北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

榛名防衛備忘録:未来護衛艦,むらさめ型後継艦は乗員半減!?護衛艦の自動化はどこまで進むか

2021-01-21 20:18:01 | 先端軍事テクノロジー
■どうなる!?未来護衛艦の設計
 むらさめ型以外の話題の記事を云ってしまえば3900t型護衛艦の特落ち記事を勘違いしただけなのですが。

 護衛艦の自動化はどこまで進むか。先日、日本経済新聞が"海上自衛隊が募集難により護衛艦の四割を省力型に置き換える"という話題をみまして、なにしろ2021年の記事でしたので、いよいよ護衛艦むらさめ型を置き換えるのか、と早合点、くまの型護衛艦、暫定的に3900t型をこう呼んでいるのですが、これと併せ大量建造が豪勢だな、と思ったものです。

 日本経済新聞2021年1月13日付0200時の記事にて"防衛省は2030年代前半までに護衛艦の四割を半分程度の乗員で運用できる護衛艦に置き換える"という。四割というと、護衛艦定数は50隻台ですので概ね20隻、つまり護衛艦隊の護衛隊群を構成する汎用護衛艦の置き換えを始めると解釈し、日本は本気を出してものすごい建艦競争を始めるものだ、と。

 くまの型護衛艦。いや旧海軍でも陽炎型駆逐艦の陽炎が撃沈されたあとには二番艦の名を冠して不知火型と呼んだともいいますので、暫定的でありつつ、早く一番艦進水式と命名式の挙行を期待したいものですが、閑話休題。考えてみれば日本経済新聞の示す省力型護衛艦とは、くまの型を示しているのでしょう、乗員90名となっています。凄いと思う。

 あさぎり型定員が220名、はつゆき型定員195名、くまの型の乗員はまさに90名で半減したこととなります。くまの型を小型護衛艦と誤解される方もいますが、当初の新しい護衛艦が基準排水量2000t規模を想定していた頃と異なり、大きい方が汎用性が高く経済的だとして、3300tへ、いや3500tがいいとなり、最終的に基準排水量3900tとなりました。

 日本経済新聞では、なにしろ優秀な記者が多い新聞社ですので、まさか、3900t型護衛艦の大量生産は平成30年防衛大綱に明記されているものを、特落ち三年でいま、例えば"護衛艦にF-35Bを搭載へ!"というような今更話題を掲載するとも思えませんので、早合点してしまったのですが、記事をみた際には大いに驚いたものでした、こういいますのも。

 むらさめ型護衛艦の後継艦が乗員を半減させて建造されるものだ、と早合点したものですから驚きは大きかった、何故なら護衛艦むらさめ型以降、護衛艦は大幅に省力化が進んでいまして、4400tの排水量に対し乗員は165名まで抑えられ、あさぎり型の3500t船体に220名の乗員を必要としていたものですから、むらさめ竣工は昔ちょっとした騒ぎでした。

 しかし、そうしますと護衛艦は限界まで乗員を減らした場合、どの程度で運用できるのか、という疑問というか関心が沸き起こります、なにしろ早合点で、むらさめ型後継艦が乗員半分、と勘違いしたものですから基準排水量5000t以上の大型艦を乗員80名規模で運用できる、と非常に驚いたものです、技術はここまできたのか、というように驚きは大きい。

 ズムウォルト級駆逐艦、アメリカ海軍の最新鋭駆逐艦で建造費が高騰し過ぎ3隻で建造終了となった駆逐艦は、満載排水量14797tの大型艦を106名で運用しています。この内航空要員は36名といい、艦そのものは70名で運用しているというので、頑張れば自衛隊も基準排水量5000tの護衛艦を80名で運用できるのでしょうか、満載排水量だと7000t規模だ。

 タンカーなどは30名規模で運用しているので何とか出来るものではないか、と思われるでしょうが、護衛艦は、砲雷科、航海科、船務科、機関科、補給科、衛生科、飛行科、この7科が昼夜で運用できるよう3交代で運用していますので、乗員が仮に80名とすると、26名で3ローテーションを回さねばなりません、つまり各科3名から4名となる計算ですね。

 砲雷科は1分隊を構成しますが、航海科と船務科で2分隊を構成、機関科は独自に3分隊を構成しますが、補給科と衛生科で4分隊、航空科が5分隊を構成しますので、5区分とすると、各科5名、とできるかもしれません。自動化と可能な限りAI人工知能での機械管理や見張り補助を行えば、各科5名で満載排水量7000tの艦を運用できるものなのか、と。

 しかし難しいものでしょうか、戦闘準備が発令されますと、砲雷科だけで戦闘部署と艦内哨戒部署に対潜戦闘部署に対空戦闘部署及び対水上部署が発令されます、もちろん合戦準備が発令されれば、戦闘配置に就き、3交代を2交代として乗員を強化する事となりますが、2直体制で各科7名、AIの補助が入っても各部署指揮官に部下をつけられない運用となる。

 MQ-9無人偵察機のように、護衛艦乗員を最小限度とした上で、陸上の司令部から艦砲やレーダーの操作支援を行うという方法も未来にはあり得るかもしれませんし、ガイノイド型ロボットを数十機搭載し甲板掃除や船体塗粧と短魚雷装填や洋上補給の補助に充てるなど、今世紀中に実現するのかもしれませんが、まだまだ2030年代には間に合わなさそうです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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バイデン新大統領:日本時間今夜アメリカ合衆国第46代大統領就任,危機のアメリカに調和を

2021-01-20 20:20:09 | 国際・政治
■厳戒態勢のワシントンDC
 バイデン新大統領が日本時間今夜にアメリカ合衆国第46代大統領として就任式を迎えます。祝意を込めてブルーインパルスの写真と共に。

 アメリカは日本にとり歴史的にも政治的にも非常に大きな関係を持つ、太平洋を越えた隣国、同じ環太平洋諸国であり日本にとり唯一の同盟国であるだけに新しい大統領の就任を祝賀するとともに、現在はまさに危機の最中にあるアメリカと世界をどのように調和を快復し新しい時代へと進んでゆく旗手となるか、まずは新大統領の手腕を期待しましょう。

 ジョーバイデン新大統領は、オバマ前政権での副大統領経験者であり、労連且つ情熱的な政治家です。この点でビジネス界出身であり大富豪ながらポピュリズム的な手法で交渉を進めるトランプ氏の大統領就任当時ほど、焦燥感と不確定要素はありません。しかし、現在のアメリカはコロナウィルスCOVID-19と社会の分断、この二重苦に曝されています。

 分断されるアメリカ。これはブッシュ政権時代にテロとの戦いを背景に論評された命題ではありますが、2020年代におけるアメリカの分断は、ブッシュ政権時代の価値観の多様性を認めるかどうかという生やさしいものではなく、文字通り国家としての分断が懸念される状況に陥り、武装の権利を悪用しての騒擾を警戒し、首都は要塞そのものの緊張感に。

 武装民兵と陰謀論者が突撃銃を手に各所で総覧を引き起こす懸念があり、ワシントンDCには州兵25000名が派遣、そして派遣部隊の腕章を見ますと近い順というよりは、地域ごとに動員する旅団を調整しているようで、要するに州兵の利案という懸念さえも州兵総監や国防総省が考えねばならない状況にこの危機的状況が具現化しているといえるでしょう。

