人は見たくないものを見たりし、それをどこかで抑圧することで、簡単に病理に向かうことがある。私も小学校1年生の時にそうした経験があった。そして、その翌年私は両親の仕事の事情でアラスカに移り住んだ。環境の激変で或日、強迫神経症的な症状が出た。
しかし、それは両親だけでなく小学校の先生や近所の友達により、さらに優しい人々を包むアラスカの大自然により癒やされていった。海岸で小さなカニと母と一緒に戯れたり、父と近くの港で魚釣りに出かけたり、あるいは家の近くの森の木々の枝の上でハンモックのようにくつろいだりした。小学校の先生は急な別れの時にビニール袋にチョークを詰めてプレゼントしてくれた。なんと素敵なプレゼント。
言葉の壁はアラスカの自然の前で簡単に壊され、五感をとおして癒され、希望を頂いた。
今のコロナ禍では、どういうわけか心の健康にもよい歌や踊りが制限され、地元の祭りも中止となり、自然の美しさや優しさの中でほんわか気分になることも制限され、さらに残念な政治と報道のなかで(もちろん頑張っている方々もいらっしゃる)善を見失い、経済的に弱いものがさらにつらい立場に追いやられる。この世はやはり涙の谷なのだろうか。
しかし、13,000年の縄文時代の祖先のことを思い出そう。南九州のカルデラ火山の爆発で西日本は壊滅的な状態に陥り打ちのめされた。あるいは世界の神話にもある天岩戸のような太陽が見えなくなるような天候不順も日本を覆ったことがあるだろう(火山の大規模噴火による気象変化)。もちろん今の世のようなパンデミックもあっただろう。
それにも関わらず祖先たちは(日本列島の祖先だけでなく)、私たちに命のバトンタッチをしてくれた。
身近な両親・祖父母の時代にも無残な太平洋戦争があり多くの人が亡くなった。飢え死にしたもの、銃弾でたおれたもの、原爆や東京大空襲のような多くの悲惨の後に、新しい民主主義が導入され、表現の自由も導入された。パンドラの箱からは本当に最後に希望が出てきた。幼いころに歌ったリンゴの唄には希望があった。そして70年以上たった今でも、その希望は細々としつつもまだある。
現状を悲惨とみるか希望とみるかは解釈の問題にすぎない。絶望を叫んだり、物事を単純に説明するのははっきり言って簡単である。ただ、五感体感は別の何かをつかみ私たちに真理を囁きはじめている。その声をもういちど聴こう。そして不安がたくさん詰まった袋の中から、今ここでやるべきことだけを取り出し、小さく始めよう。残りの不安をそのままにして。
6/10五感とストレス解消の生活
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