程500mで有効射高は3000mまで、低空侵入に備え15mの低高度目標も対処が可能とのこと。

Img_4064  ミサイルは四発づつ搭載されるのですが、発射は3秒間隔で可能。ただ、ミサイル本体のコンテナを人力で搭載する必要があり、ミサイル本体にも発射前に信管を装着する必要があり、この点が少し前の世代の装備だと感じさせます、なにせ制式化から30年ですからね。このため後継装備の調達が始まります、今度は改善されているみたい。

Img_4067  射撃指揮装置との連動が間に合わない状況では光学照準器による直接照準射撃が可能です。2.5倍から12.5倍切り替え式の照準器が装備されていて、これを使った高速の航空目標への照準はかなり大変とのことですが、同種の装備はフォークランド紛争で効果を上げていました。

Img_4069  第1後方支援連隊第2整備大隊の観閲行進が始まります。後方支援連隊は武器大隊等複数大隊編成だったのですが、車両の増加に対応する目的で第一線に随伴して整備支援を行う第2整備大隊と、師団の後方拠点で時間のかかる重整備を行う第1整備大隊に分ける改編が2000年代に行われました。

Img_4075  重レッカー車。後方支援連隊の車両は種類も豊富なのですが、レッカー車はともかくとして電子整備を行う工作室を備えた車両等、ちょっと分かりにくいものがおおいので、地味という印象もあるのですが後方支援連隊があって初めて戦闘任務を継続できる、ということを忘れてはなりません。

Img_4082  第1施設団第4施設群第364施設中隊の車両、第364施設中隊は駒門に駐屯しているのですが、第4施設群本部は座間分屯地にあり、座間には第363施設中隊、古河駐屯地に第362施設中隊が置かれています。古河駐屯地には第1施設団本部があり、隷下には高田駐屯地の第5施設群もあります。

Img_4087  第4施設群の置かれる座間分屯地、群本部があり中隊も置かれているのなら駐屯地に格上げしても用意のではないか、と思ったりもしましたが方面施設は師団施設が戦闘工兵、対して方面が建設工兵としての任務を担っていたという区分だったのですが、最近は師団施設等から戦闘工兵としての第一線装備を集約する改編を実施しています。

Img_4093b_2  第1特科隊第4中隊のFH-70榴弾砲、牽引式榴弾砲としては最高の性能を有しているFH-70榴弾砲は、各国が同程度の費用で取得できる自走榴弾砲を採用した事で配備は伸び悩み、他方で牽引砲という戦略機動性に注目した陸上自衛隊がNATO各国を差し置いて最大の運用規模を誇るようになっています。

Img_4102  第1特科隊は、北富士駐屯地に駐屯しているのですが、第1特科連隊時代は駒門駐屯地にいました。特科連隊は特科大隊を基幹とした編成なのですが、特科隊は火砲数を縮小して特科中隊を基幹として編成している部隊です。まあ、個人的には中隊基幹でも特科隊と呼ばずに特科連隊と呼んでも良いような気がするのですがね。

Img_4105b  北富士駐屯地には四個特科中隊を基幹として師団全般支援任務に当たる第五大隊が置かれていて、駒門駐屯地には他の特科大隊と連隊本部が置かれていたとのことで縮小編成に改編されるという事で本部を北富士に移駐させたという経緯があります。駒門にはもうFH-70は居ないと思ったのですが、この関係で参加したのかもしれません。

Img_4110  FH-70,発砲焔が写りやすい装備なのですが、牽引時の写真を撮影すると中砲牽引車ばかりが目立ってしまうので、こういう横から撮影する写真を載せてみました。自走榴弾砲と違い訓練へ高速道路などを自走できるのですが、将来的には装輪自走榴弾砲へ転換してゆく事でしょう。

Img_4111b  観閲行進は前半部分がここで終了、いよいよ第1戦車大隊や第1機甲教育隊の戦車が登場する戦車部隊の観閲行進へと展開してゆくのですが、こちらも多くの写真を紹介したいので今回は前半という事で戦車部隊は後半の特集記事に譲りたいと思います、お楽しみに!。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧島山新燃岳噴火の火山灰が新田原基地へ影響、小松基地・百里基地へ訓練移転

2011-02-16 23:17:23 | 防衛・安全保障

◆火山活動は安全保障にも影響を与える

 霧島の噴火、なんと60km離れた航空自衛隊新田原基地に対して影響を及ぼしていたようです。こうなると鹿児島県の鹿屋航空基地は大丈夫なのか、と思ってしまいます。

Img_8883_2  小松基地 新田原のF15到着 2011年02月16日:新燃岳噴火 空自が訓練移転・・・小松市向本折町の航空自衛隊小松基地に15日、新田原(にゅうたばる)基地(宮崎県新富町)所属のF15戦闘機8機が到着した。宮崎、鹿児島県境の新燃岳(しんもえだけ)の噴火で同基地での訓練が滞っているための「移動訓練」で、今週中に同基地飛行教育航空隊のF15を15機程度、T4練習機2機程度と隊員約150人を受け入れ、早ければ21日から訓練を始める予定。小松基地渉外室によると、先月下旬からの新燃岳の降灰で、火口から約60キロ離れた新田原基地でも飛行中止などの影響が出ており、小松基地と百里基地(茨城県小美玉市)に部隊の一部を移して訓練することが決まったという。 同室の広報担当者は「移動訓練は普段から行っているが、災害による実施は極めてまれ。訓練の終了時期は未定で、小松での飛行回数も増える見込みだが、飛行ルートの地元合意などをしっかり教育した上で訓練を実施する」と話している。(長田豊http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000001102160005

Img_9289_2  小松基地へ新田原基地の第23飛行隊が移動してきているとのことです。記事によればF-15が15機程度、これはかなりの数ですね。火山灰は航空機に対して非常に大きな悪影響を与えます、空気取り入れ口からエンジンに飛びこみ高熱で溶解したのちにエンジン後部で外気により冷却され、固まって噴射を阻害するほか、タービンブレードにこびり付き冷却機能を妨害してタービンそのものが熱で溶融する、等など不具合を引き起こします。このほか、火山灰に突っ込むと風防が研磨され摺りガラス状になったりして視界を妨げ、非常に危険だったりします。もっとも厄介なのは、火山灰というと降り積もったものや噴煙を思い浮かべつ方が多いかもしれませんが、実は噴気により上空へ上りますと拡散してしまい、多くの場合は肉眼では見えなくなってしまうのですね。したがって回避するのが非常に難しい。当然レーダーにも映りません、IRSTならば多少は見えるかもしれないのですがこれは推測ですし、IRSTは火山灰対処用のものではありません為難しいでしょう、IRSTそのものが火山灰に突っ込めばセンサー部分のカバーが研磨されてしまいますし、酷い場合はピトー管に火山灰が詰まってしまい速度など計器の異常を引き起こす事もあります。

