北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

陸上防衛作戦部隊論(第六四回):装甲機動旅団再検討日本版機甲支隊、四単位編成の模索

2017-11-20 20:07:31 | 防衛・安全保障
■中隊戦闘群,17両編成AFV試案
 戦闘部隊は単なる部隊編制ではなく、戦術単位として実任務に当たる際に、集合分散を駆使し机上の戦術を実運用に反映する事を考えねばなりません。

 装甲機動旅団隷下に連隊戦闘団を編成する場合、連隊戦闘団に配属される部隊は特科大隊と施設中隊に後方支援連隊普通科直接支援中隊や衛生小隊と通信小隊、旅団編成ながら装甲機動旅団は特科隊ではなく特科連隊を維持する、としました背景には連隊戦闘団の独立戦闘能力を重視した為ですが、配置を転用すれば、連隊隷下に新しい作戦単位を置ける。

 新しい作戦単位の在り方の重要度は、従来案を戦車中隊に機械化普通科中隊を加えた機械化大隊と軽装甲機動車に対戦車中隊を加えた捜索大隊、という編成を提示した一方、相互の運用互換性が無く、一方が大きな損耗を受けた場合、特に機械化大隊の攻撃衝力を捜索大隊が代替する事が出来ず実質単一大隊に他ならないとの厳しい実情の解析に依拠します。

 装甲戦闘車化普通科小隊は各普通科中隊に3個小隊編成として6個小隊、軽装甲機動車中隊は3個小隊編成、各小隊は4個班編成という、戦闘基幹部隊である中隊は3単位編成であり、第一線部隊は4単位編成、従来の自衛隊運用方式を採用しました。一方、第一線部隊を3単位編成とし戦闘基幹部隊を4単位編成という部隊編成も各国に採用されるところ。

 4単位編成中隊を採用した場合、小隊規模は縮小しますが、装甲戦闘車小隊は8個小隊で軽装甲機動車小隊は4個小隊となります、すると各中隊から小隊を抽出し、再編成した場合、机上の論理では3個中隊を構成する小隊から、2個装甲戦闘車小隊と軽装甲機動車小隊を基幹とする混成中隊を4個編成する事が可能となります、この試案の意味する点について。

 戦車中隊長の位置づけから、この試案を提示しました。普通科中隊長は3個中隊を基幹としますので、3名の指揮官が連隊長の隷下に集っている訳ですが、連隊戦闘団編成に際しては、此処に戦車中隊長が加わります、戦車中隊長は中隊を指揮し、戦車部隊が一体となり運用される事が理想ですが、機械化大隊一個へ戦車を全て集中しては運用柔軟性を損なう。

 戦車中隊は戦車小隊を1班と2班へ分散運用する必要性から4両編成の小隊とする必要性を強調して参りましたが、運用上は臨時に中隊先任曹長を第4小隊長として、各戦車小隊から1両を抽出、臨時に3両編成小隊を編建てし、戦車中隊隷下を3単位編成から4単位編成とする事は不可能ではないでしょう、その上で戦車中隊長へも普通科部隊を配置する。

 戦車小隊に2個装甲戦闘車小隊と軽装甲機動車小隊、戦車3両と装甲戦闘車7両に軽装甲機動車7両、もしくは、戦車4両と装甲戦闘車6両に軽装甲機動車7両、装甲車両は重装備に軽装甲混成ながら17両を基幹として、中隊戦闘群を編成する事が可能となります。勿論、本案は予備車が限られ、機動打撃を展開するには攻撃衝力持続性の限界は否めません。

 装甲中隊戦闘群、と仮称する編成案ですが、防御に重点を置く場合には、防衛正面を広く維持し、いわば連隊戦闘団の分散運用を可能とする視点です。装甲化が不十分であれば、分散運用は各個撃破へ繋がる懸念がありますが、装甲部隊の利点は機動力が高く集合と分散が容易である点で、三方面と予備隊という同一編成の4単位部隊を連隊長隷下に置ける。

 無論、この編成案は固定案ではなく、攻撃前進下の攻撃衝力持続性が重視される場合には機械化大隊と捜索大隊、防御戦闘に際しては頑強な戦闘力が求められる状況化では4個装甲中隊戦闘群を置く、原則論として中隊が重視され、中隊長の位置づけを第一として戦闘序列を組み立てるという前提ではありますが、戦術単位を複数持つ事は選択肢を広めます。

北大路機関:はるな くらま
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【EOS-M3撮影速報】岐阜基地航空祭2017/各務原飛行場100周年祭予行(2017-11-18)

2017-11-19 20:06:41 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■岐阜基地開庁60周年特別公開
 本日は岐阜基地航空祭、なんとか縮小ながら全ての飛行展示が完了しましたが、今回は土曜日開催となりました特別公開日の様子を紹介しましょう。

 岐阜基地開庁60周年航空祭、陸軍各務原飛行場創設100周年航空祭を土曜日の特別公開と本日の航空祭本祭共に展開していまいりました。岐阜基地は陸軍各務原飛行場を受け継ぎ航空自衛隊へ移管された基地で、岐阜県各務原市にあり、毎年航空祭が活況となっている。

 X-2実験機の防衛装備庁、航空自衛隊飛行開発実験団や第2補給処、第4高射群本部等、自衛隊機も造る川崎重工岐阜工場に隣接が置かれています。晴天のち雨天という本日の本番に対し、今回紹介する土曜日の特別公開日は残念ながら雨天に見舞われた航空祭でした。

 御縁あって特別公開日にお誘いいただきましたので、雨天ならば地上展示機を撮りたい、最初に撮影したいのはX-2実験機です。将来国産戦闘機開発へ資する先端技術研究用航空機であり、防衛装備庁はその所要の研究を完了、次の段階への展開を待っている段階です。

 X-2実験機はこの岐阜基地航空祭最大の注目航空機といえるでしょう。そして雨天により飛行展示が大幅に延期された岐阜基地航空祭では、航空機が飛ばないうちに日本最先端の技術を一目見ようと、物凄い行列が並び、予行なのに、防衛装備庁の方も驚かれていました。

