北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

迎春二〇一四明けましておめでとうございます 新年の元日にWeblog北大路機関よりの御挨拶

2014-01-01 23:50:04 | 北大路機関特別企画

◆本年も北大路機関をよろしくお願いいたします

 謹賀新年、謹んで新年のご挨拶をさせていただきます。本日より2014年、新しい一年が始まりました、毎年一番アクセス数が少ない時期に行われる北大路機関新年のご挨拶です。

Kurama2014_img_0076 新しい一年、本年はどのような一年となるのでしょうか、本日がこの一年間の書初め端緒、防衛問題と安全保障問題に様々な話題を折りつめて毎日Weblog北大路機関は更新してゆきます、今日この日から様々な出来事が待っている365日をどうぞよろしく。

Kurama2014_img_0066 曰く、“未来は〝理”だけに導かれるものじゃない、
そこに運勢がある、偶然がある、ありとあらゆる不条理な積み重ねが、最後に運命の形を決めるの
”。物事は主体的観点に立ち無し売るべき物事を積み重ね行動こそが形となる、まさしく民主主義もその通りであり、防衛や安全保障問題へも主権者が正しい知識に依拠し形作るもの、含蓄或るお言葉ですね。

Kurama2014_img_0182 かの方へ“ああ。時間を稼ぐのはいいが― 、別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう? ”というお言葉が寄せられましたが、例えば昨今唱えられる戦後レジームからの脱却、という言葉を考えますと、言い換えれば“我が国だけは特別な国家”、という一種選民思想的な背景にある状況が妥当なのか、という視点にも繋がりそうな印象です。

Kurama2014_img_0225 かの方と共に歩まれた方の言葉に“いらない。そんな事は、望めない ……そうだ。やりなおしなんか、できない。 死者は蘇らない。起きた事は戻せない。そんなおかしな望みなんて、持てない”、と。異なる手段を以て成道に挑む行為への反論として述べられたものですが。

Kurama2014_img_0218 これら二つの言葉は、前述の言葉とともに、現代の外交防衛政策の在り様を将来見返すときの視点を予見しつつ、物事は進むべきなのかもしれません。こうした一連の流れと共に、日本を普通の国家へ、という政治の潮流を見ますと、それこそ錯覚で自縛自制したまま国際関係の荒波を進んでいる現状に他なりません。

Kurama2014_img_0259 曰く“剣は折れ、肉も落ちた。闘志すら消えたのなら、そこで土に還るがいい”。現状のまま為すべきことを為さず運命を待ち続けるならば、それは必然的な結果をもたらすのでしょう。これは将来の視点から怠慢と指摘され、自縛の様子こそ周辺国からは逆に不審の目で見られないのか、と。

Kurama2014_img_0245 ただ、実利だけを重んじ安易に功利主義に走ることは必ずしも妥当ではなく、曰く“でも、貴方はそれを許せない。我慢できない人だから、そうでしょう? この、誰も失われていない理想郷で。貴方だけは失われたものに価値を見出そうとしている”、との言葉もあり、我が国のアイデンティティとして確たる理想を提示し、進んでゆくということも重要でしょう、ね。

Kurama2014_img_9990 一方で我が国は憲法で国際法上の武力攻撃を手段と共に封じていますが武力行使は封じていません。曰く“戦と名がつくからには、勝ってみせるのが誇りッ!”、と。外交や通商交渉における圧力と経済制裁は国際法上の武力行使に当たります、Used Forceが示す武力行使は影響力の行使という意味合いを持っています。

Kurama2014_img_0002 この概念、定義の上からは軍事力以外の力の行使を含んでおり、武力攻撃を示すArmd Attackとは明確に区別されていますが、Used Forceという概念から、我が国の国際関係の展開を見てゆくと意外な発見があり、両概念は区別されるも近接する概念でもあります。もちろん、我が国の過剰な平和の誇示を否定するものではありませんが、国際関係のなかで我が国は国家として規範に沿う以上、必要な措置は採っている、忘れてはなりません。