Img_8287_2  霧島の噴火はいつ沈静化するか、全く見通しが立たず、これも民主党が歳出削減の一環として霧島火山系を含む多くの火山を常時警戒の体制から、数百年に一度の火山噴火を監視することは無駄だとして削った事に起因しているのでしょうか、あまり詳しい事は分からないようです。300年前の享保年間における霧島噴火では新燃岳から8km先の村落までは火砕流の被害に遭った、という記録があり、こちらについても記事にある通り小松基地へいつまで訓練展開していればいいのか、という目途は立たないようです。もっとも、火山活動が軍事基地へ悪影響を及ぼす、というのは意外に多くあるのですよね。昨年のアイスランドにおけるエイヤフイヤットラヨークトル火山噴火ではNATOの空軍演習が大分影響を受けてしまいましたし、過去には、これも数年前の話でそこまで昔の話ではないのですが浅間山が噴火した際に何故か火山灰が横田基地の方に流れてしまい、入間基地や百里基地、羽田空港に成田空港、もちろん厚木基地まで影響が無いにもかかわらず横田基地だけ使用できなくなった、ということがありますし、同時期にアラスカの火山活動でエルメンドルフ空軍基地が使用不能になってしまった、二十年ほど前にはフィリピンのピナツボ火山噴火によりクラーク空軍基地が使用不能となり、これを契機に在比米軍が全面撤退へ展開、在日米軍などへ編入された、という事例もありました。

Img_8857_2  しかし、これは軍事空白を生むというリスクがある事も忘れてはならないでしょう。もちろん、火山灰が滞留している間は航空自衛隊が航空優勢を確保できないからと言って別の空軍が領空侵犯しようとしても前述の理由により墜落する危険があるため、いわば航空優勢を握っているのは諸国家に対して中立の“火山灰”による空中哨戒(?)なのですが、影響が拡大して豊後水道上での訓練等に影響が及ぶだけではなく、九州のもう一つの基地である築城基地や海兵隊の岩国基地へ支障が来たすようになれば、アジア全体の安定にも影響してしまう可能性があります。また、前述のピナツボ火山噴火により在比米軍のクラーク空軍基地が火山灰に覆われたため放棄されてしまい(火山と基地の距離は京都~新大阪程度)、空母二隻が展開可能であった海軍のスービック基地も放棄され、実質的に南シナ海に面した米海軍の拠点が無くなってしまった事で抑止力の均衡が崩れてしまいました。翌々年には中国軍がフィリピン領ミスチーフ環礁に上陸し不法占拠、現在は守備隊と陣地を構築し居座り続けているほか、地域でのシーパワーを米海軍は部分的に侵食される状況に陥っています。火山活動は地震被害と比べて広範囲に影響を及ぼすものですから、国際政治の観点からこうした火山活動を見る視点も必要、ということになるのでしょう。

Img_8564  もっとも、霧島の新燃岳については全体としては非常に大きな火山だったとのことですが、ピナツボ火山の火山爆発指数7のような大噴火に繋がる可能性は現時点では無いようですので、嘉手納基地や佐世保基地が、という訳ではないのですけれども、まあ、飛行隊の訓練移転、という程度の影響が出始めているようですね。こなりますと、100km近く離れている海上自衛隊の鹿屋航空基地は大丈夫なのか、と思ってしまいます。航空自衛隊は九州に新田原基地のほかに築城基地があるのですが、鹿屋航空基地は九州唯一の固定翼哨戒機部隊、周辺国の潜水艦が日本近海に侵入することを警戒する部隊です。那覇航空基地とともに南西諸島の警戒に当たっているため、ちょっと心配になってきます。航空自衛隊ですが、新田原から小松だけで15機、このほかに百里にも機体を移転させて訓練するとのことですから、もしかしたらば新田原のF-4が、同じF-4を運用している百里基地へ移転するのかもしれません。すると、かなりの機体が別の基地へ展開する、という事になるようです。新燃岳の噴火がかなり長期間にわたり続いてしまって、百里に移転したF-4が噴火活動が沈静化して新田原に戻る頃にはF-X船艇が完了してF-22に機種転換していた、なんてことは無いと思いますが、案外今年の小松基地航空祭は賑やかになってしまう、なんてことはあり得るかもしれません。火山活動は市民生活にも甚大な影響を与えてしまいますので、出来るだけ早く沈静化する事を願いたいですね。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮流機雷という危険性 台湾有事と在沖米軍海兵隊抑止力

2011-02-15 23:45:51 | 防衛・安全保障

◆台湾海峡有事の機雷、日本列島到達の可能性

 先日、鳩山前総理が普天間問題に関する抑止力という発言は方便だった、という発言をされまして、いろいろと論議を呼んでいるのですが、少し気付いた事があるので今回は南方の問題について。

Img_6006  在沖米軍海兵隊は台湾海峡有事の際に即応して台北に展開し、自国民救出に当たる事が出来る、これが中国に対して台湾海峡有事に際しての米軍介入の強力な根拠となり、言い換えれば巨大な通常戦力と核戦力を持つ米軍の介入という可能性を抑止力として台湾海峡有事を抑止している、と過去に書いているのですけれども、台湾海峡有事となれば、日本に対して今まであまり書かれていない事で非常に大きなリスクがある一点に気付きました。台湾海峡有事が日本にどう波及するか、と言えば中国軍が台湾海峡を潜水艦や機雷で封鎖するため日本のシーレーンが脅かされる、台湾が中国に占領されれば台湾を根拠地として中国軍が南西諸島への圧力を強めてくる等などの可能性があり、また、日本国内の米軍基地が攻撃目標となり得る旨過去に記載しているのですが、機雷、台湾の中華民国軍が台湾海峡を通行する中国軍上陸部隊を阻止するために敷設するという一点の評価、この波及を忘れていました。この一部が流失した場合潮流に乗って南西諸島や日本列島近海に到達する可能性があるのです。