 本番の日は行列が一時間待ちと三時間待ちまでのレーンが準備され、その注目度の高さが垣間見える。雨天の航空祭、本年は雨天に悩まされた航空祭が多かったです。先日の入間基地航空祭2017は快晴恵まれC-1輸送機六機編隊が歓声で迎えられましたが、これくらい。

 小松航空祭は台風で中止、浜松基地航空祭は豪雨、千歳基地航空祭は午前中豪雨と午後は機材故障と並び、三年に一度という百里基地航空観閲式は本番予行共々季節外れ台風の接近により中止となりました。あと三沢基地航空祭と初春の小牧基地航空祭が晴天でしたね。

 ブルーインパルスは本番では飛行展示を行いましたが、土曜日の予行では飛行予定はありましたものの中止となっており、しかも地上展示に航空機が並ぶことも無く、格納庫に並んでいました。もっとも、全機格納庫とはある意味、貴重な情景を見る事が出したのかも。

 F-4特別塗装機、本年はクリーンを基調としたデジタル迷彩塗装が採用されていました。現代的ですが岐阜基地百周年、という歴史を俯瞰しますと、陸軍航空隊の三式戦飛燕、川崎重工岐阜工場で3000機が量産された日本陸軍戦闘機を彷彿とさせる塗装でもあります。

 陸軍各務原飛行場創設100周年、というのは日本において元来は演習場などを発着場として航空機を運用していた訳ですが、本格的な航空時代到来に備え飛行場を建設する事となり、陸軍砲兵隊演習場であった各務原演習場の長大な敷地を飛行場へ転用したものです。

 1923年には川崎航空機岐阜工場が落成し、九五式戦闘機を筆頭に多様な航空機を生産しています、最も有名なのは三式戦飛燕、ドイツより導入した液冷エンジン技術を導入したもので、当初エンジン不調に悩みましたが、機体を共通化した五式戦とともに奮戦しました。

自 衛隊機ではP-1哨戒機やC-2輸送機、OH-6観測ヘリコプター、OH-1観測ヘリコプター、V-107輸送ヘリコプター、CH-47J/JA輸送ヘリコプター、P-2V7対潜哨戒機、P-2J対潜哨戒機、P-3C哨戒機、T-33練習機、T-4練習機、MCH-101掃海輸送ヘリコプター、など。

 岐阜基地ではレースパイロットの室屋義秀氏、エアレースワールドチャンピオンシップ2017年年間総合優勝を果たした事で有名な同氏の飛行展示も行われたほか、XASM-3対艦ミサイルの展示も行われ、雨天故の飛行展示は残念でしたが、その分日曜日に見れました。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第三〇回》はるな型護衛艦と大型ヘリコプター艦載への課題

2017-11-18 20:00:18 | 先端軍事テクノロジー
■HSS-2艦載運用実現への課題
 はるな型はるな、ひえい、しらね型しらね、くらま、海上自衛隊では続く、はつゆき型、あさぎり型でもHSS-2を艦載運用していますが、当初はその大型機体が運用に制約を課すものと考えられていました。

 海上自衛隊の対潜哨戒ヘリコプターはHSS-2、アメリカ海軍が対潜空母用対潜ヘリコプターとして愛用した同型機を運用しています。このHSS-2は改良型のHSS-2A、そして最終発展型のHSS-2Bへと発展し、冷戦末期になり現用機に繋がるSH-60J,そして対潜哨戒ヘリコプターから哨戒ヘリコプターとなり、最新のSH-60Kへと発展していったわけです。

 HU-1B,陸上自衛隊が1961年より採用した現在のUH-1J多用途ヘリコプターに繋がる中型ヘリコプターを対潜哨戒用へ改修する等の措置をとれば、はるな型護衛艦にも5機程度の多数を搭載出来たでしょうし、みねぐも型護衛艦と同程度の護衛艦にも搭載出来たかもしれません。海上自衛隊でも小型機の研究はあったようですがHSS-2の搭載で決定しました。

 しかし、世界の海軍を見ればHSS-2のような大型ヘリコプターを艦上運用する事例は非常に稀有といえました、発着甲板を準備し、搭載せず露天に係留しておくだけならば中型艦にも積載や係留は可能ですが、具体的にはHSS-2を搭載し、そして艦砲や対潜機材等を搭載した場合、如何に小型化しても満載排水量では4000tちかくの船体が必要となります。

 HSS-2は全長16.69m、回転翼直径18.9m、全備重量9.52tという規模です。SH-60Jと比較すれば全長19.8m、回転翼直径16.4m、全備重量9.7tとほぼ同水準ですが、アメリカ海軍がHSS-2と同時期に駆逐艦等へLAMPSとして搭載していた対潜ヘリコプターはSH-2という一回り小型の機種でしたし、各国海軍にはより小型の機種が採用されていました。

 SH-2は水上戦闘艦のセンサーをヘリコプターで延伸運用する発想の機体ですが全長16.0m、回転翼直径13.4m、全備重量6.12tと小型の機体です。イタリア海軍はHU-1Bのライセンス生産型AB-204 ASWを巡洋艦に搭載、こちらはソナーと対潜レーダーも搭載した自己完結型の対潜航空機で全長17.43m、回転翼直径14.6m、全備重量5.08tとやはり小型です。

 イギリスは水上戦闘艦用に全長12.3m、回転翼直径9.9m、全備重量2.5tのワスプ対潜ヘリを運用しており、フランスのSA 319対潜ヘリコプターは、同型機の陸軍型が輸送能力で僅か3名という連絡用に限られている程の搭載量であり、潜水艦探知器材と魚雷を同時運用する事も難しく、いわば、最小限のセンサーを搭載するか、または魚雷を運搬するか、と。

 草創期の対潜ヘリコプターの性能が限られていた最大の理由は繰り返す通り、揺れる水上戦闘艦上にヘリコプターを発着させる事が非常に難しかった為です、水上戦闘艦でも3000tや4000tの規模の物は基地で見上げる限り確かに巨大ではありますが、大洋の波浪に揉まれる状態では残念ながら着艦の瞬間に横滑りや、また上下する飛行甲板に叩かれかねない。

