イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

悲しみの腰越を越えて!(爽やかに生きるための防衛機制②)

2010-06-09 | 第八章「魂と聖霊」
 昨日は、腰越で≪生き甲斐の心理学≫の勉強会。この2-3日気になっていた自分の鬱感情(ウツも当用漢字になるとか・・・)の原因が思いがけなく晴れそうな感触も得た。心理学の勉強は、良き師の主宰する勉強会に参加するのが一番とつくづく思う。

 さて、帰りがけに学友と、久しぶりに満福寺を学友と訪れた。江の島のほんの隣である腰越は、源義経が都で平家追討で大勝利を得てから検非違使の官位を頼朝の許可を得ず貰ったために、鎌倉に居る頼朝にも会えず逗留した地である。北条氏のバックアップで時代を深く見つめることができた戦略家頼朝と、合戦の天才であった義経の悲しいすれ違いの地である。

 満福寺は腰越状が有名である。誤解を解こうと義経は手紙を書いた。800年以上の昔であるので、今では携帯やe-mailで苦労なくコミュニケーションができたのにと思うが、単なるコミュニケーションだけの問題ではなく、恐らく二人の生育史の違いとか、今日のテーマである防衛機制のために、本来仲良く幸せになれるはずの二人の人生が、殺しあう仲になってしまったと想像したりする。

 人は、誰でも囚われるものだ。時代の寵児であっても、悲しい囚われがあったのだろう。

 頼朝に見えていたものが、義経には見えない。そういうことも、生き甲斐の心理学を勉強していると、はっと気がつく。

 28年勤めていた会社を辞めて見えてきたこと。ある日カトリック教会で起こった個人的な出来事の後に見えてきたこと。父が死んで見えてきたこと・・・こころに起こるこうした出来事は人生を左右するほど大きい。政権交代ではないが、こころのフレームワークが変わってしまうかのようだ。そして、これはこころの防衛機制も深く関係している。

 自分の人生を、大切に生きるために、大切なことを決める時には、できるだけ囚われから自由になりたい。その大切の一歩は防衛機制を勉強すること。そんなことを腰越で考えさせられた。

爽やかに生きるための防衛機制②(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 22/60)

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