Img_7642  台湾は1972年頃までアメリカより台湾本土上陸を阻止するために機雷を積極的に輸入していました。係維機雷や沈底機雷等種類は多種多様ですが、中華民国軍が旧式機雷を大量に廃棄しているという話には接しませんので、今でも多数を保有しているのだと推測することが出来ます。相当数この中で沿岸部に敷設するのが、係維機雷でこれは海底にアンカー部分を装着して浮力を持たせた機雷本体を鎖で係留する方式の機雷です。これが鎖の部分が掃海作業や腐食、破損により切り離されると浮流機雷となって漂う危険性があるのですね。浮遊機雷という敷設時から漂流して海域を封鎖する等の用途に用いられる機雷があるのですが、これは国際法上公海を危険にさらすことから一定時間での不活性化自壊装置の装備が義務付けられているのですが、浮流機雷になりますと、そもそも本来用途以外の不具合により漂流するのですから爆発する性能を持ったまま潮流に乗り日本列島に到達する危険性があるという訳で、これはどうしたものでしょうか。

Img_7808  一応海上自衛隊には少なくない掃海艇があり、数の上では世界有数の対機雷戦能力を有していまして、ヘリコプターによる航空掃海能力も有しているのですが、台湾海峡有事の際に数千やそれ以上の単位で機雷が敷設され、中国軍の掃海活動により係留鎖が切断された後で潮流に乗って流れ始めた、というようになればどうなるでしょうか。大型タンカーを始め日本近海は多くの船舶が行き交い、その海運により日本経済や社会生活が維持されているのですから、一隻でも被害に遭えば、またはその可能性が指摘されただけでどうなることか。機雷敷設は自衛権の行使ですから、日本から何とかしてくれ、というのは内政干渉です。中国軍も機雷を台湾の軍港封鎖などに用いれば、どちらの機雷が流出したのか、証拠をつかまなければ何とも言えないのですが、何よりもどれだけの数の機雷が流失したのか、どの海域が危険度が高いのか、これが分からなくなるという点が何よりも脅威になってしまうでしょう。こればかりは、在日米軍の抑止力に代わるものはありません。まあ、自衛隊を抜本的に強化してそれこそ台湾有事の際に瞬時に中国軍の行動を阻止可能であり、中国本土からの核攻撃に耐え得るだけの防衛能力を持つくらいしかないのですが、ちょっとそれは、某元航空幕僚長氏が構想する必要な自衛力×2くらいの能力が無ければ難しいのではないかな、と。

Img_8777  上記末尾は冗談ですが、台湾海峡有事の際の日本への機雷の脅威は現実です。海上自衛隊の掃海能力は非常に高いものである、と信じているのですが今回は機雷の数が多すぎます、そして同時に来ます、イギリス海軍はフォークランド紛争の際に航洋型掃海艦の不足を大型タグボートやトロール漁船への掃海機具装備による応急掃海艇で凌ぎましたが、なにしろ今回は比では無い数の機雷に向かうのですから、どれだけ必要になるかわかりません。また、太平洋戦争における日本へのシーレーン攻撃は当初は潜水艦によるものでしたけれども最後にとどめを刺したのは航空機や潜水艦から敷設された機雷であり、戦後には日本側が本土決戦に備えて敷設した機雷が長くシーレーンや漁業の障害となりました事を思い出さずにはいられないのです。もちろん、全く船舶が航行できないほどの浮流機雷により日本列島が封鎖される、という可能性は無いのでしょうけれども、例えば“沖縄近海に台湾海峡からの浮流機雷が10~100個程度到達した可能性がある”、という情報が流れた場合、日本国内の船舶交通はどのような打撃を受けるでしょうか、“一ヶ月程度で数不明の機雷が京浜沖に到達する可能性がある”となったらどうでしょうか。なにやら昨年の“探偵ナイトスクープ”で『石垣島の海中でダイビング中に落とした防水デジカメが四国沿岸に漂着したので持ち主を探して返してあげたい』、という企画があり大団円を迎えていましたが、そう、海はつながっているのですね、風評被害だけで済めばよいのですが、大きな問題となるでしょう。注意が必要なのは台湾有事の可能性がある時点で防御機雷原の敷設が行われた時点で日本近海に多数の機雷が投じられた事になり、これだけでシーレーンに対して非常なマイナス要素となってしまうという事。そして、有事や危機が沈静化した後でも全ての機雷を回収するか処分しない限り、危険性は数年単位で日本周辺を遊弋することになってしまいますので、これは避けなければならないでしょう。

Img_9812  これらを防ぐためには、抑止力で機雷が使われない、戦闘がおこらないようにする方策の模索しかありません。つまり、中国の台湾統一は民主的なもの、台湾からの主体的で民主的な同意のもとで行われるものを除き拒否する姿勢を日本はとらなければならず、台湾海峡の平和と安定というものを維持する死活的重要性を認識することが必要でしょう。アメリカ海兵隊を含め緊急展開部隊が沖縄に展開している事が、中国の軍事的冒険を抑止するということですけれども、台湾という地政学上の要件や、戦闘に伴うシーレーンへの影響だけではなく、浮流機雷の発生という危険が台湾海峡有事には含まれている、ということです。台湾による台湾海峡機雷封鎖、これも大きな日本への影響を及ぼすことになるのだなあ、と気付きました次第。この点からも抑止力は方便、といっている方が首相だったということは、なにか腑に落ちないものを感じます。機雷は静かな脅威、突如船舶が水柱に包まれて初めて分かる危険性です。

HARUNA

(本ブログに掲載した本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧島山新燃岳噴火、災害派遣要請に備え第8戦車大隊・西部方面特科隊が前進待機

2011-02-14 22:11:11 | 防災・災害派遣

◆えびの駐屯地・国分駐屯地に前進

 霧島の火山活動ですが、小康状態と爆発的噴火が繰り返されており、小規模な火砕流やラハールが観測され、警戒が続いています。こうした中、陸上自衛隊が災害派遣要請に備え部隊の移動を開始しているようです。

Img_0549  雲仙普賢岳災害派遣に74式戦車が派遣された、という話を思い出しました。写真は第3戦車大隊の74式ですが第4戦車大隊の74式戦車が派遣されたようです。火砕流に一発撃ち込んで、という訳ではなく写真の砲身横にある投光機、戦闘では赤外線フィルターを装着して非可視化するのですけれども、普賢岳では監視所から夜間にフィルターを装備せずに探照燈として使用して火口部分の照明を行い、遠距離から火砕流の発生を警戒したとのことです。