 着艦を如何に行うか、ソ連海軍のモスクワ級ヘリコプター巡洋艦は飛行甲板に網を張る事でヘリコプターの車輪を絡ませ、横滑りを防止しました。欧州の艦艇ではハープーンと呼ばれる蜂の巣状鋼板を甲板に張り、ヘリコプター下部に突起物を装着し着艦時に差し込み連結する事で横滑りを防止しましたが、この方法は大型ヘリコプターの運用に耐えません。

 荒天時にヘリコプターを運用しない、という方式もありますが、地中海や南大西洋ならば兎も角、北大西洋や太平洋では荒天が多く運用に現実味がない。ここで、着艦拘束装置の発達が解決しました。世界には大型ヘリコプターを水上戦闘艦での運用への一定の需要があり、この新技術が、はるな型護衛艦を完成に至らせる原動力ともなったといえましょう。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.11.18/11.19/11.23)

2017-11-17 20:01:27 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 紅葉とともにいよいよ岐阜基地航空祭の季節となりました、今週末行事の紹介です。

 岐阜基地航空祭、岐阜基地開庁60周年航空祭、航空自衛隊飛行開発実験団と第二補給処、第4高射群が置かれている岐阜基地の航空祭です。X-2実験機が公開され話題となりました。技術開発と新装備評価試験を行う飛行開発実験団には、戦闘機はF-15にF-2とF-4EJ改からF-4EJまで、練習機はT-4にT-7,輸送機はC-1とC-2が配備されており、多種多様だ。

 岐阜は他の基地から外来機を呼ばずとも全て並べられるという基地です。F-15やF-2の迫力ある機動飛行に、F-4の特別塗装と模擬対地攻撃、そして多機種が大編隊を組む異機種大編隊が航空祭最大の目玉です。基地は管制塔と飛行開発実験団の管理棟や格納庫が並ぶエプロン地区が終日逆光ですが、正門と第二補給処の置かれる南側地区も開放されています。

 岐阜基地航空祭ですが、滑走路に並行して名鉄線とJR線が伸びており、名鉄各務原線の三柿野駅、六軒駅、各務原市役所前駅、市民公園前駅とJR高山線の蘇原駅、多くの駅から北門と新北門や正門まで徒歩で移動する事が出来ます。ところで、何故か今年の岐阜基地航空祭ポスター、F-2が三沢第三飛行隊のもので岐阜の機体が一つも写っていないのですよね。

 立川防災航空祭、23日の祭日に行われます。立川駐屯地には東部方面隊隷下の東部方面航空隊本部が置かれ、東部方面ヘリコプター隊などが駐屯しています。このほかに木更津の第4対戦車ヘリコプター隊などがあり、この駐屯地祭は防災航空祭として東京都や東京消防庁、横浜市消防局に国土交通省、海上保安庁に警視庁などのヘリコプターが参加ます。

 別府駐屯地創設60周年記念行事、第4師団隷下の第41普通科連隊が駐屯しています。第4師団隷下の第4戦車大隊は、現在第1中隊に最新鋭の10式戦車が配備、訓練展示では戦車と協同しての展示が期待できるでしょう。別府というと温泉の暖かい印象があり、急に寒くなってきましたこの季節に温泉と自衛隊行事という旅程もおもしろいかもしれません。

 対馬駐屯地創設37周年記念行事、土曜日に行われます。対馬警備隊は長崎県対馬を防衛警備管区とする精鋭離島警備部隊です。本部管理中隊と普通科中隊が置かれるのみですが、有事には普通科中隊のヘリコプター空中機動による緊急増強を念頭とし、警備隊長は1佐が補職されている。隊員の多くがレンジャー資格を有し、親しみ込めヤマネコ部隊という。

 対馬警備隊は元々は第41普通科連隊から1個中隊が分遣され警備に当たっていましたが、管理業務の大きさから無理があり、対馬警備隊として独立部隊化されました。土曜日に対馬、日曜日に別府、という距離が凄いですが強行軍も面白いでしょう、軽装甲機動車や中距離多目的誘導弾に重迫撃砲を備える部隊は、駐屯地祭とともに市街パレードも行います。

 新潟分屯基地開庁55周年記念行事、新潟航空祭の愛称で知られる部隊行事です。新潟分屯基地には航空救難団新潟救難隊が置かれており、UH-60J救難ヘリコプターとU-125救難機が配備されていまして、日本海での航空遭難事案などへ即応体制を採っています。それほど大きな部隊ではありませんが、それだけに航空機を身近に感じることができでしょう。

 秋の航空祭シーズンになりますと毎回思うのは、CANONの300mmF2.8IS,非常にすばらしいレンズです。聞くところでは新型のEF100-400mmISの性能が単焦点の望遠レンズに迫る描写力ということで、そちらに移られた方も多いようですが、やはりF2.8の硝子と金属の巨大な砲身が描き出す描写力、数年後にみてもその迫力は色あせません。しっかりあった焦点は多少のトリミングにも耐える。

 しかし重い。一眼レフの描写力に魅せられてどんどこ機材を増強してゆくのですが、F2.8の場合は万一の際に備える防水機材や運搬機材も大きくなり、おもいだせば重量の方もどんどこ増大してゆきますので、これは財力と体力の正面対決、といえるかもしれません。しかし毎回毎回この大きなレンズを携行するのも大変なものがあります、時と場所を選ぶ。

 しかし、この行事では機動性を重視しよう、と300mmF2.8を持って行かなかったものの、現場について撮影状況を把握するにつれ、ああ、重いのはわかっているが一応持ってくるべきだったなあ、とざんねんに思うこともあります。毎回全力投球で重い機材を動員することは口で言うほど簡単ではないのですが、撮影能力も確実にあり、毎回、悩みますね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・11月23日:新潟分屯基地開庁55周年記念行事2017…www.mod.go.jp
・11月23日:立川防災航空祭2017…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/eaavn/
・11月19日:岐阜基地開庁60周年航空祭…http://www.mod.go.jp/asdf/gifu/
・11月18日:対馬駐屯地創設37周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/tusima/index.html
・11月19日:別府駐屯地創設60周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/beppu/top.html