 トランプ政権は、しかし、同盟国日本からの視点としては環太平洋地域への関心度の高さと、当初懸念された日本への核武装容認や在日米軍撤退による事実上の西太平洋地域での日本の防衛力抜本拡大か中国による海洋閉塞容認か、という懸念される二元論ではなく、大国としての地位、自由と公正という国際公序の旗手としての役割は果たしていた訳です。

 オバマ政権時代までは、中国に対する宥和的な、例えば南シナ海島嶼部奪取も平和目的であるとし、更に台湾へも軍事的野心を見せることはなく、香港やチベットとウイグルの問題についても表面的には越えない一線があり、独自の政治制度に基づく一つの地域大国としての振る舞いを尊重していた政策が採られていたことは事実でした。ですが一転します。

 米中関係は上記の展望が、過度に楽観的であったという実状が突きつけられたもので、ここにトランプ政権は明白な対決姿勢を示し、結果論ではありますが、政府の方向性が曖昧故に長期政策の画定へ不確定要素があった、アメリカの防衛政策も一本化され、少なくとも買いよう自由原則への例外は認められない、アメリカの旗幟が明白となったわけです。

 バイデン新政権は基本的に、中国の海洋閉塞化を目的とした軍事力による海洋進出、そして非公正な手法での技術移転や対外直接投資の禁止など、いわば軍事力による現状変更と自由と公正に対する挑戦には、トランプ政権が厳しく臨んだ姿勢を継承するとしており、この点では、宥和路線へ回帰し緩む抑止力が北東アジアの戦争、という危惧は回避される。

 現政権、日本の視点から考えるならば、一般論としての日本観からはじまり、しかし日米関係の重要性を道程とともに深め、海上自衛隊護衛艦かが艦上を現職合衆国大統領として初めて表敬訪問、一時は中止さえ危ぶまれたF-35戦闘機の量産を進め、また破格の条件で日本へ有償供与する、日本からみれば、これぞ大統領、という印象ではあったのですが。

 ただ、アメリカ国民の視点から見れば、人種の分断や環境政策にたいする未知数の視点、朝三暮四主義というべきポピュリズム手法の多用などで混乱そのものであり、また、独自の政策を進める欧州とアメリカの関係は、日米関係ほど打ち解けられないものとなっていました。これは言い換えれば、日米関係の冗長性の外向的な高さ故ともいえる成果でして。

 安倍政権時代の日米関係は、こうした意味でトランプ政権が投げ出した環太平洋包括協力協定TPPを日本が引き取る構図でまとめることとなり、いわばアメリカギャップというものを埋める主導権により影響を最小減価することが出来たものでした、ここが、ちょうど欧州ではポピュリズム政権が乱立する時代でしたので、外交関係は巧く行きませんでした。

 鳩山政権時代にトランプ政権がかち合ったような状況が、欧州とアメリカの関係にはあったと言えるのかもしれません。他方で、アメリカ国内にはこうした部分の分断が大きくなってしまったのですね。喫緊の改題はコロナ対策、そして中国による国際公序変更への抑止ではありますが、その為にも分断されたアメリカへ調和の回帰を実現せねばなりません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】福知山城,明智光秀から細川藤孝とそして有馬豊氏から第7普通科連隊へ紡ぐ

2021-01-19 20:11:41 | 写真
■福知山城築城から歴史を辿る
 福知山城の城郭は複雑な防御を秘めて且つ湛えていましたが、築城から今日の自衛隊も駐屯する街へと辿った城郭と城下の歴史も複雑です。

 福知山という地名は、舞鶴まで京都から鉄道にて探訪する際に途中の綾部駅にて福知山方面と東舞鶴方面へ乗換、特急たんばまいづる号もこの綾部駅で切り離し作業を行います。実際、舞鶴線へ乗り入れる東舞鶴行普通列車も始発駅は福知山駅だったりするのですが。

 舞鶴と福知山の関係、城郭を巡る京都府北部の二つの街の関係を見ますと、実は近しい関係である事に驚きます、明智光秀が本能寺を経て天王山の敗北の後に討たれますと、福知山城主は羽柴秀吉、続いて羽柴秀勝、杉原家次、小野木重勝と主は移ろってゆくのですが。

 細川幽斎こと細川藤孝はこの頃、田辺城、今の西舞鶴駅前に在る田辺城主としてこの地を収めていたのですね、細川藤孝は明智光秀と最も深い盟友であるとともに、本能寺の変を経て明智軍に何故か呼号せず中立を維持したという、歴史を紐解く鍵を握る一人ではある。

 関ヶ原の戦い。豊臣秀吉の没後に政権主導か方向性を巡り日本が再び二つに分かれた合戦に際し、当時の福知山城主小野木重勝は西軍の一員として、東軍の細川幽斎居城田辺城を攻める田辺城の戦いが繰り広げられます。当時の城主は実子細川忠興、関東へ参陣中です。

 田辺城には留守居役の細川幽斎が寡兵もって小野木重勝の猛攻に何とか持ちこたえようとするも和議にて開城を強いられます。しかし、関ヶ原の戦いが東軍優勢と西軍の瓦解敗走と決着がつくと共に細川忠興は東軍の将徳川家康に直訴、福知山城への逆襲を始めました。

 関ヶ原の戦いを経て細川忠興は福知山城を攻略、暫く細川氏が占領の期間を経て、福知山は有馬豊氏、徳川家御伽衆の一人で関ヶ原の戦いでは岐阜城攻めの勲功があった有馬豊氏が六万石の石高を以て転封され、福知山の城下町形成を本格化させた、と歴史は進みます。

 有馬豊氏の治世は穏やかで城下町には明智光秀時代に計画が示された由良川治水等も大きく進みましたが慶長19年こと西暦1614年からの大坂の陣でも勲功は大きく、元和6年の西暦1620年には筑後久留米21万石に加増転封されることとなり、福知山を去りました。

 福知山藩の歴史は、有馬豊氏の治世の後は足繁く藩主が入れ替わる時代となりまして、亀山城岡部長盛が3年間、摂津国中島藩より稲葉紀通が24年間、刈谷藩から松平忠房が20年間、これらを経て寛文9年こと西暦1669年に北関東土浦城の朽木稙昌が藩主となります。

 朽木氏の入城と共にようやく藩政は安泰となり、以後幕末まで200年間、朽木氏の時代は13代に渡り継承されてゆきます。この頃には福知山城は軍事拠点でも兵站拠点でも無く、文字通りの行政中枢となり、明治時代を迎え廃藩置県と廃城令まで、歴史を紡ぐのですね。

 特急たんば号車内からは迫力ある城郭ですが、なんと元々は本丸と二ノ丸の繋がる縄張りが明治時代の廃城とともに削り取られてしまい住宅地へ、また伯耆丸と内記丸間に至っては鉄道線建設に伴い削られたといい、これを知るとなにか電車の車窓が複雑になるのです。

 福知山城、この城塞は軍事拠点としてよりも上掲の通り兵站拠点としての色彩が強いものではありましたが、規模の大きさから江戸時代には行政中枢として機能し、これが明治以降、連隊区が置かれる軍都や鉄道拠点として整備、今日の福知山市が形成されたのですね。

 今日の福知山城は、美しい石垣が印象的です。元々の石垣は転用石として墓石や灯篭などが流用され、中でも日本最古の転用石がある事でも知られるのですが、大変な美観維持への除草作業は、福知山駐屯地第7普通科連隊のレンジャーが支援し、今日も美しさが保たれています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【防衛情報】M-1戦車延命とT-72改修,CV-90延命とM-2新規採用に躍進の装輪自走砲自走迫