Img_28782/10日付 ニュース トップ 新燃岳(九州)噴火で待機 8戦大など・・・ 鹿児島と宮崎の県境にある霧島連山の新燃岳(標高1421メートル)で1月27日、52年ぶりに爆発的噴火が起き、宮崎県側の都城市や新富町、鹿児島県内など広範囲に火山灰による被害が発生した。 防衛省は火砕流の発生など被害が拡大する恐れがあることから28日夕、自衛隊への災害派遣要請に備え、西方通信群(都城)のヘリ映像電送のための車両2両をえびの駐屯地に派遣。

Img_2410  31日正午には防衛省に災害対策連絡室を設置、陸自8戦車大隊(玖珠)の装輪装甲車7両をえびの、国分両駐屯地に派遣、前進待機させた。 また、同日と2月3、7日には気象庁の依頼で海自22空群72航空隊(鹿屋)のUH60Jヘリ1機が同庁職員と火山予知連絡委員による上空からの新燃岳観測を支援した。

Img_7007  2月1日には西方特科隊(湯布院)の砲側弾薬車4両、8戦車大隊の戦車回収車1両もえびの、国分駐屯地に到着、前進待機した。 新燃岳は1月19日に火山性微動が観測されて以来、小規模爆発を繰り返し、爆発的噴火に伴う空振で民家や学校のガラス窓が割れるなどの被害が続いているhttp://www.asagumo-news.com/news/201102/110210/11021004.html

Img_5262  今回は戦車にまだお呼びが掛からなかったようですが、今回記事横掲載の写真は、一枚目が78式戦車回収車、二枚目が87式砲側弾薬車、三枚目が映像伝送装置を搭載して運用されるUH-1J多用途ヘリコプター、この写真が海上自衛隊のUH-60J救難ヘリコプター。災害派遣要請がいつ出されても良いように自衛隊では準備を進めています。西部方面隊はかつて雲仙普賢岳の火山活動でも火山予知連絡会の情報を元に地元自治体や中央と一体となって準備を行い、被害を最小限度に抑えた経験があります。

Img_2386  写真には203mm自走榴弾砲が写っていますが、その後ろに見えるのが87式砲側弾薬車、一発90kgもある203mm砲弾を搭載するための車両ですが、一応防弾ですから噴石の直撃に対しても防御力があって、砲弾を搭載できる区画に逃げ遅れた被災者を収容することも可能、そしてキャタピラーをもっている装軌式車両ですので火山灰の堆積した地域でも走破が可能という事で準備されているのでしょう。

Img_4324  78式戦車回収車は、74式戦車が故障した際に使用する車両。通常乗用車が故障した時にはレッカー車を呼びますが38㌧もある戦車はレッカー車で移動させることは困難、泥濘地ではレッカー車も動けない可能性が高い事で装備されている車両。車体部分は74式戦車ですし、第一線で使う事を想定した防御力をもっていますので、少々の噴石ではビクともしないだけでなく、クレーンを取り付けているので土木工事車両等の重い車両が動けなくなった場合でも回収が可能となっている車両、砲側弾薬車も戦車回収車も火山活動を見越した準備という訳。

Img_9372  写真は96式装輪装甲車。北部方面隊には履帯を足回りにもつ73式装甲車や機甲師団の一部は89式装甲戦闘車を運用しているのですけれども、東北・東部・中部・西部の方面隊には96式装輪装甲車や四輪駆動という軽装甲機動車のようなタイヤ式の装甲車しかもっていません。火山灰は少しでも水分を含むと粘り気をもって、しかも雪と違って溶けないのでタイヤの溝にこびり付き、動かなってしまいます。それでは駄目ということで、今回の準備となった模様。

Img_4258  こういう話を聞きますと、昨日の記事では無いですけれども装軌式の装甲車を用意していても良かったのではないかな、と思ってしまいます。普賢岳の時には73式や旧式ですが60式装甲車など残っていたのですけれども、北海道に集中してしまったのですよね。もう一つ通信体制の準備などは、災害派遣となった際にすぐに出動できるように通信基盤を構築しておくということで意義があります。

Img_8875  西部方面隊には無人観測ヘリコプター等も装備されていまして、必要とあれば今後待機命令が掛かるかもしれません。今朝の噴火では噴岩が小林市まで到達して民家や自動車に被害が及んだという事ですので、錦江湾に近い国分市等にも距離的には到達する可能性がありますので注意が必要と考えます。

Img_6860  今後の情勢によっては対砲レーダーを展開させて地中マイクロフォンと連動させて大型噴岩の追尾が必要になる、・・・、ところまでは流石にいかないのでしょうけれども、情報伝達や警報は間に合いませんからね、しかし、火山性土石流とも呼ばれるラハールの危険のある地点に対して早期監視の為の監視装置設置や火砕流、報道では熱風と呼ばれているのですが火砕サージ被害の生じる地域への孤立住民が発生した場合などに災害派遣要請が出されていれば対処することになるのでしょう。被害を防ぐため、万一への備えは為されているようです。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽装甲機動車部隊量産開始から10年 大きく変わった普通科部隊

2011-02-13 14:18:59 | 防衛・安全保障

◆装甲化は次の段階へ!?

 昔の書籍なんかを整理していまして、そのなかで繰り返し“普通科部隊の装甲化”という論調が見られまして、そういう時代もあったのだなあ、と昨日の事のように思い出します。

Img_1714  自衛隊の装甲化は軽装甲機動車の導入で大きく変わりました。その道中は2001年度予算から、いまから10年前です。当方初めて軽装甲機動車を見ましたのは2002年の伊丹駐屯地祭で33連隊に入ったばかり、導入当初はまだ小銃も64式で、という話を聞きました、まだ十年経っていないのですね。あの年は訓練展示模擬戦の仮設敵が60式自走無反動砲を繰り出していた時代です。

Img_4601  年間100両から多い年度には200両が調達され、既に1500以上が装備されている軽装甲機動車の装備により、当方が足を運ぶ駐屯地ではまず最初に第10師団が普通科連隊に中隊規模で装備してゆきまして、続いて佐藤連隊長とともに7連隊へ装備が開始、偵察隊へも装備が開始され、大津駐屯地祭へは13旅団管区からも軽装甲機動車が展開しているという数年前、普通科部隊の装甲化は着実に進んでいるということを強く認識しました。