■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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ISIL掃討イラクシリアと戦車部隊【中篇】数多繰り返す戦車無用論誤解と精鋭戦車部隊威力

2017-11-16 20:02:51 | 防衛・安全保障
■戦車部隊本質と精鋭部隊意義
 戦車部隊の重要性を前篇にて示しました。一方、戦車は無敵の存在ではない、という近接戦闘部隊の本質を併せて理解しなければ、戦車の重要性は表面しか理解する事は出来ません。

 戦車無用論というものが過去十数年間に渡り我が国へも伝播、一定の支持を集めているように見えます。戦車の時代は終わった、とは第二次大戦後の核戦争時代に叫ばれ、第四次中東戦争での対戦車ミサイル威力を前にした際も叫ばれた。2001年同時多発テロ以降に非正規戦闘への特殊作戦優位論が叫ばれ、息を吹き返した戦車無用論の日本伝来といえる。

 現在の戦車無用論は非正規戦闘への戦車の優位性がアフガニスタン治安作戦始め払拭されてきましたが、今回もISIL掃討任務での戦車の優位性が確認されています。過去にも核戦争時代こそ集合分散迅速で耐核防護能力の高い機甲部隊の優位性が指摘され霧散、第四次中東戦争後の戦車無用論は歩戦協同の機甲部隊重視論へ発展、戦車無用論は的外れでした。

 戦車無用論で考えなければならないのは、無用論が叫ばれる当事者は戦車を持っている側であり、戦車を持っていない側からの戦車無用論は起きにくい、ということです。一例として一方に戦車があり対峙した場合は如何ともしがたい時代が起きうる。一例で、ISILと戦うシリア軍は同時にISIL掃討有志連合の支援を受けるシリア民主軍との間の戦闘にも戦車を投入しており、ここでアメリカがシリア民主軍に対し供与したTOWミサイルにより戦車部隊はかなりの損害を出しています。TOWミサイルBGM-71は決して最新鋭のミサイルではありませんが高所からの攻撃により戦車の弱点部位である砲塔上面を痛撃されました。

 TOWミサイルを始め、対戦車火器はトルコ軍のドイツ製レオパルド2戦車を撃破しているほか、ISILとの戦闘ではありませんがイエメン内戦安定化作戦に参加した、サウジアラビア軍M-1A2戦車やUAE軍のフランス製ルクレルク戦車を近距離から撃破しており、戦車は必要な装備であると共に近接戦闘部隊の装備であり消耗品との現実を突き付けたかたち。戦車は強力な装備ではありますが、戦車が単一の装備ではなく戦車部隊という装備体系を組むことは損耗を想定しての予備車両という意味を多分に含むことを理解しなければ本質が見えません。

 この為、シリアではソ連時代から継承する3両編成小隊ではなく、相互連携を考え4両以上の小隊編成で運用している状況も報道から散見できる。もちろんロシア軍の航空支援等の支援も大きかったのですが、練度の高い戦車部隊の能力、重ねて戦車は近接戦闘部隊であるため、歩兵部隊と同様に損耗を想定した運用がなされているとの印象を受けました。

 一方、シリア軍戦車部隊はシリア内戦、そもそもシリアにおいてISIL勢力が跳梁跋扈を許す原因となったシリア内戦にも猛威を振るっています。シリア首都ダマスカス近郊の自由シリア軍拠点都市では戦車部隊に包囲され、全く市街からの物流が途絶し飢餓状態に陥っており、シリア軍が市街戦消耗回避へと飢餓作戦を採っている為、危機的状況が続きます。

 自由シリア軍系のシリア民主軍ISIL掃討作戦においても装甲車両が大きな威力を発揮しました。これはシリア軍の鹵獲車輛を転用したばかりでなく、アメリカからMRAP耐爆車両の供給を受けています、ラッカ攻略前にも2017年3月下旬にM-1117軽装甲車を少なくとも数十両供給され、シリア民主軍は装甲集団を編成し、運用と整備を包括化しています。また、シリア民主軍はトラクターを改造しての急増装甲車両を多用しています。長距離機動は基本不可能で乗り心地が悪い為乗員の消耗に繋がりますが、急増車輛でも無いよりはまし、という状況は、この種の重要性を示すものといえる。

 シリア民主軍は、30以上の武装勢力連合体です。シリア政府への民主化要求が武力弾圧へ転換した事を受けての武装闘争へ転換した組織の連合で、シリア軍からの離反もありましたが、シリア軍の指揮系統は堅固で、結果的に個々の地域民主化武装勢力という形態をとっています、これを一つの組織へ集約したのはアメリカを中心とする有志連合支援です。

 アメリカは1000名以上の特殊部隊を訓練支援の形でシリア領内へ派遣していますが、アメリカ軍は戦闘への参加は厳密に避けています。これは当時のオバマ大統領が支持したもので、直接関与による紛争当事者化を避けるとの意図でした。しかし、アメリカ軍は特殊部隊による軍事顧問をストライカー装甲車により移動させる事で、安全性を確保したという。ストライカー装甲車は戦車ではありませんが、直接戦闘に参加しない要員の移動であっても、高度な装甲車両を必要とする実情を端的に示したものと云えましょう。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】青蓮院門跡,東山粟田御所遺構と泉廻遊式庭園包む熾盛光如来の光との出逢い

2017-11-15 20:01:00 | 写真
■青蓮院,秋季夜間特別拝観探訪
 紅葉の季節となりました、多忙な平日でもふと心の救いを求める際、夜の拝観は仕事に追われる日常からふと古都の安らぎ、暖かい宵の口へと赴く事が出来ます。

 青蓮院、青蓮院門跡としても知られる東山の寺院です。創立者たる開基は伝教大師最澄として伝わる十一世紀からの歴史ある寺院ですが、この程紅葉季節を迎え、秋の夜間特別拝観が始りました。単色の電燈を超えた天然色の灯火が醸す幽玄な庭園を散策しましょう。