2021-01-18 20:04:11 | インポート
■週報:世界の防衛,最新12論点
 今回は陸軍関係で12の話題を。アメリカのM-1戦車は年々改造が続く最中に余りその動きが無い90式戦車は寂しいところだ。

 アメリカ陸軍は12月17日、第一騎兵師団において評価試験中であったM-1A2-SEP-V3戦車について46億2000万ドルの量産契約をジェネラルダイナミクスランドシステムズ社との間で成約したとのこと。M-1A2-SEP-V3 のSEP-V3とはシステム強化プログラムバージョン3型を意味します。生産は既存のM-1戦車部品を再集成した際に実施されます。

 戦車はハネウェルAGT1500エンジンやM256滑腔砲といった部分は変更は無いものの列線整備方式を採用、IFLIR前方監視装置や簡易爆破装置を阻止するRCIED電子戦システム、M829A4ADL弾薬データリンク装置、CROWS遠隔操作銃搭を搭載しています。戦車の改修は2028年6月までに実施され、アメリカ陸軍全ての機甲旅団戦闘団へ配備される計画だ。
■M-1戦車のエンジン換装計画
 90式戦車の初期の車両はエンジンがかなり限界が来ているという事ですが、個のように思い切って交換する選択肢もあるのですね。

 アメリカ陸軍はハネウェル社との間でM-1戦車近代化改修に関わるエンジン調達で11億ドルの契約を成立させました。これはハネウェルAGT1500エンジンに関する契約であり、12月17日に国防総省が発表したもの。M-1はM-1A2-SEP-V3への改修が進められますが、これに先立ち、先ず全てのM-1A2戦車とM-1A1戦車へ新造エンジンを搭載するとのこと。

 ハネウェルAGT1500エンジンは、エンジン寿命が車体寿命よりも短い事を受けての交換であり、アメリカ陸軍とアメリカ海兵隊及び州兵が装備するM-1戦車が対象です。なお、アメリカ海兵隊は再編により2030年までにM-1戦車を全廃する計画がありますが、現役期間においてはエンジン換装を行い、必要な能力の維持を引き続き行う構図が考えられます。
■スイス,CV-90を延命改修
 自衛隊の89式装甲戦闘車も延命というものを真剣に考えるべきだったところですが車体を更新する方向で進んでいる。

 スイスのCV-90/ Schützenpanzer2000についてBAEランドディフェンスシステムズ社スイス法人は2040年までの車体延命に関する契約をスイス連邦国防調達庁との間で締結したとのこと。スイス軍は30mm機関砲搭載型のCV-9030装甲戦闘車を186両近代化改修により延命する方針です。既にスイスのCV-90はエンジン出力などが老朽化に曝されている。

 CV-90の延命はエンジンの延命と共に車体電機システムや電子システムの刷新、また車体情報表示装置の追加や車内からの360度全周監視システム等の追加も盛り込まれているとのこと。一方でスイス政府はライフサイクルコストの徹底的な圧縮を求めており、CV-90開発メーカーであり現在はBAE参加となったスウェーデンヘルグランド社も参画します。
■クロアチア,M-2IFVを導入
 ブラッドレーの生産が再開したために各国への新しい選択肢となっているようですね。

 クロアチア軍はM-2A2ODSブラッドレー装甲戦闘車76両を7億5700万ドルにて取得する事でアメリカと合意しました。この7億5700万ドルにはブラッドレー車体に加えて1700発のTOW対戦車ミサイルや84丁のM-240/7.62mm機銃及び通信機の費用も含まれており、これはクロアチア軍のT-72/M-94デグマン戦車と共同運用されることでしょう。

 M-2A2はアメリカ陸軍に大量調達され、1991年の湾岸戦争後には中東諸国に一定数が販売されましたが、その後の調達は一段落、しかし車体部分を汎用装甲車としたものがM-113後継としてアメリカ陸軍へ納入されています。組立は旧ユナイテッドディフェンス、BAEシステムズランドアーマメント社アメリカペンシルベニア州ヨーク工場が実施しています。
■米海兵隊,M-1ABVを全廃
 アメリカ海兵隊はM-1戦車の全廃を計画していますが、先行してM-1戦車派生型の戦闘工兵車輛が廃止されました。

 アメリカ海兵隊では海兵隊再編計画に基づきM-1-ABV戦闘工兵車輛の運用を順次終了し始めています。今秋にはその第一段階として第一海兵師団第一戦闘工兵大隊に配備されているM-1-ABVのモスボール保管が開始されています。M-1-ABVはもともと陸軍がグリズリーCMV戦闘工兵車として開発され中止されたものを試作車量産し取得したものです。

 M-1-ABVはのM-1A1戦車の車体部分にマインプラウやM-58-MICIC爆導索を装備した戦闘重量72tの工兵車輛で海兵隊は2009年にアフガニスタンヘルマンド州の安定化作戦に投入、この種の車両の有用性を誇示しました。この成功を受けアメリカ陸軍はM-1150戦闘工兵車として187両を発注しています。保存される海兵隊車輛の今後は未定となっています。
■トルコ,PARS3自走迫撃砲
 トルコは近年装甲車両などの国産化を大車輪で進めており、比較的抑えられた費用と手堅い設計により新しい地位を固めつつあります。

 トルコのFNSS社は同社が開発したZHA-PARSⅢ装輪装甲車について新型の120mm自走迫撃砲型を開発しました。PARSⅢ装輪装甲車は八輪式の装輪装甲車でモジュラーベース車両コンセプトにより車体後部に様々な兵器システムを搭載できる設計で、自走迫撃砲型は車体上部を開放、ラファエル社製120mm後填式迫撃砲とともに砲弾42発を搭載します。

 PARSⅢ装輪装甲車、今回、自走迫撃砲とされているのは八輪駆動型ですが、PARSⅢ装輪装甲車には四輪駆動型と六輪駆動型が開発されており、四輪駆動型は自走対戦車ミサイル型を、六輪駆動型は偵察警戒車型等を提案しています。全長8mと車幅3mに全高2.4m、特別仕様型として水陸両用に改造でき、水面上を3km/hの速度で浮航させることも可能だ。

 PARSⅢ装輪装甲車、戦闘重量30t、水冷ディーゼルエンジンにより最高速度100km/hを発揮し超堤能力0.6mに越壕能力2mと60‰の塔反力を有し、また全車軸操行装置により8mという小さな旋回半径を有しています、現在採用しているのはオマーン軍で装甲輸送型やこの自走迫撃砲など各型172両が5億ドルで契約、2020年内に納入が完了する見込みです。
■フィリピンの軽戦車計画
 痛い目に合うと真剣になるものなのですが、案外日本の共通戦術車輛車体に16式機動戦闘車の砲塔を載せても良かったのか。

 フィリピン国防省は10月24日、選定を進める将来軽戦車交渉についてイスラエルのエルビット社製サブラシュ砲塔を採用する方針を発表しました。この軽戦車選定にはトルコよりオトカ社製ARMA105砲塔と韓国ハンファ社製K-21装甲戦闘車105mm砲塔型が参加しました。サブラシュ砲塔はジェネラルダイナミクスヨーロッパ社製車体に搭載されます。

 エルビット社製サブラシュ砲塔の搭載車輛はスペインオーストリア共同開発のASCOD装甲戦闘車軽戦車型、オーストリア製パンドール2装輪装甲車の機動砲型が予定されており、この砲塔技術にはエルビット社がトルコなどに提供したM-60戦車サブラ改修キットの技術が応用されています。フィリピンには主力戦車が無く、貴重な機甲戦力となりましょう。
■ウクライナ軍,ダナ自走砲採用
 ダナ自走榴弾砲、本格的な自走榴弾砲の砲塔をそのまま大型装輪車両にのせたもの。