Img_8583  高機動車よりも小さくて使いにくいですよね・・・、いや元来が班単位で複数車両を運用して火力拠点を点から線や面にする事が目的のようですよ。不整地突破能力が低く演習場では注意していないと重心が重くて・・・、そういえば装軌式小型装甲車の構想もあったようですね。運転時に視界が悪くて夜間の無灯火走行時は暗視装置が引っ掛かってしまって・・・、装甲車ですからね。

Img_4628  さて・・・、意見は色々聞くのですが相応の理由もありまして、ともあれ、万年徒歩の普通科部隊、冷戦時代は地形に依拠した頑強な抵抗を行うには最高の不整地突破能力を目指す徒歩が地皴の隅々を防衛拠点と出来る、と言われていたのですが、戦闘防弾チョッキや対戦車ミサイル等普通科部隊の装備は重くなるばかり、それならばそろそろ装甲車の広範な装備が必要だろう、という運びで導入されました。小さい点や機動力については上記のとおり。

Img_2546  ドイツのウィーゼル空挺戦闘車的な小型車両が、軽装甲機動車の候補に上がっていた、とも聞く事があるのですけれども、戦略展開能力を考えた場合と、全ての普通科連隊に中隊規模で配備する事を考えれば、あの方式が最適だったのかな、と。参考に想定されていたというフランスのVBL軽装甲車と比べた場合軽装甲機動車の方が2ドアから4ドアになっていますし、汎用性も高まっているのだなあ、と。

Img_3770  他方で、軽装甲機動車は装甲車を火力拠点と考えていて、一個普通科班で分散して運用する事を想定しているので、歩兵戦闘車と比べて一発で全滅する可能性が無く、点としての運用から線や面としての運用が可能になるという点の一方で、実は降車戦闘を本来は想定していなかったのではないか、と思わせる話を聞いた事があります。

Img_3908  乗車戦闘が基本となっていたはずなのに降車戦闘を行っているので、運転手が降車する必要があり、後方に置いたまま戦闘に突入するのですから敵に捕獲されたり、車上狙いに荒らされたりしないようにカギが取り付けられているとのことですが、降車戦闘を行っている途中での状況変化に装甲車が展開出来ないというのはどうなんだろう。

Img_4770  そこで、普通科部隊の装甲化というのは、軽装甲機動車で一段進む事が出来たのですけれども、乗車戦闘により迅速な戦闘展開を行う軽装甲機動車とともに、降車展開により支援する大型装甲車の普通科連隊への広範な配備もそろそろ考えなければならないのではないかな、そういう余裕が出てきているでしょう、と考えたりしました。

Img_6761  ううむ、高機動車の装甲型というような、文字どおりに受け取らないで、その四輪駆動程度で機関銃を搭載する中型の装甲車か、負担は大きくなるのですが戦車部隊に追随可能な装甲戦闘車かを大量導入する必要が出てきているのだろう、と。これは将来装輪装甲車体系が目指す装備でしたが、あまり高くなりすぎると数を揃えられない可能性が出てきますし、しかし安普請では展開能力に差が出てしまう。

Img_5218  難しいところですけれども、戦車が定数削減となる以上は戦車を敵の対戦車兵から防護できる程度の装甲戦闘車が普通科連隊にも、対戦車中隊か第五中隊、もしくは本部管理中隊に戦車協同小隊として車両のみ4~8両程度を装備させて、中型装甲車や軽装甲機動車と連携させるという方法もあるかもしれません。

Img_4117 それをやるとソ連の軽・中・重混成戦車団が速くて軽い順に独ソ戦で各個撃破されたようになってしまいますが、運用次第では中戦車と重戦車を組み合わせたドイツ軍的な運用を普通科部隊の装甲車で可能となりますし、富士教導団普通科教導連隊のような混成運用の例、まあこれは仕方ない半面もあるのですが、なんとかなりそうですよね。次の十年で普通科部隊がどう発展しているか、ちょっと期待したりします。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防衛大綱で縮減された戦車、その戦略展開を行うにはどうすればいいのか

2011-02-12 23:49:12 | 防衛・安全保障

◆輸送艇増強?代替打撃手段充実?

 駒門駐屯地祭の観閲行進写真を整理していましたら、その様子をみると二個中隊基幹の戦車大隊というのは、相当機動力を高めなければ広い師団管区を担当できないのかな、と。

Img_2570  こういう記事を掲載している以上、まだ本日は掲載しないのですが、駒門の次の記事。さて、戦車、防衛大綱改訂によりどんどん縮小されまして、これでは生産ラインを維持するためには戦車の車体を利用した自走榴弾砲や戦車回収車等の派生型車両をかなり重視しなければならないのだろうなあ、と。

Img_6529  そう思いつつ、一方で実際に行えば火砲の取得費用が増大する訳ですから、防衛大綱における装備定数縮減が予算縮減を目的とするならば、最低定数を下回った場合、逆に高価になるのではないかな、と。一方で前述の通り装備定数が縮小しても防衛管区が縮小される訳では無いので、戦略機動力を高めなければならない。

Img_4103  また、師団と旅団に自衛隊の基幹部隊編成が二分化された今日では、管区を超えた運用を行う必要が出てくる訳です。そうしなければ、部隊密度の低い旅団管区が真っ先に着上陸地域を誘致してしまう事になりますからね。代わりに偵察警戒車の連隊本部管理中隊への装備や第五中隊や対戦車中隊への装甲戦闘車配備のような代替打撃手段を行うのも予算を圧迫するのですし。

Img_6536  話を戻して、少ない戦車を戦略展開させる、となると、つまり長距離の機動ですが、戦車輸送車の充実、が現実的な唯一の策になるのですが、これが、今まで必要性を何度も強調されつつも十分な数を揃えられていないという実情、そして道路網を用いた移動はゲリラコマンドーの襲撃を受けた場合の脆弱性があるのですよね。

Img_4888  鉄道による輸送、これはここでさんざんその充実の必要性を強調しているのですが、しかし、こちらもゲリラコマンドーの強襲を受ける可能性が高いため極力車両等では無く有事の際には物資のコンテナ輸送に特化して、平時の訓練輸送などに特化するべきなのでしょうけれども、併せて鉄道では戦車は大きすぎて現状では輸送できません。