 妙法蓮華経唱える天台宗の寺院たる青蓮院門跡は本尊に熾盛光如来を迎え、三千院、妙法院、と並ぶ天台宗の三門跡寺院として崇敬を集めてきました。天台宗は平安時代初期に伝教大師最澄が修行を経て大陸より持ち帰ったもの、妙法蓮華経は諸経の王とされています。

 門跡寺院、とは皇族出身で法親王や入道親王として親王の称号を与えられた高僧が住職たる門主を務める寺院です。その始まりは房として比叡山上にあった小寺院にあり、1150年に鳥羽上皇美福門院皇后が祈願所として定め、小寺院は門跡寺院として格を上げています。

 最澄の天台宗伝来は、律宗天台宗兼学の高僧鑑真和上が典籍伝来として日本に広め、最澄により本格的に日本へ広められました。最澄の帰国は平安遷都として長岡京を京都へ遷都を経て僅か数年の後、日本国内での仏教解釈に大きな論点を経て高める機会を残しました。

 衆生は須らく成仏できる、法華一乗の理念こそが天台宗の核心であり、大乗仏教の基本理念です。奈良仏教として法相宗や華厳宗といった南都六宗が日本では広く信仰されていましたが、これらは天台宗より分派した新しい宗派であり、原初状態の理念として伝来した。

 比叡山延暦寺を総本山とし、大本山に岩手県西磐井郡平泉町関山中尊寺、栃木県日光市日光山輪王寺、東京都台東区東叡山寛永寺、長野県長野市定額山善光寺大勧進、と広く日本に根付いています。比叡山延暦寺は京都市が見上げる滋賀県大津市、最澄も大津出身です。

 三条白川は青蓮院門跡最初の地でした。鳥羽上皇第七皇子覚快法親王の出家を始め皇家摂家子弟が門主務める格式高い寺院として平安朝に栄華を広めますが、三条白川は度々鴨川の氾濫に洗われ、鎌倉時代には水害を避け、高台にある現在の位置に遷座されたとのこと。

 十楽院という寺社が高台にはありました。平安時代は華やかな印象がありますが実は鴨川の氾濫を治水に至ったのは安土桃山時代に豊臣秀吉が御土居として市街地を覆った事で漸く中心部が水害より守られ、それ以前は水害起因の疾病を祇園祭の疾病祓いで願ったほど。

 愚管抄、この歴史書は第三世門主慈鎮和尚慈円により本堂熾盛光堂で著されました。慈円は藤原家の血筋ですが、神武天皇から八四代順徳天皇への日本史を貴族政治と武家政治への転換に軸を置き、藤原家政治関与へ客観批評と源頼朝の鎌倉幕府の新政治を評している。

 室町幕府六代将軍足利義教は将軍襲名まで義円として門主を務め、浄土宗の高僧蓮如も出家の儀式である得度を受けたのはここです。伏見天皇第六皇子で第十七世門主の尊円法親王は和様書風御家流をここ青蓮院で興し、日本絵画の一つの転換点の現場でもあるという。

 粟田御所として一時は御所が遷座した事もあります。これは1788年に発生した天明の大火で御所が焼失し、後桜町天皇が遷座していまして、後桜町天皇は女系天皇、門跡寺院としてこの青蓮院を仮の宮として選ばれたとのこと。青蓮院旧仮御所として現存しています。

 門前の大楠は親鸞聖人の手植えと伝わり、四脚門とともに拝観者を迎えています。夜の特別拝観は来月四日まで、宵の口1800から2200まで快く拝観を受入れ池泉廻遊式庭園全体が熾盛光如来の光をあらわす実に一千ものの灯火で彩られ、不思議な情景を醸しています。

北大路機関:はるな くらま
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防衛省F-3将来戦闘機開発延期を検討,2018年情報要求RFI予定と曖昧な第六世代戦闘機定義

2017-11-14 20:23:32 | 先端軍事テクノロジー
■次世代戦闘機i3 FIGHTER計画
 防衛省はF-2戦闘機後継機として2018年から開発を本格化させるF-3戦闘機計画を推進中ですが、この事業について動きがあったようです。

 次期戦闘機F-3開発、防衛省が進める世界初の第六世代戦闘機開発について、次期中期防衛力整備計画に盛り込まず、事実上棚上げにするとの方針がロイター通信等複数の報道で明らかとなりました。当初案では2018年夏までに次期戦闘機の仕様を画定し、国産開発、多国間国際共同開発、外国製第六世代戦闘機導入かを決定する方針で進められていました。

 ステルス機としてレーダーに映りにくく、超音速巡航性能があり離れた最前線に素早く駆け付けられて、敵戦闘機との格闘戦にすごく強い、こうした認識では残念ながら要求仕様となり得ません、次世代機として開発するのですから、周辺国が将来開発するであろう次世代機機を想定し、自衛隊が行う作戦体系へどう関与するか含め、明確にせねばならない。

 F-2戦闘機後継機としての将来戦闘機は90機程度の導入が目指され、総事業費は開発費から量産費用に整備費用と治具調達まで含め4兆円に達する巨大防衛事業となっており、第六世代戦闘機開発では世界に先んじて進められている具体計画である事から、2018年の計画具体化と次期中期防衛力整備計画へどの程度前進するか、世界から注目を集めています。

 i3 FIGHTER、防衛省防衛装備庁は現在進められているATD-X先進技術実証機X-2実験機による技術実証試験を経て、現在のF-2戦闘機後継機となるF-3戦闘機を国産開発する計画を進めています。計画名称i3 FIGHTERとは情報化Informed、知能化Intelligent、瞬時Instantaneous、を包括する防衛省の第六世代戦闘機観を反映した名称となっています。

 情報要求RFI、次世代戦闘機開発参画企業へする一般競争入札公告公示情報を示すには、防衛省が第六世代戦闘機の概略を明示した上で、こうした任務を行うための性能を持つ航空機を開発できる企業を募りたい、と発表しなければなりません。しかし、防衛省では第六世代戦闘機の概略が曖昧模糊としており、情報要求RFIを示すには至っていないという。