 ウクライナ軍は将来火砲としてチェコ製ダナ装輪自走榴弾砲の取得を検討している、ウクライナ国内報道に報じられました。ウクライナ軍には現在、旧ソ連時代の2A36 ギアツイント152mm榴弾砲、2A65ムスタ152mm榴弾砲、2s19 152mm自走榴弾砲、2S5152mm自走榴弾砲といた多種多様な自走榴弾砲や火砲が存在しており、これを統合するのが狙い。

 ダナ自走榴弾砲は1977年にチェコスロバキアにて開発され全長11.1mで全幅3mと重量は29tという巨大な装輪自走榴弾砲です、口径はNATO標準の155mmではなくロシア系152mmとなっていますが砲部分は砲架を装甲化された砲塔に収容しており全周旋回が可能となり、現在は標定装置や計算機等を自動化した最新型のダナM2が量産されています。
■最新型M-109A7試験開始
自衛隊の99式自走榴弾砲の様に新型に置換えるのは王道なのですが近代化改修を重ねるという手はある。

 アメリカ陸軍はM-109A7自走榴弾砲の更なる近代化改修を模索しているとの事、これはグレイウルフ旅団として知られる第1騎兵師団第3装甲旅団戦闘団第82砲兵大隊がこのほど実施した実証試験によるもので、データリンクで結び、一両単位で分散されるM-109A7榴弾砲の運用を防衛産業関係者を中心に広く分析に供し、改善点などを発見するのが狙い。

 グレイウルフ旅団は近代化実験旅団的な位置づけに在り、2020年にはM-1戦車最新型のM-1A2SEP2-V3主力戦車を初めて受領した実戦部隊となり、またハンヴィー高機動車の後継にいち早くJLTV統合汎用機動車輛を配備している旅団です。1960年代に開発されたM-109は如何にも旧式ですが、更に改修し性能向上を行う事で陸軍は乗切りたい構えです。
■モロッコ,カエサルHSP採用
 カエサル簡易自走榴弾砲は車体部分を改良する事で搭載する野砲とは別方向で進化していますね。

 モロッコ陸軍は陸軍砲兵近代化へフランス製カエサル簡易自走砲システム30門と各種弾薬を2億ドルで調達する方針です。モロッコ陸軍には13個の砲兵大隊が編成されており、M-109自走榴弾砲やMLRS多連装ロケットとともに旧式化の進む牽引式榴弾砲が装備されており、カエサル簡易自走砲システム30門は幾つかの砲兵大隊に分散配置される見通し。

 カエサル簡易自走砲システムはトラック車体に52口径155mm榴弾砲を搭載したトラック機動野砲システムで、車体部分には汎用性の高いウニモグU2450L車体を利用したもののほか、ルノーシェルパ10軽装甲車の車体を利用し一定程度の防御力を付与した装甲型なども開発されています。砲システム30門で1億7000万ドル、3000万ドルが弾薬とのこと。
■T-72戦車最新のT-72B3
 ロシアは色々と開発されていますが90式戦車の天敵といえる戦車の近代化はまだまだ続くようです。

 ロシア軍は11月、最新型のT-72B3戦車2020年度分の納入を開始します。現在ロシア軍に配備されているT-72は原型に新型火器管制装置1A40-1と主砲発射型ミサイルシステムを搭載し正面装甲をスーパードリパートン複合装甲へ強化しエンジンを840hpに強化したT-72B、T-72B2としてエンジンを1000hpとし主砲を55口径の2A46M-5としたもの。

 T-72B3はT-72Bを改修したもので、これはT-72B2の改修費用が大きく、クリミア併合やウクライナ東部紛争介入による欧米諸国経済制裁により大量取得する事が出来なかった事を受け、T-72Bを原型としてT-90戦車と同じ2A46M-5戦車砲や1000hpエンジンに換装した改良型で、取得性に優れ現在ロシアはT-90戦車量産を停止し改良を重点化しています。

 T-72B3戦車の外見上の最大の特色は履帯にT-72シリーズとして初めてダブルピン方式を採用したところですが、更に砲塔にコンタクト5爆発反応装甲を採用、戦闘重量は46tで航続距離を500kmとしており、ソスナU車長用照準装置等新世代の装備も搭載していて、2016年に量産開始、2018年より順次ロシア軍へ引渡が本格化し数の上で主力を目指します。
■2S42-Lotos自走迫撃砲
 ロシアの自走迫撃砲は数も多く普及している為に中々侮りがたい脅威でもあり、自衛隊にもAMOSの様なものが欲しいとおもうところ。

 ロシア軍はBMD-4M空挺装甲戦闘車派生型の2S42-Lotos自走迫撃砲評価試験を開始しました。これは125mm戦車砲を搭載し既に配備されているSDM-1スプルート空挺軽戦車の車体部分を応用し、モジュール方式の120mm後装填式迫撃砲を搭載、このモジュールは2S9Nona-S自走迫撃砲の派生型で、2S9Nona-S空挺型というような運用を見込んでいます。

 2S42-Lotos自走迫撃砲は戦闘重量18t、エンジン出力は450hpで最高速度は70km/h、車体は浮航方式の水陸両用車となっておりシーステート3の海上でも走行可能であるとともにロシア空軍のIl-76輸送機に2両を搭載可能、最大射程は13km、最低射程は1kmといい、対戦車用SDM-1スプルート空挺軽戦車とは対照的に間接照準射撃専用となるもよう。

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阪神大震災-兵庫県南部地震発生26年,新型コロナCOVID-19拡大下で問われる危機管理の原点

2021-01-17 20:02:42 | 防災・災害派遣
■忘れてはならぬ1.17慰霊の日
 今年はCOVID-19感染拡大下では慰霊祭なども制約がある最中ではありますが、忘れてはならない1.17です。

 6434名が亡くなった兵庫県南部地震-阪神大震災発災から本日で26年となりました。本年は3.11東日本大震災-東北地方太平洋沖地震発災から10年目という節目の年でもありますが、同時に新型コロナウィルスCOVID-19日本上陸から一年目という年でもあり、危機管理というものを考えさせられる前に今がまさに危機の克服への最中にある、という重大な状況中でもあります。

 犠牲者は還らず、往時の面影を思い起こす事しか出来ません。しかし、次の何かへの教訓があるならば、それは制度へ内部化し継承しなければ、犠牲者の意味というものが問われるように思い、特にこの視点は災害において非常に重要であるように思います。その視点から、喩え何年たとうとも、巨大災害発災の日には追悼の念と機会が大事であるよう思う。

 東日本大震災発災から10年となる本年ではありますが、阪神大震災はのちに繋がる危機管理、ギリシャ語で"切られた"を語原とするクライシスというものを真剣に考えねばならない、戦後最大の警鐘であったことを考えさせられます、即ち平時の感覚と危機に際しての切り替えを適宜且つ適切に行えない場合にはそのまま多くの人命に直結する、という意味で。

 阪神大震災は、1995年1月17日0546時に兵庫県淡路島北部の野島断層を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震により引き起こされました。この震源は深さ10kmと浅いことから、姫路市や京都市などはほとんど被害がなかったのに対し、神戸市をはじめ兵庫県人口密集地域には非常に大きな揺れが低層建築物、特に住宅、を中心に大被害を及ぼした。