Img_3534  このあたり、戦車の戦略展開に輸送艦、これを充実させてはどうかな、と。輸送艦は防衛大綱に定数がありませんし、島嶼部防衛とも重なるのですけれども道路上、防衛出動待機命令が発令される以前の事前配備等には規制が出来ない可能性がありますので高速道路を利用するには限度があります。そこで、海上を移動してはどうか、と考える訳。

Img_5906  輸送艦というと、おおすみ型のようなドック型輸送艦的な装備を彷彿される方も多いでしょうけれども、米海軍がドック型揚陸艦からの運用を想定して大量建造したLCU-1610型なんかは、一つの理想形なのかな、と。満載排水量375㌧、速力は11ノットしか出ませんが、M-1戦車二両を輸送できるとのことで、74式や10式戦車であれば3両が輸送可能で14名での運用が可能です。

Img_6897  海上自衛隊では、交通船として形状が揚陸艇型の船艇を基地内の輸送用に運用しています。これは外洋航行能力がありませんけれども、LCU-1610型程度であれば交通船として取得が可能かもしれません。これを地方隊に6~8隻程度配備すれば、道路状況に左右されずに輸送できますし、災害派遣での輸送も充実します。航空攻撃を想定すると万全な案ではありませんが、しかしこれは主要道路でも想定できることですからね。

Img_4422  民間船舶の輸送能力を期待したいところですけれども、平時の演習への移動ではその能力を期待できるのですが、潜水艦の脅威が想定できる状況等では果たして運行できるのか、という不安が残りますので、やはり事前展開を除けば自衛隊地震での移動展開を行わなければならない、と考えます。戦車を減らした分、機動展開が必要になるのですから、その分の輸送手段の確保はなんとかしてほしいところ。

Img_0437  他には空中打撃能力の充実、という事も考えられるのですが、AH-64Dは調達中止になってしまいましたし、とてもでは無いですが、数的充実を図って戦車の代替、遅滞行動を行う空中打撃力とするのは難しいでしょう、予算は有限なのですからね。まあ、輸送艇の充実も少なくない費用を要するのではあるのですが、空中打撃手段よりは、と。

Img_0886  戦車定数を縮減した事で、駒門駐屯地祭の写真を見ていまして、これからどうなるのだろう、と考え、機動力の展開を突き詰めて考えた結果、こういう事になったのですが、それよりも、せめて冷戦終結後の90年代に制定された防衛大綱定数、戦車900両に戻して、基盤的防衛力における打撃力としては、そうする訳にはいかないのか、その方が予算も最小限で何とかなるのでは、と思った次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78式雪上車後継には通年運用可能な空自運用のBV206J-02が最適

2011-02-11 23:08:07 | 防衛・安全保障

◆10式雪上車の配備が開始されているようですが

 第12旅団の豪雪災害派遣任務等、今年は除雪に関する災害派遣任務が多いですが、陸上自衛隊の雪上車に関して、ちょっと思った事を書いてみます。

Img_7265  霧島ですが、ひと段落火山活動が、と書いてラハールの話を書いた翌朝にまたまた大規模な爆発が、油断できないのですが普賢岳噴火の際に活躍した60式装甲車は既に除籍、73式装甲車は北部方面隊に集中配備、装輪装甲車ばかりになってしまいました。ううむ、89式装甲戦闘車のような装甲車が本土の師団にも必要と考えるのですが、不整地突破能力も高い。

Img_01751_2  閑話休題。陸上自衛隊は大原鉄工所製78式雪上車をこれまで装備してきまして、この後継装備として同じく大原鉄工製の10式雪上車の配備を開始しているそうです。この10式、写真でもまだ見た事ありませんし、どういう形状か、新しい装備年鑑に掲載を期待しているのですけれども、航空自衛隊がレーダーサイト等で運用している大型雪上輸送車BV206J-02をライセンス生産して装備してみてはどうかな、と考えました。

Img_0163  BV-206,航空自衛隊の豪雪地にあるレーダーサイトにおける創設記念行事では展示されるのでしょうか、残念ながら実物は見た事がありません。さて、この車両は装備年鑑に大型雪上輸送車として掲載されていますけれども元々はスウェーデンヘグルンド社が1974年に開発した全地形追随車両でして、湖沼地帯が多く全土が積雪地であるスウェーデンにおいて水陸両用で広幅履帯による積雪地突破能力を付与し、前後が分離させた形状により地形障害突破能力を高めた車両です。

Img_6441  雪上車ですが、最高速度は52km/hを発揮できますので最高速度53km/hの74式戦車に追随可能でして、なによりもこの車両は雪上車として積雪地を突破可能な全地形追随車両なのですから夏等の冬季以外の寄港において運用が可能なのです。陸上自衛隊の駐屯地では78式雪上車は冬季以外動いている様子がありませんが、BV-206ならば不整地の輸送用に夏季でお運用が可能という訳で、運用の幅は広がります。

Img_5140  BV-206は装甲を有していませんので装甲車としての能力はありませんが、後部車両は座席を折りたたむことで輸送用に使用でき、この場合2000kgの輸送を果たします。不整地突破能力は高機動車よりも上ですので、高機動車の運用が難しい地形障害のある地域への120㍉重迫撃砲や79式対舟艇対戦車誘導弾の輸送等に運用することが可能です。

Img_0391  もちろん、積雪期には路外機動力を発揮して、この種の装備の展開に活躍する事でしょう。展開可能な地形に対し牽引車両の能力からその展開に制約が加わるという状況では、その能力を最大限に発揮することはできません。この部分にも主力では無く補助でも全地形車両が加わることの意義は大きいはずです。

Img_0665  BV-206の輸送能力は、部分的には資材運搬車としての運用が車体こそかなり大きいのですが可能ですし、水陸両用ですから70式地雷原処理装置や、道路障害作業車等のアタッチメントを搭載することで、師団施設大隊や旅団施設中隊の第一線での作業支援にも充てることが可能ともいえます。75式装甲ドーザや92式地雷原処理車が方面施設にどんどん集約されているようで、師団や旅団施設部隊の能力強化はかなり切迫した問題とも思うのですし、ね。

Img_6793  もちろん、広範に装備するにはBV-206は安価ではありませんので難しいでしょうが、普通科連隊の本部管理中隊や施設大隊本部等に数量の配備から開始すれば、災害派遣任務、特に除雪任務での迅速な展開を念頭に置いて、路上性能の高さと不整地突破能力の両立を提示すれば、多少は予算が通りやすくなるやもしれません。