 第六世代戦闘機、現在航空自衛隊が導入を開始しているF-35戦闘機は第五世代戦闘機で、アメリカ空軍のF-22戦闘機を鏑矢とする新世代戦闘機が第五世代戦闘機であり、第六世代戦闘機は各国が概念構築中の次世代戦闘機となります。ロシアがT-50試作機を実用化したSu-57戦闘機も中国のJ-20戦闘機やJ-31戦闘機も第五世代戦闘機で、自衛隊F-3戦闘機はその次世代となる。

 海外製戦闘機を導入しようにも、第五世代戦闘機を最初に開発したアメリカでさえ国防高等研究計画局が第六世代戦闘機概念構築を本格化させたのは2013年で、大陸間飛行が可能な戦闘爆撃機能力を担う大型ステルス戦闘機となるのか、未知数です。機体規模に上限がある空母艦載機にF/A-18E後継機となるF/A-XX計画があり、初の第六世代機となり得る。

 日本の第六世代戦闘機開発はi3 FIGHTERの完成を2022年から2031年までの期間に初飛行を行うとして進められています。この為には確かに2018年夏に情報要求RFIを示す必要がありますが、防衛装備庁は第六世代戦闘機をシンポジウム等でカウンターステルス能力、情報知能化、瞬間撃破力、外部センサー連帯、としか定義を明確としていないのです。これでは企業も防衛省がどんな戦闘機を欲しているか分らない。

 F-35やF-22戦闘機の能力を慎重に視てゆきますと、カウンターステルス能力、情報知能化、瞬間撃破力、外部センサー連帯、といった能力は標準装備されているもの、中にはF/A-18EやEF-2000等第四.五世代戦闘機が既に有している技術も多く、これではi3 FIGHTERは開発要求の時点で遅れてやってきた第五世代戦闘機で収まりかねません。こうした視点から、一旦棚上げ、としたのでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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航空防衛作戦部隊論(第五二回):航空防衛再論,緊急発進一一〇〇回時代の戦闘機定数

2017-11-13 20:11:55 | 防衛・安全保障
■再論:現戦闘機二八〇機体制
 総集編では、280機の戦闘機でも運用次第で可能な運用は広がる、としました。しかし、緊急発進が1100回を超える現状では、この状況を継続できるのか、という視点も必要かもしれません。

 航空防衛力、航空自衛隊は2014年の防衛大綱改訂の際、中国航空機の我が国領空接近異常な増大を前に、戦闘機定数を冷戦後初めて増強に転じさせました。しかし、その増強は270機定数を280機としただけにすぎません。冷戦時代の戦闘機定数は350機で、実のところ冷戦時代から財政難を理由に削減し続け、結果、270機にまで減少していただけでした。

 対領空侵犯措置任務戦闘機緊急発進、昨年度は遂に1100回に達し、毎日数回の緊急発進が実施されていたこととなります。冷戦時代にもっとも緊張していた年度でも940回であり、1000回の大台を越えても留まらず1100回となったことは驚きといえるでしょう。今年度は昨年度と比較したならばそれほど大規模な国籍不明機接近という状況にはありません。

 しかし、緊張緩和に至った訳ではなく、そして脅威の空軍力は健在です。周辺国空軍力は引き続き近代化を進めており、脅威という問題では解決していません。航空自衛隊の任務は有事における制空権の維持であり、平時の対領空侵犯措置任務はその一環でしかありません。しかし、対領空侵犯措置任務が平時には最も表面化する戦闘機運用の実数でもある。

 冷戦後は200回を下回ったこともあり、この状況で脅威度の増大を財務当局や有権者へ理解させることは難しいものでした。ただ、難しいから放棄する、という方式は賛同できません、脅威度の増大を認識し航空防衛力の継続的な整備を強調し続けるべきだったといえます。脅威が増大する前に対応する事が理想、この意味で後手に回った事は否めません。

 制空権維持、脅威は質で変動します。例えば、旧型で防空用として戦闘行動半径が大きくはないソ連製MiG21やそのコピー機改造の殲撃7戦闘機が周辺国の主力であった時代ならば、最盛期に4000機の保有数を持っていた中国空軍は日本への脅威とはなりません、なぜならば中国本土から戦闘行動半径を計算した場合に日本全土の大半がその圏外となる。

 しかし、Su-27とそのコピー機などの戦闘行動半径が日本のほぼ全域を覆う戦闘機、J-11等新世代機で我が国領空を経て深部までを戦闘行動半径に納める戦闘機が1000機あれば、それは非常に憂慮すべき脅威といわざるを得ません。4000機の戦闘機でも日本まで到達できない戦闘機ばかりならば脅威ではないが、1000機でも日本に到達できれば脅威そのもの。

 周辺国空軍力は、近代化にあわせ戦闘機を質へと転換し、その質的向上の共通点は戦闘行動半径の増大と、さらに戦闘機装備体系の変容により防空専用機から対地攻撃能力を相応に重視した多用途戦闘機へと転換している共通点があります。現在に防空専用機といえば、アメリカのF-22やF-15C,日本がライセンス生産しているF-15J,ソ連製MiG-31,くらい。

 防空戦闘機が多用途戦闘機に置き換わった事で、航空攻撃を地上に加える機種は増えた、戦闘機の大半は多用途任務に対応するものへと転換しています。このため、この構造そのものに問題点を見いだすつもりはありません、しかし問題点は、この転換にあわせ日本の航空防衛力を270機か280機か、という議論に実に長期間を費やしてしまった点にある。

 戦闘機は集中運用を行い、機動展開能力と分散運用基地などの長期的な防空能力を維持できる体制を構築するならば、280機で対応できる。当方の視点は緊急発進回数が900回台の時点では大丈夫である、との認識でした。しかし、1100回を越え、影響は顕著その脅威を及ぼす航空戦力が更に数的増大を続けている事を考えますと、戦闘機は現状足りません。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【1】基地入場(2011-09-11)