 安全神話。こうしたものが改めて信仰のように信じられていた点は不思議なものではありましたが、日本の建築物は耐震構造により地震に強い、という一種の神話が吹き飛ばされ、低層建築物の中には極めて厳重に建築され、そして比較的新しい山陽新幹線の高架部分も崩落する事となり、最大規模の地震にたいし盤石性の確保への難しさを認識されています。

 火災。阪神大震災はもう一つ、兵庫県東灘区を中心に大火災が発生し、非常に残念なことではありますが、倒壊家屋には多くの生存者が救助を待つ頭上を業火は蹂躙したと考えられています。大都市であり消防機能は大きなものがありましたが、火災はそれ以上に大きく、また消防水利断水により大阪湾を消防水源とするなど大変な消火作業だった、という。

 神戸市を筆頭に西宮市や伊丹市に芦屋市など多数の都市が大きな損害を被りました。特に旧耐震基準建築の歴史ある住宅街が多かったことも被害を拡大させたのですが、強大な都市機能をゆうする近代都市であっても直下型巨大地震というものを想定した平時機能はあり得ず、果たされなかった自衛隊への迅速な派遣要請などの遅れは確実に響いている。

 もちろん、火災の一点を考えればあの火災は破壊消防でも行わなければ延焼拡大阻止は難しく、思い切った破壊消防などは現場判断で簡単に出来るものではなく、文字通り想定外であったのかもしれません。しかし、それ以外の部分で、防災、防衛、ともに平時の状況が大きく機能付随となることを念頭とした根本的法整備は、行われず今に至っています。

 想定外。実のところ2011年東日本大震災にて当時の民主党政権を始め連発した、この想定外という表現は、実のところ、安全神話、と阪神大震災に際して繰り返し表現されたものの焼き直しであり、実際のところ、想定できないではなく、想定しなければならない例外無き対策、というものが阪神大震災16年を経ても為されていなかった事にほかなりません。

 危機管理、とは平時になり経たない非合理的なものであっても、不足する場合を見越して準備しておくこと、安全係数における冗長性の必要性にほかなりません。もちろんこれは経済的な若しくは人員面での余裕がなければ実現しない概念ではあるのですが、予算不足や人員不足を言い訳として準備を怠れば、それは現実的な危機に際し直ぐに顕在化します。

 平成時代はバブル崩壊ののちに、所謂"余裕のない時代"が到来していることは否定しません、しかし、余裕がないのであれば平時の不便を敢えて容認することで有事の際の冗長性を確保する、という施策は当然平時における不満の受け手には難渋が強いられるものではありますが、丁寧な説明努力と合理性への受容性を持つことが、危機管理の意識といえる。

 新型コロナウィルスCOVID-19、現在も危機管理が現在進行形で継続中であることは上掲の通りですが、考えてみますと平成以降、日本における危機管理の分水嶺が厳しく迫られているのは、26年前の阪神大震災、10年前の東日本大震災、そして1年前から続くCOVID-19世界的流行禍、三回であるよう思えます。危機管理の観点からはどうでしょう。

 現在進行形の危機の最中にあっては、暫定的な結論しか出すことはできませんが、政府の感染対策は概ね第一波を水際対策で防ぎ季節性疾患であるコロナウィルスの停滞期にあたる夏期の所謂第二波は過度な規制を回避しGDP比四割という膨大な経済対策により経済破綻を回避する事に成功しました。しかしまさに、冬の第三波に現在曝されている現状です。

 医師国家試験の合格者数を増大させ、もちろん平時には採算の成り立たない医療機関が増える平時の医療崩壊という懸念はありますが、医療従事者をもう少し確保するべきだった。そしてCOVID-19検査と調整を考えるならば、橋本内閣時代から続いた行政改革と小泉政権時代以降本格化した町村合併にて保健所と公務員を減らしすぎたのは一つの課題でした。

 行政の肥大化への批判、歳入不足という現実、これは別に日本だけのの問題ではなく、例えばイギリスでもブレア政権時代には大きな課題となっていました、この際にブレア政権は"第三の道"として民間外注の本格化により、問題の解決に当たっています。コロナ対策ではイギリスNHSなどは限界が突きつけられているために一概には、いえないのですがね。

 緊急事態宣言や厳しい法規制の検討、こうした部分で日本は次の段階を模索中ですが、平時のうちから有事に備えて人員を確保する、保健所の数的維持が出来ずPCR検査態勢に遅れがあった点、病床数は多数を確保しているものの支持医療回復医療重視の背景もあり肝心の医療従事者不足の現状、行政改革が危機管理を制度化していなかった事を示します。

 結局のところ、阪神大震災の教訓は、都市機能の防災能力の限界を超える場合には迅速に応援を必要な地域へ展開できる体制を官民一致で大きく前進させる、というものでした。この教訓はかなりの部分で活かされているように思う一方、全国的な規模で引き抜ける余裕のない状況を想定していないというCOVID-19危機管理での反省があるようにも思う。

 危機管理、考えたくない、震災以前は空気が前進させる事を阻んでいたように思う。現在のCOVID-19という問題があり、全国的に他の場所から増援を受けられないという状況です。一方、防災という観点からは遠くない将来に危惧される南海トラフ連動地震に際しても類似した状況は考えられるのです。すると、社会全体で処方箋を考えてゆかねばなりません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【4】護衛艦と航空母艦(2019-04-14)

2021-01-16 20:06:49 | 日記
■DDHとCVNの横須賀基地
 DDHヘリコプター搭載護衛艦いずも、CVN原子力空母ロナルドレーガン、横須賀ではこの二隻が日米両国の代表的な艦艇です。

 いずも、は護衛艦、ロナルドレーガンはキティホークの横須賀時代、2007年に定期整備を日本国内において実施する際に西太平洋へ前方展開、2月には佐世保へ初入港しています。2011年3月11日に発生した東日本大震災では対日支援作戦トモダチ作戦での洋上主力を務めている。

 いずも。いずも型護衛艦一番艦であり全通飛行甲板型護衛艦、CIC戦闘指揮所とFIC旗艦用司令部作戦室、更に多目的室は自衛隊観艦式においてシンポジウム等に用いられていますが有事の際は100名規模の要員が勤務する統合任務部隊司令部へ転用を見込んでいます。

 ロナルドレーガン。太平洋艦隊の第7艦隊第5空母打撃群を構成する中枢艦です。2001年3月4日に進水、2003年7月12日に竣工しました。ウェスティングハウス・エレクトリックA4W加圧水型原子炉2基の26万馬力は102000tの巨体を30ノットで航行させる。

 第40代アメリカ合衆国大統領ロナルドレーガンの名を冠した航空母艦、大統領は海軍軍人としての経験こそありませんが、大統領現職当時に海軍の600隻艦隊構想を掲げ、当時年々増大していたソ連海軍のシーパワーでの挑戦を真正面から受け止めた海軍功労者です。

 全通飛行甲板型護衛艦である本型は航空機運用を第一とした設計であり、飛行甲板は全長245mと幅38mを確保し、前型ひゅうが型の全長195mと幅33mに比して五割程度広大、甲板係留だけで哨戒ヘリコプター一個航空隊を収容できるほどの巨大な甲板となりました。

 F-35B戦闘機の搭載能力、いずも型については海上自衛隊初の戦闘機運用能力付与が決定しています。海上自衛隊の予算ではF-35Bは厳しく、また航空教育集団の装備体系ではF-35Bの要員を練成する事は難しい、という事でしたがF-35Bは航空自衛隊が導入します。

