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昨日、近くの高幡不動尊により、あじさいを見た。写真は赤いちゃんちゃんこを着たお地蔵様とその上に咲いていた白いあじさいである。本堂近くの色ずいたあじさいのそばには、沢山のアマチュア写真家がいたが、奥の山の方は色づきもまだまだなのか、あるいは五重塔など見栄えする被写体がないのかひっそりしていた。
御地蔵様は、村のはずれなど、ちょっとしたところにいらっしゃることが多い。ちょっとした花が手向けてあったり、一円玉のお賽銭が置かれたりする。わたしはそんな御地蔵様が好きである。
おそらく、大昔から、こうしたちょっとしたところに御像があったのだろう。人間にとって像は不思議な存在である。今日出会った御地蔵様、数年前に出会った同じ御地蔵様、自分は変わっても、お地蔵様の本質は時間を越えているようにも見える。
自分の心と身体は、時間軸の中で、さまざまに変化していく。感情の世界も悲しみあり、悔しさあり、楽しさあり、喜びあり・・・。この中で、もし自分に魂があり、それが、病むことのなく、老いることもなく、永遠不変のもので、愛そのもの、臨終のとき、身体から離脱する知的生命体と考えてみるとどうか。御地蔵様ではなく、自分のうちに魂を考えてみるのだ。
そして、気になる他人の中にも、同じような魂が存在すると考えるとどうか。魂の声は身体やこころ(成育史)をとおして伝言ゲームのように変わり、実際の声は判りにくくなっていても、どこかにその面影があると考えてみる。
暗い感情(不安、怒り、鬱、錯乱・・・)を明るい感情(平安、友好的感情、健康感、幸福感、統御感・・・)に変化させる基本は、どのように思考(考え方)するかである。日々の思考の中に魂の考え方を追加してみると、どうだろうか。
何でも考え方一つである。考え方一つが間違うと悲惨な結果を産みだす。幸福を産みだす考え方が大事だと思う。
<光2/4>
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どなたが赤いちゃんちゃんこを着せているのでしょうね。