2017-11-12 20:00:39 | 在日米軍
■第五空母航空団日米友好行事
 アメリカ海軍100周年行事として行われました厚木航空施設第五空母航空団日米フレンドシップデイ、今回からその様子をお伝えしましょう。

 厚木基地、といいますと海上自衛隊厚木航空機とを示すと同時にアメリカ海軍厚木航空施設を意味します。厚木航空祭はWINGSとして2000年まで盛大に行われ、二日間で実に56万名という小さな政令指定都市並みの来場者で大いに賑わった事で知られるところです。

 アメリカ海軍空母航空団の海外における唯一の拠点でもある厚木基地は、神奈川県に位置し、横須賀基地へ前方展開するアメリカ海軍航空母艦、海外へ前方展開するのはフィリピンスービック基地閉鎖以降、日本が唯一となっていますが、この重要な艦載機の拠点です。

 厚木ウイングス、厚木基地航空祭は2000年を最後に実施されていません。2001年同時多発テロ以降の対テロ警備問題、更に首都圏の厚木基地が抱える重大な周辺人口増大に伴う騒音問題により、航空基地祭が出来なくなってしまった、という厳しい事情がありました。

 さくら祭り、として厚木基地は毎年春にアメリカ海軍が、そして秋に海上自衛隊が航空基地を一般開放していました。昨今は日米共同開催となり一回のみとなっていますが、規模は大きく縮小され、飛行展示は実施されないものの、地上展示を中心に実施されています。

 今回紹介します厚木基地日米友好祭は2011年9月10日に実施されました。九月とはさくら祭りも大きく移動したものだ、と思われるかもしれませんが、2011年3月11日東日本大震災により厚木基地は首都圏における横田基地と並ぶ重要な米軍拠点となっていました。

 東日本大震災は先進国で一日に一万数千もの人命が失われ数万の人命が危機に曝されるとともに世界最悪規模の原発事故を誘発という、第二次世界大戦後では戦災を含めて空前の大災害であり、アメリカ軍も四軍合同対日支援作戦“トモダチ作戦”を展開していました。

 アメリカ海軍は自衛隊の10万名規模の災害派遣を航空機や情報収集などでの支援を行うと共に、自衛隊が展開した事で顕在化の徴候があった周辺国による日本周辺海域での軍事行動へ空母戦闘群を含めた膨大な戦力で抑止し、結果自衛隊は災害派遣に専念出来た訳です。

 厚木基地へ話題を戻しますと、2011年は四月下旬や五月上旬に例年行われている厚木基地さくら祭りを開催できる情勢では無かった訳です。実際、当時の菅内閣、厚木の直前まで菅内閣でしたが、原発事故の情報を充分開示させず世界から大きな疑念を集めていたころ。

 アメリカ政府は名古屋京都以東の地域からの自国民退避の可能性を示唆し、時際のところ福島第一原発事故が制御不能となった場合、東京や仙台は今世紀いっぱい人が住めなくなるのではないかと真剣に危惧された時期であり、そんな時期にさくら祭りは開催できない。

 厚木基地日米友好祭は、これら事故が一旦は鎮静化し、九月に改めて実施する事が出来た訳です。なお、菅内閣はこの二週間前の8月30日に総辞職、当時の民主党代表選により野田新総裁が当選、衆議院首班指名選挙において野田内閣が指名された、そんな時期でした。

 綾瀬市と大和市に位置する厚木基地は、総面積506.9 ヘクタールという広大な敷地にあり、滑走路は2450m、アメリカ海軍第5空母航空団と海上自衛隊航空集団司令部が置かれています。飛行場施設は広大ですが滑走路を挟み、海上自衛隊とアメリカ海軍が共用している。

 相模鉄道本線さがみ野駅より徒歩20分、という立地にありまして、都心からも小田急線を相鉄線に乗り換え、気軽に足を運ぶことができる航空部隊行事です。WINGSの二日間来場者56万、と聞くと一歩引いてしまいますが、現在は飛行展示も無く往時程は混雑しない。

 日本海軍が1938年に建設した厚木飛行場が現在の厚木基地の始りです、厚木海軍航空隊がおかれると共に首都防空に活躍した厚木第302海軍航空隊が展開しています。しかし1945年の終戦と共に厚木航空部隊は終戦を拒否し単独交戦継続を宣言、厚木事件が発生します。

 厚木事件は航空部隊指揮官のマラリア悪化に伴い自然鎮圧となり、厚木基地の太平洋戦争は終り、8月28日にマッカーサー連合軍総司令官が専用機により厚木基地へ到着、日本への第一歩を歩む様子は歴史教科書にも載る今への日本戦後史への第一歩ともなっています。

 アメリカ陸軍航空軍第3爆撃群、第49戦闘群、第374輸送群が展開し東京周辺の哨戒任務に当たると共にフィリピンより第5戦闘機軍団夜間戦闘飛行隊が展開します。意外にもこの頃の厚木は陸軍飛行場であり、キャンプ座間第二野外物資集積所としても機能しました。

 アメリカ海軍飛行場としての厚木基地は1946年の木更津飛行場アメリカ海軍航空運輸支援集団厚木移転により始まりました。1949年には完全撤収検討が本格化しましたが1950年の朝鮮戦争勃発に伴い横須賀基地や横浜港等に近い厚木基地は最重要施設へと転換します。

 エセックス級空母が大量に維持されていたアメリカ海軍は、日本海軍より接収した横須賀基地へ複数の空母を前方展開させ、この空母艦載機の整備補給拠点や陸上訓練拠点として厚木基地は重要視されるとともに拡張工事を実施、朝鮮戦争中に現在の規模となりました。

 海上自衛隊創設後も厚木基地の重要性は変化せず、多くの空母艦載機が配備されていたことから海上自衛隊草創期には訓練以外での厚木基地使用は実現せず、厚木基地は長くアメリカ海軍航空隊専用の飛行場という位置づけで、朝鮮戦争停戦後はヴェトナム戦争が始る。