 27000tという巨大な排水量を誇る本型ですが、満載排水量19000tの護衛艦ひゅうが型と比較し建造費は同程度に抑えられていて、これは護衛艦としての個艦戦闘能力を重視した、ひゅうが型に対し本型はその能力を艦載機に多くを依存するという運用に背景があります。

 248mという長大な船体は航空機運用能力の冗長性を高め、対潜中枢艦や航空掃海中枢艦、そしてF-35B搭載による防空中枢、F-35Bをセンサーノード機として搭載する事で長射程化が著しい艦対艦ミサイルや艦対空ミサイルのセンサーとして機能する事ともなります。

 ヘリコプター搭載護衛艦という艦種はヘリコプターを置き換えるだけであらゆる任務に対応できるといっても過言ではなく、例えば陸上自衛隊が導入を開始したV-22輸送機を搭載する事で邦人救出に転用できますし、AH-64DとCH-47によりコマンドー空母ともなる。

 いずも型は建造費だけを視ればイージス艦の護衛艦まや型よりも安価で汎用護衛艦あさひ型の三割増程度の費用で建造する事が出来ます。これは偏に日本の造船能力の高さが良質な艦艇を安価に取得できるという強みが背景に在り、この強みをもっと活かすべきと思う。

 うらが。横須賀軍港めぐり遊覧船は船越地区へと入りました、うらが背後に巨大な電波塔が見えますが、此処には自衛艦隊司令部庁舎が置かれており、この付近には核攻撃にも耐えうる地下に自衛艦隊司令部指揮所も置かれています、まさに日本海上防衛の中枢という。

 掃海母艦うらが、うらが型の一番艦です。元々は掃海隊群直轄艦として掃海艇の整備補給と休養なども含めた旗艦運用が期されていましたが、自衛隊掃海艇勢力の減少とともに、現在は二番艦ぶんご共に掃海隊に所属しており、うらが、は第1掃海隊に所属しています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和二年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2021.01.16-2021.01.17)

2021-01-15 20:11:58 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 第一空挺団降下訓練始で習志野が賑わう週末もCOVID-19感染対策及び緊急事態宣言発令により本年は行事もありません。そこで懐かしい写真と共にコロナの話題を。

 緊急事態宣言の対象地域が、当初の東京と隣県から、関東一円と京阪神、中京地区と北九州地域の都府県に拡大されました。緊急事態宣言では、未だに自粛要請と一部休業補償、在宅勤務励行要請に限られ、いわゆる広範外出制限や中国や欧州とアメリカなどで行われている都市封鎖までは至っていません。日本型というべき非常に緩い規制で臨んでいます。

 大学入試新共通試験がいよいよ明日に迫る中、都市部を中心に緊急事態宣言が拡大し、いよいよ来るべき時がきた、という印象と同時に、四月末の緊急事態宣言と比べ学校休校は無く人との接触を八割減らすなどの目安もなく、そもそも四月末からの短縮操業により悪化した経営状況を取り戻すべく、強制力のない要請には製造業など、現実問題では対応が難しい。

 実際問題として、感染力がインフルエンザよりも遙かに強いとともに致死率が2%、中小企業でもクラスターが発生した場合に制御できなければ、社員50人の企業でも家庭内感染を含め社員かその家族が数人なくなるというような凶悪なウィルス、感染拡大と経済を両立することは不可能であり、強行するならば大戦末期並の人命の価値への感覚麻痺が必要だ。

 強制力ある法整備が無ければ企業として対応は難しいといわれていますが、例えば企業の操業停止や、実際に欧州やアメリカの一部州、中国で行われたような外出制限、スマートフォンやFAXにて公的機関へ外出申請書を送付し、一例で通行証のようなものを携帯しなければ基本的に自宅から数百m以内を除き外出禁止、という法整備が必要なのでしょうか。

 自粛依存のコロナ対策では、限界はある。全くその通りなのですけれども、果たして政府にそこまでの強権を与えても将来に渡り暴走しないというほど有権者は政治を信じているのか、強い規制が必要、という意見が多くなることはそれだけ政府が強制するならば従おうという結果論としての政府への信頼の裏返しなのですが、少し考えてしまうところです。

 40万。2020年4月15日に厚生労働省対策チームの見解として、日本国内で対策が全く行われなかった場合に最悪の場合40万人が死亡する、という見解が出されていましたので、2021年1月現在、感染30万名と死者数をなんとか3000名規模、季節性インフルエンザ程度に抑えられている点は、実はかなり成功した感染対策ではあるといえるのですが、さて。

 強制力ある感染防止法整備を一時的に感染拡大が沈静化していた2020年夏の時点で通常国会にて成立させるべきだった、という声もあるようですが、考えてほしいのは完全な国民への行動規制は、憲法に抵触することは必至、あの有事法制でさえも冷戦時代の三矢研究から40年も検討が必要だったため、夏の40日間や4ヶ月間では流石に、法整備は難しい。

 現状の自粛要請を主体とした、法律ではなく場の空気に依存するという法治国家にあるまじき体制で感染を押さえ込めるのか、それとも、明治憲法17条の戒厳に準じた緊急立法措置を、時限立法か恒久法かを問わず法整備する道を考えるのか、拙速への批判はあるでしょうが、夏の感染収束に考えずに済んだ憲法への抵触を今後には強いられるのでしょうか。

 後遺症。さて厳しい自粛要請ではありますが、現在のところCOVID-19は死者数を抑えることが最優先され、もちろんこれは正しいとは考えるのですが、後遺症が生む社会不安まで、考えていない部分はないでしょうか。後遺症の社会不安が顕在化するほどに経済を優先した場合、生存者の生涯にわたり、かえって影響は長期化するように思えてなりません。

 経済を無理に回せば、今までは死者が増えることでの悪影響が懸念されていましたが、今後は後遺症により経済に極めて長期間の悪影響を及ぼす懸念を第一とするべきかも知れません。CNNの2021年1月12日報道では中国武漢のコロナ重篤患者生還者の76%で主に倦怠感や疲労感という報道があり、味覚嗅覚異常者が増えれば例えば外食産業は崩壊する。

 新型コロナCOVID-19,再度の緊急事態宣言と自粛要請を前に特に今回重点対策と位置づけられた飲食店と外食産業からは厳しい批判の声が出ていますが、実際のところCOVID-19は2%に上る致死率、医療崩壊さえなければこれは1%台まで安定化できるようですが、その致死率とは別にもう一つ、脳の後遺症による五感障害が脅威であるように思うのですね。

 嗅覚障害に味覚障害、なるほどCOVID-19の症状の一つとされているもので、この報告は2020年初期に日本と中国で始まり、アメリカや欧州において典型的な症状として認識されるようなりました。実はインフルエンザでも粘膜に炎症が起こることで一時的な味覚障害や嗅覚障害は報告され、アレルギー症状でも味覚嗅覚へは似た症例は多いのですけれども。

 COVID-19は脳の炎症が原因で味覚障害や嗅覚障害に繋がっている、という研究結果が出始めています。こういいますのも耳鼻咽喉科を中心に粘膜に異常がないのに味覚障害と嗅覚障害、という疑義があったために、粘膜炎症ではなく別に原因があるのではないか、という分析から脳の炎症が味覚中枢や嗅覚中枢に影響を及ぼしている可能性が、と研究が。