Img_7015  BV-206について、装軌式ですが、必要とする整備はかなり大きなものとなるかもしれません。しかし、本車を運用可能な程度の整備支援能力を部隊や後方支援連隊の直接支援部隊に付与すれば、言い換えれば部隊が96式装輪装甲車等を将来受領した際の整備基盤を構築する事ともつながるのではないでしょうか。

Img_6699  将来的に装甲車の必要性が高まり、一方でBV-206の能力に問題が無いようであれば、BV-206には装甲型のBVS-10という型式があり、車体部分が装甲化、高い不整地突破能力はそのままで概ねM-113と同程度の防御力を確保している構造になっています。重量が大きく車体も拡張されているので費用は大きいでしょうけれどもね。

Img_8051  78式雪上車、駐屯地で見かける事もあるのですが、駐屯地記念行事の時期では片隅にいまして、参加したそうにも見えるのですが、動く様子は見れません。しかし、陸上自衛隊には数百両単位でかなりの数があり、それならば、その後継装備には航空自衛隊での運用実績があり、通年で運用可能で、用途も広い車両を導入してみたらば、任務対応の幅も広がるのかな、と思いました次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成二十二年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報2

2011-02-10 22:31:06 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 霧島ですが、ラハール(火山性土石流)の危険性が高まっているとのことです。

Img_5610  気象庁はラハールについて警告していまして実際に危険は多いのですが大規模な火山活動がひと段落した事で、加熱した火山性アスファルトへの降雨による崩壊を起因とする大規模なラハールはひとまず避けられそう、万一に備え西部方面隊、第8師団が待機に入っているとのことですし、最悪の事態は避けらそうですが、引き続き厳重な警戒と早めの避難が望まれます。

Img_5793  霧島の火山の話題は上記のとおりですが、次は今週末の自衛隊関連行事について紹介します。前回の北大路機関広報でもお伝えした通り、鹿児島県では掃海母艦うらが、の一般公開が行われていまして今週末の土曜日が一般公開最終日となっています。会場は鹿児島港本港地区北埠頭です。一般公開についてはリンク先にありますところをよくお読みのうえ、足をお運びください。

Img_4127  自衛隊関連行事は以上の通りですが、今週末は再度一般公開が無料となった朝霞や佐世保、浜松の自衛隊広報施設に足を運ばれては、と思います。無料になりましたが展示内容は今まで通りの水準でして、自衛隊とは?という素朴な疑問にも応えてくれる体験型広報施設です。また、佐世保基地や呉基地、舞鶴基地の桟橋一般公開等もHP等をご覧いただければ、情報が掲載されていますので、是非どうぞ。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒門駐屯地創設50周年記念行事(2010.04.04) 詳報:記念式典

2011-02-09 23:28:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆駒門駐屯地祭2010特集①

 陸上自衛隊駒門駐屯地は、静岡県の富士山に程近い駐屯地で、陸幕直轄部隊や第1師団の重火力部隊、教育部隊等が駐屯する駐屯地です。

Img_380_8  駒門駐屯地は2010年4月4日、創設から50周年を迎えました。昨年に撮影した写真ですが、今回から何度かに分けて駒門駐屯地祭の様子を紹介したいと思います。もう暫くすれば駒門駐屯地祭2011の時期になりますから、駒門駐屯地祭はどんな所か足を運ばれる、その際の参考にでもなれば幸い。

Img_3745  駒門駐屯地祭、しかしなぜ今?と思われるかもしれませんが、なんといいますか速報記事を紹介してから詳報を載せていない記事が結構あるのですよね。しかし写真のように仮免教習中の車まで並ぶ(違)程の行事を紹介せずそのまま当方だけが保存、というのも見せてくださった駐屯地の方に申し訳ないので、掲載、ということに。忘れていた訳では無いですよ、多分。

Img_3769  当方一行、東名高速を駒門で降りまして駒門駐屯地へ、一瞬だけ高速道路の車窓からも見える駐屯地なのですが上の写真にあるように駒門駐屯地を正門から入りました。案内に辿って車で進みますと、そのまま裏門へ。なんだ帰れという事!?と思いきや、裏門のところに駐車場があったのですね。教習場を利用した駐車場、S字カーブとか指定されないかとひやひやしましたが、縦列駐車練習場に駐車。駐屯地へ足を運びます。

Img_3764  装備品展示会場を抜けて式典会場に向かうのですが、この写真、プレートには“74式戦車”、とあるのに何も見えません。隣の96式装輪装甲車は見えるのに、・・・、まさかBAEが開発中という高額迷彩を技本が一足先に実用化か!?、それともバカには見えない戦車なのか!?!?、なぞはこの時点では解けませんでしたが、これはのちほど。

Img_3770  そんなこんなでウロウロしていますと、式典会場に向かう部隊が進んでゆきます。実はこの日、初めて駒門駐屯地祭を撮影するということで、駐屯地の中というのは分からない状況だったのですが、90年代の初めころに行った事のある方々と同行させてもらったので、とりあえず会場に進んで全体の地形を把握しよう、ということになりました。

Img_3777  駒門駐屯地の会場に到着。撮影しにくい駐屯地だ、と練馬駐屯地や武山駐屯地等で多くの方々からお教え頂いていたのですが、なるほど、けっこう手狭なのですね。それもそのはず、装甲車の背後に並ぶ戦車の訓練は近くの東富士演習場で行うので、広大である必然性はないのだ、ということなのでしょうね。

Img_3774  ここまでは楽しみにしていた駒門駐屯地祭なのですが、まさか、・・・、あんなことになるとは・・・、この時は、おもってもみなかったのです。・・・、とまあ意味深な事を書いてみたりします。会場にはそれなりの装備が、軽装甲機動車の背景には74式戦車の車列がみえまして、駐屯地と教習場の途上に見えるモータープールにも戦車が溢れていました、が、です。

Img_3804  写真とこれまでの文章でお気づきかもしれませんが、この駒門駐屯地、第1師団の駐屯地だと思っていたのですよね。しかし、御存知の方は多いでしょうけれども第1機甲教育隊が駐屯していまして、これが思いのほか大規模で、しかも国際活動教育隊が駐屯している、教育重視の駐屯地だった訳です。まさかこんなことになっていたとは、思いもしませんでした。