 ヴェトナム戦争期にはアメリカ海軍は常時三隻程度の航空母艦を南ヴェトナム沖に遊弋させる通称“ヤンキーステーション”を展開させ、北ヴェトナム空軍への航空優勢維持や近接航空支援、航空阻止任務へ空母航空団はその威力を最大限に発揮することとなりました。

 フィリピンのスービック基地はヴェトナム戦争時におけるアメリカ海軍の最大拠点となっており、特にスービック基地は太平洋戦争会背に膳からのアジア地域におけるアメリカ海軍の拠点で、朝鮮戦争時の最前線であった横須賀基地は今度は後方拠点となっていました。

 1968年にヴェトナム化政策として、ヴェトナム戦争におけるアメリカ軍の関与を順次縮小し北ヴェトナム軍への対処を南ヴェトナム軍へ移管する施策が進められますと、同時にアジア地域でのアメリカ海軍行動は徐々にその必要性を低下させる事となり、厚木も変化が。

 香港にイギリス海軍拠点が維持され、オーストラリア海軍に航空母艦があった時代、第二次世界大戦後にアメリカが運用を開始した横須賀基地や厚木基地よりも、戦前からの拠点であるスービック基地への回帰する動きが顕在化します。ただ、全て返還のリスクは高い。

 アメリカ海軍は日本への厚木基地返還を提示すると共に、厚木基地の民有地移行へは懸念を表明しました、要するにアジア情勢の転換により厚木基地を米海軍が必要とする状況は一時縮小するが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事の際には再度使用する、という視点ですね。

 海上自衛隊航空集団司令部は、当時千葉県の下総航空基地に置かれていました。アメリカ海軍の撤収意向を受け、海上自衛隊は航空集団司令部を厚木へ移駐し、下総には航空教育集団司令部を置く方針を提示、これにより日米共同の厚木基地という歴史が始まりました。

北大路機関:はるな くらま
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日本海緊張!米原子力空母三隻展開,厳しい日米艦隊運用と秋田山口イージスアショア配備計画

2017-11-11 20:05:06 | 防衛・安全保障
■日米,北朝鮮核恫喝へ共同対処
 舞鶴沖の日本海では現在、佐世保を出航した護衛艦いせ以下3隻の護衛艦がアメリカ海軍原子力空母3隻と、共同訓練へ展開中です。この目的は北朝鮮の核戦力による日米等世界への恫喝への対応です。

 ロナルドレーガン、セオドアルーズベルト、ニミッツ、原子力空母三隻が日本海において演習を開始しました。原子力空母3隻集中は稀有で、西太平洋では2007年以来、これだけ集結したならば、ほぼ出来ない任務はありません。加えて原子力空母にはイージスシステムを搭載したミサイル巡洋艦やミサイル駆逐艦が空母打撃群という一つの艦隊を編成する。

 九州配備戦闘機総数と空母航空団の戦闘機数は同等です、九州には築城基地にF-2戦闘機2個飛行隊と新田原基地に1個飛行隊が要撃任務に就いています。アメリカ海軍の空母航空団は海軍航空隊の飛行隊定数は空軍や航空自衛隊よりも少ないものの、その分多くの飛行隊を運用する為、九州と空母1隻は同じ水準、空母3隻が集まるのですから打撃力は凄い。

 世界最強の空母、アメリカ海軍空母はロシア海軍や中国海軍の空母の最大3倍の艦載機を搭載可能、それが3隻集まったのですが、アメリカ海軍には空母は10隻しかない、湾岸戦争の1990年代当時には15隻の空母がありましたが、削減された。すると、3隻とその空母打撃群艦艇は、整備補給と休養を行わねばなりません、半年後の稼動率に響くでしょう。

 過酷な勤務は既に事故へ繋がっています。イージス艦フィッツジェラルドとジョンSマケインの相次いだ衝突事故ですが、アメリカ海軍の見解は回避可能な事故であった、と発表しました。見張員と当直士官が船舶往来の多い海域に到達した時点で見張りを強化したならば回避可能で、出来なかったという事は、実任務増大による集中力低下等の要因がある。

 現在配備されている艦船の数は急増する任務に見合っていない、これは艦船を増強することによってのみ解消することができる、リチャードソン作戦部長の言葉です。リチャードソン大将は今年相次いだアメリカ海軍イージス艦による衝突事故を、極東地域での任務増大へ、適切に増強を行わなかった事で一隻当り負担が増大した事が原因であるとしました。

 これは米海軍だけではなく自衛隊にも当てはまる事です。現在は現場の努力と無理を押してのつじつま合わせが対応している形ですが、実任務増大に対し防衛力を強化しなければ、負担増が取り返しのつかない重大事故にもつながりかねません。そして日米同盟下、米軍の日本周辺での任務増大状況は比例し自衛隊の任務増大でもある事を忘れてはなりません。

 イージスアショア、艦隊多忙はこの配備で多少改善されるかもしれません。これはイージスシス陸上配備型迎撃ミサイルシステム、政府は北朝鮮弾道ミサイル実験の異常増大を受け、従来のイージス艦とペトリオットミサイルPAC-3での迎撃が困難であるとし、イージス艦は艦隊防空任務と兼任、後者は射程20kmと短く、防衛体制強化を模索してきました。

 秋田県と山口県候補にイージスアショアの設置を行う、この程事実審が報じました。イージスアショアはイージス艦のシステムを陸上に配備する為、弾道ミサイルを宇宙空間の中間段階で高い精度で迎撃できるとされる。秋田県と山口県への配備、当方は新潟県佐渡島と島根県隠岐島に配備されるのではと想定していましたが、東北と山陰へ配備するもよう。

 SM-3迎撃ミサイルは射程1300kmあり、二カ所程度でほぼ日本全域を防空可能です。勿論、建設予定地の候補であり、どれだけ急いでも施設完成は2020年代前半以降まで待たねばなりません。しかし、イージス艦が艦隊防空任務へ専念する環境が順次整う為、艦隊の負担は十年以内に緩和される事となります。ただ、それまでは勤務要員負担軽減策が必要です。

北大路機関:はるな くらま
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