 サイトカイン炎症、白血球が膨大なコロナウィルスによる細胞浸食から人体を守るために遂に身を挺した自爆攻撃に打って出ることで生じる炎症、正確にはサイトカインシンドロームと称される一連の免疫過剰反応を引き起こすのがCOVID-19の突然の重篤化に繋がる要因ですが、これが脳にも影響を引き起こす結果となっている。すると最大の不安は。

 コロナ後遺症の味覚障害や嗅覚障害は、もちろん粘膜炎症も全身が炎症を引き起こすために脳以外の要因によっても引き起こされるのですが、脳の炎症が原因として嗅覚障害や味覚障害が発生した場合、どうやって脳を治療するのか、という未知数の問題がある点です。忘れてはならないのは味覚障害嗅覚障害の原因は粘膜か脳の二つある、ということですが。

 サイトカイン炎症は全身一斉に炎症を引き起こすためで、CIVID-19が新型肺炎と呼ばれていた時代に、肺を構成する三器官が同時に炎症を起こすために通常の肺炎治療では人命を救えない、と医療従事者が驚きと脅威を伝えていたものの、この視点では肺が全て炎症を起こすのではなく全身が炎症を引き起こす中に肺全ても含まれていた、という状況でした。

 二つある味覚障害と嗅覚障害の要素ですが、一つは粘膜炎症、インフルエンザなどによっても生じる味覚嗅覚障害の原因と同じもの。全身が炎症を起こし全肺も含まれるのですから粘膜も含まれて当然、こうした原因が一つ。そしてもう一つは脳の炎症が脳機能障害となって味覚と嗅覚を壊してしまうものなのですね。感染例に比例し症例も増えてきました。

 完治するのか。疑問はこの一点ですが、味覚障害嗅覚障害も無味無臭になる、というだけでなく、何を食べても石油系の味になるとか、胃酸の様な味しかせず不快感だけで食事が進まない、患者の多いアメリカと欧州で報告されはじめ、治った症例もあるが、まだまだCOVID-19の後遺症は判っていない事が多数あるだけに、慎重に感染対策すべきでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】福知山城,天守四連郭式城郭備えた広大城域は中国侵攻準備への一大兵站基地

2021-01-14 20:08:32 | 写真
■複合連結式望楼型天守閣
 福知山城,城郭は青空と共に刻まれた複雑な幾何学模様の如き機能美が陰影を脈々と伝え映えるように思います。

 福知山城は今日の姿こそ雄大です。しかし最盛期の姿は今よりも遥かに壮大で全体では東西600mに南北300mという。丹波一円を見渡しましてもこれほどの城郭の機能は随一の規模であり、丹波の中心となります、そしてこれは築城目的が大きく影響していました。

 天正7年こと西暦1579年に明智光秀がおこなった丹波攻略は、畿内全体に織田信長の勢力が轟く事となりました。しかし丹波一国を防衛するだけの拠点ならば上記の壮大な城郭は必要ありません、そして城郭が大きくなければ城下町も小さく留まっていたことでしょう。

 織田信長は畿内支配の態勢を確立すると共に豊臣秀吉と明智光秀に中国侵攻、中国攻めを命じまして、実はこの命令こそが福知山城が壮大な城郭となる事を意味していたのですね。何故か、それは城郭を防衛拠点ではなく兵站拠点としていた為で、中国攻めの物資を集積するためだ。

 豊臣秀吉は山陽道を兵站線として姫路城等を兵站中継地として整備したのに対し、明智光秀は山陰道を兵站線として進むべく兵站中継点に福知山城を整備したのですから、姫路城は江戸時代に拡張され大きくなりましたが、当時は福知山城も同様に広かったわけでして。

 明智秀満、明智光秀は娘婿を城主として配置しました。しかし、1582年本能寺の変の後に豊臣秀吉の所領となりまして、その後修築は行われたようですが兵站拠点としての用途は無くなり、城郭は江戸時代に入った後、有馬豊氏時代に完成したものと推定されている。

 天守閣は複合連結式望楼型天守閣といい、元禄12年こと西暦1699年の造営、明智光秀が天王山の戦いで敗北し伏見で落ち武者狩りに打ち取られてから120年近く後のもの。しかしこれも明治時代に取り壊され1985年に再建されました、昭和末期、意外に新しいのだ。

 四連郭式城郭、という、本丸を小山の最先端部の頂上、大手門跡から上る事標高にして25mに置き、城郭の縄張りはその西に二ノ丸とそしてその更に西へ伯耆丸郭を、加えて内記丸と続く、最盛期はこうした重厚なものとなっており、工兵の小規模な日本では難攻不落で。

 福知山城の天守閣は四連郭式城郭、さて四連郭式城郭四連郭式城郭四連郭式城郭と早口言葉のように連呼したくなることろではありますが、これは多くの城郭において天守閣が文字通り落城直前までの最後の砦という最中にあって、独特の設計といえるかもしれません。

 平面古図、江戸時代に記された天守閣に関する記録によりますと、天守は三重四階建ての大天守となっており、北側に二重二階階建の小天守、これらを一つに連接するべく南側に櫓門を連絡路として二重二階の菱櫓を連結した建物が造成されていたと記録されていて。

 城郭の天守閣と櫓を離隔させず構造物を一体としていた、と記録されているのですね。その上で大天守には寝台と棚をしつらえた八畳の上段ノ間があり、水流しと厠、小天守にも寝台と棚を整備し居住を意識したものとなっていたようでして。更に連接部にも特色が。

 大天守と小天守の連絡経路は縁側を配置し、一種の日本家屋座敷を意識した造営となっていたとのこと。姫路城等もそうですが城郭の天守閣は平時には急な階段などから単なる倉庫として用いられる事が多かった中で、籠城、というより指揮中枢を意識した福知山城だ。

 明智光秀が縄張りを構築しつつ江戸時代の初期に漸く完成を見た福知山城、福知山線から望見しますと、なにか複雑な形状と云いますか、列車が進むと共に印象が映ろう不思議な城郭という印象でしたが、元々の福知山城にもこうした趣向があったのは、興味深いです。

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【防衛情報】米ストライカーMCWS中口径武器システムと英MIV機械化歩兵車輛プログラム

2021-01-13 20:17:41 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 パトリアAMVの試験車両がフィンランドを日本へ出発したようですが、96式装輪装甲車後継について関連する海外装甲車の話題を見てみましょう。

 機動装甲車か、海外製装甲車か。自衛隊の次期装甲車選定が正に進んでいる所ではありますが、陸上自衛隊が96式装輪装甲車を開発した当時は一両一億円という製造費が海外製装備に対して割高だ、と当時の軍事専門家などに厳しく批判されていました。なんでも1980年代には装輪装甲車は安価であり、車体そのものは6000万円程度、という時代があった。

 しかし、装輪装甲車が歩兵戦闘車ありきの補助装備であった時代から1990年代後半、冷戦終結後の地域紛争増大を前に装甲戦闘車よりも機動力に優れた装輪装甲車の需要が大きくなりますと、廉価版ではなく主力と位置づけられるようになり、高性能化、重武装化も。そしてその取得費用も邦貨換算で200万ドル前後へと大きく増大してゆく事となります。

 ジェネラルダイナミクスランドシステムズ社はアメリカ陸軍に大量配備されるストライカー装輪装甲車最新型のストライカーMCWS中口径武器システム型を発表しました。これはノルウェーのコングスベルク社と共同開発した30mmドラグーン砲塔搭載のストライカードラグーンを再設計したもので、転覆限界や不整地突破能力等を改善した完成型という。

 ストライカーMCWSは8両の試作車による18か月間の評価試験を実施し、米本土予備欧州において各種試験を実施しています。配備計画としてはストライカー旅団戦闘団の諸兵科連合大隊用に各々83両が配備される計画で、現在のところ3個ストライカー旅団戦闘団所要249両の量産が計画、大口径化する各国装輪装甲戦闘車への対抗能力を整備します。

 ストライカー装甲車は2000年代初めから安価で大量生産できる次世代の歩兵用車両として欧州製装甲車を広範にアメリカ陸軍へ配備していますが、大口径機関砲を小型化するCTA機関砲や大口径機関砲砲塔を小型化する遠隔操作銃搭により軽装甲車への大口径機関砲搭載が各国で進んでおりストライカー装甲車も生き残るべくこの趨勢に乗ろうということか。

 自衛隊にもストライカー装甲車を、という声は2000年代に外交専門家や安全保障専門家から散見するようになりますが、この頃のストライカー装甲車は遠隔操作銃搭RWSのみの基本型が140万ドル、対して96式装輪装甲車は9600万円程度、ストライカーの方が車幅も大きく防御力に優れている点は自明でしたが、高い車両だ、と考えさせられたものでした。

 防衛予算に装甲車の比重を高めて高価な海外製装甲車を導入するべき、こういう視点ならば多少理解するのですけれども。しかし国産は高いという誤解が。人間一回知識体系に織り込んだ情報の更新は難しいもので、海外製装甲車は安い、という視点から96式装輪装甲車とストライカー装甲車の取得費用差というものを織込めていない認識があるのですよね。

 イギリスの次期装輪装甲車選定が完了。海外製装甲車についてここで面白い話題が。イギリスは1998年にLAVピラーニャ装甲車をFV-432等の汎用装甲車後継に選定しましたが、その後の財政難とアフガン派遣戦費にイラク派遣戦費が嵩み、廃車寸前の装甲車と廃車相当の装甲車を維持し続けていましたが、遅れる事22年、漸く選定結果をだしたというもの。

 イギリス国防省は2020年11月、MIV機械化歩兵車輛プログラムとして導入が内定しているボクサー重装輪装甲車260両について、その8億6000万ポンドにのぼる製造契約をRBSL,ラインメタルBAEランドシステムズ社との間で契約しました。ボクサー重装輪装甲車はイギリスシュロップシャー州テルフォードのRBSL工場にて生産される事となります。

 ボクサー重装輪装甲車260両はライセンス生産ではなく合弁会社により製造するという新しい試みでありますが、同時にイギリス国内に1200名規模の新規雇用を生み出すとともに8億6000万ポンドにのぼる製造契約のうち60%はイギリス国内企業との間で交わされるとしており、従来のライセンス料ではなく相互互恵の防衛協力、その一例といえましょう。

 予算不足に悩むイギリス軍が高価なボクサー重装輪装甲車を260両も導入するとは、思い切った事をするものだ、と感心するところですが、それよりも興味深いのは、海外製装甲車をそのまま導入するのではなく、合弁企業を設置する点です。そして世界で活躍させるには大口径機関砲を搭載出来る装甲車でなければ、最早歩兵用に成り立たない点でしょう。

 合弁企業方式。確かに車検や重整備の度にドイツに送り返しては費用がかさみます、しかしライセンス生産のリスクを避ける為に、イギリス国内企業に費用が落ちる様に合弁会社を設立して運用基盤も含めて移転、という方式ですね。こうする事で例えば導入国に合致させるエンジンや変速機再選定や砲塔の独自選定という兵站システムへの統合も可能です。

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【京都幕間旅情】福知山城,出雲と山城結ぶ要衝丹波之国は由良川の畔に明智光秀築城の城郭

2021-01-12 20:15:31 | 写真
■臥龍城,丹波之国の福知山城
 戦国武将明智光秀を主人公としましたNHK大河ドラマ"麒麟がくる"が佳境を迎える今、福知山が話題です。

 福知山城。京都駅を出発した快速電車が長い旅路を終えようとするその頃合いに山陰本線の高架線から丹波の美しい山並みと滔々と流れを湛える由良川のその奥に、凛としてしかし厳粛な風景が気分を高揚させる、その風景とは小山の上に威容を示す福知山城という。

 京都駅から亀岡を超えますと綾部の工業団地までは京都府の丹波山地という奥深さを満喫するところではありますが、綾部から二つに分かれる路線はいっぽうが舞鶴へ、もう一方が山陰本線を福知山へ向かいまして、路線は徐々に高架線へ、栄えてゆく印象があります。

 太平洋戦争後の1985年に鉄筋コンクリートにて再建された再建天守閣が聳えています福知山城、日本の国民総生産GNI/GNPが西ドイツを抜いて世界第二位となったのは1968年、1950年代に急ぎ復旧した復興天守と異なり意匠まで再現できる余裕の時代の天守は美しい。

 丹波山地を超えて到達しましただけに、感慨深いのは丹波は哲郎、ではなく旧国名でして、丹波の国の中心がここ福知山であった、という事なのですね。山陰本線は遠く出雲の国へ続きます。その立地が示す通り要衝であり、和銅年間の8世紀から国司が置かれていた。

 大神狛麻呂が国司として配せられたのは和銅元年の西暦708年でして、鎌倉時代からは守護が置かれ、1392年からは細川氏が代々所領として1575年まで守護をになって来ました。ここから戦国時代一旦、波多野氏所領となったのちに、明智光秀の所領となったのですね。

 明智光秀、昨今新しく注目が集まっています戦国武将、福知山城は彼の手により天象7年こと西暦1579年に築城される事となりました。実は今の様な天守閣は江戸時代中期に建築されたものを再現したもので、全容は不明の部分が多いのですが縄張りは当時のものです。

 臥龍城、横山城、八幡城、福智山城、掻上城、様々な名を持つここ福知山城は山陰本線福知山駅から徒歩十五分ほど、慣れていないと大通り増に市役所を経由し二十分というところでしょうか、山頂の城郭までは自由に来訪者へ門扉を開いており、丁度良い散歩道です。

 戦国時代の縄張りに依拠する城郭、しかし、明治時代から親しまれる城郭を模索し、結果として軍事拠点や行政拠点から文化の拠点となった歴史を示すように、こう経路は階段に手すり案内板が整備されていまして、城郭に文字通り上る際の郭のその迷い道さえ楽しい。

 由良川を自然の防壁とする福知山城は、明智光秀が織田信長の命令により中国攻めに向けて造営した一つの兵站策源地であり、考えてみると山陰本線の重要拠点である福知山駅は、JR時代でも九州の門司行普通列車、日本最長列車やブルートレインが運行されていました。

 八幡山に掻上城という城郭が中世の塩見頼勝治世の時代から置かれていまして、元々福知山王が築城される前にはもう少し山手に沿った城郭が造営されていました、ここを近代的城郭に再構成したのが明智光秀、という事なのですね。実際見上げると天守閣威容は凄い。

 掻上城の時代は、今の近代城郭というよりは山麓に大名屋敷というべき兵站拠点と行政拠点が整然と広がり、しかし山頂には物見台のようなものが配置されていたというもので、今の福知山城は山之上に天守閣はじめ中枢が置かれているのとは真逆の配置だったという。

 明智光秀の福知山城、こう認識されることは城郭の造営は時間を要するものでして、光秀の丹波所領時代は天正8年の1580年から僅か二年弱と短く、基本的に此処をどのような市街地に発展させるかの都市計画を確定しただけ、というのがその実態の様でもありますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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