Kurama2014_img_9946 すると、世界を見渡せば武力紛争など周辺国との緊張を近郊に持ち込めず放置した結果の結論が広く散見されますが、どうあるべきなのでしょうか。この一助となる言葉を探しますと、曰く“私が私でいるため。 最初の町の宿屋に閉じこもって、ゆっくり腐っていくぐらいなら,最後の瞬間まで自分のままでいたい。たとえ怪物に負けて死んでも、この世界には負けたくない。どうしても。”と。

Kurama2014_img_0158 わたし!気になります!、という姿勢こそ重要です。曰く“頑張れば何とかなる保証は、ありませんが・・・、頑張らなければ、何ともならない事は保証できます”、という言葉がありますので、個々人、仕事に家庭に研究に学業に、といろいろと限界は多いのですが、怠惰に陥らない事こそ肝要なのやもしれません。

Kurama2014_img_0141 曰く“いくら成績が良くても、それはパーツの集合体にすぎません。私はそういうパーツでななく、思考を生み出すシステムが知りたいんです”。これこそが知的集約体系であり、基礎には哲学があります。生きるとは学び続ける事、学ぶとは知識の断片を押し込み続ける事ばかりではありません。

Kurama2014_img_0019 曰く“人が黙って頷いてやってりゃあ、好き勝手言いやがって、勝手に失望してんじゃねーよ、無茶な頼みごとだってことはてめーが1番わかってんだろうが!子供に無茶言うのがてめえの仕事か!?大人解決できねーことが子供に解決できるわけあるかあ、ああん!?”、と。ですから、子供たちの将来に明るい未来を供することが出来るよう、様々な分野の議論を進めねばなりません。個々で出来る事は限られていますが。

Kurama2014_img_0100 曰く“ふん、このヘタレが。世間が勝手に作り上げた評判など知ったことか。 私は自分が一緒にいたい相手は自分で決める!だからこれからも私と一緒にいろ”、あまり独善的になってゆくのは望ましくありませんが、声に耳を傾けつつ評価ではなく自らの論理と価値観の合理性と社会性を考えてゆくことも大切、この姿勢は学びたいものです。

Kurama2014_img_9910 ただ、北大路機関は広くコメント欄でご意見を募っていますが、心ない発言で挑発する方もいらっしゃいます。“私は冷静な人の味方で、無駄な争いをするバカの敵。あなたはどっちなの?”、多くの意見が論議を深めるのは当方としても有難いことですが、あからさまな挑発は、ちょっと。

Kurama2014_img_9931 曰く、“いきなりぶっ放すなんて、ずいぶん沸点が低いんだね”、というような行動を採られる方はさすがにいませんが、やはり挑発と釣りにあたるような書き込みは避けてほしい、これだけはお願いしたいところです。もちろん、感情的になることは当方とて他人の事ばかりは言えませんので、お教えいただくことも多いのですけれども。

Kurama2014_img_0109 曰く、“たとえどんなに邪悪な心でも、女神の調べで包んで見せる!”人間は社会性の生き物ですから、感情の起伏こそ生きている証左ですが、当方は女神のような広い運用ではなく、管理人は管理しなければならない、という友人からの言葉を受け止め、よりよい討議場所を供することができるよう運営してゆきます。

Kurama2014_img_0117 ただ、写真について“あんまり上手くないですね!”と言われてしまいますと、勿論仕方ないなあ、という気持ちと共に写真の仕上がりについて自覚してはいるのですが、少々へこみます。よりよい写真の撮影と掲載を目指してゆきますので、本年も北大路機関をよろしくお願いいたします。
Kurama2014_img_0127  ところで、年末に新しい撮影機材を導入しまして、かの言葉“「ああ・・っ私のギー太が・・・」「名前ついてたんですね・・・」”、という気持ちが漸くわかるようになりました、この虎の子新装備をどう云う状況で投入するべきか、迷うところですが、写真の仕上がりは多少上がってくれるかな、と機材負けし無いよう頑張ります。

Kurama2014_img_0042 長々となってしまいましたが、本年も毎日新しい話題と情報を提供し、防衛と安全保障についての討議の種子を提示できれば、という主旨で運営を広げてゆきます。多くの方のご高覧によりWeblog北大路機関は支えられていますので、本年もどうかよろしくお願いいたします。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (5)
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