Img_3787  第1音楽隊が会場に入場してゆきます。その背景には90式戦車回収車。90式戦車は74式戦車よりも12㌧も重いので38㌧の74式戦車を故障時に改修する78式戦車回収車では支援が出来ない事もあり、90式戦車回収車が導入されました。つまり90式戦車のいない駐屯地では見れない装備です。

Img_3778  駒門駐屯地に構築された陣地。国際活動教育隊の教育施設とのことで、仮設式のような印象ですが実質的にはここに恒常的に配置されているようです。海外派遣任務が増大した自衛隊にあって野戦や市街戦などの国土防衛戦のみを研究した今日までの訓練体系では応用が利かないのが国際貢献任務、その為の教育と研究を駒門駐屯地で行っているとの事。

Img_3795  式典会場入場へ待機する隊員たち。いよいよ駐屯地祭の始まりですね。ここは狭いので撮影アングルが限られるのです、そろそろこちらも撮影位置を決めなければならないのですが、入場者の数をざっと把握してみますと、経験上なんとかなりそうでした、EOS-40Dはファインダーを覗かずともライブビューア撮影が出来るのです、これで撮影の自由度は広がる広がる。

Img_3805  駒門駐屯地祭2010。音楽隊の演奏とともに式典参加部隊が会場に入場し整列します、式典会場に整列した隊員の背景には陸上自衛隊師団防空の柱、81式短距離地対空誘導弾が見えます。装甲車や戦車も並んでいて、首都防衛の重責を担う第1師団の重装備が揃っているのがみえるでしょうか。

Img_3826  駒門駐屯地に駐屯している部隊は、中央即応集団に所属する国際活動教育隊、第1教育団に所属している第1機甲教育隊、第1師団隷下にある第1戦車大隊、第1高射特科大隊、第1後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊、同高射直接支援隊、第1施設団第4施設群所属の第364施設中隊、及び支援部隊と駐屯地業務等を行う部隊です。

Img_3827  第1機甲教育隊は武山駐屯地の第1教育団に所属していますが、第1教育団が今年度末、というとあと一ヶ月ちょっとなのですが改編され、第1教育団から即応予備自衛官の教育訓練等を加えた東部方面混成団となりますから、次の駒門駐屯地祭では、第1機甲教育隊の所属は変わっている事でしょう。

Img_3838  秋葉駐屯地司令の登壇に合わせ整列した部隊が敬礼を行います。部隊旗の敬礼で同時に多数の旗が振り下ろされる瞬間を狙ってみました。聞くところでは、ここでシャッターをバチバチきるのか、模擬戦だけを見に来るのかで、軍ヲタか否かが分かる、と第3陸曹教育隊のカメラマンの方が仰っていました。

Img_3847  秋葉瑞穂駐屯地司令が部隊巡閲を行います。秋葉瑞穂1佐は国際活動教育隊長兼ねて駒門駐屯地司令を務められている方で、東部方面隊の第1師団ではなく、国際活動教育隊、つまり防衛大臣直轄部隊である中央即応集団隷下の部隊長の方が駒門駐屯地司令を務めているのですね。

Img_3857  秋葉司令からの巡閲を受ける式典参加部隊。さて、冒頭に駒門駐屯地祭は撮影が難しい、と記載しましたが駐屯地の広さ以外にもう一つあります。それはこの写真を見るとよくわかるのですが、招待者席の位置ですね。式典を撮影できる場所は全て招待者席が数列確保されていて、広角で撮るとどうしても招待者の頭上が写ってしまうのです。全員識別帽でも農協の帽子でも被ってくれると絵になるのですが、これも駒門駐屯地祭“らしさ”なのでしょう。

Img_3865  訓示を行う秋葉司令。国際貢献任務が増大し、陸上自衛隊は従来の冷戦時代に想定した運用から世界の自衛隊へと新しい一歩を責任とともに歩み出している中、一層の隊員の努力と向上心を求め、地域地元との連携とともに首都防衛を担う第1師団の教育訓練を重ね更に精強である部隊を錬成する事を求める、このように訓示されました。

Img_3873  秋葉瑞穂司令に対し敬礼!。訓示を聞きつつやはり思ったのですが、ここ十年間で自衛隊は物凄く変わりましたね。2011年の今年は9.11から十年にあたるのですが、まさか自衛隊がイラクに行くとは当時思いもよりませんでしたし、安全保障情勢全般も西方の脅威増大や北方の脅威再建、そして国際貢献任務の激増、変わるものです十年で。

Img_3884  駒門駐屯地創設50周年記念行事ということで、民主党の代議士、この時点で与党ですが、の方も何人か訓示、偉い方もいらしていたようですが、ちょっと上記のとおり考え事をしていましたので、内容は記憶に残りませんでした。成程!、と頷かせられるような、しっかりとした祝辞でしたら強烈に印象に残るのですが、ね。

Img_3887  祝辞の撮影も、できれば正面から撮影して雰囲気を紹介したかったのですが、先にも記したとおり撮影することのできる場所が限られていました。この場所では、観閲行進も撮影が難しいのかな、と思い始めまして、なんでも招待席越しにライブビューアで片手伸ばし撮影に限定されてしまいそうでしたから、ね。そこで撮影位置を変えることに。

Img_3892  駐屯地からはJR御殿場線が見えます、小田急の特急あさぎり号も見えたのですが、明野のように駐屯地外から撮影する事は出来なさそう、そこで、式典会場と装備品展示会場に向かう途中の、一般開放されている地区の端に足を進めました。自販機があったので補給するのが目的ですが、ここがアングルとして良さそうにみえたので、陣地転換。

Img_3899  観閲行進の隊形を取れ!、記念行事が終了し、いよいよ駒門駐屯地祭は観閲行進へと進んでゆきます。式典会場に整列した部隊はそのまま観閲行進に参加する車両の待機場所へと移動を開始します。暫くするとエンジンの始動音が聞こえ始め、こちらもカメラを再度構えて来るだろう次の展開を待つという状況。

Img_3907  式典会場に展開していた車両が観閲行進の停車位置へと移動を開始、ここから駒門駐屯地祭観閲行進へと移るのですが、戦車や各種ミサイル、装甲車が映える観閲行進の様子は次回に紹介したいと思います。駒門駐屯地創設50周年記念行事詳報:観閲行進、次回をお楽しみに!。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする