■赤坂明星輪寺,金生山頂の寺院
美濃赤坂散策、岐阜県大垣市金生山山頂に位置する寺院で、山門は標高144m、舗装されつつ峻険な角度の道路を進んだ先にあります。
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赤坂明星輪寺、岐阜県大垣市赤坂の金生山山頂に位置する寺院です。金生山、貨物輸送で知られる西濃鉄道、その周辺は石材業により古くから栄えた地であり、鉄道開通以前の水運港施設等が今日も維持されています、そして其処から見上げますと山頂に輝いている。
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金生山、その山頂には寺院があるとの事ですが、舗装道路が整備されていまして気軽に登れそうであるのと、流石に伊吹山や関ヶ原地峡がありますので琵琶湖は望めないでしょうが、50km以上離れた名古屋の市街地を一望できるであろう、と絶景を求め歩み始めました。
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伊吹山地南東端に位置する金生山は山全体が石灰岩で良好な石材を算出し、大理石の産出量は日本有数です。石灰石や大理石の採掘場は愛宕鉱山に河合石灰鉱山と清水鉱山や昼飯鉱山と並び、山容を変える程少々といいますかかなり心が痛む程に山が削り取られている。
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持統天皇の勅命により虚空蔵菩薩を祀る寺院として686年に開山しました。呪術師役小角が明星輪寺開山を執り行ったとされ、修験道開祖とされる役小角が選んだ地、ということでこの峻険な山頂に寺社仏閣が広がっている背景を見た思いです。俯瞰風景は素晴らしい。
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天河大弁財天社、奈良県は吉野に標高1800mの奥宮を奉じる社、龍泉寺は奈良県近鉄吉野線から自動車二時間を要する難所に位置する伽藍の広がりですが、赤坂明星輪寺を開山しました役小角が同じく造営した寺社仏閣です。七堂伽藍と一山五坊を有する壮大なもの。
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本尊虚空蔵菩薩を安置しただ、濃尾平野一望と背景に伊吹山を望み北東に日本アルプス連山が続くこの寺院は眺望がいいという点は逆に山頂にあり、参詣には登山を経なければなりません、故に一時荒廃してしまいます。実際、道路が整備されていても散策には厳しい。
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実際、舗装されている道路ならば簡単に上れるだろう、と元々山登りをするつもりなどなく登り始めたのですが、大徳寺を参拝して船岡山に登るような、もしくは伏見稲荷大社を参拝して稲荷山に上るような、簡単な気持ちで登りはじめますと少々勝手が違いました。
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弘法大師空海が801年に再興する事となり、その後に真言宗寺院へと改まり、桓武天皇により保護を受ける事となりました。金生山山頂に位置する寺院ですが、金生山そのものがこの寺社仏閣を構成しています、寺社仏閣としたのは神仏分離令により神社と別れたため。
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突然の落雷により1148年、焼失していまします、木造地蔵菩薩半跏像は難を逃れますが山頂にある仏閣故に仕方ない一方で平安末期の混乱の中、再建は実現するものの規模は限られたものでした。再興は江戸時代1609年、美濃国高須藩藩主徳永寿昌により為されました。
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徳永寿昌、柴田勝家の子の柴田勝豊に仕え、賤ヶ岳の戦いでは羽柴軍として参戦、勲功から豊臣秀次付の家老として美濃国松ノ木城主となる。豊臣秀次謀反処分では捕縛方として行動、関ヶ原の戦いでは東軍に参加、高須城攻略や駒野城開城等活躍し名を残しています。
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美濃大垣藩第2代藩主戸田氏信は大垣藩祈祷所として明星輪寺を奉じ、その保護に注力します。戸田氏信は生まれが関ヶ原の戦い前年とあり、勲功を挙げる事が出来ませんでしたが、二条城石垣普請や豊川大恩寺の山門造営等の難工事を重ね、平和時に相応しい武将だ。
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戸田氏信の父戸田氏鉄は膳所を所領とした武将で関ヶ原の戦いに臨み、大坂の陣では豊臣軍の京都北上を警戒し膳所城を維持、その勲功をもって近江膳所藩主から摂津尼崎5万石を経て、美濃大垣10万石へ移封され。親子共々大垣市内の水路整備などに注力しました。その街並みも、急な上り坂の車道と共に赤坂明星輪寺の俯瞰風景に広がります。
北大路機関:はるな くらま
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美濃赤坂散策、岐阜県大垣市金生山山頂に位置する寺院で、山門は標高144m、舗装されつつ峻険な角度の道路を進んだ先にあります。
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赤坂明星輪寺、岐阜県大垣市赤坂の金生山山頂に位置する寺院です。金生山、貨物輸送で知られる西濃鉄道、その周辺は石材業により古くから栄えた地であり、鉄道開通以前の水運港施設等が今日も維持されています、そして其処から見上げますと山頂に輝いている。
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金生山、その山頂には寺院があるとの事ですが、舗装道路が整備されていまして気軽に登れそうであるのと、流石に伊吹山や関ヶ原地峡がありますので琵琶湖は望めないでしょうが、50km以上離れた名古屋の市街地を一望できるであろう、と絶景を求め歩み始めました。
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伊吹山地南東端に位置する金生山は山全体が石灰岩で良好な石材を算出し、大理石の産出量は日本有数です。石灰石や大理石の採掘場は愛宕鉱山に河合石灰鉱山と清水鉱山や昼飯鉱山と並び、山容を変える程少々といいますかかなり心が痛む程に山が削り取られている。
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持統天皇の勅命により虚空蔵菩薩を祀る寺院として686年に開山しました。呪術師役小角が明星輪寺開山を執り行ったとされ、修験道開祖とされる役小角が選んだ地、ということでこの峻険な山頂に寺社仏閣が広がっている背景を見た思いです。俯瞰風景は素晴らしい。
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天河大弁財天社、奈良県は吉野に標高1800mの奥宮を奉じる社、龍泉寺は奈良県近鉄吉野線から自動車二時間を要する難所に位置する伽藍の広がりですが、赤坂明星輪寺を開山しました役小角が同じく造営した寺社仏閣です。七堂伽藍と一山五坊を有する壮大なもの。
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本尊虚空蔵菩薩を安置しただ、濃尾平野一望と背景に伊吹山を望み北東に日本アルプス連山が続くこの寺院は眺望がいいという点は逆に山頂にあり、参詣には登山を経なければなりません、故に一時荒廃してしまいます。実際、道路が整備されていても散策には厳しい。
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実際、舗装されている道路ならば簡単に上れるだろう、と元々山登りをするつもりなどなく登り始めたのですが、大徳寺を参拝して船岡山に登るような、もしくは伏見稲荷大社を参拝して稲荷山に上るような、簡単な気持ちで登りはじめますと少々勝手が違いました。
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徳永寿昌、柴田勝家の子の柴田勝豊に仕え、賤ヶ岳の戦いでは羽柴軍として参戦、勲功から豊臣秀次付の家老として美濃国松ノ木城主となる。豊臣秀次謀反処分では捕縛方として行動、関ヶ原の戦いでは東軍に参加、高須城攻略や駒野城開城等活躍し名を残しています。
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美濃大垣藩第2代藩主戸田氏信は大垣藩祈祷所として明星輪寺を奉じ、その保護に注力します。戸田氏信は生まれが関ヶ原の戦い前年とあり、勲功を挙げる事が出来ませんでしたが、二条城石垣普請や豊川大恩寺の山門造営等の難工事を重ね、平和時に相応しい武将だ。
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戸田氏信の父戸田氏鉄は膳所を所領とした武将で関ヶ原の戦いに臨み、大坂の陣では豊臣軍の京都北上を警戒し膳所城を維持、その勲功をもって近江膳所藩主から摂津尼崎5万石を経て、美濃大垣10万石へ移封され。親子共々大垣市内の水路整備などに注力しました。その街並みも、急な上り坂の車道と共に赤坂明星輪寺の俯瞰風景に広がります。
北大路機関:はるな くらま
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